香港生まれ、アメリカ育ちのウェイン・ワンは、好きな映画監督の一人です。

アメリカを代表する作家ポール・オースターと組んだ「スモーク」、「ブルー・イン・ザ・フェイス」は傑作だと思います。そして、彼が2007年に監督した「千年の祈り」は、アメリカで生活している娘のもとに、中国から父親が訪ねてくるお話で、父と娘の相克、生きる環境の相違などが浮き彫りにされたいい作品でした。

 

その原作を書いたイーユン・リーの短篇集「千年の祈り」(新潮社クレストブックス700円)を読みました。北京生まれ、北京大学卒業後、アイオワ大学で免疫学の研究者から転向した異色の作家です。2005年デビュー作の本作で、優れた短篇小説に贈られるフランク・オコナー賞の第一回目の受賞者になりました。(因みに、二回目の受賞者は村上春樹です)

離婚した娘を案じて、父親が未知の国アメリカにやって来る。しかし、娘は歓迎するどころか、父の過去を持ち出して、きびしく責め立てる。沈黙を続ける父。冷たい関係が続きます。その父が仲良くなるのが、公園に来るイラン人の老婦人。孤独な背中が見えてくる切なく、辛い小説です。

本作は10の短篇が収録されていますが、障害のある娘と老夫婦の日常を見つめた「黄昏」もまた、「千年の祈り」に匹敵する出来映えです。決して明るい未来や、安定した生活があるわけではない二人とその娘。堀江敏幸は、この作家が描き出す人物の境遇を「みな『ひとり』である。孤独を望んだのではなく、自分ではどうしようもない大きな外の力によってそうあるほかなかった人々」と書いています。

しかし、彼女の作品は、そういう永々の孤独の中にいる人達の境遇を描いただけかというとそうではなく、孤独の隙間からふっとこぼれ落ちる優しさが、少しだけ冷えきった感情を溶かしてゆくところが真骨頂です。

「黄昏」のラストの静謐なシーンは、静かに眠る娘、それを見つめる母と娘の髪をなでる父。すっーと部屋を出るカメラ、そしてエンドクレジット・・・・きっとウェイン・ワンなら、そんな映画に仕立てることでしょう。

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8月9日(火)〜8月20日(土)20数店が今年も店内に出店します!

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8月21(日)〜25(木)

小説を読む楽しみは、巧みなプロットに引込まれ、作者の豊かな発想に支えられた物語世界を堪能することにあるはずです。

小川洋子「人質の朗読会」(中央公論新社800円)もそんな一冊でした。とんでもない設定です。どこかの大陸で、反政府ゲリラに拉致された団体旅行の日本人8人。解放交渉が進展しない中、ついに突入した現地の軍隊。しかし、人質は全員死亡。というのがプロローグです。

えっ、主人公はいないの?という幕開き。しかし、政府軍が仕掛けておいた盗聴器に、なんと人質たちが、自ら書いた手記を朗読しているのが録音されていることが判明しました。その8人の手記を並べていったのがこの小説です。長編小説という体裁ですが、これは八つの短篇小説集とでも言った方が正確かもしれません。

どの話も、人生の不思議で、奇妙な一瞬が捉えられています。個人的に好きだったのは「槍投げの青年」。早くに夫を、身内を相次いで亡くし、「残り火がくすぶっているだけのようなものだった」という日々を送る女性が、ある日電車で、奇妙に長い荷物を持った青年に遭遇します。何故か、心惹かれた彼女がその青年の後をつけてゆくと、彼は槍投げの青年でした。

「合わせた両手から次々と水がこぼれ落ちてゆくように皆が遠ざかってゆくのを、私はただ黙って見送るばかりだった。自分の掌に視線を落とせば、そこにはもうささやかな空洞があるばかりで、こぼれ落ちるべき何ものも残ってはいなかった。」

そんな空虚な人生しか残っていなかった彼女は、くい入るように青年の動作を見つめます。小川の見事な文章力が、青年と青い空に飛び出す槍の一連の動きを映像化していきます。飛翔する槍が、孤独な彼女に何をもたらしたか。ラストは簡潔ですが、しかし、物語が読者にほんの少しの力を与えるとしたら、こういうエンディングですね。最後の一行は泣かせます。

各短篇の終りには、簡単にその手記を書いた人物の横顔が書かれています。彼女の場合はこうです

「貿易会社事務員・59歳・女性/姪の結婚式出席のため旅行中」

つまり、皆がなんらかの理由でこのツアーに参加していて、事件に巻き込まれ、そして全員、もうこの世にいない。そのことを思うと、まるで遠い彼方から聞えてくる魂の歌とでも取ることができます。

設定も、内容もお見事としか言いようがありません。(文庫も出ていますが、装幀の美しさを考慮すると、このハードカバーをお薦めします)

 

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10日程前にこのブログでご紹介した「最近の本ですが、安くて、これは買っといて損なしの本」の第2弾です

先ずは、山下喜子「京都歳事記 季まひまひ」(400円)。京都を舞台にした歳事記は、沢山出版されていますが、これは文章が素敵です。

例えば、「桜寺」。著者は深草や、墨染、桃山などの京阪電車の駅を通る時、「ふと少将や小町の世が幻のように脳裏をよぎる。」と感じ、春、墨染駅で下車し、通称桜寺、墨染(ぼくせん)寺に向かいます。そして、

「この寺の大きな桜の下に歌右衛門寄進の井がある。折しも花吹雪、桜襲を被た役者が花の精になり代わって舞うように」と結び、自作と句友の俳句を添えてあります。

短い文章で、ちょっとした季節の変化を敏感に捉え、この街を描写していきます。ほとんど写真がないのに、その情景が眼前に現れてくる一冊です。

同じく京都を舞台にした本で「ふるさと文学さんぽ 京都」(500円)こちらは、京都を舞台にした小説をセレクトした本なのです。「寺と庭」という京都らしいセレクトもありますが、「大学」という切り口では、野間宏「暗い絵」や万城目学の「鴨川ホルモー」と京都大学が紹介されたり、「海」では中勘助の「天の橋立」が紹介されたり、「川」では、唐十郎の「安寿子の靴」とかユニークなセレクションで読ませてくれます。ところで、愛犬の散歩に毎日通う御所が舞台のお話も登場します。それは、大和和紀の「あさきゆめみし」というコミックです。

次は、内田樹「マンガでわかる戦後ニッポン」(700円)をご紹介します。「廃墟からの復興」では、手塚治虫、水木しげる、つげ義春を取り上げ、「高度成長の時代」では、ちばつつや、大友克洋らの作品を通じて、時代を見つめ、最終章「過去から未来へ」では岡崎京子、谷口ジロー、村上もとかの作品で、この国の行く末を見つめるというアンソロジーです。400数十ページの大著で、読み見応え十分です。

最後に開高健の「孔雀の舌」(400円)。開高の全食暦、全酒暦を網羅した大著(553ページ)です。食に関する本なんて、もう嫌に成る程出版されていますが、これほど食べること、飲むことへのあくなき探求を本にしたものはないでしょう。

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人生は選択の連続です。この道を行くか、あちらの道か、電車にするか、バスにするか、から「死ぬべきか、生きるべきか」まで。

どういう仕事を自分の仕事とするか、誰と生きるか、何処で生きるかという選択の場面も何回も巡ってきます。その立場に立たされた人達へのインタビューを通して、なんで、何を思ってそっち選んだん?、ということを考える本がミシマ社から出ました。石井ゆかり著「選んだ理由」(1512円)です。

登場するのは、ほとんど京都の方々。河原町にある「エレファント・ファクトリーコーヒー」、合気道の篠原先生、フリーカメラマンの吉田さん、高校生の赤井結花さん等々七人が登場します。

新刊書店の平台でいばりちらしている自己啓発本やら、自分探しの本と、この本が、全く異なるのは、著者が全く相手のことを知らされずに、インタビューするという企画にあります。題して「闇鍋インタビュー」。その場を通して、その人だけが持っている選び方、選ぶべき拠り所が見えてきます。

「もし、本書を読んだ後に、読者がご自身の中にある、個性的な『選び方』『選ぶ理由』の存在に気づかれるようなことがあるとすれば、著者としてこれ以上の喜びはない。」と著者は書いていますが、個性的な方々の話に耳を傾けてはいかがでしょうか。

そして、実は、この本から浮かび上がってくるのが著者の生き方、考えかたなのです。例えばミシマ社の吉田さん相手のインタビューでは、こう書かれています。

「多くの人が『やりたいこと』を探す。『何がやりたいか解らない』と悩んでいる。でも、本当に見つめていなければならないのは、『やりたくないこと』なのかもしれない。自分の中の『NO』を知っていることが、羅針盤となることもある」

ところで、 後半登場する中川さんの肩書きが面白い。「イラストレーターと僧侶 中川学」であり「瑞泉寺 住職 中川龍学」。ご住職の名刺の下には「豊臣秀次ご一族の菩提寺」と書き込まれています。先日、大河ドラマ『真田丸』では、その悲しい末路が描かれていましたね。このインタビューがとてつもなく面白い。人生の岐路で、この道を選んだ時、あ〜あっちを選んでたら、と思うことって多々ありますが、中川さんは、そうじゃない。選ばれなかった選択肢などない、という驚くべき結論へと向かいます。詳しくは、本書をお読み下さい。

 

ハーレムに1939年オープンした黒人関連の書籍を専門に扱う「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」のオーナー、ルイス・ミショー。

黒人は本を読まないと言われた時代に、あえて黒人のための本屋を開業したミショーの生涯を描いた「ハーレムの闘う本屋」(あすなろ書房1500円)は、チンピラ同然だった青年が全米ナンバー1の黒人専門書店を作り上げ、黒人の地位向上のため闘った男の一代記です。

物語は、1904年、ルイス・ミショーが、初めて自転車をかっぱらった9歳から始まります。一代記となると、幼少期からのことが延々書かれていて辟易することがありますが、この本は心配にはおよびません。本人、母親、父親、兄弟が交互に登場してルイスのことを簡潔に語っていきます。NHKのドキュメンタリー番組を観るようにポンポンと進んでいきます。また、随所に挿入されるグレゴリー・クリスティーのイラストや、当時の写真のレイアウトが見事で、飽きることなく読んでいけます。

ヤンチャな青年は、様々な修羅場をくぐり抜け、黒人のあるべき存在と何かという意識を高めていきます。

「わたしは『いわゆるニグロ』ではない。『いわゆる』とつけたのは、ニグロは物であって、人間ではないからだ。この言葉は作られた言葉だ。ニグロは使われ、虐げられ、責められ、拒まれる『物』なのだ。それが、この街でのニグロの役割だ。それをうけいれつづける黒人に未来はない。なぜなら、こうした『いわゆるニグロ』こそが、永続的な奴隷状態を助長してきたからだ」

自分は何者なのか、自分の価値は何なのかを知ってこそ、現状を改善できる。だからこそ黒人のための書店は必要なのだと考え、悪戦苦闘の末、ハーレムに書店が誕生します。

そして、そこには様々な人達が集まってきます。マルコム・Xもその一人でした。ラディカルな言動であからさまに白人社会に牙を向けたマルコムを、この書店は支援していきます。マルコムが書店内で談笑している写真も掲載されています。

もちろん、ミショー自身も無知な白人へは激しい言葉を投げつけます。スラム街のため、私たちは何をすべきかを問いかけてきた学生にはこう言い切ります。

「それなら、家に帰ってその上等の服を脱ぎ、エプロンをかけてほうきをもってこい。そして街の人々の中に入って家の掃除を手伝え。そうすれば、あんたたちが真剣だってことが伝わるだろう」と。

そして、「『わたしたち」になにができるか、というが、それじゃだめだ。大事なのは、一人の人間として『きみ』がなにをするかだ」と締めくくっています。

1976年8月25日、ミショーは81歳で、この世を去りました。

「頭に知識を入れることより大事な仕事はない」

と、多くの貧しい黒人の子供たちに、本を読むことで、黒人としての誇りを身につけさせた人生でした。

 

村上春樹の本の装幀を担当したイラストレーター、佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸の作品を集めた文庫本サイズの「村上春樹とイラストレーター」(新刊書・ナナロク社1944円)が入荷しました。

「ここに取り上げるイラストレーションは、単に文章や物語を後から追いかけて説明しているものではなく、絵そのものが物語るひとつの世界を有しながら、文章と分ちがたく響き合ってひとつのイメージをつくりあげていることがわかります」

と、書かれていますが、ほんとに絵と文章がセッションしている感じです。私が、最も春樹を真剣に読んでいた頃の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」などの佐々木マキが担当した挿画は、全く新しい感性で、春樹の文章と共に、ロマンチックで、センチメンタルで、しかもアイロニーに満ちた世界へと連れて行ってくれました。

そして和田誠。「ポートレイト・イン・ジャズ」を初めて読んだ、いや眺めた時、この作家の心にジャズの香りが一杯染み込んでいるのがわかりました。和田は、春樹の文章を引用してこう書いています。

「そもそも、音楽を聴くというのは文章を書くにもいいことなんですよ。要素は大体同じですから。リズム、ハーモニー、トーン。にプラスしてインプロヴィゼーション。(中略)いい音楽を聴くように、文章を書けばいいんだという発想。これが僕の基本だったの。」

この頃は、小説こそ追っかけなくなりましたが、春樹の音楽本だけは、すぐに買ってしまいます。

最後に登場するのは、安西水丸です。春樹の「中国行きのスロウボート」の表紙で安西が描いたブルーの青さに魅かれて買ってしまったことを思いだしました。巻末には安西と和田の対談も掲載されていて、二人が春樹の魅力を語ってくれます。

資料として「村上春樹とイラストレーター略年譜」が載っています。見ていると、79年、「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞して単行本が発売された年に、自らが経営するジャズ・バー「ピーターキャット」で、春樹と安西は出会ってます。長い付き合いの始まりは、この場所だったのですね。

 

 

 

比較文学、映画論等で優れた評論集を書いている四方田犬彦の読み応えのある本が何冊か入荷しました。

先ずは全300数ページにも及ぶ「白土三平論」(作品社1900円)を取り上げます。白土三平と言えば、「カムイ伝」。もちろん、この本でも詳細に論じられていますが、注目すべきは、白土版「シートン動物記」です。このマンガは、個人的には「カムイ」よりも好きな一冊です。少年時代から動物好きだった白土が、この動物文学の最高傑作をコミック化したのも当然かもしれません。この中に登場する「灰色熊の伝記」を、四方田はこう書いています。

「『灰色熊の伝記』は、静かで悲しみに満ちた読感を誘う作品である。」

正に、その通りです。「カムイ伝」や「忍者武芸調」」のような大作ばかりでなく、こんな作品もきちんと論評されています。

動物続きでいうと、犬という動物が、古今東西の文学、戯曲、そして映画、漫画等でどう扱かわれてきたかを検証することで、犬のイメージ像の変遷を辿った「犬たちの肖像」(集英社1400円)があります。ホメロス、シートン、ロンドン、セリーヌ、カフカ、泉鏡花、谷崎、川端らの文豪が登場します。

「死んだ犬はその飼主である家族にとって美徳のかたまりである」と言い切ったのは丸谷才一ですが、愛犬を失った人間が、そのことをいかに記憶するかを文学の中に求めて検証した「文学ジャンルとしての、犬の追悼」を、老犬を抱える私は精読してしまいました。

もう一点、「ラブレーの子供たち」(新潮社950円)。これは「美味しい」一冊です。舌と脳と胃袋で考える、食文化論で、文学者、映画監督、音楽家と、様々な人達の口に入れたものを食べ、彼らが何を感じたのかを考察する刺激的で、お腹の空く一冊です。

面白いのは澁澤龍彦の「反対日の丸パン」ですね。戦前、コンデンスミルクと赤いジャムを使って、食パンの上に日の丸を描くことが澁澤家でははやりとなりました。軍人になってお国のために奉公することへの憧憬を盛り上げそうな一品ですが、澁澤は違いますね。

「要するに『白地に赤く』の反対、『赤字に白く』である。アンティ日の丸である。すなわち、ジャムの地の上にミルクの丸を塗ったものだ。」そんなパンを食べては悦に入っていたのでしょう。

本で取り上げられた一品はすべて写真が付いていて、もちろん、この「反対日の丸パン」の実物も見ることができます。

ところで、著者は少年時代、イエスはお菓子を食べたことがあるのか?と疑問の思っていたそうです。「最後の晩餐」にデザ−トが何故ないのか?? 変わった少年だったんですね。

「どんなにいいカッコをしたって、音楽が豊かでなければ、その音楽家は美しく見えない」

ー岩城宏之

「私は、深夜の書斎で耳を澄ます。いろんな本が啼いている」

−久世光彦

「『大目に見る』というのは私の一番好きな言葉です」

ー清水ミチコ

さて、様々な人が登場するこれらのフレーズは、和田誠「ほんの数行」(七つ森書館1400円)の中にあるものです

和田誠が装幀を手掛けた本から、自身がチョイスした数行を取り上げてまとめた魅力的な一冊です。もちろん、取り上げられた本の装幀も掲載されているので、著者が、その文章を選んだ思いを書いたエッセイを読みながら、お〜っ、こんな装幀だったんだと楽しめます。

「男の人がステキだなあと思うのは、お金を出すときと、髭を剃るときと、死ぬときですね」

とは、常盤新平インタビュー集「高説低聴」で、向田邦子が「男の美学」について語った言葉です。スゴイことを言う彼女を、和田は「そのスゴイところがステキだとぼくは思ってしまう」と書いているのが、やはりステキですね。

その本のエッセンスをぐっと凝縮して、一枚の表紙絵に仕上げる力量の豊かさに感動し、何度も、何度も読みたくなる本です。

私の好きな数行は、

「お前さんが舞台からいなくなると、なお残像が残っている。残像というか。残像が残る時のみ、役者は生きている意義がある」

これ、森繁久彌の言葉です。

もう一つ、「人間は、なにかコンプレックスがあると、ほかの方法でそれを乗り越えようとする。その方法というのが僕にとっては歌だったのかもしれない」

という高田渡「バーボンストリートブルース」(山と渓谷社/絶版・初版2200円)からの引用です。この本の装幀は和田のベスト10ではないかと思っています。

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「新入生のぼくは、初めて暮らす京都の下宿で、誰にも言えない孤独を抱えながらも、誰にも邪魔されることのない自由を謳歌した。ラジオでは、デビューしたばかりの荒井由実が、少女のようなあどけなさの残る澄んだ声で『ひこうき雲』を歌っていた。それは命のはかなさと、生へのまっすぐな思いを、一筋のひこうき雲に託して歌った名曲だった」

そして、青年は自らも詩作に没頭し始め、大学に行かなくなり、薄っぺらな詩集を自費出版し、詩人になるべく東京へ向かう。

これは詩人、谷郁雄のエッセイ集「日々はそれでも輝いて」(ナナロク社1728円)の冒頭部分です。「本と詩人と」という章では、著者の敬愛する詩人、作家たちの作品を引用して、日々の思いを語っていきます。谷川俊太郎、田村隆一、長田弘、中原中也らの詩人、レイモンド・カーブァー、チャールズ・ブコウスキー、ボルヘスといった個性的な作家も登場します。ミュージシャンのトム・ウェイツも取り上げられています。

トム・ウェイツは1947年生まれのシンガー&ソングライターで、私の大好きなミュージシャンです。掠れた歌声は、人生の深い孤独を感じさせてくれます。グテングテンに酔っぱらって、汚い道路に放り出され、土砂降りの雨で目が覚めた時などに、脳内に響いてくるような歌を歌ってくれます。

ここでは、99年リリースの「ミュール・ヴァリエイションズ」というアルバムの中の1曲「うちへおいでよ」が、取り上げられています。この曲を著者は、「素直になれない人への、呼びかけの歌」、或は「自分で自分に鞭打つ人、悲しみの山を積み上げる人、あきらめの悪い人」への呼びかけの歌だと考え、「この現実世界のどこを見回しても、ありのままの自分を受け入れる『うち』など見つかりっこない」、だから「歌を通して『うちへおいおでよ』とみんなに呼びかけていると解釈します。

「十字架なんかにしがみついてないで/まあその木はなんかに使えるだろう/とにかくうちに来るといい」

なんて、敬虔なクリスチャンが聴いたら、ぶっ倒れそうですが、そう呼びかけられることで、人は救われるのかもしれませんね。

書評家の岡崎武志さんの「ここが私の東京」(扶桑社1100円)が入荷しました。関西での青春時代を経て、東京への憧憬を捨てきれず、上京して20数年。東京暮らしの高揚と失意の繰り返しの中で読み続けた多くの作家と、彼らが生活した東京の様々な場所を歩き、追想しています。

東京の地理は全く頭に入っていませんが、岡崎さんに連れられて、この場所、あの場所と、一緒にブラブラした気分になります。取り上げられる作家は、佐藤泰志、出久根達郎、庄野潤三、司修、開高健、藤子不二雄、石田波郷、富岡多恵子の作家と友部正人、松任谷由実の二人のシンガー&ソングライターです。

この中で、石田波郷だけは全く知りませんでしたが、それもそのはず、現代俳句を代表する俳人の一人だったのです。若くして(昭和7年)上京し、俳人として活動を始めますが、召集され戦地へ。しかし結核を発病し入院し、その後、再発と入院を繰り返します。そして、死を見つめた暮らしが始まります。

「私は絶望はしない。然し手近に掴めそうな希望はもたなかった。希望がなくても生きてゆける、一日一日の生を噛みしめて味わうような生き方を求めた。それはものを深く視つめてそこに己れを徹れせることであった。」という石田の言葉に対して、岡崎さんは

「こういう境遇を、健常者が得ることは難しい。死の谷に歩み行った者のみが、地に触れてつかみ得るひとくれの砂のごとき、苦いが確かな感触であった。」と書いています。

石田は昭和32年、読売新聞に「江藤歳事記」という俳句+写真+随筆というユニークな連載を始めました。その晩年を描く岡崎さんの文章が素敵です。

「長い人生の一部を切りとって、人生の一瞬を永遠にして描き出すことを『スライス・オブ・ライフ』と言う。手法こそ違え、写真と俳句はその店でよく似ていた。上京して二十五年、東京でようやく得た春のような日々であったが、病はいつしか進行し、波郷に残された人生はあと十年あまりしかなかった。」

 

友部正人、松任谷由実については、明日ご紹介いたしますので、お楽しみに。

蛇足ながら「江東歳事記」は「江東歳事記・清瀬村(妙)−石田波郷随想集」として講談社文芸文庫から出ていました。絶版ですが、近日入荷します。