最近は、新刊本も仕入れています……..と言っても、村上春樹をドンと積むというようなことではありません。この店のお客様に面白く読んでもらえるような本があれば、どんどん仕入れていく、ということです。

今年の1月だったと思いますが、初の文学フリマが京都で開催されました。その時出会ったクルミド出版のことは、店長日誌で紹介いたしました。暫く前には、クルミド出版のオーナー影山知明さんが、立ち寄ってくださいましたが、美しい装幀の本ばかりで、お客様の評判も上々です。で、その影山さんの本「ゆっくり、いそげ」(大和書房1620円)が出版されました。サブタイトルに「カフェからはじめる人を手段化しない経済」と付いています。元々、この出版社は、JR中央線にある乗降者最下位という不名誉な西国分寺駅に出したクルミドコーヒーが母体です。

著者は、これからの経済や社会を考える時、「ゆっくり、いそげ」を基本に考えるのがベストと考えています。劇的に変化する社会にしっかり対応しつつ、日々、何を大切にしながら生きてゆくのかを試行錯誤しながら、経済活動を続けるという事です。「グローバル経済」という言葉の対極にあるのが「スロー」、あるいは「降りてゆく生き方」、「減速生活者」という言葉です。著者の考えはその中間を行くものです。ネットワークを広げながら、関わった人達との幸せ共有する「理想」と、貨幣を動かすことで日々の生活が保障される「現実」を両立させる仕事論として読み応えのある一冊です。

ミニプレス「のんべえ春秋」や、書評集「猫の本棚」(平凡社950円)等で、当店ではお馴染みの木村衣有子さんの「はじまりのコップ」(亜紀書房1944円)は、彼女が惚れ込んだ「佐藤吹きガラス」を描いた本です。オーナーの佐藤玲朗さんが作り出す器を使うだけで物足りなくなった彼女は、何度も、何度も工房に押し掛け、佐藤さんと話をします。それがまとめられています。

お話の間に、「佐藤吹きガラス工房公式業務日誌」が収録されていますが、これが面白い。

例えば、この会社の社訓は

「零細の製造業として食べていくためには皆が通る道を迂回する知恵が必要だ。ひとが宙吹きなら自分は型吹き、ひとがカラフルなら自分はモノクロ、ひとがナチュラルなら自分はインダストリアル、ひとがアーティストなら自分は職工、ひとが出会いを大切にすれば自分は嫌な相手と絶縁する、ひとが内房線に乗れば自分は外房線に乗るという具合に。」

面白い。

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

 

北原白秋の第二詩集「抒情小曲集 思ひ出」(日本図書センター/再発/2500円)の中の「雨のふる日」

「わたしは思ひ出す。緑青いろの古ぼけた硝子棚を、そのなかの売薬の版木と、硝子の臭と、……しとしと雨のふる夕かた、濡れて帰る紺と赤との燕を。

しとしと雨のふる夕かた、蛇目傘を斜に畳んで、正宗を買ひに来た年増の眼つき、……びいどろの罎を取って 無言って量る……禿頭の番頭。

しとしと雨のふる夕かた、巫女が来て振り鳴らす鈴…….生鼠壁の黴に触る外面の人魂の燐光わたしは思ひ出す。しとしと雨のふる夕かた、匕首を抜いて 死なうとした母上の顔、ついついと鳴いていた紺と赤との燕を。」

匕首のキラリと光る瞬間が飛び込んできます。詩を読んでいて、ゾクっとする瞬間て、こういう時ですね。

白秋と言えば、一般的には「ペチカ」「待ちぼうけ」や、数多くの校歌で知られています。(蛇足ながら母校の関西学院大学校歌「空の翼」も彼の作詞でした)

しかし、処女詩集「邪宗門」(近代文学館/再発/1500円)、第二詩集「思ひ出」を読むと、「都会の悲愁」という言葉が持っている様々なイメージが独特の色彩感覚で描かれているように思います。

「詩集 邪宗門」に収録されている「青き光」は「哀れ。みな悩み入る、夏の夜のいと青き光のなかに」で始まるのですが、むせ返る「夏の夜」と冷たく光る「青き光」が脳裏でクロスしていきます。中原中也、萩原朔太郎等の近代日本の詩人の作品には引込まれませんでしたが、北原には何度かハマりそうになりました。私にはこの詩人はヤバイ…….のかもしれません。

北原はマザーグース詩集を翻訳しています。

「不思議で美しくて、おかしくて、ばかばかしくて、おもしろくて、なさけなくて、おこりたくて、わらいたくて、うたいたくなる」と評価しています。そんな北原に背中を押されたふくだじゅんこが、その世界を絵にした「あたしのまざあぐうす」(冨山房インターナショナル1400円)もお薦めです。不思議なキャラクターが飛び跳ねる世界が楽しめる詩画集です。本には、元の英詩も載っていますので、比較して読み比べてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

宮崎駿の「折り返し点1997〜2008」(岩波書店1850円)が、再入荷しました。全500ページのボリュームある一冊です。「もののけ姫」に始まり、「崖の上のポニョ」に至る12年間の、宮崎の頭の中を覗き込むとでも言うべき内容で、この巨人の思想を読むことができます。映画の企画書、エッセイ、インタビュー、様々な対談、講演までを網羅しています。

「もののけ姫」編に収録されている梅原猛、網野善彦、高坂制との対談「アニメーションとアニミズム『森』の生命思想」や、「千と千尋の神隠し」編で山折哲雄との「万物生命教の世界、再び」のようなアカデミックな読み応え十分の対談もあれば、「サン=テグジュベリの飛んだ空」で、彼の大好きなサン=テグジュベリのことを語りながらこんな死生観を述べています。

「ただ死ぬべくして死ぬ。そういう生き方を、僕は認めたい。いいじゃないですか、挫折したって、飲んだくれて死んだって、飛行機で死んだって。そういう権利、そういう選択肢はみんな持っているし、持ってていいんじゃないですか。みんなが前向きに健康に生きる必要なんてないんです。不健康の極みで生きる権利を、特に詩人は持っているはずだ。」

こんな中から、「生きろ」というテーマを掲げた「もののけ姫」が出てくるんですね。

さらに、宮崎の戦闘機、軍艦、戦車へのフェチをぶちまけたようなイラスト集「宮崎駿の雑草ノート」が二種類入荷しました。現在発行されている「増補改訂版」(写真右2700円)と、最初に出された版(写真左下2000円)です。増補改訂版の方が、当然ボリュームも増えていてお得なんですが、表紙のイラストが全くちがいます。個人的には、細部の細部まで描き込んだイラストの最初の版の方が好きです。宮崎の「紅の豚」ファンなら、持っておいて損はないはず。

改訂版には「紅の豚」のオリジナルとも言える「飛行艇時代」というタイトルの漫画が収録されています。映画とほぼ同じストーリーなのですが、違うのは、ホテルアドリアーノの魅力的な女主人が登場しないことです。映画版では、加藤登紀子が声を担当して、存在感のあるステキな女性を作り上げていました。彼女の存在が、映画の魅力を大きくしていました。

因みに、宮崎は、ヨーロッッパ各地で勃発した民族同士の苛烈な内戦を見た後、同じヨーロッパを舞台にした「紅の豚」を作ったことを後悔しているという主旨の発言をしていました。殺戮を撒き散らした戦闘機をヒロイックに描いてしまった事、そういうものへの愛着を恥じたのでしよう。

もう一冊、岩波新書「本へのとびら」(岩波書店650円)も再入荷しました。これは、児童文学の宝庫、岩波少年文庫の案内ともいうべき一冊で、50冊が推挙されています。

岡崎さんの詩集「風来坊ふたたび」(善行堂1000円)が、著者のサイン付きで入荷しました。

ストレートに心の有様を描いた詩が多いのですが、読んでいるといろんな役者の顔が浮かんでくるのは、私だけでしょうか。例えば「海が見える窓」。電車に乗っていたときに、前に坐っている男のことを描いています。

「通路を挟んで 向かいに坐る男がいて 商人らしかったが ふと『こっちへお坐んなさい』と 俺に向かって手招きする 何事だろう? 思案していると 『こっち側の窓の方がよござんすよ』と言うのだった。

これは、渥美清。あの寅さんの人懐っこい笑顔がとびこんできそうな情景です。

「雨に濡れた地図」という作品の最後、「目の前の石ころ一つ蹴飛ばして 止まらぬ雨を前に ただ途方に暮れている 雨に濡れた場所で」で思い起こすのは、”ショーケン”こと荻原健一の顔です。

そして、最後に収録されている長編詩「猫またぎ」は、もう高倉健です。ある宿に泊っていた男のことを描いています。

「旅立つ陽 風が強い朝でした 風に誘われるみたいに あの道をまっすぐ歩いていかれましたよ あれ以来 村にあんな強い風が吹いたことはない 私いつまでも見ていました あの人のこと 遠ざかる後ろ姿が それはそれは きれいでしたよ」

ジャンパーに手を入れて、立ち去る健さんが目に浮かびました。

と、こんな感じで楽しんだ詩集です。なお発行元は、銀閣寺の古書店善行堂です。2冊目、3冊目も企画中とか、もちろんずーっと応援しまっせ!(写真は善行堂店主山本さんと岡崎さんです)

ところで、「風来坊」というタイトルは、はっぴいえんどの名曲「風来坊」を思いだします。

「朝から 晩まで 風来坊 風来坊 風来坊 風来坊」というフレーズで始まる名曲ですね。「ふらり ふらり ふら 風来坊」の歌詞の如く、岡崎さんが町を彷徨している様が詩になっています。

 

岡崎さんの「気がついたらいつも 本ばかり読んでいた」(原書房2000円)も古書で入荷しました。相変わらず本への愛情一杯で、本屋さんに、古本市に出かけようという気持ちにさせてもらえる一冊です。店で仕入れる本の参考にもさせていただきました。

岸本佐知子、柴田元幸、高橋源一郎、堀江敏幸等、翻訳家として、あるいは作家として第一線で活躍する12名の対談を集めた「翻訳文学ブックカフェ2」(本の雑誌社1200円)が入荷しました。

先ず、マンハッタンで酒とドラッグに溺れてゆくヤッピー青年を描いたジェイ・マキナニーの「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」を、高橋源一郎が翻訳した顛末記が面白いです。滅茶苦茶に〆切に遅れてしまった話に始まり、日本語、英語の持つ潜在的な力まで語ってくれます。英語が原理的に男性的で、自己中心的な言語であり、9・11以降のアメリカの体制は男性原理主義社会の成れの果て状態になっているのに対して、日本語をこう解説しています。

「日本語は二千年間、他者の文物を輸入しては無限定に交配しまくってきた。これこそがこの国を長生きさせてきた原理みたいなものだと僕は思います。だから元気がなくなったらどんどん輸入しちゃえばいいんですよ。そしてがんがん異種交配したらいい。」そこから新しい小説が登場してくると結んでいます。

海外文学に興味のない方でも、どんどん読んでいけるところがこの本の良さです。原作にぶつかって悪戦苦闘しながら、作者の選んだ言葉の持つ意味に合致した日本語を、手探りで見つけてゆくスリリングな姿は感動的です。

エッセイストとしても人気の岸本佐知子さんは、翻訳家志望の人には、必ず一度は就職しなさいとアドバイスするそうです。それは、「会社のような、縛りのきつい環境で発せられる言葉こそが、本当に生きた言葉だと思うんですよ。それに、その言葉には必ず表情や匂いや空気がくっついてきますよね。それはものすごく貴重なデータベースなんです。今翻訳をする上で、六年半勤めていたときの経験は、本当に貴重な財産になっています」

生きた言葉をストックするには、足かせガンジガラメの状況に身を置くということですね。この本の対談の時、彼女はジャネット・ウインターソンの「灯台守の話」(白水社1100円)翻訳中で、いかにこの本に美しい表現が散りばめられているかを力説されています。この本については、当店の海外文学ファンのお客様も、やはりその美しさを語っておられました。

「愛している。でもこの世でもっとも難しい、三つの単語。でも、他に何が言えるだろう?」

このエンディングに乾杯です。

徳島県にある焙煎コーヒーの店「アアルトコーヒー」オーナー庄野雄治さんの本「コーヒーと小説」(サンクチュアリ出版1404円)が入荷しました。

「コーヒー屋になって何年もヒマだった。テレビもパソコンもない店だったから、とにかく一日じゅう本を読んでいた。そのほとんどが小説。しかも、これがすこぶる面白かった。そして、それらの作品から、時代は変わっても、人は全然変わっていないんだってことを教えられた。自然災害の前では立ちすくみ、妻と仲良くする男には腹を立て、猫の足の裏はあたたかい」

そんな彼がチョイスした本10冊。ジャンルに拘らずに、「コーヒー屋のくせにではなく、コーヒー屋だから作れた、ちょうどいい短篇集。コーヒーを飲みながら楽しんでいただけると、望外の幸せだ。」というアンソロジーです。

収録されているのは、太宰治「グッド・バイ」、芥川龍之介「桃太郎」、宮沢賢治「水仙月の四日」、江戸川乱歩「日記帳」、岡本かの子「鮨」、梶井基次郎「愛撫」、横光利一「七階の運動」、二葉亭四迷「嫉妬する夫の手記」、久生十蘭「野萩」、坂口安吾「夜長姫と耳男」という地味な作品ばかりです。芥川の「桃太郎」なんて、有名な「桃太郎」のパロディーというか、シニカルなバージョンアップ版というか、味わいがあります。岡本かの子は読んだことがなかったので、この短篇集が初体験でした。鮨好きの中年の男の話なのですが、奇妙な世界が広がっていきます。太宰の「グッドバイ」は未刊作品ですが、「未完成であるがゆえに完成されているという、不思議な作品」と庄野さんは絶賛しています。確かに面白い作品です。

ところで、もし私がこんな企画があったらどんな本を推挙するかなと考えてみました。「まずいコーヒーの話でよければ、いくらでも話していられる。」という書出しで始まる吉田篤弘の長編小説「ソラシド」(新潮社1200円)を。

「1986年1月忘日。五得町J社。午後六時。四階喫茶の殺人的にまずいコーヒーを飲みながら作業開始」などと「まずいコーヒー」なんて台詞が飛び出すのですが、逆にコーヒーを読みたくなる小説です。あと、音楽ファンにもぜひ読んでいただきたい一冊です。

高校時代、私は映画研究部にいました。毎週、大阪にあった映画配給会社を回っては、最新映画のチラシと割引券を貰って、学内で配布していましたが、大阪中之島周辺に、海外の映画会社に交じって、日本の配給会社が二つありました。東宝東和と、日本ヘラルド映画。どちらも、ヨーロッパの匂いがする会社でした。ヨーロッパもアメリカも、遥か彼方の国だった時代、この会社を訪れる瞬間は、一足飛びにアメリカや、フランス、イタリアに行った気分になったものです。

そのヘラルド映画の作った映画チラシ、ポスターを元に、会社の全貌を捉えたビジュアルブック「日本ヘラルド映画の仕事」(PIEインターナショナル3456円)が入荷しました。ゴダールらのヌーベルバーグ一派の映画も、アラン・ドロン主演映画もこの会社が配給していました。ゴダールの「男と女のいる舗道」のポスターなんて今見ても、クールです。「さらば友よ」、「地下室のメロディー」等アラン・ドロン主演のフィルムノワールの作品がヘラルド映画配給で公開され、ガキだった私も痺れました。黒いスーツってこんな風に着るんだと、自分の顔のことは忘れて納得しました。

もちろん、アメリカや日本映画の配給も行っていて、映画の魅力を教えてくれた会社だといっても過言ではありません。チラシの宣伝文句も見事でした。

「海から来た男の潮の香り……..少年はその香りに憧れた 母はその香りに身をまかせた」

これ、三島由紀夫原作「午後の曳航」の日米合作映画のうたい文句です。この文句に惹かれて原作を読んだ日々を思いだします。

或は、「めくるめくる光の中で父を殺め…….王冠の下で母を抱いた…….白日がえぐりだした華麗なる残酷」の言葉通り、灼熱地獄を味わった「アポロンの地獄」も思いだしました。

ビジュアルにも、宣伝文句にも文学の香りが一杯でした。そして、「唇に愛の華咲きほころばせ、昼下がりの光にさえ肌を許す背徳のおまえー」なんて恥ずかしくて口にだせない言葉で大勝負して、多くの女性が大挙して映画館に殺到した「エマニュエル夫人」等々、当時の映画人のセンスとアイデアが満載の一冊です。

会社名の「ヘラルド」という言葉には「先駆者」という意味があります。その通り、この会社は時代を切り開く作品を紹介してきました。最たるものは、ベトナム戦争を丸ごと描き出した「地獄の黙示録」の日本公開でしょう。後半、錯綜する映画の哲学的展開は、一般には受けないという大方の予想を裏切って大成功に導いた、公開までの道程のドキュメントは映画ファン必読です。なおこの本の初版には、特典として、1970年東京有楽座で上映時に使用された70ミリ・プリント現物のフィルム2コマが付いています。「地獄の黙示録」フリークスなら、持っていなければいけませんぞ!

「日当りのいい部屋に寝転がって、陽の光を背中に浴びているときである。『幸福とは、日当りのことである』というのが僕の唯一の個人的哲学なのである。前世は亀だったのだ」

と仰っているのは柴田元幸先生です。現代文学の翻訳家として、村上春樹、岸本佐知子と三本の指に入る人気翻訳家です。P・オースターの日本語版などは、彼なくしては読めなかったでしょうね。上記の文章は、彼のエッセイを集めた「死んでいるかしら」(日経文芸文庫400円)に収録されています。きたむらひとしのノホホン系イラスト一杯のこの本は、笑えます。

「文庫本とラーメン」というエッセイには、そうだよね!と拍手。

読書感想文に触れて、「本もやはり、もっともらしい言葉(感想)にする前に、まずは『味わう』べきものだと思う」と前置きして、

「うまいラーメンは腹を豊かにするが、知的な本は頭を豊かにし、情熱的な本は心を豊かにし、好色な本は下半身を豊かにする。(しないか)」

そして、ラーメンを食べる気楽さで、感想文のことなんか無視して本を読むのがいいとおっしゃる。大体、読書感想文があるなら、ラーメン感想文があってもいい!と、話は暴走します。小学生にインスタントラーメンを調理をさせ、味わい感想を書かせる。

「『出前一丁を食べてみて、私が一番感動したのは、麺のコシの強さです。食べはじめから食べ終わりまで一貫して失われないその強さを、私も見習って、これからは強く生きていきたいと思います。」

これをナンセンスと言うなら、読書感想文も似たようなものかもしれないと。

もうひとつ、ご紹介します。「エレベーター・ミュージック」。デパ−トのエレベーターや、館内でかかる人畜無害なBGMのことです。「恋は水色」とか「エーゲ海の真珠」とか。この手の音楽って、一端、気になりだすと煩い音です。かつては、高級な音楽が、サラリと流れているのが上等みたいな時代もありましたが、もはや、何もなっていない場所の方が、グレードが高いと思います。

「『エレベーターミュージック』という言い方には、気分を高揚させる(elevate)させるニュアンスも(皮肉として)こめられているが、ビヤホールでベンチャーズの『北国の青い空』なんか聞いたら、たいていの人間は高揚するどころか、人生それ自体に疑問を感じてしまう。」

音楽の必要ない空間には流さないことです。

文学の中の食の数々、人の心を揺さぶる一皿を網羅した「つまみぐい文学食堂」(角川文庫/絶版450円)も入荷しています。

石牟礼道子は、大学の人文ゼミで、「苦海浄土」が取り上げられたときに知りました。当時、女子大学のお嬢様と遊ぶことにのみ、血道を上げていたアホンダラ学生だった私には、水俣って?公害?はぁ〜??というぐらいの意識しかなく、ノンフィクションか小説か判断できないこの作品を、めんどくさいなぁ〜と、適当にコピペ(そんなもん当時はないのですが)してレポート提出した記憶があります。

それから数十年。再び彼女の作品と巡り会いました。「椿の海の気」がそれです。小説なのか、エッセイなのか、自伝なのか分けることができない250ページ程の作品です。解説で、池澤夏樹がゆっくり読むことを提唱し、「一行ずつを賞味するように丁寧の読まなければたくさんのものを取りこぼしてしまう」と書いています。

それで、一日数ページぐらいの速度で読んでいきました。読み終わった時、自分の部屋から遠く離れて、もの凄い深い場所から戻ってきた感覚が襲ってきました。

池澤が「これは、どういう種類の本なのだ?随筆とかエッセーと呼ぶにはあまりにも濃密、自伝といったって四歳までの自伝なんてあるだろうか?」と疑問符を付けていますが、著者が育った、昭和初期の水俣のゆたかな自然環境、濃密な家族関係、集落の人間関係が語られています。一つ一つの言葉を踏みしめながら、深い森にわけいっていくという作品です。

少女は、「この世の成り立ちを紡いでいるものの気配を、春になると」感じていました。それは、大人になれば、神とか創造主とかの言葉で置き換えられるのですが、幼い彼女はこう思っていました

「そのころ感じていた気配は、非常に年をとってはいるが、生々しい楽天的なおじいさんの妖精のようなもので、自分といのちの切れていないなにものかだった。おかっぱの首すじのうしろから風が和んできて、ふっと衿足に吹き入れられることがある。するとうしろの方に抜き足さし足近寄っていたものが、振り返ってみた木蓮のかげにかくれている気配がある。」

水俣の豊かな原風景が彼女を育てたことが、「苦海浄土」を生む原動力になったのでしょう。どんな作家もそうだと思いますが、程度の差こそあれ、自分が紡ぎだしてきた言葉には魂をこめていると思います。石牟礼道子の場合、それが深く、深く響いてきます。だからこそ、ゆっくりと読まければ、そして再読しなければならない作家なのだと思います。

「椿の海の気」が収録されている「日本文学全集24石牟礼道子」(河出書房新社)は、1800円です。

カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」(白水社/絶版900円)を読む前に、映画化された作品を観ました。大味な映画ばっかりのハリウッド映画にしては、小粋で、ラストのハッピーエンディングも、思わず、そりゃ、良かったと拍手したくなる「お後がよろしいようで」的幕切れでした。

ジェイン・オースティンは1700年代後半から、1800年代初頭にかけて活躍したイギリスの小説家です。イギリスの田舎の中流社会を舞台にして、そこに生きる女性たちを生き方を描き続けました。主要作品は「分別と多感」、「高慢と偏見」、「エマ」、「マンスフィールド・パーク」、「ノーサンガー僧院」、「説得」です。

映画は、この主要6作品を世代も、生き方も異なる女性たち5人と、そこに巻き込まれた1人の男性が、皆で読書会をする様子を描いていきます。彼女の小説がポンポンと飛び出してきますが、読んでいなくても大丈夫。オースティンの人生を追っかける映画ではなく、あくまでも今を生きる彼女たちと男性の人間模様を追っかけるのがテーマだからです。離婚、失恋、破局などに遭遇しながら、オースティンの小説を読み語り合うことで、ちょっと前向きに生きていこうとする姿を、オ−バーな演出を押さえていて好感がもてます。

「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンを持っている」

という書き出しで小説は始まります。登場人物の過去が出てきたりして、より陰翳の深い人物像が浮かび上がってきます。もちろん、オースティンの小説もふんだんに登場します。映画版の、ロビン・スウィコード監督は、その部分をカットして、ビビッドに今日を生きる彼女たちを、共感を持って描いていきます。監督は64歳の女性。きっと、伝統的なハリウッド映画を吸収し、新しいアメリカ映画、例えば「結婚しない女」「グリニッッジ・ビレッジの青春」「アリスの恋」等を青春時代に見ながら、自分のスタイルを作ったんじゃないかな、と同世代の私としては感じました。

もうひとつ、エンディングタイトルが素晴らしい。そのままメイキングになっています。音楽のセンスもお見事。映画の中で、こんな古書店も登場します。お見逃しなく。

お知らせ  「Wa! 京都を発掘する地元メディア」で、レティシア書房を取 り上げてもらいました。