安倍元総理の政策の失敗は色々あったと思いますが、言葉でできた本という商品を扱っている者にすれば、この人ほど日本語の品位を傷つけた人はいません。ペラペラの薄っぺらい真実味のない言葉だけが流れ落ちていたように思います。国葬の日、うっとおしい気分をどこかにやってくれ、という思いで吉田篤弘の「遠くの街に犬の吠える」(筑摩書房/古書1050円)を手に取りました。

正解でした。

「ほとんど1日も休むことなく言葉を集めてきました。集めて、整えて、分類して、解説する。言葉の奥に隠されたその意味をより正しく解明するために研究をつづけてきました。」

とは、本書に登場する言葉の研究する白井先生の言葉です。先生が元総理の言葉を聞いたら、どんな批判をしていたものか。この長編小説は吉田ワールド満開の、不思議で、ユーモアがあって、所々に哀愁が顔を出し、最後は読者はいい表情になって終わるという世界です。

主人公は、小説を書いている吉田君。自作の朗読の録音で、「遠吠えをひろっているんです」という音響技術者の冴島君と出会い、物語は始まります。どうして録音の仕事をするようになったのかという質問に、

「世界は音で出来ているからです。吉田さんは小説を書く人だから、世界は言葉でつくられていると思われるでしょうが、そもそも、言葉は音からつくられます。というか、言葉の正体は音なんです。音がなかったら言葉は生まれなかったし、音がなかったら文字も生まれませんでした。」

と答えます。小説の後半、音が大きなモチーフになってきます。

吉田君と冴島君、編集者の茜さん、白井先生、そして代書屋をやっている夏子さんの、事件のようなそうでないような、どこまでがリアルでどこまでがファンタジーなのか判別出来ないまま、物語は進行していきます。さらに、そこへ天狗の物語まで絡んできます。でも心配ご無用。著者は、読者をまごつかせません。とても良い塩梅でラストまで連れて行ってくれます。

「新刊書店、古書店、図書館と私がめぐり歩いてきたところは、どこも無数の本棚が並び、気が遠くなるくらい大量の本が溢れ返っていた。 そのすべてが声を持っていた。 書かれているのは森羅万象さまざまだが、そこにはもれなく著者の声が付いてくる。 どれほど事務的に機械的に綴られていても、それを書いた人間がいる以上、書きながら胸中に詠じた声がきっとある。その声が文字に置き換えられて、すべてのページに閉じ込められていた。 世界は本という名の声で埋めつくされ、それらの声を発した人たちは、すでにあらかたこの世に存在していない。ただ声だけがのこされた」

本屋冥利に尽きるこんな文章に出会えば、うっとおしい気分なんてどこかに飛んでしまいました。

 

東京の深窓のご令嬢と、地方から東京へ出てきた女子大生の人生が不思議な縁で交差してゆく物語「あのこは貴族」(古書900円)は、一つ間違えば浮ついたトレンディドラマになってしまいそうな題材です。しかし著者は、その危険を回避しながら、東京という都市の息苦しさと、狭い世界に溺れかけていきそうな女性の人生を見事に描き切りました。

名家のお嬢様の華子は「もし三十を過ぎても結婚できなかったらと思うと、華子は身がすくんでしまう。できるだけ早く結婚しなくては、いい人と巡り合わなくてはと焦りを募らせる。」

着付け学校に通い、そこで仲良くなった女性たちは「なにより妻という自分の立場に対する自負はことのほか強固であり、絶対的だった。アイデンティティのほとんどが、妻であり母であることで占められていて、それは揺るぎない。」華子は婚活へと走り出します。

「東京の街には、しきたりと常識がないまぜになったような共通認識が張り巡らされていて、それは代々ここに住み続けている人たちに脈々と共有されていた」

彼女はそんな認識を身につけた、名家のお坊ちゃん青木に出会います。「東京の真ん中にある、狭い狭い世界。とてつもなく小さなサークル。当人たち以外にはさして知られることもなく、知られる必要もなく、ひっそりしていたが、そこに属していることで生まれる信頼と安心感は、絶大だった。」

そんな安心感に乗せられて彼女は一気に結婚へ向かいます。ここまでが第一部。第二部は「外部 (ある地方都市と女子の運命)」というタイトルで始まります。とある、地方都市から慶應大学に入学した時岡美紀は、大学のゴージャスな雰囲気と、おしゃれな学生たちに目を丸くしながら、学生生活をスタートします。しかし、故郷にいる父親の仕事がうまく行かず、学費を送ってもらえなくなり、彼女はアルバイトで始めた夜の仕事にのめり込み、大学にも行かなくなります。夜の世界で出会った青木とは肉体関係があるものの、距離のある関係を保っています。

ここから、第三部「邂逅(女同士の義理、結婚、連鎖)」の始まりです。美紀は、華子の友人逸子と偶然出会い、やがて華子のことを知ります。一方華子は、豪華な結婚式を挙げたものの、無味乾燥で、ハイソサエティーな者同士の狭い世界にいなければならない状態に、アップアップしています。もともと、自分もその世界の住人だったのですが、美紀と出会い、逸子との友情を通して、見つめ直していきます。この章も下手をすれば、癒しと再生みたいなテーマになりそうですが、著者の筆さばきが見事でした。近松門左衛門の浄瑠璃「心中天網島」がベースラインになっているのです。

山内マリコは、性をテーマにした「女による女のためのR-18文学賞」で2008年読者賞を受賞し、現代女性のリアリティーを描ける作家の一人です。昨年、門脇麦(華子)、水原希子(美紀)石橋静河(逸子)、岨手 由貴子監督&脚本で映画化されました。劇場に行けなかったのですが、TV放映を録画してもらうことができました。観るのが楽しみです!

「知らせを受けて夫が駆けつけた時には、すでに息はなかった。安置室の外では、小さな娘が、靴を片方なくしたと言って泣いていた。」

岩城けい「サウンド・ポスト」(筑摩書房/古書1300円)は、こんなショッキンングな描写で始まります。舞台はオーストラリア。主人公の崇は、友人が経営するレストランのシェフです。妻を亡くした崇には、メグという名の娘がいました。物語は、母を亡くした娘が音楽に目覚め、バイオリンを習い、その道を一直線に進んでゆく姿を、父親の目を通して描いていきます。

この本に若い時に出会っていたら、特に感想を持たずに終わったかもしれません。しかし初老となってきた今日の時点で読むと、味わい深い小説を読んだ!という気分でページを閉じました。英語がよくわからない父親と、フランス語もできるのに日本語はさっぱりの娘が、異国で紡ぎ出す言葉と音楽の物語です。

「五線譜に引っかかって離れない音符も、その曲が生まれたときのことをちゃんと覚えているの。記号も音楽用語も、正確に思い出すためにあるの。メグ、楽譜に書かれていることには、ひとつひとつに意味があります。無駄な音、無駄なしるし、無駄な言葉はひとつもありません。それをどう弾くかは、あなたの心が決める。音楽は心で奏でるものなの」

と、ルーシー先生から音楽について教えられるメグは、日に日に上達していきます。父親の崇も、バイオリンは一音でそれを弾く人間がどんなやつかバレてしまう、と囁く友人の瑛二の言葉を聞いて、メグがその日をどう過ごしたか、その日をどう生きたかがわかるような感触を得ます。

岩城けいの小説は今回初めて読みましたが、登場人物たちのキャラが巧みに描かれていて、これをぜひ渋い役者で映画化して欲しいなぁ〜、と思いながら読んでいました。後半に登場するセルゲイ先生など、レッスンは極めて厳しいのに、時たま見せる優しさとチャーミングさが行間から立ち上ってきます。

そして崇の友人の瑛二は「肩の力を抜いて楽しめとかよく言うけど、肩の力を抜いてのんべんだらりとしているやつに、バッハが、チャイコフスキーが弾けるか?リストがショパンが?譜面見りゃわかるだろ、頭の血管ブチ切れそうになりながら、あいつらが必死こいて、一音一音、自分の血で書いたってことぐらい」と言い放つ好人物として、とてもよく描かれています。

やがて思春期を迎えた娘にオタオタする父親の姿の描写も抑制があって、無理やりドラマチックにしようとしていません。一時、楽器から離れていたメグが、セルゲイ先生の猛練習に耐えて、コンテストに出場し優秀な成績を残します。奨学金を得て、母の母国であるフランスに音楽留学に旅立っていきます。

「トーチャン、音楽って言葉なんだ!」

なんと素敵な言葉でしょう。全く見ず知らずの人々の心に語りかけ、豊かな情感を呼び起こす。優れた文学にも同じ作用があるように、音楽もまたそうなのです。

ラスト、ちょっぴり寂しいシーンが用意されていますが、これもまた人生。

 

 

イタリアで大ベストセラーになった、アルプスを舞台にした長編小説「帰れない山」(新潮社クレストブックス/古書1400円)は、読み終わった時に極上の気分に浸れる小説です。二人の少年が大人になり、それぞれの道を進んでゆくところまでを、北イタリアモンテ・ローザ山麓の自然描写を交えながら描いていきます。

「光の犬」「沈むフランシス」などの著者松家仁之が、

「揺さぶられるほどに懐かしく、せつない読書体験だった。」と帯に推薦文を書いています。

登山好きの父親に連れられて山を歩いてきたミラノ育ちの内向的な少年ペリオは、牛飼いの少年ブルーノと出会います。ペリオの、ブルーノに対する最初の印象をこんな風に描いています。

「彼が来ていることは、姿を見る前に、においでわかった。少年は、家畜小屋や干し草、凝乳、湿った土、それに薪の煙といったもののにおいをまとっていた」

森や山のことを知っているブルーノに引き込まれるように、ペリオは、この地方の自然に魅入られていきます。そして二人は親友になっていきます。渓流をわたり、大自然の匂いに包まれながら、友情を深めていきますが、その一方で、ペリオと父の間には、いつしか深い亀裂が生じます。息子には理解できない父親の人生。

少年時代は終わりを告げ、ペリオはミラノに戻り、自分の人生を模索していきます。ブルーノは、生まれた場所から離れることもできず、黙々と農作業の日々をこなしていきます。そして、青年から中年へと差し掛かった二人は再会します。

「朝陽はグレノンの山頂を照らしているものの、窪地までは届いておらず、湖はまだ夜の気品を保ったままだった。夜の闇と朝の薄明かりのあわいに空があるかのように。僕は、自分がなぜ山から遠ざかっていたのか思い出せなかった。山への情熱が冷めていたあいだ、なにに夢中になっていたのかも。けれど、毎朝一人で山に登っているうちに、少しずつ山と和解できていくような気がした。」

亡くなった父親が、ペリオに残してくれた、半ば崩壊した山の家。そこをブルーノと修繕してゆくうちに父の生き方を理解してゆくようになります。

父と息子の関係、男同士の友情、そして少年が大人へと成長してゆく姿を、クラシカルな手法で、しかも野生的な描写も残しながら語ってゆきます。正統派、直球ど真ん中の作品です。

「僕にはやはり二人の父がいたのだと思った。一人はミラノという都会で二十年間一緒に暮らしたものの、その後の十年はすっかり疎遠になっていた、他人同然の父。もう一人は山にいるときの父で、僕はその姿を垣間見ることしかなかったけれども、それでも都会にいるときの父よりは良く知っていた。僕の一歩後ろから山道を登り、氷河をこよなく愛する父。その山の父が、廃墟のあった土地を僕に遺し、新しい家を建てろと言っている。ならば…..、と僕は心に決めた。都会の父との確執は忘れ、山の父を記憶にとどめるために、託された仕事をやり遂げようではないか。」

物語は終盤、過酷な運命が待ち構えているブルーノの人生へと向かいますが、山の民ブルーノらしいと納得です。山を通じて二人の人生を描く傑作でした。これ、いい役者で映画になって欲しいものです。きっと号泣します。

 

 

 

 

早助よう子「恋する少年十字軍」(河出書房/古書1200円)は、幻想と諧謔と悲惨とユーモアがシェイクされたような、ぶっ飛んだ世界を見せてくれます。著者は1982年生まれ。2011年、文芸雑誌「モンキービジネス」(winter vol.12)誌上で、短篇「ジョン」でデビューした小説家です。

本書は、タイトル作品と六つの短編、中編小説が並んでいて、現代アメリカ文学の優れた作品の翻訳者である、柴田元幸と岸本佐知子の推薦の言葉が帯に入っています。

「恋する少年十字軍」は、「夜道を歩きながら、明日からの旅行のことを考えた。あなたは親友の周子に会いに行く計画を立てていた。親友と言っても、最後に京都で会ってから二十年以上経つ。」と、「あなた」と二人称で呼ばれている主人公が、昔の親友のところに出かけるとことろから始まります。

しかし、ここからとんでもない展開が始まります。周子が彼氏と旅行する間だけ、息子と赤ん坊を世話して欲しいと押し付けられて、その依頼を引き受けます。この息子は、部屋の中で夜な夜な爆弾を作って、公園などで爆発させるような子供で、さらに赤ん坊の方はすでに4歳になっているという奇妙な状況。

彼女の文章は、突然に飛躍します。サスペンス小説を読んでいて、次何が起こるの?とドキドキすることがありますが、早助よう子は、次の一行がどうなるのか、何が来るのか全く予想できないのです。いや、何も来ないことすらあります。難しい単語や言い回しがあるわけではなく、普通の言葉で物語は構成されているのですが、徐々に読者の感覚が奇妙に捻れ、ズレて噛み合わない。しかし、それが気持ち悪いのではなく、心地よく、肌馴染みは良いという不思議な世界なのです。

独身女性の貧困、子どもへの育児放棄など、現代社会の深刻な問題が扱われていますが、深刻度ゼロの世界。白昼夢のように、生々しくはあっても必ずどこかしら普通ではなく、作者は意に介さずに登場人物を動かしてゆきます。

周子からいきなり子ども二人を預けられても、さほど抵抗もなく受け入れる。子どもを捨てる親への非難はここでは描かれません。そして、子どもたちも、妙に冷静で動じない。親が子を捨てるのが当たり前という世界を私たちは見ることになるのです。

で、ラストはどうなるの?最後の文書は「世界を変えるあなたの旅は、まだ始まったばかり。」ここだけ読めば、感動的な小説の終わりですが…….。オイオイ、どこまで飛んでゆくんだと、私は思わず笑ってしまいました。とても刺激的です。

 

 

ラジオのパーソナリティーから作家活動へ、さらに児童書専門店を開くなどマルチな活動を続ける落合恵子の新刊「わたしたち」(河出書房新社/新刊1870円)は、心揺さぶられる長編小説です。

1958年、13歳の四人の女の子たちは、素敵な校長先生に出会い成長していきます。その後、それぞれの人生を生きていきますが、四人の友情は変わりません。いつの間にか老いを痛切に感じるようになる2021年までの、彼女たちの姿が描かれます。作者の落合恵子は1945年生まれで、13歳になったのは1958年。ちょうど登場する少女たちと同じです。だからこの物語は落合の自伝的要素がかなり入っているようです。実際、その中の一人容子は、ラジオのパーソナリティーになっていきます。

彼女たちが大人になった時、真っ先にぶつかった男性優位の社会の壁、女性に対する古い考え方との軋轢など様々な壁が立ちはだかっていました。物語は、時代を行きつ戻りつしながら、彼女たちの、その時その時の悲しみ、絶望、希望、決意を簡潔な文体で描いていきます。

「人は誰でも、自分で自分になっていくのだと思う。それを、誰かのせいになんてできない。でもね、自分の望む自分になろうとしながら、なれないで藻掻いている子だっている。ちょっとした、ほんとにちょっとしたきっかけさえあればなれるのに。努力でもない、運でもない、ちょっとしたきっかけ……」

彼女たちはお互いに刺激を与えながら、自分が人生の主役であることに目覚めていきます。進歩的な考えで教育を押し進めた美智子校長先生は、彼女たちの憧れでした。先生は保護者会でアカ呼ばわりされますが、彼女は毅然と「わたくしは、アカでもアオでもミドリでもございません」と、わたしはわたしですと言い切って屈しませんでした。先生のような女性になろうとして彼女たちは自分の道を模索します。

容子の母親は看護婦で、未婚で子供を産み一人で容子を育ててきました。母親は彼女に言います。

「知ってる?容子。 処女膜があるのはモグラと人間の女だけだって。ほんとかどうか知らないけど、生まれつきのものは宝じゃないからね。生まれてから自分で獲得したものだけが、宝だからね、覚えておいで」容子は、美智子校長先生と、同じように世間と闘ってきた母親からも多くのことを学んでいきます。

学校を卒業し、それぞれの道で何かを失い何かを獲得しながら、四人の友情は続きます。そして2021年、彼女たちに老いと死が忍び寄ってきます。作者は、時代の変化を巧みに織り交ぜながら、自身が生きて考えてきたことを物語として読ませてくれます。

容子の母は、苦労に苦労を重ねて容子を育てた戦争中のことを何度も語りながら、しかし、こうも言うのです。

「でもね、こういうことを、こんなふうに懐かしんじゃいけないんだよ。セピア色に色褪せたノスタルジーにしてしまうと、あの時代を懐かしむことになっちゃうからさ。いろいろあったけど、あれはあれでよかった、と言っていたら、ひとの心から厭戦や反戦を薄れさせちゃうんだから。あんなにつらい体験をしたんだから、私たちはしつこく覚えてなくっちゃ」

「私たちはしつこく覚えてなくっちゃ」 とても大事な言葉です。

 

 

 

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以前、「罪の声」と言う小説を紹介しました。極めて完成度の高い作品で映画化もされました。著者は塩田武士。1979年兵庫生まれで、神戸新聞社に勤務、2010年「盤上のアルファ」で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、2017年「罪の声」で第7回山田風太郎賞を受賞しました。

松本清張ばりの社会派長編サスペンス文学の作家だと思います。新作「朱色の化身」(講談社/新刊1925円)は、最後の最後まで読者を惹きつけて止みません。これは推理小説ではありません。昭和、平成、令和を生きる女性の家族の果てしない悲しみの物語です。

ライターの大路亨は、元新聞記者の父親から辻珠緒という女性を探し出してくれと頼まれます。彼女は一世を風靡したゲーム開発者でしたが、突如消息を絶ちました。なぜ、父親がそんな依頼をしてきたのかという疑問を抱きながらも、彼女の友人、同期生、元夫など関係者に会っていきます。

驚くべきは物語の進め方です。「檜山達彦の証言二◯二◯年十月二十二日」というように、大路が会った人物の話を並べてゆくのです。読者もその場に立ち会って、話を聞いてゆくことになります。圧倒的なリアリズムです。事件を解きほどいてゆくというカタルシスはありません。大路は、やがて珠緒の人生に、昭和三十一年福井県の北部にある芦原温泉で起きた大火が大きく影響を及ぼしていることに気づきます。そこで何が起こったのか。戦争、貧困、差別様々な悲惨な状況の中を生き抜いてゆく辻家の女性たち。

大路はいろんな関係者に会ううちに、多くの情報に向き合う羽目になります。それは真実なのか、それとも歪めれたものなのか。それらを一つ一つ整理し精査して、真実へと向かっていきます。

この作品も映画化されるのでしょうか。個性的な証言者が沢山登場するので、どんな役者がやるのか考えるだけでも楽しいと思います。小説の面白さ、醍醐味を味わえる一冊です。初版には「塩田武士インタビュー」という小冊子が付いています。

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新潮社が主催する「女による女のためのR-18文学賞」は応募する方も、審査する方も全て女性。2018年「手さぐりの呼吸」で大賞を受賞した清水裕貴の、第二作「花盛りの椅子」(集英社/新刊1980円)は、傑作だと思います。

緑深き山の中に、ひっそりと佇む「森野古家具店」。そこに務める職人見習いの鴻池さんが主役の、連作短編集です。古家具店には、様々な災害で傷ついた家具が集まってきます。東日本大震災、伊勢湾台風、関東大震災、阪神淡路大震災に遭遇した家具と、それを修理する鴻池さんの交わりが綴られます。

災害の前、家具が家具として機能していた頃の記憶を感じとることが出来る彼女は、その家具を通じて、使用していた人の想いと寄り添います。

「私たちは普通なら捨てられてしまうものを拾い上げる。他の人にとってはゴミにしか見えないものでも、そこに堆積している時間を丁寧に取り出せば、暗闇に隠された美しいものが、ふわりと立ち上がってくる。」

「森野古家具店」の社長が、またなかなか良いキャラで、「古家具を直す人は、まず家具に染み込んだ過去を見つめられる人でないといけないんだ。鴻池さんは、家具の気配をきちんと感じ取れる人だと思ったから、僕は雇ったんだよ。」などと言いながら、壊れた家具を集めては持って帰ってきます。「家具の気配」とは不思議な言葉ですが、目利きの社長が仕入れてくる古家具には、ひどい状態にも関わらずどこかに心地の良い気配が潜んでいるらしいのです。

静かに淡々と物語は進んでいきます。災害と破損した家具の話なのに、どの場面にも鮮やかな色彩を感じます。桜貝、雨上がりの空、枇杷のジュース、新緑、緋色の絨毯、夕陽に照らされた部屋、光る十字架等々、非常に鮮明な映像が目の前に浮かんできます。海の音や風の音など聴覚に訴えてくる表現と、こうした視覚に訴えてくるものとのバランスが見事で、全体を通して美しい文章だなぁと感じました。心の中が澄み渡ってゆくような、そんな作品です。次回作が楽しみです。

 

 

 

 

猛暑が続いていますが、こんな時にしばらくの間でも暑さを忘れて、ほっとした気分にさせてくれる小説に出会いました。瀧羽麻子「博士の長靴」(ポプラ社/古書1100円)です。

気象学に携わる藤巻博士。その一家の四世代にわたる6編の連作短編集です。一家は二十四節気にきちんと決まりごとを行うことを大切にしています。一年を二十四に分けてそれぞれに名前がついていますが、藤巻家では、そのほぼすべてにこれをする、あれをするということを決めていてます。すき焼を食べたり、プレゼントを渡したり等々。四季があるからこそ気象や季節に関する言葉が多い日本。季節の移ろいと、一家の人生の変遷を巧みにクロスさせていきます。

各章のタイトルも「一九五八年立春」「一九七五年処暑」「一九八八年秋分」「一九九九年夏至」「二〇一〇年穀雨」「二〇二二年立春」という具合です。

変わり者の気象学者を目指す藤巻昭彦が最初の主人公。いつも空ばかり見上げている変わり者ですが、藤巻家にお手伝いに来ていたスミさんと結ばれるところから、この家族の物語は始まります。

「立春はね、二十四節気の一番はじめなの。つまり、お正月みたいなもの。だから、一年のはじまりをお祝いするのよ」

家族でお祝いをして、贈り物を交換する。春が来ることを喜ぶ。季節と暮らしが密接に結びついていた頃のお話です。やがて子供ができ、孫ができ、と家族がつながっていきます。こんなにずーっと平和に暮らしていける家族なんて非現実的だと思われるかもしれませんが、それは野暮というもの。変わりゆく季節にたいして関心も寄せず、暑い!寒い!クーラー!ヒーター!と、叫びながら気ぜわしい私たちの暮らし方を、改めて考えさせられます。

「いいなあ、これ。時間がゆったりと流れていくのだ。」と書評家の北上次郎が帯に書いていますが、きっと季節を敏感に感じながらいきていくことがゆったりした時間を生み出しているのです。TVを消して、静かな空間で読んでみてください。この国には、こんな豊かな自然があったんだということを思い出すかもしれません。

最終章では、藤巻教授とひ孫の玲くんのエピソードが登場します。教授曰く「自分の頭で考えたことは、あなたの財産です。残しておかないともったいない。」きっと玲くんもその言葉を胸にしまって、素敵な人生を送るのでしょう。

深く、ゆったりとした余韻を心に残す小説だと思います。

 

 

 

傑作ドキュメント映画を何本も世に送り出した森達也の長編小説「千代田区一番一号のラビリンス」(現代書館/新刊2420円)。この番地に住んでいるのは、天皇と皇后です。主人公はこの二人。さらに、国会議員の山本太郎も、映画監督の是枝裕和も、フジTVも実名で登場します。ノンフイクション?違います。小説です。

テレビを見ながら会話する、幸福そうな夫婦の情景から始まります。仲の良さそうな二人、妻の名は「美智子」夫は「明仁」。え?これは譲位前の天皇と皇后と、二人に会って話を聞くことを切望しているドキュメンタリー作家の森という人物が体験する不思議な物語なのです。

フジテレビのドキュメンタリー番組制作の声がかかり、森が提出した企画が「憲法一条」。が、本当の目的は天皇と皇后を被写体に、二人の日常を撮るというもの。殆ど不可能な試みなのですが、彼は動き出します。同時に小説は、明仁と美智子の日常の会話、生活を見てきたように丹念に描いていきます。住居内で映画を観たり、紅茶を飲んだり、おそらくこんな感じだろうという著者の想像をもとに描かれます。明仁はお忍びで日比谷に現れ、コンビニで買い物をしたり、閉ざされていた吹上御所地下への探索など、まるでホームドラマの世界なのです。

さらに、日本国内にカタシロと呼ばれる、不思議な生命ともなんとも言えないようなモノが出没します。クラゲが立っているような、覗き込むとそのまま穴に吸い込まれるような存在が「日本の主権が及ぶところにだけ現れる」のです。天皇とドキュメンタリー作家、そしてカタシロが絡み合いながら、物語は読者の想像を終えるラストへと向かっていきます。

主人公をバックアップするプロデューサーが、日本国憲法について興味深い発言をします。「朕は日本国民の総意に基づいて憲法が決まったことを喜んでここに交付する、とかなんとか書かれている。これが日本国憲法の冒頭。」

「へえそうなのか。要するに今の憲法も天皇のお墨付きというわけか。すごいな日本の天皇制。この国の隅々にまで息づいている。」

なんだろう天皇って?と森は前のめりになっていきますが、その内容を知ったフジTVサイドは制作に後ろ向きになっていきます。でも、会いたい!会っていろんな話をしたい!という森の思いは燃え上がります。そして、なんと彼は二人に会うことになります。「私たちの国が、あの戦争を総括しきれない理由は何かしら」と夫に問いかける聡明な美智子と、チャーミングな明仁。とても魅力的なのです。

天皇万歳、天皇制度廃止、という括りではなく、こんなこと本当に書いていいの?というところまで踏み込んでいきながら、身近にいる天皇とその制度を包括的に捉えた小説かもしれません。この話どうやって終わるの?という好奇心で一気に読んでしまいました。なるほど、「不思議のアリス」的展開に持ってゆくのか!上手いなぁ。今年いちばんの問題作であると同時に小説の醍醐味を味わえる作品です。

で、一番読んでもらいたいのは、もちろん退位された上皇と上皇后です。是非お二人の感想をお聴きしたいと思いました。