岸本佐知子、柴田元幸、高橋源一郎、堀江敏幸等、翻訳家として、あるいは作家として第一線で活躍する12名の対談を集めた「翻訳文学ブックカフェ2」(本の雑誌社1200円)が入荷しました。

先ず、マンハッタンで酒とドラッグに溺れてゆくヤッピー青年を描いたジェイ・マキナニーの「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」を、高橋源一郎が翻訳した顛末記が面白いです。滅茶苦茶に〆切に遅れてしまった話に始まり、日本語、英語の持つ潜在的な力まで語ってくれます。英語が原理的に男性的で、自己中心的な言語であり、9・11以降のアメリカの体制は男性原理主義社会の成れの果て状態になっているのに対して、日本語をこう解説しています。

「日本語は二千年間、他者の文物を輸入しては無限定に交配しまくってきた。これこそがこの国を長生きさせてきた原理みたいなものだと僕は思います。だから元気がなくなったらどんどん輸入しちゃえばいいんですよ。そしてがんがん異種交配したらいい。」そこから新しい小説が登場してくると結んでいます。

海外文学に興味のない方でも、どんどん読んでいけるところがこの本の良さです。原作にぶつかって悪戦苦闘しながら、作者の選んだ言葉の持つ意味に合致した日本語を、手探りで見つけてゆくスリリングな姿は感動的です。

エッセイストとしても人気の岸本佐知子さんは、翻訳家志望の人には、必ず一度は就職しなさいとアドバイスするそうです。それは、「会社のような、縛りのきつい環境で発せられる言葉こそが、本当に生きた言葉だと思うんですよ。それに、その言葉には必ず表情や匂いや空気がくっついてきますよね。それはものすごく貴重なデータベースなんです。今翻訳をする上で、六年半勤めていたときの経験は、本当に貴重な財産になっています」

生きた言葉をストックするには、足かせガンジガラメの状況に身を置くということですね。この本の対談の時、彼女はジャネット・ウインターソンの「灯台守の話」(白水社1100円)翻訳中で、いかにこの本に美しい表現が散りばめられているかを力説されています。この本については、当店の海外文学ファンのお客様も、やはりその美しさを語っておられました。

「愛している。でもこの世でもっとも難しい、三つの単語。でも、他に何が言えるだろう?」

このエンディングに乾杯です。

徳島県にある焙煎コーヒーの店「アアルトコーヒー」オーナー庄野雄治さんの本「コーヒーと小説」(サンクチュアリ出版1404円)が入荷しました。

「コーヒー屋になって何年もヒマだった。テレビもパソコンもない店だったから、とにかく一日じゅう本を読んでいた。そのほとんどが小説。しかも、これがすこぶる面白かった。そして、それらの作品から、時代は変わっても、人は全然変わっていないんだってことを教えられた。自然災害の前では立ちすくみ、妻と仲良くする男には腹を立て、猫の足の裏はあたたかい」

そんな彼がチョイスした本10冊。ジャンルに拘らずに、「コーヒー屋のくせにではなく、コーヒー屋だから作れた、ちょうどいい短篇集。コーヒーを飲みながら楽しんでいただけると、望外の幸せだ。」というアンソロジーです。

収録されているのは、太宰治「グッド・バイ」、芥川龍之介「桃太郎」、宮沢賢治「水仙月の四日」、江戸川乱歩「日記帳」、岡本かの子「鮨」、梶井基次郎「愛撫」、横光利一「七階の運動」、二葉亭四迷「嫉妬する夫の手記」、久生十蘭「野萩」、坂口安吾「夜長姫と耳男」という地味な作品ばかりです。芥川の「桃太郎」なんて、有名な「桃太郎」のパロディーというか、シニカルなバージョンアップ版というか、味わいがあります。岡本かの子は読んだことがなかったので、この短篇集が初体験でした。鮨好きの中年の男の話なのですが、奇妙な世界が広がっていきます。太宰の「グッドバイ」は未刊作品ですが、「未完成であるがゆえに完成されているという、不思議な作品」と庄野さんは絶賛しています。確かに面白い作品です。

ところで、もし私がこんな企画があったらどんな本を推挙するかなと考えてみました。「まずいコーヒーの話でよければ、いくらでも話していられる。」という書出しで始まる吉田篤弘の長編小説「ソラシド」(新潮社1200円)を。

「1986年1月忘日。五得町J社。午後六時。四階喫茶の殺人的にまずいコーヒーを飲みながら作業開始」などと「まずいコーヒー」なんて台詞が飛び出すのですが、逆にコーヒーを読みたくなる小説です。あと、音楽ファンにもぜひ読んでいただきたい一冊です。

高校時代、私は映画研究部にいました。毎週、大阪にあった映画配給会社を回っては、最新映画のチラシと割引券を貰って、学内で配布していましたが、大阪中之島周辺に、海外の映画会社に交じって、日本の配給会社が二つありました。東宝東和と、日本ヘラルド映画。どちらも、ヨーロッパの匂いがする会社でした。ヨーロッパもアメリカも、遥か彼方の国だった時代、この会社を訪れる瞬間は、一足飛びにアメリカや、フランス、イタリアに行った気分になったものです。

そのヘラルド映画の作った映画チラシ、ポスターを元に、会社の全貌を捉えたビジュアルブック「日本ヘラルド映画の仕事」(PIEインターナショナル3456円)が入荷しました。ゴダールらのヌーベルバーグ一派の映画も、アラン・ドロン主演映画もこの会社が配給していました。ゴダールの「男と女のいる舗道」のポスターなんて今見ても、クールです。「さらば友よ」、「地下室のメロディー」等アラン・ドロン主演のフィルムノワールの作品がヘラルド映画配給で公開され、ガキだった私も痺れました。黒いスーツってこんな風に着るんだと、自分の顔のことは忘れて納得しました。

もちろん、アメリカや日本映画の配給も行っていて、映画の魅力を教えてくれた会社だといっても過言ではありません。チラシの宣伝文句も見事でした。

「海から来た男の潮の香り……..少年はその香りに憧れた 母はその香りに身をまかせた」

これ、三島由紀夫原作「午後の曳航」の日米合作映画のうたい文句です。この文句に惹かれて原作を読んだ日々を思いだします。

或は、「めくるめくる光の中で父を殺め…….王冠の下で母を抱いた…….白日がえぐりだした華麗なる残酷」の言葉通り、灼熱地獄を味わった「アポロンの地獄」も思いだしました。

ビジュアルにも、宣伝文句にも文学の香りが一杯でした。そして、「唇に愛の華咲きほころばせ、昼下がりの光にさえ肌を許す背徳のおまえー」なんて恥ずかしくて口にだせない言葉で大勝負して、多くの女性が大挙して映画館に殺到した「エマニュエル夫人」等々、当時の映画人のセンスとアイデアが満載の一冊です。

会社名の「ヘラルド」という言葉には「先駆者」という意味があります。その通り、この会社は時代を切り開く作品を紹介してきました。最たるものは、ベトナム戦争を丸ごと描き出した「地獄の黙示録」の日本公開でしょう。後半、錯綜する映画の哲学的展開は、一般には受けないという大方の予想を裏切って大成功に導いた、公開までの道程のドキュメントは映画ファン必読です。なおこの本の初版には、特典として、1970年東京有楽座で上映時に使用された70ミリ・プリント現物のフィルム2コマが付いています。「地獄の黙示録」フリークスなら、持っていなければいけませんぞ!

「日当りのいい部屋に寝転がって、陽の光を背中に浴びているときである。『幸福とは、日当りのことである』というのが僕の唯一の個人的哲学なのである。前世は亀だったのだ」

と仰っているのは柴田元幸先生です。現代文学の翻訳家として、村上春樹、岸本佐知子と三本の指に入る人気翻訳家です。P・オースターの日本語版などは、彼なくしては読めなかったでしょうね。上記の文章は、彼のエッセイを集めた「死んでいるかしら」(日経文芸文庫400円)に収録されています。きたむらひとしのノホホン系イラスト一杯のこの本は、笑えます。

「文庫本とラーメン」というエッセイには、そうだよね!と拍手。

読書感想文に触れて、「本もやはり、もっともらしい言葉(感想)にする前に、まずは『味わう』べきものだと思う」と前置きして、

「うまいラーメンは腹を豊かにするが、知的な本は頭を豊かにし、情熱的な本は心を豊かにし、好色な本は下半身を豊かにする。(しないか)」

そして、ラーメンを食べる気楽さで、感想文のことなんか無視して本を読むのがいいとおっしゃる。大体、読書感想文があるなら、ラーメン感想文があってもいい!と、話は暴走します。小学生にインスタントラーメンを調理をさせ、味わい感想を書かせる。

「『出前一丁を食べてみて、私が一番感動したのは、麺のコシの強さです。食べはじめから食べ終わりまで一貫して失われないその強さを、私も見習って、これからは強く生きていきたいと思います。」

これをナンセンスと言うなら、読書感想文も似たようなものかもしれないと。

もうひとつ、ご紹介します。「エレベーター・ミュージック」。デパ−トのエレベーターや、館内でかかる人畜無害なBGMのことです。「恋は水色」とか「エーゲ海の真珠」とか。この手の音楽って、一端、気になりだすと煩い音です。かつては、高級な音楽が、サラリと流れているのが上等みたいな時代もありましたが、もはや、何もなっていない場所の方が、グレードが高いと思います。

「『エレベーターミュージック』という言い方には、気分を高揚させる(elevate)させるニュアンスも(皮肉として)こめられているが、ビヤホールでベンチャーズの『北国の青い空』なんか聞いたら、たいていの人間は高揚するどころか、人生それ自体に疑問を感じてしまう。」

音楽の必要ない空間には流さないことです。

文学の中の食の数々、人の心を揺さぶる一皿を網羅した「つまみぐい文学食堂」(角川文庫/絶版450円)も入荷しています。

石牟礼道子は、大学の人文ゼミで、「苦海浄土」が取り上げられたときに知りました。当時、女子大学のお嬢様と遊ぶことにのみ、血道を上げていたアホンダラ学生だった私には、水俣って?公害?はぁ〜??というぐらいの意識しかなく、ノンフィクションか小説か判断できないこの作品を、めんどくさいなぁ〜と、適当にコピペ(そんなもん当時はないのですが)してレポート提出した記憶があります。

それから数十年。再び彼女の作品と巡り会いました。「椿の海の気」がそれです。小説なのか、エッセイなのか、自伝なのか分けることができない250ページ程の作品です。解説で、池澤夏樹がゆっくり読むことを提唱し、「一行ずつを賞味するように丁寧の読まなければたくさんのものを取りこぼしてしまう」と書いています。

それで、一日数ページぐらいの速度で読んでいきました。読み終わった時、自分の部屋から遠く離れて、もの凄い深い場所から戻ってきた感覚が襲ってきました。

池澤が「これは、どういう種類の本なのだ?随筆とかエッセーと呼ぶにはあまりにも濃密、自伝といったって四歳までの自伝なんてあるだろうか?」と疑問符を付けていますが、著者が育った、昭和初期の水俣のゆたかな自然環境、濃密な家族関係、集落の人間関係が語られています。一つ一つの言葉を踏みしめながら、深い森にわけいっていくという作品です。

少女は、「この世の成り立ちを紡いでいるものの気配を、春になると」感じていました。それは、大人になれば、神とか創造主とかの言葉で置き換えられるのですが、幼い彼女はこう思っていました

「そのころ感じていた気配は、非常に年をとってはいるが、生々しい楽天的なおじいさんの妖精のようなもので、自分といのちの切れていないなにものかだった。おかっぱの首すじのうしろから風が和んできて、ふっと衿足に吹き入れられることがある。するとうしろの方に抜き足さし足近寄っていたものが、振り返ってみた木蓮のかげにかくれている気配がある。」

水俣の豊かな原風景が彼女を育てたことが、「苦海浄土」を生む原動力になったのでしょう。どんな作家もそうだと思いますが、程度の差こそあれ、自分が紡ぎだしてきた言葉には魂をこめていると思います。石牟礼道子の場合、それが深く、深く響いてきます。だからこそ、ゆっくりと読まければ、そして再読しなければならない作家なのだと思います。

「椿の海の気」が収録されている「日本文学全集24石牟礼道子」(河出書房新社)は、1800円です。

カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」(白水社/絶版900円)を読む前に、映画化された作品を観ました。大味な映画ばっかりのハリウッド映画にしては、小粋で、ラストのハッピーエンディングも、思わず、そりゃ、良かったと拍手したくなる「お後がよろしいようで」的幕切れでした。

ジェイン・オースティンは1700年代後半から、1800年代初頭にかけて活躍したイギリスの小説家です。イギリスの田舎の中流社会を舞台にして、そこに生きる女性たちを生き方を描き続けました。主要作品は「分別と多感」、「高慢と偏見」、「エマ」、「マンスフィールド・パーク」、「ノーサンガー僧院」、「説得」です。

映画は、この主要6作品を世代も、生き方も異なる女性たち5人と、そこに巻き込まれた1人の男性が、皆で読書会をする様子を描いていきます。彼女の小説がポンポンと飛び出してきますが、読んでいなくても大丈夫。オースティンの人生を追っかける映画ではなく、あくまでも今を生きる彼女たちと男性の人間模様を追っかけるのがテーマだからです。離婚、失恋、破局などに遭遇しながら、オースティンの小説を読み語り合うことで、ちょっと前向きに生きていこうとする姿を、オ−バーな演出を押さえていて好感がもてます。

「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンを持っている」

という書き出しで小説は始まります。登場人物の過去が出てきたりして、より陰翳の深い人物像が浮かび上がってきます。もちろん、オースティンの小説もふんだんに登場します。映画版の、ロビン・スウィコード監督は、その部分をカットして、ビビッドに今日を生きる彼女たちを、共感を持って描いていきます。監督は64歳の女性。きっと、伝統的なハリウッド映画を吸収し、新しいアメリカ映画、例えば「結婚しない女」「グリニッッジ・ビレッジの青春」「アリスの恋」等を青春時代に見ながら、自分のスタイルを作ったんじゃないかな、と同世代の私としては感じました。

もうひとつ、エンディングタイトルが素晴らしい。そのままメイキングになっています。音楽のセンスもお見事。映画の中で、こんな古書店も登場します。お見逃しなく。

お知らせ  「Wa! 京都を発掘する地元メディア」で、レティシア書房を取 り上げてもらいました。

 

 

 

実相寺昭雄。男子ならご存知ですよね。(もちろん女子も)円谷英二のもと、あのウルトラマンシリーズの監督をした人物です。誰もやった事のないTV30分特撮番組を、手さぐり状態で始めた苦労も多かったが、熱かったという時代を語った文庫が、3冊揃いました。

『熱い。熱い、あち、ち、ち、………助けてくれ」 ぶ厚いラテックスの縫いぐるみを通して、かすかな悲鳴が耳に届いたときスタッフはわれに帰り、ぼくは「カット!カット!」という声をかけた。』

これ、怪獣の縫いぐるみの中に火薬が入りこんだ時の様子を描写した一節です。ゲテモノ扱いされて、周囲からバカにされたシリーズ創成期の現場の失敗と、試行錯誤の日々を振り返る「ウルトラマン誕生」(ちくま文庫750円)は、怪獣達に魂を吹き込んだ職人たちの世界が生き生きと描かれています。

『ガソリンが縫いぐるみに燃えうつって火傷を負ったり、曳光弾が空気穴を突き破ってはいってきて顔にけがをしたりってことは、たまにあったんですが、縫いぐるみを着たまま、ステージにつくった特設のプールにとびこむシーンではえらい目に会いました。』

と、語る役者は、ほんとに死にかけたそうです。でも、みんな面白いものが作りたいからやるんですね。ひたすらトライ&エラー。読む方は、わははっ、と笑えますが、現場は修羅場だったことでしょう。ものを作る、表現することの愛しさに溢れた一冊です。これはドキュメントですが、実相寺は、あの時代を「星の林に月の舟」(ちくま文庫400円)で小説にもしています。以前NHK が、ウルトラマン創成期に現場をドラマ化していましたが、この本が元になっているのではないでしょうか。涙が出てくる青春小説です。(朝ドラでやってほしい!きっと毎日元気に通勤、通学できると思います。)

この本のタイトルは「空の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に こぎかくる見ゆ」という柿本人麻呂の歌から取っているとか。

最後の一冊は、「ウルトラ怪獣幻画館」(ちくま文庫700円)。これは、作り出した怪獣達を実相寺自身が描き、一言つけ加えたもので、みうらじゅんは「素晴らしい!全作品、掛け軸にして床の間に飾りたい」と帯で絶賛していますが、そう思います。「女心と秋の空」と書かれたページの怪獣ガマクジラには笑えるし、「宇宙人には座布団をすすめるべきか」に登場するメトロン星人には、そうだよなと思ってしまうし、「怪獣よはるか宇宙の星となれ」に登場するテレスドンは、掛け軸にして床の間に飾りたい。

「怪獣たちは何を夢見る」と書かれたページには、役目を終えた怪獣達の着ぐるみが吊られています。過ぎ去った熱い時代に思いを馳せる実相寺の思いが一杯の作品です。

ところで、先程紹介した「ウルトラマン誕生」の表紙を飾るのは、フィギュア製造で世界的に注目されている海洋堂が作ったウルトラマンの横顔です。暗闇にすっと立っている姿は、まるで悟りを開いた僧みたいな趣きさえ感じられて、とても素敵な表紙です。

文学の世界の、限り無い奥深さを教えてくれたのは、辻邦生でした。そして、小説の可能性を池澤夏樹から学びました。特に、80年代後半から、90年代初頭にかけての池澤の小説群には目を見張りました。88年「スティルライフ」で芥川賞受賞後、89年「真夏のプリニウス」、90年「バビロンに行きて歌え」、91年「マリコ・マリキータ」、同年「タマリンドの木」、そして92年「南に島のティオ」と傑作を連発します。

どの作品がベストかと問われれば、どれも。すべて読んでくださいとしかお答えできません。ただ、その日の気分で、今日ならあれ、昨日ならこれと推薦する本はあります。

今なら、「バビロンに行きて歌え」(新潮社/絶版600円)ですね。アラブの小国のテロリストの青年が、グループ内の政治闘争のあげくに放り出されて、東京に密航してくるところから小説は始まります。誰にも見つからないように床下で眠っていた時に、近づいてきた老犬を道づれに一人、大都会東京に彷徨う生活がスタートします。この青年が関わり合う人達との交流を、短篇小説のような独立したスタイルで描いていきます。第一章「老犬」から、第三章「ブルーブレート」辺りまでは、ハードボイルドな乾いたタッチでスピーディーに展開してゆき、第四章「恋の日々」辺りから、彼と彼を取り巻く青年達のドラマへと向かっていきます。

音楽をやっている青年達の中に入ったことで、彼は変化していきます。言葉と歌の力で、自分がこの東京という都会に生きていることを実感します。

「彼はのびやかに歌った。自分に最もふさわしい武器がM−21スナイパーライフルではなく歌であることを知った。これならば、雪の中、砂漠、遠い国、営倉、ジャングル、どこへ行っても大丈夫だと思った。その翌日から、彼はもう戦闘の夢を見なくなった。」

マシンガンを撃つことしか知らなかった青年が、歌うことで暗澹たる過去から解き放たれるまでを、的確に描いた名作です。

池澤はその後も、小説、評論、エッセイと、数多くの作品を発表し続けています。近年の代表作と言えば、震災以降の東北を描いた「春を恨んだりしない」(中央公論新社850円)でしょう。この本、東北の震災の現場を粒さに見て、現場の声に耳を傾け、そして、「ぐずぐずと行きつ戻りつを繰り返しながら」、この国には「変化が起こるだろう」と予測し、

「自分が求めているものはモノではない。新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしも安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。」と言います。

確かに、そんな生き方を模索している人が増えているのは、来店されるお客様と話していても感じるところです。

私は、時代小説を読まない。まず、長い。司馬遼太郎なんて文庫で平気で5巻とか6巻とかあります。そんな長編を読む時間はない。それに、時代小説は、当然ながら登場人物の名前が漢字だらけで、誰が誰だかわからなくなってしまうし(私だけ?)。さらに、役職が山ほど登場するでしょう。与力、同心、旗本、大目付に老中と官職野郎が溢れ返ってさらに混乱。ゆえに、読まない、いや、読まなかったのだが…….。

藤沢周平の短篇集「日暮れ竹河岸」(文藝春秋700円)を知って、方向が変わりそうです。藤沢はご承知のように、文章が美しい。日本的美意識が隅々まで浸透しています。しかも、この短篇集にはお武家様は登場しないので、江戸の街中に慎ましく生きる人達の、人生の一瞬を切り取ったほろ苦い話ばかりです。

その中の一編「おぼろ月」。老舗の糸問屋の娘で、嫁入りもきまっているおさとは、何もかも順風な人生なのだが、これが私の人生?と不安が過るある日、友人宅に行った帰りに、転けてしまい下駄の緒が切れてしまいます。そこへ、直してあげましょうとちょいといい男が声をかけてきます。知らない男についてゆく不安と、どこか悪い気がしない自分の感情が交錯する。お酒でも誘われるかもと思っていた矢先、男はでは行きますかと立上がります。

「はいっ?どこへ?」おさとは兎のようにとび上がって言った。「どこへって、お家に帰るんでしょう?」

一人勝手な妄想にふけっていた娘を尻目に「男は気をつけてな、と言って、あっけなく背を向けた」

安堵感と胸の高ぶりに、ふふふと笑いながら、おぼろ月夜の道を帰っていきます。ただ、それだけのお話ですが、いいんですね。粋ですね、この男も。

たまたま、この短篇集を読んでいる時、ビートルズのバラード集「ビートルズ・バラード・ベスト20」をかけていました。ちょうど名曲”Here Comes Sun” が鳴っていました。これがバックグラウンドミュージックとしてドンピシャだったのです。ギターのイントロ部分が、おさとの、ちよっと切ない気分を表現しています。え?ビートルズが藤沢に合う?? そのままこのアルバムを聞きながら読み切りました。私の思い込みかもしれませんが、いやぁ〜、こんな事ってあるんですね。ためしに、他のミュージシャンのアルバムかけてみたのですが、イマイチでした。

そう言えば、当店の朗読会で、藤沢の短篇に、ギターを伴奏されていた方は、エリック・クラプトンを弾いていて、藤沢の描く冬の情景にピッタリだったことを思いだしました。

なお、このバラード集はCD化されていません。今手元にあるレコード(国内盤/帯付き2500円)でしか聞く事ができません。ルソーの絵みたいなジャケットも面白い、ちょっとレアなレコードかも………。

 

「この作品を描いたのはお前か」とナチス将校はピカソに詰め寄ります。しかし、ピカソは動じることなく、将校に向かって、こう言い放ちます。「いや、描いたのはお前らだ」と。

1937年4月、スペインバスク地方の都市ゲルニカにナチス空軍が無差別爆撃を敢行し、多くの死傷者を出しました。その無差別爆撃に怒り、絵筆をとってナチスを戦争を非難した作品が有名な「ゲルニカ」です。作品は、当時開催中だった万国博覧会のスペイン館に掲げられました。

冒頭のやり取りは、そのときスペイン館の前で行われかもしれないと作家が想像して小説にした部分です。原田マハの「暗幕のゲルニカ」。焼夷弾をバラまいて多くの非戦闘員を殺害した残虐行為がなかったら、こんな絵を書かなかった。だから、お前等ナチスがこの絵を描かせたのだ、という作家の思いです。

キュレーター出身の原田は、美術界を舞台に多くの本を書いています。「楽園のカンバス」でルソーを、「サロメ」でビアズリーを、「ユニコーン」では、中世美術の最高傑作「貴婦人と一角獣」を、そしてこの「暗幕のゲルニカ」でピカソ最大の問題作「ゲルニカ」を描いています。文学的深みであるとか、文章の奥深さはともかく、彼女の本はストーリーが骨太で、テンポ良く進み、ドンドン読ませます。何より良いのは、小説の舞台になった世界の事を、もっと深く知ろうと思い立たせることです。これは、大事なことだと思います。

「ゲルニカ」が戦時中、難を逃れてアメリカに渡った経緯が細かく描かれていて、そこに関わった財閥の話や、NYの美術館館長の話など、もっと知りたいと思わせます。そして、アメリカがイラク侵攻作戦を宣言した国連安保理事会での出来事。ここには通常「ゲルニカ」の複製タピストリーが飾ってあるのですが、この時にかぎり幕で覆われていたというのです。

小説も、この幕を降ろさせたのは誰だ?というところからサスペンスで一杯に始まります。実際、当時のパウエル国務大臣は、この前でイラクに大量破壊兵器があるから攻撃すると宣言したのでした。反戦の象徴的的存在の「ゲルニカ」の前で、侵攻作戦の宣言なんて、ナンセンスもいいとこです。トランプ翁なら、それをぶっ壊して、戦争始めるぞ!!などと叫びそうですが……..。

店にあるラッセル・マーティン著「ピカソの戦争<ゲルニカ)の真実」(白水社/絶版1750円)は、ピカソがこの大作を描き出した時代と、その後の作品の数奇な運命を丁寧に描いてあります。巻末にはスペイン内戦の年表も付いていますので、本文を読みながら、スペインが独裁政権に支配されていった道程を追いかけてください。

このノンフィクションを読んでいる時に、恐ろしい符号に気づきました。それは、「ゲルニカ」がスペインに戻ったのが1981年9月10日。その20年後の9月11日。もう、何が起こったのか言うまでもありません。ひょっとして、原田は、その事実を知って、この小説を書いたのかもしれませんね。

因みに、私は「暗闇のゲルニカ」は電子書籍版で読んでしまいました。今、店頭にあるのは、山本周五郎賞受賞作品「楽園カンヴァス」(新潮文庫350円)だけです。