傑作「想像ラジオ」から7年、雑誌「文学界」に掲載された、いとうせいこうの作品が単行本化されました。「夢七日 夜を昼の國」(文藝春秋/古書1200円)の、二作品が収録されています。

まず「夢七日」ですが、数ページ読んだところで、なんだかわからない、え?これ何??みたいな展開なのです。

「2019年十一月十四日 木曜日 君はこんな夢を見ている。」でスタートするのですが、夢を見ているのは誰で、語っているのが誰なのか、全くわからないのです。さらに、夢には階層があるみたいで、様々の夢を見ながら、主人公らしき人物は、どんどんと階層を下がって(いや、上がって)ゆくのです。シュールレアリズムの世界なの?どうしようかなと読み続けていると、だんだんこの人物に同化してゆくようになり、一緒に彼の夢の世界を浮遊することになり、なんとも気分がよくなってくるから不思議です。

実は、交通事故で5年間昏睡状態の木村宙太の夢に、恩師が語りかける七日間を描いているのです。そこに出てくる夢は千差万別です。安倍元首相の桜を見る会らしき”何かを見る会”、女優の薬物所持逮捕、香港情勢などの社会的な出来事を傍観していたり、宙太が福島の原発で働いていて、規定以上の放射能を浴びたらしいというものもあれば、いとうの親友みうらじゅんらしき還暦過ぎのイラストレーターも登場してきます。

「醒めたいと思えば思うほど、夢が君に襲いかかってくる。」

夢の世界を通して主人公の抱える寂寥感、孤独、そして、どこに向けていいのかわからない怒りが延々描かれてゆくのです。では、主人公に語りかける恩師は、夢の同伴者なのか、あるいはプロデューサーなのか、それとも著者なのか……….。

「木村宙太、昏睡している君はこうして私の夢を借りて歩き回っている」

ラストはSFばりの迫力で幕を閉じます。

もう一つの「夜を昼の國」は歌舞伎や浄瑠璃でお馴染みの「お染と久松」の話。名誉を傷つけられたお染が現代に蘇り、ネットの書き込み、中傷に歯向かってゆく話。小説の仕掛けは面白いのですが、私にはちょっとついていけませんでした。ほんとは、こっちが興味あったのですけどね。

「あほくさい。たかがプリペイドカードに十万もだす奴がおるんかい」

という関西弁がバンバン登場するのは、品のない刑事が活躍する小説で人気の作家黒川博行の、昨年出たばかりの短編集「騙る」(文藝春秋/古書900円)です。ただし、本作は刑事ものではありません。

黒川はハードボイルド作家として有名で、直木賞を取った「破門」はそのジャンルの作品でした。しかし、京都市立芸術大学で彫刻を学んだ美術系の人間で、妻は日本画家の黒川雅子さん(写真左「騙る」の装画)です。それゆえ、美術界をテーマにした作品も多く書いています。

お話はどれも、美術品に絡む騙し合いの物語です。それはそれで、欲にくらんだ男女の人間喜劇として面白く読めました。そして美術のお勉強ができるのです。抽象彫刻、古代中国の青銅器、狩野派の屏風などがテーマとして使われていて、それなりに美術の歴史も書かれているのです。

その中には、ビンテージもののアロハシャツ偽造をテーマにした「ヒタチヤロイヤル」があり、ヘェ〜、こんな風にして偽造のシャツを作り上げるのかと感心しました。

また「鶯文六花形盒子(うぐいすもんろっかがたごうす)」は、舞台が京都の美術館です。もちろん架空ですが、そこに地面師やら、詐欺師が登場して中国古代の青銅器を巡る詐欺を企みます。これは面白い。ぜひ、関西弁の達者な役者で映像化してもらいたいと思いました。

また、古墨を巡る「乾隆御墨(けんりゅうぎょぼく)」では、古墨を巡るお話ですが、古美術にはこんな世界もあるんだと目を丸くしながら読みました。速射砲のごとく飛び出す関西弁のやり取りも絶妙な肩の凝らない一冊としておすすめです。

 

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カルーセル麻紀は、私たちの世代には、初めて出会うトランスジェンダーのタレントで、関西系のTV番組で司会や、コメントを言っていたのを懐かしく思い出します。とても綺麗な頭の回転の早い人でしたが、1970年代なんて、ニューハーフやオカマなどという偏見や差別が今とは比べ物にならないくらい多かったはずです。そんな中で、彼女が堂々と振舞っていたのが印象的でした。

桜木紫乃の「緋の河」(新潮社/古書1650円)は、カルーセル麻紀の半生を描いてた小説です。500数十ページにも及ぶ大河小説、いやぁ〜読むのに時間かかりましたが、超面白い!

「釧路の街に、昭和二十四年を迎える除夜の鐘が響いた」という文章で物語はスタートします。カルーセル麻紀、本名平原鉄男は、昭和17年、厳格な父親の二男として釧路に生まれます。

「へえ、ヒデ坊はもうじゅうぶん可愛いと思うけどねえ」(小説では秀男という名前になっています)と書かれているように、小さい頃から可愛い子供で、女性への憧れを抱いていました。

小学校にいく頃になっても、「なりかけ、なりかけ、女になりかけ」と周りから虐められていました。けれども「なりかけ」というアダ名で呼ばれても、「どこが悪い」と反発していました。

「いじめられて泣くぐらいならば、すべてやめられるのだ。自分は間違ってなどいない。父に殴られようと兄に疎まれようと、母が悲しもうと、生まれ落ちたこの体と性分をせめて自分だけは好いていたい。」

高校生の時に家出をして、札幌のゲイバーに勤めて頭角を表します。実際にカルーセル麻紀は、札幌時代に去勢手術をして、73年にはモロッコに渡り性転換手術をしました。

秀男が様々な人間に出会い、時には影響を受け、あるいは傷つけられながら、大きくなっていき、そして、東京に出て蛇を使ったショーで人気を上げ、さらにそこから大阪へと転進していく様を小説は丁寧に描いていきます。

去勢手術を受けるとき、こんな会話を医者と交わします。

「絶対に後悔せんな、タマ取ったら二度と男に戻れへんで」

「もともと、戻るところなんかないんですあたし」

「戻るところのない人間なんぞおらん、お前さんが誰だったとしても」

「強いていうなら、あたしはあたしに戻ります」

自分のアイデンティティにとことんこだわり、人生を切り開いていった大きな人間の物語です。「生まれたからには、自分の生きたいように、生きてやる」というカルーセルの生き方に共感した桜木の、気合いじゅうぶんの文章も素敵です。久々に「ど根性」という言葉が頭を駆け抜けました。泣けて、笑えて、元気がでます。年始年末の一気読みにおすすめの小説です。

★レティシア書房 年末年始の休み

12月28日(月)〜1月5日(火)休業いたします。よろしくお願いいたします。

 

 

松嶋智佐著「女副署長」(新調文庫/古書300円)は、警察小説としては極めてユニークな一冊です。

先ず、著者の経歴が面白い。高校卒業後、警察官になり、日本初の女性白バイ隊員となりました。退職後、作家に転身して、2006年には織田作之助賞を受賞しています。そして物語はというと、とある警察署に赴任してきた副署長のたった一夜の経験を描いています。

まさに大型台風が通過する夜、警察署の敷地内で警察官が刺し殺されます。犯人はまだ署内にいる可能性が高いので、署はロックアウトされます。しかし、台風の激しい雨と風のため市内各地で救助要請が続発します。片や台風、片や殺人事件という状況下で副署長が活躍する物語です。面白いのは、彼女のヒロイックな活躍が中心ではなく、この警察署に所属する警察官たち全てが主人公と言ってもいいほど、リアルに描かれていくこと。何せ、元警察官だけあって、その描写は著者自身が経験したものが反映されているはずです。

最初のページに4階建ての警察署の地図が載っています。何でこんなものが必要かというと、多くの警察官が各階を上へ下へと移動するのです。そして、アメリカのTVドラマ「 ER」みたいに、場面がパッ、パッと切り替わり、息つく暇のない構成になっています。手提げカメラを担いで、この小説通りに映像化したら、さぞ面白い映画になると思います。

あとがきでミステリー評論家の吉野仁がこう書いています。

「『女副署長』というタイトルから、女子幹部の警察官が抱える困難を強く前面に押し出した部分が主軸の話なのだろうと勝手に想像していた。もちろん、そうした面もしっかりと含みつつ、むしろここに描かれているのは、<ひとつの警察署丸ごと>である。所属する警察官たちばかりか、建物を含めたすべてだ。それらを余すことなく物語の中にぶち込もうとしているかのような書きぶりなのだ。」

そうです。読んでいる間、こちらも署内をドタバタ走っているような臨場感が味わえます。

ラストの「POLICE WOMAN」という言葉に、著者の警官だった矜持を見た気分です。警察署に出向くとき(?)ぜひお読み下さい。

以前、池澤夏樹編集による日本文学全集が出版されました。その中で、池澤は古事記を現代語に翻訳し、話題になりました。私も面白く読みましたが、それから6年が経過し、古代を舞台にした小説を発表しました。

実在されたと言われるワカタケル、後の雄略天皇に焦点を当てた長編「ワカタケル」(日本経済出版社/古書1600円)です。

イチノヘノオシハ(市辺押歯)やら、ナダタノオホイラツメ(長田大郎女)やら、古代人独特の名前の人物が数多く登場しますが、覚えられなくても先へ進みましょう。(私はそうしました。)細かいところにこだわっていると、このダイナミックな歴史物語の面白さを堪能できなくなります。

国家の基本を作り上げたワカタケル。凄まじい暴力的世界と血塗られた権力闘争を平定し、国が整うまでを描いた叙事詩的物語なのですが、こんな描写も出てきます。

「何ごとも男が率先するのはよろしい。卑俗な世事などは男に任せてかまいませぬ。だが、本当に国生みをなしたのはイザナミであったことをお忘れなく。ものごとを底のところから作ってゆくのは、女であります。先の世を見通して道を示すのは、女であります。

戦の場ではせいぜい戦いなされ。刀を抜き、弓を引き、戈を振り立て、火を放つのは男。しかし、亡くなった者たちの後を満たす者を生むのは女。民草は一人残らず女の胎より生まれます。」

こう言い放ったのは、ワカタケルの乳母のヨサミです。そして物語後半、近隣の国への無謀な出兵を押しとどめようとしたのはワカタケルの大后のワカクサカでした。その後、女帝が国を治め、平和な国家建設へと向かいます。

さらに女王イヒトヨに至っては、「女と生まれた以上は男を床に迎えるのが当たり前と言う。さして興味なかったけれど、知らぬまま済ませるのも口惜しい気がして、試したの」とおっしゃる。さらにどう感じたかと言う問いに対しては、

「なにも。こんなものかと思い、一度で充分と思いました。それからは男を近づけなかった。だから子もいない。」

因みに彼女の治世は穏やかな日々だったそうです。

思慮深い女性たちが印象に残る物語でもありました。超おすすめです。

 

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俳優・劇作家・小説家としてマルチに活躍している戌井昭人。1997年パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」を旗揚げし、2009年発表の小説「まずいスープ」で芥川賞候補になりました。

今回ご紹介するのは川端康成文学賞を受賞した「すっぽん心中」(新潮社/古書900円)です。短編小説三作品を収録してあります。受賞した「すっぽん心中」は、職を失って生活が苦しくなった若い男が、家を飛び出して危ないお店で仕事をしていた娘と、ひょんなことで出会います。ゆきずりの二人は、金儲けのため高級すっぽん店に売りつけるすっぽんを取りに、茨城県霞ヶ浦へと向かいます。

が、素人の二人にすっぽんが捕まるわけがありません。その道中と、グロテスクと笑いとが入り混じった結末が描かれます。へらへらと生きてきた男と、ワイルドサイドをなんとか歩んできた少女と、ぐちゃぐちゃに潰されたすっぽんが描き出す奇妙な道行です。

二作目「植木鉢」は、帰省する前日の夫婦と小さな子供の描写から始まります。田舎へ帰る車中、噛み合わない夫婦の会話が印象的に描かれていきます。イラつき出す夫。地元に戻ると、近所で殺人事件があり、植木鉢で家人が殴り殺されていました。なぜか、その殺人犯探しに血道をあげる夫と、無視する妻。思考停止した挙句に夫が、放り投げた自宅の植木鉢に頭をぶつけて気絶するという話です。

三作目「鳩居野郎」は鳩が大嫌いな男のお話。鳩の鳴き声を聞くだけでいたたまれなくなる男は、家の周りに寄ってくる鳩との戦いに消耗しきっています。鳩よけに張り巡らした罠に鳩がかかって、もがき苦しみ出し、耐えきれなくなった男は鳩を救い出そうとします。恐ろしい形相に、近所の人は気が狂ったと錯覚してしまいます。

それぞれ、奇妙な味のある作品です。ブラックユーモア的な部分もありますが、ある日、突然立ち現れてくる非合理的なものに取り憑かれた3人の男の姿を描いています。合理的な判断を下す私たちが、一歩ずれると非合理的な存在になることを、喜劇的でも悲劇的でもなく、じっと見つめている世界がここにはあります。私は、どの作品も面白く読みました。

なお、この作家の作品で小説「俳優・亀岡拓次」(フォイル/古書900円)も在庫しています。脇役俳優亀岡の奇妙な人生を描いた小説は、映画化され、安田顕が主役を演じていました。

韓国の作家チョン・イヒョンの「優しい暴力の時代」(河出書房新社/古書1600円)を推薦します。類い稀なストーリーテーラーと高い評価を得ているチョンの7作品と、韓国現代文学賞を受賞した「三豊百貨店」を加えた日本オリジナルの短編集として発売されました。

ぬいぐるみの動物と暮らす青年の元へやってきた亀との日常を描く「ミス・チョと僕と亀」が最初に載っています。

「亀は僕の方を見ないでのろ、のろ、と僕が立っているのとは反対方向へ這っていった。ふいに、もうすぐ誕生日だということに気づいた。今や僕は、十七歳のアルブダラゾウガメと、猫の形のぬいぐるみを持つ四十歳の男になるのだ。それ以外何も持っていないという意味だ。」

「岩」と名付けられた亀と、シャクシャクという名のぬいぐるみと、僕の不思議な関係。モノクロームな風景が広がってゆきます。

ファンタジーと言ってもよい二人の少女の青春を描いた「ずうっと、夏」は、架空のKという国で展開します。一夏の成長物語というには、あまりにも痛みの多すぎる物語です。一年中、夏という国Kにとじ込まれた少女が、自分とは何者かを知る小説だと思います。

「一九九五年六月二十九日木曜日、午後五時五十五分、端草区端草洞一六七五-三番地の三豊百貨店が崩壊した。一階部分が崩れ落ちるのにかかった時間は、一秒にすぎなかった。」

という文章で始まる「三豊百貨店」は、実際に起きた三豊百貨店の崩壊事故を、事故から10年後に振り返って描いた作品です。この百貨店は韓国バブルの象徴で、安全性を無視した設計と手抜き工事で崩壊、多くの犠牲者を出しました。著者自身、この百貨店は馴染みの場所だったみたいで、ノスタルジーも含めて、ここで働くデパートガールと、彼女と仲良くなった就活中の女性の交流を描いていきます。

「今もときどきその前を通り過ぎる。胸の片すみがぎゅっと締めつけられる時もあれば、そうでないときもある。故郷が常に、心から懐かしいばかりの場所とは限るまい」

様々な人生があり、そこで生きて死んでゆく、そのレクイエムとも呼べる作品集だと思います。

「ミス・チョと僕と亀」の最後の言葉はこうです。

「それでも僕たちは生きていくだろうし、ゆっくりと消滅していくだろう」

 

 

「グリコ・森永事件」は、1984年3月にグリコ社長を誘拐、身代金を要求した事件を発端に、同社に対して脅迫や放火を起こした事件です。その後、森永やハウス食品など、大手食品企業を脅迫。現金の引き渡しには次々と指定場所を変更して捜査陣を撹乱し、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れませんでした。さらに同年、小売店に青酸入りの菓子を置き、全国に不安が広がりました。結局、犯人は逮捕されずに、事件は時効を迎えました。

この事件を元にしたのが、塩田武士「罪の声」(講談社文庫/古書300円)です。発売当時、2016年の「週刊文春」ミステリーベスト10第1位、山田風太郎賞受賞、本屋大賞第3位と、高い評価を得た作品が文庫になったので読んでみました。面白い!の一言に尽きる作品でした。

事件ものですが、刑事は登場しません。京都でテーラーを営む曽根俊他と、大阪に本拠を置く大日新聞記者阿久津英士が、主人公です。舞台は京都からイギリスへと発展していきます。

曽根俊他は、ある時、自宅で見つけたカセットテープに録音されていた音声を聞いて驚愕します。それは誘拐事件の時、使われた指示の声で、なんと子供の時の曽根の声だったのです。俺は加害者なのか?というところから、自分の家族の過去への旅が始まります。事件の背後で、崩壊してゆく家族の姿が描かれていきます。

小説の中で著者は、この事件の起こった時代をこう描いています。

「犯人グループが摂津屋へ脅迫状を送った三ヶ月後、被害総額二千億円の巨額詐欺事件を起こした豊田商事会長の永野一男が、マスコミの衆人監視の中、自宅マンションで自称右翼の二人組に刺殺された。その翌日『兜町の風雲児』こと中江滋樹が投資ジャーナル事件で逮捕される。第一次サラ金パニックの真っ只中で、拝金主義たちが時代を闊歩した。

そして『くら魔天狗』が犯行の終結宣言を出した八月十二日、五百二十四人を乗せた日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落。その日を境に、人々の耳目は史上最悪の墜落事故に集まる。それから約一ヶ月後の『プラザ合意』により、日銀が公定歩合を引き下げ、日本は実体なきバブル経済へと突き進んでいく。」

登場する「摂津屋」「くら魔天狗」は、架空の名称ですが、巧みに歴史的事実を刷り込ませてあります。「グリコ森永事件」の時代がよく理解できます。

重苦しい物語ですが、ラスト、二人の男の別れのシーンが感動的です。なお、本作は映画化され、小栗旬、星野源という旬の役者が、この二人を演じるみたいです。

 

「『狼煙を上げるんだ』 まるでその狼煙が見えているように老人が空を見上げた。そして自らに言い聞かせるように言い放った。『東北独立だ』」

赤松利市の「アウターライズ」(中央公論新社/古書900円)の一節です。東日本大震災後、多くの作家がこの震災と格闘し、様々な作品が世に出ました。世間を挑発するようなタイトルで、震災後早期に発表された高橋源一郎「恋する原発」(河出書房文庫/売切れ)、自らのデビュー作を、震災後を舞台にリミックスした川上弘美「神様2011」(講談社/古書650円)など傑作もありました。

本作は、震災後何年か経過したこの地が、再度地震と津波に襲われ、その後、東北知事会が東北独立を宣言し、鎖国状態に入り日本国と断絶するというSF的発想で始まる小説です。

「独立後東北は鎖国政策を布いた。国としての実態が整うまで、という期限付きの鎖国だった。その期限が、独立から3年後だった。」

開国に際して東北国は、日本から多くのマスコミ関係者を招待することになり、招ばれたジャーナリストたちが、この新しい独立国の現状を見てゆきます。国民は、社会主義国家のような体制ながら自由に、平等に暮らしている一方で、国家独立にまつわる陰謀の影も見えてきます。

「現時点で判明している被害者数は6名です。」

と、再び大きな地震に見舞われた東北国政府の発表。そんなことがあり得るだろうか。大きな疑問を追求してゆくジャーナリストたちの行動は、サスペンス小説の楽しさもあります。著者は東北大震災後5年ほど東北に住み、土木作業員や除染作業員を経験しています。ここには彼のリアルな体験が反映されています。だから荒唐無稽なエンタメ小説に陥ることなく、震災後の現地と、そこで生きる人々が描かれています。

物語の中で、阪神・淡路大震災で孫を失った男が、復興マルシェで店を構える飲食店で、「ウニイクラ丼と発泡酒三本で大方五千円かいな。」とイチャモンをつけてきます。しかし、この男はこう続けます。

「気にせんといてや。何もあんたらに難癖つけとるんと違うで。そやけどな、人の痛みは他人様には分からへんのや。あんたらにはあんたらの痛みがあるやろうけど、それはあんたらで受け止めなあかん痛みや。焼け太り、大いに結構やないか。それだけの痛みを背負とるんやから。誰にも文句は言えるかいな」大阪弁って、なんでこんなに説得力があるんでしょうね。私が関西人のせいかもしれませんが。

ところで、著者はなかなか異色の経歴の持ち主です。全く作家稼業とは縁のなかったのですが、男と遁走した娘を追って所持金5千円で上京し、風俗系の店の呼び込みなどで食いつなぎながら、漫画喫茶で書き上げた『藻屑蟹』で18年に第1回大藪春彦新人賞を受賞。19年「鯖」が、第32回山本周五郎賞候補になり、翌年「犬」で第22回大藪春彦賞を受賞しました。本作は、その受賞後第一作となります。

 

 

こんな台詞が、小説の最後に登場します。その前に「未完成なものだけが完成に到達できる。」という一文があ流のですが、でもこれ、為せば成るみたいな陳腐な人生訓の本ではありません。

吉田篤弘の「流星シネマ」(角川春樹事務所/古書1300円)の最後のページです。吉田は、(私が読んだ限りにおいて)どの小説もとても良いのですが、この作品は、その中でも最も静謐で、切ない物語だと思いました。

「鯨塚」と呼ばれるガケの下にある、小さな町に居着いたアメリカ人の青年アルフレッドが発行するフリーペーパー「流星新聞」。その手伝いをする太郎くんが主人公です。彼の周りには、一癖も二癖もある人々が生活しています。

「ここを訪れる人に共通しているのは、彼らが皆、物静かであることだ。それは、おそらくアルフレッドが物静かであるからで、こうしたところに通って仕事をしていれば、僕もまた一日を静かに過ごすことになる。」

と太郎くんが「流星新聞」の事務所のことを説明していますが、この「静けさ」が小説の全体のトーンを決定づけています。

ある日、アルフレッドは「クリーニング屋の受付カウンターはこの世でいちばん静かなところです。私はその静けさの中で生まれ育ちました。あそこが私の始まりの静けさです。ですから、人生の最後はその静けさに戻ると決めていました」と言い、両親の経営するアメリカのクリーニング屋に戻っていきます。「流星新聞」は太郎が続けることになり、ここから物語が思ってもいない方向へ進んでいきます。

物語が終わってほしくない、永遠に続いて欲しい、その側に立っていたい…..。そんな気分がどんどんと湧き上がっってきます。

かなり昔、この町を流れる川に鯨が迷い込んだという、伝説のような事実のようなことがあります。住人たちは眉唾もののように思っていたのですが、ある雨の日、

「ガケは崩れ落ちながらも雨に打たれ、いままで誰も見たことのなかった土の中に眠っていたものをー大小さまざまな無数の白い骨を次々と暴きながらガケ下の町に撒き散らした。鯨の骨だった。」

この鯨の骨を巡って、町の人々を巻き込んだ奇跡のようなことが起こっていきます。本書のタイトルが「流星シネマ」と「シネマ」が入っていますが、ここに登場するのは8ミリ映画です。アルフレッドが撮影したこの町の映像なのです。その古い映像がもたらす切ない感情。大げさに盛り上がることなく、物語はひっそりと終わっていきます。

「冬にもまた、こうして終わるがくる。冬が終わって春がめぐってくる。春の暖かさは命を持つものすべてを励ますようにつくられている。多分、きっと、おそらくは。」

人生の再生を促すような囁きをポソッと放って、幕が閉じます。穏やかで、暖かい小説でした。

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