松嶋智佐著「女副署長」(新調文庫/古書300円)は、警察小説としては極めてユニークな一冊です。

先ず、著者の経歴が面白い。高校卒業後、警察官になり、日本初の女性白バイ隊員となりました。退職後、作家に転身して、2006年には織田作之助賞を受賞しています。そして物語はというと、とある警察署に赴任してきた副署長のたった一夜の経験を描いています。

まさに大型台風が通過する夜、警察署の敷地内で警察官が刺し殺されます。犯人はまだ署内にいる可能性が高いので、署はロックアウトされます。しかし、台風の激しい雨と風のため市内各地で救助要請が続発します。片や台風、片や殺人事件という状況下で副署長が活躍する物語です。面白いのは、彼女のヒロイックな活躍が中心ではなく、この警察署に所属する警察官たち全てが主人公と言ってもいいほど、リアルに描かれていくこと。何せ、元警察官だけあって、その描写は著者自身が経験したものが反映されているはずです。

最初のページに4階建ての警察署の地図が載っています。何でこんなものが必要かというと、多くの警察官が各階を上へ下へと移動するのです。そして、アメリカのTVドラマ「 ER」みたいに、場面がパッ、パッと切り替わり、息つく暇のない構成になっています。手提げカメラを担いで、この小説通りに映像化したら、さぞ面白い映画になると思います。

あとがきでミステリー評論家の吉野仁がこう書いています。

「『女副署長』というタイトルから、女子幹部の警察官が抱える困難を強く前面に押し出した部分が主軸の話なのだろうと勝手に想像していた。もちろん、そうした面もしっかりと含みつつ、むしろここに描かれているのは、<ひとつの警察署丸ごと>である。所属する警察官たちばかりか、建物を含めたすべてだ。それらを余すことなく物語の中にぶち込もうとしているかのような書きぶりなのだ。」

そうです。読んでいる間、こちらも署内をドタバタ走っているような臨場感が味わえます。

ラストの「POLICE WOMAN」という言葉に、著者の警官だった矜持を見た気分です。警察署に出向くとき(?)ぜひお読み下さい。

以前、池澤夏樹編集による日本文学全集が出版されました。その中で、池澤は古事記を現代語に翻訳し、話題になりました。私も面白く読みましたが、それから6年が経過し、古代を舞台にした小説を発表しました。

実在されたと言われるワカタケル、後の雄略天皇に焦点を当てた長編「ワカタケル」(日本経済出版社/古書1600円)です。

イチノヘノオシハ(市辺押歯)やら、ナダタノオホイラツメ(長田大郎女)やら、古代人独特の名前の人物が数多く登場しますが、覚えられなくても先へ進みましょう。(私はそうしました。)細かいところにこだわっていると、このダイナミックな歴史物語の面白さを堪能できなくなります。

国家の基本を作り上げたワカタケル。凄まじい暴力的世界と血塗られた権力闘争を平定し、国が整うまでを描いた叙事詩的物語なのですが、こんな描写も出てきます。

「何ごとも男が率先するのはよろしい。卑俗な世事などは男に任せてかまいませぬ。だが、本当に国生みをなしたのはイザナミであったことをお忘れなく。ものごとを底のところから作ってゆくのは、女であります。先の世を見通して道を示すのは、女であります。

戦の場ではせいぜい戦いなされ。刀を抜き、弓を引き、戈を振り立て、火を放つのは男。しかし、亡くなった者たちの後を満たす者を生むのは女。民草は一人残らず女の胎より生まれます。」

こう言い放ったのは、ワカタケルの乳母のヨサミです。そして物語後半、近隣の国への無謀な出兵を押しとどめようとしたのはワカタケルの大后のワカクサカでした。その後、女帝が国を治め、平和な国家建設へと向かいます。

さらに女王イヒトヨに至っては、「女と生まれた以上は男を床に迎えるのが当たり前と言う。さして興味なかったけれど、知らぬまま済ませるのも口惜しい気がして、試したの」とおっしゃる。さらにどう感じたかと言う問いに対しては、

「なにも。こんなものかと思い、一度で充分と思いました。それからは男を近づけなかった。だから子もいない。」

因みに彼女の治世は穏やかな日々だったそうです。

思慮深い女性たちが印象に残る物語でもありました。超おすすめです。

 

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俳優・劇作家・小説家としてマルチに活躍している戌井昭人。1997年パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」を旗揚げし、2009年発表の小説「まずいスープ」で芥川賞候補になりました。

今回ご紹介するのは川端康成文学賞を受賞した「すっぽん心中」(新潮社/古書900円)です。短編小説三作品を収録してあります。受賞した「すっぽん心中」は、職を失って生活が苦しくなった若い男が、家を飛び出して危ないお店で仕事をしていた娘と、ひょんなことで出会います。ゆきずりの二人は、金儲けのため高級すっぽん店に売りつけるすっぽんを取りに、茨城県霞ヶ浦へと向かいます。

が、素人の二人にすっぽんが捕まるわけがありません。その道中と、グロテスクと笑いとが入り混じった結末が描かれます。へらへらと生きてきた男と、ワイルドサイドをなんとか歩んできた少女と、ぐちゃぐちゃに潰されたすっぽんが描き出す奇妙な道行です。

二作目「植木鉢」は、帰省する前日の夫婦と小さな子供の描写から始まります。田舎へ帰る車中、噛み合わない夫婦の会話が印象的に描かれていきます。イラつき出す夫。地元に戻ると、近所で殺人事件があり、植木鉢で家人が殴り殺されていました。なぜか、その殺人犯探しに血道をあげる夫と、無視する妻。思考停止した挙句に夫が、放り投げた自宅の植木鉢に頭をぶつけて気絶するという話です。

三作目「鳩居野郎」は鳩が大嫌いな男のお話。鳩の鳴き声を聞くだけでいたたまれなくなる男は、家の周りに寄ってくる鳩との戦いに消耗しきっています。鳩よけに張り巡らした罠に鳩がかかって、もがき苦しみ出し、耐えきれなくなった男は鳩を救い出そうとします。恐ろしい形相に、近所の人は気が狂ったと錯覚してしまいます。

それぞれ、奇妙な味のある作品です。ブラックユーモア的な部分もありますが、ある日、突然立ち現れてくる非合理的なものに取り憑かれた3人の男の姿を描いています。合理的な判断を下す私たちが、一歩ずれると非合理的な存在になることを、喜劇的でも悲劇的でもなく、じっと見つめている世界がここにはあります。私は、どの作品も面白く読みました。

なお、この作家の作品で小説「俳優・亀岡拓次」(フォイル/古書900円)も在庫しています。脇役俳優亀岡の奇妙な人生を描いた小説は、映画化され、安田顕が主役を演じていました。

韓国の作家チョン・イヒョンの「優しい暴力の時代」(河出書房新社/古書1600円)を推薦します。類い稀なストーリーテーラーと高い評価を得ているチョンの7作品と、韓国現代文学賞を受賞した「三豊百貨店」を加えた日本オリジナルの短編集として発売されました。

ぬいぐるみの動物と暮らす青年の元へやってきた亀との日常を描く「ミス・チョと僕と亀」が最初に載っています。

「亀は僕の方を見ないでのろ、のろ、と僕が立っているのとは反対方向へ這っていった。ふいに、もうすぐ誕生日だということに気づいた。今や僕は、十七歳のアルブダラゾウガメと、猫の形のぬいぐるみを持つ四十歳の男になるのだ。それ以外何も持っていないという意味だ。」

「岩」と名付けられた亀と、シャクシャクという名のぬいぐるみと、僕の不思議な関係。モノクロームな風景が広がってゆきます。

ファンタジーと言ってもよい二人の少女の青春を描いた「ずうっと、夏」は、架空のKという国で展開します。一夏の成長物語というには、あまりにも痛みの多すぎる物語です。一年中、夏という国Kにとじ込まれた少女が、自分とは何者かを知る小説だと思います。

「一九九五年六月二十九日木曜日、午後五時五十五分、端草区端草洞一六七五-三番地の三豊百貨店が崩壊した。一階部分が崩れ落ちるのにかかった時間は、一秒にすぎなかった。」

という文章で始まる「三豊百貨店」は、実際に起きた三豊百貨店の崩壊事故を、事故から10年後に振り返って描いた作品です。この百貨店は韓国バブルの象徴で、安全性を無視した設計と手抜き工事で崩壊、多くの犠牲者を出しました。著者自身、この百貨店は馴染みの場所だったみたいで、ノスタルジーも含めて、ここで働くデパートガールと、彼女と仲良くなった就活中の女性の交流を描いていきます。

「今もときどきその前を通り過ぎる。胸の片すみがぎゅっと締めつけられる時もあれば、そうでないときもある。故郷が常に、心から懐かしいばかりの場所とは限るまい」

様々な人生があり、そこで生きて死んでゆく、そのレクイエムとも呼べる作品集だと思います。

「ミス・チョと僕と亀」の最後の言葉はこうです。

「それでも僕たちは生きていくだろうし、ゆっくりと消滅していくだろう」

 

 

「グリコ・森永事件」は、1984年3月にグリコ社長を誘拐、身代金を要求した事件を発端に、同社に対して脅迫や放火を起こした事件です。その後、森永やハウス食品など、大手食品企業を脅迫。現金の引き渡しには次々と指定場所を変更して捜査陣を撹乱し、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れませんでした。さらに同年、小売店に青酸入りの菓子を置き、全国に不安が広がりました。結局、犯人は逮捕されずに、事件は時効を迎えました。

この事件を元にしたのが、塩田武士「罪の声」(講談社文庫/古書300円)です。発売当時、2016年の「週刊文春」ミステリーベスト10第1位、山田風太郎賞受賞、本屋大賞第3位と、高い評価を得た作品が文庫になったので読んでみました。面白い!の一言に尽きる作品でした。

事件ものですが、刑事は登場しません。京都でテーラーを営む曽根俊他と、大阪に本拠を置く大日新聞記者阿久津英士が、主人公です。舞台は京都からイギリスへと発展していきます。

曽根俊他は、ある時、自宅で見つけたカセットテープに録音されていた音声を聞いて驚愕します。それは誘拐事件の時、使われた指示の声で、なんと子供の時の曽根の声だったのです。俺は加害者なのか?というところから、自分の家族の過去への旅が始まります。事件の背後で、崩壊してゆく家族の姿が描かれていきます。

小説の中で著者は、この事件の起こった時代をこう描いています。

「犯人グループが摂津屋へ脅迫状を送った三ヶ月後、被害総額二千億円の巨額詐欺事件を起こした豊田商事会長の永野一男が、マスコミの衆人監視の中、自宅マンションで自称右翼の二人組に刺殺された。その翌日『兜町の風雲児』こと中江滋樹が投資ジャーナル事件で逮捕される。第一次サラ金パニックの真っ只中で、拝金主義たちが時代を闊歩した。

そして『くら魔天狗』が犯行の終結宣言を出した八月十二日、五百二十四人を乗せた日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落。その日を境に、人々の耳目は史上最悪の墜落事故に集まる。それから約一ヶ月後の『プラザ合意』により、日銀が公定歩合を引き下げ、日本は実体なきバブル経済へと突き進んでいく。」

登場する「摂津屋」「くら魔天狗」は、架空の名称ですが、巧みに歴史的事実を刷り込ませてあります。「グリコ森永事件」の時代がよく理解できます。

重苦しい物語ですが、ラスト、二人の男の別れのシーンが感動的です。なお、本作は映画化され、小栗旬、星野源という旬の役者が、この二人を演じるみたいです。

 

「『狼煙を上げるんだ』 まるでその狼煙が見えているように老人が空を見上げた。そして自らに言い聞かせるように言い放った。『東北独立だ』」

赤松利市の「アウターライズ」(中央公論新社/古書900円)の一節です。東日本大震災後、多くの作家がこの震災と格闘し、様々な作品が世に出ました。世間を挑発するようなタイトルで、震災後早期に発表された高橋源一郎「恋する原発」(河出書房文庫/売切れ)、自らのデビュー作を、震災後を舞台にリミックスした川上弘美「神様2011」(講談社/古書650円)など傑作もありました。

本作は、震災後何年か経過したこの地が、再度地震と津波に襲われ、その後、東北知事会が東北独立を宣言し、鎖国状態に入り日本国と断絶するというSF的発想で始まる小説です。

「独立後東北は鎖国政策を布いた。国としての実態が整うまで、という期限付きの鎖国だった。その期限が、独立から3年後だった。」

開国に際して東北国は、日本から多くのマスコミ関係者を招待することになり、招ばれたジャーナリストたちが、この新しい独立国の現状を見てゆきます。国民は、社会主義国家のような体制ながら自由に、平等に暮らしている一方で、国家独立にまつわる陰謀の影も見えてきます。

「現時点で判明している被害者数は6名です。」

と、再び大きな地震に見舞われた東北国政府の発表。そんなことがあり得るだろうか。大きな疑問を追求してゆくジャーナリストたちの行動は、サスペンス小説の楽しさもあります。著者は東北大震災後5年ほど東北に住み、土木作業員や除染作業員を経験しています。ここには彼のリアルな体験が反映されています。だから荒唐無稽なエンタメ小説に陥ることなく、震災後の現地と、そこで生きる人々が描かれています。

物語の中で、阪神・淡路大震災で孫を失った男が、復興マルシェで店を構える飲食店で、「ウニイクラ丼と発泡酒三本で大方五千円かいな。」とイチャモンをつけてきます。しかし、この男はこう続けます。

「気にせんといてや。何もあんたらに難癖つけとるんと違うで。そやけどな、人の痛みは他人様には分からへんのや。あんたらにはあんたらの痛みがあるやろうけど、それはあんたらで受け止めなあかん痛みや。焼け太り、大いに結構やないか。それだけの痛みを背負とるんやから。誰にも文句は言えるかいな」大阪弁って、なんでこんなに説得力があるんでしょうね。私が関西人のせいかもしれませんが。

ところで、著者はなかなか異色の経歴の持ち主です。全く作家稼業とは縁のなかったのですが、男と遁走した娘を追って所持金5千円で上京し、風俗系の店の呼び込みなどで食いつなぎながら、漫画喫茶で書き上げた『藻屑蟹』で18年に第1回大藪春彦新人賞を受賞。19年「鯖」が、第32回山本周五郎賞候補になり、翌年「犬」で第22回大藪春彦賞を受賞しました。本作は、その受賞後第一作となります。

 

 

こんな台詞が、小説の最後に登場します。その前に「未完成なものだけが完成に到達できる。」という一文があ流のですが、でもこれ、為せば成るみたいな陳腐な人生訓の本ではありません。

吉田篤弘の「流星シネマ」(角川春樹事務所/古書1300円)の最後のページです。吉田は、(私が読んだ限りにおいて)どの小説もとても良いのですが、この作品は、その中でも最も静謐で、切ない物語だと思いました。

「鯨塚」と呼ばれるガケの下にある、小さな町に居着いたアメリカ人の青年アルフレッドが発行するフリーペーパー「流星新聞」。その手伝いをする太郎くんが主人公です。彼の周りには、一癖も二癖もある人々が生活しています。

「ここを訪れる人に共通しているのは、彼らが皆、物静かであることだ。それは、おそらくアルフレッドが物静かであるからで、こうしたところに通って仕事をしていれば、僕もまた一日を静かに過ごすことになる。」

と太郎くんが「流星新聞」の事務所のことを説明していますが、この「静けさ」が小説の全体のトーンを決定づけています。

ある日、アルフレッドは「クリーニング屋の受付カウンターはこの世でいちばん静かなところです。私はその静けさの中で生まれ育ちました。あそこが私の始まりの静けさです。ですから、人生の最後はその静けさに戻ると決めていました」と言い、両親の経営するアメリカのクリーニング屋に戻っていきます。「流星新聞」は太郎が続けることになり、ここから物語が思ってもいない方向へ進んでいきます。

物語が終わってほしくない、永遠に続いて欲しい、その側に立っていたい…..。そんな気分がどんどんと湧き上がっってきます。

かなり昔、この町を流れる川に鯨が迷い込んだという、伝説のような事実のようなことがあります。住人たちは眉唾もののように思っていたのですが、ある雨の日、

「ガケは崩れ落ちながらも雨に打たれ、いままで誰も見たことのなかった土の中に眠っていたものをー大小さまざまな無数の白い骨を次々と暴きながらガケ下の町に撒き散らした。鯨の骨だった。」

この鯨の骨を巡って、町の人々を巻き込んだ奇跡のようなことが起こっていきます。本書のタイトルが「流星シネマ」と「シネマ」が入っていますが、ここに登場するのは8ミリ映画です。アルフレッドが撮影したこの町の映像なのです。その古い映像がもたらす切ない感情。大げさに盛り上がることなく、物語はひっそりと終わっていきます。

「冬にもまた、こうして終わるがくる。冬が終わって春がめぐってくる。春の暖かさは命を持つものすべてを励ますようにつくられている。多分、きっと、おそらくは。」

人生の再生を促すような囁きをポソッと放って、幕が閉じます。穏やかで、暖かい小説でした。

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「彼はファーストネームを平成(ひとなり)という。この国が平成に改元された日に生まれたいう安易な命名なのだが、結果的にその名前は彼の人生に大きく貢献することになった。彼は『平成くん』と呼ばれることで、まるで『平成』という時代を象徴する人物のようにメディアから扱われ始めた」

というのは、古市憲寿著「平成くん、さようなら」(文藝春秋/古書900円)の滑り出しです。平成くんは、原発で働く若者たちの聞き取りをした地味な卒業論文が、2011年という年だったことでメディアの目に止まり、出版されて一躍注目された若者。その若者と同棲している彼女の日常を描いた小説です。

ある日、平成くんは「安楽死を考えている」と彼女に伝えます。え?何故安楽死?という彼女の疑問を巡る物語です。

「僕はもう、終わった人間だと思うんだ」

と彼がそう思ったのは何故なのかをなかなか理解できずに、不安と焦燥が繰り返しやってきます。

「すべての人は例外なく死ぬ。その時期が ちょっと早まることに大騒ぎしないでよ」と平成くんはマイペースです。この小説に悲壮感はありません。

「平成くんの今日の予定は?」 「15時から新潮社で打ち合わせがあって、その後は木下さんとの会食だよ」と、深刻な問題があるとは思えないいたってフツーのカップルの会話で進んでいきます。

悩んだ彼女は、平成くんの友達に相談するのですが、「僕自身、死ぬことの何が悪いのか全くわからないのです。それに平成が死んでも、彼が残した本当の対話はいつまでもできるし」などと言いだす始末。

この二人の部屋にはミライという名前の老猫が同居していました。その猫が末期症状になった時、彼は動物病院で安楽死をさせます。しかし、その場に立ち会えなかった彼女は「ミライは喋れないでしょ。本当はもっと生きたかったかも知れないじゃない」と罵るのですが、その後、「じやあ平成くんは、自分で死にたがっているのだから、いつ死ぬのも自由ということなのか。自分の発した言葉で頭がこんがらがりそうになる。」というジレンマに陥るのです。

小説はどう終わるのか、興味津々でしたが、成る程こうするか!と唸るエンディングでした。そこには、様々な情報機器に囲まれて生きている私たちの時代における死が、見事に描かれていました。

著者の古市憲寿は社会学者で、「絶望の国の幸福な若者たち」、「保育園義務教育化」といった現代日本を考察した本を出しています。そして、小説第一作の本作は、芥川賞候補になりました。

お知らせ 

6月より、営業日・時間を下記のようにさせていただきます。

月曜、火曜定休 水曜日から日曜日まで 13時〜19時に変更いたします。また、ギャラリーの企画展は6月下旬からのスタートを予定しています。度々の変更でご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします。

通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。(info@book-laetitia.mond.jp)


 

コロナウイルス蔓延のために時短営業しているので、家にいる時間が長く、長編小説を一気に読むことができます。おかげで440ページもあるラーラ・プレスコット著「あの本は読まれているか」(東京創元社/古書1500円)も四日で読めました。エンタメ小説としても文学としても、これ程面白い作品にはなかなか出会えません。

小説のタイトルになっている「あの本」とは、ロシアの文豪パステルナークの「ドクトルジバゴ」です。原作より、デビッド・リーン監督の映画作品でご記憶の方が多いかもしれません。1950年代後半に発表された本は、ソ連において反体制的描写で発禁処分となり、密かに国外に持ち出されます。57年にイタリアで刊行され、パステルナークは翌年のノーベル文学賞の受賞が決定します。が、ソビエト共産党、ソ連作家同盟の反対で受賞辞退に追い込まれます。

ロシアでの出版禁止に目をつけたアメリカCIAが、原本を入手してロシア語に翻訳し、密かにソビエトの人々に手渡して、自国の言論統制や迫害を知らせ、社会体制を揺さぶるという「ドクトル・ジバゴ作戦」を実施しました。2014年、機密書類だった作戦の報告書が公開され、その事実を元に組み上げられたのが「あの本は読まれているか」で、著者のデビュー作です。

パステルナークの愛人オリガと、CIAタイピストの女性たちの中から本の受け渡しのスパイに仕立て上げられるイリーナの二人を軸に、物語は1949年から1961年までの二つの大国エゴイズムの中で、熾烈な生き方を選択してゆく彼女たちの姿を描いていきます。派手な撃ち合いやら、サスペンスは皆無です。作家はひたすら、登場する多くの人物たちの日々を詳細に描きこみ、この時代を生きた人たちのリアルな姿を浮かび上がらせていきます。CIAが舞台の割には、男性スパイは、ほとんど登場しません。むしろCIAに勤務するタイピスト部門の女性たちが主役です。

「わたしたちの大部分は独身で仕事をしており、この選択は何度も繰り返し両親に言って聞かせなければならなかったが、確固とした信念ではなかった。確かに、親はわたしたちが大学を卒業した時は喜んでいた。けれど、赤ちゃんを産む事なく仕事ばかりしている一年がすぎていくたび、娘が独り身であることや湿地に造られた都会で暮らしていることに不安を募らせるようになっていった。」

そういう時代を生きた女性たちを、著者は徹底的に書き込んでいきます。そして、「ドクトルジバゴ」のヒロイン、ラーラのモデルとなった愛人イーラの壮絶な人生が、よりいっそう詳細な描写で迫ってきます。そのあたりが単なるスパイものではなく、人生の深い闇を浮き彫りにした文学作品になっている所以でしょう。読み終わった時の満足感は、とてつもなく大きなものでした。

野心的な映画人、例えばニコール・キッドマンあたりが映画化権を買い取って、ベテラン、中堅、新人に至るまで女優をかたぱっしから引っ張り出して映画にしそうな気がします。いや、ぜひそうして欲しいものです。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、営業日、時間を下記のようにさせていただきます。

営業日:毎週 火曜日、木曜日、土曜日 営業時間:13時〜17時

通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。通常営業再開はHPにて告知いたします。(info@book-laetitia.mond.jp)


 今年、話題になった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は、韓国の格差社会を描ききっていましたが、キム・へジン著「中央駅」(彩流社/古書1100円)を読むと、あの映画はまだ天国だったかと思うほど凄まじいものがあります。絶望のみが存在する社会の底辺を生きる男の物語なので、小説を読んで幸せになりたい方にはお勧めできません。

「これがどん底だと思っているでしょ。違うよ。底なんてない。底まで来たと思った瞬間、さらに下へと転げ落ちるの……..」

主人公は「俺」という一人称で語られる若い男です。彼が寝る場所を求めて駅にやって来るところから始まります。そこは、行き場のないホームレスの溜まり場です。小説は最初から最後まで現在形です。つまり、過去もなければ、未来もありません。凄まじい現実だけが容赦なく目の前に引きずり出されます。

「俺はぬるい水をすすりながら時間をやり過ごす。時間は、一滴ずつ、とてもゆっくり落ちる雫のようだ。地面に敷かれたタイルの数を数え、タイルの目地に詰まったホコリを観察し、壁にかかった案内板を読む。できることなら、誰かに俺の時間の一部を切り取って売ってやりたい」

無為に生きる彼の前に、一人の女が現れます。彼の唯一の財産とでも言えるキャリーケースを、女にパクられます。なんとか女を探して、取り返そうとした彼でしたが、この女と関係を持って しまいます。

「女と俺は互いに選んだわけではない。俺たちを引き合わせたのは路上の生活であり、駅舎内に淀む時間だ。」

家もなく、路上をフラフラするだけの二人が体を重ねるシーンは、生理的に受け付けられない人もいると思います。絶望、暴力、無力だけが二人を覆い尽くすのです。

「女は目を閉じて俺を強く抱きしめる。なんとか行為に集中しようとするが、真っ黒い建物の影や路面に散らばった空き缶、しわくちゃの紙やタバコの吸殻のせいで心が傷つく。丸裸の体だけが残された愛は、本当はこんなおぞましい姿だったのかもしれない」

傷つき、傷つけ、地べたを這いずりまわり、悪臭と汚物にまみれた俺と女の道行を小説は延々と描いていきます。そんな本よく読むなぁ〜と思われそうですが、何故か、ページをどんどんどんとめくりたくなるのです。小説の熱量が、こちらを麻痺させ危うくしているのかもしれません。

著者のキム・へジンは、1983年生まれの女性作家です。2013年、本作で「第五回中央長編文学賞」を受賞して、韓国文学の次世代を引っ張る作家として注目されています。ちょっと目が離せません。

 

★レティシア書房連休のお知らせ  勝手ながら4月13日(月・定休日)14日(火)臨時休業いたします。