私が初めて読んだ長田弘の本は、「深呼吸の必要」です。他には、みすず書房から出版された「一日の終りの詩集」(絶版2300円)や「死者の贈り物」(絶版1500円)が心に残り、今でもパラパラ捲っています。

「この世で、人はほんの短い時間を、土の上で過ごすにすぎない。仕事して、愛して。眠って、ひょいと、ある日、姿を消すのだ。人はおおきな樹のなかに」(アメイジングツリー)

「ほとんど百年を、愚直に生きてきて、そして、いま、あなたは 上手に死ぬことをもとめられている」(老年)

などのフレーズは、60歳を過ぎると切実です。

一作年亡くなった詩人長田弘が、雑誌その他に掲載していた短いエッセイを集め、著者自らが編集した「幼年の色、人生の色」(みすず書房2016年発行/1800円)は、美しい文章の詰まった一冊です。

「幼年の色、人生の色」にも彼らしいみずみずしい言葉が溢れています。朝起きた時に、どのページからでもいい、ひとつだけ、しっくりくるタイトルがあれば、そこを開くという読み方をお薦めします。

例えば「静けさというのは、何の音もしないということとは違う。静けさよりももっと静かな、もっと微かな音が聴き取れる事だと思う」という文章で始まる「ひそやかな音に耳澄ます」を読むなら、夜。TVもパソコンもオフにした状態で読むのがベスト。

音楽に関するエッセイも多く、若くして異国の地で客死したサックス奏者エリック・ドルフィーは、自分のサウンドを小鳥のさえずりに影響を受けたことに言及した上で、

「今の世界に満ちている敵意を嘆きたくなる日には、小鳥たちのさえずりを師とし、岩にうちよせる波の音を練習の仲間にした、ジャズの天才の遺した音に耳を傾ける。そしていま、もし小鳥たちがジャズを自由に演奏したなら、キビタキも、オオヨシキリも、きっとドルフィーのように演奏するにちがいないと考えると、いつのまにか気分が澄んで新しくなっている。」

と結んでいます。

また、ドルフィーが聴きたくなってきます。

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

画家、堀内 康司(1932〜2011)をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。ある古本市で「堀内康司の残したもの」(求龍堂2500円)という本に出会い、鋭利で、クールで、孤独感を張りつめたような画風に思わず足を止めました。1950年代に町のあちこちに建つ煙突を描いた一連の作品の、ひんやりとした感覚に惹きつけられました。

この画家を調べてみると、画家としての活動は極めて短かったのですが、池田満寿夫を世に送り出した人物だったのです。堀内は、10代の頃、草間彌生らとグループ展に参加して、その実力を認められ始めました。50年代後半には、それまで住んでいた松本を離れ、東京に拠点を移します。そしてイラストレーター&エッセイストの真鍋博等と反画壇グループ「実存者」を結成、新しい芸術表現に向かうのですが、20代後半から画家としての活動を休止してしまいます。その後、競馬新聞の記者として一サラリーマン人生を送ることになり、絵筆を折り、若手が世に出る手助けに従事しました。

この作品集には、10代の頃の緩やかなフォルムのスケッチから、「都会は冷酷な半面にまだ一歩深い冷ややかさを備えていました」という彼の言葉を象徴するような無機質な町の表情を捉えた一連の作品、彼が愛した花街、フランス座の踊り子を描いた作品、そして死の冷徹な臭いを撒き散らす静物画まで網羅されています。生きているという感情を排除して、虚無感漂う作風をどうやって身につけたのか、或は何故に若くしてキャンバスに向かうことを止めたのか、その謎を探るためにこの作品集はあるのかもしれません。

昨年ブログで紹介した写真家、奈良原一高が、堀内 についてこの本の中で書いています。

「堀内 康司は僕と同じように軍需工場の廃墟の絵を描いていたので、彼は僕を自分が知っている様々な場所に連れていった。僕たちは玉の井の赤線地帯を訪れ、浅草のロック座の踊り子たちと話し込んだ。」

確かに、廃墟を描いた作品群には奈良原の写真に相通じるものがあるようです。

高度成長時代に入った頃、画家としての活動にピリオドを打ち、画家から、競馬新聞の記者への転身。競馬を描いた作品と共に、写真が何点か掲載されています。「府中ダートコース直線1962」は傑作と呼べる一枚です。直線コースの向こうから迫ってくる馬達のスピード感が見事に表現されています。映画のワンカットみたいです。

 

 

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新年早々、「ちくま文庫」大量入荷!!です。

小説好きなら、これはいいぞ!と思うのが大川渉篇による「短篇礼讃」(絶版600円)です。小山清、山川方夫、野呂邦暢、久坂葉子、田中英光、牧野信一、久世十蘭等12の短篇小説が収録されています。全集等には収められている作品ばかりですが、さて読もうとすると機会のなかなかないものばかり。

この中に、読んだことのない作家がいました。永山一郎です。「皮癬蜱の唄」という小説です。山深い僻地の分校の宿直室で夜を過ごす男の頭に去来する妄想で幕を開けるのですが、これ小説??という疑問符が…..。しかし、筋を追いかけずに、妙に粘り着いてくる文章に身を任せると、面白さが分かってきました。

「男はのろのろと蒲団から抜け出す。他人の昼が男の手足を縛り上げる。朝のきらめく吐瀉物が男を強姦する。男は窓にもたれ唾を吐き出す。」そして、登校してきた生徒達の「おはようございます」の声に耐えきれず失語症に陥るところで幕です。

因みに永山は昭和39年、したたかに酒を飲んだままバイクに乗り、川に転落死しました。享年29歳でした。

さて、次は遠藤哲夫「汁かけめし快食学」(絶版400円)です。「大衆食の会代表」の肩書きを持つ著者が、庶民が食べてきた「汁かけめし」をルポする料理エッセイなのですが、「目玉焼定食と目玉焼丼の厳粛なちがい」なんて、どうでもいい事柄にも真摯に対応しているところが良いです。

「ちらし丼はかけめしでないし、ヅケでやる鉄火丼はかけめしで、茶漬は茶をかけるがかけめしではない。このちがいはなんだ?読み進んでいくうちにわかるだろう」なんてね。

もう、一つご紹介。荒俣宏「ブックスビューティフル」(2巻セット/絶版900円)ですが、私の欲しかった本です。現代の書物には消滅してしまった挿絵の歴史を18世紀から20世紀までの欧米の書物を中心に紹介したクロニクル物です。もちろん、多くの作品が収録されています。それを見ているだけでも楽しい文庫本です。これは、あーだ、こーだと文章を書くよりも、実際に手に取ってご覧いただきたい。まるで西欧絵画史の絢爛豪華な時代の変遷を見ているような気分です。

順次店頭に出していきますので、お楽しみに。

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食品産業の大手、ハウス食品の文庫ってご存知でしたでしょうか。昭和63年に「ハウスポケットライブラリー」として5点発行されました。編集はエッセイストの向笠千恵子。カバー裏には発行理由がこんな風に書かれています。

「日ごろおなじみの料理および素材にあらためてスポットをあて、独自の取材調査をもとに、『食』をさらに楽しくいろどる話題を提供させていただきたいと存じます。」

出版されたものは「水の美味帖」、「わさび讃歌」、「グラタンの食卓譜」、「唐辛子遍路」、「ゼリーぷるるん論」です。昭和60年代の本なので、料理本としては少し古い部分があるのは否めませんが、内容的には面白い読み物が一杯で、貴重な写真もありそうです。

例えば「水の美味帖」では「水と日本人と日本語と」というテーマで、水に恵まれた日本人の生活の中での、「水」を使った多くの言い回しが紹介されています。「関西の水事情」では、京都市の南にある御香宮の「御香水」が取り上げられていますが、ここの初詣姿はちょっと変わっていて、水の入るポリタンクや鍋など持参してお参りに来られます。水を汲んで、その水でお雑煮を炊くのが習わしだとか。今もその習慣って残っているんでしょうか?

「唐辛子遍路」は、唐辛子を巡る世界史、日本史、そして内外の地理を知ることができる一冊です。日本では江戸中期に全国に普及。平賀源内の著書「番椒譜」には、多くの七味唐辛子の品種があったことが記載されています。(その図案も見ることができます)また、この時代、江戸の街角で商いをしていた唐辛子売りの商売道具を入れた「かつぎ函」の貴重な写真を見ることができます。この号の後半は、国内外の唐辛子を使った料理のオンパレード。思わずビールが欲しくなってきます。昭和末の食文化を知るのには最適な文庫かもしれません。(各々500円)

そして、素敵な食文化を伝えるミニプレス「1/f」の3号が入荷しました。特集は「祝いと食卓」。「お祝いごとには、いつも食卓の風景が一緒です。その習慣やかたちは人それぞれ。いろんな場所から祝いの風景を切り取ったとき、食卓はどんな風景を見せているのでしょう。」という思いから、両者の関係を改めて見つめ直していく企画です。

その中に楽しそうなエッセイを見つけました。鈴木容子さんの「国分寺クッキーミュージック」。国分寺のある中央線沿いの面白い店が集まっている駅に降りてはウインドウショッピングをして、そしてリッキー・リー・ジョーンズ、ヴァシュティ・バニヤン、ノラ・ジョーンズなどの女性シンガーを聴いていた頃の思い出です。私も大好きなシンガーばかりなので、機会があったら彼女たちの音楽を聴きながら中央線に乗ってみたいです。

 

 

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ある日のこと。大手出版社、幻冬舎からお手紙が届きました。はてさて、こんな小さな書店に何用かと思って、封を切ると、牧野伊三夫さんの新刊のご案内でした。

牧野伊三夫さんは画家として、また美術系ミニプレス「四月と十月」の編集者として活躍されている方で、個展を観に行った時にお会いしました。そうか、大手出版社からも注目されているんだと驚き、早速注文しました。タイトルは「かぼちゃを塩で煮る」(1404円)。もちろん、絵もご本人が書いておられます。

「台所に立つことうん十年。頭の中には 寝ても覚めても 食う事ばかりー美味探求の記」と帯に書かれている通り、食に関するエッセイです。表紙に、美味しそうな濃い黄色のカボチャが描かれているとおり「かぼちゃの塩煮」で本は始まります。

小さい時、母親が作る砂糖醤油で甘辛く煮たかぼちゃが苦手だった筆者が、美味しそうなカボチャをスーパーで見つけて買おうか、買うまいか悩んでいたところ、「塩で煮たら美味しいよ」というお店の人の言葉に押されて塩煮に挑戦します。ここからわかるように、通り一遍のグルメ料理評でも、珍しい料理探して世界を駆け回る探訪記でもありません。

極めてフツーの家庭料理のことを綴った内容です。たまに出掛ける山歩きで、口に入れるキャラメルがいかに美味しいかとか。

「夏でも冬でも。夕食の食卓には炭火を使う。食卓の傍らに小さな七輪を置き、夏は羊肉やとうもろこしを焼き、冬は小鍋をかけて湯豆腐やとり鍋などをやる。」

これ、別に風流人を気取っているわけではなく、食事の間、炭が燃えているとホッとするという、著者の気分を文章にしてあるのですが、確かにチリチリと炭が燃えている横で食事をし、一杯やるといのは心落ち着く時間でしょうね。

日々の食事で、旬のものを口に入れてゆっくりと楽しむことをどれだけ出来るかが、人の幸せに繋がるということをこの本で示しています。冬の夜、鮟鱇鍋をすすっていると、「うまくて、おおうとため息が出る。」とありますが、「おおうと」という言葉に、満面の笑みを浮かべて鍋をつついている姿が見えてきます。

著者の本で、マイナー系出版社から出ている「僕は、太陽をのむ」(港の人1296円)は昨年刊行された文庫サイズの本ですが、こちらにはスケッチを含む多くの絵画作品が収録されています。私が好きなのは、「ある春の記録」と題された2011年の冬から春にかけての記録です。数ページに一枚のスケッチがレイアウトされていて、その絵を見ながら、文章を読んでゆくと、日々の何気ない時間に潜む幸せが染み込んできます。何も考えずに、ふらっと電車に乗って、四国までいった道中を描いた「喫茶セザンヌ」などは、あぁ〜こんな旅してみたいね、と思わせる文章です。

 

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「アカシヤの大連」で1970年の芥川賞を受賞した詩人、小説家の清岡卓行。詩情溢れる文体で詩と散文を構築した作家です。彼の死後、「猫の客」を書いた平出隆によって「純粋を貫いた詩家」と評されました。古い屋敷にやってきた猫の軌跡を、独特の感性で描いた「猫の客」で、平出に注目してから、この作家が高い評価をする清岡卓行も読んでみようかなと思いつつ、中々小説には手が出ませんでした。しかし、作家との出会いってあるんですね。

パリで、堂々たる景観を堪能して帰国した清岡が、帰国後、よく使う西武遊園地駅に降り立った時、こんな感想を漏らしています

「夕闇の中で降り立った西武遊園地駅が、実に鄙びて、可憐なほど小さく、つつましく見えたのである。東京の片隅のこの駅はこんなにも美しかったのか、と私は驚いた。すると、そのため新鮮なものにされた懐かしさが、心と体にしみとおってきた。この駅にはパリのどんな壮大な建物にも負けない魅力がある、と私は思った。」

この「郊外の小さな駅」が収録されている同タイトルのエッセイ、「郊外の小さな駅」(朝日新聞社600円)を読んだのが最初。この本は、新聞その他に掲載されていたエッセイをまとめたもので、多くの文芸批評、音楽批評があるかと思えば、東京ドームのオープニングゲーム「巨人阪神戦」を書いています。

「現在の先端技術の粋を集めて人口性の一極点を示しているといわれるこの建築は、外側の自然の雨や風などに対抗して、びくともしない晴朗を内側に秘めてこそ実地に冴えるわけである」と、詩人らしい文章で、東京ドームを讃えています。

清水が平出と会食するシーンが面白いです。最初は、彼の詩集に関する批評がメインテーマだっだのですが、だんだんと野球の話題へとシフトしていきます。草野球チームを持つ程の平出。東大在学中の1949年に、プロ野球の日本野球連盟に就職し、連盟分裂後はそのままセリーグ事務局に勤務して試合の日程編成を担当した清水も、当然のことながら、猛烈な野球ファン。二人の詩人による野球トークが、抜群です。因みに「猛打賞」を発案したのは清水です。

詩人として現代詩壇に登場してきた頃から、平出を認めていた清岡。新たな抒情を世界を作りあげた作家として清水岡を高く評価していた平出。詩を、文学を、そして野球を語り合うことができた素敵な仲間だったのかもしれません。

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1894年生まれの武井武雄は、童話の添え物扱いされていた子供向けの絵を「童画」と自ら命名して、芸術の域にまで高めました。大胆な構図、幾何学的な線が、モダンで奇妙な感覚を感じさせてくれる作品群は、今なお高い人気を保っています。

今回入荷した「青の魔法」(弥生書房/1992年発行/初版/帯付き1500円)は、詩人として、また思想家としての一面を捉えた本です。あとがきで、息子の三春氏が「今回おさめられた童画、版画、及びそれにそえられた詩の作品群は終戦後住んだ板橋区南常盤台で製作されたもので父の一生の中では比較的後半生の属するものである。」と語られています。本業は絵描きだが、武井の文章や詩は素晴らしく、創造は留まるところなくますます広く深かったようです。

童画に詩をつけた作品群の中の「落日」の詩は、

「朝日よりも夕日の方が 何かと人に語りかける。 だんだん小さくなって 遠くへ行ってしまう 太陽に人の心は いつまでもついてゆく 西方に浄土があるという のは満更嘘でもない。」

とくに難しい表現があるわけではありません。沈みゆく太陽に人は付いてゆくという見方はそのままイメージできます。

また「星曜日」ではこんなことを表現しています

「遠い星を見ている者は幸である。星に着陸してその無惨な肌にさわるものは不幸だ。もしも愛するものがあったなら遠くにおいて手を伸ばさない事にしょう。征服は又の名を惨敗という。仰ぎみよ、星はいつも君たちの上に居て、春夏秋冬はこの星空と、君たちのベッドとの間を静かに流れていく。星曜日こそ星空の最も美しい日なのだ」

なんて野尻抱影ファンなら、いいなぁ〜と思われるでしょう。この中に「征服は又の名を惨敗という」というドキッとするフレーズがあります。宇宙に進出することも、未開の大地を開拓してゆくっことも、それは人間にとって「惨敗」なのだという考え方は、極めて今日的ではありませんか。

昭和10年から、亡くなる直前まで、武井は小型の私刊本を、百数十冊製作しています。その中から、何点かが採録されています。グロテスクなんだけど、陰惨ではないお化けが登場する「お化け退場」(昭和34年)、88歳の時、製作した「鶏遣いの乙女」は、切り絵を手作業でやらずにレーザー光線カットで光線が自動的に抜いてしまう技術を駆使した実験的作品です。

昭和2年に出された児童書「おもちゃ箱」の中の作品群は、まさしく武井調の人物が並んでいます。これを説明できる言葉を私は持ち合わせていません。ぜひ、作品をご覧になって下さい。昭和2年にこんな絵を書いていたとは…..。武井は戦時中はどうやって暮らしていたんでしょう。生きにくい日々だったでしようね。

 

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「楽しい遊びじゃなきゃ農業自体いつまでたっても誰も関心なんか向けない。本業にする必要なんてない。ゴルフやスキーの代わりに、農業が趣味になってくれればいい。」

と、大胆だけど、いやごもっともという真っ当な事を言い切ったのは小倉崇。彼の著書「渋谷の農家」(本の雑誌社1300円)に出てくる言葉です。

彼は、なんと渋谷のど真ん中、ラブホテルひしめく道玄坂にあるライヴハウスの屋上に畑を作っています。この本は、どうして彼が渋谷で畑を作るようになったのか、全く農業なんて関係なかった男が農業に携わるようになったのかを書いています。

「都会と農村なんて堅苦しく考えず、もっと気楽に、自分たちの遊び場を作るくらいの楽しみ方で、都会の中の畑が増えていけばいい。きっと楽しいはずだ」(写真左が著者)

と思い立った著者は走り始めます。全国でユニークな農業を展開する人達のもとへ出向き、話を聞き、農作業を共にこなし、ネットワークを作っていきます。「有機農家のパイオニアたち」、「自然栽培という生き方」、「農家だからできること」というテーマで、多くの農家が紹介されています。もちろん、そこには現在の農業が抱える問題や、矛盾もあります。が、しかし、それでも自分たちの考える米、野菜を作ろうとする彼らは日夜奮闘しています。

岡山県、蒜山で「蒜山耕藝」という農業ユニットを組む高谷さんの考えはこうです。

「そもそも、自分は美味しいものを作ろうと思っていないんですよね。それよりも、その作物自体の本来の生きる姿になるべく近づけてあげようと思っていて」

著者は、様々な考え方を吸収して、渋谷の畑作りに邁進します。農業の神様は決して甘くないことを痛感しながら、楽しそうに畑に向い、収穫をして、畑のある屋上でパーティイベントを開催します。渋谷のビルの上のあちこちに畑がどんどん立上がってくる日を夢みながら。

こんな事が書かれています。

世間で「きれいごと」なんて言葉は、「きれいごとで世の中、通用しない」的に否定的に捉えらがちですが、

世間で「きれいごと」なんて言葉は、「きれいごとで世の中、通用しない」的に否定的に捉えらがちですが、

「『きれい』な『こと』の何が悪いんだろうといつも思う。汚いことより、きれいなことの方が良いのは当たり前じゃないだろうか。世の中が複雑になって、色んな人間がそれぞれの欲望を剥き出しにすればするほど『きれいごと』は必要になる。それこそが成熟した社会ってことじゃないか。少なくとも、きれいごとを否定する人間にはなりたくない。」

全く、同感です。

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本に関する、面白い企画や話題満載のミニプレス「BOOK5」が、本日発売の22号をもって終了することになりました。レティシア書房オープン時から、お世話になり、毎号楽しみながら読んできました。古書店初心者だった私には、学ばせてもらうことも多かった雑誌です。

最終号の特集は年末恒例の「今年のアンケート」です。毎回、豪華メンバーで岡崎武志、世田谷ピンポンズ、林哲夫、萩原魚雷、山川直人、南陀楼綾繁、宇田智子、内堀弘、島田潤一郎、木村衣有子、そして銀閣寺「善行堂」まで、本好きなら知っている人のオンパレードです。

今年出た本のベストではなく、その人の読んだ本のベストなんで、多種多様な、出版された年代もバラバラなものがあげられています。

岡崎さんが、夏葉社の「移動図書館ひまわり号」をベスト3の一冊に上げておられます。「フロンティア精神と『図書』魂の美しい結合。」と評されていますが、同感です。

私が読みたい本として購買リストに入れている、宮田昇「小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃」(みすず書房)は人文出版社みすず書房の戦後を描いたノンフィクションです。推薦者の南陀楼綾繁さんは「小さな出版社や書店を経営している(もしくはこれからはじめようとしている)人にはこの本を読んでほしいと」と書かれていますが、出版社立ち上げの情熱がひしひし伝わってくる本だと思います。

ミニプレス「のんべえ春秋」や「コッペパンの本」で、当店でもお馴染みの木村衣有子さんは、「福島第一原発廃炉図鑑」(太田出版)を上げていましたが、彼女は今、東京と福島を行ったり来たりの生活らしいです。福島第一原発の仕組み、周辺の見所を真正面から描いた本とのこと。興味ありますね。

で、私のベスト3は、よくここまで自分をさらけ出したと感心した山下賢治「ガケ書房の日々」(夏葉社)、泣いてはいけないと思いながらページを捲った河崎秋子「颶風(ぐふう)の王」(角川書店)、没後20年を記念して出版された湯川豊「星野道夫 風の行方を」(新潮社)です。

「BOOK5」の特集では、本以外で印象に残ったことを取り上げるコーナーもあります。その中で、岡崎武志さんがNHKドラマ「夏目漱石の妻」を評価しながら、大河ドラマで関川夏央&谷口ジローのコンビによるコミック「漱石とその時代」を取り上げるべきだとおっしゃってますが、いや、それは是非是非ドラマ化してもらいたいものです。

なお「BOOK5」はバックナンバーも在庫しています。

 

 

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新刊書店店長として仕事をしていた時代、新刊の小説は片っ端から、読んでいました。もちろんただで….。本来は、店内の本を休憩室に持ち込まない事、買って読む事というお達しがあったのですが、店長は別、と勝手に解釈。職権乱用ってやつですね。

今、第一線で活躍中の作家は、ほぼ読んだのではないでしょうか。最後まで読めなかった一人を除いて。その作家は恩田陸。SF、ファンタジー系の作家としてヒット作を連発していたのに、途中でだれてくるのです。小難しいとかストーリーが迫ってこないとか、ではないのですが、途中で売場に戻してしまうというのが常でした。

ところが、「六月の夜と昼のあわいに」(朝日新聞出版600円)は、手に取った瞬間から、あれれ、と言う間に読み切りました。10の短篇で構成された本作は、各短篇の頭に杉本秀太郎の序詞(和歌で使用される修辞法で、特定の語の前に置いて、比喩、掛詞、同音語などの関係に係る言葉)が付いています。そしてさらに各篇の扉に、新鋭作家によるアートが付いています。多分、そんな構成に惹かれて読み始めたのですが、シュールで幻想的な世界に巻き込まれました。イメージが思い切り飛翔する世界です。

「なぜ日本の泥棒が背負っているのは、いつも唐草模様の風呂敷なのだろう」で始まる「唐草模様」はやがて、この模様がぐるぐると回り出す不思議な世界へと連れ出します。

以前、読めなかった作家を面白く読み切る。これって、書店主のおいしい仕事かもしれません。現役の作家で、絶版になっていない本を紹介するのは、新刊書店員の仕事のはずでした。しかし、無駄に忙しい勤務体制では、それは無理。ならば、古書店が、と思い、今年もそういった本を紹介してきました。稲葉眞弓「半島へ」(この方は故人です)、石田千「唄めぐり」、河崎秋子「颶風の王」、黒川創「京都」、松家仁之「優雅なのかどうか、わからない」、湯本香樹実「岸辺の旅」、小川洋子「いつもかれらはどこかに」等々。

歴史の彼方に埋もれた作家を掘り起こすのも仕事かもしれませんが、今の作家の、あんまり知られていない本をどんどん紹介していくのも仕事ではないでしょうか。私は、そっちに比重をかけていきたいと思います。