インドネシアにある小さな村、ラマレラ村。ガスも水道もない。さらに、火山灰に覆われた山が迫っているこの村では、作物が全く育たない。1500人もの村人の生活を支えているのは、鯨漁。年間10頭の鯨の収穫があれば、村人全員が1年間、暮らしていけるのです。

その鯨漁は、手作りの木製の船に乗り込み、先頭に立ったモリ打ちが、巨大な鯨に向かって、ダイブしてモリを射つという古代からの漁法です。

この村の、鯨との付き合いと暮らしを3年間にわたって撮影して、ドキュメンタリー映画「くじらびと」にしたのが写真家の石川梵です。写真集「 THE DAYS AFTER東日本大震災の記憶」(飛鳥新社/古書1900円)、太古の記憶を求めて地球をめぐるノンフィクション「時の海、人の大地」(魁星出版/古書1100円)、そして映画の原作とも言える「鯨人」(集英社新書/古書600円)など、店には彼の本を置いています。私の尊敬する作家です。

おぉ〜こんな映像初めて観た、と感動したのは空撮で捉えた鯨漁。真っ青な海、その大きさに比べればちっぽけな船が、船よりも数倍大きな鯨に近づいて行く。壮大な自然の中で繰り広げられる死闘。ラマレラ村では。食べる糧を取るということは命を賭けることなのだ、という真実が胸に迫ってきます。

映画の中で、この海域で獲れるマンタ漁の最中に、マンタにかかった網に絡まれて深海に引きずりこまれて命をなくした若い村人の物語が出てきます。悲しみにくれる家族は、それでも新しい船を作り海に出てゆく。鯨とともに生きるしか道がない事実を村人は知っています。鯨はモリを撃ち込まれても、何度も何度も抵抗し、船に体当たりを敢行します。そして、海面はその血で真っ赤になっていきます。

残酷とか、かわいそうとかは全く思いませんでした。それどころか、モリ打ちが海面に飛び込む瞬間には、興奮しました。人間にはどこかに狩猟民の血が残っているのでしょうか?

個人的には捕鯨には反対です。しかし、この村では、鯨漁は命と命のやり取りなのです。

「自分たちは食うために必死に鯨と戦う。鯨も生きるために必死に抵抗する。どちらが勝つかは神様が決めることだ。」

とは、石川梵著「鯨人」に登場するモリ打ちの言葉です。

野蛮でも残忍でもなく、神聖ですらある鯨漁の姿を通して、「鯨人」の中で著者はこう結びます。

「生き物と生き物との間で交わされる命のやりとりの崇高さに、私は痺れるほど心動かされた。その高みの前には、今、話題になっている鯨の保護か捕鯨とかいうような時事的な問題はむしろ些少に思えた。全ての生き物は生きるために他者の命を奪う。それは殺戮ではなく、命の循環であり、尊い生の営みなのだ。」

映画のラストは、穏やかな海に、ソプラノ歌手森麻季の「アベ・マリア」が流れます。まるで、大海を泳ぐ鯨が歌っているようでした。

 

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

 

 

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松田行正「はじまりの物語ーデザインの視線」(紀伊国屋書店/古書1700円)は、様々な知識が渦を巻いて脳内に入ってくるような本で、少しは賢くなったかなぁ、今度は蘊蓄を披露してやろうか、などという錯覚に陥りそうな書物です。

著者はグラフィックデザイナーで、様々なイメージの始まりはどこにあったのかを求めて、膨大な量の古今東西の文献を検証していきます。「対の概念」「速度への憧れ」「遠近法と奥行き」「レディメイド」「オブジェ」と何やら難しそうな目次が並んでいますが、480点にも及ぶ図版が、各ページに所狭しと並んでいるので、文章を理解する助けになります。図版を見ているだけでも楽しいです。

雑学的な面白さも多々あります。「封じ込める」という章では、「自動販売機の発想は古く、紀元前215年ごろ、古代エジプト神殿に置かれていたという聖水の自動販売機が記録の上では最初と言われている。」と書かれていますが、どういう仕組みだったのだろう?「読みやすさの追求」という章では、本の読みやすさがどういうふうに改良されていったのかを、過去の文献に辿って論じています。

「メリハリをつける」では、日本の音楽では4拍子が定着し、西洋では3拍子がオーソドックスな拍子になったことからは始まり、ヨーロッパでは「十三世紀後半のことだが、三拍子を完全(完璧)な拍子と見なすようになった。これは、キリスト教の三位一体の三からきていて、三を完全なる数とみなした。ワルツがはやった要因でもある。」と分析、音楽好きの私には興味津々。三拍子が音楽の道理の西洋に、四拍子のロックが突然飛び出したのだから、キリスト教的伝統を逸脱していると非難されたのも当然かもしれません。

著者は「時代が中世だったら悪魔呼ばわりされていたことだろう」と言いますが、確かにそうなったでしょうね。

美術好き、デザインを学ぶ人たちだけでなく、キリスト教文化に興味を持つ方にもおススメしたい一冊です。とにかくこの図版の量! 眺めているだけで惹き込まれます。

以前ブログで、この著者の本「独裁者のデザイン 」を紹介しています。ナチスドイツや、ムッソリーニなど独裁者が民衆を洗脳するために、ポスターデザインや建築デザインや写真などの媒体をいかに巧みに駆使したのかを、多くの図版や写真と共に解読しています。(売切れ)

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ホホホ座店主山下賢二さんの「喫茶店で松本隆さんから聞いたこと」(新刊/1540円)が、夏葉社から発売されました。

京都市内にあるお店、「ヤマトヤ」「イノダコーヒー本店旧館」「かもがわカフェ」「カフェ火裏蓮花」で、山下さんが松本隆さんにインタビューしたものをまとめた一冊です。これは音楽家としての松本隆を振り返る本ではありません。もちろん、音楽の話も登場しますが、本題ではありません。人生論?、このお二人で?? でも、ちょっとそんなニュアンスもあり、覚えておきたい言葉がたくさん出てきます。

「人と人ってすごく有機的だから、空気でも伝わるんだと思う。オーラも伝わるんだと思う。だから、できるだけ天才に会った方がいい。ものをつくる人はね、若いうちに。」

それぞれのカフェで、テーマを決めて話が始まります。例えばかもがわカフェでは、「賢さについて」。松本さんはこう言います。

「考える力というのは、その人が自分で鍛えないといけない。だから、若いときはとにかくたくさん暗記するのがいいと思う。ひとつでも多く単語を頭に入れておく。作詞力で言うと、それが語彙になる。」

どの章も難しい言葉はなく、簡潔にまとめられているので、スッと頭に入ってきます。インタビューは、もっと長い時間だったのでしょうが、ここまでシンプルにまとめた山下さんの手腕に拍手です。ポケットに入れて、ひょいと出して読む。何度も。それがこの本の読み方かもしれません。

なるほど、と思ったのは松本さんが作詞するときに気をつけていること。

「僕が使わない言葉は、言わなくてもいい人称代名詞。つまり『僕』とか『君』とか『あなた』。理由は字数の無駄だから。重要なところに『あなたに』なんて書いてしまうと、それだけで四文字も使っちゃう。それを言わなくてもわかるように書けばいいわけだから、必要最小限度にとどめる。そうすれば、ほかでいろんなことが言える。」

最後まで読んで思ったのは、この二人、よほど気が合ったんだなぁ〜。気取ったところも全く無いし。

「思えば、松本隆という人はずっと異色だったのかもしれない。誰も囲わない。どこにも属さない。まさにボヘミアンのように業界も居住地も自分の気分のよい方向へと進んでいく人。その突然変異的な足どりが、僕みたいな人間とも親しくさせてしまったのだろう。僕は、七二歳の青年と出会ってしまったのかもしれない。」

という山下さんの言葉でも、二人の出会いが幸せなものだったということがわかります。

安西水丸が亡くなった後、彼の著書が異様に値上がりして、なかなか入手が難しくなっていますが、ちょっと珍しい本を2冊入荷しました。

一冊めの「mysteric resutaurant」(架空社/古書2200円)は、正確に言えば、安西一人の本ではありません。多くのデザイナー、画家が集まって作った本の中に安西も参加しているという本です。

アルフベットのAからZまで、ひとり一文字づつ担当して、その文字から始まる食べ物を描いています。全作品とも、文字の下には、自分が描いた作品を捕捉するような俳句や詩が添えられています。

トップバッター「A」の安西は、「Apple」をチョイスして、「青りんご 浅き眠りを 眠りおり」という俳句とともに、青いリンゴを描いています。

他に、宇野亜喜良、スズキコージ、大橋歩、たむらしげる、田代卓、矢吹申彦などが参加しています。(Wの矢吹がgood!)

もう一冊は、「東京美女1」(モッツ出版/古書3100円)。こちらには、実は安西のイラストは一点もありません。写真家の小沢 忠恭が撮った、原田美枝子、森高千里、八代亜紀、沢口靖子、いしだあゆみなど、女性のポートレイト写真に安西が文章を書いているのです。

撮影している場所が東京の各地で、その風景と女優と安西のコラボ作品です。一番好きなのは、いしだあゆみ。勝鬨橋に佇む彼女を捉えた作品に、安西はこんな文章を添えています。

「いしだあゆみの立っている勝鬨橋は、昭和六年に架設に入り、昭和十五年六月に完成している。今は開いていないが、この橋は跳開橋で、時間がくると開き高いマストがそこを通れるようになっていた。三島由紀夫の『鏡子の家』はこの勝鬨橋を女性連れの三人の主人公が眺めるシーンからはじまっている。」安西の自筆の文字がステキです。

撮影されたのは平成10年。その時代の雰囲気がよく出ています。沢口靖子も若くて、可愛くて、下町によく似合っています。

我が国の言語学・民族学の大御所で、アイヌ語研究の本格的創始者の金田一京助(1882〜1971)が、現地で筆録して、実弟の荒木田家寿が、少年少女にもわかりやすいように書き下ろした「アイヌ童話集」(角川ソフィア文庫/古書500円)を楽しく読みました。(元版は昭和37年発行です)

そのままアニメになるような奇想天外な物語や波乱万丈の物語が次々と登場してきます。ただ、ここで一つ押さえておかねばならないのは、アイヌにとって神の観念です。荒木田はこんな風に解説しています。

「アイヌの信仰では、この世の、天地の生きとし生けるもの(といっても鳥獣魚介)はもとより、無生物でも日月星辰から、霊ありと考える宝物類に至るまで、神と考えられるのです。そして、神というものは、神々の本国では私たちと同じように家を建てて村を作ったり、アッシを着て酒を飲み、妻子を愛して、アイヌと変わらぬ生活をしているのですが、人間界へ遊びにくる時に、神々が銘々持有のマスクを着け、それが熊はあの姿、狼はあの姿、その他、鳥の姿、魚の姿等々、それぞれそうした特異のかっこうをしてくるのであって、いわばそれらは、人間界へ遊びにくる姿なのです。」

「ききん魔を退治する話」では「ふと、林のなかからつづいている道に、黒い小そでをきた熊の神と、青い小そでをきたおおかみの神とが、なにか話し合いながらくるのが見えました。」と描かれてます。なんだか、微笑ましいですね。

若殿が人食い馬と友情を結ぶ話やら、子供と大熊の力比べの話やら、アイヌの英雄オキクルミが魔人と戦う勇猛な話など、童話の面白さに浸りながら、アイヌ人の神や自然に対する思いを感じられる素敵な一冊だと思います。

こういった一子相伝などで伝えられてきたアイヌ民族の文学的創造は、金田一が生涯をかけて記録しなければ残らなかったかもしれないと、解説に書かれていました。

宮沢賢治原作・ますむらひろし 作画による「銀河鉄道の夜 四次稿編」全4巻予定の第1巻が発売されました。(有限会社風呂猫/古書1500円)ますむらは、賢治の作品を数多く漫画化し、根強いファンを持っています。

ますむらは、1983年に登場人物を猫に置き換えて漫画化し、アニメの原案になり、このアニメは質の高さから大きな反響を呼びました。その2年後、「銀河鉄道の夜」の初期形である「ブルカニロ博士編」を漫画化しました。(偕成社/古書2900円)

さらに、2020年に再度の資料調査を経て、細部にこだわった「銀河鉄道の夜」の21世紀版の連載が始まりました。カラーページのみずみずしい彩色が目に飛び込んでくる第1巻が完成しました。今までも、かなり精密に描き込んできたのですが、さらに細部にこだわった画面になっています。

本書の解説によると、全部で600枚を越す大作になるとのこと。第1巻は、ジョバンニが夜の軽便鉄道に乗り込むまでの、物語の序盤が収録されています。そして第2巻の発行は2021年春、第4巻の発行は2025年になる計画です。

それにしても、ますむらは、なぜここまで「銀河鉄道の夜」に拘るのか。

「それにしても、つくづく思うのは、この作品は霧に包まれた山脈のようで、全貌を描ける者は賢治しかいない。『描いてもけっして描ききれず、奇妙な輝きと深遠な闇が、ニッタラと微笑む幻想第四次空間』。何とか少しでも捉えたいと、五年前から三度目の作画挑戦を開始した。」

とその動機をあとがきに書いています。

「銀河鉄道の夜」は、私も繰り返し読んできていて、正月を迎える度に今も読んでいます。「霧に包まれた山脈」とは全くその通りで、理解できたと思った瞬間、物語ははるかかなたに逃げてしまうという不思議な世界。賢治の物語には、全てどこか捉えどころのない魅力があります。その深い世界の奥にあるものを、ますむらは捉えようともがいているのかもしれません。

壮大な物語の5年後の完成を願ってやみません。

政津勉の「つげ義春『ガロ』時代」(作品社/古書1700円)は、本のタイトル通り、「ガロ」連載時期のつげの作品を読み直し、その深い世界を論じたものです。

「月刊漫画ガロ」は1964年7月に創刊されました。本来は白土三平の「カムイ外伝」の発表の場所を確保するのが目的でしたが、ここにつげが参加し、新しい漫画表現を作っていくことになります。

1965年、白戸がつげを旅に誘い出します。そこに白戸のプロダクションで秘書的な仕事をしていた岩崎稔が同行します。

「じつはこの岩崎がそう、つげを語る上で外せない、たいせつな人物である。それはつげがこの人から初めて井伏鱒二の名を教えられたからだ。実際、これからのち井伏の文学がどれだけつげ漫画の深化にあずかったか。まことにその影響は甚大なものがある。」

と著者は書いています。確かにつげ漫画と井伏の小説世界にあい通じるものがあります。

私がつげ漫画に驚かされた最初は、「沼」という短編で、それまでの漫画の規則みたいな、起承転結を無視して、自由で映像的な世界を作り出したことでした。著者はそれを「<起承転結>の坐り整いではなく、あえてそれを捨てさることで、<序破急>の走り乱れのほうへ、はっきりと転換したことである。」と説明しています。

そして、1967年傑作「赤い花」が登場します。全編に渡って響き渡る「ミーン、ミーン」というセミの鳴き声が、夏の気だるさを見事に表現した作品ですが、当時、この作品はどう受け止められていたのだろう?と思います。この年、つげは「海辺の叙景」「李さん一家」など忘れられない作品を世に送り出しています。

本書は、解説している漫画の象徴的なカットを載せているので、つげ漫画を読んだことのない人にも、その世界観が伝わるようになっています。「海辺の叙景」や「李さん一家」などは、独特のつげ世界をうまく解説していると思います。そして、いよいよ「ねじ式」へと向かいます。

う〜ん、この作品、なんども読んでいるのですが、いまだによく理解できません。それでも何度も読んでしまうのですね。もう一つの傑作「ゲンセンカン主人」について、著者も「だがやはり易しくはない。ほんとうに難しいのだ。なんやようわからんよな。」と書いています。

そうなのです。「なんやようわからん」世界を、つげはどんどん膨張させているのです。そこが、一番の魅力なのかもしれません。社会の底辺をリアリステックに描きながら、シュールな世界へと読者を誘う、つげマジックは、一旦その虜になると逃げられない魅力が潜んでいることを、改めてこの本は教えてくれます。

木下直之先生は1954年生まれですから、私と同年代の美術史研究者です。東大大学院の教授、静岡県立美術館館長などを歴任して2015年には紫綬褒章受賞。著書も多く、「美術という見世物」ではサントリー学芸賞を受賞、と、こう並べるとなんだかアカデミックな雰囲気ですが、今回ご紹介する本に関しては、全く違いました。

タイトルは「木下直之を全ぶ集めた」(晶文社/古書1400円)。内容は一言で言えば、著者が気になってしょうがないもの、例えば駅前彫刻、股間若衆、復元天守閣などなど。美術界から脇の方へ追いやられた物を、日本中探し回り撮影したものを元に検証した本なのです。

全12章に分かれていますが、各章のタイトルは、著者が今までに出した本のタイトルになっています。そういう、ちょっと遊びに満ちた本作りなっています。そして、街に溢れる様々なもの、例えば、第8章「銅像時代ーもうひとつの日本彫刻史」では、どこにでもある銅像を巡ります。

「銅像は俗称であり、正しくは金属製の肖像彫刻と呼ぶべきだが、銅像という言葉には、それを口にしたとたんに周囲の風景まで浮かんでくるような強い喚起力がある。同時に、芸術性に欠けた俗な存在といった、少し見下したようなニュアンスがある。」

なるほど、そんな感じがします。観光地で銅像バックにハイ!ポーズみたいな。笑ったのは、第6章「股間若衆 男の裸は芸術か」でした。「股間いろいろ」というところに、8点の男性像の股間のクローズアップ。そして、こう書かれています。

「人生いろいろ股間もいろいろ、というほどには他人の股間を見てはいないが、股間若衆の股間はいろいろ見てきた。生身の股間若衆が往来にたてば即逮捕、即懲戒免職だが、つくりものの股間若衆は、露骨を避ける宿命として、結局は股間表現の粋を競うことになる。そこから股間表現多様性が生まれる」

「股間表現の粋」などというものがあるのかどうか定かではないですが、ここに収録されている写真を見ていると、それなりに様々な表現があることがわかります。「明治の昔日本人彫刻家が男性裸体像をつくろうとした時から、股間の突起物は問題だった。朝倉文夫のように、それこそ警察から「切断」を命じられた彫刻家もいた。」わけです。

ちょっとオフビート風に、私たちの日常の視線からズレてゆくもの、はじかれるものを追いかけてゆく著者のエネルギーに拍手した一冊です。

酒井順子の「処女の道程」(新潮社/古書1200円)は、世間によって処女のイメージがどのように作られてきたかを、歴史的に文化的に検証した本です。

男性の作ったイメージがいかに偏っていたかを糾弾する本ではありません。いや、結果的にはそうなっているんですが、そこを強調することなく、著者は平安時代の文学からスタートし、戦中戦後、現在に至る処女像の変遷を通史的に書いています。文化的、歴史的に処女像の変遷をスムーズに読めるので、男性にはぜひご一読願いたい。そして、こういう長い歴史の果てに、森喜朗氏が出てきたんだなぁ〜と痛感しました。

合間、合間に挟み込まれる小話っぽいところにも、そうか!と思わせる著者の力量が際立ちます。例えば、「操」についてです。

「昭和を知る人であれば、殿さまキングス『なみだの操』の歌詞を思い浮かべていただくとわかりやすいかと思いますが、ある特定の相手のためだけに『守』ったり『捧』げたりするのが、操。複数の相手に身を開いたが最後、操は消散します。『なみだの操』を歌ったのが『殿さまキングス』であることは、貞操問題の一面をよく表していましょう。女の操は、日本が殿様の時代となってから、重要視されるようになった観念。殿様を殿様たらしめるために絶対必要だったのが、女の操でした。」

女性を産む機械だとする政策を推し進めた戦中から、戦後になって性の解放が叫ばれ出して、価値観がガラリと変化します。その象徴的な年が昭和39年だったと著者は言います。東京オリンピックの年です。

「海外渡航が自由化されたのもこの年であり、海外への憧れは募ったことでしょう。また日本初のグラビア青年誌『平凡パンチ』が創刊されたのも、この年。」大橋歩のお洒落なイラストの表紙の雑誌にヌード写真が載っているスタイルは斬新であり、当時多くの若者に支持されました。

「性に関する事物が、じめじめとした日陰から、日の当たる場所へと出て来はじめた、この時代。処女を取り巻く空気もまた、確実にからっとしてきたようです。」

「処女」を巡って、お偉い人から庶民まで巻き込んで長い長い間交わされてきた激論を、著者は200ページ強の本にまとめ上げました。その技量に脱帽した一冊でした。とにかく、面白い!

 

 

 

 

 

 

絵本作家アーノルド・ローベル(1933〜1987)のことは、カエル君が友達のガマガエルに手紙を送る「おてがみ」という物語を、教科書で読まれた方もあると思います。

NYブルックリンで暮らし、映画や舞台観劇を好み、家族と多くの動物と暮らしてきたアーノルドの、日本初の展覧会が始まります。関西では2022年4月から伊丹市美術館で開催される予定です。

展覧会に合わせて、BlueSheep社から「かえるの哲学」(935円)と「アーノルド・ローベルの全仕事」(2750円)が刊行されました。

のんびりと構えるガマ君と、素早く行動するカエル君の友情を描いた「がまくんとかえるくん」シリーズは、多くの子供達に愛されてきたシリーズです。全4冊のシリーズの中から50作品を選び、原文の英語と絵に、三木卓の名訳「かえるの哲学」を文庫サイズに収めたのが「かえるの哲学」。

春が来たのに寝ているガマくんに、起きなよと外に誘い出し、「きみが 見ているのは 4月の すき通った あたたかい ひかりなんだぜ」とカエルくんが訴えるところから物語が始まります。ほのぼのとした表情のふたり(二匹)に、こちらも幸せになります。

「ふたりきりで すわっている かえるくんと がまくんは、しんゆうでした。」

最後のページで二人が座ってる後ろ姿が、なんともいい雰囲気です。

もう一点の「アーノルド・ローベルの全仕事」の方は、この作家の全てを網羅した一冊です。「がまくんとかえるくん」以外の全仕事も紹介されていてます。チェリ・デュラン・ライアンの傑作絵本「よるのきらいなヒルディリド」の挿絵も見ることができます。素敵です。蛇足ながら、この絵本、当店にはあります。レアな一冊(1400円)です。

最後には書影入りの全著作リストもありますので、これを機に集めてみてはいかがでしょうか。