野性の激しさと美しさを撮り続ける写真家、石川直樹のエッセイ集「極北へ」(毎日新聞社/古書1300円)を読みました。

17歳の頃、カヌーイストの野田知佑と知り合った石川は、彼の影響でカヌーを始めます。野田の著書には、何度かアラスカの原野のことが登場しますが、石川は大学一年の時、カナダとアラスカに跨がるユーコン川へと向います。その頃、石川は、もう一人強く影響を受けた人物、星野道夫を知りました。星野はもう亡くなっていたのですが、彼の著書を読み、「今まで漠然としか描かれていなかった自分の進むべき道が、先住民文化や人類の旅路をヒントに動きはじめていく。」と語っています。

「ぼくは高校生の頃に出会った野田さんや星野さんの著作によって極北へと導かれていった。それから、十年。毎年のように極北の大地に通い続けている。その原点は、ユーコン川下りであり、このデナリ登山である。あのとき内から沸き上がってきた生きる喜びを、今でも忘れることはない。終わりのない長い旅は、このときからはじまったのだ」

石川の長い旅を、この本を読むことで知ることができます。

「アラスカにいると、人は寡黙になり、冷静になる。自分がたった一人の人間であるということを多かれ少なかれ意識するからだと思う。」そう、彼に言わせる極北の大地アラスカ。そこで、彼は魅力的な人達に出会います。星野道夫の友人ボブ・サムに偶然出会って、星野の本を手渡すという体験もします。さらに、星野が居候していた小さなエスキモーの村シシュマレフの元村長クリフォードに巡り会うという幸福が訪れます。

アラスカに続いて、2004年彼はグリーンランドへと向かいます。グリーンランドは総面積218万平方メートルの世界最大の島でありながら、人口56000人という世界最低の人口密度という特殊な環境の国です。グリーンランドの厳しい自然と、そこに生きる人びとの暮らしが克明に描き出されています。殆どの日本人にとってはグリーンランドは全く知られていない国です。だから、この石川の記録は貴重です。この地に暮す、猟師は、移動手段にスノーモービルは使わず、犬ぞりです。それは、狩りにでたフィールドで、機械が壊れたら、生きて帰れないからです。

「極地で生き抜くための知恵には、それが受け継がれてきた明確な理由がある。グリーンランドの犬ゾリは郷愁に彩られた過去の残滓ではなく、現在にいたるまで優れて同時代的な移動手段なのだ。ぼくのカメラは凍って動かなくなることが何度もあったが、犬たちは白い息を吐きながらいつまでも走り続けてくれた。」

著者と共に、この国を旅して下さい。

写真家には、文章が上手い人が多いと思います。巧みな、あるいは凝った文章、というよりむしろ平易過ぎる文章です。でも、的確にその場の状況を把握しているのは、常にファインダーを見続けているからかもしれません。

アラスカ先住民クリンギット族の語り部、ボブ・サム。

宅地開発のために、掘り返され破壊された、祖先の墓に愕然とした彼は、たった一人で元に戻し始めます。20数年に渡るその活動で多くの遺骨や遺品が戻ってきました。と同時に、勝手に各地に持っていかれた遺骨、遺品を家族の手元に戻す、リペイトリエーション運動でも、中心人物として多方面で活動しています。

その一方、クリンギット族の長老から、彼らの部族に伝わる神話の語り部としての地位を託されて、世界各国の人々に伝えています。「かぜがおうちをみつけるまで」(スイッチ・パブリシング/古書1400円)は、ボブが創造した物語を、谷川俊太郎が翻訳し、イラストレーターの下田 昌克による美しい絵で綴られた本です。

「ひとがけものと はなしができ けものとひとと はなしができ どんなものにも こころがあった むかしむかしのおおむかし」が舞台です。

この時代、風にも心がありました。北へ、北へと風は、猛烈な寒さをもった大きな風になりました。凍りついて寒くなった風は、人やけもののいる南に向かいます。しかし、獣も人もすべて、風の寒さを嫌い、隠れてしまいます。即ち氷河時代の始まりです。ひとりでいることに耐えきれられなくなった寒い風は、勢いがなくなり弱くなり、海上を彷徨います。風の孤独に気づいた貝殻が、自分の貝殻で包んで温めてあげようと救いの手を差し出します。物語の最後はこうです。

「そんなわけで いま かいがらを みみに あてると かぜが おうちで くつろいでいるのが きこえる そして わたしたちは みんな そのすごい ひょうがじだいを いきのびた ひとにぎりの にんげんの しそんなのだ」

なんと優しく、力強いことばでしょう。

ボブはあとがきでこう述べています。「どんなものにもこの世界のどこかに<うち>がある、それを忘れずにいるのは大事なことだ。自分がしていることを、誰も気にかけてくれないなどと感じてはいけない。生きていくためにヒトは心を通わせることが大切だ。友だちと自然を分ち合うこと、顔に暖かい風が吹いてくるような気がする。この世界はすべての生きとし生けるものが分ち合う<おうち>なのだ。」

共生という言葉が隅に追いやられて、自らの優位性だけが声高に叫ばれる時代への警告でもあると思います。

自然界のあらゆるものは、それに相応しい場所があることを忘れないでおく、と言い続けるボブは、星野道夫の盟友でもありました。

すずきまいこさんの新作絵本「いつも おまえの気配を さがしていた」(新刊/1080円)が、北海道のかりん舎より届きました。すずきさんは、北海道在住で、昨年の5月に絵本「ぼく生きたかったよ」発売記念の原画展を当店ギャラリーで開催しました。

前作「ぼく生きたかったよ」は、戦時中、国が猛獣の脱走を恐れて動物園に処分を命じた時に、京都動物園で殺された熊の親子の実話をもとにした絵本でした。戦争は動物の命も平気でむしり取ることを、独特のペンのタッチで強く印象づけた絵本でした。今回の新作は、北の大地にいきる熊たちの気配を身近に感じていたい、著者の気持ちが込められた素敵な絵本です。

「カサカサなる 笹の葉 ひんやりした 森の空気 ーこの風のなかにすわって 絵を書くこと…….  それは とおい都会にいたときに 涙が出るほど 夢見ていたこと」

その夢みていたことに身をまかせて、山の中のクマの気配に耳をそばだててながら、細密に描き込まれた植物と、そこにヒョイと出て来るユーモラスなタッチのクマの足。豊かな森に囲まれて、森に生きる命と会話しながら描くすずきさんの幸せな感じが伝わります。

「リスに はなしかけながら おまえの息づかいを かんじながら いま ここに 生きているんだ……..と 目のまえの いのちを 紙に描きおこす たのしさ」

レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」に近い感覚をちょっと覚えました。

作者は最後にこうつぶやいています。

「一とうのクマが 撃たれて 星になった それ以来 わたしの胸の だいじなところに おまえは棲みついて 森をはなれると おーい おーいと こころの中の おまえが呼ぶ」

星野道夫が、都会で生きている時、同じ時間をくまが森の中で生きている不思議さに感動すると書いていました。最終ページに描かれた絵(写真右)は、星野も、すずきさんも心の中で見たに違いない森をゆくクマの姿のようです。

 

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」と神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限りサイン入(予定)。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。

 

 

故星野道夫の全集、といっても写真の全集ではありません。新潮社が出版した全五巻「星野道夫著作集」は、彼が書き残した多くの文章を、可能な限り集めた写真家の文章だけの全集です。中々すべてを揃えるというのは難しいのですが、買いやすい価格で出ていれば入れています。

第一巻は彼の初期作品を集めたもので、初期の傑作「アラスカ光と風」、「カリブーの旅」等を読む事ができます。

「大自然の中での用足しは本当に自然だ。これ以上すがすがしい用足しは絶対にない。現代人のなかで、どれだけの人間がこの快感を知っているだろうか。ぼくたちの変化というものは。自分たちの排泄物をできるだけ見ないようにきえしている。つまらないことかもしれないが、そんなことからさえも、ぼくたちは何かを失っている」

なんて、アラスカの大自然の中にいる喜びが伝わってくるような文章です。しかしその一方、私たちの生活が、自然の流れから離れてゆくことを危惧しています。

星野自身の性格だったのか、或はアラスカの自然がそうさせたのかは解りませんが、まとめられた文章を読むと、その謙虚さが目立っています。ライフル銃を持って長期の撮影に入ってた時、何故か違和感を持ってしまいます。

「銃で守られているよいう気持ちが、自然の生活の中でいろいろなことを忘れさせていた。不安、恐れ、謙虚さ、そして自然に対する畏怖のようなものだ。ぼくは、今でも人間が本質的にもっている野生動物に対する狩猟本能というものを肯定しているのだけれども、自分の目的と銃の問題は、なかなか噛み合ないような気がしている」

より大きな存在である大自然に対峙した時、人は謙虚になるものです。しかし、その気持ちを永遠に持ちながら自分の人生を全うさせてゆくのは、簡単に誰にでも出来るものではありません。星野の愛したアラスカ、そこで生きた人びと、動物への限りない愛情が、すべての文章に宿っています。傑作「イニュイック」のこの文章は何度読んでも、感動します。

「一年を経て、同じ親子クマに再び出会う。彼等が過ごした一年と、自分が過ごしたこの一年が重なった。長い冬の日々、ストーブに火をおこし、本を読み、スキーで森を歩き、またオーロラを見上げていたその時、どこかの山の塒(ねぐら)で、この三頭のクマはひっそりと同じ冬を越していた。あたりまえのことなのに、初めて気付いたような思いがした。すべてのものに、平等に、同じ時が流れている」

クマと同じ時間が、私たちに流れているなんて考えは、なかなか考えないものです。

著作集は1巻(1900円)、2巻(1900円)があります。4巻も入荷していましたが、売切れました。なるべくこの価格帯で販売していくつもりです。

★連休のお知らせ 7月3日(月)4日(火)

 

 

Tagged with:
 

「ぼんやりと森に目をやった次の瞬間、視界にすっと灰色の影が踊り出ました。そしてその影は、近くに生えている一本の木の脇で立ち止まり、こちらを振り返ったのです。そこに立っていたのは、一頭の立派なオオカミでした。僕はオオカミを見たことはありません。でも、そのとき確かに、目の前に立っている巨大なイヌ科の動物を見て、なんの疑いもなく『オオカミ』だと思ったのです。オオカミは鋭い視線をこちらに投げかけるやいなや、すばやく森の茂みの奥へと走りさってしまいました。」

これは、「そして、ぼくは旅に出た」(あすなろ書房1400円)の著者、大竹英洋が大学時代のある日、見た夢です。そして、その夢に誘われるように、傑作「ブラザーウルフ」という写真集を出していた写真家、ジム・ブランデンバーグに会いたいと思い立ち、彼が住むミネソタ州北部の森、ノース・ウッズへと旅立ちます。

無茶な旅です。アポも取らず、森のどこかに住んでいる写真家に会いに、できれば弟子入りを頼みたいなどというのは。しかし、彼は憑かれたように、森の奥へと向かいます。カヤックなんて乗ったことのない青年が、悪戦苦闘しながら湖から湖を経て目的の地に着くまでが、本の前半です。

後半は奇跡的にジム・ブランデンバーグに出会った著者が、彼や彼の友人で、探検家ウィル・ステイーガートとの交流を深めてゆく様が描かれています。大自然と共に生きている偉大な男たちに、心揺さぶられる描写がとても魅力的です。

ステイーガートは探検家になるのは簡単だと”Put your boots  and start walking” と、言い放ちます。この言葉を受けて著者は、ソローの名著「森の生活」の一節「最も早い旅人は、足で歩く人である」を思いだします。鉄道や飛行機で旅するには旅費を稼がねばならない。そんな事するぐらいなら、すぐに歩き出せというのです。

著者が、自分の写真をブランデンバーグに見てもらった時、彼はこう言います。「大切なことは、なにを見ようとしているか、その心なんだよ。テクニカルなことは、撮りながら学ぶしかない。」

そして、良い写真が撮れたときの気分を問われると、「ハードワークするんだ…….。努力する。その先にふっと、その瞬間がやってくる。」「それは…….降りてくるんだよ」と言います。「降りて来る」というのは、何事かをやろうと努力し、切磋琢磨する人たち共通の経験ですね。

多くのことを学んだ著者が、写真家として自立すべく日本に戻るところで本は終わります。若さだけが持つ特権の素晴らしさ。機会があれば、ぜひ話を聞いてみたい方です。

ところで、彼が自然の姿を伝えていこうと決心したのは、星野道夫の本との出会いでした。やっぱりね。星野の本を読んでいるような錯覚になった時もありました。

(写真はブランデンバーグの作品です)

 

 

アイヌ民族に伝わる「イオマンテ」という儀式をご存知でしょうか。

彼らは冬の終わりに、ヒグマを狩る猟を行います。冬ごもりの間に生まれた小熊がいた時は集落に連れ帰って育てます。やがて、成長して(大体3年間)大きくなったら、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、そのヒグマを屠殺し、解体してその肉を人々にふるまう。この儀式は、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイ(神)を一定期間大切にもてなした後、神々の世界に返すものと解釈されています。ヒグマを屠殺して得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行ったもので、集落すべての人間に分配されます。。地上で大切にされた熊のカムイは、天に帰った後も再度肉と毛皮を土産に、また戻ってくる。それが村の豊かさになる。

そのイオマンテの物語を寮美千子が描き、それを英語版にして、小林敏也のステキな絵と共に出版されたのが“The Ainu and the Bear”(R.I.C.Publications1600円)です。

“I am a newborn bear”という文章で始まるこの物語は、人と自然は共生している、というアイヌの知恵と思想を教えてくれます。英語は、平易です。しかも、CDが付いていて朗読を聴くことができます。耳と眼からこの美しい物語を味わってください。

さて、この本の中に、「キムンカムイ」という言葉が登場します。

「キムンカムイ」はアイヌ語で「クマ」を意味し、「山の神」ということを表現します。こんなアイヌ語を含めてアイヌを特集した雑誌「TRASIT34号」(800円)が入荷しました。 アイヌ文化の紹介、今を生きるアイヌの末裔たちの姿、ヘイトスピーチまでも含めた彼らを取り巻く諸問題まで取り上げられています。

この雑誌のもう一つの特集は「極北の夜空を見上げよう オーロラの煌めく街へ」です。オーロラの科学的解説に始まり、フィンランド、アラスカ、グリーンランドを訪ね歩いて、その美しさを捉えています。以前このブログで紹介した写真家かくたみほさんの新作「MOIMOIそばにいる」の中でも取り上げられていた、北欧の少数民族サーミやイヌイットが紹介されています。

アラスカと云えば、星野道夫を外すことはできません。写真家石塚元太良が、アラスカの星野の自宅を訪ねた時の思い出が載っています。本棚の写真を見ていると、彼の読書の幅の広さが伝わってきます。ねじめ正一の「高円寺純情商店街」も読んでいたんだ。

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

精神分析の専門家が書いた落語の本って、小難しそうな感じがあります。しかも版元はみすず書房という人文出版社の大御所となると……..。これ藤山直樹「落語の国の精神分析」(1500円)です。「孤独と分裂−落語家の仕事、分析家の仕事」なんて章から始まるので、尚更難しそうですが、著者の文章が平易で、トントンと頭に流れ込んでくるので、面白い一冊です。巻末には立川談春との対談も付いています。

天才的な童画作家、武井武雄の長女三春が父のことを綴った「父の絵具箱」(ファイバーネット800円)もいい本です。お父さんの七回忌を機に、脳裏に浮かんでくる父親の側面を描いた武井武雄の一生です。もちろん、多くの武井作品が掲載されていています。「一生の持ち時間を、父は父流に生き、悠然と使い切ってさっさといなくなってしまった。死ぬ用意など全くしなかった。父らしい引き際であったと思う。」と三春は語ります。中程に収集した郷土玩具に囲まれてニンマリしている武雄の写真をみ見ていると、幸せな時間をいきたからこそ、誕生した多くの作品だったのでしょうね。

ジェーン・グドールという霊長類研究者のことをご存知でしょうか。星野道夫ファンなら、彼の「ゴンベの森へ」に登場する学者だなとお気づきの方もおられるかもしれません。そう、星野がわざわざ会いに、アフリカまで出かけた学者です。チンパンジーと共に生きた彼女の生き方を、自ら文章にしたのが「森の旅人」(角川書店600円)です。「わたしのささやかな思想と信仰のどこかに、読者がなにかをみつけてくださり、人生の旅路の行く手を照らす小さな光として役立てていただければ」と書いています。アフリカの奥地の過酷な環境の中で、チンパンジー達と生きた彼女の魂の遍歴。掲載されている穏やかで、知性的な面立ちの彼女の写真の撮影者は星野道夫でした。

グイグイと小説の世界に引込む力を、最も発揮しているのはたぶん小川洋子だと思います。私は、彼女の本を買って、損をした、時間の無駄遣いをしたという記憶がありません。彼女の長編「ミーナの行進」(中央公論社650円は出品されたお店の熱意が溢れています。)にはポップが二つ付いていて、一つにはお店のブログで紹介したこと、そしてもう一つには、小説の中に登場する司書の青年のこんな言葉が書かれています。

「何の本を読んだかは、どう生きたかの証明でもあるんや」

こんな台詞見たら、読みたくなるよね。

「女子の古本市」は19日(日)まで。最終日は18時で閉店いたします。


 

 

 

没後20周年「星野道夫の旅」展(京都高島屋10月10日まで)を観てきました。初日だったので、奥様の星野直子さんのギャラリートークも聞くことができました。

彼の本や、写真集で何度も観た作品が数多く展示されていますが、大きく引き延ばされたもので見ると、作品の彼方に広がるアラスカの大自然の微妙な色合いまで、手に取るようです。彼は「アラスカ光と風」の中で、この地をこう語っています。

「アラスカという地は来る者を拒まないかわりに、厳しい自然がその代償を求めてくる。ここでは型にはまった常識は存在せず、だれもがそれぞれのやり方で生きていくだけだ」

星野自身が考え、行動した(シャッターを押した)その瞬間が投影されています。

荒涼たる大地にたった一人で、いつ現れるかもしれないカリブーの群れを、あるいは夜空を舞うオーロラを捉えるまでの長い長い時間、彼は何を考えていたのでしょうか。そんな事を思いながら、作品を観ていました。

「一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくもの、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。」

と「旅をする木」で語っています。目前の、カリブー達に、熊たちにもう会うことはないのかもしれない。彼らが生き残る保障もないし、自分自身の人生にも終りがくる、その切なさと、生きていることの愛しさが、シャッターを押し続けさせたのかもしれません。

「短い一生で 心魅かれることに多くは出会わない もし 見つけたら 大切に……..大切に…… 」という文章を残した星野は、彼が心魅かれたアラスカを大切に、最大限にリスペクトを持って接してきました。その結果が、あらゆる生と死が盛り込まれた作品が生まれてきました。

極北の動物たちが、こちらに向ける眼差しをゆっくりと見つめていたいものです。

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております

  (要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)

Tagged with:
 

たった4ページの対談記事が、一人の人生を決定しました。

その記事とは「不思議あふれる極北から〜オーロラのメッセージ。」写真家星野道夫とオーロラ研究者赤祖父俊一の対談です。そして、記事を読んだ少女は、地球物理学をやりた〜い!と即決、学部のあった北大へと進み、アラスカにオーロラを見に出掛け、なんと星野道夫に会ってしまいます。

そんなエネルギッシュな女性、高橋真理子が、星と人をつなぐ場所としてプラネタリウムを選び、新しい活動を始める様を書いたのが「人ななぜ星を見上げるのか」(新日本出版社900円)です。

彼女は、ただ単に見るだけのプラネタリウムから、その場を使って、主体的に番組を作ったり、学びの場を企画することで、参加者が共感し、新しいコミュニケーションを作り出す場へと変容させる装置としてのプラネタリウムを考えていきます。

「プラネタリウムというメディアを特徴づける『ドーム空間・星空・暗闇・言葉・音楽。映像』という場の力を使って、人々のコミュニケーションの場、表現の場としていけるだろう、と思った」

しかし、前例のない、誰も考えたことのない概念ゆえに、実行には様々な困難が待ち受けていました。ましてや、そこが公共施設の場合は。それを一つ一つ解決して、さらに新しい企画を実行していく様子が語られていきます。その中には「目の見えない人にプラネタリウム」という、えっ?というものもありました。

「大事なことは星の並びを正確に伝えることではなく、星空の存在、さらにその奥にある宇宙の存在を知ってもらうこと。その点は言葉や音楽を通じてできる面は多々ある。」

その結果、弱視の女の子は「星って見えなくても感じられるんだ」と思ったそうです。もちろん、プラネタリウムが作り出す宇宙は贋物でしかありません。しかし、それを使う人間の力によって、人を救うこともあるのです。

彼女は次に「病院がプラネタリウム」というプロジェクトを開始します。対象となったのは、長期入院している子供たち、重度心身障害者の方達。「何故あの、ニセモノの星空に、人々は感動するのだろう」と著者も驚くぐらい、多くの人が食入るように天井を見つめます。

「いつも眺める病院の殺伐とした天井に、夜になれば星空がでてきてくれたら、どんなにいいだろう。いつか、そんな日がくることを目ざしながら『病院がプラネタリウム』に、心とカラダを傾けていきたい」結んでいます。

星野道夫と出会ったことが、こういう人生を歩ませたなんて、なんて素敵なことなのでしょう。

最近、大気の具合がおかしいですね。大雨に突風、竜巻等々、今までとは違う凶暴ささえ感じます。今朝未明の雨の降り方も暴力的でした。人に優しい自然なんて、ほんの一部で、人間のことなんぞ知らんね、というのが自然の有り様だと思えば、驚くことではありません。

大気というものについて詩人の谷川雁は「ものがたり交響」で、こんな風に言ってます。

「すべての物質は化石であり。その昔は一度きりの昔ではない。いきものとは息つくるもの、風をつくるものだ。太古からいきもののつくった風すべて集めている図書館が地球をとりまく大気だ。風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石なのだ」

この星に生まれ、死んでいった無数の命が語る、それぞれの物語を語るのが風だという指摘は素敵です。

私がこの文章に初めて触れたのは、星野道夫の「イニュニック」(新潮文庫350円)の「雪たくさんの言葉」でした。彼はきっとアラスカの荒涼たる大地の中で、多くの物語に耳を傾けていたはずです。

眼に見える世界と、その彼方の見えない世界を、常に自分の心の中で見ようとしていた写真家であり、作家でした。彼の盟友、池澤夏樹は、星野の著書「旅をする木」の解説で「この世界は合理だけではない。目に見えるものだけではない。ある場所に立ったとして、その風景の背後にあるものまで見なければその場所と本当に親しくなれない」と書いています。

夜空を見上げた時、満月が見える。その満月をやはり遠くの北国の山で暮らす熊たちを見上げているかもしれない。その世界を、その時間を共有することの喜びを星野は生涯持ち続けていたと思います。

星野道夫の没後20年にあたる今年、全国巡回写真展「星野道夫の旅」が8月からスタートします。京都は9月28日~10月10日 京都高島屋にて開催予定です。久々の彼の作品に出会えるかと思うとワクワクしてきます。