昭和11年。日本は軍国主義国家へと走り始めていました。同年、2月に軍人によるクーデター「2.26事件」、ロンドン軍縮会議からの脱退、そして国号を「大日本帝国」に統一して、アジア大陸への軍事的進出を狙っているという、極めてきな臭い状況でした。

そんな時、松竹下加茂撮影所の大部屋俳優だった斎藤雷太郎が、「土曜日」を発行します。タブロイド6ページの小さな新聞でしたが、一時は発行部数8千部まで伸ばしていました。戦後、反ファシズム運動の象徴的出版物とまで賞賛されたこの「土曜日」を、一人の大部屋俳優が出版して1年8ヶ月も刊行を続けたことを丹念に取材していったのが中村勝「キネマ/新聞/カフェー」(ヘウレーカ/新刊2750円)です。

僅か6ページながら、社会問題、政治の状況から、映画やそのほかの文化、趣味娯楽までと幅広い紙面構成でした。当時「世界文化」という硬派の反ファシズム誌が出ていましたが、こちらはかなり柔らかい内容でした。

そして、何よりも販売方法が画期的でした。この時期、京都市内の各地に喫茶店が誕生していましたが、そこに目をつけた斎藤のセンスがいい。喫茶店に、持ち込み販売をお願いしたのです。今のカフェに置いてあるミニプレスや、無料配布のZINの原型を彼は作り出していたのです。

カフェに集まる学生たちが「土曜日」を読み始め、周囲へと広がっていきました。昭和9年に開店した喫茶フランソワは今も健在で、京都に残る最も古い喫茶店の一つですが、ここにも「土曜日」は設置されていました。

「お客は、経営者の思惑どおり、三高や京大、同志社の学生が中心だった。『土曜日』をおくと、それを持ち帰るものも出て、たちまちなくなる人気、やがて、持ち帰り自由を前提に毎号、二百部を買い取るようにした。」

と当時の様子が描かれています。昭和12年京大に入学した河野健二(後に京大名誉教授になる)も、フランソワで「土曜日」を貪り読み、「何かしら新鮮な文化の香りを感じとったものである。」と当時を振り返っています。

しかし、おおらかで自由な雰囲気を持つ小さな新聞さえ、お上は許さなかったのです。「反社会の精神が流れている」という警察のデッチ上げで、廃刊へと追い込まれていきます。本書はもともと京都新聞にて連載されていたものだけに、読みやすく構成されていて、多くの映画人が活躍していた京都の映画状況や、当時開店した喫茶店の名前などもずらりと並んでいます。

本年最後にこの本を読んで思うのは、当店で販売しているミニプレスが、知性のない政治屋に「反社会的だ」などというレッテルを貼られる日が来ることが決してあってはならないということです。

本日で当店は今年の営業を終了いたします。当ブログをお読みいただいた方々、ご来店いただいたお客様、ギャラリーを飾ってくださったアーティストの皆様にも改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

新年は7日(火)より「本づくりへの願い 版木とともに」(by法蔵館)企画展でスタートします。どうぞ良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。(店長&女房)

 

いつも、優れたノンフィクションやエッセイを書いている森まゆみの「暗い時代の人々」(亜紀書房/古書1400円)は、大正末期から戦争に向かう昭和の暗い時代を、圧力をかわして生き抜いた九つの物語です。登場する人物の中で竹下夢二以外、一般にはあまり知られていない顔ぶれです。

その中に、斎藤雷太郎と立野正一という人物が登場します。1908年生まれの立野正一は、京都市立美術工芸高校(現京都市立銅駝美術工芸高校)卒業後、社会主義運動に関わり、治安維持法違反で投獄されます。その後1934年、西木屋町に「フランソワ喫茶室」を開きます。

「フランソワ喫茶室」。京都の人なら、あ〜、あのクラシカルな喫茶店か、と思い出します。森はこんな風に描写しています。

「高瀬川沿いの路地にある小さな喫茶店は、外観はスパニッシュ風の青灰色のモルタル塗りで、二階には手すり子があり、一階の窓にはステンドグラスがはまっている。木の扉を押すと、中にはビロードのような赤い布張りの椅子で、手作りのこげ茶の木のテーブル、壁にはレオナルド・ダヴィンチの『モナ・リザ』の複製画があり、ヨーロッパ調の古めかしいつくりだった。」

一方の斎藤雷太郎は、1903年の横浜生まれ。30年に京都松竹撮影所の大部屋俳優となり、役者稼業の傍ら、「京都スタジオ通信」などのミニコミ紙を発行していました。36年、哲学者の中井正一らと文化新聞「土曜日」を発行しますが、この新聞が反政府的、反ファシズム的だと当局に睨まれます。その時、この新聞を支え、活動を支援したのがフランソワ喫茶室だったのです。

鶴見俊輔は、「その頃治安維持法のもとでそんな小さなメディアが喫茶店を通じてたくさんの人に読まれていたのは奇跡的ですよ。」と語っています。

「土曜日」はフランソワ開店の2年後の1936年(2・26事件の年です)に発行。治安維持法下でも、映画や美術、ファッションの記事を中心にしながら、時事的な記事を載せていました。なお、当時映画記事を書いていた一人は、淀川長治でした。

フランソワの立野マスターは、この新聞を200部買取り、店で無料配布していたので当時の大学生たちが読んでいました。「理論や教条ではなく、感性と軽やかさを信条とした」ミニコミとして、支持を広げていきます。しかし、軍部のファシズム政権下で反社会的と見なされ、関係者は全員検挙されます。フランソワも空襲に備えて、テーブルや椅子を疎開させ、一旦閉店します。

戦後フランソワを再開し、店の片隅で左翼リベラルの本を販売するミレー書房を立ち上げます。やがてここは、多くの文化人の集うところとなっていきます。立野正一は1995年は亡くなりましたが、妻の留志子さんが引き継ぎ、店は続いていきます。私が文庫本を持って通っていた頃は、もう二代目の時代だったと思いますが、静かにゆっくりとコーヒーの飲める喫茶店でした。2003年、この店は国の登録有形文化財に登録されました。カフェが登録有形文化財に登録されたのは日本で初めてでした。2009年、留志子さんは亡くなりますが、店はその後も営業を続けています。

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。