虐げられた人達の世界を描いて、いつも背筋をシャキッとさせてくれる映画監督、イギリスのケン・ローチ。69年発表の「ケス」以降、できるかぎり観るようにしています。労働者階級の人々や、誰かさんの大嫌いな移民達の人生を描く映画を、数多く発表して高い評価を得ています。アル中男の出口のない人生を見つめた「マイネーム・イズ・ジョー」とか、ウイスキーテイスティングの才能をもつ貧しい青年が新しい生き方を見つける「天使の分け前」はお薦めです。間もなく新作「私はダニエル・ブレイク」が公開されるので、その前作「ジミー、野を駆ける伝説」を観てみました。

時代は、1932年のアイルランド。国を分断した内戦終結から10年。もと活動家で、アメリカに暮らしていた青年ジミーが生まれ故郷に戻ってきます。彼が、故郷で差別と弾圧を体験したあげくに、国外に退去され、NYで死去するまでを描いています。映画制作に確乎たる信念を持つローチ監督が正攻法で描いたドラマに、こちらものめり込んでいきます。

ローチの映画はたいてい、僅かの希望を残して終わります。この映画もしかり。国外退去で連行されるジミーを見つめる若者達のワンカットです。自由を弾圧するこの時代にハッピーエンドはあり得ません。しかし、青年達に僅かの希望を託しています。この世界の悲惨さを映像化するだけでなく、そこにあるかないかの希望を見つけようと苦闘する作家の姿こそ魅力的です。

明るい明日なんてほぼ絶望的なのに、そこに一筋の希望を、説得力のある描写力で示すのは、宮崎駿も同じです。「もののけ姫」ラストはその最たるものですね。原発事故を思わせる大破壊の後に、森に戻って来た妖精はたった一人。さて、豊かな森は元に戻るのか、もう戻らないのではないか…….。しかし、それでは我々の明日はどうなる?作家の混迷と悩みが導き出したのが、たった一人の妖精の帰還。ここに託すしかない、という宮崎の決意を読み取りました。

映画ではなく、漫画版の「風の谷のナウシカ」(徳間書店全7巻2500円)を読んでいると、権力闘争の凄まじさと惨たらしさ、永遠に続く地獄のような世界の中で、ナウシカという少女にすべてを託した宮崎の思いが伝わってきます。映画も傑作ですが、まだ原作を読んでいない方はこちらもぜひ。

 

 

今、話題の新刊本屋さん「Title」の店主、辻山良雄さんの「本屋はじめました」(苦楽堂1728円)を興味深く読みました。

この方、神戸出身で、早稲田大学を卒業後、西武系列の書店「リブロ」に入社。当時の「リブロ」は、最も知的で、新しいアートにも積極的に取り組んでいる、書店員憧れのお店でした。池袋本店にお邪魔した時は、心臓が止まりそうなぐらいの興奮に襲われた事を思いだします。

多分、書店員なら、こんな職場で思い切り本と格闘してみたいと思ったはずです。しかし、その後の新刊本屋さんの業績不振に、この書店も巻き込まれていき、辻山さんも職場を去らざるを得なくなります。閉店の寂しさと、新しい日が始まる期待の入り交じった複雑な感情は、私も経験したことがあります。

退社後、著者は自分の店を持つべく動き出します。これから新しいことを始めようという方には熟読して欲しいものです。開店までの道程の中で、一カ所、ああ、同じ思いだなぁと強く感じいった部分があります。それは、著者のお母様が亡くなられた時のことです。遺してもらったまとまったお金を前にして、こんな考えが過ります。

「自分はこの年でもう本を売る仕事しかできないかもしれないけれど、そのお金を使って他の人に喜んでもらうには、来る人がその人自身に戻れるような落ち着いた場所、さまざまな人が行き交い新しい知識や考え方を持って帰ることのできるような本屋を、小さくてもよいのでこの世の中に一つつくるしかないのではないかとも、同時にぼんやり思っていました。」

私自身、母の最期を看取ったあと、遺してもらったものを前にして、私のお金じゃない、店のためのお金なんだろうなと、やはり「ぼんやり」思ったものです。

店の物件を探し、レイアウトを決め、本を搬入してゆく様を描いた開店までの日々は、本好きの方なら誰でもワクワクする気分になってきます。開店の朝、ほんとにお客は来るんだろうか?という不安は、みんな同じですね。

この本は最後に「Titleが閉店する日」で終わっています。著者は、別の誰かがこの店を続けるという考えはないということの上で、この店を見た、どこかの誰かが、その人なりに考えて、その人らしい店を始めた時に、Titleが続いてゆくと書かれています。

なるほど、もし、自分の店を気にいってくれた誰かが、私ならこうすると新しい本屋を立ち上げてくれたら、これ程嬉しいことはないでしょう。

本の最後に、著者と誠光堂の堀部店長との「東西本屋店主対談」が掲載されています。こちらも面白い!

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

女性店主の古書店を巡る本で、今でも入荷すると売れる、岡崎武志「女子の古本屋」という古本屋さんのガイドブックがあります。本を扱って暮すそんな女性たちを、新しい視点で見つめた「本の時間を届けます」(洋泉社1000円)が入荷しました。

ここで、選ばれているポイントは、1.女性店主、主宰者の個人の力を大切にしている、2.スタートして10年に満たない、3.地域に根ざしている、の3点です。次週から、当店で始まる「女子の古本市」に参加していただく岐阜の徒然舎さん、滋賀県彦根の半月舎さん、京都のcroixille/クロアゼィユさんも取りあげられています。

croixille/クロアゼィユさんは、2015年のクリスマスに、京都大学近くの古い洋館アパートの一室にオープンしました。え?こんな場所で成り立つの?と思ってしまうロケーションですが、オーナーの中村早美さんは、「いまここにいる環境で、自分なりのやり方で、できることからはじめた」と語っておられます。この書店を特徴づけるのは月一回の読書会です。会で参加者との親交を深め。さらに市内の古書店とも繋がりを持ってネットワークを広げてゆく、というのは、croixille/クロアゼィユさんだけでなく、当店も含めて皆さん同じ気持ちだと思います。

この本では、古書店だけでなく、出版社を立ち上げた女性も紹介しています。大手出版社で猛烈編集者だった女性が、地元の北千住(東京)のアパートの一室に「センジュ出版」を立ち上げました。「弱肉強食」をモットーに、「明日死んでもかまわない」と思うぐらいの覚悟で編集者業に邁進していた彼女が、今や「共存共栄」を座右の銘にして、自分の時間を大事にしながら、本を世に送り出そうとしています。彼女の人生のこの大きな転向を促すきっかけは、小さなことから。そこが、面白いところです。(詳しくは本書で)

一方、図書館をオープンさせた女性もいるんです。瀬戸内海の男木島に大阪から移住した額賀さんがその人です。移住を決心した時、島には学校がありませんでした。先ずは、学校の再開からスタートします。多くの署名が集まり、役所を説得し、男木小中学校の再開が決まります。そして、皆が集まれる場所として図書館の開設へと進んでいきます。島にあった廃家を、持ち主とねばり強く交渉し、クラウドファンディングで資金を集め、みごと「男木島図書館」としてオープンさせました。彼女曰く

「先ずは継続ですよね。とにかく10年は続けてみる。そのぐらいはやってみないとわからないこともあると思うんです。」

多分、ここに登場する女性たちは、長く続けることで見えてくるものがあることを知っているのではないでしょうか。どこまでも自然体で気負わず、今の暮らしを守りながら大好きな本と生きるなんて、これ以上の幸せはないでしょうね。

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小説なり、エッセイなりを読んでいてシャキッとさせる文章に出会うと、思わず背筋が伸びます。

大学生の時に、辻邦生に出会い初めて言葉の持つ強さに目覚めました。「嵯峨野明月記」、「安土往還記」そして「背教者ユリアヌス」といった歴史小説に、心動かされた「真面目だった」青春時代の思い出です。

その後、様々の作家に出会いました。生き方や世界感が文章に溢れている池澤夏樹。首尾一貫した思想に、強さを感じました。池澤と親交のあった須賀敦子も、やはり凛とした文章を書く作家です。

「幼いときの読書が私には、ものを食べるのと似ているように思えることがある。多くの側面を理解できないままではあったけれど、アンの文章はあのとき私の肉体の一部になった。いや、そういうことにならない読書は、やっぱり根本的に不毛だといっていいのかも知れない。」

「遠い朝の本たち」(ちくま文庫350円)に収録されているアン・モロウ・リンドバーグのエッセイについて書かれた文章です。一人の少女が、大人へと成長する過程で、精神の羅針盤となった本について書かれています。

最近、その力強さに驚かされたのは幸田文「父その死」(新潮社/絶版1800円)です。

昭和23年夏、父幸田露伴の臨終と葬儀を冷静に見つめた本です。父が初めて寝室で血を吐いた、その瞬間を

「死は父を奪うに、なんとふてぶてしくやって来たことだかと。しょっぱなから鮮烈な血の彩りをもって、不敵に面つきだして挑んだことだった。」

父親に近づきつつある死の訪れに、混乱する彼女を、まるでドキュメンタリストのカメラが正確に捉えた如き描写も凄味があるのですが、何度も吐血を繰り返す中、血の臭いを「鈍重な、ずうずうしい。押し太いにおいだ。ものを統一させる、清澄なにおいではない。悩乱させ騒動させる臭いだ。」と描いています。90ページ弱に及ぶこのエッセイは、最後、簡潔に終わっています

「父は死んで、終わった。」

あとがきで幸田文は、「死とはかくも内外ともにたやすからざることであり、他方からいえばこうもやすやすと行われるかとも深く感じ、思うこと多く」とあり、父の死には「私一人が直面しようとした。面と対えるのは一人の一人だ」と強い文章で、彼女の心持ちを描いています。決して、読んでいて楽しい一編ではありませんが、誰もが直面する死を、正面から捉えた傑作でしょう。

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北海道在住の写真家、伊藤建次の写真エッセイ集「アイヌプリの原野へ」(朝日新聞出版 1900円)は、北の大地に住み、アイヌ文化の真実を探し求める探究心に満ちた一冊です。元々、雑誌「家庭画報」に1年半程連載されていたのを、一冊の単行本にまとめたものです。全16章、北海道の自然を捉えた写真と文章で構成されています。

「初めてOKI(オキ)と出会ったのは確か占冠(しむかっぷ)のライブ会場だった。当時旭川に住み、アイヌ文化に思いをよせながら自然の撮影をしていた僕は、樺太アイヌに伝わる弦楽器、トンコリのライブがあると聞いて足を運んだ。OKIがトンコリを弾きだして間もない頃だ。」

伊藤さんは、トンコリの音色に誘われるように北海道の原野を旅していきます。そして、様々な形で色濃く残るアイヌ文化に触れて、読者にわかりやすく、彼らの文化を紹介してくれます。

例えば、ヒグマ。アイヌ語でキムンカムイ(山の神)と呼ばれています。つまり、それ程位の高い存在です。そして、アイヌの信仰では、クマの肉や毛皮は、クマという神がアイヌモシリ(人間の国)に来る時のお土産なのです。アイヌが飼っていた子グマが大きくなった時に、神が再訪してくれることを祈願して、息の根を止め、霊魂をカムイモシリに送り返すイオマンテと呼ばれるクマ送りの儀式をしていたことについて、

「『イオマンテ』という言葉には、元来、イ(それ=クマの霊魂)、オマンテ(送る)という意味が込められている」とアイヌ語の世界も教えてくれます。

この本は、著者の撮影した動植物や、広大な風景の作品を楽しみながら、豊饒なアイヌ文化の一端を知ることができるのです。

「カント オロワ ヤク サクノ アランケプ シネプ イサム」ー「天から役目なしに降ろされたものは、ひとつもない」

というアイヌの教えあります。アイヌ語を口に出して読んでみるのも面白いかもしれません。

ところで、私のトンコリ初体験はというと、数年前、当店で開催した「纏うべき風 結城幸司木版画展」で、結城さんが語るアイヌの民話に合わせて、彼の友人の長根さんが演奏したトンコリを聴いたときでした。風の奥から聞えてくる優しい音色に聞き惚れたことを思いだします。

そして、この本に載っている版画はすべて、その結城幸司さんの作品です。よけいに親しみを感じました。

OKIのデヴューアルバム「カムイコルヌプルペ」(カムイの偉力1300円)もありますので、よければご試聴ください。

 

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私たちの世代は作家立松和平を、久米宏が司会をやっていた「ニュース・ステーション」で、素朴な口調で日本の各地を紹介していた人として知った方が多いようです。個人的には、1981年映画化された「遠雷」を観て、原作を読み、知りました。

「沖縄になぜいこうと思ったのか。私は大学一年生、十八歳だった。十八歳という年齢を覚えているのは、免税店で酒を買えなかったからである。1966年当時、沖縄は日本にとっては外国だったのだ。」

沖縄が日本に返還される前の、アメリカ支配下の沖縄で観た事、聞いたことを粒さに文章化したのが「沖縄 魂の古層に触れる旅」(NTT出版700円)です。

日本でもなく、外国でもない中途半端な状況で生きて行く人々の暮らしを通して、沖縄の姿を浮かび上がらせた労作ですが、後半で沖縄文学の第一人者、大城立裕の事が描かれています。

1925年沖縄生まれの大城立裕は、戦後、県庁の職員をしながら小説を書き、67年「カクテル・パーティ」で沖縄初の芥川賞受賞者となりました。2015年には「レールの向こう」という作品も発表されています。

「カクテル・パーティ」という美しいタイトルながら、中身は当時の悲惨な状況を描いています。アメリカの軍人に自分の娘をレイプされます。娘はその軍人を崖から突き落とし告訴されますが、父親は、そのアメリカ人を告訴します。被害者でありながら、加害者という複雑な立場から、それまでの人間関係が捩じれてゆく様を描いた小説です。さらに、父親は、先の大戦では軍人として中国で圧政者の立場にいたことも描かれていきます。今でも、岩波現代文庫で読めるはずです。

大城と親交のあった立松は、沖縄に生きる血の通った描写を語っています。岩波の文庫に収録されている「亀甲墓」(1945年作)は、アメリカ軍の猛烈な艦砲射撃から逃げるために先祖を祀る亀甲墓に逃げ込んで生き延びる人達を描いた小説です。立松は、この短篇にこそ、作家の本質があると論じていきます。そして、こう結んでいます。

「火焔地獄のただ中にあるその亀甲墓の内部にも、平和な時となんら変わりない湿った人間関係がある。共同体のもどかしい人間関係を維持するために、人は死さえもいとわないのである。こんな世界は小説にしか描けないものだ。」

「沖縄 魂の古層に触れる旅」は、何も沖縄への無作為政策でドタバタする日本国のことを描いているわけではありません。けれども、美しい自然というイメージだけではなく、沖縄を知る為に、読んでおいて損はしない一冊です。

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あっという間に文壇から消えてしまった山川方夫。村上春樹のはるかな先駆者とも言われている山川は、昭和19年、戦争が激しさを増した時代に、14歳で父、画家の山川秀峰を亡くし、戦後の混乱期に青春時代を送ります。その後、何度か直木賞、芥川賞候補になりながら受賞しないまま、34歳で交通事故のためこの世を去りました。

1960年、中原弓彦(現、小林信彦)が編集を務める「ヒッチコックマガジン」に参加、ショートショートを発表します。その一編「夏の葬列」は強烈な印象を残す短篇小説です。

戦争末期の夏。空襲の最中、助けにきた幼なじみの少女ヒロ子を突き飛ばし、自分だけ助かった少年。

「彼女は重傷だった。下半身を真っ赤に染めたヒロ子さんはもはや意識がなく、男たちが即席の担架で彼女の家に運んだ。そして、彼は彼女のその後を聞かずにこの町を去った。あの翌日、戦争は終わったのだ。

大人になった少年が、疎開していたその町にふらりと戻ってきます。彼は、彼女を見捨てたという罪の意識が消えません。ふと見上げると、葬儀の列がゆっくりと進んでいます。亡くなったのはおばあさん。しかし、棺の上にあるのは若い時の写真。青年は、その写真にかつての少女の面影を見つけます。彼女は機銃掃射で死んだのではなく、長生きしたのだと思った途端に、

「おれの殺人は、幻影にすぎなかった。あれからの年月、重くるしくおれをとりまきつづけていた一つの夏の記憶、それはおれの妄想、おれの悪夢でしかなかったのだ」

しかし、次に突きつけられた残酷な現実。強烈な夏の太陽が、我が身を焼尽けてしまいそうな感覚になるエンディングが待っています。

坂上弘一が編集した「展望台のある島」(慶応義塾大学出版界会2300円)には、「夏の葬列」以外にも7作のショートショートが収録されています。どれもが、そのまま2時間サスペンスドラマに転用できそうなエンターテイメント系小品ですが、ゾクッとします。この本には純文学系列の「展望台のある島」も載っていて、彼の異なった作風を読むことができます。

もう一冊、山川のエッセイ集「目的をもたない意志」(清流出版1500円)も入荷しました。彼は、作家論の他、勢力的に映画評論も発表していました。その中に、増村保造監督、若尾文子主演の作品を論じているんですが、映画「妻は告白する」について、こう書いています。

「あの映画には女そのものの裸体が、強烈なエロティシズムとともに動いていた。僕たちはそこに呼吸のつまるほどなまなましく、美しい一人の女を見たのである。」

確かに、若き日の若尾文子の美しさは山川の言う通りです。

洗練された感覚と、都会的な文体で、喪失と孤独を捉えてきた山川は、きちんと全作品に目を通したい作家ですが、この人の全集は、わりと高いし、あまり古書市でも見た事がありません。気長に揃えてみようかと思っています。傑作「海岸公園」の新潮文庫は、なんせフォントが、小さくて年寄りには読めたもんではありません。(450円)

 

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ドイツ文学者池内紀、昆虫学者奥本大三郎、そして映画&文芸評論家川本三郎という無類の本読みが集まって、様々な本について語る「快著会読」(リクルート出版/初版/帯付き1400円)は、極上の座談会です。オタク的知識のひけらかしでもなく、小難しい文学談義でもない、三人の個性溢れる意見が飛び交う読書談義です。

先ず、この本、判型がいいですね。ほぼ正方形の変型盤に、表紙にはウィリアム・モリスの「チョ−サー著作集」のタイトル部分がレイアウトされて、持った感じ、見た感じから、中身が楽しみです。

藤沢周平「蝉しぐれ」の項では、各々が好きな文章を読み上げます。奥村は「今から読みます。七ページです。」とことわって、数行読み上げ、「ぼくはここら辺、幸福感にひたってなんべんんも読み直したんです。」といかにも楽しそうです。これだけで、こちらに本を読む楽しさが伝わってきます。

取り上げる本は千差万別です。元々、雑誌文学界に88年から89年にかけて連載された鼎談ですので、今から見ると古い本が多いのですが、村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」、山田詠美「ひざまずいて足をお舐め」、澁澤龍彦「高丘親王航海記」、小出楢重「小出楢重随筆集」、鶴岡眞弓「ケルト/装飾的思考」、田中小実昌「アメン父」など31冊が語られています。

池内、奥本の関西人が、大阪出の小出楢重を語り合う大阪風土記や、小林信彦の「小説世界のロビンソン」を、川本がこれ程ユニークな文学論はない、「基本的には小林信彦本人の断固たる好みで論じている、その凄味があります。気持ちのいいタンカを聞いたという気がしました。」と言い切っていますが、ほんとにズバズバと切り込んでゆく面白さに満ちていました。

31冊、すべて読んでみたいと思わせる座談会なのですが、とりわけ吉行淳之介の短篇集「目玉」に心魅かれました。いわゆる「私小説」のジャンルに入るのだろうが、池内は、この短篇集を「『私』という要素はあまり感じられない。むしろ『私』の肉体、もう少し即物的にいえば、『私』という物体の物語であって、私小説の『私』性は少なくて、病んだ肉体、物体を冷静に観察している人物の語り手がいる、そんな感じです」と解説しています。そこから、座談会は方々に話が飛び、そして、吉行を「生活の匂いのない作家」という意見で一致していきます。

ここで紹介されている本を読まなくても、三人の話がスリリングに、軽妙に進行してゆくので、紹介されている本の世界に知らず知らずに入ってしまいます。この三人でなければでない旨味なんでしょうね。

●「快著会読」は売り切れました。

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私が初めて読んだ長田弘の本は、「深呼吸の必要」です。他には、みすず書房から出版された「一日の終りの詩集」(絶版2300円)や「死者の贈り物」(絶版1500円)が心に残り、今でもパラパラ捲っています。

「この世で、人はほんの短い時間を、土の上で過ごすにすぎない。仕事して、愛して。眠って、ひょいと、ある日、姿を消すのだ。人はおおきな樹のなかに」(アメイジングツリー)

「ほとんど百年を、愚直に生きてきて、そして、いま、あなたは 上手に死ぬことをもとめられている」(老年)

などのフレーズは、60歳を過ぎると切実です。

一作年亡くなった詩人長田弘が、雑誌その他に掲載していた短いエッセイを集め、著者自らが編集した「幼年の色、人生の色」(みすず書房2016年発行/1800円)は、美しい文章の詰まった一冊です。

「幼年の色、人生の色」にも彼らしいみずみずしい言葉が溢れています。朝起きた時に、どのページからでもいい、ひとつだけ、しっくりくるタイトルがあれば、そこを開くという読み方をお薦めします。

例えば「静けさというのは、何の音もしないということとは違う。静けさよりももっと静かな、もっと微かな音が聴き取れる事だと思う」という文章で始まる「ひそやかな音に耳澄ます」を読むなら、夜。TVもパソコンもオフにした状態で読むのがベスト。

音楽に関するエッセイも多く、若くして異国の地で客死したサックス奏者エリック・ドルフィーは、自分のサウンドを小鳥のさえずりに影響を受けたことに言及した上で、

「今の世界に満ちている敵意を嘆きたくなる日には、小鳥たちのさえずりを師とし、岩にうちよせる波の音を練習の仲間にした、ジャズの天才の遺した音に耳を傾ける。そしていま、もし小鳥たちがジャズを自由に演奏したなら、キビタキも、オオヨシキリも、きっとドルフィーのように演奏するにちがいないと考えると、いつのまにか気分が澄んで新しくなっている。」

と結んでいます。

また、ドルフィーが聴きたくなってきます。

 

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画家、堀内 康司(1932〜2011)をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。ある古本市で「堀内康司の残したもの」(求龍堂2500円)という本に出会い、鋭利で、クールで、孤独感を張りつめたような画風に思わず足を止めました。1950年代に町のあちこちに建つ煙突を描いた一連の作品の、ひんやりとした感覚に惹きつけられました。

この画家を調べてみると、画家としての活動は極めて短かったのですが、池田満寿夫を世に送り出した人物だったのです。堀内は、10代の頃、草間彌生らとグループ展に参加して、その実力を認められ始めました。50年代後半には、それまで住んでいた松本を離れ、東京に拠点を移します。そしてイラストレーター&エッセイストの真鍋博等と反画壇グループ「実存者」を結成、新しい芸術表現に向かうのですが、20代後半から画家としての活動を休止してしまいます。その後、競馬新聞の記者として一サラリーマン人生を送ることになり、絵筆を折り、若手が世に出る手助けに従事しました。

この作品集には、10代の頃の緩やかなフォルムのスケッチから、「都会は冷酷な半面にまだ一歩深い冷ややかさを備えていました」という彼の言葉を象徴するような無機質な町の表情を捉えた一連の作品、彼が愛した花街、フランス座の踊り子を描いた作品、そして死の冷徹な臭いを撒き散らす静物画まで網羅されています。生きているという感情を排除して、虚無感漂う作風をどうやって身につけたのか、或は何故に若くしてキャンバスに向かうことを止めたのか、その謎を探るためにこの作品集はあるのかもしれません。

昨年ブログで紹介した写真家、奈良原一高が、堀内 についてこの本の中で書いています。

「堀内 康司は僕と同じように軍需工場の廃墟の絵を描いていたので、彼は僕を自分が知っている様々な場所に連れていった。僕たちは玉の井の赤線地帯を訪れ、浅草のロック座の踊り子たちと話し込んだ。」

確かに、廃墟を描いた作品群には奈良原の写真に相通じるものがあるようです。

高度成長時代に入った頃、画家としての活動にピリオドを打ち、画家から、競馬新聞の記者への転身。競馬を描いた作品と共に、写真が何点か掲載されています。「府中ダートコース直線1962」は傑作と呼べる一枚です。直線コースの向こうから迫ってくる馬達のスピード感が見事に表現されています。映画のワンカットみたいです。

 

 

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