長谷川濬(1906〜1973)という人物をご存知の方は、動物文学に、或はロシア文学に詳しい方か、先の大戦で日本が満州に作った映画会社、満州映画協会に詳しい方ではないでしょうか。

函館新聞の主筆だった長谷川の父には、四人の息子がいました。長男海太郎はアメリカ放浪後、帰国して小説家としてデビューして、多くの作品を発表しています。次男の長谷川 潾二郎は、パリ遊学後、風景画や静物画で独自の画風を作り上げた洋画家です(写真右・猫の絵が有名な画家)。三番目が長谷川濬で、その下の弟が長谷川四郎、「シベリヤ物語」等の作品で戦後の日本文学の一翼を担い、また黒澤明がロシアで監督した「デルスウザーラ」の原作の翻訳でも知られた作家です。

それぞれ文学、美術のジャンルで名をなした兄弟の中に長谷川濬はいました。彼の戦前から戦時中の満州での活動、そして結核に苦しんだ戦後を追いかけたノンフィクションが、大島幹雄の「満州浪漫」(藤原書店1200円)です。ズバリ、面白いの一言につきる一冊です。

若い日の初恋や人妻との恋愛事件を経て、右翼の大物大川周明のバックアップで、満州に渡り満州映画協会に入社しました。この頃に動物文学の最高峰、誇り高い一頭のシベリア虎の物語を描いたバイコフの「偉大なる王」を翻訳し、戦前のベストセラーになりましたが、敗戦後、満州国の崩壊で、帰国まで地獄の日々を味わいます。戦後は、ロシア語通訳などをしながら、大物のプロモーター神彰(有吉佐和子の元夫)と共に、ドン・コサック楽団を招聘し大成功を収めるも、結核の再発で入退院を繰り返し、73年67歳の生涯を閉じます。

文学者として詩人として、満州、そしてロシア国境で彼が見続けていた夢とは一体何だったのだろうか。バイコフに出会って「偉大なる王」の翻訳に情熱を傾ける日々は、文学者の一途な姿でした。しかし、敗戦直後、満州映画協会のドン天粕正彦の最後を看取り、敗走の最中、幼い娘が自分の腕の中で高熱のため死亡するという経験ののち、帰ったきた日本での戦後の暮らしに幸せはあったのか。娘、道代の死をこう書いています。

「道代は満州の街路でー遠方の広場に苦力が一杯群がって何か朝飯をたべていた。熱いかゆか………。白い湯気が昇っていた。道代は私の腕の中で安堵したものの如く、熱いままに自ら気が抜けて行くように息絶えて行った。そして私の腕にぐったりと横たわった。」

詩人としてロシア文学者として、大陸を彷徨い苦闘した長谷川濬の、130冊にのぼる自筆ノートが存在します。著者の大島はそのノートを丹念に読み込み、彼の生涯を見事に浮き上がらせていきます。並々ならぬ力量ですが、著者の本職はなんとサーカスのプロモーターだとか。これもまた面白い。

年に何度か、冒険小説、或はサスペンス小説を一気に読むことがあります。この正月にも一冊読破しました。中山可穂「ゼロ・アワー」(朝日新聞出版/古書700円)です。

中山は女性同士の恋愛をテーマにした作品を多く書いています。個人的に印象的だったのは、能の演目を小説にした作品集「悲歌」の中にある一編「蝉丸」です。以前ブログにも書きましたが、幸せな家庭を持っている男が、かつて溺愛した青年のことが忘れられず、「彼は僕のすべてだ」と言い放ち、妻を置き去りにして、アンコールワットの遺跡をさまよう話です。

その作家が、初のサスペンス小説を書いたことを、年末の新聞の読書欄で知りました。殺し屋に一家全員惨殺された少女が、その殺し屋への復讐を誓い、裏社会へ入り、コードネーム<ロミオ>と呼ばれる殺人者になり、伝説の殺し屋<ハムレット>をターゲットにするまでを描くノワールものです。東京とブエノスアイレスを舞台に、アルゼンチンの軍事政権時代の闇に歴史を絡ませながらターゲットに接近してゆく様を、ノンストップで描いていきます。ややケレン味が濃すぎる部分がありますが、ヒロインの疾走感に、エキサイトしました。狂ったように突っ走るヒロイン<ロミオ>には、破滅的な恋愛にすべてを投げ打つ、中山の小説に登場する女性たちとダブってみえてきます。

短篇集「氷平線」(文春文庫300円)を読み終えて、ノワール小説を書いてほしいなと思ったのは、桜木紫乃です。

釧路在住で、北海道を舞台にした作品を発表。ラブホテルを舞台にした直木賞受賞の「ホテルローヤル」で、いわゆる”性愛文学”の一人になっていますが、北の大地で、空虚な人生を彷徨いながらも、明日につなげようとする男女の哀感を描き出していました。

突然、牧場に嫁として連れて来られたフィリピン娘と、昔の女が忘れられない牧場の跡継ぎ息子の葛藤を描く「雪虫」や、無意味な夫婦関係にピリオドをうち、娘と共に閉鎖的空間を脱出する女性を描いた「夏の稜線」など、牧場を舞台にした作品が並びます。

「凍り付いたコンクリートの階段を、道路沿いの街灯と月明かりを頼りに下りる。根雪がほんのりと、人幅に踏み固められた道を照らしていた。その家はオホーツク海に面した幅一キロほどある入江に建っていた。黒や灰色のトタンを継ぎ接ぎしながら、ようやく雨風をしのいでいる。」

なんていう情景描写の文章は、そのまま犯罪小説にも使えそうです。ノワールもの書いてくれないかなぁ〜と思っていたら「ブルース」という”釧路ノワール”ものを出していました。これも読もう!

今、最も行ってみたい本屋の一つ、東京の「title」店主の辻山良雄さんの二冊目の本「365日のほん」(河出書房新社新刊1512円)を入荷しました。

「本屋は本を紹介することが仕事です。Title では開店依頼、『毎日のほん』と題してウェブサイドで一日一冊、本を紹介していますが、この『365日のほん』は『毎日のほん』とは別に本を365冊選びなおし、紹介文を書きました。日本には四季がありますが、性格が異なる四つの本棚を思い浮かべて、その季節の本棚に合った本を並べています。そうしてでき上がった小さな本が、この『365日のほん』。暮らしの近くでいつでも手に取っていただけるよう、ポケットサイズの大きさにしています。」

考える本、社会の本、くらし・生活、子どものための本、ことば、本の本、文学・随筆、旅する本、自然の本、アート、漫画の各ジャンルに分けて、春夏秋冬それぞれに相応しい本が紹介されています。「春ははじまりの季節」と書かれた「春の本」の巻頭を飾るのは荒井良二「あさになったらまどをあけますよ」。

「いまこの瞬間に世界のどこかで、今日も窓を開けている人がいる。開け放った窓からは風が吹き抜け、透き通った朝の光は、山ぎわ、海辺の町、川面を同じように照らす。それだけのことがいかに奇跡的で、人の心をどれだけなぐさめてきたことか」

と、震災後の祈りとも言える絵本を、簡潔な文章で紹介されています。とてもいい文章です。

今日マチ子の傑作反戦漫画「cocoon」を「男がはじめた戦争は、いつも本当にくだらない」とズバリ言い切っています。このコミックの真実をズバリです。私もこのブログで今日マチ子を紹介したことがありあますが、そうなんだ!!これが書きたかったんです。

「人間が住み着く以前から、変わることのなくそこにある地球。その本質に触れるのは、素朴で硬質な文章」と星野道夫「旅をする木」を紹介。何度か星野の本はブログで紹介しましたが、こんな文章、私には書けません。

紹介された本を実際に読み、その感想を本に一杯書き込むのは如何でしょうか。それを著者に見せてあげたら、喜ばれるかもしれません。

「本は誰かに読まれることで、はじめてその本になります。そして、その本を自分の本棚に並べておくことは、そのなかに書かれている世界が、いつでも自分の手の届くところにあるということです。普段からそうした一つ一つの世界と通じ合っていれば、その人はいくつもの世界を視ることができるようになるでしょう。」

著者は、そんな思いで日々、レジに立たれているのでしょう。新刊ばかりなので、どこでも入手できます。是非、今年の読書計画に役立てて下さい。

Tagged with:
 

「強くなることが使命・・・・使命までいくか分からないですけれど、自分のすべきことだと思います。どのような景色が見えるのか。強くならなきゃいけないと思っています。将棋は奥が深い。強くなっても、強くなった先にある深遠さを見ていたいです。」

弱冠15歳の藤井聡太の言葉です。ベテランの棋士が言うならいざしらず、15才過ぎの青春真っ盛りの青年から、強くなった先にある深遠さを見ていたい、なんてセリフが出てきますか? なんとも凄味があります。

北野新太著「等身の棋士」(ミシマ社1728円)は、藤井聡太、羽生善治等の棋士へのインタビューと、対戦の日々をドキュメントしたノンフィクションです。私は、将棋のことは全く知らないし、やったこともありません。でも、これは面白かった。100%理解できたとは言えませんが、肉体と精神のギリギリのところで、勝負している人達がいることに驚かされました。

「棋士という二文字は『将棋を指す侍』を示している。プロ棋士という言葉を散見されるが、厳密には誤用である。力士と同じように、棋士という単語はプロフェッショナルであることを示す意味が初めから内包している。アマチュア棋士はいない」

勝つか負けるか、喰うか喰われるか、の世界です。筆者は、藤井や羽生といった人気の棋士だけでなく、非情な世界で生き抜く男達、そして女達を追いかけていきます。

驚いたのは、ワルシャワから日本に来て、女流棋士を目指すカロリーナ・ステチェンカという女性でした。彼女は15年12月、女流名人戦で山口恵梨子初段に敗れ、デビュー戦を飾れませんでした。遥か彼方の異国から、将棋を指しにこさせる原動力は如何なるものなのか興味は尽きません。

「等身の棋士」には、今まで読んだスポーツノンフィクションの傑作、例えば山際淳司の野球もの、沢木耕太郎のボクシングものと同じような匂いがします。簡潔でストイックな文体が、登場する男たち、女たちの心の襞を捉えていく手法です。

「かつて羽生は言ったんだ。将棋には人をおかしくさせる何かがあると。」

そんな奥深い暗闇でもがき続ける勝負師たちにストレートに立ち向かった筆者の愛情が溢れたノンフィクションです。

なお筆者には、ミシマ社からもう一冊「透明の棋士」(1080円)があります。こちらもどうぞ。

 

三浦しをん「あやつられ文楽鑑賞」(ポプラ社/古本700円)は、笑いの止まらない文楽入門書です。

ご存知「忠臣蔵」に登場する若い二人、おかると勘平。文楽でも歌舞伎でも見せ場の多い人物ですが、二人が何とか時間を工面して逢瀬する場面も、しをんさんにかかると、こうなります。

「『おいおい、ちょっと待てよ』『なによ、なにを待つってのよ。もう夜が明けちゃうわ。ほらほら、ねえ』と、ラブホテルにしけこむのであった」

大星由良助が、討ち入りの話を盗み聞きした九太夫を捕まえて、部下の平右衛門に引き渡す場面は、こうです。

「『そら、平右衛門、そいつを加茂川で……..。」「加茂川で、どうします?「水雑炊を食らはせい」ぶるぶる、こわいよ。陰湿な比喩も操る由良助。これがヒーローの発言でしょうか。『東京湾に沈めるぞ』に匹敵する、ヤクザ顔負けの由良助のセリフなのだった。」

この調子で演目の解説が続くかと思えば、ミーハー丸出しで、ご贔屓の演者に体当たりインタビューを敢行します。さらに、文楽が歌舞伎になった演目や、文楽が関係する落語の演目を見にいきます。ほんとに、文楽が好きなんだなぁ〜と言うことが伝わり、こんなに楽しい舞台観なきゃそんだよ、というしをんさんの声が聞こえてきます。

何度か、私も大阪に文楽を観に行きました。初心者にも理解しやすいように、舞台横に字幕が出るので安心です。こじんまりした劇場なので、三味線の音も、大夫さんの感情の籠った声もガンガン響いてきます。もう、これはライブコンサートです。しおんさんがハマるのも理解できます。

文楽って不思議で、何しろそれまで単なる人形だったものが、いきなり魂を持った人物に豹変するのですからね。

「文楽の人形は、魂の『入れ物』である。大夫さんの語り、三味線の奏でる音楽、そして人形さんが遣うことによって、はじめて魂を吹きこまれる『容器』なのだ。だから場面に応じて、人間以上に『人間』になることも、聞き役に徹する『背景』になることもできる。」

空っぽの木の人形に魂が取り憑く。その瞬間を私たちは体験できるのです。歌舞伎ほど、チケットも高くはないので、気楽に行けます。

尚、しをんさんは、先程の「仮名手本忠臣蔵」には大和なでしこなんていない。日本女性は、なでしこのようだなんて世迷い言だ!「強い女、自分の意見をはっきり言う女、いざとなったら腕力に訴える女」ばっかりだという意見です。同意見です。

以前に、川上弘美の「神様2011」(売切/近日入荷)をご紹介しました。デビュー作の「神様」と震災以降を舞台にしたリミックス版。その元版で、紫式部文学賞を受賞した「神様』(中公文庫/古書350円)が入りました。

「神様」は「くまにさそわれて散歩に出る」という文章で始まるファンタジーの様な不思議な小説です。この短篇集には、表題作以外に8篇が収録されています。「草食の朝食」は「神様」の後日談で、「くまにさそわれて、ひさしぶりに散歩に出る」という相変わらずのフレーズで物語は始まります。美味しいワインとくまさんの手料理で、ピクニックに出掛けます。そこで、くまさんは里に帰ることを伝え、淡々と北の国へと戻ります。

その後、くまさんから「拝啓 今年は例年にない暑さとか。いかがおしのぎですか。故郷に帰ってすでに二ヶ月が過ぎました。ご無沙汰心苦しく思ってります」という律儀な手紙が届くというだけのストーリーです。ポッカリ空いた心の喪失感を、センチにならず、クールに書いています。他の短編にも不思議な生き物たちや、亡くなった叔父さんがヒョイと登場してきます。ハートウォーミングなんだけれども、切ない気持ちが広がってくる小説集です。

不思議な設定では、「溺レる」(文春文庫/古書300円)も特異です。「少し前から、逃げている。一人で逃げているのではない。二人して逃げているのである。」とモウリさんとコマキさんの、いわば道行きがテーマなのですが、何故この二人が逃げているのかは全く語られない。ただ、二人の逃避行の、それも幸せな瞬間だけが点描されます。佐良直美の歌に「いいじゃないの幸せならば」がありますが、この小説の二人のために用意されているみたいです。

そんな川上ワールドは、エッセイにも色濃く出てきます。「なんとなくな日々」(新潮文庫/古書300円)の巻頭を飾る「台所の闇」は、こんな風に始まります。

「春の夜はおぼろに潤んでいる。潤んだ空気の中、家にひとりいると、ぼうとした心もちになってくる。ぼうとした台所へ行ったら、見知らぬ生き物らしきものが落ちていた。」

また、「なんとなくな日々10」では夜の古書店の空気が、ふわりと描かれ、じんわりと心に広がってくるエッセイです。

●レティシア書房のお知らせ●

 年始年末 12月29日(金)〜1月4日(木)休業いたします。


Tagged with:
 

ピエール・バルーというフランスの歌手をご存知だろうか。名前は知らなくても、映画「男と女」でシャバダヴァダァ、シャバダヴァダァとちょっとアンニュイにボサノヴァ調で歌っていた人物といえば、あぁ〜、あのヒト、と思い起こす方もおられるはず。

歌手として、俳優として、映画監督として活躍したバルーは、2016年12月にこの世を去りました。生前、彼が立ち上げたレコード会社が「サラヴァ」で、ここから多くのアーティスティックなシンガーが送り出されました。

バルーの人生とサラヴァの軌跡を一冊にまとめたのが、松山晋也「ピエール・バルーとサラヴァの時代」(青土社/古書1800円)です。バルーは、「男と女」の影響もあって、どうもお洒落なフランス人シンガーというイメージが日本にはありますが、そうではなかったことが、この本を読むとわかります。

先ず、彼は大のアメリカ嫌いです。「アメリカは、自分たちは常に正しいという思い上がりを持ち、自分の考えを他人に押しつけようとする。」と呟いています。「男と女」がアカデミー外国映画賞を取った時、アメリカの土を踏みますが、「アメリカ人はいつも自分を見ている感じ、つまり自意識過剰だと感じられた。何をしていようが、常にアメリカンドリームに向かっている自分というものを意識している」と違和感を感じ、アメリカ以外の世界への無知無関心を批判します。

その一方、日本へは深い愛着を示し、多くの音楽家、アーティストとの交流を深めていきます。例えば、青森在住の画家鈴木正治との交友です。90年代にはサラヴァのロゴ・マークに鈴木の一筆描きの墨絵が加わり、それまでのキャッチコピー「無為を志す時代」に「スロウビスの王様たち」というコピーが加わりました。

「ショウビジネスではなくスロウビズ。ゆっくりやるというのは、私にとっても大事なことだ。本物の宝石は磨き上げるのに時間がかかるからね」と、このレーベールのポリシーを語っています。

では、バルーの音楽はそんなテーマ主義かと言えば全く違います。多くの民族音楽を取り入れながら、心の奥底にゆっくりと響いてくるサウンドを作り上げています。素敵なハンモックにユラユラさせてもらいながら、世界を旅する感覚ですね。

生前最後のオリジナルアルバム「ダルトニアン」(CD+DVD/対訳付き1100円)では、戸川昌子がメインボーカルで参加、バックは、ちんどん音楽の新しいサウンドを模索する「ネオちんどん楽団」の演奏も収録されています。古希を過ぎて、自分の来た道を振り返るような滋味深い作品です。

因みにタイトルの「ダルトニアン」は「色盲」という意味ですが、ピエールは「肌の色が区別できない、つまり私には人種差別はできないという」意味を込めたと語っています。

彼自身が選んだ2枚組のベスト「森の記憶」(2400円/対訳付き)のジャケットには、フランスのベーグル市長であり、緑の党に加盟しているノエル・マメール氏が「ピエール・バルーは詩人である。」と明言しています。対訳を読みながら、彼の言葉を味わってください。

 

●レティシア書房のお知らせ●

 年始年末 12月29日(金)〜1月4日(木)休業いたします。

 

 

 

 

開高健と言えば、60年代のベトナム戦争取材を通して描かれた「輝ける闇」「夏の闇」などの長編を読むのが王道なのかもわかりませんが、内容の濃さゆえ、ちょっと遠慮したくなります。

しかし、サントリー宣伝部在籍の体験をもとに書かれた短編「巨人と玩具」など初期作品は、スラスラと読めました。敗戦後の闇市を生き抜く青年を描いた「なまけもの」、ベトナム戦争を巡るエッセイや東京の街角をスケッチしたものを収録した「開高健初期作品集」(講談社文芸文庫/古書1400円)もお薦めです。

「巨人と玩具」は、1958年単行本として出版された後、直に増村保造がメガホンを取り、大映で映画化されました。原作を読む前に、私はこの映画を観ていて、成る程、宣伝業界の熾烈さとはこういうものなのかと教えてもらいました。物語は、大手菓子メーカーの新商品売り出しキャンペーンに、ズブに素人の女性が抜擢されるところから始まります。ライバル会社を出し抜く宣伝部員たちが疲弊し、焦燥してゆく姿が描かれる、いわば企業小説です。

映画版では、ヒロインを野添ひとみが天真爛漫で、奔放なスタイルで演じていましたが、原作は、もっと不気味に変身してゆく姿をリアルに描いていきます。

「デニムのズボンや破れかけたサンダルをぬぎすて、髪をオキシフルで染め、コーセットのたがの味をおぼえ」華やかな世界へと飛び出します。

「彼女は駅前広場から遠ざかり、満員電車の男の筋肉の固さを忘れた。ライトを浴び、レンズにしのびこみ、揮発性の抒情でたっぷり味付けしたワルツにのり、薄暗がりにひしめく女の瞳と体臭と拍手を呼吸した。彼女は舞台にでるとぎらぎら光る川のなかで笑い、熱い埃りを吸いこみ、無限の小さな渦を巻きつつ、会釈して、消えた。」

彼の宣伝マン時代の経験が色濃く反映されている小説です。売上げという数字に踊らされる男たちの疲労感を尻目に、ある日突然、スポット輝く舞台に引き上げられた女性が、さらなる欲望に取り憑かれてゆく姿が印象に残る作品でした。

 

 

 

Tagged with:
 

正木香子の「文字と楽園」(本の雑誌社/古書1100円)を読みました。

ぐっとくる本とか、しみじみした感情に包まれる本、あるいは迫力に押しつぶされそうな本は沢山あります。けれども、愛しい気分にさせてくれる、読み終わった後も書架から出して、表紙をそっと撫でてみたくなる本は、あまりありません。これはそんな貴重な一冊でした。

サブタイトルの「精興社書体であじわう現代文学」とあります。精興社は1913年、東京活版所として設立された印刷会社です。。活版印刷の品質の向上を目的として、新しい書体を開発し精興社タイプと呼ばれる、細身の美しい書体を作り上げました。

古くは、1958年から83年まで25年間、串田孫一が創刊した「アルプ」の活版印刷を担当していました。岩波書店をはじめ、多くの出版社で採用されています。例えば村上春樹「ノルウェイの森」、川上弘美「センセイの鞄」、吉田篤弘「つむじ風食堂の夜」、あるいは三島由紀夫「金閣寺」と、読書好きなら一度は出会った書体です。

著者は、この文体が使用された本を十数本選び出して、美しい文字が作り出す世界を教えてくれます。吉田篤弘の「フィンガーボウルの話の続き」に入っている短編「白鯨詩人」をあげながら、こう書いています。

「この本には、文字を目で味わう楽しみがあふれている。物語が料理だとするなら、背後にある皿の美しさの「ほう」と見とれる瞬間がある。でもそれはまぐれや偶然で起きることではない」

作家が紡ぎ出した無数の言葉に命を吹き込み、読者に伝え、言葉の彼方の世界へと連れ出すような書体。その魅力を持っている精興社書体への思いが、ピックアップした本への愛情と共に語られていきます。

個人的にこの書体に着目したのは、新潮社が発行する海外文学シリーズ「クレストブックス」でした。新潮社装幀室が手掛けた、毎回変化する美しいブックデザインと、本文の読みやすさに魅かれました。それまでの、他社のお堅いイメージの書体による翻訳物は、ちょっと苦手でした。クレストブックスの流れるような美しさは、海外文学初心者には、ありがたかったです。創刊から2010年まで編集を担当した松家仁之は、「文字と楽園」によると、最初から精興社ありきで考えていたらしいです。

日頃、何気なく本を開く私たち。どんな字体を使用しているかなんて気にしている人は少ない。しかし、読んだ後も心に残り、再び読もうとする本は、人の半生と同じくらいの歳月を生き抜いた、精興社書体のような日本語書体の偉力なのかもしれません。

 

今年発売された、全500ページの大長編小説、川上弘美の「森へ行きましょう」(古書1300円)は、とてつもなく面白い小説でした。

1966年ひのえうまの同じ日に生まれた留津とルツ。二人がこの世に生まれた日から、60歳になるまでを描いています。留津0歳、ルツ0歳という風に交互に、二人の女の子が、少女から大人へと成長し、老年期になるまでの人生。読者は、ある時は俯瞰で、ある時は彼女たちに寄り添いながら、見つめていきます。

彼女たちの前には、進学、就職、結婚、妊娠と多くの岐路が現れ、その都度、選択して後悔して、の繰り返し。人生の分岐点で、彼女たちの選んだ道は、もちろんこの二人だけに限ったことではなく、すべての女性に関わる道です。

男の立場からは、こんな描写は理解を飛び越えていると思う場面に遭遇しました。

「体が子どもを生みたがっているような気がしたのよね」

40才を過ぎ、不倫関係を続けていたルツが、突然に持つ感情です。

「どこから湧いてくるのか、まったくわからない。激しい欲望だった。田中涼と体をあわせる時と同じくらい熱いものが、ルツの体の中をかけめぐっていた。『なに、これ』ルツは仰天した。」

ここだけではなく、多くの場面で、恐ろしい程の女性の生きる強さに驚愕しますが、女性の立場から見れば、えっ?そんなん当たり前じゃん、とフツーに反応されそうです。元々、本小説は、日経新聞夕刊連載を単行本にしたものです。世のおっちゃん御用達の日経に連載されていた当時、多くの男性読者は、どんな風にこの二人の人生を見つめていたんでしょうか。そっちも興味あります。

それ程までに、圧倒的な描写と構成で迫ってくるのですが、最後の方、正確には477ページの「2017年 留津五十歳」の展開には、えっ???????????私の小さな脳みそは大混乱。読み違えたのかと、何度も読み直しました。とんでもないどんでん返しが準備されているような、そうでないようなエンディングです。二人が不幸せであるわけではありません。このラスト、社長室で、新聞を読んでいた社長など、おそらくお茶をこぼしたでしょうね。

私はこのラストが不愉快でも、面白くないとも思いません、ただ、混乱し、理解できないのです。なので、今年のベスト1は、今読んでいる松家仁之「光の犬」(新潮社)に譲りました。書評家の岡崎武志さんはブログで、この作品を高く評価されていましたが、あの結末をどう理解されたのか聞いてみたいです。