穂村弘の書評と文庫解説を集めた「これから泳ぎにいきませんか」は、取り上げている作家が多岐に渡っています。

山岸凉子、倉橋由美子、内田百間、ひさうちみきお、酒井駒子、平松洋子、杉浦日向子、フジモトマサル、ヒグチユウコ、谷川俊太郎など、小説、エッセイ、漫画と多くのジャンルの作家が登場します。

書評集というと、選ばれた本のテーマの解説であったり、技巧の賞賛であったり、作風の変遷の解説であったりと、案外退屈な本が多いのですが、歌人として、作家として人気のある穂村の書評集は、読んで楽しい一冊です。

「海は、いつも予想以上に大きい。予想以上に大きいぞ、とあらかじめ心の準備をしていても、実際に目の当たりにすると。おお、大きい、と思わされてしまう」

さて、これはなんの本のことでしょう?山岸凉子「日出処の天子」です。なんで海の大きさハナシが出るんだ??と思って読み進めると、成る程なぁと納得させられます。

歌人だけあって、多くの歌集が紹介されています。めったに、歌集なんぞ読まない私には、どれも興味津々でした。

「シーラカンスの標本がある物理室いつも小さく耳鳴りがする」

小島なおの歌集「乱反射」の中の作品です。シーラカンスの標本が、何やら太古の香りを運んできて、それが耳鳴りになって聞こえる、とファンタジー風の妄想ができそうなんですが、穂村はこう解説しています。

「劇的なことはまったく描かれていない。<私>はただ学校の物理室にいるだけだ。しかし、ここには濃厚な『今』の味わいがある。ポイントは『いつも小さく耳鳴りがする』だ。埃っぽい物理室に入った時、確かにそんな感じがした。『この感覚わかる』と思う時、私もまた解凍された『今』を味わっているのだ」

そうか、そんな見方もあるんだと思いながら、パラパラと他の短歌評価をめくっていきました。

「これから泳ぎにいきませんか」というタイトルは、編集者の二階堂奥歯さんとの打合せの席上で、彼女から飛び出した言葉でした。でも私は、これは広い広い言葉の海に、一緒に泳ぎ出しませんかという穂村の気持ちなのではないか、と本を読み終えた時に、ふと感じました。様々な言葉にであってときめいてほしい、そんな著者の思いがあったのかな、と感じたのです。そしてそれは、素敵な本を提供しようと、がんばる本屋さんの思いに通じるのではないか、と。

筆者の選んだ本がズラリと並んだ正統派の書評集は、どちらかというと苦手です。最後まで読んだのは、斎藤美奈子ぐらいではないでしょうか。岡崎武志の「人生散歩術」(芸術新聞社1300円)みたいに、著者の生き方、或は人生哲学と本がシンクロしているものは、私はあまりお目にかかったことがありません。

けれども、平松洋子「野蛮な読書」(集英社文庫450円)は違いました。こういう本を待ってました。

この書評集は、取り上げる作家も、紹介の仕方もバラエティに富んでいます。例えば、開高健の一冊の本と共に、彼女はあちらへ、こちらへと動き回ります。散歩ついでに買った「戦場の博物誌」は、モスバーガーで先ず読み出し、翌日能登半島へ向かい、半島尖端の宿でつづきを読むといった具合です。移動しながら「戦場の博物誌」を読み続け、開高健を語ります。旅から戻り、風呂で冷えた体をあたため、最終章に進みます。「掌のなかで自分の分身が無に帰する。さいごのあの一瞬。がらんどうの空虚ささえ呑みこむ圧倒的な静寂に、何度読んでもわたしは身じろきもできなくなる。」

面白かったのは、宇能鴻一郎を論じた一章です。「あたし、レイコ。人妻看護婦なんです」とか「あたし、濡れるんです」で始まるお馴染みのポルノ小説の第一人者。平松はこの作家を嬉々として描いていくので、あはは、と笑ってしまいました。しかし、宇野は「鯨神」で芥川賞受賞をした文学作家でもあります。その作品とポルノ作家としての宇野の世界を結びつける辺りの描写が秀逸です。メルヴィルの「白鯨」の如く、神のような鯨と闘う男の話と、「あたし×××なんです」の世界がどう繋がってゆくのか、スリリングですよ。

「男の願望を女の肉体にぴたりと同一に重ねてみせる一人称独白体など、だれもかんがえつかなかった。書きえなかった。むしろ超俗。それは、文学と官能をひとつの頂にさだめて登攀しつづけた宇能鴻一郎ただひとりが達した険しい峰のように思われる。」とは見事な指摘です。

平松は、例えば「箸で食べる『カステラ』。それはびっくりするほど新鮮だった。フォークとか黒文字で粛々と食べるときはまるでちがう。ざくっと箸をつっこんで切り分ける動きは冷や奴を食べるときとそっくりなのだが、ふがふがと頼りなくて、正体のないものを相手にしている感触に調子が狂う。ところが、快感もいっしょに湧いてくる」という具合に、食に関するエッセイで抜群のタッチを出す女性です。宇野が料理好き、食べる事が好き、というのに俄然興味を持ち、珍しい彼の食にまつわるエッセイについても書かれています。

 

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巷には書評集やら、本の紹介本が溢れかえっています。仕事柄、なるべく目を通すようにはしていますが、買いたいという本は滅多にありません。

その中で、三浦しをん「本屋さんで待ちあわせ」(大和書房500円)は面白い一冊でした。もう、笑えます!書評を読んでいて、むふっ、ぶふぁ〜となるなんて珍しいのでは。入手可能な本が大半です。しかし、原民喜、藤枝静男、上林暁、中村真一郎等興味ある面々が揃った「戦後占領期 短篇小説コレクション4 1949年」(藤原書店2007年)は、探すのが大変かも(一応新刊でまだ出ていますが)

第四章は、なんと丸ごと「東海道四谷怪談」に割いています。鶴屋南北が書いた戯曲が舞台にかかったのが1825年。それから、今日まで延々上演されてきました。ご承知のように、「四谷怪談」は、「忠臣蔵」のパロディーです。南北は「主君のために仇討ちなんて、古くさぁ〜い」と考えていた、という話から始まり、「東海道」と名前が付いているのに、登場する舞台が、全然「東海道」じゃなかったり、話に方々に出てくるオヤジギャグの話など盛り沢山です。そして、無情かつ無常な色合いの濃いエンディングからこう締めくくります。

「むなしい。しかし、死に向かって生きるしかないのだ。『四谷怪談』の登場人物はみな、全身でそう物語る。彼らの哀しみとむなしさと迫力が凝縮したラストシーンは、こだまとなって、現代を生きる私たちの胸にも強く届く」

どちらかと言えば、オフビート気味のこの本に比べて、正統派の書評集としてお薦めは湯川豊「夜の読書」(ちくま文庫750円)です。梨木香歩、池澤夏樹、小川洋子、松屋仁之、など、私好みの作家が並んでいることもあるのですが、何回か江國香織を取り上げています。いわゆる、書評家さんと呼ばれる方々で、江國のような流行作家を何度も取り上げ、きちんと評価している人ってあまりいないと思います。それだけで、この著者の幅広さが理解できます。

話題となったジャック・ロンドン著、柴田元幸訳「火を熾す」(スイッチ・パブリシッング)を取り上げた中で、表題ではなく、収録されている「水の子」というハワイの漁師の話に心ひかれるとして、こう書いています。

「自然のなかに生きる人間の過酷な運命が冒頭の『火を熾す』にあるとすれば、自然のなかに生きる人間のまぶしいほどの輝きがここにはある」

この本の魅力を見事に言い切った批評です。

 

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