作家というのは、こんな思考をするのかと感心した一節。

「あたまを雲の上にだし」で始まる「富士の山」の後半の歌詞「四方の山を見下ろして」に違和感を持ち、

「富士山は、別に他の山を見下ろしているわけではない、ただそこにあるだけだろう、と思えてならなかったのです。そんなふうな擬人化は、富士山の無理やりな矮小化に思え、山を、自然を冒涜しているように感じていたのでした。」

と、語るのは、当店でも人気作家の梨木香歩です。師岡カリーマ・エルサムニーという文筆家と彼女の往復書簡集「私たちの星で」(岩波書店1100円)に登場します。師岡は、日本人の父とエジプト人の母の間に生まれたイスラム系日本人です。彼女が世界で感じたイスラムのことに、梨木が対応するスタイルの書簡集です。

二人は世界情勢やら、人種差別のことを語っているのではなく、日常の些細な事、日々の暮らしの中から浮き上がってきた事などを、ぜひ聴いてくださいみたいな、嬉しそうな感覚で話し合います。もちろん、妙なナショナリズムが徘徊する、今のこの国へは厳しい視線をお持ちですが、肩は全く凝りません。

書簡を読みながら、梨木が異文化に対する態度を書いていた「春になったら苺を摘みに」にあった文章「理解はできないが受け入れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ」を思いだしました。

この書簡の中でも、「違う文化を拒絶せず黙って受け入れた経験を、たくさん持てば持つほど、ひとの『寛容』はどんどん鍛え抜かれていき、そのことがきっと、私たちを『同じ』家族にする、という観測は、あまりにもナイーブな楽観主義でしょうか」と書いています。

20通の書簡を読んで、多くの異なった文化で構成されている世界を見る目に柔軟さが増せばいいと思いました。

さて、件の「富士の山」をどうせ、擬人化するなら、こうだと変えてきました。

「あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見守りて かみなりさまは 下で鳴る 富士は日本晴れの山」

彼女、大声でこれを歌っていたみたいです。なるほど、こっちの方がスケール大きいですね。

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 


 

 

「文麗仮名というのは、近代文学向けの書体です。夏目漱石の『こころ』を読んでつくってほしいと言われ、やってみたものです。文勇仮名はプロレタリア文学、流麗仮名は女流文学向け、そして蒼穹仮名はカタカナが主役になれるちょっと変わった書体で、外国文字の翻訳のためにつくりました。」

これは書体設計士の鳥海修さんが、詩人谷川俊太郎宅を訪れた時に、自己紹介代わりに自分の代表作を紹介されたものです。この二人が向き合ったのは、谷川さんの詩のために、鳥海さんが文字をつくるという企画のためでした。二人の対談は文字への愛情が溢れています。谷川が若き日に読んで、書体が気になった野上弥生子「小さき生きもの」を持ち出せば、鳥海が、それは大日本印刷が持っている秀英という文体ですね、と応えるというふうに。

本の文字への深い想いをまとめた「Book Arts and Crafts」の取り扱いを初めました。1号と2号が発売中で、谷川の本を作る特集は2号です(1080円)。発行元は「本づくり協会」。様々な本作りへの啓蒙活動を通じて、文字への、或は紙への理解を深めていくことを目的としています。

本の内容だけでなく、製本、装幀、文字等々をトータルにひっくるめてモノとしての本に魅かれる”愛本家”には、ぜひ読んでいただきたいミニプレスです。なお、この協会には、以前ご紹介したクルミド出版社代表の影山知明さんが理事として参加されています。徹底的にモノとしての本作りに拘ったクルミド社の本に接したことのある方には、この本の質感が分かって頂ける思います。

もう一冊、新刊で井原奈津子著「美しい日本のくせ字」(パイインターナショナル1944円)という、文字に関する本も入りました。様々なくせ字を分析してあるのですが、文章が面白い!

松田聖子のファンである著者が、子供心にもデビュー当時の聖子の「丸文字」をダサい!と思い、「デフォルメが大きすぎる。左右非対称で均整が取れていない、曲線はゆがんでいる……..」と欠点をあげつらい、その後変遷する聖子の文字を巡ってああだ、こうだと推測し、「聖子さんはずっと輝き続け、私たちは魅了されるのだろう」と、やはり聖子は素晴らしいんだという結論まで楽しそうに綴られています。

70年代女子の丸文字から、90年代女子の長体ヘタウマ文字まで、よくここまでくせ字を集めたものです。これは?と思うくせ字に出会った時に、コレクター魂で例え落ちているメモでもゲットした努力の賜物なのでしょうね。著者は、習字の指導、毛筆ロゴの制作を行いながら、「くせ字愛好家」としてくせ字講習会も実施されています。

因みに、鳥海修さんも井原奈津子さんも出身は多摩美大です。

税務署の事業届けでは、古本屋で申請しています。ミニプレスやら、新刊、あるいは比較的新しい作家を、このブログでは取り上げていますが、いかにも古本屋さんらしい本も読みますし、販売もしてます。ただ、私は完本(初版/帯付き/函)至上主義ではないので、まぁ、あんまり積極的でないのも事実です。

昭和15年に発行された獅子文六の「牡丹亭雑記」(白水社/重版500円)は、この作家の飄々としたユーモア精神満載のエッセイ集で、気分が良くなってくる一冊です。

「乾いて、ヒンヤリと、セーヌの河波を運んでくる風ー。『あア、いい気持ちだなア』と、思ふ途端に、河岸のプラタースの葉越しに、パッと、花火の光と音に驚いたりする。」

これ、パリ祭を現地で楽しんだ時の文章ですが、初夏の風が肌に当たる気持ちよさが伝わります。

大正11年、”東京市”神田町の金星堂から出た佐藤春夫「芸術家の喜び」(初版1000円)は、真面目な芸術論で、眠たくなったりするのですが、「室尾犀星『幼年時代』は上品な静かな情緒が私を同感させた。それにはどこか、小川未明君や秋田雨雀君や葛西善蔵君などのそれぞれの一部分と一脈の共通した『詩』の心境がある」という文章を見つけた時、極貧を描く葛西の小説の良さを理解する手助けになりました。

最近、見直したのが昭和17年に発行された堀辰雄の「幼年時代」(青磁社/函入りー穴空いてます/初版300円)です。堀辰雄の、一般的イメージと言えば、「風たちぬ」に代表される清純で、ロマンティシズム溢れる世界ではないでしょうか。この文庫サイズの函入り本「幼年時代」を読んでいると、リアルな文体で、感傷的にならずに、少年の目で見た世界を見事に描き出しています。「さういふ夏が終って、雨の多い季節になった」で、始まる「洪水」は、台風並みの風と強い雨で、彼の家の側の河川が氾濫し、避難する話で、少年ながら冷静にその時の状況を見つめています。過ぎて行った時代へのセンチメンタリズムを巧みに織り込みます。あ〜堀辰雄ね……、などと知ったような顔をしてはいけないと思いました。

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

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東大東洋文化研究所の教授安富歩の本のご紹介、と書き出すとなんか難しそうな本かなぁ〜と引いてしまわれそうですが、ちょっと違います。先ず、表紙をご覧下さい。大きく「男性のフリはやめました」と書かれた横に写っている方が教授です。本のタイトルは「ありのままの私」(ぴあ)

若き日に、「自分は男性のフリをしている」ことに気づいた著者は、そのストレスから抜け出るために、男性の服装を脱ぎました。では、女装趣味か?いえそうではありません。こう書いてあります。

「私は『女装』をしているのではないのです。ただ、普通に服を着ているだけなのです。それが女性の服なのです。なので、私がしているのは『女装』ではなく『女性装』と言うのです」

この本は、著者の女性装から始まり、自由に生きること、自分らしく生きること、そして異なるものを排斥するこの国の窮屈さが、軽やかな文体で書かれています。

最初に女性服を着た時の印象「それは柔らかくて薄い、ということでした」。それが自分の身体にフィットして、心まで軽くなってくることを知った著者は、多くのバリエーションを持つ女性服の豊かな世界へと入っていきます。最初はオズオズと、やがて、その姿で社会に出ていきます。講演会に出たとき、会場にいた女性から「おきれいですよ」と言われて、一歩前に出る事ができたのだそうです。そして、教授会にも女性装で登場します。

話はちがいますが、同じ色のスーツ姿のサラリーマンがぞろぞろと出て来ると、私は気色悪さを感じてしまいます。個性も無いし、それにまるでスーツが戦闘服みたいで、組織の暴力をそのまま背負っているイメージがするからです。

さて、やがて、おネエ好きのTV界からもお声がかかります。最初の声をかけてきたのはフジTV。マツコ・デラックスを看板にした「アウト×デラックス」でした。この番組以外では、保守的なTV界でかなり嫌なこともあったそうですが、「アウト×デラックス」は彼を「男装をやめた東大教授」ときちんと紹介して、主張も視聴者にわかりやすく的確に編集されていたそうです。

けれども一方で、LGBTに対する差別がひどいテレビ界への苦言も書かれています。「日本のテレビが下らないのは、『わかりやすさ』と称して、視聴者が事前に抱いているステレオタイプに寄りかかった番組を作るからです。そして対象となる人や出来事に対して、ステレオタイプを押し付けるのです。これが大変な暴力を生み出します。これが差別なのです」ステレオタイプに挑戦する心構えがなければ、早晩視聴者からは見放されるというのは、全くその通りです。

この本で私が最も面白いと思うところは、マツコデラックスという存在を、歴史学者、網野善彦の「無縁・公界・楽ー日本中世の自由と平和」で述べている「無縁」の原理に体現者ではないかという考え方です。

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

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川上弘美が1993年に書いたデビュー作「神様」が「神様2011」(講談社650円)としてリミックスされました。そこには深い意味が隠されていました。

「神様」は、川上らしいというか、奇妙なテイストで永遠に残りそうな作品です。

「くまにさそわれて散歩に出る。河原に行くのである。」というふうに、フツーにくまと散歩する人が登場します。これって、ファンタジー?でも「三つ隣りの305号室に、つい最近越してきた。ちかごろの引越にしては珍しく、引越蕎麦を同じ階の住人にふるまい、葉書を十枚づつ渡してまわっていた」などという律儀なくまは、なかなかファンタジーには登場しません。                       

二人は、近くの川に出向き、彼はくまに川魚を取ってもらい、干物にしてもらいます。そして、楽しい一時を過ごしてアパートに戻ります。部屋の前で、親しい人と別れるときの故郷の習慣だとくまに言われて、抱擁します。それだけの話です。この小説が描いているのは、ただ一言、平和な時間です。

2011年のあの震災のあと、作家は「神様」を書き直しました。「くまにさそわれて散歩に出る。河原に行くのである。」で、やはり物語は始まります。しかし、「暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持ってゆくのは、『あのこと』以来、初めてである」と震災後、原発事故で起きた放射能漏れに関する描写が、チラチラとでてきます。河原に遊びにきている男に、くまは放射能に強いからいいなぁ、などと言われても、

「そりゃ、人間よりは少しは被曝許容量は多いですけれど、いくらなんでもストロンチウムやプルトニウムに強いわけはありませんよね。」とさらりとかわします。そして、二人で河原で遊び、やはり抱擁して部屋に戻ります。ただ、オリジナル版と違うのは彼が、その日の総被曝量を計算して終わることです。

原発事故をことさら大きく取り上げている訳ではありません。

「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろん、この怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから、この怒りをいだいたまま、それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも『もうやになった』と、この生を放りだすことをしたくないのです。」

と、あとがきに書いています。メルトダウンが起こるまで何もして来なかったという後悔を抱え、たとえ、如何なる状況でも平和な時間は手放さないという思いが、満ちあふれています。

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

 

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 


                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モルモット吉田著「映画評論・入門!」(羊泉社1000円)は、最近読んだ映画関連の本の中で、すこぶる面白い本でした。映画なんて、しかも評論なんてと思われる方にも、或はジャーナリズムを勉強されている学生さんにも、お薦めです。

1965年、ベルリン国際映画祭に、日本から若松孝二のピンク映画「壁の中の秘事」が、公式コンペ作品として出品されました。どうしてそうなったかは、本書に書かれていますが、当時第一線にいた映画評論家から、あからさまな非難、中傷が巻き起こります。大手新聞が、「意に沿わない映画は<上映禁止>にして<破棄>せよ。」と主張する有様。きちんとした芸術映画ならいざしらず、エロ映画が海外に出てしまったことが屈辱だ!と、作品の中身を批評するのではなく全く違う所で起こった差別的発言です、65年7月の読売新聞は社説の中でこんなことまで言っています。

「ベルリン映画際で国辱をひきおこした問題の映画にしても、その後焼却されたということはいっこうに耳にしない」

それから40年後、若松の「キャタピラー」が同映画際で主演女優賞を獲得した時、おおいに褒めちぎるという、まぁマスコミってこんなもんねという対応でした。60年代、エロ映画への批判的視線は理解できますが、内容を差し置いてのヒステリックな非難や、作品を抹殺しようとしたことは、認められません。

1965年、市川崑監督「東京オリンピック」が、オリンピックの記録映画として相応しくないと、時のオリンピック担当大臣が怒り出し、作品を再編集して、上映しようという前代未聞の事件が起こりました。市川の映画は、記録というより、極めて大胆な詩的映像を丹念に積み上げた傑作で、今やスポーツドキュメントのお手本になっているのですが、日本人の勝ったシーンがないやらと文句を言い出します。この時、この映画を守ったのは、映画評論家ではなく、女優高峰秀子(写真)でした。新聞紙上で役人の批判に明確に反論しました。

「『記録映画』と一言にいっても内容の受けとり方が、市川氏と組織委員会ではずい分ちがっていたようである。私からみれば、お役人の不勉強の結果が『批判』という偉そうなことばになって出た、としか思えない。」

さらに、担当大臣に掛け合い、市川の映画を守ります。では、その時に映画ジャーナリズムが、何をしたかといえば、何も出来なかったのが現状でした。

この本は、その後登場する新しい映像表現、例えば日活ロマンポルノや東映実録やくざ映画、そして北野武の映画作品に対して、マスコミや評論家がどう言ったかを検証していきます。

映画評論の歴史を辿りながら、正しく批評することの難しさを知るというユニークな一冊です。

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「レティシア書房・夏の古本市」の開催中ですが、その間もどんどん本が入荷しています。今日は、その一部のご紹介です。

鳥の絵を描かせたら右に出る者がいない薮内正幸は、多くの絵本、児童書に素晴らしい作品を提供してきました。1973年には(財)日本鳥類保護連盟と、サントリー(株)による愛鳥キャンペーンの新聞広告で、朝日広告賞第二部第グランプリを受賞しました。薮内の「ペン画集 野鳥の四季」(講談社1800円)が入荷しました。日本の四季折々の鳥の姿が、精密に描かれています。何点かカラー作品も収録されていて、木に止まっているつぐみの姿などは、惚れ惚れします。

「海からの贈り物」で多くの読者を得た、アン・モロウ・リンドバーグの娘であるリーブ・リンドバーグが、自分の母親の最後を綴った「母の贈り物」(青土社900円)。帯には、「海からの贈り物」を翻訳した落合恵子が、こんな素晴らしい推薦の言葉を寄せています。

「アン・モロウ・リンドバーグは、本書の著者の母であると同時に、彼女の著作を深く愛し、自立と内反の豊かな『個独』を学んだ世界中の読者のたちの、偉大なる『母』ともいえるだろう。その『母』の最後の日々を描いたこの作品は、人生の午後を生きる人、そして愛するひとの最期の時空に寄り添うすべての人々への、もうひとつの贈り物になるはずだ。」

もう一点。こちらは、当ギャラリーで個展をされた写真家、呑海龍哉さんが海外の各地で撮影した写真と、宿泊したホテルの”実測スケッチ”を一緒にした「ホテルから始まる夢の旅」(2592円)です。アジア、アフリカの各地の日常風景を捉えた写真と、滞在したホテルの部屋を実測して、解説を加えたという、あまり他に類を見ない一冊に仕上がりました。成る程、この国のこんな部屋か、と覗き見している気分が楽しい旅の本です。面白い企画です!

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」開催。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

暑い日が続きますが、お立ちよりください。

8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。


布作家、早川ユミの新刊「野生のおくりもの」(KTC中央出版1728円)が入荷しました。

「土から生まれる 土は はじまり 土にふれる手によろこび 土のうえにいると、わたしの野生がおどる」

という詩で始まるこの本は、土、そして大地と共に生きる考えを、様々な角度から描いた、いわば彼女の思想の拠り所をまとめた一冊です。

1971年、京都国立近代美術館で開催された「現代の陶芸ーアメリカ・カナダ・メキシコと日本」展で、鯉江良二の「土に還る」という作品に出会ったことが、彼女の分岐点でした。当事14歳だった著者はこう語っています。

「一瞬にして『土に還る』ということばが、わたしのからだにすっぽりはいっていきました。そして、そのあとのわたしの人生には『土に還る』が、こころのまんなかにいつでもあって、わたしの根っこのひとつになったのでした。」

「土に還る」とは、具体的にどう生きてゆくことなのかの思索の旅の始まりです。沖縄へ、アイヌへ、インドへ、とその土着の文化の根源に触れてゆきます。

「土から生まれる思想。沖縄やアイヌの祖先、縄文人にとっても、土は母なる大地だと信じています。縄文土器は母なる女のひとのからだをあらわしたもの、沖縄のひとのお墓は子宮のかたち、アイヌにとっては母なるものは川だといわれています」

母なるもの、女性性を代表するようなものを、現代の文明がぶち壊してきました。これからは、いかにして自然によりそう暮らしへとむかってゆくかを彼女は考えます。この本には、多くの人が登場します。この本に力強い絵を提供したミロコマチコ、フォークシンガーの友部正人、作家の田口ランディといった個性的な面々。京都白川にある「なやカフェ」や、鎌倉にあるパン屋「パラダイスアレイ ブレッド&カンパニー」等の、大地と関わりながら生きている人達の面白い生き方や、考え方が満載です。「くらしに野生の種をまく」指針となりそうです。巻末には、「野生をまなぶ本たち」という有り難い一覧まで付いています。

以前の著作、「種まきびとのものつくり」(2052円)、「種まきびとの台所」(1944円)も入荷しています。

 

 

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

暑い日が続きますが、お立ちよりください。

★休業のお知らせ 8月7日(月)8日(火)は古本市の準備のため連休します。 

8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。


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幸田文の随筆は、その文章の上手さに惹きつけられて、チョイチョイ読んでいましたが、こんなネイチャー・ライティング的な本も出していたのです。彼女の最後の長編「崩れ」(講談社950円)です。

この本の紹介をする前にネイチャー・ライティングを一般的に定義しておきましょう。基本的に自然環境を巡るノンフィクション文学をこう呼びます。。自然科学系の客観的な自然観察とは異なり、自然環境をめぐって「作家の思索や哲学的思考」が中心となるのが特徴です。おそらく原点は、アメリカならソローの「森の生活」、日本なら野尻抱影の著作あたりではないかと思われます。芦澤一洋の「アーヴィングを読んだ日」(小沢書店/絶版 950円)がそのアンソロジーとして優れた一冊です。

さて、幸田文の「崩れ」は日本の大自然の中で、各地で起きる山崩れ、河川の氾濫等を現地に出向き取材したものです。昭和51年11月から52年12月まで、雑誌「婦人之友」に連載されていたものを単行本にしてあります。どこから読み出してもいいのですが、第八章「十月なかば、富山県も常願寺川をさかのぼって、立山連峯のうちの一つ、鳶山の崩壊を見にでかけた。」がお薦めです。

砂防のメッカといわれる難所で、崩壊も荒廃も凄まじい場所なのだそうです。見に行きたいという欲求と、老体の自分が、そんな環境で耐えられるのかという不安のせめぎ合いの中、出かけてゆくところは、スリリングな出足です。幸田はその行程をリアリストの目線で見つめ、的確な日本語に置き換えて、読者に荒涼たる現場をつぶさに見せてくれます。リアルな自然描写のなかに、「作家の思索や哲学的思考」が巧みに織り交ぜられています。強力に背負われて、急峻な道を上り、その崩壊の現場に立った時、彼女はこう書き記しています。

「見た一瞬に、これが崩壊というものの本源の姿かな、と動じたほど圧迫感があった。むろん崩れである以上、そして山である以上、崩壊物は低いほうへ崩れ落ちるという一定の法則はありながら、その壊れぶりが無体というか乱脈というか、なにかこう、土石は得意勝手にめいめい好きな方向へあばれだしたのではなかったー私の目はそう見た。」

そして「おそらくここはその昔の崩れの時、人が誰もかつて聞いたことのないような、人間の耳の機能を超えるような、破裂音を発したのにちがいなかろう、と思わされたのである。気がついたら首筋が凝っていた。」と、長く佇むべきではないと確信しています。

「崩壊についての書物は、読んでもわかるところが少なくなかった。」と自分の読書体験を綴り、だからこそ誰でも容易に理解できる荒々しい日本の自然の姿を書こうとしたのかもしれません。そして、その果てにある風景に、帯にあるように「生あるものの哀しみを見つめる」ことに向かいます。

日常生活の様々な風景を描いたエッセイとは全く別の世界ですが、ネイチャー・ライティングの力量まで持っていた作家の大きさを知る一冊です。

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

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風変わりなタイトルの下に、「世界の本屋さんで考えたこと」というサブタイトルがあります。いろんな国の本屋の紹介かと思っていたら、これは本屋をめぐる超変化球的内容の一冊でした。

「日本語に生まれて」(岩波書店1300円)の著者、中村和恵は比較文学比較文化を教える大学の先生で、エッセイスト。この本は、岩波書店の月刊誌「世界」に「世界の本屋さん」として連載されたものが編集されて一冊にしたものです。しかし、欧米の大型書店、個性派書店を紹介するというのではありませんでした。

なんせ、最初に紹介されるのがドミニカ島の「ジェイズ・ブックストア」という教科書と観光案内所書を扱う本屋さんですからね。(因みに、このドミニカ島はハイチの隣国ドミニカ共和国ではなく、カリブ海にある小さな島です。)この島出身の、ジミー・リースという作家を追いかけながら、ヨーロッパ列強の植民地だった島に息づく独自の文化へと視点は向いていきます。

次に紹介されるのは、やはり現在もフランス領マルティニーク島では、1890年代に誰が書いたのかわからない官能小説「マルティニーク島サン・ピエールの乱痴気騒ぎの一夜」。「当時の植民地のキリスト教道徳観からして市場に堂々と出回るものではなく、マルティニークの一部の読者の間で『コートの下で』まわし読みされていたものであろう」というこの官能小説を巡りながら、植民地文化の中で、やはり独自の解釈で男と女を見つめてきた島の文化が紹介されていきます。

つまりこの本は、こんな素敵な本屋さんがあります的な、単純な本屋探訪記ではなく、自分たちを育んできた文化が生み出したものへの探求を目指しているのです。私も読んでみて、こちらの思い込みが見事に外れたことに驚きましたが、それ以上に言葉を通して世界を知るという、スリリングな経験をさせてもらいました。

「すみません、本屋さんはどこですか」と著者は世界の<端っこ>を歩きながら本を求め、翻って日本語について想いを巡らす。そんな彼女の旅にお付き合いした気分です。こういう濃い内容は、かなり専門的言葉を駆使して、学術的な本になってしまうのですが、著者のユーモアが巧みに配置されていて、素人でも読めるところがいいですね。例えば、コートの下で回し読みしていたという件の官能小説の事を書いた後に、こう続いています。

「でもコートって、マルティニークじゃ着ないよね。毎日、ほんとうに暑い。」

好奇心が強くて、物知りの人の話って面白い。

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。

個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

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