毎年8月15日の敗戦記念日には、原民喜の「夏の花」を読みます。原爆で命を奪われた妻の墓参りに行くところから物語が始まります。原爆投下の日、「私は廁にいたため一命を拾った。」ここから広島の地獄絵が書かれていきます。この本と共に、岡本喜八監督の映画「日本の一番長い日」を観たりします。ポツダム宣言受諾から玉音放送までの間に、権力者の中で何が起こったのかをリアルに描いた傑作です。最近リメイクされてましたが、重厚感ではオリジナルに敵いませんでした。

さて、今年は少し違う本と映画に出会いました。映画は、堀川弘通監督「軍閥」(1970)です。海軍と陸軍の権力闘争で、日本が戦争の深みにはまってゆく様が描かれています。印象に残ったのは、一人の特攻隊員と、毎日新聞社の記者との会話です。出撃したものの敵艦を見失い帰ってきて、再び特攻命令を待つという立場の彼が、やってきた新聞記者を激しく詰ります。メディアが戦争を賛美し、東條英機を祭り上げたのだと。記者が、負けていることを国民に知らせて早く終結させるべきだというのに対して「勝てる戦争なら、やってもいいのか」と詰め寄るのです。この問いかけは衝撃的でした。勝とうが、負けようが戦争の全否定を特攻隊員が口にするのですから。

今回読んだ本は、濱田研吾著「俳優と戦争と活字と」(ちくま文庫/古書700円)です。これは労作です!よくこれだけの資料を集めたものです。著者は、京都造形芸術大学を卒業して、映画、放送、鉄道など多彩なジャンルで執筆活動をしています。

「昭和に活躍した俳優が好きで、そうした人たちが書いたり、語ったものを高校時代から蒐めてきた。映画・演劇・放送関係の本や雑誌、俳優が書いた(語った)本、プログラムや広告の類いまでいろいろである。」おそらくそれらの膨大な資料(巻末に参考・引用文献の一覧が載ってますが、おそろしい量です)から、俳優たちが戦争について、疎開について、原爆について、そして玉音放送について語ったものを拾い上げたのが本書です。

多くの演劇人、俳優たちが、自分たちが経験した戦争を語っています。最初に紹介した「日本の一番長い日」のパンフレットで、8月15日に何をしていたのいか、その時の気分はどうだったのかを出演俳優たちに問うアンケートの回答が載っています。

例えば、当時八歳だった加山雄三は「小学校二年生の時だった。家に憲兵がいて、あの放送をきいて泣いていたのを覚えている」と回答しています。笠智衆は41歳。「玉音にタダ涙。カンカンでりの青空が空しかった」と答えています。

悲惨な戦闘を繰り広げた中国戦線、大陸からの引き揚げ、シベリア抑留など多くの俳優たちが経験した戦争の姿が迫ってくる一冊です。

 

小学校で読んだりする偉人伝。聖徳太子やら織田信長、そして伊藤博文辺りがポピュラーなところですが、女性が少ない。無いなら作ろうということで、韓国の出版社ボムアラムが作ったのが「夢を描く女性たち イラスト偉人伝」(タバブックス1870円)です。

国も時代もバラバラ、活動分野も様々な、女性たちが登場しますが、さすが韓国の出版社だけに、母国の方が多く入っています。そして、その女性たちが頭を上げて、前を見つめて放った真っ直ぐな言葉が、韓国の素敵な絵描きたちによるイラストと共に書き込まれています。

「刀を向けると怯えると思ったのか? 私たちは死ぬ覚悟でここに来ているのだ」

と勇ましい言葉を残しているのは、ブ・チュンファ。彼女は海女です。日本占領時代、海女たちが収穫した海産物を、彼女たちの管理者が搾取し、安い賃金で働かせていました。それに抗議したデモを実施。阻止しようとして刀を抜いた日本軍人に向かって放った言葉がこれです。

「女性の私に祖国などない。女性としての私は祖国がほしくもない。女性としての私の祖国は、全世界だ。」

とは、ヴァージニア・ウルフです。貧困と差別の渦中で苦しんでいたイギリス女性たちの苦しみを描き、彼女たちの解放を求めた作家です。20世紀初頭の作家にも関わらず、現代でも多くの女性たちに支持されているのは、ちっとも状況が変わっていないという事なのでしょうか。

頭から順番に読まなくても、パラパラとめくって、好きなイラストと言葉をみつけたら、読んでみる、という気楽な本です。

このひとを収録しているのか!と嬉しくなったのがいました。一人は動物学者のジェーン・グドール。ちょっと前にブログで紹介した、星野道夫の「アフリカ旅日記」に登場します。彼女はこう言っています。

「あなたがすることが変化をつくる。あなたはどんな変化をつくりたいのか決めなければならない。」

もう一人は、グレタ・トゥーンベリ。10代にして、世界の政治家を相手に気候変動問題を問いかけた環境運動家です。

「私たちは未来がほしくて、ストライキをしているのです。」

この世界をこれから生きていく若者たちの悲痛な意志が込められています。

日本版追補として日本からは三人、作家の石牟礼道子、女子運動家の田中美津、評論家の山川菊栄と、数人が追加収録されています。グレタ・トゥーンベリもその一人でした。追補分のイラストを描いているのは日本人女性です。

「彼はファーストネームを平成(ひとなり)という。この国が平成に改元された日に生まれたいう安易な命名なのだが、結果的にその名前は彼の人生に大きく貢献することになった。彼は『平成くん』と呼ばれることで、まるで『平成』という時代を象徴する人物のようにメディアから扱われ始めた」

というのは、古市憲寿著「平成くん、さようなら」(文藝春秋/古書900円)の滑り出しです。平成くんは、原発で働く若者たちの聞き取りをした地味な卒業論文が、2011年という年だったことでメディアの目に止まり、出版されて一躍注目された若者。その若者と同棲している彼女の日常を描いた小説です。

ある日、平成くんは「安楽死を考えている」と彼女に伝えます。え?何故安楽死?という彼女の疑問を巡る物語です。

「僕はもう、終わった人間だと思うんだ」

と彼がそう思ったのは何故なのかをなかなか理解できずに、不安と焦燥が繰り返しやってきます。

「すべての人は例外なく死ぬ。その時期が ちょっと早まることに大騒ぎしないでよ」と平成くんはマイペースです。この小説に悲壮感はありません。

「平成くんの今日の予定は?」 「15時から新潮社で打ち合わせがあって、その後は木下さんとの会食だよ」と、深刻な問題があるとは思えないいたってフツーのカップルの会話で進んでいきます。

悩んだ彼女は、平成くんの友達に相談するのですが、「僕自身、死ぬことの何が悪いのか全くわからないのです。それに平成が死んでも、彼が残した本当の対話はいつまでもできるし」などと言いだす始末。

この二人の部屋にはミライという名前の老猫が同居していました。その猫が末期症状になった時、彼は動物病院で安楽死をさせます。しかし、その場に立ち会えなかった彼女は「ミライは喋れないでしょ。本当はもっと生きたかったかも知れないじゃない」と罵るのですが、その後、「じやあ平成くんは、自分で死にたがっているのだから、いつ死ぬのも自由ということなのか。自分の発した言葉で頭がこんがらがりそうになる。」というジレンマに陥るのです。

小説はどう終わるのか、興味津々でしたが、成る程こうするか!と唸るエンディングでした。そこには、様々な情報機器に囲まれて生きている私たちの時代における死が、見事に描かれていました。

著者の古市憲寿は社会学者で、「絶望の国の幸福な若者たち」、「保育園義務教育化」といった現代日本を考察した本を出しています。そして、小説第一作の本作は、芥川賞候補になりました。

お知らせ 

6月より、営業日・時間を下記のようにさせていただきます。

月曜、火曜定休 水曜日から日曜日まで 13時〜19時に変更いたします。また、ギャラリーの企画展は6月下旬からのスタートを予定しています。度々の変更でご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします。

通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。(info@book-laetitia.mond.jp)


 

コーリー・スタンパー著「ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険」(左右社/新刊2970円)は、300数十ページある分厚い本です。

アメリカで最も歴史ある辞書出版社メリアム・ウェブスター社の編纂者による英語の奥深さを教えてくれる一冊です。そして、本好きのオタク心をときめかせてくれます。

著者は「わたしは大して文学的素養のない、ブルーカラー家庭に長子として生まれた、本が大好きな子どもだった。」らしいです。しかし、幼少の時から言葉が大好きで絵本だけでは飽き足らず、カタログまで読み漁っていました。「言葉に食らいつく」ような恐るべき子どもだったそうです。

それが成長して、「彼らは言葉のオタクであり、その人生の大半を、辞書の語釈を執筆したり編集したりことや、副詞について真剣に考えることに費やし、ゆっくりと、容赦なく視力を奪われていく。それが、辞書編纂者だ。」という業界に入っていきます。そして、忍耐力と好奇心のみがエネルギーとなる仕事に従事します。その日々の業務がつぶさに語られます。

辞書の話といえば、三浦しおんの「舟を編む」が有名ですが、あれは日本語辞書の世界。こちらは英語という言葉の海です。英語が現在使用されている形で、一言一言分析し、分類する。それを365日休みなく繰り返すという、究極の地味仕事です。本書は、一つの単語が様々な意味に変化し、多様性を持ちながら進化してゆくことを、多くの例文を挙げて解説しています。これは英語の参考書ではありません。英語研究者の本でもありません。池澤夏樹が「辞書の側から見た英語がこんなにおもしろいとは!言語は子どもである。行儀よくと願って育ててもどんどんワイルドになってゆく。」と推薦の言葉を書いています。

「なにかを読むことが好きなだけじゃなく、読み出したら止まらないこのわたしがーバスに乗れば広告を読み、次にポケットに突っ込んだレシートを読み、最後は他人の肩越しにその人が読んでいるものを読んでしまわずにはいられないこのわたしがー読むことでお給料をもらえるなんて。この仕事はやばい、もう最高」とその喜びを語っていますが、もうオタク丸出しですね。

ところで、皆さんは英語がいつから世界の公用語になっかご存知ですか。本書によれば「15世紀半ばに至るまで、英語が意想伝達や公文書に用いられうる、恒久的な言語だと思っていいる人なんていないのも同然だった。」のが史実です。しかし、1547年、ヘンリー5世が突如として英語を公的な書状に使い始めて以来、それまで言語の王位にあったラテン語、フランス語を駆逐してしまったのです。このように学校では教えてくれない英語の歴史をを知ることができます。

例えば、今フツーに使用している”tweet”(ツイート)という言葉は、20数年前には、「鳥の嘴からこぼれるもの」という意味でしかなかったのです。こういう事実を知ると、言葉って面白い!という思いが湧き上がってきます。

 

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武田百合子といえば「富士日記」が思い浮かびますが、私はこの本の良さがいまいち分かりませんでした。文庫なら上中下3巻という量で、結局パラパラとつまみ食いみたいな読み方で終わってしまいました。

が、久々に手に取った「日日雑記」(中央公論社/1050円)を、面白く感じました。

「玉(うちの飼猫)は今朝八時までに、日光浴をし水を飲んで牛乳を飲んで『北海しぐれ(カニアシの名前)』を食べ、毛玉を吐いてゲロも吐いて、うんことおしっこをした。あっという間に、そのうちにすることを全部してしまった。玉は十八歳、ヒトの年齢でいったら九十歳である。若い。えらい。すごいと思う。」

何気ない文章なのですが、あっという間に、猫の一日を簡潔な言葉で書いているところがいいですね。因みに、この文章、音読するとさらに良い。「ヒトの年齢でいったら九十歳である。」まで一気に喋り、「若い。えらい。すごいと思う。」を上がり調子で発声してみてください。

難しい言葉や、美辞麗句は全くなく、適度なユーモアと洒落っ気が、読者をニンマリさせるところがこの作家の真骨頂なのかもしれません。彼女が偶然見つけたポルノ映画館の宣伝ポスターには、「老人福祉週間。証明書をお見せください。半額」と書かれていました。その宣伝文句から、彼女はこんなことを想像します。

「辛うじて残っているポルノ映画館。ゆらゆらと老人が自転車を漕いで一人やってきて、自転車を立てかけ、汚れた厚ぼったい黒いカーテンをまくって吸い込まれて行く。」

なんか映画のワンカットみたいにリアルな情景ですね。そういえば、大阪環状線に乗っていた時、ラブホテルの看板に「全館バリアフリー」と言う大きな看板を見つけた時、大笑いしたことを思い出しました。彼女ならどんな情景を描写をしたでしょうか。

おいおい、そんな風に考えるか?という発想が随所にあるのも、この本の楽しさです。水族館にある爬虫類を集めた場所で、大型の毒ヘビのボアとアナコンダを比較して、こんなとんでもないことを言います。

「ボアは丁度あくびをしたところだった。隣のアナコンダに比べると、ずんと顔立ちもよく可愛らしかった、飼うならこれだ。」

「飼うならこれだ」で締めくくるか?と突っ込みたいところですが、ちょっと人を食ったところや、クールで投げやりな視線が魅力的です。

「夕方まで、だらだらと雨が降った。少し裁縫をし、少し本を読み、電話がかかってきて、ちょっと喧嘩した。夜になると、ざんざん雨が降った。レコードを出してきてかけた」

本書に収められたエッセイは、当時ハイブロウだった女性誌「マリ・クレール」に連載されていたものです。今の作家でも書きそうなことを、彼女はすでに80年代後半にすでに書いていたんですね。

お知らせ 

緊急事態宣言は解除されましたが、暫くの間、営業日・時間を下記のようにさせていただきます。

営業日:毎週 火曜日、木曜日、土曜日、日曜日  営業時間:13時〜18時

通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。通常営業再開はHPにて告知いたします。(info@book-laetitia.mond.jp)


「飲み屋ってのは、ハゲたらダメなんだよ。コーヒー屋のオヤジはハゲればハゲるほど、コーヒーがうまくなる。味に濃さが出る。でも飲み屋のオヤジがハゲると酒がまずくなる。これ、ほんとだから!オレが長いことやって来れたのは、ハゲなかったからだよ」

なんて言ってるのは、東京下北沢で40年続くロックバー「イート・ア・ピーチ」のオーナー中居克博さんです。彼は1974年にこの店を始めました。凄いですね、40年も同じ場所で、ロックバーを営んているなんて!

こんな名物オヤジたち11人の人生観、音楽への思い、店への愛着を描いたのが、和田静香「東京ロックバー」(シンコーミュージック/古書650円)です。

中居さんの話を続けます。彼が、店を継いだのはなんと19歳。前のオーナーが体を壊したため、やってみるかと言われて、うんと言ったのが始まりでした。いきなり大学生に店を譲る人も、譲られて拒否しなかった方も、なんだか凄い。筆者は「70年代ってお店を開くことが今よりもずっと堅苦しいものじゃなく、しかもロックが学生のものだったから学生がロック喫茶をやるのはそんなに奇をてらったことでもなかったようだ。」と書いています。

日本最古のジャズ喫茶は横浜にある「ちぐさ」。昭和8年開店です。私も行ったことがあります。で、最古のロックバーとなると1972年開店の「フルハウス」だろうということで、千葉県の稲毛にあるお店に筆者は向かいます。オープンした頃、日本中を震撼させた連合赤軍による「あさま山荘事件」を、持ち込んだTV で客と一緒に店で観ていたと語る高山真一さんは66歳。彼は電電公社(現NTT)に務めるサラリーマンでした。それが、どうして東京でもない千葉の片隅に店を開いたのか、面白いエピソード満載。そして今の心境をこう語っています。

「飲みすぎたからいつ脳こうそくになってもおかしくはない。一応は丈夫だけど、血液はドロドロだよ。この年になるとね。健康を一番考える。」

間食なし。納豆と魚焼いた朝ごはんを8時に食べ、自分で畑をやり、野菜を作る。まるで健康雑誌に登場しそうな人物です。でも、自分の店についてこんなことも言ってます。

「勉強してますよ、そうしないと若い子にバカにされちゃうし、ここが老人ホームみたいになるのはイヤなんでね。」

同感です。私も店を開けるとき、若い人に支持されない店には絶対したくないし、上から目線で語るジジイになりたくない、と思っていました。

昨年、当店で個展を開いてもらった九州の造形作家9cueさんと、彼女が是非行きたかったという市内のロックバーにご一緒しました。あぁ〜、この雰囲気、懐かしい!何十年もロックを聴いてて良かったとつくづく思いました。

“No music No life”ですね。

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アラスカをメインのフィールドにしていた星野道夫が、一冊だけアフリカに出向いた時の体験を本にしたものが、「アフリカ旅日記」(メディアファクトリー/古書1100円)です。何故、アフリカタンザニアに出向いたのか。それは、チンパンジー研究の世界的権威のジェーン・グドールに会うためでした。彼女はタンザニアのゴンベ国立公園で、チンパンジーの研究・保護活動をしていました。

アフリカへ向かう機内で、星野はこう書いています。

「どれだけ多くの国に出かけても、地球を何周しようと、それだけでは私たちは世界の広さを感じることはできない。いやそれどころか、さまざまな土地を訪れ、速く動けば動くほど、かつて無限の広がりを持っていた世界が有限なものになってゆく。誰かと出会い、その人間を好きになった時、風景は初めて広がりと深さを持つのかもしれない。」

アフリカとアラスカの違いがあるとはいえ、生まれた場所を離れ、新しい土地で生きてゆくことの思いは同じだったはず。彼女を通してアフリカを知る、というのが旅のテーマです。

離陸に失敗した時のことを想定して、乗客全員を後部座席に移動させてから、なんとか離陸するという、とんでもない空の旅を経験して、彼はゴンベに到着します。ゲストハウスに案内された時、必ずドアを閉めること。そうしないとヒヒの襲撃、ヘビの侵入を許してしまう、などと都会人なら逃げ出したくなるような状況なのですが、星野は意に介していません。こうして、彼のゴンベの森紀行が始まります。

グドールと共に森に入り、ここで暮らすチンパンジーを観察し、アフリカの大自然を楽しみながら、自分がアラスカに魅了されていったことを語っています。彼が撮った写真も沢山収録されていて、そちらも楽しめます。

一方で、星野は、農耕・漁業で暮らすゴンベの人々の慎ましい日々にも視線を向けます。そして、道無き道の果てに広がる原野に生きるアラスカ先住民のことを思い出します。

「村の暮らしは急速に変わっていても、彼らを包み込む自然は太古の昔と何も変わっていない。つまり、もし明日から遠い昔に暮らしに戻ろうとすれば、何もかもが用意されているのだ。彼らはピラミッドも神殿も建てはしなかったが、自然を変えなかった。狩猟民が持つ自然観は、私たちが失ってきたひとつの力である。」

「狩猟民の自然観の喪失」は、星野がしばしば書いていたことです。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 9日(土)午後1時より5時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。(次週からは、開店する日を増やす予定です)

京都に本拠地を置く出版社、ミシマ社の社長三島邦弘さんが本を出しました。タイトルは「パルプ・ノンフィクション」(河出書房・新刊1980円)です。何やら、タランティーノ監督の映画「パルプフィクション」に似たタイトル。あの映画みたいに血飛沫とび散る、業界粛清の本かとビクッとしましたが、そうではありません。

三島さんが出版社を立ち上げ、旧態依然とした書籍業界の常識に挑み、販路を開拓し、会社をどうまとめていったかを描いた、いわば社長一代記なのです。成功者にありがちな、説教臭さはなく、ちょっと失礼して社長の頭の中覗かせてもらいまっせ、へぇ〜こんな事、考えたはったんや、そら大変どしたなぁ〜と、ご本人とお話したくなる本です。

ミシマ社さんとレティシア書房は、開店の頃からのおつきあいです。一冊一冊に、作家と出版社の思いのこもった本を出されてきました。だから当店では、新刊だけではなく既刊本もできる限り置いています。2018年4月「ミシマ社と京都の本屋さん展」の時は社員総出で、当店のギャラリーの壁面を巨大な京都書店地図とミシマ社の本のポップで埋め尽くしてもらいました。

「会社を作る直前のことだ。2006年のある日、寝ていたら突然、やってきた。『出版社をつくりなさい』、天からの声のようなものが聞こえた。」

え?ホンマかいな?そんな風に脱線しながら彼の物語は始まっていきます。脱線しまくるところもあって、はよ進まんかい、と言いたくなったりするのですが、これもまた社長の個性です。

現在日本に流通している本は、出版社が直接書店に届けるものではありません。取次という問屋を経由して、そこから書店の規模、売上に基づいて分配されていきます。ところが、このシステムが今や疲弊し、何ら有効性を持っていない状況にあるのに、改善されていません。その弊害を取り除き、書店の利益を上げる流通形態をミシマ社は作り上げ、会社の方針と出版物に協賛する書店を増やしていきました。

その後、連べ打ちに新しい企画を立ち上げ、現在に至っています。

「中途半端な仕事をしたり、形式的にだけ仕事をするようなことは、この小舟の会社では不要です。本気で、一冊を作り、届ける。これをまっすぐ気持ち良くできる人たちとだけ、これからも働きたい。」とは社長が、部下に放った言葉です。そういう姿勢で作った本をあなたは誠実に売ってくれるんでしょうね、とこちらに言われている気がします。

ミシマ社の本はどれも大事です。だからこそ「ミシマ社」というコーナーを作り、できる限り(狭い店ですが)の在庫を持たせています。作家、出版社、書店そして読者が同一線上に並んでいる。新刊書店時代には、ほとんど感じなかった気分をミシマ社は与えてくれ続けています。一人の青年が立ち上げた出版社の壮大な実験と検証、そして反省の記録として、本好きの人にはぜひお読みいただきたいと思います。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月7日(木)、9日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。(次週からは、開店する日を増やす予定です)

ドキッとするようなタイトル「重版未来 表現の自由はなぜ失われたか」(白水社/古書900円)の著者、川崎昌平のことは、全く知りませんでした。タイトルと表紙のカワイイ系キャラのイラストと、本書の半分を占める不思議なコミックに興味を持ちました。コミックの舞台になっているのは、検閲が極端に強化され、表現者が迫害されている社会です。地下に潜った出版社に勤務する人たちが、法に違反した人々を殺戮してゆく軍人の追跡を振り切って、出版活動に従事するという物語です。陰惨な設定にも関わらず、キャラはカワイイ系ばかりが登場してきますので、そのギャップに戸惑います。

物語が進行していった終わりの方に、「表現の自由はなぜ失われたか」という著者の論考がボンと差し込まれます。時代設定は2030年。その時代を生きる男が10年前を振り返り、「京都アニメーション放火事件」や「愛知トリエンターレ事件」が、表現の自由を脅かしてしまったと後悔するのです。風変わりな設定ですが、ひたひたと押し寄せる検閲社会への警告の書です。

コミックの中で、地下に潜った編集者が「怖いのは・・・・・本がー表現が残せない未来だ」と発言します。「表現が残せない」、即ち表現が無理やり封じ込められることに、音楽・書籍販売に携わってきた私は3回遭遇しました。しかも、ソフトで穏便なやり方で。

1度目は、日本のロックバンドRCサクセションが反原発の歌詞を含んだカバーアルバムを出したが、レコード会社の親会社が原発関係に絡んでいたので、それを”考慮”して、自主的に発売を取りやめた時。

2度目は、EP-4という京都のバンドがメジャーデビューアルバム「昭和大赦」を発売した時です。アルバムジャケに藤原新也が撮影した写真が使われたのですが、それは、当時話題になった金属バットで両親を殺害した少年の家でした。その時もレコード会社は、社会的影響を”考慮”して、”自主 “回収を求めてきました。因みに、最初にこのアルバムについたタイトルは「昭和崩御」でしたが、「それは如何なものか」となり、大慌てでタイトルを変えた曰く付きアルバムです。(今はどちらも販売されています)

3度目は、オウム真理教がサリン事件を引き起こした時です。オウムは出版部門を持っていて、多くの出版物を出していました。事件が事件だっただけに、その社会的影響を”考慮”して、店頭からの撤去を、やはり”自主 “的にお願いされました。

社会への悪影響という問題はあるとはいえ、どれも、どこかの、誰かへの忖度が働いているような感じでした。私は「表現の自由を犯すな」みたいな社会的正義感でなく、ある種の生理的嫌悪感から、RCのアルバムの時は、レコード会社批判のポスターを店員たちが書いたものを張り出し、2度目の時は、そのまま販売を続け、3度目の時も、返本せず販売を続行し、おかげで店内を公安の方にウロチョロされました。

確か、各々の事件の後、業界の団体から「それは如何なものか」みたいな文書が送られてきましたが、店員たちと、なんかようわからん文章やな〜と話をしたと記憶しています。

たかだか20年余の仕事の中でさえ、これだけあった忖度。今はもっとあるのではないでしょうか。役者であり、ミュージシャンのピエール瀧が麻薬で逮捕された時、彼のバンド「電気グルーブ」のCDが自主回収されたことを知った時、変わってないなと思いました。その時、坂本龍一が「音楽に罪はない」と抗議したのはさすがでした。

コミックのラストは、ディストピア社会を生きる編集者が「一緒にボロボロになりながら本をつくっていこうよ」と言うところで幕を閉じます。出版社も書店も、そうあって欲しいと思います。私自身も、「生理的嫌悪感」を失うことのない本屋でいたいと思います。

 

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月2日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。

 

 

「愛の見切り発車」(新潮文庫/古書450円)の著者柴田元幸は、最も人気のある翻訳家で、当店でも「柴田元幸翻訳海外文学」というコーナーを作って、片っ端から並べています。

これは、そんな人気翻訳家の英語文学入門エッセイではあるんですが、翻訳者らしからぬ、こんな文章で幕を開けます。

「九七年夏場所現在、舞の海は見事幕内復帰を果たし、わがことのように嬉しい。智乃花は残念ながらまだ十両にとどまっているが、怪我をおして土俵に上がっているのを新聞で読むだけでも、なんとなく勇気付けられる。」

で始まり、小兵の相撲取りのウンチクへと流れていきます。え?英語文学の紹介本じゃないの??

「外国文学紹介・翻訳業者における読書量というのは、相撲取りにおける体重のようなもの」と論を展開していきます。ご本人は、「あまりたくさん本を読んでこなかった」と告白しています。つまり、読書量の絶対的不足=自らの知識量に重さがない、だから、重力体重を保持していない、軽量級相撲取りにシンパシーを感じる、というわけです。

トホホな感じなのですが、自分が関係した本と著者への愛情とリスペクトをなんとか伝えようと奮闘努力していると書かれています。大上段に構えて、英語圏文学とは、みたいな英文科の授業みたいな堅苦しさはありません。

フィリップ・ロスの「背徳の日々」の紹介で、のっけに登場するのはメルヴィルの「白鯨」。エイハブ船長と白鯨の闘争の物語です。登場人物は、語り手のイシュメールを除き全員海の藻屑となり、最後のページにはイシュメールの「というわけで俺一人だけ生き残り…..」という台詞が描かれています。ところが、最初にイギリスで出版された時、このページが抜け落ちていたのです。だから、生き残ったことを知らない批評家は、語り手が死んでしまったら、誰が物語を語るのかと批判されたそうです。

死者が物語を語ってはならないという厳格な原則は、シェイクスピアから現代まで遵守されていると著者は説明した上で、ロスの「背徳の日々」の第一章で死んだ人間が、第二章では元気に動いているという奇妙なシーンに遭遇します。そうして、ロスのポストモダンと呼ばれる小説について語っていきます。英米文学の熱心な読者でなくても、ふ〜んと思わせるところが柴田錬金術ですね。

実は、私がこの本を読んだのは、店の本棚に出そうとした時に落としてしまい、たまたま広げたページがここだったというのがキッカケでした。わ!面白いと思って、ドンドン読み始めました。海外文学はちょっと、という苦手意識のある方に、ぜひオススメしたい文庫です。

ちなみに、柴田翻訳本といえば、ポール・オースターの著作が有名ですが、私のベスト1は、ジャック。ロンドン「犬物語」( SWITCHPUB/古書2050円)です。

 

 

 

★連休のお知らせ 勝手ながら4月13日(月・定休日)14日(火)臨時休業いたします