小さな町パウルシュタットのはずれにある墓所に眠る29人の死者たちの声を掬い上げて、彼らの人生の一瞬の輝き、失意を描いたローベルト・ゼーターラーの「野原」(古書1650円)は、生きること、そして死ぬことが心に迫ってくる傑作長編小説です。

「そこはパウルシュタット市の墓地の最も古い区画で、多くの人からはただ『野原』と呼ばれていた。」

そこに、毎日やってくる老人。老人がここで聞こえてくる「死者たちの声」に耳を傾ける所から物語は始まります。

「実のところー男は、死者たちの語る声を聴いていると信じていたのだった。なにを話しているはわからなかったが、死者たちの声は、あたりの鳥のさえずりや虫の羽音と同じように、はっきりと聞こえた。」

そして、ハナ・ハイムニからハリー・シュテーフェンスまで29人、町に生き、死んだ男たち女たちが登場して、自分の人生を語っていきます。それは、幸福だったものばかりではありません。怒り、悲しみ、軽蔑など様々な感情が混じり合い、死者たちが代わる代わる、人生の断片を語っていきます。時には、ある死者の語りに、他の死者が登場したりしながら物語は進行していきます。

死者たちは愚かしいほどに自己弁護や、後悔を繰り返します。その声を老人が、そしてわたしたち読者が汲み上げてゆくのです。そして、ふと思うのです。死という終着点にたどり着いた後にも、ひとは自分自身の人生の全貌を把握しきれないのではないかと。

「父が故郷に帰ってきて以来煩わされていた肺病で死んだ。最期はあっという間で、父は誰に別れを告げることもなく、正午前にはもう家から運び出されていた。小枝の束のごとく痩せ細って軽い体だった。それからほんの数週間で、母もあとを追った。中身がいっぱいに詰まった買い物籠を提げて家に帰る途中で、突然立ち止まり、頭を後ろへそらすと、しばらくのあいだ、はるかかなた、雲ひとつない青空のどこか一点にじっと狙いを定めるかに見えたが、直後に歩道の真ん中で横にふらつき、倒れて死んだ。籠から四つ、赤い夏のリンゴが車道へと転がっていき、しばらくそこで陽光を受けて輝いていたが、そのうちひとつ、またひとつと帰宅途中の車に轢かれていった。 こうして、私はひとりになった。残りの人生をどう過ごしたものか、混沌としてわからず、探求を始めた。」

29人の死者の声を、誰もいない墓地で、聴いてみませんか……。