2012年、編集者出身の松家仁之が、処女作「火山のふもとで」(新潮社1500円)を発表しました。ある建築事務所を舞台に展開する、380ページ程の長編です。

主人公の「ぼく」が、村井建築事務所に就職するところから話は始まります。この事務所は、夏には軽井沢の別荘に事務所を移して仕事をするのが毎年の習わし。所長は、有名な建築家フランク・ロイドに師事して、どちらかと言えば質実剛健な建物を作る昔気質の人物です。さて、事務所が「国立現代図書館」設計コンペに参加するので、「ぼく」も含めたスタッフが夏の山荘で忙しい日々を送ることになり、その日々を細かく描いていきます。

「S字型の書棚は図面上では斬新に見えますけど、実際には円周より落ち着くんじゃないかと思いますね。S字の真ん中が切れているから人の動きにも自由度があるし、視線もむこうに抜けていく。」

というような、スタッフ間の図面を巡る駆け引きなども、事細かに描かれていきます。(だから、最初は読むのに苦労しました)また、ライトを含めて、建築史の話も方々に登場してきて、建築について素人の私には、ちょっと勉強にもなりました。

そんな専門的なやり取りだけでなく、事務所を取り囲む軽井沢の自然が、きめ細かく描写されています。こんなふうに、大きな物語のうねりもなくどんどん進行していくのですが、なぜだか退屈しないのです。まるで、この事務所で一緒に働きながら、「ぼく」の視線で世界を見渡しているかのようです。細部の細部まで手を抜かない作家の力量が生きている小説です。

物語は最後の方で、大きく動きます。そこは伏せておきますが、一時、同じ事務所に集まった者たちの、その後の人生が簡潔に描かれていきます。そして「ぼく」の人生も。

1982年浅間山が噴火しましたが、物語はこの時期にシンクロしています。だからタイトルに「火山」が使われています。

松家仁之は、この本以外に、「沈むフランシス」、「優雅なのかどうか、わからない」の長編を書いていますが、どちらも小説の醍醐味にあふれていました。次作も期待しています。

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池澤夏樹の「氷山の南」(文藝春秋1450円)は、連日の猛暑に、涼しくなること間違いなしの小説です。

舞台は南極。その海に浮かぶ巨大な氷山を、オーストラリアまで運んでくるという壮大なプロジェクトに、密航者として乗り込んだ18歳の青年と、様々なエスニックバックグラウンドを持つクルーとの交流、そしてプロジェクトに反対する信仰集団との対立を描いた、ジャンル的に言えば、冒険小説です。

と言っても、お決りの海洋活劇があるわけではありません。淡々と進行する物語を読んでいくうちに、一人の青年が多くの人々との交流を通じて、世界を認識し、我々を取り囲む宇宙を感じるための通過儀礼を描いた教養小説だということが判ってきます。

主人公ジンは、アイヌの血をひく若者。彼の友人がジム。彼のルーツはオーストラリアの先住民族、アポリジニという設定からして、少数民族の生き方が関与してくることが見えてきます。

オーストラリアの荒涼たる大地で、満天の星空を見つめながらジンは、見えている星空の奥に、そして見ている自我の奥に何かが在ることに気づきます。

「星々を自分が今こうして見ている。見る自分と見られる星空の関係はそのまま逆転できる。星もこちらを見ている。無数の星の一つがこちらに視線を手繰り寄せる。一本の光の糸が張り渡される。あの一つの星は人間に見られていることを喜び、ちゃんと見返している。対等の関係だ」

自然は、好き勝手に動き回る存在ではない。「人が見るから、その視線に応じて自然は自らを装う。きりりと姿を整える。」

やがて、ジンは理解します。「自分がいて、世界がある。それぞれがあって、後につながるものではない。この二つは最初からセットなのだ」と。

さらに、彼は氷山を運び、溶かして灌漑に使うというやり方に反対するアイシストという信仰集団のリーダーの女性に出会います。そして、際限のない人間の欲望が、人々を不幸せにしているからこそ、そういう欲望や衝動に抵抗力をつけるためには、「できるかぎり消極的な生き方で済ませる」という思想に魅かれていきます。

「どれほどの権力と冨と美貌と健康と知力と意志を備えていても、一生の間ずっとやりたい放題は続けられない。たいていの場合、欲望の大半は実現しないわ。そのために失望する。不幸感が生まれる。それならば最初のうちに、欲望が妄想に育ってしまう前に、冷やしてしまった方がいいんじゃない?」

主人公ジンは、多くの知的冒険と大自然の中の経験と、そして彼に迫ってくる難問への対処を経て、全500ページにわたる長編はクライマックスを迎えます。長編小説の醍醐味、ここにありですね。

サマーバカンスに何読もうか?とお悩みの方、海辺で、あるいは故郷の山里でじっくり読むのに相応しい一冊です。

 

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文芸書の大手、新潮社が1998年、新しい作家を紹介する海外文学シリーズ「新潮クレストブックス」を創刊しました。さらに2002年、季刊総合誌『考える人』を創刊します。どちらも本好きにはたまらないシリーズですが、その二つを立ち上げて、同社の「芸術新潮」編集長を兼務していたのが、松家仁之。

2012年、彼は、長編小説「火山のふもとで」で第64回読売文学賞を受賞します。次いで刊行した小説が「沈むフランシス」(新潮社800円)です。今年これまで読んだ小説ではベストかな、と思う「美しい」小説でした。だから、小説って止められない!!

舞台は北海道の小さな村。主人公は、東京から戻ってきた女性で、郵便配達車に乗って、村に手紙を届けるのが仕事です。その村はずれの小屋に「フランシス」と共に暮らす独りの男との恋愛小説です。

表紙は、可愛い犬の写真。あ、これがフランシス?沈むってことは死ぬ?と犬好き読者(私?)は早合点するかもしれませんが、全く関係ありません。フランシスって、この男が管理している水力発電機の名前なのです。

彼の趣味は音楽で、優れたオーディオ装置に囲まれて音楽を聴いていますが、最も好きなのは、彼自身が録音した、様々な「音」です。この音を、初めて聴いたヒロインは、こう感じます。

「目をつぶって聴いていると、それぞれのリアルな光景が、匂いや湿度、気温や風や振動までともなって、目の前に立上がってくる。それが、たったいま動いている」

この作家は、見事に「静寂」を描写できる人です。風が舞い、雪が深々と降る北国の自然は、すべての音を消してしまいます。静寂のみが支配する空間、その無の空間を作家は、透明な美しさをもった情景として描いていきます。なんか、北欧の、清らかな映画を観ている気分です。

物語は劇的な展開を避けて進行しますが、ラストは圧倒的です。大自然の猛威に耐えたヒロインは、ラストでこう確信します。

「星には音がある。桂子はそう思った。聞こえない音がひとつひとつの星からこちらに向かって降ってくる。その音は、光だった。光源すらない、はかない光の音。この光があるうちは、なにも絶望するこはないのだ」

小説が持つ豊かな世界を再確認させてくれる一冊でした。

先日紹介した雑誌「つるとはな」にも松家仁之の短篇が掲載されています。こちらもやはり静かな短篇でした。

こういう小説を探し出し、並べていきたいものです。