原田マハの小説は、時々読みます。彼女は、森ビル森美術館設立準備室に在籍していた時に、ニューヨーク近代美術館に派遣されて勤務した経歴の持ち主です。作品でも美術関係のものが多くあります。以前に、ブログで紹介した「暗闇のゲルニカ」は、ピカソの「ゲルニカ」を巡る物語でした。

今回ご紹介するのは、ゴッホが主人公の「たゆたえども沈まず」(幻冬舎/古書900円)です。ゴッホがメインになるのではなく、画商としてパリで活躍する弟テオドルスと、パリで画商を始めた二人の日本人の交流がベースになっています。この二人の日本人のうち一人は架空の人物ですが、史実に基づいた物語として構成されていて、印象派が注目を浴び、新しい美術運動が盛り上がってきたパリの動向、そしてゴッホを含めた新しい画家たちが、日本の浮世絵に大きく影響を受けていた様子が描かれています。

ほぼ400ページの大長編ですが、読みやすいので疲れません。原田マハの小説は、ある文芸評論家が「深みに欠ける」と言っていました。言葉も平易で、改行も多く、また各章が短いのでそう言うレッテルを貼られたのかもしれません。けれども、深みがあっても響いてこない小説を読むよりは、はるかに良いと思います。ちょっと安易だなぁ〜と感じた部分もありますが、新しい芸術運動が吹き抜けたパリのあの時代を、一緒に生きた気分になるのは、作家の力量です。

「印象派ーとは、新たに出現した革新的な画家たちの集まりを皮肉ってつけた意地の悪い呼び名であった。」

1874年、写真家ナダールのスタジオで企画された「画家・彫刻家・版画家の共同出資会社 第一回展」が印象派が世にでた最初でした。しかし、彼らの自由な画風は全く評価されず、ボロクソに批判されます。それから、時間をかけて美術界のメインストリームになってゆく、その一方で貧乏画家として苦しい日々を続けるゴッホと、彼への憎しみと愛情に揺れ動く弟。そんな時代の流れを柔らかく教えてくれる一冊です。この本を読みながら、店にある図録「広重と歩く東海道五十三次展」(古書1200円)や、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」(古書1300円)を広げて作品を眺めました。今でこそ、大人気の印象派であり、ゴッホですが、こういう歴史があったことを知ることが出来ました。

 

「フィンセント・ファン・ゴッホ。享年三十七。

テオドルス・ファン・ゴッホ。享年三十三。

それぞれが細くはかない糸だった兄と弟は、結び合って強くなり、互いの存在に励まされ合って生き延びた。けれど、決してほどけないはずの結び目が、ふいにほどけた。フィンセントの自死によって。」

物語終章は二人の死です。けれどもこの後に、作家は微かな希望を残します。それは、残されたテオドルスの妻です。安心して、本を閉じることが出来たのは彼女のおかげです。何をしたのかは、この長編にたっぷりとハマってのお楽しみです。

★恒例『レティシア書房夏古本市』は8月7日(水)〜18日(日)開催します。

暑い時ですが、またお運びくださいませ。

以前ブログで紹介した「長いお別れ」に続いて、中島京子の「夢見る帝国図書館」(文藝春秋/古書1350円)のご紹介です。長編小説を読んだ満足感100%の出来上がりでした。安心して読める作家の一人ではないかと思います。

小説家を目指すライターの”私”が、「短い白い髪をして、奇天烈な装いをしていた。」貴和子さんと出会ったところから、物語が始まります。貴和子さんは本が好きで、図書館が大好きな老女です。”私”は誘われるままに、「路地の奥のそこだけが江戸時代を背負っているみたいに古かった」小さな部屋に行き、四畳半の狭い部屋に樋口一葉全集があるのを目撃します。そして、彼女が小説を書いて欲しいと頼んでくるのですが、それはとても奇妙な設定の物語なのです。こんな会話が続きます。

「上野図書館が主人公みたいなイメージなの」「図書館が主人公?」「そう、図書館が語る、みたいな」「図書館の一人称っていうこと? 我輩は図書館である、みたいな?」

そこから、樋口一葉に恋ゴゴロを持ち、宮沢賢治と唯一の友の友情を見守り、関東大震災を耐え抜き、戦時中隣接する動物園の猛獣処分で殺されてゆく動物たちの嘆きに悲しみ、敗戦後に「帝国」図書館の役目を終えるまでの”図書館の人生 “が脈々と語られていくのです。図書館の眼差しが、時に優しく時に切ないところに涙してしまいます。

同時に”私”は、貴和子さんの戦前戦後の苦難の歴史と人生を知り、彼女が纏っている謎を解明してゆく物語が進行していきます。ひとりの女性の人生と、時代に翻弄されながらも本を守り続けた図書館の姿が、後半見事にシンクロしていく、巧みな構成です。

日本国憲法草案のため、アメリカから派遣された女性ベアテは、この図書館で資料を集めながら考えます。

「わたしが憲法草案を書くなら、と、ベアテは考えた。この国の女は男とまったく平等だと書く。神様がわたしのようなちっぽけな人間に、こんな大きな仕事をさせようとしているなら、間違えちゃいけない。わたしはこのチャンスを、彼女たちのために使わなきゃいけない」と、本をしっかり抱きかかえて、立ち去ります。その姿を図書館は優しく見つめていました。

晩年の喜和子さんが家を捨て、自ら選んだ道で幸せな日々を送られたことに”私”も、読者もホッとします。小説の完成を待たずに喜和子さんはこの世を去ります。最後の散骨シーンと、帝国の看板を下ろして役目を終えた図書館の姿がクロスして、大きな歴史を描いた物語は終わりを告げます。

「真理がわれらを自由にする」という最後の言葉は、心の底からジーンときて鮮やかな終わり方でした。

 

♫トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再び
やってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。
ベーシスト石澤由男が伴奏を添えま

す。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

 

 

これだけ、小川洋子の小説が揃ったのは珍しいかもしれません。元々の在庫と一緒に数えてみたら19冊。大型新刊書店よりも充実しています。私自身小川洋子が大好きなので、その半分ぐらいを既に読んでいます。

出産を控えた姉に毒入りジャムを食べさせる妹の、心理と生理の揺らぎを描いて芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」(文春文庫/古書300円)、老人の背中、足の裏を舐め回す少女のエロスを描く「ホテル・アイリス」(幻冬舎文庫/古書300円)など、この作家の持っている冷たい狂気のようなものが満ちた、初期作品を読んでもらいたいと思います。現実と悪夢の境目で揺れ動く不思議な世界を描いた短編集「まぶた」(新潮社/古書300円)もいいです。

と言いながら、やはり推薦するのは、ブログでも紹介した「いつも彼らはどこかに」(新潮文庫/古書300円)と「ことり」(朝日新聞社文庫/古書300円)。優しく切なく、そして温もりのある豊かな物語世界がここにはあります。

そして、この本も文庫になっていたんですね。赤坂真理の「東京プリズン」(河出書房/古書500円)です。アメリカの高校に留学したマリが、ひょんなことからディベートで「天皇の戦争責任」について弁明することになることから、日本の戦後をめぐる物語へと発展してゆく骨太の物語。帯の通り、「16歳の少女がたった一人で挑んだ現代の『東京裁判』を描く」物語です。

ちょっと珍しいのが、武井武雄の童話集「お噺の卵」(講談社文庫/古書800円)です。日本ではあまり見かけないナンセンス童話「お噺の卵」「ペスト博士の夢」「ラムラム王」の3作品すべてを収録した文庫です。著者による繊細なイラストも収録されているのでお楽しみ下さい。

昭和の文士を撮影してきた写真家、林忠彦が撮影した作家を集めた写真文集「文士の時代」(中公文庫/古書950円)は、日本文学好きなら、持っておいて欲しい一冊です。彼の作品ではバーカウンターの椅子に腰掛けている太宰治が有名ですが、織田作之助 、坂口安吾、谷崎潤一郎、三島由紀夫など大御所がズラリと登場します。この時代の作家にとって、タバコは欠かせないアイテムだったみたいで、くわえタバコ姿もきまっています。若き日の五木寛之は、流石に洒落てます。和服姿の文人も多く、やっぱかっこいいのは、吉行淳之介でした。面白いなぁ〜と思ったのは、深沢七郎です。和服でギターを爪弾いているのです。日劇ミュージックホールのギター奏者だったということを初めて知りました。全105人の作家たちの素顔を見ているだけでも楽しい一冊です。

★まことに勝手ながら7月1日(月)〜2日(火)連休いたします。よろしくお願いいたします。(レティシア書房)

♫トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

                     075−212−1772(レティシア書房)

 

多分純文学の作家以上に、刑事小説や探偵小説を書く作家は、情景描写には念には念を入れなければならないと思います。大沢在昌の「新宿鮫」や、逢坂剛「カディスの赤い星」等の傑作群を読むとよくわかります。

元刑事で、今はしがない私立探偵の茜沢が活躍する「時の渚」(文春文庫/古書350円)は、きっちりと情景描写、そして戦中戦後の悲惨な境遇から幸せを求めて生きる人たちの歴史が、巧みに刷り込まれています。

元ヤクザの親分で、今は末期癌に冒されて余命いくばくもない老人から、35年前に生き別れた息子を探すように、茜沢が依頼されるところから話は始まります。ほんの僅かの手がかりを元に、探していきます。

「『生まれたその日に、赤の他人にくれてやった息子だよ、三十五年前の話だ』元気で生きていれば茜沢と同い年。人の記憶が風化するには十分な年月だ。困難な仕事になりそうな予感がした。」

と思った通り、捜索は袋小路に入ります。実は茜沢は、数年前に妻と子供を轢き逃げ事件で亡くし、その時の警察組織とのいざこざで彼は職を辞しています。

こういう小説の場合、主人公には深い傷があるのがお約束なのですが、感情過多に描いてしまうと、小説が安物になってしまいます。あくまでもストイックに描くことが鉄則です。人探しをしていくうちに、過去の忌まわしい事件とも関連があることがわかってきます。この辺りの物語の進め方も定石通りですが、登場人物がよく描かれているので、安心して読み進めます。

物語終盤、作家の出身校の立教大学で大活劇が描かれます。普通なら事件解決でチャンチャンなのですが、こここから更に物語が始まるのです。あえて言えば、重松清風な展開で「家族の絆」というテーマが浮上してきます。個人的には、ややオーバーラン気味に感じたのですが、亡くなった茜沢の父親の骨を散骨するシーンで、やはりこういう決着しかないと納得しました。

「寄せ波が膝を洗う深さまで踏み込んだ。水は冷たかった。ポリ容器の蓋を取り、引き波に合わせて骨灰を軽く一掴み撒いた。ほんの一瞬、波の上を漂って骨灰はすぐに沈んでいき、巻き上げられた砂と一緒になって沖合いへ運ばれていった。

また引き波を待って一掴み撒いた。永遠という時を刻む時計の振り子のように、渚は暖かやかなリズムで寄せと引きを繰り返し、やがて生きていた父の証のすべてが、海原の彼方へと呑み込まれていった。心の中に奇妙な温かい記憶だけが残った。」

ここに至って、いい物語に出会ったと思いました。

 

 

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梨木香歩の新作「椿宿の辺りに」(朝日新聞社/古書1200円)は、小説を読む醍醐味、楽しさを十分に味わえる傑作長編小説です。

神話をベースにしながら、不思議な物語が展開していきます。四十肩の痛みに苦しむ主人公山幸彦は、同じような体の痛みに悩まされている従兄妹の海幸比子が薦める鍼灸師を訪ねます。そして、霊能者みたいな特異なキャラの亀子とともに、治療の一環として今まで訪れたことのない先祖の屋敷に行く羽目になってしまいます。

祖父藪彦が繰り返し語ったという海幸彦山幸彦の物語、三人目の宙幸彦の存在、庭のお稲荷さま、天井の大黒様と曽祖父の手記、様々な要素が入り乱れて、家の歴史が解き明かされていきます。オカルト風に展開するとかと思えば、ファンタジー風になったりと、不思議な世界へと誘われていきます。コミカルな描写も盛り沢山で、実家に何か得体のしれないものがいるかもしれないと主人公たちがざわついた時、亀子が「共生共存、これに如くなし」と一喝するところでは、思い切り笑ってしまいました。梨木の小説には「家守綺譚」に代表されるように、気がつくとこの世から、少しずれた世界に、持っていかれるところが魅力です。

私たちの肉体、思い、神話、自然、過去、それら全てがつながっているということを「痛み」という肉体的現象を通して描くというウルトラC的物語です。作者の価値観がストレートに出ている文章があります。

「私は長い間、この痛みに苦しめられている間は、自分は何もできない、この痛みが終わった時点で、自分の本当の人生が始まり、有意義なことができるのだと思っていましたが、実は痛みに耐えている、そのときこそが、人生そのものだったと、思うようになりました。痛みとは生きる手ごたえそのもの、人生そのものに、向かい合っていたのだと。考えてみれば、これ以上に有意義な『仕事』があるでしょうか」

痛むのは生きているからこその現象で、完治を目指すのではなく、それなりに痛みとつき合っていくというのが大切なことなのです。痛みをめぐって、こんな物語が成り立つのですね。一気に読んでしまいました。

 

 ★イベントのお知らせ

6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

 

 


 

この「店長日誌」のブログを始めた時には、よもや毎日書くことになるとは思いませんでした。いつの頃からか、更新するために、同時進行で4〜5冊を読んだりしています。書評を頼まれているわけではないので、楽しみながら読んでいるのですが、付箋を付けたり、資料をひっくり返したり、情報を集めたりしていると、ちょいと逃げたくなることがあります。

そんな時に特効薬とも言えるのが、「公安」ものです。警視庁の中でもベールに覆われた部署が暗躍する、しかも現場の刑事たちと対立する物語ならなお結構。と、読まなきゃならん本を横に置いて読んだのが、相馬秀雄「血の轍」(幻冬社文庫/古書300円)でした。500ページ余りの小説ですが、いやぁ〜面白い。ベタな展開満載で、オイオイと突っ込みたくなる場面もありますが、300円でこの面白さは安い。これぞエンタメ小説の王道!

元刑事が殺されて、捜査一課が動き出す。そこへ、なぜか最初から公安が絡んできて、解決を妨害していきます。普通の刑事小説ならば、犯人捜しのストレートな物語が展開するのですが、これは妨害する公安と、それを掻い潜って犯人逮捕に向かう刑事という設定がユニークでした。撃ち合いなし、心理戦のみの刑事ドラマ。

公安が実行する追跡、盗聴、監視を事細かく描写していきます。小型カメラで撮影された監視対象の映像描写で幕が上がります。こんな具合です。

「スピーカーからは水道の音が聞こえる、カメラが女の後ろ姿を捉えたあと、今度は斜め横のアングルから洗面台と鏡の中が映る。サングラスを外した女が口紅を塗り直す。モニター越しだが、かすかに瞳が潤んでいるように見えた」

感情のないカメラが捉えた映像を冷徹な公安が見つめている、という情景です。ところで、公安なんて私たちの生活とは全く無関係と思われますが、果たしてそうなのか、お上に反抗的な輩は、片っぱしから監視しているのではないかという疑問が残ります。膨大な予算をつぎ込んで、最新のハイテク技術で国民を監視していたら、このブログでも、時々国家元首を「アベちゃん」などと書いていますから、ひょっとして私も監視対象かも……..。

 

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星新一のショートショートを紹介しながら、彼が予測した未来をエッセイ風にまとめた最相葉月著「あのころの未来」(新潮社/古書800円)は、科学と私たちの関係を考えるには、最適の一冊です。

星新一の本って、そんなに熱心に読んではいませんでした。彼の作品の装画を担当していた真鍋博に魅かれて、本を買った記憶があります。

でも、最相葉月が選び出した星の作品を読み、彼が数十年前に、肝臓移植、クローン、ロボット、ネット社会、キャッシュレスのカード社会を描いていたと驚きました。脳死という状態を受け入れた私たちにとって、ぞっとするのが、星の「これからの出来事」を取上げた「脳のなかの私」という章です。

大事故で、両足切断を余儀なくされた男が病室で目覚めます。「それにしても足の裏がかゆいな。女性にかいてほしいと頼むと、少し間があって、その事故で『おれ』は両足を切断されたと知らされた。錯覚が起こるのは医学的によく知られていることだという。」

これ、幻肢と呼ばれる現象で、大脳皮質に記憶された身体感覚によるもので、失う前の記憶、脳の仕業による現象です。小説では、実は男が切り取られたのは足だけだはありませんでした。腸も、心臓も、痛くなってきたはずのこめかみも全てないことを知ります。おれは生きているのか、そう錯覚しているだけなのか、薄らいでゆく意識の中で男は、いや、生きていると思い続けます。その横でこんな会話が描かれます。

「病室では電線につながれたまま溶液に浮いた脳を囲み、女医と担当医が話をしている。『生きる意欲があります。私たちも、やりがいがありますね』 別な部門では、男のからだの残された細胞をもとに臓器や筋肉や皮膚が再生中だったー」

生死の境界が限りなくぼやけていく時代だけでなく、高度な再生医療の果てに行き着く人間の姿まで見つめていたのです。最相は、「ブタ臓器を拒絶反応が起こらないよう遺伝子操作し、人間に移植する異種移植の研究も行われている」と指摘しています。

「どこまでもすげかえ可能になる人間の欲望の果てはなんだろうか。脳だけは死守するのか。」という疑問をもとに、2050年版の「これからの出来事」を、最後に書いています。シュールでおぞましいけれども、現実になりそうな結末です。

私たちのこれからの未来を、そして生きるということを、星新一の作品を読みながら見つめる一冊です。

星と名コンビと称され、『悪魔のいる天国』のように、版が変わるごとに新たなイラストを提供する程の親密な関係だったイラストレータ真鍋博が星の小説のために描いた挿絵をセレクトした「真鍋博のプラネタリウム」(新潮文庫/古書800円)もこの機会にぜひどうぞ。昭和58年発行の文庫。もちろん、絶版です。

中学生、高校生が主人公の小説は、森絵都が2006年に発表した「永遠の出口」以来、久しく読んでいませんでした。今回、手に取ったのは町屋良平の「しき」(河出書房新社/古書1250円)です。

特技ナシ、反抗期ナシ、フツーの高校生、星崎が主人公です。友達の坂田も、草野も同じ様なもんです。同級生の女子高校生も三人登場しますが、セックスもなければ、恋愛もほんの少しだけ。親に反発して家を飛び出すとか、悲しい恋に苦しむ、或いは悲惨な目にあうとか、ドラマチックなことは全くありません。夜の公園で、動画を流して、ひたすら踊りを練習をする星野と、彼に誘われた草野。夢ナシ、クラスのことも興味ナシ、の日々を描いていきます。

「ホームレスがもっとも濃く春の訪れをかんじている。しめった土からはじけるような音がきかれ、風の温度というより色合いのほうが、季節のうつろいをうったえている」という春の公園から物語は始まります。

キラキラした物語じゃなくても青春はあるんです。自分たちを取り巻く世界との距離の取れなさ、居心地の悪さを巧みに描いています。

「自分が生きている証拠なんて、欲しくないんだよ、他人に心配されても、ふあんになるばっか…….」

高校生活も、明日のこともなんとなく進んでゆく星野の前に、河原で暮らすつくもという友人が登場します。全くリアリティーのない人物なのですが、異物のようなこの人物が、彼の人生に大きく影響を与えることになります。

「彼はこのごろ、『成長』を逃したじぶんは自我が『成熟』することなく、『社会に適応できない』かもしれないと、根拠なきふあんに苛まれていた。」

読みにくいのか、読みやすいのか判断できかねるような文体なのですが、たどたどしいながらも、自分の道をボツボツと歩き出す彼らには、マッチしているような気がします。三人称の視点や、わざと漢字を使わない文体に乗り切れないもどかしさもありますが、これがこの作家の味だとわかると、後半一気に読みきりました。

頭では理解しているつもりでも、言葉で表す事が出来ない自分への怒りや、不安。一瞬一瞬に戸惑いながら、何故か惹かれたダンスを通じて少しずつ、成長する姿が描かれていきます。

それでも、時間は過ぎ、季節は巡っていきます。

「目の前の人間は裏切っても、すごした時間は裏切らない」

新しい春を迎えた星野が、未来が少し広がったことを知ったところで物語は幕を閉じます。反抗期もなく、フツーの青春時代を送った私には、彼らがとても身近に思えました。

タイトルの「しき」は「四季」のことです。因みに、本作は159回芥川賞候補作品になりました。そして「1R1分34秒」で160回芥川賞を受賞しました。

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第31回小説すばる新人賞受賞した増島拓哉の「暗闇の底で踊れ」(集英社/古書1200円)には驚きました。著者は1999年大阪生まれで、関西学院大学在学中の大学生。北方謙三が「達者な筆で十九歳という年齢には唖然とさせられた」と帯に書いています。

お話は大阪のヤクザで若頭の山本と、元舎弟でパチンコ通いのプー太郎の伊達が、闇社会を生きる日々を綴ったノワール物です。大阪弁丸出しの小説といえば、黒川博行が傑作を連発しており、その流れやね、と軽い気持ちで読み始めたのですが、これ、ほんまもんですわ、と思わず大阪弁になってしまうほど酔いしれました。まずテンポが良い。そしてセリフのひとつひとつが面白いのです。

「ブタ箱がなんぼのモンじゃい!人間はみんなブタや!人生は所詮、泡沫の夢、幻なり!夢こそ真の世界なんじゃ」とか、「誤解を恐れずに言うと、なんちゅう言葉は、今から暴言吐くけど怒らんとってや、って宣言してるようなもんや。目上の人間に対して使う言葉と違うで。のう?」といった言葉の応酬。

宮部みゆきが「これだけの暴力と笑いを紡ぎ出した増島さんの筆力はあっぱれ」と書いていますが、笑いとシニカルな味わいが、とても新人とは思えません。

私が笑ったのは、山本のこんな台詞です。「夜景は労働者たちの命の灯火や。恋人たちの前戯の道具やない。」

プー太郎で金欠の伊達が、入れ込んでいるヘルス嬢に貢ぐために、山本の使い走りをやらされて、詐欺やら、美人局をさせられていくのですが、やがて陰惨な暴力へと向かいます。それでも、著者は笑いを忘れません。

「病気の治療を頑張ってる奴に『死んだらええ』は暴言やけど、クソみたいな理由つけて選挙に行かんやつは、ゆっくり自殺してるのと同じや。自殺進行中の奴に『死んだらええ』言うのは、ポストが赤いですねえ、って言うてんのと同じや」と、悪事の限りを尽くす極道が、選挙に行かない連中を批判して笑わせてくれます。

こういう物語って、割と予定通りの終わり方をするものが多いのですが、この作品は違いました。著者が恐ろしいほどきっちりと登場人物たちを突き放すのです。格好良さもなければ、哀感もない。これにいちばん、驚かされました。

「まだ死んでへんから生きてるだけや、あほんだら」

小説の最後のセリフがこれです。いや、お見事な一冊でした。我が母校からは、原田マハや団鬼六という小説家を輩出していますが、新しい才能が出てきました。今後に期待です。

 

 

森見が2003年「太陽の塔」で第15回日本ファンタジーノーベル大賞を受賞した時、面白い作家が登場した!と喜び、その後の作品を読んでいきましたが、ちょっとご無沙汰していました。久々に読んだ「夜行」(小学館/古書900円)は、森見世界の集大成と言える傑作です。ファンタジー、オカルト、そして文学性が巧みにブレンドされていて、居心地の良い読書時間を持ちました。

主人公の大橋君が「叡山電車は市街地を抜けて北へ向かう。学生の頃、叡山電車は私にとって浪漫だった。夕陽に沈む町を走り抜けていくその姿は、まるで『不思議の国』へ向かう列車のように見えた。たまに乗ったときは、ひどく遠くへ旅をしたように感じられたものである。」と懐古するように、舞台は京都です。

話は、「鞍馬の火祭り」から始まります。10年前、京都の英会話スクールに通っていた年齢の違う男女5名が登場人物で、大橋君も含めて彼らが「鞍馬の火祭り」を見に行くために10年ぶりに集まります。以前、彼らが「鞍馬の火祭り」に行った時、英会話スクールのメンバーの長谷川さんという女性が突然失踪してしまいます。彼女の失踪以降、それぞれのメンバーの、不思議で恐ろしい体験をポツリポツリと語りあいます。彼らの体験に共通しているのは、岸田道生という画家が描いた「夜行」という銅版画に出会うということでした。結論は語られぬまま、読者はクライマックスへと導かれていきます。タイトル通り、私たちを夜行列車に乗せて、未知の世界へと連れて行ってくれます。

「黒々とした山かげや淋しい町の灯が流れ、通りすぎる見知らぬ駅舎の灯りが妻の横顔を青白く照らした。車輪がレールの継ぎ目を超えていく音に耳を澄ましていると、まるで夜の底を走っていくように感じられた。」

登場人物たちが集まって、過去を振り返る古典的な手法で、お話は進んで行きます。

彼らが語る物語に現れる謎はほとんどそのままで、読んでる時にふとゾワゾワとした気分になったり、得体の知れない怖さに取り憑かれたりすることもあります。その宙ぶらりんの状態のまま最終章で、旅先でぽっかりと開いた穴に吸い込まれた長谷川さんと大橋君が再会するのですが、そこで飛び出してくるのは、あり得ないような世界です。疑問に対する明確な答えがない不安感、そして不気味さに包まれて物語は幕を閉じます。

「世界はつねに夜なのよ」と長谷川さんのセリフの通り、夜の世界が支配しています。けれど、ラスト、出町柳の賀茂川べりで大橋君はこんな朝を迎えます。

「土手の石段を上がって賀茂川の方へ歩いていった。犬の散歩をさせる人や、ジョキングをする人たちが、白い息を吐いて川べりを行き交っていた。朝露に濡れた土手に腰をおろして、私はしばらく茫然としていた。冷たい朝の空気を吸い、洗い清められた美しい星を見上げた。」

夜の世界から、朝の世界へとぐるっと転換するエンディングに、深く感動しました。

 

 

 

 

 

 

 

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