何の美術展かは忘れましたが、恩地考四郎の版画が飾ってありました。その時点では、名前すら知りませんでしたが、前衛的で、強烈なインパクトがあったので、彼の名前は頭の中にインプットされました。

明治24年東京に生まれた恩地 孝四郎は、創作版画(複製を目的とせず、版画独特の手法を創作表現の方法として活かした版画)の先駆者であり、また日本の抽象絵画のイノベーターとして評価されている人物です。しかし、美術界の評価よりも、装幀家としての仕事が気になっていました。

それは、萩原朔太郎が大正6年に出した詩集「月に吠える」の装幀が彼だったからです。装幀家としての活動を知りたいなと思っていた時、池内紀著「恩地孝四郎一つの伝記」(4800円)に巡り会いました。本書は、筑摩書房が発行している小冊子「ちくま」に連載されていた「恩地孝四郎のこと」を加筆、訂正し、大幅な書き下ろしを加えた300ページに渡る大著で、図版65点に年表も加えた愛蔵版の評伝です。

「月に吠える」は恩地の装幀家として実質的な初仕事でした。友人、萩原のために素敵な装幀を施した詩集を送り出します。この詩集の装幀に関して、池内は面白い事実を指摘しています。

「正確にいうと恩地孝四郎装幀の『月に吠える』は二つある。初版刊行後五年してアルスより第二版を出すにあたり、大きく改められた。初版がより強く友人の作品と思いをつたえるためであったとすると、再販はおのずからちがっていた。こちらは何よりも、装幀者の意向をこめて手を加えた。」(右の写真は初版の方です)

恩地自身は版画家としてより装幀家として見られることを嫌っており、これは生活のためだと割り切っていたようですが、その一方、1952年に出版した「本の美術」で「本は文明の旗だ。その旗は当然美しくあらねばならない」と書いています。本であるならば、美しくあらねばならないという装幀家の矜持を語っているところをみると、真剣に取り組んでいたのだと思います。

詩人、北原白秋の弟、北原鉄雄が大量部数の粗悪な出版物(なんか、今の出版状況みたいです)に異議を唱えて立ち上げた出版社アルス。より美しい本を少数部数で発行するこの出版社の本の装幀を、恩地は手掛けました。北原白秋「白秋小唄集」、室尾犀星「性に目覚める頃」、三木露風「象徴詩集」などがその一例です。

池内は、「孝四郎と一出版社との幸運な出会いが、わが国の装本の歴史に優雅な一章をつくりだした。」と書いています。残念ながらアルス社の本は、そう簡単にお目にかかりませんが、どこかの美術館で「恩地孝四郎装本展」が開催されることを期待します。

ちなみにご紹介した「恩地孝四郎一つの伝記」は、本好きには支持される、渋い本を出版する幻戯書房から出版されました。定価6264円と高価な本ですが、その内容の濃さは価格を超えていると思います。中身も綺麗で、あんまり古書では出ない本かもしれませんね。

2002年、作家の辺見じゅんが設立した出版社、幻戯書房は、日本文学を愛する人にとっては、渋いけれども、愛すべき本を出版しています。串田孫一、久世光彦、常盤新平、野坂昭如、小島信夫、北園克衛等々、放っとけない作家の本を刊行しています。

今回、その中でも人気の高い二人の作家の作品が入荷しました。一点は、上林暁「ツェッペリン飛行船と黙想」(2800円)です。これは、新たに発見された、上林の初期から晩年に至る未発表原稿を含む、上林全集未収録125編を一冊にまとめ上げた作品です。

本のタイトル「ツェッペリン飛行船と黙想」は、昭和4年、世界一周の旅の途中に日本に立ち寄った巨大な飛行船ツェッペリン号の偉容にインスパイアされて書かれた詩です。上林と言えば、私小説の第一人者ですが、この詩を目にすると、えっ?と思いたくなるような自由な詩です。或は、しょっちゅう使用する赤電話を「あの赤い色がまたいい。目立って、可愛い」なんてチャーミングな表現をしている事にもへぇ〜と、上林への興味がさらに湧いてきます。

もう一人は木山捷平です。岡山出身の詩人であり、小説家、特に短編小説に優れたものを多く書いた小説家です。二冊出版されていて、一冊は「暢気な電報」(2800円)、もう一冊は「行列の尻っ尾」(2800円)です。前者は戦後、様々な雑誌に発表した短篇で、単行本としても、全集にも収録されなかったものばかりです。後者は、未刊行の随筆89編を集めたものです。個人的には、木山は随筆の名手だと思っています。特に、お酒にからむ話は面白い。「酒のめば楽し」というエッセイでは、お酒の飲めない昭和天皇を茶化しまくっています。大酒飲みの天皇という設定で、べろべろの天皇が、時の総理大臣東条英機と架空の対談をするのですが、抱腹絶倒です。

或は、還暦を目前にして、もうここまで来れば、儲けもの。後の人生はオマケみたいなものと考え、

「人生なんてそんなにおもしろいところでもなかったというのが私の六十年の実感だが、行きの汽車で見なかったところが相当沢山あるので、帰りの汽車では勲章を胸にぶらさげて、ゆっくり見物することにしよう。」

と締めくくっています。

さらに、同社は2012年、小林信彦50周年記念出版×幻戯書房10周年企画として小林信彦の「四重奏カルテット」(1400円)も出版しました。60年代、翻訳推理小説雑誌が盛り上がった頃を背景とした中編小説を集めた傑作です。 

 

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