盛岡市在住の作家・俳人のくどうれいんを初めて知ったのは、ミニプレス「てくり26号」(まちの編集室/660円)でした。「文学の杜にて」という特集の案内役でした。この号の表紙になっている書店「BOOKNERD」が自費出版した「私を空腹にしないほうがいい」を経て、2020年九州の出版社書誌侃々房から出たエッセイ「うたうおばけ」(1540円)、左右社から歌集「水中で口笛」(1870円)と続き、読者を獲得していきました。

そして、2021年発行された「氷柱の声」(講談社/新刊1350円)で芥川賞候補になりました。連作短編小説のスタイルで、東日本大震災が起きた時、盛岡の高校生だった伊智花が主人公です。震災から10年の時の流れの中で、彼女がどう変化し、どんな生き方を選んでいったかが描かれています。

「うん。かえせ。わたしの十代をかえせ、って、思っちゃった。なんていうか、震災が起きてからずっと、人生がマイボールじゃないかんじっていうか。ずっといい子ぶってたんじゃないかと思っちゃったんです。福島出身で、震災が起きて、人のために働こうと思って医師を目指す女。美しい努力、なんですよね。たしかに。もともとかしこくていい子だからわたしはそういうのできちゃうし、無理もなかったんですけど。でも、これからずっと美しい努力の女として生きていくなんて、もしかしたらいちばん汚い生き方かもしれないって思って、思ったらもう、無理かも!って。だから退学したの」

これは、伊智花の友達で医学部に通うトーミの台詞です。震災を経験したから、こういう生き方が美談に祭り上げられて、彼女たちに重くのしかかってゆく。

震災直後から、メディアは多くの物語を垂れ流し続けてきました。震災の当事者であってもそうでなくても、何かをしなければという思いにとらわれていき、がんじがらめになってゆく若者たちの青春群像が時に痛ましく、時に切なく描かれていきます。

東京の大企業の就職した釜石出身の青年、松田は、会社を辞めて故郷に帰る決心を上司に伝えた時、こんな言葉を投げつけられます。

「震災でちやほやされてたか知らないけど、折角震災採用なのに辞めたら後悔するぞ。」

この時、彼は震災体験者=かわいそう=助けてあげよう=それが企業の社会貢献、という図式に気づきます。

伊智花自身、震災とどう向き合うのかわからないまま生きてきました。しかし、それぞれに思いを抱えた仲間と出会うことで、自分が納得する生き方を見つけていきます。

「いまはちゃんと人生がマイボールになっているから大丈夫。やれることをやれるようにやるしかない。『今やること』がないなら作るしかない。自分がいちばん納得するようにやるんだよ」と、医学部をさっさと辞めて海外に渡り、再び福島で働くトーミは言います。

曇り空の隙間から青空が見え出してきた時に感じるような気分を、味わうことができました。

 

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

 

ヘェ〜藤沢周が、こんな本格的時代物を書くんだ!小説の王道を行く堂々たる出来栄えに感動しました。

私にとって藤沢作品といえば、「ブエノス・アイレス午前零時」とか、「サイゴン・ピックアップ」などのクールな感覚の現代物でした。それ以来、彼の著作は読んでいませんでした。

で、何でこの「世阿弥の最後」(河出書房新社/新刊2000円)に手を出したかというと、十年ほど前からお能を見たり、小鼓の稽古に通ったりしていることが大きいと思います。室町時代、能のスタイルを完成させた観阿弥と世阿弥親子。本書では、世阿弥が時の将軍によって72歳で佐渡島へ流刑された人生を描いています。

謡曲の詞章と和歌を織り込んだ道中風景が、読者を物語の世界へと誘い込みます。島に着いた当初は、都のことを思い出していましたが、この島の自然が彼の魂を鎮め、やがて、佐渡の人々と風物を愛するようになっていきます。彼の周りに登場する人物造形が巧みで、特に、たつ丸、了隠らの登場人物が世阿弥と関わることで物語がどんどん深くなってゆくところが読みどころです。

世阿弥が島に来た年は、極端な雨不足で稲作に大きな影響が出ていました。そのために島の権力者の命で、「雨乞い能」をするシーンの描写は、前半のハイライトでしょう。自然体で生き、移ろいゆく島の自然を愛しながら、能の深い世界を極めようとする世阿弥の姿が浮かび上がってきます。著者は佐渡島を眺めて育ち、武道を学び、能の体験もしたということですが、だからこそここまで描けるのでしょう。

佐渡に流され、恨みのうちに果てた順徳院の霊を鎮めようと、彼は新作能を書きます。

「いや…….、書かねばならぬ。順徳院の悶死するほどの悲しみを謡にして、仏にあずけ、弔うこと。それが佐渡にこの身を迎えてくださった順徳院への、せめてものご供養と、己れなりの覚悟にせねばならぬ。順徳院の成仏は、また己れの成仏でもあろうに。」

荒ぶる魂を鎮める能舞台が後半の読みどころです。やはり、ここでも荒々しい島の自然を巧みに取り込んで読者をクライマックスへと進めます。

実は、物語にはもう一人主人公がいます。それは彼の息子の元雅です。ただ、彼はすでに死んでいて、亡霊となって父の元に現れて寄り添います。生きている世阿弥と、死んでいる元雅が交錯するシーンが何度か登場しますが、それは、実体と霊が交錯する夢幻能の舞台を見ているようです。

「西行桜」を舞うクライマックスの舞台では、世阿弥に寄り添うよう元雅も舞います。しかし、

「私には元雅を抱くことができぬのだ。抱きしめようとしても、元雅が作った『隅田川』のように、黄泉路の国の我が子は腕をすり抜けていく。

幻に見えければ、あれはわが子か………、互に手に手を取り交はせば……、また消え消えとなり行けば……」

それでも、世阿弥は元雅を感じながらこの曲を舞い切ります。

格調高い文章は最後まで読者を離さずに、濃密なエンディングを迎えます。あぁ〜大長編を読んだ、という醍醐味を堪能できる作品です。

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約


 

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佐藤究の長編小説「テスカトリポカ」(古書/1400円)を読み切りました。本年度、直木賞と山本周五郎賞のW受賞作品です。読んでみて、よく直木賞を獲得できたものだ、とまず驚きました。実際審査委員長の林真理子が、この作品を直木賞にすべきかどうかで大激論になったと語っていました。

ご承知のように直木賞はエンタメ系の小説に贈られる賞ですが、オーソドックスな小説の醍醐味をもたらしてくれ、品格のある作品に与えられることが多いと思います。が、「テスカトリポカ」は、とんでもなく暴力的で残忍な描写が支配する小説です。

メキシコの麻薬カルテルに君臨していたバルミロは、メキシコでの対立組織との抗争に敗れて、ジャカルタに潜伏していました。そこで、日本を追われた元医者の臓器ブローカーに出会います。二人は、誰もやったことのない臓器密売ビジネスを日本で始めるのです。

何らかの事情で無戸籍になってしまった児童を見つけては、悲惨な状況から救い出し、育て、新しい親を探す団体を立ち上げます。しかしこれは表向きで、実際は、子ども達の臓器を摘出して、移植手術を待ち望む裕福な人々に売りつけるのです。やがてこの二人の周りには、自らの暴力的衝動を抑えられない男達が集まってきて、組織は大きくなっていきます。

液体窒素で手足を凍らせてハンマーで打ち砕く、なんていう拷問などとんでもないシーンもあります。麻薬、殺人、アステカの恐るべき邪教、超人的な身体能力を持った少年、闇医者、麻薬中毒の保育士等が入り乱れて、物語は怒涛のごとく進行します。何度か、あれ?これノンフィクション?と思うほどの描写もあって、そりゃ直木賞選考委員の先生達が揉めたのもわかります。

聞くだに恐ろしいアステカ神話の世界が、現代日本の川崎に蘇り、麻薬資本主義の怪物達が咆哮る物語で、日本語をアステカの一言語であるナワトル語でフリガナするという独特の文体を読者に突きつけてきます。(そこが少し読みにくいというのが弱点なのですが)

究極の犯罪小説は、ラストがどうなるのか、途中から心配になり最終ページに近づくにつれてソワソワしましたが、ここに登場する不思議な少年コシモに救われました。途中、中だるみする所もありましたが、このエンディングのおかげで不安な気持ちが吹き飛びました。ひょっとしてコシモは神の国から降臨してきたのかもしれません。

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

1993年にスタートした松本清張賞は、エンタメ系の小説に与えられる賞です。2021年満場一致で受賞したのが、波木銅の「オールグリーンズ万事快調」(文藝春秋/古書1000円)です。

この作家は現役の大学生で、弱冠21歳。女子高生が主役で、マリファナを学校で育てるというとんでもない物語です。

作家の中島京子が「おもしろかった。『万事休す』の状況なのに、この愉快さ。作者には天性の資質が感じられた。この賞が人生を狂わせないことを切に願う」と、帯に書いています。才能が爆発する瞬間が、確かにここにありました。

舞台は茨城県の田舎にある落ちこぼれが通う工業高校。三人の女子高校生には、それなりに未来に夢はあるのですが、もう現実はどん詰まり。家庭内環境も滅茶苦茶、学校ももうどうでもいいや、みたいな日々。それが、ひょんなことから学校の屋上菜園でマリファナを育て、あろうことか金を稼いでいきます。三人に悪びれたところなんか全くなく、クソ田舎にバイバイするには金だ!とばかりに行動していきます。

自虐的な笑い、シニカルな視点、オフ・ビートな文体で、一気に突っ走ります。ヤバいキケンな青春小説です。小説家の森絵都は「正直、粗の多い作品だとは思う。巧いとは一度も感じなかった。が、際立って面白かったのは事実」と書いていますが、「際立って面白かった」のは同感です。暴力シーンにセックス絡みのシーンと続きますが、どこか笑えてくるのです。

マリファナを育てるために、校舎屋上を園芸部として使用したいと、メンバーの一人の矢口が先生に許可をもらいに行くシーンです。

「教頭は微笑む。『はは。そうかぁ。矢口さんも、こう見えて女子だなぁ。お花が好きなんだね』

は?うるせぇ。マリファナだよ……..と明かしてしまうとすべてが台無しになるので、秀逸な愛想笑い(自分でもそう思うくらい)を浮かべ、まぁ、はい、と控えめに頷く。」

万事この調子です。とてもとても、素敵な高校生活とは呼べないどん底の状況なのに、タイトル通り「万事快調」とマリファナ作りに邁進する彼女たちに、拍手したくなってくる本当にヤバい小説かもしれません。

さらに彼女たちが卒業した後、「この活動をさ、後輩に継承してくってのはどうかな。金に困ってるヤツ、私たちの学校にいっぱいいると思うんだ」という明るさです。

で、絶対に学校推薦指定図書にはならない物語はどう収束するのか?改心する?まさか!

「きっとマトモなところには辿り着けない。それでも、まぁ、いいか。彼女たちは混乱のさなか、とりあえず、そう思った。」

彼女たちのこれからを応援したくなりますよ、きっと。

待賢ブックセンター「処暑の古書市」を開催中です。9/5(日)までです。

勝手ながら、8/29日(日)は臨時休業させていただきます。 

 

 

日本文学界の長老、黒井千次(1932年〜)の小説を久々に読みました。「たまらん坂」(福武書店/古書1200円)。サブタイトルに「武蔵野短編集」とあるように、実在の武蔵野にある場所が登場します。ベタベタの武蔵野愛みたいな小品ばかりだったらやめようと思ったのですが、う〜ん、上手い!ベテランの短編を堪能しました。

サラリーマンの内面を描写する著作が多い作家だけに、本作品集に登場するのも定年を迎えたり定年間近のサラリーマンが主役になっているものが多くあります。初老の男たちが、武蔵野にある地名や場所に、かつての青春時代の淡い恋と輝きを思い出して、足腰が弱っているにも関わらず、フラフラ歩き回る物語です。そして、変わりゆく街の姿、老いてゆく自分を見つめるのです。

何よりもデティールが素晴らしい。細部にこそ神が宿ると言いますが、武蔵野の自然がどの作品でも深く描きこまれていて、武蔵野に行ったことのない人も、この界隈を歩いているような錯覚を覚えます。

本書を読もうと思ったきっかけは、タイトルになっている「たまらん坂」に、忌野清志郎の曲が絡んでくることが面白いと思ったからなのです。それが清志郎の「多摩蘭坂」です。国分寺駅付近にある坂で、この辺りに住んでいた清志郎が作った歌です。

主人公はある日、妻と息子が一緒にRCサクセションのレコードを聴いている場面に遭遇します。最初はうるさい歌だと思っていたのが、徐々に、のめり込んでいきます。そして「たまらん坂」の来歴を調べ始めるのが物語のスタートになっているのです。清志郎の歌をこんな風にイントロに使うなんて、参りました。

「青春の輝きと愛」などという気恥ずかしい言葉が帯に書かれていますが、それはさておき、武蔵野に吹く風、降りしきる雨、虫の声、暮れてゆく情景を、ゆっくりと味わう短編小説集です。

 

●8/25(水)〜9/5(日)待賢ブックセンター主催「処暑の古本市」開催します。

なお、勝手ながら29日(日)は臨時休業させていただきます。


●北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

 

桝谷優著「北大阪線」(編集工房ノア/古書900円)は、大阪の質屋で働く少年と質屋の家族、そこに来る人々の姿を描いた小説です。タイトルになっている「北大阪線」を始め、「聖天通りの界隈」「愛国少年」の三つの小説が収録されていますが、登場人物や物語の背景は一緒です。三作品を通して、質屋に働く少年が、徴兵されて戦地へ送られるまでが丹念に描きこまれています。

作家の杉浦明平は帯で「いたく感動しました。戦前昭和十年代の戦争に入る大阪の『いわゆる庶民』生活が、こんなにピッタリ描かれた小説はありません」と絶賛しています。

確かに、大阪の庶民の暮らしが生き生きと描写されていて、飛び交う関西弁も気持ちよう響いてきます。とんでもないものを質屋に持ち込む客と主人との対応は、上方落語を聞いているような楽しさです。

しかしその一方で、小説は戦争が近づいてくることを暗示します。「贅沢品の製造販売を制限する禁止令が出た。七・七の奢侈禁止令」が発布されて、毎日の生活が暗くなっていきます。「北大阪線」の最後は、日本海軍によるハワイ奇襲を伝えるラジオ放送を聞いた少年の心の描写で終わります。

「勝てるか。ぼくは昨夜布団の中で大きな粗相をしたように焦る。煤煙のかたまりを呑み込んだように、腹の中で黒々した不安が渦巻く。それが暗い海を漂う軍艦の形になってくる。」

「聖天通りの界隈」では、戦争が拡大し、様々な軍事教練が庶民にも課されていきます。でも、どこか悲壮感のないおとぼけ風味があるのは、関西弁で語られているからでしょうか。この物語は、山本五十六連合艦隊司令官の戦死の知らせが駆け巡るところで終わります。

最後の「愛国少年」は、主人公が徴用されて軍需工場で働くところから始まります。戦争は全く終結の兆しが見えず生活は苦しくなってくるのですが、工場で働く人や、町内会長に任命された質屋の言動が、平気で反政府的言動を繰り返しているのが面白い。実際はきっとこんな感じだったのだと思います。

「やめとけ。わるいことは言わん。九十九パーセントまで死ぬんや。お国のためでも死に急ぐことはない。人生には良いこと仰山あるぞ。この戦争終わってみよ外国の女選りどり見どり。死んだら一巻の終わり」予科練に行こうとする少年に、海外から引き上げてきた人が言う言葉です。

しかし、「新聞は日々華々しい活字をつらねて、重苦しい断面を曝している。負け相撲の痩せ四股のような。鉄環がギリギリ緊ってきて、ぼくの意識はかえって高揚してきた。」と言うハイな状態で少年は戦地へと向かいます。二度と、この地に戻ってくることはないことを覚悟しながら。

物語のいちばん最後は「北大阪線さようなら」です……..。

●夏季休業のお知らせ  勝手ながら8月9日(月)〜17日(火)お休みいたします

私が出演するZOOMミーティング「フライデーブックナイト」の第1回が、今月20日に決定しました。ご興味のある方は下記アドレスまで

https://ccacademy.stores.jp/items/60fd4e1bbc1e6422b5501a4b

京都の一人出版社「灯光舎」が寺田寅彦、中谷宇吉郎の「どんぐり」に続いて「本のともしび」シリーズ第二弾として発売したのが、田畑修一郎「石ころ路」(1870円)です。

田畑修一郎ってどういう人ですか? 私も注文する時に尋ねたのですが、あんまりというか、ほとんど知られていない作家です。1903年島根県に生まれ、早稲田大学文学部に入学するも、中退します。1933年「鳥羽家の子供」を発表し、芥川賞の候補になりその後の活躍が期待されましたが、43年盛岡市で取材中に体調を壊し、心臓麻痺で亡くなります。享年41歳でした。

私小説系の作家になるのであんまり好きになれないジャンルの人だなぁ〜と思いつつ読み始めましたが、最初に収録されている「木椅子の上で」の出だしが良いのです。

「私は今日もその場所へやって来た。夏になってから、暑い日盛りを私はここで半日か時にはまる一日過ごすのが日課のようになっていた。

そこは公園のはずれにある廣い雑木林で、その中を舗装道路が走っているのだが、たったそれだけのことで路のこちら側へは一日中殆ど誰もやって来ないのであった。所々に赤松だの杉だのがずば抜けて高く立っている、その下方はいたる所地面から溢れ出たような灌木や雑草の茂みで、その上には絶えず葉洩れ陽が斑らにきらきらしていた。私が勝手に自分の場所にきめたのは大きな杉の木の根元で、そこには地面に足を打ちこんだ造りつけの長い木椅子があった。私は時には子供を連れて、時には一人で、公園のプールで泳いだ後をこの木椅子に寝ころんで、午睡をしたりぽかんと枝の間から透いて見える夏至の輝きを眺めたりするのである。」

情景が映画を見ているように立ち上がってくる、こんな文章で始まります。この公園のベンチで寝ころぶことが仕事?となっている私のお話です。つげ義春の漫画の主人公のように無為な人物です。物語らしいことは、何も起きません。しかし、人生の虚しさ、孤独が文章の奥から漂って来て、そのあたりが昔のフランス映画っぽい感じです。

本書には三作品収録されています。最後の作品「あの路この路」は、人生の幸せ度0、悲惨度100の作品です。そんな小説、何が面白いの?と思われるかもしれません。

「葬式を出すと、お牧はがっくりとなった。借銭続きでもはや店も仕舞うと、身體の調子が悪いので、一時しのぎの裏町の、これもお牧に劣らず無一物の子供だけはうようよしている家の一間を借りたが、そこに入るなり寝ついてしまった。誰も介抱するものはいなかった。」

希望なんてどこにもない世界ですが、読んでいるとなぜか”心地よくなってくる”のです。それは作家の力、文章の力に依るのではないでしょうか。悲惨であればあるほど、その世界に絡め止められてしまう。文学の魅力かもしれません。

 

 

 

徐嘉澤(ジョカタク)の本邦初訳長編小説「次の夜明けに」(書肆侃々房/新刊2090円)を読みました。1977年生まれの若手作家ですが、いやぁ、上手い!

物語は、1947年、政治的混乱と騒乱で揺れ動く台湾から始まります。急進的民主化運動に走る新聞記者の夫とその妻春蘭(チュンラン)。しかしある日、夫は勤務先から戻ってから、一言も口をきかず、仕事もしなくなります。一体何があったのか?

この夫婦には二人の息子がいます。平和(ピンホー)と起儀(チーイー)です。弁護士と新聞記者になり、母国の民主化、差別のない社会を目指して奮闘しています。起儀の子供で、現代を生きる晢浩(ジョーハオ)は、父親のように過去の母国の歴史にも、政治にも関心はありません。彼はゲイでした。そこで家族との軋轢が起こります。物語は三代にわたる家族の確執と、再生を描いていくのです。

1945年の日本の敗戦後、台湾は中国本土からやってきた中国国民党の政治家と軍人たちによって管理維持されていきます。しかし、彼らの凄まじい汚職や犯罪行為で国内は混乱を深めていきます。その渦中で春蘭の夫は、ある日を境にまるで自分の人生を放り投げたような、死に体みたいな暮らしをなぜ始めたのか?それは、物語後半で判明するのですが、一家に暗い影を落として行きます。(これは辛い)

台湾を舞台に、蒋介石による民国創成期、戒厳令下での民主活動期、そしてセクシャリティーの問題で縛られる現代、それぞれの時代に生きる人物に託して描いていきます。バラバラになった家族が、確執を乗り越えて、再生してゆくその向こうに、著者は今の台湾の姿を見つめていると思います。こういう大河小説は、多くの人物や事件が交錯するので、状況を見失うことが多々ありますが、徐嘉澤は、短編小説のように短い章で構成して、それぞれの登場人物の人生をテンポよく描いていくので読みやすい。テーマは「愛」。直球ど真ん中。これ、TVドラマにしたら凄く面白いと思います。

「もし僕らが台湾の過去の歴史を理解しようとしないなら、どうやって今の平穏な暮らしの大切さを自分の子どもの世代に伝えればいいんだ。過去を理解しようとしないのは、根元がぐらぐらした植物のようじゃないか。どんなに背が高く立派に育っても、やっぱり浮ついたままで足元もおぼつかない。みんなこの土地に生きているんだ。その歴史は今の僕らとは直接は関係ないかもしれない。でも、原因と結果を理解すれば、いまの政治的状況がどうしてこんなふうに変わっていったのかがわかるんだよ。」今の日本に(私自身も含めて)最も欠如していることだなぁ、と思いました。

オリンピック一色のTVを消して、気骨のある、そして物語を読む醍醐味を教えてくれるこういう小説を読む時間を持とう!

最近の台湾の本は、刺激的でスリリング!今後も読んでいきたいと思っています。

 

 

芥川賞・直木賞以上に私が密かに楽しみにしているのが、江戸川乱歩賞です。1954年、江戸川乱歩の寄付金を基金として探偵小説の推励のために制定されました。仁木悦子「猫は知っていた」(昭和32年)、戸川昌子「大いなる幻影」(昭和37年)、森村誠一「高層の死角(昭和44年)などの巨匠クラスの作品から、真保裕一、桐野夏生、池井戸潤など、現代の第一線の作家も受賞しています。

64回受賞作、斎藤詠一「到達不能極」(講談社文庫/古書500円)は出た時から読みたかったのですが、文庫化されました。いやぁ〜、いやぁ〜、とても面白い小説です。

著者の斎藤詠一は、商店街にある小さな本屋に生まれ、育ちました。サラリーマン稼業のかたわら小説を書き続け、本賞を受賞しました。処女作での受賞です。

スケールの大きい物語。201X年、海外ツアー添乗員の望月拓海を乗せたチャーター機にトラブルが発生、南極へ不時着してしまいます。拓海は、一人でツアーに参加していた日本人でワケありの老人や、アメリカ人のベイカーらとともに、生存のための物資を探しに、旧ソ連が建て、今は破棄された「到達不能極」という名の基地を目指します。

ここで、時代が一気に過去へと向かいます。1945年、ペナン島の日本海軍基地。訓練生の星野信之は、ドイツから来た博士とその娘ロッテを、南極の奥地に密かにナチスが作った実験基地へ送り届ける任務を言い渡されます。ロッテはナチスが秘密裏に行う研究の実験台にされる運命にありました。
現代の南極と、1945年の南極で展開するサスペンスを主軸に、この基地で行われていた実験の実態があぶり出されていきます。

選考委員の池井戸潤は、この作品についてこう語っています。

「『到達不能極』の作者は、職業作家としてやっていける十分な筆力がある。本作は、不時着した南極ツアー、第二次世界大戦、南極観測隊という、ともすれば盛り込み過ぎになりがちな素材、複数の視点を混乱なく読ませる構成力が群を抜いていた。ヒトラーのオカルト趣味を隠し味に使い、半世紀もの時を経て成就するストーリーのスケール感も魅力的だ。」

同じく選考委員の湊かなえは、文章の上手さに高い評価をしています。南極の荒涼たる自然、辺境の地にあった日本軍の飛行機クルーの描き方など、まるで映画を観ているようです。

ナチスの秘密基地で行われていた「擬似意識」という設定は、ハードコアSF的世界なのですが、そこも一般読者に理解できるように描かれています。

ラストに火葬場で望月が流す涙の印象もさりげなくて、気持ちよく本を閉じることができました。

蛇足ながら、乱歩賞受賞作品はフジテレビが優先的映像化権を持っているようですが、センチで、空疎なアクションドラマにだけはして欲しくないですね。

 

 

少し前に木村友祐との対談「私とあなたのあいだ」(新刊1870円)を紹介した温又柔(おん・ゆうじゅう)。彼女の短編を集めた「空港時光」(河出書房新社/古書1100円)は、台湾の飛行場から日本へ、あるいは東京の空港から台湾に向かって旅立とうとしている人々の姿を簡潔に描いた作品が並んでいます。

温又柔は1980年台湾に生まれ。3歳の時に家族と東京に移住し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで、日本語教育を受けて育ちました。2009年すばる文学賞佳作を受賞し、その後日本語で作品を発表し続けています。国籍は台湾で、日本に帰化せずに作家活動を行なっています。「私とあなたのあいだ」では、自身のナショナリティーから派生する差別についても語ってくれました。

台湾と日本。そこに交錯する台湾語、中国語、日本語を聞き取りながら、登場する人々の人生を、まるで飛行場の待合室から見たり聞いたりしている感覚で描いていきます。「好書好日」というネットの書評ページにこんな文章を見つけました。

「温さん自身、よく待合室で時間を過ごす。『いろんな人がいる。いろんな日本といろんな台湾を行き来している』。あの人はどんな旅を、あっちの人は、と『空想と妄想でいっぱいになる』そうだ。」

なるほど彼女は、「空想と妄想でいっぱい」になりながら、それぞれの人が母国での揺れる心情の機微を浮かび上がらせています。多くの日本人は台湾人は親日というステロタイプな刷り込みを持っていますが、読んでいると、それは偏見に値する場合もありうるという状況にも直面することになります。

「『入境』と『上陸』を繰り返し、三十五年が経つ。両親とは別に、自分だけでも帰化を、と考えたことがないわけではない。ただ、年数を重ねれば重ねるほど、日本の国籍があってもなくても、自分はとっくに日本人のようなものだから、今さら別にね、という気持ちが大きくなってゆく。申請に関する煩雑な手続きが億劫なのもある。逆に、自分がパスポートまで日本のものを持つようになれば、台湾では完全に『外国人』となってしまう。それをもったいなく思う気持ちもある。」

これは「到着」という短編の主人公の言葉ですが、そのまま著者の思いでしょう。

この物語のラストで、台湾から日本へと帰ってきた主人公咲蓉は、こんな感情を抱きます。

「英語、中国語、韓国語……東京に到着した訪日客を歓迎する文字の中に、おかえりなさい というひらがなが混じっている。これが目に入ると、帰ってきたと咲蓉は思う。台湾語まじりの中国語が耳に飛び込んできた時にも同じ感情を、咲蓉は抱く。」

国境、パスポート、それぞれの国の言葉。そこから人は逃れられない。日本で生まれ、ここで育ち、死んでゆく私たちには見つけられない世界があります。