「彼はファーストネームを平成(ひとなり)という。この国が平成に改元された日に生まれたいう安易な命名なのだが、結果的にその名前は彼の人生に大きく貢献することになった。彼は『平成くん』と呼ばれることで、まるで『平成』という時代を象徴する人物のようにメディアから扱われ始めた」

というのは、古市憲寿著「平成くん、さようなら」(文藝春秋/古書900円)の滑り出しです。平成くんは、原発で働く若者たちの聞き取りをした地味な卒業論文が、2011年という年だったことでメディアの目に止まり、出版されて一躍注目された若者。その若者と同棲している彼女の日常を描いた小説です。

ある日、平成くんは「安楽死を考えている」と彼女に伝えます。え?何故安楽死?という彼女の疑問を巡る物語です。

「僕はもう、終わった人間だと思うんだ」

と彼がそう思ったのは何故なのかをなかなか理解できずに、不安と焦燥が繰り返しやってきます。

「すべての人は例外なく死ぬ。その時期が ちょっと早まることに大騒ぎしないでよ」と平成くんはマイペースです。この小説に悲壮感はありません。

「平成くんの今日の予定は?」 「15時から新潮社で打ち合わせがあって、その後は木下さんとの会食だよ」と、深刻な問題があるとは思えないいたってフツーのカップルの会話で進んでいきます。

悩んだ彼女は、平成くんの友達に相談するのですが、「僕自身、死ぬことの何が悪いのか全くわからないのです。それに平成が死んでも、彼が残した本当の対話はいつまでもできるし」などと言いだす始末。

この二人の部屋にはミライという名前の老猫が同居していました。その猫が末期症状になった時、彼は動物病院で安楽死をさせます。しかし、その場に立ち会えなかった彼女は「ミライは喋れないでしょ。本当はもっと生きたかったかも知れないじゃない」と罵るのですが、その後、「じやあ平成くんは、自分で死にたがっているのだから、いつ死ぬのも自由ということなのか。自分の発した言葉で頭がこんがらがりそうになる。」というジレンマに陥るのです。

小説はどう終わるのか、興味津々でしたが、成る程こうするか!と唸るエンディングでした。そこには、様々な情報機器に囲まれて生きている私たちの時代における死が、見事に描かれていました。

著者の古市憲寿は社会学者で、「絶望の国の幸福な若者たち」、「保育園義務教育化」といった現代日本を考察した本を出しています。そして、小説第一作の本作は、芥川賞候補になりました。

お知らせ 

6月より、営業日・時間を下記のようにさせていただきます。

月曜、火曜定休 水曜日から日曜日まで 13時〜19時に変更いたします。また、ギャラリーの企画展は6月下旬からのスタートを予定しています。度々の変更でご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします。

通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。(info@book-laetitia.mond.jp)


 

コロナウイルス蔓延のために時短営業しているので、家にいる時間が長く、長編小説を一気に読むことができます。おかげで440ページもあるラーラ・プレスコット著「あの本は読まれているか」(東京創元社/古書1500円)も四日で読めました。エンタメ小説としても文学としても、これ程面白い作品にはなかなか出会えません。

小説のタイトルになっている「あの本」とは、ロシアの文豪パステルナークの「ドクトルジバゴ」です。原作より、デビッド・リーン監督の映画作品でご記憶の方が多いかもしれません。1950年代後半に発表された本は、ソ連において反体制的描写で発禁処分となり、密かに国外に持ち出されます。57年にイタリアで刊行され、パステルナークは翌年のノーベル文学賞の受賞が決定します。が、ソビエト共産党、ソ連作家同盟の反対で受賞辞退に追い込まれます。

ロシアでの出版禁止に目をつけたアメリカCIAが、原本を入手してロシア語に翻訳し、密かにソビエトの人々に手渡して、自国の言論統制や迫害を知らせ、社会体制を揺さぶるという「ドクトル・ジバゴ作戦」を実施しました。2014年、機密書類だった作戦の報告書が公開され、その事実を元に組み上げられたのが「あの本は読まれているか」で、著者のデビュー作です。

パステルナークの愛人オリガと、CIAタイピストの女性たちの中から本の受け渡しのスパイに仕立て上げられるイリーナの二人を軸に、物語は1949年から1961年までの二つの大国エゴイズムの中で、熾烈な生き方を選択してゆく彼女たちの姿を描いていきます。派手な撃ち合いやら、サスペンスは皆無です。作家はひたすら、登場する多くの人物たちの日々を詳細に描きこみ、この時代を生きた人たちのリアルな姿を浮かび上がらせていきます。CIAが舞台の割には、男性スパイは、ほとんど登場しません。むしろCIAに勤務するタイピスト部門の女性たちが主役です。

「わたしたちの大部分は独身で仕事をしており、この選択は何度も繰り返し両親に言って聞かせなければならなかったが、確固とした信念ではなかった。確かに、親はわたしたちが大学を卒業した時は喜んでいた。けれど、赤ちゃんを産む事なく仕事ばかりしている一年がすぎていくたび、娘が独り身であることや湿地に造られた都会で暮らしていることに不安を募らせるようになっていった。」

そういう時代を生きた女性たちを、著者は徹底的に書き込んでいきます。そして、「ドクトルジバゴ」のヒロイン、ラーラのモデルとなった愛人イーラの壮絶な人生が、よりいっそう詳細な描写で迫ってきます。そのあたりが単なるスパイものではなく、人生の深い闇を浮き彫りにした文学作品になっている所以でしょう。読み終わった時の満足感は、とてつもなく大きなものでした。

野心的な映画人、例えばニコール・キッドマンあたりが映画化権を買い取って、ベテラン、中堅、新人に至るまで女優をかたぱっしから引っ張り出して映画にしそうな気がします。いや、ぜひそうして欲しいものです。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、営業日、時間を下記のようにさせていただきます。

営業日:毎週 火曜日、木曜日、土曜日 営業時間:13時〜17時

通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。通常営業再開はHPにて告知いたします。(info@book-laetitia.mond.jp)


 今年、話題になった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は、韓国の格差社会を描ききっていましたが、キム・へジン著「中央駅」(彩流社/古書1100円)を読むと、あの映画はまだ天国だったかと思うほど凄まじいものがあります。絶望のみが存在する社会の底辺を生きる男の物語なので、小説を読んで幸せになりたい方にはお勧めできません。

「これがどん底だと思っているでしょ。違うよ。底なんてない。底まで来たと思った瞬間、さらに下へと転げ落ちるの……..」

主人公は「俺」という一人称で語られる若い男です。彼が寝る場所を求めて駅にやって来るところから始まります。そこは、行き場のないホームレスの溜まり場です。小説は最初から最後まで現在形です。つまり、過去もなければ、未来もありません。凄まじい現実だけが容赦なく目の前に引きずり出されます。

「俺はぬるい水をすすりながら時間をやり過ごす。時間は、一滴ずつ、とてもゆっくり落ちる雫のようだ。地面に敷かれたタイルの数を数え、タイルの目地に詰まったホコリを観察し、壁にかかった案内板を読む。できることなら、誰かに俺の時間の一部を切り取って売ってやりたい」

無為に生きる彼の前に、一人の女が現れます。彼の唯一の財産とでも言えるキャリーケースを、女にパクられます。なんとか女を探して、取り返そうとした彼でしたが、この女と関係を持って しまいます。

「女と俺は互いに選んだわけではない。俺たちを引き合わせたのは路上の生活であり、駅舎内に淀む時間だ。」

家もなく、路上をフラフラするだけの二人が体を重ねるシーンは、生理的に受け付けられない人もいると思います。絶望、暴力、無力だけが二人を覆い尽くすのです。

「女は目を閉じて俺を強く抱きしめる。なんとか行為に集中しようとするが、真っ黒い建物の影や路面に散らばった空き缶、しわくちゃの紙やタバコの吸殻のせいで心が傷つく。丸裸の体だけが残された愛は、本当はこんなおぞましい姿だったのかもしれない」

傷つき、傷つけ、地べたを這いずりまわり、悪臭と汚物にまみれた俺と女の道行を小説は延々と描いていきます。そんな本よく読むなぁ〜と思われそうですが、何故か、ページをどんどんどんとめくりたくなるのです。小説の熱量が、こちらを麻痺させ危うくしているのかもしれません。

著者のキム・へジンは、1983年生まれの女性作家です。2013年、本作で「第五回中央長編文学賞」を受賞して、韓国文学の次世代を引っ張る作家として注目されています。ちょっと目が離せません。

 

★レティシア書房連休のお知らせ  勝手ながら4月13日(月・定休日)14日(火)臨時休業いたします。

 

 

小川洋子の「約束された移動」(河出書房新社/古書1100円)は、人が、モノが移動することをモチーフにした作品を中心に、6篇の物語が詰まっています。ますます、磨きがかかってきたなぁ〜とため息をつくばかりの傑作集だと思います。

タイトルになっている「約束された移動」で、動くのは本です。主人公は大きなホテルに勤務する客室係りの女性。このホテルのロイヤルスイートの部屋には千冊にも及ぶ本が置かれています。

「そこには千冊を超える本がお行儀よく出番を待っていた。その前に立つたび、私は思わず手を止め、うっとりと背表紙を眺めた」

その時間をヒロインはこよなく愛していました。この部屋に人気上昇中の俳優Bが宿泊し始めました。Bが、本棚から一冊本を抜き出していることを彼女は発見します。

「ちょうど一年後、再びB が宿泊した時に消えたのは、コンラッドの『闇の奥』だった。はっきりした理由は自分でも説明できないままに、書棚を見る前から、きっと今度も本が持ち去られているだろうという予感がしていた。」

彼女は、他の人にわからないように、本棚を整理して、Bが持ち去った本を本屋で買い、家で読み始めます。彼が宿泊する度に一冊の本が消えていき、彼女は、そこあった本を買い求めるということが日課へとなっていきます。本を通して、彼女とBの関係のあるような、ないような時間が流れていきます。タブッキ「インド夜想曲」、シリトー「長距離ランナーの孤独」、テグジュベリ「夜間飛行」、グレーアム「たのしい川べ」………。Bはなぜ一冊だけ持ち去るのか?本好き、映画好きにはワクワクする展開です。

この作品集の巧みなところは、「移動」をダイレクトに表現していないとことです。本名ではなく「ママの大叔父さんのお嫁さんの弟が養子に行った先の末の妹」という長すぎる続き柄で呼ばれていた女性のことを語った「元迷子係の黒目」は、百貨店で迷子係りとして働いていた彼女が、店内を移動すること、家で飼っている熱帯魚の泳ぎが重なってモチーフとなっています。

6篇の中でも、上手い!と感心したのは「黒羊はどこへ」です。ひょんなことから、黒い羊のいる託児所の園長になった女性と子供たちの交流を描いた物語ですが、小川洋子が初期の頃に持っていた不気味で、幻想的な世界がここにはあります。ラスト、亡くなった園長の葬儀で人々が喪服に身を包んで行進するシーンあたりから、事実なのかそれとも幻想なのかわからないようなエンディングへと向かうところなどは、彼女の真骨頂ではないかと、思っています。

オススメです。

本年度の林芙美子文学賞を受賞した小暮夕紀子の「タイガー理髪店心中」(朝日新聞出版/古書1200円)には、唸りました。人間の奥の奥に潜む様々な情念を見せつけられました。

主人公は、のどかな田舎町で理髪店を経営する老夫婦です。「駅からだとナビを設定してもらうほどの距離でもなく、かといって目立つものはなんにもない、言いようもなく地味に徹した住宅街だった。」という場所に、タイガー理髪店はあります。80歳を過ぎた寅雄と寧子の老夫婦が、町内のお馴染みさんだけを相手に理髪業を営んでいます。

特別に何も起こらない、ゆっくりした時間が流れる毎日です。しかし、妻に老いが忍び寄ってきます。極端な物忘れ、そして徘徊。実は夫婦には息子がいたのですが、14歳の時不慮の事故で失くしていました。その事実が、妻の心の奥で重石になっていました。夜中に息子が死んだ場所へと飛び出す妻の顔には、夫が見たこともないような殺気と空虚な表情が漂っていました。そして、嵐の夜、飛び出した妻を追って出かけた夫は、倒れている妻を発見します。意識がありません。激しい雨に濡れてゆく身体。このままでは死ぬ。その時、夫の心に去来した気持ちを著者はこんな言葉で表現しています。

「これでお互いの老々介護は終わるのだな、寅雄はぼんやりした頭でそんなことを思った。楽になる。そうだ楽になる。」

でも、著者はそんな楽をさせません。ラスト、ゾッとするシーンで物語は幕を閉じていきます。

この本には、もう一作「残暑のゆくえ」が入っていて、これもいい作品で、こちらで賞が取れたのではないかと思ったぐらいです。

今は、定食屋の女将になっている日出代は、母と一緒に戦火の満州から引き揚げてきた少女時代の暗い歴史があります。夫の須賀夫も、大陸から引き揚げてきた人物ですが、何も語らず、でも妻へのやさしさだけは残しています。物語後半で、満州時代の日出代と母の間にあったこと、そしてやはり大陸で軍務についていた夫がやったことを彼女は知ることになります。ここで語られていることは、おそらく事実に基づいたことでしょう。悲しいというような言葉では表現できない悲惨で重苦しい戦場の出来事です。

けれど、この小説が優れているのは、その事実を知った後の日出代が立ち直ってゆくところです。

「ほらやっぱり、自分のことは自分でこしらえるしかないでしょ」

そんな言葉を口にして、いつもの女将の生活へと戻っていきます。その逞しさ。

「もう……….戦争には、行きとうない。」そんなセリフをふと口に出す須賀夫と共に、残りの人生を生きてゆく彼女の姿が印象的な小説でした。戦争で受けたキズがどれほど深いかを、そこから立ち直ってゆく人の重みを描いた優れた小説です。

この作家、全く知りませんでしたが、これからフォローしていきたいと思います。

 

★2/5(水)〜2/16(日) 恒例となりました女性店主による『冬の古本市』を開催します。今年も神戸・大阪・岐阜・東京・御殿場・京都などの女性店主の選書です。ぜひお立ち寄りください

★古本市準備のため2/3(月)〜4 (火)連休いたします。


 

黒川創の400数ページにわたる長編小説「岩場の上から」(新潮社/古書1300円)は、傑作中の傑作と言っても過言ではありません。

黒川は京都出身。鶴見俊輔に誘われ、「思想の科学」編集委員として評論活動を開始。99年「若冲の目」で小説家デビューしました.。2009年「カモメの日」で読売文学賞受賞と小説家として順調に滑り出しました。伊藤若冲を描いた「若冲の目」と、毎日出版文化賞受賞作品「京都」が、私のお気に入りでしたが本作はそれらを凌駕する小説でした。

時は2045年。北関東にある小さな町「院加」に、核燃料処分場が地下深くに建設されるという噂が流れます。物語はそんな町にふらりとやってきた少年シンと様々な影を抱えて生きる人々の関わりを通して、「戦後100年」の視点で日本の現在の政治的状況と、危機迫る未来を描いていきます。と言っても、これはサスペンス小説でもSFでもありません。確かに、現政府を奥で操っている”総統”と呼ばれる人物が存在したり、「戦争には行きたくない、家に戻りたい」という思いだけで中東へ派兵の決定していた兵士200人が、原子力発電所に籠城するという描写もありますが。

ひたすら戦争へと向かう国を象徴的に前面に押し出しながら、そんな時代をどこにでもある町でどんな風に人が生きてきたか、その日常をリアルに描いていきます。妻を亡くした不動産屋、駆け落ちした男女、ボクサーへの道を断たれ軍隊に入隊した男とその妹、夫が出て行った後、町に残って八百屋を切り盛りする妻などが登場します。さらに、首相官邸への住居侵入罪で服役中のシンの母親が登場してきます。彼らが入れ替わり立ち代り登場し、ほんの少し先の我が国を見せてくれます。

ところで、小説に登場する総統はもともとは我が国の首相でした。その人物のことがこう書かれていました。

「現役首相だったころ、あの人物は、未成熟な印象ばかりが強かった。答弁なんか聞いても、ひたすら機械的、表層的で、相手がどう出てきても、結局『断固やります』か、『いいえ、やるつもりはありません』か、切り口上 で終わってしまう。まちがっても、互いの発言がかみあって、やりとりが成り立つということはない。あれは、たぶん、子どものときからのものだったんだろう。」

これって誰かに似てますね。ということは、こいつが日本を戦争へと導くのかと思うととても近未来のお話とは思えません。

★レティシア書房年始年末のお休み 12月29日(日)〜1月6日(月)

新年は1月7日(火)から通常営業いたします。ギャラリーは「本づくりへの願い 版木とともに」(by法蔵館)です。よろしくお願いいたします。

 

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海外文学の面白いところを取り上げる無料のミニプレス「BOOK MARK」の15号が入りました。特集は「Be  short!」と書かれているように、短編小説の特集です。このセレクション見事です。欧米や非英語圏の文学から、刺激的な短編集が15作品選ばれています。

以前ブログでも書いたピョン・ヘヨン「モンスーン」(白水社/古書1600円)も、取り上げられていました。翻訳した姜信子さんが、「不穏です。9つの短編に、9つの日常から洩れでる、9つの密かな叫びがこだましているんです」と解説していますが、まさにそんな物語が詰まっています。

台湾フェミニズム作家リー・アンの短編集「海峡を渡る幽霊」(白水社/古書1800円)は、以前から在庫していた本です。この作家の長編を読んだ記憶があります。人々を締め付ける土俗的風習や情念を、とある殺人事件を通して描く「夫殺し」。凄まじい暴力を振るう夫も、それを容認する人々も、実は極めて孤独な存在だったという視点で語られていました。緻密な執筆力は、この短編集でも生かされています。本作で全ての物語に貫かれているのが、中国語で「鬼」と呼ばれるお化けです。お化けが象徴するものが何かを探してください。

さて、とても刺激的な海外文学を入荷しました。アティーク・ラヒーミーの「悲しみを聴く石」(白水社/古書1550円)です。植物状態で戦争から戻ってきた夫と彼を看病する妻を描いているのですが、回復の見込みのない夫に向かって、妻は自らの罪深い秘密を語り出します。

「透き通った皮膚の下には、静脈が、ぼろぼろの身体から張り出した骨に、窒息しそうなミミズのように絡まっている。左の手首には自動巻の時計、薬指には金の結婚指輪。右ひじの裏側には、カテーテルの針が刺され、頭上の壁につるされたプラスチック製のバッグから、色のない液体がしたたり落ちている。」

滑り出しから緊張感と、奇妙な静謐感に交互に押し寄せてくる長編です。

著者は、アフガニスタン出身の作家であり、映像作家です。アフガニスタン紛争の最中にフランスに亡命し、映画学を学びドキュメンタリー作品を制作。1999年、故国の現状を描いた小説「灰と土」を発表して、後に自ら映画化もしています。

 

10/6のブログでご紹介した「Ank:a mirroring ape」(講談社文庫500円)の佐藤究が、第62回江戸川乱歩賞を受賞した「QJKJQ」(講談社文庫/古書350円)を読みました。いやぁ〜また驚かされました。悪寒、恐怖、不安といった感情がさざ波のように打ち寄せる小説ですが、読み終わって、誠に感動いたしました。物語の真髄に当たる部分や構成には、それはちょっとなぁ〜というところもあるのですが、読者を引っ張る力たるや、エンタメ小説や純文学といったジャンル関係なく、ダントツでした。

物語は、猟奇殺人一家に生まれた女子高生の亜李亜のお話です。父は血を抜いて殺し、母は撲殺、兄は噛みついて失血させ、亜李亜はナイフで刺し殺すという、皆それぞれの殺人手法を持った一家です。と書くと、スプラッタ映画みたいに血みどろ残虐シーンの連続!と思い、もうそれだけでパスの方もおられるかもしれません。しかし、そんな場面は案外少ないのです、これが。

「犯罪者で、猟奇趣味で、死刑宣告を受けるのにふさわしい。それが現実だ。けれどもこうして家があって、理解ある恐ろしい家族がいて、絶望せずに生きていける。」と亜李亜は平和な(?)毎日に馴染んでいます。

ある日、亜李亜は部屋で兄の惨殺死体を発見します。翌日には、今度は母がいなくなります。亜李亜は疑いの眼を父親に向けます。対立してゆく父娘。ナイフの刃を父親に向けるという方向に、物語が進んでゆくのかと思うと、ここから亜李亜自身が、自分って何?、とアイデンティティーを探して、自分の過去を知るために街に飛び出していきます。そして彼女の成長物語へと転じていきます。

「人殺しとは何ですか。そう訊かかれば、わたしはこう答える。それは現実です。」

私は人殺しだ、それがわたしの現実だ。しかし、彼女がそれが自分だと思っていたものが、残酷なまでに打ち砕かれて、人格崩壊の一歩前までいってしまいます。

「わたしは自分の考えに震えている。それを打ち消そうとする。心の底の凄まじい痛みは、声にならない悲鳴に変わる。頭の中で絶叫する。ふと、スタッグナイフで手首を切ろうかなと思う。自分を保つために、狂気を証明する理性を保つために。」

生半可な自分探しのお話など吹っ飛ぶ、凄まじい現実に読者は付き合わされます。後半になると、フロイトやラカンの書物、脳科学の理論などが登場して、人は何故他者を殺すのかという哲学的命題へと突入していきます。果てしない迷走の末に、亜李亜が知った過去とグロテスクな国家の倫理。

「殺人者の脳というブラックボックスをこじ開ける。その成果は、まさに人類学的な資産だ。つまり、殺人を犯した直後の人間を捕まえて、脳を調べるんだよ。弁護士もなく、人権もない。」

そんな事を国がやるわけないと思っている方、日本陸軍が中国で行なった人体実験のことを思い出していただきたい。国家は平気でやるんですよ。

そして、「それは地獄の足音だ。永遠に沈んだはずの、地獄そのものだ。」で始まる血の修羅場…….。物語は、私の予想を完璧に打ち壊して幕を降ろします。

救いはあるのか?

エピローグで亜李亜の取った行動を知って、私たちは胸をなでおろします。地獄から戻ってきた少女の生還に拍手を。

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1972年ソウル生まれのピョン・ヘヨンの短編集「モンスーン」(白水社/古書1600円)は、どの短編も極めて面白いのですが、深い孤独感、緊張と不安を強いられるので、そういうの苦手だな〜と思われる方は、スルーしてください。

タイトルになっている「モンスーン」は、郊外の団地に住み、関係が冷え切り、会話が全く意味をなさない夫婦のお話です。なぜ、冷え切っているのか。それは二人が別々に外出した時に、亡くなった子供のせいです。夫婦のこれからに幸せは見当たらず、暗澹たる日常が繰り返されてゆく姿を描いた作品です

個人的には、この作品よりも他の作品群にひかれました。

上司から中身のわからない袋を渡されて、辺境の町まで運ぶ二人の会社員の、意味を見出せない移動を描いた「観光バスに乗られますか」。地方に派遣され、担当する業務の内容、意味もわからずに同じ作業をする社員の姿を通して、自分の存在が無のループに陥る「ウサギの墓」。

身重の妻を伴って、都市から地方支社へと移動してきた夫が味わう日常の不条理な争い、理不尽な行動に飛び出す夫を、遠くから見つめるように淡々と描いた「散策」。大学の複写・製本室に務めて、判で押したような、コピーのごとき日々を描いた「同一の食卓」。都心への引越しを決め、先に荷物を送った夫婦と子供の遭遇する過酷な一夜と、いつまでもたどり着けない新居への苛立ちを描く「クリーム色のソファの部屋」。

突然失踪したカンヅメ工場の工場長の、全く人間味のないような人間模様を描く「カンヅメ工場」。花屋を営む男の元へ恩師が死にそうだという電話が入り、花束を持って向かった先で、恩師が死ぬのを延々待ち続ける理不尽な状況に陥る男を枝いた「夜の求愛」。そして、大きな屋敷に住む一家の息子とその友達の関係を、冷たく描いた「少年易老」。得体のしれない世界が、突き刺さってきます。

翻訳を担当した姜信子は「ピョン・ヘヨンの作品はひそかにじんわり恐ろしい。」と書いています。この怖さは、恐怖小説やオカルト映画の恐怖とは全く違います。私たち自身が知っていて、どこにでもある、しかしそこを踏み越えたらもう戻れないという、日常に潜む不条理、延々と続く闇を見せつけられます。

脱出不能なループの罠に取り込まれる小説の面白さが堪能できる作品です。この罠の魅力には抗えない。

 

 

佐藤究の「Ank a mirroring ape」(講談社文庫/古書500円)には、ただただ脱帽致しました。

どんなお話かといえば、2026年京都市内各地で暴動が起き、人種国籍を超えて目の前の他人を誰彼構わず襲い始めます。あぁ〜、よくある架空のウィルスか、テロリストの仕業の類の活劇モノやね、と軽く流したアナタ!痛い目に合いますよ。

違うんです、これが。ウイルスでもなく、汚染物質でもなく、テロでもない。原因は一匹のチンパンジーなのです。はは〜ん、それじゃそいつが黴菌を撒き散らすヤツか…….それも違います。

チンパンジーが発する警戒音が、惨劇の原因なのです。嵐山渡月橋を疾走し、銀閣寺を走り抜け、京都御所に立て籠もるAnkと名付けられたチンパンジー。彼が通り抜けた場所にいた人々は、突然、暴徒と化し、お互いに殺し合いを始めるのです。毎朝、我が家の犬の散歩でお世話になっている御所は、もう血だらけの悲惨な場へと変貌します。

警察小説で人気作家の今野敏が、解説でこう書いています。「『Ank』は、私にとって衝撃だった。どれくらい衝撃だったかというと、読後、小説家を辞めてしまおうかと思ったぐらいだった。」

彼はこの文章の後に、それは冗談ではなく、もう自分の出る幕はないとまで書き記しています。トップクラスの作家にそこまで言わせるぐらい、この小説はスケールも内容も深い作品です。決して、荒唐無稽なだけの小説ではありません。

「自己鏡像認識こそが、われわれの意識を変化させる。鏡を見る自分をさらに見るーこのことによって、これは自分だ、これは自分ではない、という神経のフィードバックが起こる。これが脳を活性化させ、より内省的な意識を生み、抽象的なイメージを描くことを可能にする。イメージは共感を生み、ある対象を別の対象に置き換える比喩を生み、ついには言語を生み出すに至る。」

この認識ができるのは、チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オラウータン、そして人類だけ。本作のベースにあるのは「自己鏡像認識」です。DNAの塩基配列やら、自己認識やら、類人猿の話がポンポン飛び出してくると、私なんぞ???でしたが、物語の面白さに押されて読み切りました。

主人公は亀岡に巨大な霊長類研究所を設置して、その研究を仕切る鈴木望。彼が見た真実の、恐ろしく、しかも深遠な姿。

「十月二十六日の夜が明けると、京都府警右京署の混乱はさらにひどくなった。鳴り続ける電話。増え続ける死傷者。」後半、小説は一気に加速度をあげて、混乱する京都市内の姿を描いていきます。なんせ、私にとってはリアルに知っている通りやら場所が登場するので、恐怖感も一入です。

でも、Ankと鈴木が、濁流と化した鴨川に四条大橋から飛び込むシーンでは、もう泣けて、泣けて……….。

なんでこの物語の場所を京都に設定したのか、その答えは「中京区。西桐院通りと油小路通に挟まれた場所に猩々町という町がある」という鈴木の言葉にあります。「猩々」とは、古い言葉で、オラウンターンを意味する言葉だったのです。さらにいえばチンパンジーを「黒猩々」と、かつての日本人は呼んでいたそうです。

吉川英治文学新人賞、大藪春彦賞、ダブル受賞だけのことはあります。