小池昌代は、詩人として出発した作家です。2001年に初エッセイ集「屋上への誘惑」で講談社エッセイ賞を受賞。07年発表の短編集「タタド」で川端康成賞を受賞し、小説家としても着実な歩みを見せています。

今回ご紹介する「ことば汁」(中央公論社/古書1200円)は、六つの短編で構成されています。ちなみにタイトルになっている「ことば汁」という名前の作品はありません。物語全体を支配するのは、奇妙な幻想です。

それぞれに単調な日常生活を送る女性たちが、ふとしたことから、官能的で、甘い、しかし妖しい世界へと陥ってしまう。その姿を、シンプルな文章で描いていきます。ある姉妹が主人公になっている連作短編、「つの」と「すずめ」。前者は、老いた詩人を、秘書のように執事のように支え続けた姉。若い時にその詩人の詩にのめり込み、そのまま彼の側に使えて数十年。今日も詩人が郊外のホールで詩の朗読をするので、車を運転して向かうのだが、その道中で起こる奇妙なこと…..。

もう一編の「すずめ」の主人公は、その妹。「わたしはこの町の商店街で、ちいさなカーテンの専門店をしている。売っているのは、カーテンだけだが、なんとか商売は成り立っている。従業員もおらず、わたしひとりがなにもかもをこなす、文字通りの個人商店だが、三十のとき店を始めて以来、いつしか二十年近くがたった」。ひとりカーテンに向き合う彼女に、町のはずれにある屋敷の主人から注文が入ります。そして出かけていった屋敷で、不思議な甘い誘惑に満ちた体験をします。その後、彼女はここに入り浸りになり、家もどうなったかわからなくなります。

二話とも、最後はまるで安部公房の「砂の女」みたいに、この世から消滅してしまいます。怪奇と幻想の間で揺れる生理感覚、欲望、嫉妬を巧みに表現していきます。

個人的に好きなのは「花火」。小さな文房具店を細々とやっている年老いた両親と娘。店にはほとんど客が来ず、開店休業状態。人生に何の楽しみがあるのかわからないように、ひたすら黙って暮らす親に少しでも楽しいことをと計画した娘は、花火大会に連れ出します。そこで、娘はかつて愛した男性に再会します。が、これとて幻想。風のように消え去ります。

最後はこんな文章で締めくくられます。

「あれから三人は、隅田川の花火に行っていない。相変わらず、何一つイベントのない地味な暮らしだが、みんな静かに暮らしている」

人生を楽しむのとは真逆の言葉です。映画なら、茶の間で黙々とご飯を口にする三人をとらえながらカメラが後退し、ジ・エンドですね。何故だか、とても心に残る作品だと思います。

「野うさぎ」という短編に、こんな文章がありました。

「日常は、死へと続くゆるやかな灰色の道。ゆっくり下りながら、たんたんと暮らしていく。」

収録された六つの物語すべてに当てはまる言葉です。

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「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子の新作「春のこわいもの」(新潮社/新刊1760円)。この作家、私には「乳と卵」からあまり合わない作家でした。そのせいでそんなに期待していなかったのですが、これは超お勧め!の小説です。

六つの短編で構成されていて、コロナがパンデミックを起こす直前の東京が舞台です。寝たきりのベッドで人生を振り返る老女、深夜の学校に忍び込む男女高校生、親友を密かに、しかも長い間裏切り続けた新進小説家、美容オタクの女性などが体験する、ある意味”地獄”のような世界。希望が約束される展開ではありませんが、どの短編ものめり込んでいきます。一日三編、二日で読了してしまいした。

突如襲ってきた感染症で、繁栄の絶頂にあった東京が終息に向かっていくような状況。 ヒタヒタと自分に近づいてくる孤独。そしてそこで戸惑う人々の生活が描かれています。 本を開けると大島弓子の「バナナブレッドのプディング」が使われています。

「ねえ転入生 なぜいつもそう 雰囲気が深刻なんです まるで世界がきょうでおしまいみたいに」

「きょうはあしたの前日だから……..だからこわくてしかたないんですわ」

この幕開きからすでに不穏な気分を持たざるを得ません。今日を生きる不安が、明日へのさらなる不安を生む。その地獄。

本書の最後を飾る「娘について」で、同級生杏奈の母親から娘の親友だと太鼓判を押されたよしえは、お互いが成長して大人になっても、悟られることなく杏奈を裏切り続けます。薄暗くどす黒い感情に取り込まれてゆく様をこう表現します。

「憂鬱だった。靴下の中で足先は痛みを感じるほど冷たくなっていた。春の夜から春の要素だけが消滅し、得体の知れないその残り滓が、冷気とともに部屋に積もっていくようだった。今は足首のあたり。じきに膝の高さまで来て、つぎに腹、そして胸を圧迫し、わたしは何もないこの部屋に埋め立てられて、身動きがでくなくなるだろう。」

これが悪夢なら、目が覚めたら忘れられるのに。しかし、ここに登場する男も女もその悪夢のような現実に絡め取られ、もがき、なすすべもなく生きてゆく。

凄い文学でした。

ユニークな警察小説を読みました。古野まほろ「女警」(角川文庫/古書400円)です。派手なアクションシーンもなく、追っかけあいもなし。それどころか犯人逮捕のシーンさえありません。

「凪いだ、夜だった。すなわち、強盗もひったくりもなければ、まさか殺人もない。警察署の当直をうんざりさせる、首吊りなどの変死事案すらない。」

都会とは違い、何も起きそうもない地方都市が舞台です。

23歳の女性巡査が、同じ交番勤務の警部補を射殺し、そのまま逃走と書けば、もう謎が謎を呼ぶ大サスペンス展開となるはずなのですが、全くそんな展開にはなりません。世間にバレれば大スキャンダル間違いなしの事件を担当するのは、この警察署始まって初の女性監察官姫川警視。実務一年目で交番勤務をしていたこの女性巡査の仕事ぶり、性格などを知るために関係者と会い、会話を交わして物語は進んで行きます。男社会の極みたいな警察は、セクハラ、パワハラの巣窟かもしれません。そこを突いてくる小説です。

書評家の青木千恵は解説でズバリこう書いています。

「男社会で働く女性たちの、声にならない葛藤を描いた警察小説である。元警察官僚の著者、古野まほろさんによる、警察内部の『詳細なディテール』にまず目を見張る。巨大な警察組織の内側を垣間見られるのは面白いし、熟知する古野さんだから創り上げられた物語だと思う。」

そうなんです、著者は警察庁I種警察官として交番、警察署、警察本部等で勤務した人です。実際に見てきた女性警察官の「生きづらさ」が、この物語に色濃く反映されています。

23歳の女性巡査は、自ら拳銃で頭を撃って死亡した姿で発見されます。その後、警察上層部は、強引な幕引きを図りますが、姫川はそこに疑問を感じ、関係者とじっくりと話し合いを重ねていきます。だから、殆ど彼女と関係者の会話だけで進んでいきます。舞台でやったら、緊張感のあるドラマになりそうです。

そして、明らかにされる真相。女性巡査と警部補の関係の本当の姿を知ることになるのですが、この辺りの描写は、サスペンス小説の醍醐味です。

青木千恵は「ジェンダー(性差)とセックス(性)に焦点を当てた警察小説であることが、本書の一番の特色だ。」と述べていますが、フツーの警察小説とは全く違う展開がユニークです。

 

 

 

 

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2010年、三島由紀夫賞を受賞した「こちらあみ子」を読んだのが、私の今村夏子初体験でした。日常生活のユーモアを拾いながら、そこから外れてゆく不穏なものをぼんやりと描き出す世界が面白いと思っていました。

本日ご紹介するのは、短編集「父と私の桜尾通り商店街」(角川書店/古書800円)です。六つの短編が収録されています。平凡な日常の描写から始まって、それが二転三転してゆき、それまで見つめていた風景の色合いが、ゆっくりと変容してゆく様子を目の当たりにすることになります。読後感はザラザラして、どこか不安な気分が残ります。(私はそこが好きなのですが)

「白いセーター」は、義理の姉から、少しの間預かってくれと頼まれた子供とのトラブルにゾッとするお話。

次の「ルルちゃん」は、人材派遣会社に勤める私が持っている「るるちゃん」という人形をめぐる物語です。人形の元の持ち主の安田さんの病的な性格が吐出して、これは怖いかも。安田さんはいい人だけれど、その狂気が最後まで気になります。

「母は近所のスーパーで惣菜を買ってきて食べ、弟は母の買ってきた冷凍のたこ焼きや冷凍ピザなどを食べ、わたしは気が向いた時に納豆や魚肉ソーセージなどを冷蔵庫から出して食べる。米を炊く以外は、我が家の人間は誰も料理しない。」という「私」の生活も、現代ならありそうな情景だが、家族の孤独が伝わってきます。

次の「ひょうたんの精」はチアリーディングにいる二人の学生の奇妙なお話で、え?これホラーなの?と思わせますが、なんかちょっと笑ってしまいました。

「せとのママの誕生日」は最も印象深い小説です。鄙びたバーにかつて勤めていたホステスたちがママの誕生日に集まります。老婆になっていて、いくら起こしても起きないママを囲んで彼女たちが語る、この店でのグロテスクでシュールな過去。強烈な個性を持っていたママが凄いのですが、最後まで起きないママの姿にゾッとさせられて、これ、映画化したら面白い。

「モグラハウスの扉」は、途中まで学童保育のみっこ先生のいい感じのお話なのですが、最後に全く常識はずれの行動に突っ走る彼女の不気味さが残ります。

本のタイトルにもなっている「父と私の桜尾通り商店街」。パン屋を営む父と娘のいい話で終わるのかなと思わせておいて、えっ!という結末で読者を翻弄します。

ぞわぞわ、もやもやした気分を持ったまま、知らぬ間にちょっとズレた登場人物と同じ世界の住人となってしまう。今村文学の本質を楽しむ短編です。

 

 

池澤夏樹編集で発行された「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」は、とてもユニークな文学全集で、古典を現代の人気作家たちが翻訳していました。全30巻だいたい読みましたが、まだ手をつけていないのが、角田光代翻訳の「源氏物語」(全3巻)と古川日出男翻訳の「平家物語」です。

古川版「平家物語」はアニメ化され、深夜TV、Netflix等の配信サービスで放映していて、キャラクター原案は高野文子というのも話題になっています。

そして、外伝的な「平家物語犬王の巻」(河出文庫/古書500円)が文庫化されました。古川的疾走感抜群の物語です!

ここに登場する少年は二人。友魚と、彼より若い犬王です。共通点はどちらも身体的ハンディキャップがあること。友魚は盲目、犬王は奇形の顔と体を持っています。二人は、片や琵琶法師として、片や能楽師として世間に向かってゆきます。

解説で池澤が「小説はプロットだと人は思っている。あるいは登場人物。時代や社会。しかし、小説は文芸なのだ。だからまずは文体。

この『平家物語犬王の巻』の文章はどのページを開いてもわかるとおり、速い。センテンスが短く、改行が多く、形容に凝らない。ぱきぱきと進む。たぶん口承文芸のスタイルなのだろう。」

べんべんべんと鳴り響く琵琶の音色に重なる謳いか、あるいは超技巧派のギタリストのロックサウンドか、聴きどころ、いや読みどころ満載の小説です。

醜い者、不浄の者として虐げられてきた二人が、独自の平家物語を創作して、芸能の世界へ打ってでるエンタメです。そして本年夏には、アニメ映画化が決定。キャラクター原案は松本大洋です。

物語の中で多用される体言止めが、さらに文体に力をつけ、私たちを引っ張ってゆきます。池澤は、形容詞、副詞、修飾語句を多用する政治家の言葉に対して、「これに対抗し、これを撲滅するのが文芸に携わる者の責務である。一国の文芸を支えているのは作家であり、詩人であり、動詞という太い柱に支えれれた彼らの文章である。」

「犬王は、生きた、おお生きのびた!犬王は、這った、ずるずると床を這い、おお地面を這い、おお、おお、立った!」グイグイと迫ってきます。古川版「平家物語」も、挑戦してみようという気になります。

ちなみに犬王は実在の人物で、観阿弥と同時期に活躍した近江能楽日吉座の大夫で、観阿弥・世阿弥と人気を二分しました。

 

 

 

2020年「破局」で芥川賞を受賞した遠野遥が、昨年出した「教育」(河出書房新社/古書1200円)は、帯に「ハレンチ✖️超能力✖️ディストピア」となんだかよくわからない組み合わせの単語が並んでいます。”勝てば進級、負ければ落第して地獄へと向かう”とんでもない規律に縛られた学校が舞台の長編小説です。不穏で、不安定な読後感。他の人の感想を聴きたくなります。

外部からの情報を一切遮断した学校。ここで生徒達は、特殊な能力を引き上げる訓練に勤しんでいます。成績向上のために学校が推奨するのは、一日三回以上のオーガニズム、つまり性的絶頂に達することです。そのため、寮内でのセックス、ポルノビデオ鑑賞が堂々と毎日行われています。学校の規則に従わず能力の向上が見受けられない生徒は「補習」と称して連れ去られます。

これだけで、もういいやと思われる方も多いはず。私もそうでした。「この学校では、一日三回以上オーガニズムに達すると成績が上がりやすいとされて」と帯に書かれていたので、無視していました。が、読んだ人の話を聞いたり書評を読んで、ひょっとしたら新しい文学体験ができるかもと、思い切ってチャレンジ!

ズバリ、面白い物語でした。学校名もなく、どんな組織かも全くわからない校内で、真面目に進級を目指す「私」も極めて変な存在です。いたるところに監視カメラがあり、学生達の様子は巡回者と呼ばれる暴力的人物によって監視されています。オーウェルが反理想郷的な世界を描いた「1984」を思い出します。

「二回射精し、体は心地いい疲労に包まれていた。セックスの前に自慰するのは不適当だから、今日はまだ自慰をしていない。一日三回オーガニズムに達する必要があるから、部屋に戻ってあと一回射精しないといけない」

と、規律に従う「私」が、自由に目覚め新しい世界へと飛び出すのかと思いきや、真面目に学び?、進級するところで物語は幕を閉じます。

誰も救われないし、誰も変わらないお話。本筋とは無関係な挿話がいくつも登場したりして、読み手が今どこにいるのかわからない状態になるのですが、ずるずると引きずられていく快感に抵抗できなくなります。物語中に催眠部という部活動で催眠をかけられる「私」が出てきますが、私たちも同じように催眠をかけられ、彷徨い、そしてハイ!という術師の声で現世に戻ってくる、そんな読書でした。

ぜひ、読後感をお聞かせください!!

 

 

久々にウェルメイドな小説を読みました。吉田修一「ミス・サンシャイン」(文藝春秋/新刊1760円)は、ある映画女優の老年期を描いた長編小説です。

日本初の肉体派女優として売り出し、黒澤明の「羅生門」で国際的評価を受けた銀幕のスター、京マチ子を彷彿とさせる「和楽京子」という女優が主人公。親しい人の間では本名の「鈴さん」と呼ばれています。彼女に映画関係の資料整理のアルバイトに雇われた大学院生岡田一心君との交流を描いていきます。

「一心は表紙に使われている和楽京子の写真をまじまじと見つめた。女豹という形容があるが、このモノクロ写真に写っている彼女は、豊満な肉体に黒い下着で、今にも噛みついてきそうな表情でこちらを睨みつけている。」

一心は、その美しい肉体を武器にして、映画界を登り詰めてゆく映画人生に驚きながら、今、目の前にいる静かに佇む老いた彼女に惹かれていきます。

彼には、ひょんなことから付き合い始めた恋人がいます。しかし、前の恋人が忘れられない彼女との関係に苦しみ、どうしていいのかわからなくなってきます。そんな時、その痛みを優しく溶かしてくれたのは鈴さんでした。え?恋?ドキマキする一心。

物語は、老女と彼女を慕う若い男の関係を描きながら、鈴さんが長い間ずっと抱えて来た暗闇へと向かっていきます。終戦の年、彼女は故郷の長崎で、親友と一緒に被爆しました。実はその親友こそ女優になるべき人だと鈴さんは信じていたくらい、美しい人でした。ところが、そんなに重い状態ではなかった親友が原爆症で亡くなり、一方、鈴さんは時代の潮流に乗り、女優になってその後の人生が大きく変わっていきます。

後半、映画女優の過去の物語から、被爆死した親友の物語へと小説は色彩を変えていきます。

「鈴さんの哀しみが深く伝わって来ました。」と、吉永小百合が推薦の言葉を書いています。最後まで巧みな文章で、読者を離しません。余韻の残るいい物語です。

こんないい文章がありました。一心が鈴さんに、映画とテレビと舞台の中で一番好きなものはと問いかけた時の答えです。

「そりゃ、映画よ。映画が一番好き。いい映画の脚本にはさ、誰かの失敗した人生が書かれてあったのよ。必死に生きて、失敗した人の人生」

 

日本の植物学者の元祖とも言える牧野富太郎の生涯を描いた小説が、朝井まかて著「ボタニカ」(祥伝社/新刊1980円)です。総ページ数494ページ。1862年土佐に生まれて、1957年92歳で亡くなるまでの生涯を、彼の植物学の貢献を縦軸に、天文学的借金に追いまくられた家庭生活を横軸に描き切った大作です。

ただひたすらに植物を愛して、採集、研究、分類に明け暮れる毎日。名家に生まれ後継者として期待されるも、子供の時から山に分け入り、草花の声に耳を傾けることだけに集中し、家業はほったらかし。上京して多くの図鑑やら研究機械を買い込み、結局家業が傾いてしまうのですが、本人は「なんとかなるろう」と猛進し続けます。

「名ぁだけやない。なんで草は季節になったら土を割って芽ぇ出して、そうと思いよったらたちまち葉っぱを開いてつぼみをつけるがか。花はなにゆえこうもいろいろな色や形をしちゅうがか、わしは知りたい。」

これが、彼の原動力になっているのです。アカデミックな場所で、先生について学んだわけではなく、「野山と書物が師じゃと思うてやって来ました。」と語っています。

牧野の著作をご覧になった方はご存知だと思いますが、彼の植物画は万人が認める見事なものです。

「誰に教えられるとものう写生してきた。しいて言えば、本草書や洋書、博物図の絵が先生じゃったかな。ま、わしはなんでも独学じゃ」

日本全国駆け巡り、大量に植物採取。保管場所に自宅を使うものだから、もう家中植物だらけ。経済観念はない人だから、家計のやりくりは大変。膨れ上がる借金、夜逃げ同然に引っ越し。よくもまぁ、こんな男に妻の壽衛さんは添い遂げたものだと感心します。

新種を発見、自費で書物を刊行(印刷機械まで買い込んで、家業に大きな影響を与えてしまう)。やがて大学の研究室への出入りを認められて研究に精を出すも、硬直した大学のアカデミニズムのために、突然出入り禁止に。

「学位の有無などどうでもよいと思って生きてきたのだ。学者は学問だけが値打ちであって、学位や称号などいくらぶら下げても何の意味もない。裸一貫でよい。野山を巡って、その仕事が世間に認められれば一人前の学者ではないか。田舎の中学校の教師でも立派な学者はいくらでもいる。アカデミニズムなんて糞くらえだ。」こんな人物の生涯が面白くないわけがない!牧野の躍動感に虜になりますよ。

いい文章に出会いました。

「百年後に役たつか、二百年後か。いや、いったい、いつ役に立つか判然とせぬものを大切に見つめて考えて、この世に残していくのかが学問というものです。」

すぐに実社会に役立つ学問を重視する文部行政者に、読ませたい一冊です。

蛇足ながら、来年の朝の連続ドラマの主役は牧野らしいです。

年頭からこんな傑作を読めるなんて、今年の読書体験も期待大!

第11回アガサ・クリスティー賞を、圧倒的支持で獲得した逢坂冬馬のデビュー作「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房/古書1400円)は、第二次世界大戦下、最前線に狙撃兵として送り込まれた少女セラフィマの苦闘を描いた長編小説です。

従軍した女性たちの人生に焦点をあてた作品といえば、ベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ「戦争は女の顔をしていない」が有名で、小梅けいによって全2巻で漫画化されました。これは多くの女性兵士たちへのインタビューが基本になったノンフィクションですが、「同志少女よ、敵を撃て」は、ナチスに故郷の村を焼かれ、皆殺しにされたセラフィマが、狙撃部隊に入り、燃え上がる憎しみで危険な最前線に向かう物語です。

しかし、桐野夏生がいうように「これは武勇伝ではない。狙撃兵となった少女が何かを喪い、何かを得る物語である」のです。デビュー作とは思えない描写力で、緊迫感と狙撃兵になった少女たちの友情などを巧みに交差させながら、血なまぐさい戦線を経験していきます。

戦場とは何か。それは「人間を悪魔にする性質」を持った場所です。そこでセラフィマは、憎きドイツ兵を倒すことが正義であり、敵兵に蹂躙されてきた同胞の女性たちを救うことになるという思いで、スコープを覗き、敵兵を倒してゆくのですが、本当の敵は実は他にいたのです。

全480ページの物語後半、本のタイトルになった「同志少女よ、敵を撃て」という言葉が登場します。その時、セラフィマが引き金を引いた相手は?憎むべき戦争犯罪、虐げられ辱められる女性の本当の敵とは?

物語の最後がとても感動的です。最初に書いた「戦争は女の顔をしていない」のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが、戦争を生き延びた彼女の元に、話を聞きたいと訪問してきます。

「セラフィマが戦争から学び取ったことは、八百メートル向こうの敵を撃つ技術でも、戦場であらわになる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。命の意味だった。失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。

学んだことがあるならば、ただこの率直な事実、それだけを学んだ。もしそれ以外を得たと言いたがる者がいるならば、その者を信頼できないとも思えた。」

戦争を、戦場を、暗闇に葬るされてきた戦争犯罪をあぶり出しながら、エンタメ小説としての面白さも別格の小説でした。次回作も期待します!

 

わたくし贔屓のお下品な関西弁の男たちが活躍する小説を連発する作家、黒川博行の「熔果」(新潮社/古書1400円)。史上最悪の元刑事コンビが爆走するクライム・サスペンスです。

白昼堂々5億円にものぼる金塊強奪事件が起こる。その金塊をかっぱろうと動き出したのが、刑事を懲戒免職された伊達と、事件の捜査中に負傷して退職した堀内の二人です。この伊達という人物が、もう武闘派路はかく人物という設定で、殴る、蹴る、脅かす、とやりたい放題です。

「チャラけたことぬかすなよ」「落とし前、つけんかい」「どういう落とし前や」「あほんだら。治療費と慰謝料と立ち退き料じゃ」

なんて台詞がバンバン飛び交います。(こういう会話を気持ちよく聞いているのは私ぐらいか……)

こういう小説を黒川は量産してきましたが、本作はグンとグレードアップ。特にこの二人が金塊を巡って大阪から淡路島、九州湯布院、小倉からさらに名古屋まで日本列島を縦断してゆく描写は、アメリカ映画によく登場する男二人が旅する物語になっています。アクションもさることながら、国内を移動してゆく描写がとても印象的でした。

もう一つ面白いのは、武闘派の伊達が恐妻家だという設定です。物語に直接登場はしませんが、「うちの嫁に知られたら…..」という台詞を口にします。「刑事コロンボ」で「うちのカミさんが」というのと似ていますよね。

笑ったのは、これってやすしきよしの漫才じゃんと思ったやりとりです。

殴り込んで腕を怪我した伊達が、治療のための飲み薬を切らした時の、堀内との会話です。

「よめさんは知ってんのか」

「あほいうな。よめはんに知られたら、腕をつかんでベランダからブン投げられる」

「いっぺん投げられたらどうや」

「死ぬな。うちは四階や」

金塊を追っかけるプロセスより、道中のこんな会話を楽しめるのが好きです。

いずれ黒田の長編小説は、江戸時代に出た弥次郎兵衛と喜多八が活躍する十返舎一九の「東海道中膝栗毛」のような滑稽本みたいになるんじゃないかな。

●須藤一成さんの写真展から始まり、今年も多くの作家の皆様にギャラリーを飾っていただきました。本当にありがとうございました。

残念ながらコロナ感染拡大の影響で、止むを得ず中止になった方々もおられました。また機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。一方、2月のルチャ・リブロさんはじめ本の関係の展示も多く、本好きの方々に喜んでいただきました。来年も少しでも良い時間を持っていただけるような店でありたいと思います。どうか良いお年をお迎えください。(店長&女房)

 

 

⭐︎本年も当店をご利用いただきありがとうございました 。年内の営業は本日まで。新年は5日(水)より平常営業(13時〜19時)いたします。来年もよろしくお願いいたします。

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