ドキッとするようなタイトル「重版未来 表現の自由はなぜ失われたか」(白水社/古書900円)の著者、川崎昌平のことは、全く知りませんでした。タイトルと表紙のカワイイ系キャラのイラストと、本書の半分を占める不思議なコミックに興味を持ちました。コミックの舞台になっているのは、検閲が極端に強化され、表現者が迫害されている社会です。地下に潜った出版社に勤務する人たちが、法に違反した人々を殺戮してゆく軍人の追跡を振り切って、出版活動に従事するという物語です。陰惨な設定にも関わらず、キャラはカワイイ系ばかりが登場してきますので、そのギャップに戸惑います。

物語が進行していった終わりの方に、「表現の自由はなぜ失われたか」という著者の論考がボンと差し込まれます。時代設定は2030年。その時代を生きる男が10年前を振り返り、「京都アニメーション放火事件」や「愛知トリエンターレ事件」が、表現の自由を脅かしてしまったと後悔するのです。風変わりな設定ですが、ひたひたと押し寄せる検閲社会への警告の書です。

コミックの中で、地下に潜った編集者が「怖いのは・・・・・本がー表現が残せない未来だ」と発言します。「表現が残せない」、即ち表現が無理やり封じ込められることに、音楽・書籍販売に携わってきた私は3回遭遇しました。しかも、ソフトで穏便なやり方で。

1度目は、日本のロックバンドRCサクセションが反原発の歌詞を含んだカバーアルバムを出したが、レコード会社の親会社が原発関係に絡んでいたので、それを”考慮”して、自主的に発売を取りやめた時。

2度目は、EP-4という京都のバンドがメジャーデビューアルバム「昭和大赦」を発売した時です。アルバムジャケに藤原新也が撮影した写真が使われたのですが、それは、当時話題になった金属バットで両親を殺害した少年の家でした。その時もレコード会社は、社会的影響を”考慮”して、”自主 “回収を求めてきました。因みに、最初にこのアルバムについたタイトルは「昭和崩御」でしたが、「それは如何なものか」となり、大慌てでタイトルを変えた曰く付きアルバムです。(今はどちらも販売されています)

3度目は、オウム真理教がサリン事件を引き起こした時です。オウムは出版部門を持っていて、多くの出版物を出していました。事件が事件だっただけに、その社会的影響を”考慮”して、店頭からの撤去を、やはり”自主 “的にお願いされました。

社会への悪影響という問題はあるとはいえ、どれも、どこかの、誰かへの忖度が働いているような感じでした。私は「表現の自由を犯すな」みたいな社会的正義感でなく、ある種の生理的嫌悪感から、RCのアルバムの時は、レコード会社批判のポスターを店員たちが書いたものを張り出し、2度目の時は、そのまま販売を続け、3度目の時も、返本せず販売を続行し、おかげで店内を公安の方にウロチョロされました。

確か、各々の事件の後、業界の団体から「それは如何なものか」みたいな文書が送られてきましたが、店員たちと、なんかようわからん文章やな〜と話をしたと記憶しています。

たかだか20年余の仕事の中でさえ、これだけあった忖度。今はもっとあるのではないでしょうか。役者であり、ミュージシャンのピエール瀧が麻薬で逮捕された時、彼のバンド「電気グルーブ」のCDが自主回収されたことを知った時、変わってないなと思いました。その時、坂本龍一が「音楽に罪はない」と抗議したのはさすがでした。

コミックのラストは、ディストピア社会を生きる編集者が「一緒にボロボロになりながら本をつくっていこうよ」と言うところで幕を閉じます。出版社も書店も、そうあって欲しいと思います。私自身も、「生理的嫌悪感」を失うことのない本屋でいたいと思います。

 

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月2日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。

 

 

「愛の見切り発車」(新潮文庫/古書450円)の著者柴田元幸は、最も人気のある翻訳家で、当店でも「柴田元幸翻訳海外文学」というコーナーを作って、片っ端から並べています。

これは、そんな人気翻訳家の英語文学入門エッセイではあるんですが、翻訳者らしからぬ、こんな文章で幕を開けます。

「九七年夏場所現在、舞の海は見事幕内復帰を果たし、わがことのように嬉しい。智乃花は残念ながらまだ十両にとどまっているが、怪我をおして土俵に上がっているのを新聞で読むだけでも、なんとなく勇気付けられる。」

で始まり、小兵の相撲取りのウンチクへと流れていきます。え?英語文学の紹介本じゃないの??

「外国文学紹介・翻訳業者における読書量というのは、相撲取りにおける体重のようなもの」と論を展開していきます。ご本人は、「あまりたくさん本を読んでこなかった」と告白しています。つまり、読書量の絶対的不足=自らの知識量に重さがない、だから、重力体重を保持していない、軽量級相撲取りにシンパシーを感じる、というわけです。

トホホな感じなのですが、自分が関係した本と著者への愛情とリスペクトをなんとか伝えようと奮闘努力していると書かれています。大上段に構えて、英語圏文学とは、みたいな英文科の授業みたいな堅苦しさはありません。

フィリップ・ロスの「背徳の日々」の紹介で、のっけに登場するのはメルヴィルの「白鯨」。エイハブ船長と白鯨の闘争の物語です。登場人物は、語り手のイシュメールを除き全員海の藻屑となり、最後のページにはイシュメールの「というわけで俺一人だけ生き残り…..」という台詞が描かれています。ところが、最初にイギリスで出版された時、このページが抜け落ちていたのです。だから、生き残ったことを知らない批評家は、語り手が死んでしまったら、誰が物語を語るのかと批判されたそうです。

死者が物語を語ってはならないという厳格な原則は、シェイクスピアから現代まで遵守されていると著者は説明した上で、ロスの「背徳の日々」の第一章で死んだ人間が、第二章では元気に動いているという奇妙なシーンに遭遇します。そうして、ロスのポストモダンと呼ばれる小説について語っていきます。英米文学の熱心な読者でなくても、ふ〜んと思わせるところが柴田錬金術ですね。

実は、私がこの本を読んだのは、店の本棚に出そうとした時に落としてしまい、たまたま広げたページがここだったというのがキッカケでした。わ!面白いと思って、ドンドン読み始めました。海外文学はちょっと、という苦手意識のある方に、ぜひオススメしたい文庫です。

ちなみに、柴田翻訳本といえば、ポール・オースターの著作が有名ですが、私のベスト1は、ジャック。ロンドン「犬物語」( SWITCHPUB/古書2050円)です。

 

 

 

★連休のお知らせ 勝手ながら4月13日(月・定休日)14日(火)臨時休業いたします

 

昨年「付箋だらけになってしまった」というタイトルで、ブログに載せた「彼岸の図書館」(夕書房/2200円)は、本当に心に残る本でした。本が好きな人や、住むこと・働くこと・食べることなどこれからの生き方に関心のある方々にお薦めしているうち、当店ではロングセラーになっています。

帯に、内田樹が「『ひとり出版社』が出した『ふたり図書館』の話です。書物は商品ではなく、人が生きるための糧であるという古くて新しい知見が語られています。」と、ズバリ言い当てた文章を書いています。

この本の著者でもあり、ルチャ・リブロ図書館を運営する青木真兵さんが、京都に用事があったとかで、先日ひょっこり来店されました。色々とお話をしているうち、この図書館に来られた方が、そこで読んだ本のレビューを出しておられることを知りました。それがが「りぶろ・れびゅう」(825円)です。

「この冊子は、ルチャ・リブロにある本と、ルチャ・リブロにゆかりのある方々を同時に紹介ししてしまおう!という趣旨で編まれています。ルチャ・ルブロには『人文系』以外の本もありますし、さまざまな理由、ご縁、直感に惹かれてご来館くださっています。ぜひ、この冊子をきっかけにルチャ・リブロを知っていただければうれしいですし、なによりルチャ・リブロとみなさんという『一対一』だったこれまでの関係が、本冊子を通じて『予期せぬ方に』ずんずん散らばっていって欲しい。」と、発行の趣旨を青木さんが書かれています。

確かに、様々なジャンルの本が登場します。中井久夫「世に棲む患者」、山崎雅弘「歴史戦と思想戦」といういかにも人文系があるかと思えば、富士正晴や久坂葉子といった文学系もあるし、当店でも販売している「アウト・オブ・民藝」(誠光社)も論じられています。意外だったのが、コミックも何点かそのレビュー対象になっています。私も愛読している、ますむらひろしの「ヨネザアド幻想」が載っていました。書かれた菅原健一さんは、「隠れ家のようなこの図書館で、また新しい世界(ほん)との出会いもあるだろう。」と期待を抱かれ、そこで見つけたのが「ヨネザアド幻想」でした。

ご承知のように、この本に登場するのは、人間の言葉を語るヒデヨシという名の大猫です。ロクでもない奴なんですが、なぜか邪険にされない不思議な猫です。菅原さんは、予備知識なしに読み始めその圧倒的な開放感に驚かされます。全文をご紹介することは出来ないのが残念ですが、ぜひお読みください。本の世界が広がっていきますよ。

「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」は、奈良県東吉野村にあります。ぜひ訪ねたい場所です。

 

以前に、「ドライブイン探訪」(筑摩書房売切れ)という本を紹介しましたが、その著者橋本倫史の「市場界隈」(本の雑誌社/古書1300円)を読みました。

那覇にある「那覇市第一牧志公設市場」で働く人々をルポした本です。日本一小さい本屋として有名になった古書店「ウララ」もここにあります。戦後、那覇市は米軍管理の土地を借地契約し、1951年に公設市場が発足し、200店舗のお店が営業していました。近隣への大型店舗の進出等で、市場も店舗数は減少傾向にありますが、沖縄県の珍しい食材が安く購入できることや、食堂で家庭料理が安く味わえることからガイドブック等に掲載され、観光客が多く訪れるようになり、観光スポットとして脚光を浴びています。

著者は、この市場に店を構えている人々を訪ねて、店の歴史やそこで働くようになった経緯等を聞いていきます。正に人に歴史あり。

「私が小さい頃は、今日は何を食べる、明日は何を食べるという時代ですよ。ごはんを食べていくためには、小さいうちから働かないといけない。」とは、中国語も操る長嶺鮮魚の名物女将、長嶺次江さんです。本当最南端の糸満市から、戦後この市場に良い仕事を求めてやってきます。

「その当時は働いているのはほとんど戦争未亡人のおばちゃん達でした。皆さん私よりも年上だったけど、優しくしてくれて。沖縄の商売は会話が大事だから、ユーモアの精神でやる。」と話されていますが、「沖縄の商売は会話が大事だ」は、ここに登場する店主たちの多くがおっしゃっています。そして、誰もがよく働く。予算に縛られたり、売上に追いかけられているのではなく、生きることがそのまま働くことに結びついているのです。

大衆食堂ミルクで、75歳になった今も働く宮城初江さんは、こう言います。

「将来のことはね、何も考えませんよ。とにかく頑張って働くだけ。他に何があるの。『いらっしゃいませ』、『ありがとうございました』、これぐらいよ。別に儲けようと思ってませんよ。色々必要な支払いを済ませて、ご飯を食べることができれば十分よ」

多分、こういう人たちがいっぱいの市場だからこそ、その幸せをちょこっと分けて欲しくて、多くの人たちが訪れるのでしょうね。確かに、ここに登場するおっちゃんやおばちゃんの顔を見ていると、良い気分になってきます。

なお、この市場は2019年6月で営業を終了、建て替え工事に入るのだそうです。だから、ここに収録されている市場の写真は、もはや過去のもになってしまいました。貴重です!

 

 

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新年最初の読書は、マガジンハウスで、数々の雑誌の編集に携わってきた編集者岡本仁の「続々果てしのない本の話」(オークラ出版/古書1200円)でした。同社の「&Premium」に連載されていた読書エッセイ40編をまとめたもので、誠光社の堀部篤史さんと共作した「古本18哩」も収録してあるという本好きにはたまらん一冊なのです。ところが読みだした最初は、ケッ!アートに詳しい編集者が、クールに自分の好きな作家をエッセイ風に描いた東京人好みの本ね…….みたいな感じで、プリプリしながら読んでいました。(なら読むな!)

が、そういう扁壺なおじさんの気持ちを、ゆっくりと柔らかにしてくれて、結局最後まで一気に読みきりました。そのキッカケになったのが、こんな文章でした。

「幸せな結婚というのは『いま、ここ』がいちばん尊いと知るきっかけであると同時に、『いま、ここ』がいかに儚いものなのかを悟るきっかけでもあるのじゃないか。ミランダ・ジュライの『あなたが選んでくれるもの』で、彼女が自分の結婚について触れている部分を読んでいるうちにそんな気持ちになり、庄野潤三の『夕べの雲』を思い出した。」

ミランダ・ジュライ→庄野潤三へと流れてゆく文章が、チャーミングです。本書では、ひとりの作家、あるいは著作から、岡本が思い浮かべた作品が次々と果てしなく並べられていきます。もちろん、私の知らない作家や、アーテイストや写真家がどんどん登場してきますが、決して上から目線にならずに、ねえ、こんな面白い人いるよ、みたいな感覚なのです。程々にクールでベタベタせずに描かれているので、心地よく読めます。

岡田温司著「モランディとその時代」という美術の本から「この本は自分自身の考えと信じていることが、もしかしたらただの紋切り型になっていないかと疑ってみることの大事さを教えてくれる。見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない、考えているようで考えていないことが、自分のまわりにまだまだたくさんあるような気がしてきた。」

本の内容を紹介しつつ、最後に自分の言葉で、その本から受けた思想をきちんと伝えることは、なかなか出来ません。(ブログを書きながら日々痛感しています)

一方で、著者は、少年のような瑞々しい感性をひょいと出すことがあります。京都の細見美術館で見た「永遠の少年、ラルティーグ」展の感想をこんな文章で綴っています。

「いまこの瞬間の興奮と幸せを永遠のものにしたいという、ラルティーグの無邪気さが観る者を自然に笑顔にしてしまうような写真、涙が出そうになるほど素敵だった。」

なんだか写真展で、顔をクシャクシャにして楽しんでいる著者の姿が想像できます。

それにしても方々の美術館に出かけていますねぇ〜。本当に好きなんだ。

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お正月休みも明けて、1月7日の本日より通常通り営業いたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、2020年ギャラリーは、京都の法蔵館書店による「本づくりへの願い・版木とともに」の展覧会で幕開けしました。

京都は日本の出版文化発祥の地で、その中核は仏教書でした。法蔵館さんは江戸時代から仏教書を中心に出版活動をされてきました。展示されている年表によると、慶長7年(1602)西村九郎右衛門、大坂城落城により京都へ転居、一向宗(浄土真宗)の仏書肆開業とあります。法蔵館と名乗られたのは明治時代からだそうですが、なにしろ長い長い歴史を紡いで400年余り。今回は、そんな法蔵館さんの蔵の中から掘り出した(?)版木の展示をしていただきました。

写真(右上)を見ると、蔵の壁は下から上まで版木の山。10000枚の版木は多くは明治以降のものですが江戸期のものもあるとか。実は店長がこの企画に先立って蔵の見学に伺いましたが、あまりの量と、蔵の息づかいみたいなものに当てられた様子で帰ってきました。金子貴昭著「近世出版の板木研究」(法蔵館書店)という本が出されていますが、その金子先生によって現在も調査中だとか。

紙の本から電子書籍へと、読書環境の変化に伴い出版業界の構造も変化しつつある今ですが、こうして手で彫り上げた美しい版木を眺めていると、情報を伝える熱い思いを改めて感じました。

また、版木のワークショップコーナーを設けました。法蔵館の小さな版木を白い紙にスタンプして、ブックカバー(文庫用)を作ってお持ち帰りください。空き缶にいっぱいに入った版木(写真右下)が、あまりに可愛いので早速押してみましたが、楽しいですよ。

昨年12月に京都新聞で大きく取り上げられた「A級戦犯者の遺言」(青木馨編・法蔵館)は、巣鴨プリズンでA級戦犯の最期に立ち会った日本人僧侶で教誨師花山信勝氏の講演録。(CD付き2420円)さらに、昨年法蔵館文庫が創刊、次々と新しい文庫も生み出されています。こちらの方はすでに店に並べています。今年、文庫第2弾新刊「アマテラスの変貌」(佐藤弘夫著・1320円)「正法眼蔵を読む」(寺田透著・1980円)も先行発売中ですので、この機会に手にとってみてください。

そして当店でも人気のミニプレス「ドーナツのあな」「おきらく書店員のまいにち」でお馴染みのいまがわゆいさんと、法蔵館がなぜかコラボした(!)かわいいクリアファイルやマスキングテープも販売しています。

というわけで、法蔵館の歩みは、これからも続きます。版木の歴史を振り返り、本の未来を少しだけ考えてみる機会になれば幸いです。(女房)

「本づくりへの願い・版木とともに」は1月19日(日)まで。13日(月)は休み

12:00〜20:00  最終日は18:00まで 

 

 

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昨年夏に大阪の書店「本は人生のおやつです」の坂上さんから、「本のヌード展」への参加のお誘いがありました。ちょっと刺激的なタイトルですが、これは、本のカバーを取ったり箱をひっくり返したりすると、違う装幀や、作り手の工夫があったりする本を集めた企画でした。この企画がさらに大きくなり、多くの本が集まった展示会が、26日まで奈良県立図書情報館にて「本のヌード展」として開催されています。この展示会の内容を伝える「本のヌード集」(550円)を入荷しました。

まず、京都在住の装幀家矢萩多聞さんが装幀を担当し、2006年に春風社から出た「小出楢重と谷崎潤一郎小説『蓼喰ふ虫』の真相」が登場します。う〜む、なんとも色っぽい仕掛けです。これは、本書をじっくり見てください。

ページをめくると、書店員、作家、ライター、編集者など多くの人が、これぞ!という本を出しています、もちろん全て、カラー写真で収録されていて、出品者のコメントも読むことができます。大正十五年にアルスから出たポール・ゴオガン著「ノアノア」は恩地孝四郎の装丁で、出品者の「マヤルカ書房」さんは、「一つの美術品のような佇まいは、美術専門書の版元ならではないでしょうか。そして、味わい深い表紙はもちろん、カバーをそっとめくってあらわれる本体の箔押しにはっとしました。」とその美しさを書いています。

入荷した時には私も驚いた本を、「人生のおやつです」の坂上店長が選んでいました。サウダージブックス発行、西川勝著「『一人』のうらに、尾崎放哉の島へ」 (2200円)です。自由律俳句の俳人、尾崎放哉が晩年を過ごした小豆島が浮かぶ瀬戸内海の海原がカバーになっています。坂上店長は、タイトルの「うら」という言葉に注目しました。ここには「裏」という意味も入っているのかもしれないと気になり出し、「読んでいる途中でカバーをめくってみたら、そこにはなんと、生命力を感じさせるような、満開の花が…….!カバーの青と表紙の赤。『一人』に潜む『もう一人の自分』から繋がる『他との関わり』。これ以上なく内容を現した装丁だと思います。」とその素晴らしさについて書かれています。

当店は、田辺聖子監修の「ひまわり」復刻版(国書刊行会)を出しました。「ひまわり」全8冊+別冊1冊を豪華な箱に入れたものです。展示会終了後に本が戻ってきたら、店内に出しますのでじっくりご覧ください。

本の魅力を視点を変えて語った一冊です。この本を手にとって興味を持たれた方は、26日まで開催されていますので奈良へ出かけみてください。

 

レティシア書房は、年内28日(土)まで通常通り営業いたします。新年は1月7日(火)から営業いたします。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

島田潤一郎さんは、ご存知のようにひとり出版社「夏葉社」の代表です。上質の本をコンスタントに発行されています。近著「古くてあたらしい仕事」(新潮社/新刊1980円)は、多くの人に読んで欲しい一冊で、生きる事、仕事をすることの本質が、ぎっしりと詰まっています。

大学卒業後就職した仕事に馴染めず、様々の会社を渡り歩き、自分の人生の方向を決められない日々が続きます。その時彼を支えたのは、当時ロッテ球団の監督だったバレンタインの、こんな言葉でした。

「人生でもっとも大切なのは、人から必要とされる事だ」

島田さんは、仕事とはそういうものだと思いつつづけてきました。誰かを支えたい。「仕事のスタートとは、そういう純粋なものである」というのが彼の哲学になっていきました。

「一冊の本が人生を救うというようなことはないのかもしれない。でも、僕にはきっと、なにかできることがある。僕にしかできないことがある。」

そんな思いを胸に秘めながら、出版社「夏葉社」を立ち上げ、自ら編集し、自社のことを理解してくれる全国の本屋さんを営業するという、仕事がスタートしていきます。彼の起こした出版社の優れたところは、彼自身の言葉で言えば、

「いまを生きる作家の本は、既存のたくさんの出版社がつくっている。それならば、ぼくはかつて出版され、絶版になっている本を、もう一度自分の手で出してみたかった。 数十年前の作家と編集者が魂を削ってつくった本に、もう一度あらたな息吹を吹き込んでみたかった。魂のリサイクル。」

読者の顔を思い浮かべ、それを置いてくれる書店員のことを考えて作る本、著者はそれを「親密で、私信のような本。仕事もまた同じ。一対一でしか伝えられないことがある。」と表現しています。合理性、効率で考えるのではない仕事。「今日、誰のために、なにをするのか。 仕事の出発点は、いつもそこだ。」という考えが、くり返し、本書には登場します。

本書で、一箇所だけ当店の名前が登場します(P138)。「大量生産、大量消費以前のやり方を現代に蘇らせることによって、自分の仕事の場所を保持しているように見える」書店の一つとして、名前を挙げていただきました。

「それはいってみれば、大きな声でなく、小さな声を尊重する店のあり方だ、『みんながそういっている』というのではなく、『あのひとはこういっている』という本の並べ方」と。よくぞ、言ってくれました!島田さん。ありがとうございました。

彼が編集した「ガケ書房の頃」の中に、著者の山下賢二さんが、こんなことを書いています。

「本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になった時には、町の本屋へ駆け込んだらいい」と。

そして、しんどい時、憂鬱な時、本屋が支えになるのは、「強い者の味方ではなく、弱者の側に立って、ぼくの心を励まし、こんな生き方もあるよ、と粘り強く教えてくれたからだ。」という島田さんの言葉を、私もその通りだと思いますし、当店もそういう本屋でありたいと仕事をしています。

この本は大手出版社の新潮社から出ていますので、大きい書店にはあると思います。当店でなくても、お近くの書店で見つけて、ぜひお読みください。

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

壁掛けタイプ1000円 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

 

本好きの方なら「本の雑誌」という月刊誌を読まれたことがあると思います。1976年、この雑誌を立ち上げたのが椎名誠、目黒考二、沢野ひとし、木村晋助です。その内の一人目黒考二が、書評家として四十年を迎えたことをきっかけに、過去を振り返ったのが「書評稼業四十年」(本の雑誌社/古書1300円)です。

目黒は、書評する本のジャンルによって複数のペンネームを使っていました。私小説の時は目黒考二、ミステリーなら北上次郎、競馬評論の時は藤代三郎を使用していました。本書は、推理小説や娯楽小説が熱かった時代に、その洗礼を受け読書遍歴を重ねたので、「北上次郎」で発表しています。

TVの書評番組で何度かお見かけしましたが、そのおとぼけぶりとマイペース感が気に入っていました。こんなことを言っています。

「若いころに『日本読書株式会社』というのを考えたことがある。本を読むだけで生活していけないものか、という夢想である。社員五十人が毎日せっせと新刊を読んで、データを蓄積していく。顧客の入会金は一万。会費は毎月千円。それだけで毎日電話できる。何度電話してもいい。で、ただいまこういう気分なのだが、そういうときに読む本は何かあるかと質問すると、たちどころに答えてくれるのである。」

で、北上社長はというと社長室で好きな本を読み、飽きたらコーヒーショップに出かけ無駄話に興じる、という人を食った会社です。まぁこういう人なので、記憶力もイマイチ、過去の仕事のデータもないということを断って、話は方々に飛んでいきます。「なんであの時、あの作家と話していたのかわからないのですが……..」みたいなことがあるかと思えば、「あぁ、思い出した」と、違う場面へ飛んでゆく。しかし、そこが面白いのです。一緒に出版業界を駆け抜けた編集者や同業の書評家、そして時代の最先端を走り出そうとしている作家たちと、まるで居酒屋で飲みながら北上の話を聞きながら、ヘェ〜そうだったのかと相槌を打っている気分になります。

彼は、書評と評論の違いをこう語っています。

彼が他の書評家が書いた文章に触発されて、本を買いに走りました。「すぐれた書評は、こういうふうに読者に行動を起こさせる。面白そうだという感慨で終わらせず、直接的な行動を起こさせるものだ。その点で評論と異なる。書評にはそういう熱が必要なのである。」

新聞などの書評でも、面白いものと退屈なものがありますが、北上のサスペンスやミステリー小説の書評は、そういう熱を持っていると思います。

日本の大衆小説を飛躍的に変えたのは、五木寛之、野坂昭如、井上ひさしの登場からだと述べていますが、確かに五木の登場は画期的でした。私も若い頃、貪り読んだ記憶があります。成る程!と納得できるところの多い一冊でした。

 

日本文学の巨匠はあまり読まないのですが、芥川龍之介と太宰治は時々読みたくなります。しかも、長編ではなく短編です。超技巧派の芥川の短編は、まるで黒澤の映画を観ているみたいです。ケレン味がちょっと、という方もおられますが、私はそこが好きです。

一方の太宰は、身体中のエネルギーを吸い取られて、フワフワ、ユラユラと彷徨わされるところが気に入っています。今回読んだのは、彼の中期を代表する14編が収められた「きりぎりす」(新潮文庫/古書350円)です。

「もう、どこへも行きたくなりました。すぐちかくのお湯屋へ行くのにも、きっと日暮をえらんでまいります。誰にも顔を見られたくないのです。ま夏のじぶんには、それでも、夕闇の中に私のゆかたが白く浮かんで、おそろしく目立つような気がして、死ぬほど当惑いたいました。」

お得意の女性の告白体小説「燈籠」。この作品を発表した昭和13年当時、彼は麻薬中毒による錯乱、精神病棟への収容、はたまた妻の姦通事件等でボロボロの状態。絶望の中から、小さな幸せを見つける太宰の姿が反映されています。

同じく告白体小説で、「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。」で始まる「きりぎりす」は、名声を得た画家である夫に見切りをつけた妻が、一気呵成に夫を糾弾するお話で、「おわかれして私の正しいと思う生き方で、しばらく生きて努めてみたいと思います。」と妻の決断を描いています。小心者でいい加減な夫が、名声を得て、立派になってゆくことで、逆に妻に三行半を突きつけられるのが面白いところです。

昭和15年に発表された「鴎」は、戦争に向かう時代に、自分の芸術的思想を守ろうとする生活の中で、出征してゆく兵士への後ろめたさ、自己の信条への不安に押しつぶされてゆく姿が描かれています。

「一片の愛国の詩も書けぬ。なんにも書けぬ。ある日、思いを込めて吐いた言葉は、なんたるぶざま『死のう!バンザイ』ただ死んで見せるより他に、忠誠の方法を知らぬ私は、やはり田舎臭い馬鹿である。私は、矮小無力の市民である。まずしい慰問袋を作り、妻にそれを持たせて郵便局に行かせる。」

この後ろ向きの、ウジウジ、グジグジ感に会いたいために、太宰を読むのかもしれません。

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