星新一のショートショートを紹介しながら、彼が予測した未来をエッセイ風にまとめた最相葉月著「あのころの未来」(新潮社/古書800円)は、科学と私たちの関係を考えるには、最適の一冊です。

星新一の本って、そんなに熱心に読んではいませんでした。彼の作品の装画を担当していた真鍋博に魅かれて、本を買った記憶があります。

でも、最相葉月が選び出した星の作品を読み、彼が数十年前に、肝臓移植、クローン、ロボット、ネット社会、キャッシュレスのカード社会を描いていたと驚きました。脳死という状態を受け入れた私たちにとって、ぞっとするのが、星の「これからの出来事」を取上げた「脳のなかの私」という章です。

大事故で、両足切断を余儀なくされた男が病室で目覚めます。「それにしても足の裏がかゆいな。女性にかいてほしいと頼むと、少し間があって、その事故で『おれ』は両足を切断されたと知らされた。錯覚が起こるのは医学的によく知られていることだという。」

これ、幻肢と呼ばれる現象で、大脳皮質に記憶された身体感覚によるもので、失う前の記憶、脳の仕業による現象です。小説では、実は男が切り取られたのは足だけだはありませんでした。腸も、心臓も、痛くなってきたはずのこめかみも全てないことを知ります。おれは生きているのか、そう錯覚しているだけなのか、薄らいでゆく意識の中で男は、いや、生きていると思い続けます。その横でこんな会話が描かれます。

「病室では電線につながれたまま溶液に浮いた脳を囲み、女医と担当医が話をしている。『生きる意欲があります。私たちも、やりがいがありますね』 別な部門では、男のからだの残された細胞をもとに臓器や筋肉や皮膚が再生中だったー」

生死の境界が限りなくぼやけていく時代だけでなく、高度な再生医療の果てに行き着く人間の姿まで見つめていたのです。最相は、「ブタ臓器を拒絶反応が起こらないよう遺伝子操作し、人間に移植する異種移植の研究も行われている」と指摘しています。

「どこまでもすげかえ可能になる人間の欲望の果てはなんだろうか。脳だけは死守するのか。」という疑問をもとに、2050年版の「これからの出来事」を、最後に書いています。シュールでおぞましいけれども、現実になりそうな結末です。

私たちのこれからの未来を、そして生きるということを、星新一の作品を読みながら見つめる一冊です。

星と名コンビと称され、『悪魔のいる天国』のように、版が変わるごとに新たなイラストを提供する程の親密な関係だったイラストレータ真鍋博が星の小説のために描いた挿絵をセレクトした「真鍋博のプラネタリウム」(新潮文庫/古書800円)もこの機会にぜひどうぞ。昭和58年発行の文庫。もちろん、絶版です。