小川洋子と平松洋子の対談集「洋子さんの本棚」(集英社文庫/古書300円)を、単なる読書案内の本と思って読み出したのですが、そうじゃなかったんです。

第一章「少女時代の本棚」は、本好き少女二人の、微笑ましいシーンが一杯語られます。平松が、ツルゲーネフの「はつ恋」で主人公が令嬢を鞭打つ場面で茫然となったり、三浦哲郎「忍ぶ川」にあるセリフ「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ」というセリフ通りに、素っ裸で寝た逸話などが出てきます。

第二章「少女から大人になる」では、本の紹介からさらに女性性についての考察へと向かいます。この章で小川はアンネ・フランクの「アンネの日記完全版」、中沢けいの「海を感じる時」を、取り上げています。一方平松は、増井和子「パリから 娘とわたしの時間」、西原理恵子「パーマネント野ばら」、キャスリン・ハリソン「キス」を。

「パリから 娘とわたしの時間」では、十歳から十五歳にかけて女の子の心と体が、劇的に変化する時代をどうすり抜けてゆくかを語りながら、著者の増井と同じ母の立場から、平松は「娘の中に女を発見した、認めた女性性から私は逃げないという、ある種の母としての覚悟みたいなものが、増井さんの中にあるんだ」と語っています。

さらに「アンネの日記完全版」では、小川が「自分の性器の仕組みを、自分で見て、詳細に書いている」ことを上げます。アンネが体のこと、性のこと、男の子のことを知りたがっていることが詳細に書き込まれ、実際にベーター少年と恋をして、キスして、お互いを理解して、はい、おしまいにしてしまいます。

平松は「性の目覚めを通じて、あ、人はひとりなんだ、自分で立っていかなくちゃいけないんだというそのことを、少しづつ発見していった」とまとめていますが、これは男の性にはありません。男の子にとって性の目覚めは、そのまま性の妄想、いや憧れです。

さて、ここからです、この本がスリリングになってくるのは。性の目覚めを通して、娘は母を乗り越えていこうとするという真実へと向かいます。女性には「生まれる時、自立する時、親が死ぬ時。人生には三回の裁ちバサミがある」ということを、「海を感じる時」を参考にしつつ、語っていきます。もう、ここまでくると、男の私から見れば異星人のお話です。しかし、それが極めて面白いのです。

この章の終わりが傑作です。平松が作家高樹のぶ子の「女にとって男は人生のお客様」という言葉を受けて、小川が「なるほどね、来ては去り、通り過ぎていく。」のかと納得した後、

平松 「パーマネント野ばら」もそうですよね。基本的に男たちは通り過ぎてゆく。それこそ風景みたいに。

小川 男は風景。そうかそうか。そう思えば、いいんですね

 

さて、男性諸氏はどう思われるかわかりませんが、「男は風景」って言葉、私は嫌じゃないですね。

 

★お知らせ★

  レティシア書房 第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)月曜定休日

京都・大阪・兵庫・滋賀・岐阜・東京などから、出展者が女性という古本市です。お買い得の面白い本を見つけにお越しくださいませ。(古本市準備のため19日、20日は連休いたします)

 

小川洋子という小説家は、長編の人だと思っていたので、あんまり短編には手を出しませんでした。しかし、「口笛の上手な白雪姫」(幻冬舎/古書1200円)を読んで、考えを新たにしました。

ここには七つの短編が収められています。場所も時代も、全く異なります。ただ、主人公が少年、あるいは少女という設定のものが大半です。最初の「先回りローバ」は、電話の時刻案内の女性の声に安心し、ずぅっと電話機を握りしめる男の子、「亡き女王のための刺繍」は、町の子供服専門の仕立て屋さんに通う女の子、「かわいそうなこと」では、かわいそうなことリスト作りに血道を上げる男の子、「一つの歌を分け合う」では、子供を亡くした伯母と、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観た高校生等が主人公です。「レ・ミゼラブル」の舞台や映画を知っている人は、ラスト泣けてきますよ。

子供たちが体験した、親や、祖父、或は町の人々との交流を一つの物語にまとめ上げ、どの作品を読み終わった後も、ちょっと胸がつまり、美味しい珈琲を飲んだときの満ち足りた気分にさせてくれます。祖父と少年が、廃線の決まった電車に乗り続け、畑にいた兎を可愛がる「盲腸線の秘密」は、そのまま映画になるんじゃないかと思えるぐらいに、映像的です。生きていれば、笠智衆にこのおじいちゃんを演じてもらいたかったですね。大切だった人の死、その人への深い思いが込められています。

こういう作品の一方で、「仮名の作家」は異色です。主人公はある小説家を溺愛する女性で、その作家のすべてを暗記する程にのめり込んでいます。そして、作家を囲む会では、お馴染みさんになっていくのですが、とある会で、彼女の的外れな発言が糾弾されます。その時、彼女は「私ほど正確に彼の小説を理解している者は他にいません。全部を完璧に暗記しているのですから」と叫び、大声で暗唱を始めますが、無理矢理外に連れ出されるというお話。これもまた、小川洋子の世界です。

「かわいそうなことはどこにも潜んでいる。何気なく曲がった角の突き当たりに、ふと視線を落とした足下に、昨日まで素通りしていた暗がりの奥に、身を隠している。僕はひざまずき、彼らを両手ですくい上げる。自分の生きている世界が、かわいそうなことばかりで出来上がっていると、薄々感づきながら。」

これは「かわいそうなこと」の最後に登場する文章ですが、作家自身、そういう「かわいそうなこと」を救いあげ、美しい物語へと昇華させているのではないでしょうか。

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  レティシア書房 第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)

京都・大阪・兵庫・滋賀・岐阜・東京などから、出展者が女性という古本市です。お買い得の面白い本を見つけにお越しくださいませ。

 

 

精神分析の専門家が書いた落語の本って、小難しそうな感じがあります。しかも版元はみすず書房という人文出版社の大御所となると……..。これ藤山直樹「落語の国の精神分析」(1500円)です。「孤独と分裂−落語家の仕事、分析家の仕事」なんて章から始まるので、尚更難しそうですが、著者の文章が平易で、トントンと頭に流れ込んでくるので、面白い一冊です。巻末には立川談春との対談も付いています。

天才的な童画作家、武井武雄の長女三春が父のことを綴った「父の絵具箱」(ファイバーネット800円)もいい本です。お父さんの七回忌を機に、脳裏に浮かんでくる父親の側面を描いた武井武雄の一生です。もちろん、多くの武井作品が掲載されていています。「一生の持ち時間を、父は父流に生き、悠然と使い切ってさっさといなくなってしまった。死ぬ用意など全くしなかった。父らしい引き際であったと思う。」と三春は語ります。中程に収集した郷土玩具に囲まれてニンマリしている武雄の写真をみ見ていると、幸せな時間をいきたからこそ、誕生した多くの作品だったのでしょうね。

ジェーン・グドールという霊長類研究者のことをご存知でしょうか。星野道夫ファンなら、彼の「ゴンベの森へ」に登場する学者だなとお気づきの方もおられるかもしれません。そう、星野がわざわざ会いに、アフリカまで出かけた学者です。チンパンジーと共に生きた彼女の生き方を、自ら文章にしたのが「森の旅人」(角川書店600円)です。「わたしのささやかな思想と信仰のどこかに、読者がなにかをみつけてくださり、人生の旅路の行く手を照らす小さな光として役立てていただければ」と書いています。アフリカの奥地の過酷な環境の中で、チンパンジー達と生きた彼女の魂の遍歴。掲載されている穏やかで、知性的な面立ちの彼女の写真の撮影者は星野道夫でした。

グイグイと小説の世界に引込む力を、最も発揮しているのはたぶん小川洋子だと思います。私は、彼女の本を買って、損をした、時間の無駄遣いをしたという記憶がありません。彼女の長編「ミーナの行進」(中央公論社650円は出品されたお店の熱意が溢れています。)にはポップが二つ付いていて、一つにはお店のブログで紹介したこと、そしてもう一つには、小説の中に登場する司書の青年のこんな言葉が書かれています。

「何の本を読んだかは、どう生きたかの証明でもあるんや」

こんな台詞見たら、読みたくなるよね。

「女子の古本市」は19日(日)まで。最終日は18時で閉店いたします。


 

 

 

読みやすい。これが第一印象です。

FMラジオ番組「Panasonic Melodious Library」で、小川洋子が話したことを、書籍用に再構成されたものだけに読みやすい、というのもありますが、彼女の言葉が的確で、しかも深い印象を与えるので、物語の世界へするするっと誘ってくれます。「シャーロック・ホームズの冒険」とか、「トム・ソーヤの冒険」とか、あまりにもスタンダード過ぎて読書案内に載らないものも読ませてくれます。(PHP文庫300円)

その一方で、なかなか書評集にも見受けない、さすが小川洋子のセンスだ!という本も紹介されています。例えば南アフリカの作家クッツェーの「鉄の時代」。この小説は、ガンを宣告されたケープタウン在住の白人女性カレンが、アメリカにいる娘にあてた遺書めいた手紙で進行していきます。カレンとお手伝いの黒人女性、そしてカレンの庭先に住みついた黒人ホームレスのファーカイルの、三人のやり取りを通して、「アパルトヘイトがごく普通の人生にどんな傷を残したのか、カレンとファーカイルの人生を通して、ほんのわずかですが感じることができます」と評価しています。なお、「鉄の時代」は河出書房世界文学全集の一冊として在庫しています。(1900円)

他にも、「アポリネール詩集」、「死者の奢り」(大江健三郎)、「骸骨ビルの庭」(宮本輝)、「トロッコ」(芥川龍之介)等の渋い作品や、「細雪」、「金閣寺」、「赤いろうそくと人魚」等の有名な小説も挟み込まれています。

その渋いラインナップから、もう一冊。大正時代に活躍した「自由律俳句」の俳人「尾崎放哉全句集」について、小川はこう書いています。

「尾崎放哉の最も有名な句のひとつは、『咳をしても一人』でしょう。五七五の十七文字よりさらに短い、九文字です。その圧倒的な短さの中に、彼の人生のすべてが凝縮されているようです。定型からはみ出しているからこそ余計に、そこに込められた孤独が際立っています。」

際立った孤独という意味では、彼女が紹介している「一日物云はず蝶の影さす」も高いクォリティーを持っています。

尾崎に関しては、西川勝著「『一人』のうらに」(サウダージブックス2160円)という傑作ノンフィクションがお薦めです。(店頭にある本は表紙がリバーシブル仕様です)

 

「夏の古本市」本日最終です。酷暑の中、多くの方にご来店いただき、まことにありがとうございました。参加して頂いた26店の皆様、素敵な本をありがとうございました。

古本市開催中も、色々と面白い本が沢山入荷しています。ミニプレス「公園道具」(864円)の第4集です。写真家、木藤冨士夫が都内の夜の公園で、遊戯道具やら、オブジェに照明を入れて撮影したものを集めた写真集です。(Vol.1〜3は完売です)

不思議な世界が展開します。蛙の口から飛び出したすべり台の写真が表紙ですが、このカエルまるで生きているみたいで、夜な夜な、子供たちが遊びに来るのを待っているのかもしれません。

今回、同時に、木藤さんの作品集「ZOO COLLECTION」(1544円)も入荷しました。白黒で撮影された動物たち。彼らの全体像を撮るのではなく、その一部分をクローズアップした作品で構成されています。

彫刻のような象の鼻、暗闇に浮かび上がるシマウマの模様、遥か彼方を見つめる羊の眼、地獄からの使者のようなワニの顔、深い対話をしてくれそうなキリンと多種多様な動物たちの表情を見ることができます。

 

 

京都発の文芸雑誌「APIED」(648円)。最新号の特集は「小説と映画」。色んな映画とその原作にまつわるエッセイ満載ですが、その中に、小川洋子の「猫を抱いて象と泳ぐ」に関しての文章をみつけました。

えっ、この小説映画になってた??と読み始めると、これ筆者の妄想でしたが、なかなか面白い。かつて、ミニコミ雑誌でベスト映画を選んだ時、「埴谷雄高の『死霊』を香川照之の主演で観たい」とユニークな意見を書かれただけのことはあります。

小川洋子の作品では、「薬指の標本」がフランスで映画化されています。筆者は、フランス映画なのにまるで違和感がなく、「物語にほぼ忠実で妖しさと静謐さ、幻想的な香りは失われていない」と書かれています。私は映画は観ていませんが、原作の「妖しさと静謐さ」はヨーロッパ的だなと思いました。確か、「人質の朗読会」(中央公論新社800円)はWOWWOWでドラマ化されましたが、これは渋い役者一杯のアメリカで映画化してもらいたい。できれば、映画で物語を語ることをよく知っているクリント・イーストウッドに演出してもらえれば最高ですね。

 

★勝手ながら8月21日(日)〜25日(木)夏休みをいただきます。

よろしくお願いします。 

 

 

 

私は猫背である。女房に指摘される度にシャキッとするのだが、またすぐに元に戻ってしまう。原因は、男子中学、高校という痛ましい6年間にあると信じている。多感な時期、周りが男だらけ(の割にはケイコチャンやらユミコチャンとかいうガールフレンドが・・・)という窒息寸前の、進学校。落ちこぼれの私なんぞ、国立大学を目指す同級生に卑屈になり、自然下を向き、猫背になってしまったというわけ。

大学時代、辻邦生の文学に入れこみ、清冽で凛とした彼の文章に接して、いかん、下を向いていばかりではと思わされました。そうか、作家の文章には、シャキッとさせる効能があることを知り、そういう身体にいい文章を書く作家さんを探しました。

例えば、こんな文章です。

「あれほど巨大な身体を持ちながら、どうして彼女たちはこんなにも静かなのだろうと、私はいつでも息を飲む。老木のように思慮深く四本の脚は、戸惑わず、油断をせず、正しい場所を踏みしめ、一瞬たりとも無駄な音を発しない。もし夏の静かさというものがあるなら、この者たちの足裏こそがそれを生み出しているに違いない、と思わせてくれる」

これ、以前にご紹介した小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(新潮社900円)に登場する老いた象の描写です。

静謐で緊張感があり、削り取られた言葉が、シャキ!とさせてくれるのですね。

こういう文章は、私の読書体験から言えば、女性作家で出会うことが多いみたいです。必ず新刊は熟読する梨木香歩は「不思議な羅針盤」(新潮文庫300円)で、煮詰まった人間関係に喘ぐ時、こう言い切ります。

「もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして『自分の好きな場所』を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。

逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない」

強靭な言葉ですね。彼女たちに、背中の曲がった、このばか者が!と怒られながら、ぐぐ〜と背を延ばす毎日です……..。

 

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古書店では、現役の作家が隅に追いやられていることがあります。でも、先人の作家達に負けない素敵な小説はもちろん沢山あります。

小川洋子もそんな一人。大ヒットした「博士の愛した数式」は、ラスト、マウンドに立った江夏で幕を閉じますが、何度読んでも泣けてきます。近年の幕切れベスト10に入れたい作品です。

さて、彼女が様々な動物を登場させた「いつも彼らはどこかに」(新潮社900円)は、上手い!!としか表現できない短篇集です。動物が出るからって、大切なペットとの涙の別離などという設定のお話はありません。

例えば、「愛犬ベネディクト」。犬は犬でもブロンズでできたミニチュアの犬です。殆ど外出しない少女と、ベネディクト、そして少女の兄を巡る物語です。ギャンターグラスの「ブリキの太鼓」を小道具として使ったラストは、まるでベネディクトに、命が宿っているみたいでした。

また、「帯同馬」に登場するのは、名馬ディープインパクトですが、これも、ちらっとTVに出るだけ。それ以外では、主人公の女性が通勤に使うモノレールから見える競馬場の遠景のみが馬に関連する場面です。

あるいは、「ビーバーの小枝」では、ビーバーの頭蓋骨がでてきます。小説家の女性が、自分の本を翻訳してくれた男性の死を知り、彼の家を訪ねた数日間の出来事を描いていきます。頭蓋骨はその翻訳家からのプレゼントでした。何故、そんなものを贈ったのかを、小説家は理解していきます。そして、森の何処かに住むビ−バーを想い、こう綴ります

「森のどこかでビーバーが自分の棲みかをこしらえるために、太い木と格闘している。自分に与えられたささやかな歯で、諦めることも知らないまま幹を削ってゆく。不意に、その瞬間はやって来る。一本の木が倒れる。地面の揺れる音が森の奥に響き渡る。しかし誰も褒めてくれるものはいない。ビーバーは黙々と労働を続ける。」

そして、自分の仕事に向かう・・・・鮮やかなエンディングです。

装画は、様々なジャンルで活動するD[di:]。素敵な表紙です。(右写真は彼女の作品)

レティシアの書架を見ると、文庫、ハードカバー共、小川洋子の作品が少なくなってきました。最近、読んでいないのも多くあるので、充実させていくことにします。