大学卒業後、なぜか幻想文学やファンタジーばかり読んでいた時期がありました。月刊ペン社という小さな出版社が「妖精文庫」というタイトルで十数点出版していて、その内、何点かを買った記憶があります。本には「妖精画廊」という小冊子が付いており、それが楽しみでした。

今回、シリーズの中の一冊、ウィリアム・モリス/中桐雅夫訳「サンダリング・フラッド」(月報付き1200円)が入荷しました。あぁ〜懐かしいな、この細かい字体を読んでたなぁ〜と思いだしました。

ウィリアム・モリスは、アーツ&クラフツ運動を牽引した人物として有名です。モダンデザインの創始者として、そのデザインは、あっ、モリス柄とすぐに分かります。一方で、モリスは文学活動も比較的早くから行っており、ファンタジー文学中興の祖と評価される「世界のかなたの森」は有名です。若者の幻想の中に存在していた美しい娘が生きる森の中で、繰り広げられる死闘を描いた作品で、世界観の美しさに唸りました。一時、晶文社が「ウィリアム・モリス・コレクション」全9巻を刊行しており、全部揃えたいと思った事もありました。(最近は古書市でも見かけません)

さて、「サンダリング・フラッド」は、悲恋ものだった….と記憶しています。(なんせかなり昔の読書体験だったのでね)

街を流れる大河サンダリング・フラッドを巡る、幻想的なユートピア小説とでも表現すればいいのでしょうか。やや時代がかった表現がありますが、ファンタジー好きなら外せない一冊でしょう。(ただし、上下二段でびっしりと印刷されているので、もう年寄りの私には再読不能です)

本を開けると、画家エドワード・バーンジョーンズデザインでモリスが織ったタピストリ、同じくバーンジョーンズのイラストとモリスのデザインによる「チョーサー物語集」、モリスデザインによるキルトの模様などの図版が収録されています。中世をユートピアとして捉えようとしたモリスらしい世界です。

ところで、この本を翻訳した中桐雅夫は詩人として有名で、私は「会社の人事」(晶文社)という、およそ詩集らしくないタイトルが面白そうだったので買ったことがあります。

「老い先が短くなると気も短くなる このごろはすぐ腹が立つようになってきた 腕時計のバンドもゆるくなってしまった おれの心がやせた証拠かもしれぬ」

という「やせた心」は、「おのれだけが正しいと思っている若者が多い学生に色目をつかう芸者のような教授が多い 美しいイメジを作っているだけの詩人でも 二流の批評家がせっせとほめてくれる」という嘆きを経て

「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は おれは絶対風雅の道をゆかぬ」という詩人の強い決意で終わります。心に残る詩集でした。

モリスの全集も、中桐雅夫も発行元は晶文社。若い日の読書体験に、この出版社の影響を受けたのは間違いありません。私が新刊書店の店長だった時、最初にやった企画が「晶文社ベストセレクション」でした。

 

古典芸能の本、特に初心者が読んで面白い本を見つけると、つい仕入れてしまいます。

古い本ですが、堂本寒星「上方芸能の研究」(昭和29年河原書店2000円)は、上方歌舞伎、壬生狂言、さらに上方舞にまで及んだ書物です。この中で、京舞の井上八千代さんとの対談が載っていました。四世井上八千代襲名の時の対談です。厳しい先代とのお稽古の事や、これから四世としてどんな舞台を勤めてゆくのか、先代が三味線のお稽古にことの外厳しかった時のことなど、はんなりとした京都弁で話されています。

「わたしが上手に弾けまへんと、あんた、もういんどいてと、おこらはるのどす。さうなると、わたしは先代さんと二三日顔を合わさんやうにするのどした。」

当代の五世八千代さんも、祖母である四世のことを、それはもう厳しかったと話されているのをTVで観たことがあります。

人形浄瑠璃「文楽」の大夫として60数年活躍され、先日引退された竹本住大夫への聞き書き「人間、やっぱり情でんなぁ」(文芸春秋600円)でも、やはり厳しい修行の日々を語られています。思わず吹き出したのが、「コケコッーコあ、鶏が鳴いた、夜明けじゃィ、」という台詞を師匠宅で早朝から何度も何度も繰り返し言わされた時のこと、ご近所から苦情が出ました。

「『じゃかましいィっ、夜の明けたん分かってるわい!』と大夫顔負けの迫力の、ちょっと怖い声で怒鳴られました。これを聞いた師匠が血相変えて、言い返すために、物干し台に上がろうとされるのを必死で押しとどめて、大騒ぎになりました」とは、いかにも大阪的なエピソードですね。

だいぶ前に、竹本住大夫の舞台は拝見しましたが、全身全霊で向かって来る気迫に感動したことを覚えています。表紙のお顔も、なんとも深い人間味が漂っています。

舞台に上がる直前、どんな名人も上手くいくかという恐怖心が湧き上るのだそうです。その竹本住大夫の頭を過るのは、「どっちにしても、出たとこ勝負や」という一念でした。

「新人のときの『稽古はしてきた。よっしゃ、出たとこ勝負や』と自分に言い聞かせてました。初舞台から最後の日まで、毎日毎日思うことは一緒でした。」竹本住大夫ならではのきっぷの良さです。

もう一点、高田文夫監修の写真集「お後がよろしいようで」(ちくま文庫500円)は、高座や楽屋での、江戸前噺家の表情が数多く収録されています。キリッとした、いなせな雰囲気が満ちていて、折にふれパラパラめくっています。志ん朝のちょいと顔を上げた雰囲気なんかとても素敵です。

★勝手ながら7月3日(月)&4日(日)連休いたします

 

 

今も人気のイラストレーター、安西水丸の本が2点入荷しました。

一つ目は「スノードーム」(キネマ旬報社/初版2400円)。1889年のパリ万博に登場したスノードームは、ヨーロッパで人気を集め、その後アメリカに渡ります。安西は、スノードームのイラストを数多く手掛けてきました。本書は、常盤新平、秋本康、泉麻人、沢野ひとし、淀川長治、糸井重里、湯本香樹美などの著名人が、スノードームについての思い出を語り、そこに安西がイラストを付けた作品集です。映画評論家の淀川長治は、初めてNYでひとり暮らしを始めた時、その孤独感に押しつぶされないように、百貨店で「雪ダルマ」のガラス玉を買って帰りました。

「私はことあるごと、手で振ってガラスのなかの雪を降らした。いつも雪あらしの中でサンタはニッコリ笑っている。私と同じ孤独。ガラス玉の中だけの世界。そこにたった一人」

彼はこのガラス玉の中のサンタと仲良くなり、旅の終わりまで大事に持ち続けます。「外国の店、私にはアメリカの店、ニューヨークの夜の星の日に、ベッドの中でそっと握ったガラス玉の雪。私、ことし八十七歳が目のまえなのに、まだこのようにコドモ!」とその楽しかった思い出を書いています。

この本を編集した、百瀬博教と安西の対談が二本掲載されています。世界のスノードームの話から、映画の話まで読んでいてこちらが楽しくなる対談です。

もう一点は、「シネマストリート」(キネマ旬報社/初版2400円)です。こちらは雑誌「キネマ旬報」に1986年から89年に渡って連載されたシネマエッセイ集です。イラストレーター和田誠のシリーズ「お楽しみはこれからだ」と並ぶ、映画愛に満ちた一冊です。日本が第二次世界大戦で敗北した数日後、安西の父親が南の島で戦死した事がわかります。「ぼくは写真でしか知らない父の顔が、小津安二郎監督の一連の映画に出演している笠智衆さんに似ていることを、姉から言われて気がついた。そう言えば顔かたち、体つきまでよく似ている。」と書き記しています。きっと、小津作品の笠智衆を見る度に、安西は切ないものがこみ上げてきたと思います。

昔の映画をDVDソフト等で見る時に、側に置いておきたい一冊です。ちなみに、村上春樹との対談「私の嫌いなもの、怖いもの」で、安西は「犬が苦手」と語っています。犬だけじゃなく、どうも動物全般が苦手みたいとはちょっと意外でした。

 

なんか、東映の任侠映画にでも登場しそうな雰囲気ですが、全く違います。

白山連峰の大日岳に源を有する長良川は、南北に160数キロ流れる大河です。天然の鮎、鱒が遡ってくる自然資源豊かな川辺に、吉田萬吉は明治の終わりに生まれ、漁師としてこの川と向き合ってきた男の人生を追いかけたのが、天野礼子著「萬サと長良川」(筑摩書房/絶版1800円)です。

天野礼子は、京友禅職人の1人娘として生まれ、京都に育ち、開高健に師事し文筆活動を開始、アウトドアエッセイ、釣紀行等を発表。同じ京都生まれの俳優、近藤正臣と河川の乱開発防止運動に取り組んでいる作家です。

天野は長良川に通い詰め、年老いても、漁に出てゆく萬サに出会います。竿一本でアマゴとアユを釣る漁師、萬サを育んだこの川の魅力にのめり込み、彼の伝記を書き始めます。しかし、彼の漁師としての人生を描くだけでは終わらない悲しい事が起こります。それは長良川河口堰建設です。河口堰建設話が持ち上がるまで、長良川は本州で、唯一ダムを持たなかった川でした。

天野は「日本で唯一鵜飼の正しい伝統を継承する川、老人が川にきてニコニコしている川、アマゴやアユが百二十キロもの上流の街中で泳ぐ川、サツキマスが唯一天然産卵をくりかえせる川、そして何よりも吉田萬吉を竿一本で暮らさせた川が、この川である。」

だからこそ、「長良川の正しい姿を守れなければ、三万本も川があるというこの川の国ニッポンは、まもなく滅びることだろう」と、文学の師匠である開高健のバックアップを得て反対運動を始めます。

この本が出版されたのが1990年。全国的に盛り上がった反対運動にも関わらず、役人どもが、その五年後に河口堰を完成させてしまいます。 長良川の大いなる豊かさに生きた一人の漁師を追いかけながら、その豊かさが踏みにじられてゆく愚かさを浮き彫りにしていきます。

本が出版される前年、「長良川の一日」(山と渓谷社700円)というフォトエッセイ集に、開高健も「小説家は怒っているのである」という河口堰反対の刺激的な文章を寄せています。もちろん、天野礼子も書いています。「私たちがこの”最後の川”について考える刻を持つことは、自分たちの命を生かしてくれる自然を考える、一つのキッカケ、そして最後のチャンス」と書いています。

さて、萬サは、80歳を過ぎた時、肺の病気で病院に担ぎ込まれますが、奇跡的に復活します。その姿を見て、仲間の漁師達は囁きます。

「やはり、あんたはこの川の神様やな。あん人の船があそこに浮かんどるんが、長良川の風景やで」

魅力的なシルエットが目に浮かぶ台詞で、本は幕を閉じます。

 

 

 

 

岡本太郎には二冊の自伝的エッセイ集があります。先の大戦で初年兵として中国戦線で軍務についていた時代から、収容所生活を経て帰国し、敗戦国日本の焼け跡から、モダンアートの復興目指して活動し始める日々を綴った「疾走する自画像」(みすず書房/初版/帯/絶版2000円)が入荷しました。10年に渡るパリ時代を記録した「リリカルな自画像」よりも生々しい描写が多く見られます。

例えば「白い馬」。最前線の部隊にいたある夜のこと。大量の水が流れるような音が聞えてくる。音のする方に向かうと、軍馬の死骸がある。

「全身から真白にウジがふき出し、月光のもとに、彫像のように冷たく光っているのだ。ウジのうごめく音が、ザァッと、低いすさまじい威圧感でひびいてくる。鬼気せまるイメージだ。」

生物が生物を食うその瞬間を、岡本は凝視している。きっと、目ん玉ぐっと出して、睨みつけるように見ていたでしょう。

5年にも渡る軍隊生活は、この本の中で「わが二等兵物語」、「落雀の暑」に詳しく描かれています。彼は軍隊内で「自由主義者」のレッテルを貼られます。全く個人の自由を認めない軍隊内でこんなレッテルを付けられる程不名誉はありません。案の定、最前線に送られ「空襲とゲリラの攻撃にさらされ、それからの生活は血と泥にまみれたいちばん辛かった数年感だった。」と振り返っています。

こんな体験を背負って帰国した人間は強い。敗戦後の何もない時代をしたたかに生き抜き、芸術家としての己の表現能力を限界まで引っぱりあげていきます。でも、何故か文体は力んでいません。ホイ、ホイ、ホイと生きてゆく辺り、妙に軽妙な感じさえあります。

巻末で岡本敏子が、彼は自画像は描かなかったが、文章にはいい自画像が沢山あると書いています。

「過酷な軍隊生活を綴った回想も、的確な、容赦ない描写なのだが、醜くない、徒に悲惨で暗黒なのでなく、何かほのぼのとしたユーモアがある。」

独自のユーモアとセンスの良さがあればこそ、戦後のアートの世界で方々に引っ張り出されても、世俗にまみれず、岡本太郎は岡本太郎という独自の地位を保ち続けたのかもしれません。面白いエッセイです。

石牟礼道子を、今年に入って読んでいます。彼女は「苦海浄土 わが水俣病」があまりにも大きな存在であるために、門前で後ずさりしてきた作家でした。しかし、以前にブログで紹介した「椿の海の記」以来、その豊かな世界に魅了されてきました。

今回、読んだのは彼女のファンタジー「水はみどろの宮」(平凡社/初版/絶版1500円)。阿蘇山に近い村で祖父と暮らすお葉。彼女が、山犬らんと深い山奥に入ったり、霊位の高い白狐のごんの守や、霊力のある片耳の猫おノンと交流を深め、人の入ってこない山々を疾走し、大空へと飛翔するお話です。

「山ちゅうもんは、どこまで続いとるか。人間の足では、歩き尽くさんぞ。山があるからこそ川も生まれる。お山は川の、いや人間の祖さまじゃ。そう思わんか、お葉」と爺様に言われたお葉は、彼女にだけ寄り添うらんを伴って山の奥に入っていきます。石牟礼の不思議な世界は、お葉と共に岩を上り、川を渡ってゆく感じです。これ、どこかで見たかもなぁ〜と記憶を辿ると、宮崎の長編アニメ「もののけ姫」の世界でした。あの映画に登場する山犬の姿は、そのまま、らんにスライドします。

物語は途中で、主人公が、お葉と山犬らんから、猫のおノンに変わります。この猫が実に魅力的で、読者を引っ張っていきます。

「いちばんよごれているのは、このあたいじゃ」と拗ねた目で、世間から身を引いた感じが魅力的な猫です。ラスト、盲目になって、お葉と爺様の所に白い仔猫と帰ってくるのですが、その姿が目に浮かんできます。作者はあとがきで、この二匹の猫をこう書いています。

「黒猫おノンと白い子猫は、わたしの仕事場での、大切な家族だった。死なれてしまってたいそう悲しくて、ついにこういう姿で甦らせたのである。死んだ姿をみて、つくづく『変わり果てるとはこういう姿をいうのか』と思ったが、甦らせてみたら、生き生きと霊力をそなえ、もう死なない姿になったと思う」

「苦海浄土 わが水俣病」完成後、長きにわたる水俣病との付き合いで命を擦り切らした彼女は、「水はみどろの宮」に登場する異界に居座ることで、己を癒し、命を再び燃やそうとしていたのかもしれません。それ程に魅力的な世界です

 

素人の夫婦がマンションを設計し、建築し、運営した。しかも5階建て!

JR高知駅から10分、500坪の敷地に建つ、白亜の「沢田マンション」。建設着工が1971年。今も夫婦とその子供たち、そしてその連れ合いの手によって増築、改築が続行中です。再度言いますが、ど素人の夫婦が建てたのです。小説でも、映画でもありません。今もこのマンションで暮らしている方が大勢おられます。

オーナー夫婦に密着したノンフィクション古庄弘枝「沢田マンション物語」(情報センター出版局/絶版1900円)は、とても面白い本でした。とにかくすべてが想定外の物語です。例えば、今でも家賃を払わず夜逃げする人が何人もいる。しかし、オーナーの沢田嘉農さんは「逃げる方が、考えたらずっと気兼ねして、ずっと骨がおれよる」と「夜逃げ黙認」です。

「お金というものに全くこだわらん。カネ、カネじゃったら心が汚くなるじゃろ。お金を思わん方が一番、幸せじゃ」

しかし、その一方遊び人風情はお断りで、例えば全く家賃を払わなかった男に、「部屋を壊すぞ」と何度も警告するも居座り続けたので、ついにハンマーで部屋を壊し始めるという武勇伝もあります。

沢田嘉農さんは1927年高知県の生まれです。いかにして、こんな人物が出来上がったのかは、第二章「奇才誕生」秘話をお読みください。ここだけでも、大河ドラマ一本分の面白さです。

最近、このマンションには、全国から建築の専門家や、環境デザインの専門家が頻繁に訪れています。このマンションには「楽しく暮す空間」、「自然との共生」といった現代的テーマの答えがあるからです。効率至上主義で建てられたマンションには、何ら心ときめくものはありません。

本の著者の古庄はこう書いています。

「経済効率優先の思想のもとで捨象されてきた『無駄』、それが何だったのかを見せてくれるのが、沢田マンションなのである。実はこの『無駄』にこそ、豊かな暮しのヒントが隠されていることを、ようやく専門家たちが気づきはじめたということだろう。」

あっけにとられて読み進んでいくうちに、この夫妻から、ダウンサイジングした環境でいかに、面白く生きてゆくかのヒントを教えられます。

こんな事もおっしゃってます

「困ったとき、いい争いになったとき、人の心は直せなくとも、自分の心は直せる」

大勢に影響がないなら、自分の気持ちの持ちようを変えた方がいい。他人の言動に振り回されずに、「自分は自分」と構えていられるという事です。さすが、多くの修羅場をくぐり抜けた人の言葉です。

 

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スペインの映画監督ペドロ・アルモドパルの最新作「ジュリエッタ」の原作、アリス・マンロー著「ジュリエット」(新潮社クレストブックス1900円)が入荷しました。マンローは短編小説の名手として知られています。この本も8本の短編が収録されていて、「ジュリエット」「チャンス」「すぐに」は、ジュリエットという一人の女性の人生を描いた連作短編で、マンローの愛読家だったアルモドバルが映画化しました。

大学院生だったジュリエットが、列車で乗り合わせた漁師と恋に落ち、結婚し、娘を出産します。人生が順調に進んでいたと思っていた矢先、夫は嵐の中、漁に出て遭難。娘はある日、家を飛び出し失踪。田舎に残した両親ともわだかまりが溜まってゆく。そして、娘の失踪先が判明し…….というのが三つの短編で描かれています。

角田光代は、マンロー的世界を見事に表現しています。

「アリス・マンローの短編小説は、読むというより「触れる」に近い。異なる時代、異なる場所で生きるだれかの人生に、否応もなく触れてしまう。その人生ががらりと変わってしまう一瞬に立ち会い、目撃してしまう。そんなちっぽけなことで人生はこうも変わるのかと、打ちのめされたように思う。それでも人生は続き、私はわからなくなってくる。あのときこうしていたら今より幸福だったのか? 不幸だったのか? だれかの、ではなく、自分のことのように。そして思う。生きることは、もしかしたら、幸福とも不幸ともまったく関係ない、それらを凌駕するようなものなのではないか、と。」

映画版「ジュリエット」ラストも、これから先に幸せがあるのか、そうでないのかわからない終わり方をします。角田の言う「生きることは、もしかしたら、幸福とも不幸ともまったく関係ない」、ひたすら続くのだ、という事でしょう。ジュリエットが乗る車の前に蛇行しながら続くハイウェイが、そのシンボルだとすれば、監督は見事に小説の世界を映画化しています。女性を、母を、そして、親子を様々なスタイルで描いてきたアルモドパルが、やはり女性の一生を描いてきたマンローに傾倒していたのは当然だったかもしれません。

書店経営を経て作家になったマンロー、73歳(2004年)の時に刊行された本短編集には、ハッピーエンドは用意されていません。けれども、だからといってそれは悲劇でもないのです。そこが面白いところです。

ヒラリーさんが、マンローの愛読者らしいのですが、政治的手腕はともかく、こんな”めんどくさそうな”小説に目を向けないだろうトランプさんよりは、マシだろうという気はします。

「ジュリエット」以外にも、優れた海外文学を翻訳している「クレストブックス」が何点か入荷しています。ブックデザインも素敵です。

 

「シェイクスピア・アンド・カンパニーはセーヌ左岸のまさに河岸にある。店の戸口の前に立って、力いっぱいリンゴの芯を投げれば、楽に川面に届くほどセーヌに近い。この戸口の前からは、シテ島のすばらしい景観が望まれ、ノートルダム大聖堂、パリ市立病院、堂々たるパリ警察庁の建物をつくづく眺めることができる」 ジェレミー・マーサー「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店の優しき日々」

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店はアメリカ人女性シルヴィア・ビーチによって1919年、パリセーヌ左岸のオデオン通りにオープンしました。1920年代から30年代にかけてヘミングウェイ、S・フィッツジェラルド、ヴァレリーらが出入りした本屋でした。ヘミングウェイは「移動祝祭日」(土曜文庫771円)の中に、わざわざ「シェイクスピア書店」という項目を設け、「冷たい風の吹きさらす通りにあったが、ここは、あたたかくて、陽気な場所であった。」と書き、いつも出入りしていたみたいです。残念ながら、第二次世界大戦勃発でパリが占領され、閉店してしまいます。

しかし、1960年代半ばに、風来坊みたいなアメリカ人、ジョージ・ホイットマンが、初代の店の側に、二代目の「シェイクスピア・アンド・カンパニー」書店をオープンさせました。やはり、この店にもギンズバーグやバロウズといった、ビートニク系作家が出入りするようになりました。この書店の大きな特徴は、書架の間にベッドを入れ、一文無しの若い作家や、旅人に無償で宿泊させていたのです。

ホイットマンのモットーはこうです。

「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かもしれないから」

「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店の優しき日々」(河出書房新社1900円)は、ジョージ・ホイットマンの作り上げた、このシェイクスピア・アンド・カンパニー書店を、ここに住みつくことになった、元新聞記者のジェレミー・マーサーの視点で描かれています。一種のユートピア的書店の存在を描いたものとしては、須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」(文藝春秋/単行本絶版800円)がありますが、こちらも是非読んでいただきたい一冊です。

ウッディ・アレンの映画にも、ワンカット登場した記憶がありますが、アレン的な優しさ、ユーモア、機知に富んだ店として描かれています。売上げデータ至上主義の書店経営のあり方にウンザリしていた私は、2010年にこの本が出た時に、飛びついたものです。書店の持つ豊かさと奥深さは、そこに集まる人たちの面白さが作ってゆくことを知りました。この店のことを知って数年後に、レティシア書房を開きましたが、頭の片隅にはこの書店のことが常にありました。

本のラストがいいんです。著者がホイットマンに、この書店と出あったことがどれ程幸せだったかを伝えた時、ホイットマンはこう言います

「ずっとそういう場所にしたかったんだよ。ノートルダムを見るとね、この店はあの教会の別館なんだって気が時々するんだ。あちら側にうまく適応できない人間のための場所なんだよ」

幸せな時間を提供する場所。かくありたいものです。

現在、この書店はホイットマンの娘さんが引き継いで店を守っています。

小林信彦が、みずからの集団疎開体験を描いた「冬の神話」(角川文庫800円)が入荷しました。昭和50年に発行された時のカバーの絵は金子國義。手元にあるのは51年の重版分ですが、金子のカバーで、この版を集めておられる方もおられるはず。やや表紙が汚れているのでこの価格です。

小林はあとがきで、かつての疎開児学童たちが、疎開地を再訪し、現地の人たちとあの時代の思い出を語りあう、という美談風のハートウォーミングな記事について、不快感を滲ませてこう書いています。

「いまや中年太りした『疎開学童』たちと『純朴な』農民たちとの交歓を称える新聞の文章は、疎開学童を『ヨイコ』と猫撫で声で呼んだ戦争中の新聞記事と奇妙に似通ったところがある。現代史の空白部分といわれる集団疎開の真実は、これら偽善的な記事の向こう側に塗り込められたままになっている。」

体験した疎開先での出来事を元に、小林は、慢性的食料不足による飢餓感、周囲から隔絶した閉鎖的空間が生む歪んだ人間関係、それが誘発する暴力、窃盗、リンチ等々、とても”ハートウォーミング”などという言葉では片付けられない世界を描いています。これは、兵隊こそ登場しませんが、戦争を描いた傑作です。

戦後を生きる元刑務官が、東京裁判で裁かれた囚人たちが収容される「巣鴨プリズン収容所」勤務時代を回想する、吉村昭「プリズンの満月」(新潮社700円)も、戦場を描くことなく、戦争に翻弄される男たちの姿をリアルに描いています。小説は現代からスタートします。収容所があった場所に建つ巨大ビル群。そのビルの管理会社に勤務する男が、退職の日、かつて、ここにあった収容所を忘れない為に建てられた戦犯の碑の前に立ったところから、時代は昭和25年の時代へと一気に戻っていきます。そこからドキュメンタリータッチで、収容所を管理する米軍との軋轢、囚人との亀裂等が描かれていきます。巣鴨プリズンを主役にした小説ってこれぐらいじゃないでしょうか。

もう一人、とんでもない戦争体験を、自らの作品に色濃く投影しているのが島尾敏雄です。終戦直前に特攻命令を受け、まさに死に行く直前、敗戦が決定したという体験を持つ彼が描いたのが「出発は遂に訪れず」です。この小説については「戦争はどのように語られてきたか」(朝日新聞社600円)という鼎談集のなかで、高橋源一郎が文芸評論家川村湊、近代日本史が専門の成田龍一と「戦後の戦争文学を読む」という章で取り上げていますので、こちらをお読み下さい。

「遂に最後の日が来たことを知らされて、こころにもからだにも死装束をまとったが、発進の合図がいっこうにかからぬままに足ぶみしていたから、近づいて来た死は、はたとその歩みを止めた」

と島尾は小説の中に書いています。それが、どんな心理状態であったのか、私たちには想像を絶します。