最近の高橋源一郎の著作は、小説を除いてほぼ読んでいて、ブログでも取り上げています。「高橋源一郎」と検索すると何点か出てきます。一方の辻信一も、スローライフ提唱の時から読んでいますが、最近では田中優子との共著「降りる思想」をブログに書きました。どちらも私がとても信頼している人です。

「『あいだ』の思想」(大月書店/新刊1760円)は、「あいだ」という非西欧的概念から生み出される思想をもとに、どのようにしてこれからの複雑な時代を見て、行動してゆくのかを、二人の対話を通して読ませる刺激的な一冊です。いゃ、本当に刺激的です。眠っていた脳細胞を総動員して、二人の深い知性のやりとりを楽しみました。

しかし、この哲学的な対話を紹介するのは、極めて難しい。下手に引用すれば、そのまま丸ごと本の中身を書き写すことになってしまいそうです。だから、読んでください!で、このブログは終了です。

まぁでも、それではなんなので、膨大な数の付箋を貼り付けた中から、こんな文章を紹介します。

「本書が『あいだ』という、一見あまりにも日常的でありきたりの日本語に秘められた豊かな可能性に、読者が思い当たるきっかけとなればうれしい。それは、和辻哲郎が『風土』で論じ、木村敏が『あいだ』や『人と人の間』で論じ、オギュスタン・ベルグが『風土の日本』で論じてきた哲学的テーマだ。それは、人間、時間、世間、仲間、中間、居間、間柄、間合い、そして間というキーワードの中にも生きている。『あいだ』という概念の汎用性、その広さと深さ、そして豊かさにはほとんど限りがないと思えるほどだ。」

様々な「間」を巡り、二人の知識と見識が披露され、分断化し孤立化してゆくこの世界をどのようにつなげてゆくかが検証されています。

「『あいだ』で読み解くコロナの時代」で、辻は、国民の中にある「わからない」ことへに苛立ちが危険水域に近づいていると警告しています。

「コロナ禍で統計学的な言語が支配的になる中で、すでに縮減していた『わからない』ことへの忍耐力がさらに急速に縮小していった。だから、どういう政治家や専門家が人気があるかというと、単純に言い切る人、昨日言ったことと、今日言ったことが変わっていてもいいから(笑)、きっぱりとそのばでわかったように断言する政治家や専門家に人気が集まります。わかりやすさの水位が、もう十分危険水に達しているみたいです。」

ほらほら、何人かそんな人たちの顔が浮かんできますね。「わからない」ということと「わかる」ということの「あいだ」から、コロナに覆われた私たちの今生きてる世界が見えてきます。

過去、何度かこの二人の本は、私の拙い言葉で紹介してきましたが、おかげさまで全て販売しました。熱意が伝わったのか、あるいは二人を支持するお客様が多くおられたのか、それはわかりませんが……..。

 

待賢ブックセンター「処暑の古書市」を開催中です。9/5(日)までです。勝手ながら、8/29日(日)は臨時休業させていただきます。 

 

●北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

小川洋子、太田光、中沢新一と異種格闘競技のような対談集を出してきた山極寿一先生が、またもや対談集を出しました。それが「虫とゴリラ」(毎日新聞社/古書1100円)です。対談相手は養老孟司先生。解剖学と人類学と学問の違いはあれど、なんとなく似た者同士の組み合わせですが、このお二人が面白くないはずがない。刺激に富んだ対談集でした。

本の紹介に入る前に、先日NHKの番組で山極先生が、哲学者、歴史学者というジャンルの違う学者と、コロナ後について語り合ったことを書いておきます。番組で先生は、「地球は人間が主人公ではない。多くの細菌、多くの生物の住む惑星であり、人間が主人公の如く生態系を破壊している。」と語り、例えば温暖化の影響などでコロナとはまた違う生物が登場する可能性もあるから、生態系、自然環境をあなどることをしてはいけないと言われたのですが、今回のコロナ騒動下で、最も腑に落ちた意見でした。

その思想が本書にも流れています。自然との感動を分かち合う生き方を求めてゆくことの大事さが語られています。元来、秋になれば山から聞こえてくる鹿や猿の繁殖期の鳴き声や、春には鳥の繁殖の鳴き声に、日本人の情緒は影響されてきたはず。しかし、「今、森が空っぽになっちゃたから、気温の変化や、そういうものでしか判断できなくなっちゃった。自然に対する感覚を失って、人間が機械的な反応しかできなくなったいう気がするんです。」と語っています。

洗剤で荒れた河川を下水道整備でもとの状態に戻した時に、「役所がフナを放しやがった。フナなんて一匹もいなかった川なのに。」と養老先生。

すると山極先生が、役所は日本の水田の構造・生物環境を調べずに「『復元すりゃいいでしょう』って、いろんな生き物を放しちゃった。それで生態系が変わり、外来種もずいぶん増えちゃった」と答え、さらに養老先生が「いちばん悪いのはアメリカザリガニ。あいつら、本当にたちが悪い」と切り返していきます。なんだか、飲み屋さんで、ご隠居のうんちくを聞いている感じで、とても楽しい読書時間です。

最後の山極先生の発言は、これからの生き方を考える上で大切なことが語られているので、長いですが、全文載せます。

「日本列島はもうほんとうに多様ですから。この多様というのをうまく反映させた地域づくりと、自然観をつくっていかないと。工業化っていうのは、均一性に向かうんですよ。もちろん海外からくるものは、みんな均質、質保証って言うでしょう。あの質保証っていうのがね、厄介なんです。ある質っていうのをクリアしなくちゃいけない。だから、その質をクリアしないものは、製品にならない。捨てられていくわけです。こぼれ落ちていくものほど、価値がある。だから、うちはいくつもそのこぼれ落ちたものをいただいて食べてますけども。そっちのほうの、価値観を持たなくちゃいけないと思います。」

そして「こぼれ落ちたものが、いちばん面白いんですよ」と養老先生が締めくくりました。

 

お知らせ 

6月より、営業日・時間を下記のように変更いたしました。

月曜、火曜定休。 営業は水曜日から日曜日まで 13時〜19時とさせていただきます。また、ギャラリーの企画展も7月から再スタートをいたします。度々の変更でご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします。通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。(info@book-laetitia.mond.jp)

 

 

村上春樹と柴田元幸の対談を収録した「本当の翻訳の話をしよう」(SWITCH LIBRARY/古書1300円)を一気に読みました。もともと雑誌「MONKEY」に掲載された対談を単行本にしているものなので、柴田ファンは雑誌ですでにお持ちかもしれません。でも、まとめて読むとこの二人が愛してやまない作家、主にアメリカ文学の作家たちのことがよく分かり、二人の創作や翻訳に様々な影響を与えていることが理解できます。

大のジャズ好きの村上が、ジャズの進化発展とアメリカ文学の発展を、上手い具合に述べていました。40年代ダンス音楽だったジャズに、50年代に黒人がビバップという革新的なジャズスタイルを創造し、それを白人が洗練化させていった歴史を踏まえて、「50年代はクリエイティビティと洗練化が上手く歩調を合わせていた時代で、その頃に出されたジャズのレコードはあまりハズレがない。60年代になるとまたクリエイティビティな動きが起こってくるわけだけど、そのぶんハズレが多くなるんです。小説も50年代はハズレがない時代な気がします。」

柴田がその意見に同調すると、村上は続けます。「小説もメイラー、カポーティー、サリンジャー、マッカラーズと、50年代は質のいいものがまとまって出てきている。60年代はそれがはじけてばらけてきます。」

こういった興味深い話がぎっしり詰まった一冊です。私は、先ずはアメリカ映画があってその原作を読みだしました。どちらかというと海外小説に興味のない方にもこの本を読んでいただいて、興味ある作家が出てくれば、一度トライしてみてもらいたいと思います。後半には、二人が同じ文章を翻訳して、どこがどう違うのかトークする場面が出てきます。翻訳の奥深さを知っていただけるはずです。

最も面白かったのは、村上が小説に置ける礼儀正しさを重視しているというところ(P174)でした。柴田が、「礼儀正しさというのは登場人物の振る舞いのことですか。」と問い返すと、村上は「上手く言えないんだけど、文章を書く姿勢というか心持ちというか。」と答えます。

さらに柴田が「ヴォネガットがディーセンシー(decency=まっとうさ)という言葉を使いますが、それとも違いますか」と迫ると、村上は「似ているかもしれない。」と前置きして、彼の論を展開していきます。立ち読みでも、ぜひご一読を。

 

トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。