「歩道橋の魔術師」(白水社/古書900円)以来、私は、呉明益にハマってしまいました。日本で出版される本を次から、次へと読んで、4冊目の「眠りの航路」(白水社/新刊2310円)もつい最近読了しました。相変わらず面白い小説ですが、どなたにもオススメできるかといえば、「?」ですね。まるで魔術にでもかかったような、世界を漂うような物語です。

作者自身と思わせる、現代を生きるフリーライターの「ぼく」が、第二次世界大戦中、日本統治下にあった台湾で日本名「三郎」を名乗らされていた「ぼく」の父親の戦争体験と、戦後を父親として生き、その後行方不明になるまでを描いていきます。

著者は、主人公が極端な睡眠障害に陥っていて、そこで父の夢を見て、彼の人生を追体験してゆくというスタイルで物語を進めて行きます。戦時中、日本軍は労働力不足を補うために台湾の少年たちを徴収し、日本に連れてきました。三郎もそんな少年の一人でした。そこで、彼は日本軍のために劣悪な環境で働かされます。その描写はリアルなのですが、夢の中で「ぼく」が追体験している描写でもあります。断片的な夢の中には、日本上空で撃墜されたパイロットが、上野動物園の檻に入れられ見物客に見せられていること、あるいは0戦生みの親、堀越二郎のことなどが登場します。

リアリズム一辺倒の戦時下の物語ではなく進行してゆくので、読んでいて肩が凝らない物語になっています。なんか、三郎少年の世界を、夢で見ているような世界です。

戦後、父は台湾に帰国し、ラジオ修理の腕で商売を始め、「歩道橋の魔術師」にも登場する台北の中華商場という商店街で店を構え、台湾の高度経済成長に伴って繁栄していきます。しかし、時代の変化で商店街が取り壊されて、父は失踪します。その原因も判明しないまま、物語は終わります。

著者はあとがきでこう述べています。

「この小説は歴史を描いているわけではなく、そうでない何かを描いているのだ。小説が完成したその瞬間、私はぼんやりとではあるが、それが何であるのかわかったような気がした。」

私はこれを描きたかったとズバリ言い切らないで、呉明益は読者に、そのぼっ〜とした何かを委ねているのかもしれません。改行も少ない300ページ余にもなる大作ですが、著者に運ばれて、あっちへフラフラ、こっちへフラフラという感覚を味わせてもらいました。

ところで小説の中に、東大法学部の学生で、知識があり、台湾の少年たちに親切だった平岡という人物が登場します。これは後の三島由紀夫のことです。実際に三島はこの工場で働いていたそうです。

 

 

 

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桝谷優著「北大阪線」(編集工房ノア/古書900円)は、大阪の質屋で働く少年と質屋の家族、そこに来る人々の姿を描いた小説です。タイトルになっている「北大阪線」を始め、「聖天通りの界隈」「愛国少年」の三つの小説が収録されていますが、登場人物や物語の背景は一緒です。三作品を通して、質屋に働く少年が、徴兵されて戦地へ送られるまでが丹念に描きこまれています。

作家の杉浦明平は帯で「いたく感動しました。戦前昭和十年代の戦争に入る大阪の『いわゆる庶民』生活が、こんなにピッタリ描かれた小説はありません」と絶賛しています。

確かに、大阪の庶民の暮らしが生き生きと描写されていて、飛び交う関西弁も気持ちよう響いてきます。とんでもないものを質屋に持ち込む客と主人との対応は、上方落語を聞いているような楽しさです。

しかしその一方で、小説は戦争が近づいてくることを暗示します。「贅沢品の製造販売を制限する禁止令が出た。七・七の奢侈禁止令」が発布されて、毎日の生活が暗くなっていきます。「北大阪線」の最後は、日本海軍によるハワイ奇襲を伝えるラジオ放送を聞いた少年の心の描写で終わります。

「勝てるか。ぼくは昨夜布団の中で大きな粗相をしたように焦る。煤煙のかたまりを呑み込んだように、腹の中で黒々した不安が渦巻く。それが暗い海を漂う軍艦の形になってくる。」

「聖天通りの界隈」では、戦争が拡大し、様々な軍事教練が庶民にも課されていきます。でも、どこか悲壮感のないおとぼけ風味があるのは、関西弁で語られているからでしょうか。この物語は、山本五十六連合艦隊司令官の戦死の知らせが駆け巡るところで終わります。

最後の「愛国少年」は、主人公が徴用されて軍需工場で働くところから始まります。戦争は全く終結の兆しが見えず生活は苦しくなってくるのですが、工場で働く人や、町内会長に任命された質屋の言動が、平気で反政府的言動を繰り返しているのが面白い。実際はきっとこんな感じだったのだと思います。

「やめとけ。わるいことは言わん。九十九パーセントまで死ぬんや。お国のためでも死に急ぐことはない。人生には良いこと仰山あるぞ。この戦争終わってみよ外国の女選りどり見どり。死んだら一巻の終わり」予科練に行こうとする少年に、海外から引き上げてきた人が言う言葉です。

しかし、「新聞は日々華々しい活字をつらねて、重苦しい断面を曝している。負け相撲の痩せ四股のような。鉄環がギリギリ緊ってきて、ぼくの意識はかえって高揚してきた。」と言うハイな状態で少年は戦地へと向かいます。二度と、この地に戻ってくることはないことを覚悟しながら。

物語のいちばん最後は「北大阪線さようなら」です……..。

●夏季休業のお知らせ  勝手ながら8月9日(月)〜17日(火)お休みいたします

私が出演するZOOMミーティング「フライデーブックナイト」の第1回が、今月20日に決定しました。ご興味のある方は下記アドレスまで

https://ccacademy.stores.jp/items/60fd4e1bbc1e6422b5501a4b

2003年、アメリカを中心にした連合軍がイラクに侵攻。連日猛爆撃を行いました。その時、イラクの文化的中心都市バスラにあった図書館に勤務するアリアという女性が、爆撃から約3万冊の本を守りました。図書館は爆撃で破壊されましたが、アリアのおかげで、本は無事でした。アリアも戦火をくぐり抜けて生きています。

このアリアの活躍を描いた絵本が、ジャネット・ウインターの「バスラの図書館員」(晶文社/古書900円)です。戦争が近づいていることを察知した彼女は、政府に本を安全のため移動するように頼みましたが、却下されました。そこで彼女が取った行動を、こんな風に絵本は語ります。

「アリアさんは、みずから行動をおこすことにしました。毎晩毎晩、図書館が閉まったあとに、アリアさんは、図書館の本を自分の車にはこびいれました。」

爆撃が激しくなり、図書館にいた人たちも逃げ出しました。彼女は友人に残りの本を運び出す手伝いを要請し、図書館の隣にある彼のレストランに本を運び込んだのです。やがて、爆撃は終わります。

しかし、

「やっと戦争というけだものは、町をでてゆきました。町が静かになっても、アリアさんは安心しませんでした。もし、本が無事だとわかったら、戦争というけだものは、きっと町にもどってきます」

その後、避難させた本を自宅と友人の家に分散させたのです。

今なお、中東には平和は訪れていません。でも、彼女はいつか平和が来ると信じて、本とともにその日を待っているのです。奇跡のような物語ですが、事実です。絵本化したジャネット・ウインターは、画家ジョージア・オキーフの生涯を絵本にした「私。ジョージア」で知られる人です。その時に翻訳のタッグを組んだ詩人の長田弘が、今回も担当しています。

2003年、NYタイムズとのインタビューでアリアさんは、言いました。

「コーランのなかで、神が、最初にムハンマドに言ったことは、『読みなさい』ということでした」と。

(注)ムハンマドは570年頃 生まれのイスラム教の開祖で、軍事指導者、政治家。

 

 

戦場で傷つけた左目に、真っ黒のアイパッチを付け、ウォッカロックを飲みながら、タバコスパスパで戦場を渡り歩く女性ジャーナリストの生涯を描いた「プライベイト・ウォー」を観に行きました。

英国サンデー・タイムズ紙の特派員として、世界中の戦地に赴き、レバノン内戦や湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争などを取材してきた女性記者、メリー・コルヴィン。スリランカ内戦で左目を失明し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、黒の眼帯をトレードマークに世界を駆け巡りますが、2012年、シリアで砲撃を受けて命を落としました。

地獄のような戦場を再現しながら、映画は、世界にその姿を知らせようとした彼女を、決して英雄として描いていません。私たちは、なぜ殺し合いをするのかという永遠の命題を突きつけてきます。そして、子供、女性、一般市民が虐殺される様を見つめていきます。決して後味のいい映画ではありませんが、たとえ、宗教上の問題や、国境の問題などがあるにせよ、私たちは戦争をしてはいけないのだと改めて認識させてくれる映画でした。監督は「ラッカは静かに虐殺されている」で、シリアの悲劇をドキュメンタリー映画として制作したマシュー・ハイネマン。今度はドラマで戦争の悲惨さを描き出しました。

もう一人、戦争をしてはいけないことを最後まで言い続けた映画人がいます。菅原文太です。坂本俊夫著「おてんとうさんに申し訳ない」(現代書館/古書1400円)という彼の自伝の最後「文太の思い」という章に詳しく書かれています。

彼は、俳優として忙しい日々を送っていた頃から、少しずつ社会との関わりを深めていきます。日本の食料自給率を考えると、これからは農業こそ最も重要な産業にしていかねばという意識が、彼を農業生産法人会社「おひさまファーム竜土自然農園」を2009年に山梨県に設立させ、有機無農薬農業へと向かわせます。2011年の東日本大震災以降は、反原発、脱原発を推進する活動を始め、ドナルド・キーン、瀬戸内寂聴、赤川次郎らと「自然エネルギー推進会議」の発起人になります。

そして、戦争中の悲惨な体験が風化されてゆく現状に対して、こう発言しています。

「いまの総理大臣こそが『戦争は、誰が、どんな理由で起こそうとも間違っている』と言わなければならない。『日本は二度と戦争をしない。手助けであろうが絶対にしてはいけない』と率先して示さなければいかんのに、いま逆の現象が起きている」

戦争経験者ならではの、昨今の危機感の表れです。彼は、行動で示すために沖縄辺野古へと向かい、基地反対闘争を支援し、沖縄知事選の応援役も買って出ます。沖縄出身ではないのに、ここまで行動する根底には「やっぱり日本人として恥ずかしい気持ちがあるんですよ。いいかげん、何らかの決着をつけなきゃいけないのに、何も変わらない」という思いがあったからです。

この本は、文太の俳優人生を丸ごと描いているのですが、最後は役者としてではなく、社会と真剣に関わった一市民として亡くなった彼の姿で終わります。彼の思いを、私たちみんながそれぞれの立場で、繋いでゆくべきだと思います。

 

 


小林信彦が、みずからの集団疎開体験を描いた「冬の神話」(角川文庫800円)が入荷しました。昭和50年に発行された時のカバーの絵は金子國義。手元にあるのは51年の重版分ですが、金子のカバーで、この版を集めておられる方もおられるはず。やや表紙が汚れているのでこの価格です。

小林はあとがきで、かつての疎開児学童たちが、疎開地を再訪し、現地の人たちとあの時代の思い出を語りあう、という美談風のハートウォーミングな記事について、不快感を滲ませてこう書いています。

「いまや中年太りした『疎開学童』たちと『純朴な』農民たちとの交歓を称える新聞の文章は、疎開学童を『ヨイコ』と猫撫で声で呼んだ戦争中の新聞記事と奇妙に似通ったところがある。現代史の空白部分といわれる集団疎開の真実は、これら偽善的な記事の向こう側に塗り込められたままになっている。」

体験した疎開先での出来事を元に、小林は、慢性的食料不足による飢餓感、周囲から隔絶した閉鎖的空間が生む歪んだ人間関係、それが誘発する暴力、窃盗、リンチ等々、とても”ハートウォーミング”などという言葉では片付けられない世界を描いています。これは、兵隊こそ登場しませんが、戦争を描いた傑作です。

戦後を生きる元刑務官が、東京裁判で裁かれた囚人たちが収容される「巣鴨プリズン収容所」勤務時代を回想する、吉村昭「プリズンの満月」(新潮社700円)も、戦場を描くことなく、戦争に翻弄される男たちの姿をリアルに描いています。小説は現代からスタートします。収容所があった場所に建つ巨大ビル群。そのビルの管理会社に勤務する男が、退職の日、かつて、ここにあった収容所を忘れない為に建てられた戦犯の碑の前に立ったところから、時代は昭和25年の時代へと一気に戻っていきます。そこからドキュメンタリータッチで、収容所を管理する米軍との軋轢、囚人との亀裂等が描かれていきます。巣鴨プリズンを主役にした小説ってこれぐらいじゃないでしょうか。

もう一人、とんでもない戦争体験を、自らの作品に色濃く投影しているのが島尾敏雄です。終戦直前に特攻命令を受け、まさに死に行く直前、敗戦が決定したという体験を持つ彼が描いたのが「出発は遂に訪れず」です。この小説については「戦争はどのように語られてきたか」(朝日新聞社600円)という鼎談集のなかで、高橋源一郎が文芸評論家川村湊、近代日本史が専門の成田龍一と「戦後の戦争文学を読む」という章で取り上げていますので、こちらをお読み下さい。

「遂に最後の日が来たことを知らされて、こころにもからだにも死装束をまとったが、発進の合図がいっこうにかからぬままに足ぶみしていたから、近づいて来た死は、はたとその歩みを止めた」

と島尾は小説の中に書いています。それが、どんな心理状態であったのか、私たちには想像を絶します。

京都シネマで上映中の「マン・ダウン」という映画を観てきました。

アフガニスタンに派遣された、海兵隊の兵士の帰国後が描かれているのですが、彼のホームタウンが廃墟と化して、愛する子どもと妻が行方不明。彼らを探す物語かと思ったら、全く違っていました。実験精神溢れる映画でした。

物語が多重に進行していきます。廃墟に立つ兵士のシーン、海兵隊に入り戦地へ赴くシーン、戦地での上官の彼に対する査問シーン、そして、パトロールに出かけた先で起こった彼が体験したシーンが、ほぼ同時に進行していきます。各シーンの画調を、巧みに変化させているところが監督の技です。

兵士には、小学校低学年の子どもと妻がいます。二人を残して、派遣された戦地でゲリラに襲われます。その時、銃撃してきた所を目がけて、滅茶苦茶に銃弾を放ちます。敵が隠れていたと思われる毛布を取り上げたら、なんとそこには、小さな子どもと母親が、血だらけで死んでいました。この事件と、さらに現場で死亡した親友の隠された過去を知ったことで、恐怖体験が彼の心に深い傷を与え、PTSDという精神疾患にかかってしまいます。

そして、帰国、しかし、何故か故郷は廃墟、人っ子一人いません。何故?という疑問などお構いなしに映画は進みます。

今まで、戦争で受けたPTSDに苦しむ兵士の姿は、多くの映画で描かれてきました。その殆どは、役者の身体表現で伝えられてきました。しかし、「マン・ダウン」は違います。この廃墟は、主人公の脳に植え付けられた世界なのです。現実の彼の故郷では、市民が普通に暮らしているのに、彼には、そこが終末を迎えたゴーストタウンにしか映りません。そして、ここで彼がやることは、行方不明の彼の息子(実際には息子は普通に日常生活を送っています)を探し出すことなのでした。

息子が、誘拐されて囚われの身となっていると思いこんだ彼は、助け出そうと激しい銃撃戦を展開します。しかし、それは息子を無理矢理連れ出そうとしている男の妻が、恐怖におののいて警察に連絡したからです。主人公にとっては、愛する子どものための闘いなのですが、実際は警察相手に撃ち合いをするという、凶暴な男でしかないのです。当然、ラストが幸せにクローズするわけないのはお分かりでしょう。

観客はPTSDに苛まれる世界を、彼と共に生きることを余儀なくされるという手法で、戦争の傷跡を追体験することになります。映画自体にやや強引さもありますが、前代未聞の表現方法です。

そして、ラスト、こんなテロップが流れます。

「戦地から帰還した兵士の5人に1人がPTSDに悩み、20万人以上がホームレスとなり、11人に1人が自殺未遂をしている」

戦争とは、かくも自国民を傷つけるということを「最強の空母を派遣した!」とか「潜水艦もいるぞ!」とか自慢げな大統領も、ミサイル撃つぞ!と息巻く主席も、一体ご存知なのだろうかと思ってしまいます。

映画館には、たった4人しかいませんでいたが、勿体ない、こんな映画があったなんて!(28日まで上映されています。)

 

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第一次世界大戦の最中、フランスとの激烈な戦闘を続いている西部戦線に若きドイツ兵が送られます。戦場が珍しく静かだったある朝、青年の前に一羽の蝶が飛んできます。塹壕からその蝶々を掴もうと手を出す青年。しかし、その瞬間、敵狙撃兵の弾丸がポールの若い命を吹き消してしまいます。

1929年ドイツの作家レ・マルクが発表した小説「西部戦線異状なし」のラストです。翌年アメリカで、映画化されました。ラストシーンは小説そのままの描き方で、覚えておられる方も多いと思います。

この優れた反戦小説と同じ様なラストを持っているのが、長谷川四郎の「鶴」です。

彼は昭和17年に召集され、満州国で兵役に就きます。そして翌20年、ソビエト国境付近の監視哨に配属され、ここでの体験をもとに、「鶴」を書きました。この地で経験した恐怖、孤独、絶望は、そのまま小説の主人公の心奥深くに入り込んでいきます。いつどこから銃弾が飛んでくるかもわからない状況下で、望遠鏡で国境線を監視する毎日。そんなある日、主人公は望遠鏡のスコープに一羽の鶴を捉えます。

「時々首を垂れて、餌をあさっており生きていることがわかった。それは非常に静かで、純潔で美しかった」

国境と関係なく生きている鶴は、自由の象徴だったかもしれません。しかし、上官の命令で望遠鏡を取りに監視哨に戻った時、ふと主人公は鶴のいた方に望遠鏡を向けます。

「日は明るく、哨舎の中は静かで、破れた天窓からは朝日が射し込んでいた。」

「西部戦線異状なし」と同じく、静謐な時間。鶴はいませんでした。しかし、黒い影が動いたと思った瞬間、「一発の弾丸が窓から入って来たのである。」そして、

「それは望遠鏡の軸にぶつかって、反転して私の胸にあたり、体内にもぐり込んだ。血が傷口から吹き出て望遠鏡を濡らした」

戦場で無意味に命が奪われてゆく、その瞬間の見事な描写です。「鶴」「脱走兵」「張徳義」などを網羅した「鶴」(講談社文芸文庫700円/絶版)は、戦争文学の古典的名著とも言えます。

蛇足ですが、個人的に長谷川四郎の作品で、「ぼくの伯父さん」(青土社1971年)が気になっています。中身も全く知りませんが、ジャック・タチの映画と同タイトルであるところがひっかかっているのです。

 

 

高浜寛「四谷区花園町」(竹書房650円)が入荷しました。

太平洋戦争前夜、新宿でエロ雑誌「性の扉」を編集している人々を描いたコミックです。主人公は至心と書いて「よしむね」と読む若きライター。前半は、この本の帯で、映画監督の行定勲が賞賛するように「青春漫画の王道だ!”エロ”はどんな時代にも生きる勇気を与えてくれる」タッチで話は進みます。そして、彼が娼婦上がりのアキチャンに出会い、一緒になるあたりまでは、ドタバタありのほんわか青春コミックなのです。

しかし、戦争へと突き進む国は、このご時世に不謹慎との理由で、雑誌を発禁処分にしてしまいます。編集長は地下に潜り、やはり非合法と見なされているアカ系印刷会社から出版すべきかと悩みます。そんな時、アキチャンが社会主義運動に加担した容疑で逮捕。ここから物語は大きく動き出します。

編集長は、妻と子供を守るため、寝返って戦争礼賛の戦艦雑誌を立ち上げ、多くの友を失い、一方、心至のもとには、召集令状が届きます。やがて、物語は悲しみのエンディングを迎えます。悲惨なのは、この編集長の人生でした。戦後、戦犯扱いされて消えていきます。

このコミックのステキなところは、戦時中の悲しい話に留まらないエピローグにあります。

時代は一気に現代にとんで、同じ「四谷区花園町」界隈で、バーを営むアキチャンの孫娘が登場します。そこで、編集長の人生を振り返りながら、こう呟きます。

「だーれも自分の未来なんか見えなかったんだよね。ただ目の前の小さな事に決断していくうちに気付けばそんな事になっている……。」

戦争へと世の中が進んでいく様を、見事に表現しているではありませんか。

行定勲が「映画にしたいと思った」と書いているのですが、それは、アキチャンの孫が、ボーイフレンドに祖母の最後を語る、このエピローグがあったからでしょう。もうそのまま映画用の絵コンテ使用で、行定が映画に、と思うのも当然でしょうね。なお、高山寛の傑作「イエローバックス」も近日入荷予定です。

 

 

 

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショーを予定しております。(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)

「ブラジルから来た少年」って映画をご存知ですか?

原作は、NYの現代魔女物語「ローズマリーの赤ちゃん」を書いたアイラ・レヴィンの小説。ヒトラーの遺伝子を使ってクローン再生を企むナチの残党と、ナチハンターの活躍を描いたサスペンスもので、グレゴリー・ペックとローレンス・オリビエというトップクラスの俳優が共演した大作でした。日本では劇場公開されませんでしたが、私は、TVで放映されたときに、偶然観ました。ラストのゾッとする少年の笑い声に背筋が寒くなりましたが、ビデオ化された時は、その部分が削除されていました。(今はどうなっているのかは知りませんが)

ナチズムの圧政に苦しんだヨーロッパでは、こんな荒唐無稽の話こそありませんが、ナチズムそのものを深く追求していった様々な映画、そして文学が存在します。ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」、リリアーナ・カヴァーニの「愛の嵐」などはその究極の作品かもしれません。

ドイツ占領下のパリで、反ナチの抵抗文学運動を起こし、「深夜業書」を発行したヴェルコールの「海の沈黙」(岩波現代業書500円)はその第一巻に掲載されました。47年映画化され、数年前に京都でもリマスター版が公開されたのを機に、観に行きました。ナチの将校を自宅に住まわせることになった家族が、最後まで、この将校と一言も話さないで無言の抵抗をする様を描いた力作です。監督のジャン=ピエール・メルヴィルは、弱冠30歳で、処女作としてこの抵抗文学の映像化に成功しました。

ナチス崩壊後、ファシズムに加担していた我が国の軍事政権も終りを迎えます。8月15日。多くの日本人が死んだ戦争は敗戦で幕を引きました。この時期になると、私は、必ずと言っていいほど一本の映画を観てしまいます。

岡本喜八監督「日本の一番長い日」です。

大宅壮一の原作をベースに、ポツダム宣言受諾から玉音放送が流れるまでの24時間を力強く描いた力作です。ファナステッィクに戦争継続、本土決戦を叫ぶ若手陸軍将校の叛乱を軸にして、いかにして戦争終結へと向かったが理解できる映画でした。ポツダム宣言受諾のための複雑な政治的プロセスを、緻密に描いてある唯一の作品ではないでしょうか。

 

ただ忘れてならないのは、ここで戦争終結に向かってギリギリの交渉を続ける政治家、軍人は、元々戦争を起こした張本人であって、美化されてはいけないという事です。多くの日本人を無駄死にさせた責任は、永遠に消えるものではありません。

その事を踏まえ、この夏公開される「日本の一番長い日」を観に行くつもりです。監督は、大好きな「クライマーズ・ハイ」の原田眞人なんで、これは行かなくちゃね。

美化されていないことを祈ります。

史上最悪の政治家だったヒットラーですが、唯一、「素敵な」遺産がありました。それは、彼のプロパガンダのために開催されたベルリンオリンピック(1936年)です。オリンピック自体というより、これを撮影した二本の記録映画「美の祭典」「民族の祭典」ですが。

競技のドキュメントに新たに撮影されたフィルム、練習時に撮影したもの等を挿入して、アスリートに限り無く近づく撮影方法は、今日のスポーツドキュメントに大きな影響を与えました。今なら「やらせだ!」と言われそうですが、ぎりぎりの撮影機材、フィルム、予算でこれだけの高度な映像をつくり上げた手腕は大いに評価されるべきです。

監督したのはレニ・リーフェンシュタールです。彼女はナチスに入隊していないと主張しましたが、ヒットラーのプロパガンダに加担したとして糾弾され続けました。その辺りのことは、「レニ・リーフェンシュタール芸術と政治のはざまに」(リブロ900円)に詳しく書かれています。裏表紙にはヒットラーと並んでいる写真が載っていますが、関係があったと言われても仕方ないかもしれません。

そのヒットラーの生涯を水木しげるが描いた「劇画ヒットラー」(ちくま文庫300円)を入荷しました。幼少時代から、自決するまでを水木史観で描いた伝記漫画です。本の中の第15章の扉絵が象徴的です。馬上のジャンヌ・ダルクをそのまま流用してフランス国旗の代わりに、ナチスの旗を持ったヒットラーが描かれています。ヨーロッパの救世主という錯覚に酔いしれ、狂気に走る小心男という感じです。水木しげるは、やはり漫画でラバウル戦記を描いていて、暗澹たる戦争の中で絶望のまま死んで行く人間を描いた傑作です。

「劇画ヒットラー」の最後、

「ドイツ中に果てしない廃墟がつづいていた…….」

いつの世でも、戦争とはこういうものなのです。

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