1973年「アメリカングラフティ」という映画が封切られました。高校卒業の一夜の大騒ぎを描いた青春映画なのですが、ラスト、その高校生の一人の現在を伝えるテロップが流れます。「ベトナム戦争に出征して行方不明になった」と。

明るい未来が待っているはずが、ベトナム戦争で暗転してしまいます。それと同じような、いやもっと悲惨かもしれない10代の若者の姿を描いたのが「mid90sミッドナインティーズ」です。

舞台は1990年代のL.A。兄の突発的な暴力に恐れ、シングルマザーの母にも反発している十三歳のスティービーは、サーフボードショップにたむろする少年グループの仲間に入ります。大人への反抗的態度、酒やタバコの不良的な雰囲気にスティービーは憧れます。そしてリーダー格のレイのスケボーのテクニックを見て、スケボーに夢中になっていきます。彼にはそこだけが輝いていて、彼らといる時だけ生きている実感を味わえるのです。

けれど、この少年たちもそれぞれに深い事情を抱え込んでいます。映画は4人の少年グループとスティービーの、出口のない青春を描いていきます。90年代半ばに十三歳だったジョナ・ヒル監督は、16ミリフィルムを駆使して、あの時代の空気を巧みに作り上げていきます。

監督は暴力を振るう兄にも、心の中に傷を抱え込んでいて、決して弟が嫌悪だけの存在ではないことも描いています。交通事故を起こして入院したスティービーの元へ来た兄が、黙ってジュースを渡すシーンは、兄弟のお互いの感情が交差してゆく優れた場面です。

2001年、同時多発テロが起こり、その後アメリカの権力者は、狂ったように戦争にのめり込んでいきます。そして、また多くの若者が戦場に駆り出されます。お金もない、学歴もない、この映画に登場する少年たちも、やむなく戦場に行ったかもしれません。映画は彼らの未来に関しては一言もいいませんが、観終わった後、彼らの前にどんな人生が待ち受けているのかを考えると辛いです。それがこの大国のリアルな姿なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリスの作家、パトリック・ネスの原作「怪物はささやく」は、所謂ヤングアダルト向けの小説ですが、大人が読んでも感動します。

その小説を映画化した「怪物はささやく」は、一言で言って、人を幸せにしてくれる映画でした。観た後、ゆっくりと満ち足りた気分にさせてくれる映画でした。今年は「メッセージ」、「シーモア先生の人生相談」そして「怪物はささやく」など、幸運なことにそんな映画にたくさん出会えました。

少年が大人への一歩を踏み出し、様々なことを知るという、文章にしてしまうと実にシンプルなお話ですが、美しい映像と、主人公の少年を演じたルイス・マクドゥーガルの見事な演技力と、適切なCG技術が重なり合って、上質のファンタジー映画となりました。

両親が離婚し、死期の迫っている病気の母親と暮らし、母の看病をするためにやってくるのは少年にとって苦手な祖母。学校へ行けば虐められ、殴られる毎日。そんなコナー少年は毎夜おなじ時刻にうなされます。そこへ、大木に手足のついた怪物が現われて、今から三つの話をする、その後で、お前は自分の話を語るのだと迫るのです。

怪物はおとぎ話の形をとりながら、人は単純な存在ではないこと、人生は複雑だということを語ります。その物語を聞きながら、コナーは、様々なことを体験していきます。母との別れ、虐めた少年への激しい暴力、祖母の部屋を滅茶苦茶に破壊してしまうなど、辛くて痛い世界の終わりのような悪夢のようなことばかり。

そして最後にコナーは、自分の胸に深くしまい込んだ真実の気持ちを怪物に語り始めます。人間は誰でも、複雑に絡んだ様々の感情を持っている、単純じゃない。善とか悪とか白黒はっきりつくものではないのです。母の回復を願いながら、母の死を予想している過酷な状況にピリオドを打ちたい自分を認め、愛している母にすがりつく。つまづきながら、傷つきながら、一歩前へ進むことができた少年の姿に、熱いものがこみ上げてきます。

ラストが素敵です。自分を見失い、彷徨っていたかにみえて、実は多くの人の愛情に守られていたんだという事に気づいたコナーが微笑むのです。

ベタな話かもしれませんが、ベタなところにこそ人生の真実は宿るのです。