これ、ドイツの児童文学者ケストナーの言葉なんですが、「叙情文学」に新境地を開いた城夏子につけられた言葉です。

1902生まれの城夏子。若い時から少女小説を書き、1924年に小説集「薔薇の小径」(装幀は竹下夢二)を発表し、文壇の地位を確立していきます。しかし、67歳の年に、それまでの地位をあっさり捨てて、千葉県の老人ホームに入所。その後の人生を軽やかに過ごし、多くのエッセイを発表しました。

元雑誌編集者で、「森茉莉かぶれ」、「エッセンス・オブ・久坂葉子」などのアンソロジーでお馴染みの早川茉莉が編集した「また杏色の靴をはこう」(河出書房・絶版1050円)が入荷しました。

「この十年あまり、私は花、猫、人間の、まっ只中にいる。ここは女の天国である」という書き出しではじまる「ここ」とは彼女が入居した老人ホームのことです。とかく、ネガティヴに語られるホームの生活ですが、彼女はものの見事にポジティヴに暮らしを楽しむのです。

「もう十五年もここで暮らしているが、飽きっぽい私が一度も、世の中へ帰りたいと思ったことはない。」とホーム暮らしに惚れまくっています。

早川茉莉は、他の仕事で図書館で調べものをしている時に、偶然に城の「薔薇の小径」に出会います。素敵な装幀に引込まれて読んでいくうちに、キュートなファッションに身を包んだ著者の写真にぶつかります。そして、「私は1902年生まれですから、もう大変な老女です」という文章に、ええ〜うそ〜ぉ!?と仰天し、調べものをほっとらかして、のめり込んでいきました。そして、

「もう面白くて、楽しくて、愉快で、読み終わった時、心だけじゃなく、からだまでが軽くなったような気がした。」

同感です。悲しいことに留まらず、愉しいことに心留めて、みずみずしい感性とオシャレ心で、ふふふっと生きてゆく様がエッセイ集にぎっしりと詰め込まれています。なんせ、戦時中に、ダサいもんぺを身につず、どうしても履かなければならなかった時に、「あんな愉しくないもの身につけたのは、わが生涯にあの時だけである。」と悔しさを滲ませました。

「愉しがりだかうれしがりだか、とにかくかれこれ三十年近くなるだろう、私の心は年と共に華やぎ、愉しみ上手、喜び上手とでもいうのだろうか、全くめそめそ知らずの毎日である」と言い切る彼女が、晩年に暇を持て余さない秘訣を、こう書いています。

「あたりをよく見ることである。よく、丁寧に見ることは発見につながる。一日が暮れようとする時、空の色を仰ぐ、その夕焼けの美しさ、また野鳥の飛翔する姿の面白さ。その気になれば発見はいくらでも出来る。愉しいことである。少なくとも、鏡の中の自分の顔の皺のふえ方を発見するよりは。」

これって、老いも、若きもすぐ出来る贅沢な生活ですね。

このエッセイで城さんに興味を持たれたら、連作短篇集「六つの晩年」(講談社500円)、或は彼女の敬愛する文学者を語る「朱紫の館」(文化出版局900円)もどうぞ。

また、早川茉莉が、41人の作家、文化人のドーナツへの思いを集めた「なんたってドーナツ」(ちくま文庫500円)も楽しい一冊で、お薦めです。

3.11当日、田中トシノリはロンドンにいました。それまで、人生について、生き方について全く考えたことのなかった青年は目覚めます。

広島県福山市出身で、映像作家を目指す彼は、大きく変化する時代のど真ん中で、映画製作を思い立ちます。

尾道の駅裏に、信恵勝彦というオジサンが経営する、古民家を利用した風変わりなCDショップ「れいこう堂」があります。その店長の日常を追いかけたドキュメンタリーを製作したのです。

はぁ〜??CD屋のドキュメンタリーと3.11がどう関係するんだ?その疑問に答えるような製作過程と彼の考えたことをまとめたものが、本になりました。

題して「スーパーローカルヒーロー」(歌島舎1620円)です。

この本によると、信恵さんのCDショップ実に奇妙な店です。商品のCDの間に、無農薬野菜が顔を出し、昼寝する猫に店番を任せ、店長は、イベント準備に、ある時は人助けに、または店の存続のためのアルバイトに出掛けてしまって、めったに会えないという不思議な空間です。ところが、地元では「ローカルヒーロー」として多くのミュージシャン、地元の人々、子ども達にリスペクトされ、愛されています。その姿を追っかけることで、著者曰く「今この瞬間をライブで燃やし尽くしている店長のひたむきさに、人が幸せに生きるとはどういうことか」への答えを見出せるかもしれない思いで、カメラを廻し始めます。

3.11以降、巨大な消費エネルギーで支えるこの国の経済は終りを迎えました。そんな事もわかろうとしない”お気楽”アベちゃんはさておき、この若者は、映画を撮ることで、私たちはどうあるべきかを模索しようと走り出しますが、そんなことに意味が在るのか悩み迷走します。そんな時に出会った詩人のアーサー・ビナードは、彼にこう伝えます

「文学や音楽や芸術だけでは世の中を変えることはできない。だけど、文学や音楽や芸術なしに世の中を変えることはできないと思う」

この本を読み進めてゆくと、多いに笑わせ、泣かせてくれた鹿子裕文「へろへろ」に似ているなぁと思いました。やる事は違っても、自分たちの居るべき場所を自分たちで確保していくという姿勢は同じです。その悪戦苦闘がなぜか軽やかです。

 

自分の生き方を信じ、間違っていたら批判は受け入れる、なんて若者の姿を応援したくなります。本の中に、「映画無料視聴券」(!)が付いていますので、本を読みながら映像も観ていただきたいものです。なお、10月24日(土)、25日(日)の二日間ですが、京都シネマでの上映が決定しています。公式ホームページにて、予告編をご覧下さい

2014年に亡くなった、イラストレーターの安西水丸の素敵な本が数冊まとめて入荷しました。

和田誠と組んだ2冊組の「パートナーズ」(文藝春秋・絶版1850円)は、楽しさ一杯です。一冊は「ことわざバトル」で、古今東西のことわざについて、二人のエッセイとイラストがついています。両者のタッチの違いも発見できます。まず右ページと左ページ二人のイラストがそれぞれ描かれて、これがどんな諺かを思い浮かべて次をめくると、エッセイが綴られています。それがまた面白い。「所かわれば品変わる」で、安西が京都で「おおきに」と言われて、それが「ありがとう」の意味だったことに驚き、その後何度来京しても、このイントネーションが身に付かなかった小話など、フムフムと読んでしまいます。もう一冊は「ライバルともだち」です。「ホームズ×ルパン」に始まる、世界のライバルを並べて、二人がイラストを描き、ウンチクを傾けるという内容です。こちらも二人の巧みなタッチが楽しめます。「ウィリアム・テル×息子」なんて、えっ?何それ?なんていうのもあります。こういうのを「軽妙洒脱」と呼ぶのでしょうね。

安西のイラストも大好きなのですが、彼の旅日記もそれ以上に愛読してきました。

「時間と時間の間にもしも透き間があるとしたら、夏の祭りの思い出は、時間の透き間でゆれている。ぼくは陽の落ちた雪原をひた走る奥羽本線の窓辺に肩をよせ、ひと昔に過ぎ去った夏祭りのことを思いだしていた。」

憧れと感傷が、旅へと押し出してくれる「エンピツ絵描きの一人旅」(新潮社・絶版1400円)は、短い小説を読んでいるような、味わいのある旅日記です。もちろん、彼が旅先で見た風景のイラストも掲載されています。日常の風景から、うわっ!と見知らぬ土地の旅情が展開するような、なんというか極めて映像的な旅日記です。

もう一冊、旅ものですが、「スケッチブックの一人旅」(JTB・絶版1750円)にはカラーのイラストも載っています。これがいいんです。日本の風景ってこれだよな、という思いが湧いてきます。

「雨の季節に旅に出るのが好きだ」という安西は、「雨期になると、ぼくはきまって南房総の旅に誘われる」そうです。雨にけむる野島崎灯台を描いたイラストが、切ない旅情を余すところなく描いていてお薦めです。

さて、もう一冊。こちらは桂文珍のエッセイ「文珍でえっせー」(潮出版・絶版800円)です。文珍師匠のエッセイに、安西が全ページカラーで作品を描いています。これは、見応えありです。

師匠曰く「昔、それほど効率性を追求しない時代、働くことは気持ちよく生きるためだったようです。気持ちよく楽しく働きたいものです」

気持ちよく、楽しく、そんな言葉のエッセンスに触れるようなイラスト満載です。

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小川洋子編集による短篇アンソロジー集「小川洋子の陶酔短篇箱」(河出書房新社950円)が入荷しました。すでに出ている「小川洋子の偏愛短篇箱」に続いて出版されたもので、彼女のセンスの良さと、嗜好を垣間みるアンソロジーです。収録されている作家は16人。

葛西善蔵、泉鏡花、梶井基次郎、木山捷平、井伏鱒二、庄野潤三、武者小路実篤、中井英夫等の文学史を飾る作家があると思えば、川上弘美、魚住陽子、小池真理子、岸本佐和子等の現役作家も収録されています。そして、各々の短篇について小川洋子のエッセイが付いています。

私は、葛西の作品を最初に読みました。困窮生活で心身を壊されながら作品を発表した、典型的私小説家の「遊動円木」という数ページの作品です。遊園地にあるお馴染みの遊戯器具が登場します。このエッセイが面白い。

「遊動円木を自在に操れる女の人とは、良い友だちになれそうな気がする。ブランコを数倍凶暴にしたようなあの遊動円木を乗りこなすには、さまざまな能力が必要とされるだろう。」

えっ?そうなん?と訝しく思いつつも読んでゆくと、身体能力の優れた女性への憧れが分かってきます。

あるいは、むわぁ〜とエロチックな香りの立ち上りそうな木山捷平の「逢びき」についてのエッセイでは

「ここで一番大切なのは、ズロースとは何か、という問題である。」で始まり、「言葉の響きからすると、パンツ、が無邪気に勢いよく弾けているのに比べ、ズロースの方が引っ込み思案でややもっさりした印象を受ける。これがノー・ズロース、になると途端に世間ずれした、あるいは生活にちょっと疲れた雰囲気が出てくるから不思議だ。その点、ノー・パンはもっと単純にいやらしい。」そして、こう締めくくります。

「屈折した陰翳の深みを隠しているのは、圧倒的にノー・ズロースである。」

いやぁ、すべてのエッセイが面白く、取り上げた短篇をもとに、見事に小川洋子的世界が作り上げられています。気づくと、小説の中身のことよりも、エッセイの方に夢中になっているという、著者の術中にはまり込んでしまいました。

因みに私のお気に入りは、中井英夫の「牧神の春」とそのエッセイ「動物園の檻」でした。

 

「円山町瀬戸際日記」(鳥羽書店1700円)。著者は内藤篤。職業は弁護士。この人、弁護士業の傍らで、自分で映画館を立ち上げ、館主として東西奔走し始めたのです。本の帯が面白い。

「とるものもとりあえず駆けつけねばならぬー2006年1月の開館ほどなくして、観客総数6名という不入りに驚愕した蓮實重彦氏より、緊急アッピールの檄文がとんだ。あの日からー山あり谷あり、祝10周年」

弁護士業界に馴染めない著者は、エンタメ業界に近いポジションで業務を続けていましたが、映画や音楽が大好きな性分が高じて、なんと映画館をオープンさせてしまったのです。その名は「シネマヴェーラ渋谷」。2006年から15年まで、その孤軍奮闘の日々を綴った日記です。上映特集を決めて、配給元との交渉、宣伝チラシの制作、上映中のイベント、トークショーの依頼等々、もう毎日戦闘モード100%です。そして開場するも、不入りの日々。しかし、この人はめげない。前向きで楽しんでいる。それが、日記から立上がってきます。「山口百恵特集」、「岸田森特集」と趣向を凝らした上映をドンドン実行していきます。いや、この映画館ぜひ行ってみたくなります。

もう一冊。野村誠「音楽の未来を作曲する」(晶文社1300円)、こちらも帯がすべてを物語っています

「音楽をめぐる冒険談だけど、照らされるのは僕らの生きざまですー西村佳哲推薦」

推薦の「西村佳哲」という名前だけで、興味持たれる方も多いと思います。著者の野村さんは京大理学部卒業の現代音楽の作曲家、演奏家です。生きた音楽を創り出すというテーマで、お年寄りとの共同作曲を老人ホームで、また、動物の鳴き声との共演を動物園で、あるいは火の音楽会というイベントをキャンプ場でと、従来の枠組みをぶっ壊すような音楽会のつるべ撃ちです。表紙の写真は銭湯の音楽会というところですね。

そして3.11。

震災の後も積極的関わって行く途上で、原発反対の立場の彼は気づきます。反対ばかりの人の向こうには、賛成ばかりの世界もある。そして、こう考えます。

「賛成、反対と二極化した対立をしている場合じゃない。放射能と共存を強いられている現状。この国で生きていくために、対立してる場合ではない。」様々な対立や衝突が醸し出す醜い不協和音。それを美しく響かせるための作曲ーそれが著者の究極の目的です。

映画好き、音楽好きには面白く読めるのは当たり前ですが、この二冊は、「私」というちっぽけな存在が、「世界」とどう交わり、進むべき道を探求するのかという、いわば人生指南(古い言葉ですな)書です。

作家の高橋源一郎を、私は信頼しています。もう、十数年前ですが、朝日新聞社発行の「小説トリッパー」という文芸雑誌で、当時ベストセラーだった渡辺淳一の「失楽園」について明晰な論評を読んで、このヒト、頭のいい人だなぁ〜と思っていました。

小説もいくつか読みましたが、こちらはどうもしっくりしません。最近では「日本文学盛衰史」を読んだのですが、漱石は鴎外に「たまごっち」をねだり、啄木は伝言ダイヤルにはまり、花袋はアダルトビデオの監督になる!?という大作家が次々と登場する荒唐無稽なお話。面白いような、面白くないような長編でした。

ところが、評論となると、これ程刺激的な作品を出す人もいないのではないかという程に面白いのです。最近の「ニッポンの小説3『あの戦争』から『この戦争』へ」(文藝春秋1100円)は、今の日本を取り巻く危ない状況を見つめながら、社会を論じ、文学を論じています。「ニッポンの小説3」というタイトルから分かるように、「ニッポンの小説」という名前で、この本が3冊目です。「1」は、2001年の9月11日の「アメリカ同時多発テロ」勃発後に書かれ、「2」は3.11の直前に書かれ、そのあとが「3」です。

「日本人の記憶に刻みつけられた『3.11』という『あの日』は、その破壊の大きさから、もういくつかの「あの日』を思いださせることになった。『8.15』である。

いくつかの忘れることのできない『日付』を思い浮かべながら、ぼくは、書かれつつある『ニッポンの小説』を読んだ」

と著者は後書きで書いています。戦争や、震災がもたらした大破壊と闘っている「あの戦争」は終わった、しかし、新しい戦争が起こりつつある。その恐怖に、文学がどう拮抗してゆくのかをスリリングに展開していきます。鋭利な刃物でスパッと切り込まれた感のある評論集です。

最終章は、「戦争を戦争と思わなくなるために いよいよ明日戦争がはじまる」という文章で終わる宮尾節子の詩「明日戦争がはじまる」のタイトルをそのまま使って、故伊丹十三の父、伊丹万作の「戦争責任の問題」という論を取り上げています。これは、是非お読みいただきたい。成る程、そうなのだと思う事、間違いありません。

まだ未読ですが、『3.11』以後、いち早く書かれた原発と震災を見つめた「恋する原発」(講談社800円)。これ、巻頭のこんな一般の方からの投書でスタートします。

「不謹慎すぎます。関係者の処罰を望みます」

あらゆる欺瞞、常識に闘いを挑む作家ならではのタイトルですね。

私は猫背である。女房に指摘される度にシャキッとするのだが、またすぐに元に戻ってしまう。原因は、男子中学、高校という痛ましい6年間にあると信じている。多感な時期、周りが男だらけ(の割にはケイコチャンやらユミコチャンとかいうガールフレンドが・・・)という窒息寸前の、進学校。落ちこぼれの私なんぞ、国立大学を目指す同級生に卑屈になり、自然下を向き、猫背になってしまったというわけ。

大学時代、辻邦生の文学に入れこみ、清冽で凛とした彼の文章に接して、いかん、下を向いていばかりではと思わされました。そうか、作家の文章には、シャキッとさせる効能があることを知り、そういう身体にいい文章を書く作家さんを探しました。

例えば、こんな文章です。

「あれほど巨大な身体を持ちながら、どうして彼女たちはこんなにも静かなのだろうと、私はいつでも息を飲む。老木のように思慮深く四本の脚は、戸惑わず、油断をせず、正しい場所を踏みしめ、一瞬たりとも無駄な音を発しない。もし夏の静かさというものがあるなら、この者たちの足裏こそがそれを生み出しているに違いない、と思わせてくれる」

これ、以前にご紹介した小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(新潮社900円)に登場する老いた象の描写です。

静謐で緊張感があり、削り取られた言葉が、シャキ!とさせてくれるのですね。

こういう文章は、私の読書体験から言えば、女性作家で出会うことが多いみたいです。必ず新刊は熟読する梨木香歩は「不思議な羅針盤」(新潮文庫300円)で、煮詰まった人間関係に喘ぐ時、こう言い切ります。

「もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして『自分の好きな場所』を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。

逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない」

強靭な言葉ですね。彼女たちに、背中の曲がった、このばか者が!と怒られながら、ぐぐ〜と背を延ばす毎日です……..。

 

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実家が京都駅近くにあったもので、小さい頃から鉄道が身近にありました。そのせいか今も駅や、列車に乗ることが好きです。海外の列車は未経験ですが、英国のそれには乗ってみたいと思う、ワクワクする本にかつて出会いました。1979年に刊行された小池滋「英国鉄道物語」(晶文社800円)です。

話は、1830年9月15日のリヴァプール&マンチェスター鉄道開通式から始まります。その10年後には、熱狂的な鉄道投資ブームが起こります。(因みに英国ではこのブームに参加した者たちを「鉄道マニア」と呼ぶみたいです)そして、全国に鉄道網が張り巡らされていきました。文学者たちも、この新しい時代を象徴するかのような鋼の塊に引きずりこまれていきます。詩人ワーズワースは、鉄道が美しい自然を破壊すると批判的な作品を発表、ディケンズは鉄道マニアの加熱に警告を発しています。

その後、英国では前後に三人ずつ座るシートが向かい合わせについた、コンパートメントタイプの個室車両が主流となり、その密室性の高まりとともに、推理小説の発達に大きく貢献していきます。著者はこう指摘します。

「イギリスの推理小説に鉄道を舞台にしたものが多いのは、この車両の密室性によるものではないだろうか。日本では最近のように団地や洋風建築が一般化するまでは、密室の中に入るということは、かなり特殊な状況を意味した。ましてや、列車内で密室を体験しようと思ったら、便所に入るか、個室寝台に乗るか、乗務員室に入るしかないだろう。ところがロンドンの市民は、いまでも毎朝毎夕通勤の途中に、密室に閉じ込められる経験を楽しむことができるのだ。」

著者は後半、鉄道と推理小説の関係に関して詳しく紹介しています。時刻表のトリック、鉄道探偵の登場、列車を愛用したホームズと楽しい話が続きます。ガタン、ゴトンと揺られる楽しさをご存知の方にはお薦めの一冊です。

ところで、そんな密室サスペンスを代表するのは「オリエント急行殺人事件」になるのでしょうね。店には、「古き良き時代」を象徴するかのような、オリエントエクスプレスを詳しく紹介したジャン・デ・カール著「オリエント・エクスプレス物語」(中公文庫200円)もございますので、よろしければどうぞ。

 

★明日21日(月)は、定休日です。

 

「活版小本」・・・何それ?「豆本」とどう違うの?思われた方へ、製作者から解説していただきます。

「芸術的意図とはほど遠い、現実的制約の中で制作した小さいだけの本です。美術工芸品の『豆本』と違うことを伝えたくて、これらの本を勝手に<活版小本>と名付けました。活版で印刷した小さな本、ただそれだけのものです。」

「芸術的意図とはほど遠い」とはご謙遜で、とても完成度の高い作品が並んでいます。さて、実際の大きさですが、例えば「マーク・トウェインの箴言集」(写真左/85×63mm2160円)はこんな感じです。ページを開けると、トウェインのウイットに富んだ言葉が飛び込んできます。

「口を閉じて 愚か者に見えるほうが まだマシだ 口を開いてその疑いを証明するよりは」

こんな文章が並んでいます。通勤途中にポケットに忍ばせて、ちょい読むのもいいですね。さらに小さいのは、カフカの「道理の前で」(50mm×30mm1944円)です。右の写真の様に、マッチ箱の中に入っています。さすがに、カフカ先生も、よもや、自分の本がこんなになっているなんて思っていないでしょう。人の知的刺激を挑発するようなカフカの文章をマッチ箱の中から、セレクトして下さい。間違ってマッチを擦らないように、ご注意を。

小泉八雲は14年間日本に滞在しましたが、彼が実際に見聞した様々な出来事を通して、当時の日本人の死生観を描いたのが「死生に関するいくつかの断想」(90mm×65mm1944円)です。この本の巻末には「狂歌百物語」より英訳の付いたものが抜粋されています。「雪女」というタイトルの付いた作品は、「夜空ければ 消えてゆくえは 白雪の 女と見しも 柳なりけり」というもので、その横に英訳が付いています。

夏目漱石も小本化されて、「夢十夜」から「第三夜」(80mm×78mm1944円)が収録されています。幻想的な世界が十編の話で展開されていきます。すべて「こんな夢を見た」という言葉で物語はスタートします。「第三夜」は目がつぶれた自分の子どもを背負った男が森へと向かう話です。エンディングはぞっとする結末です。

店頭では、現在15種類の小本を置いています。ちょっとしたお部屋のインテリアにも最適ですし、本好きな方へのプレゼントとしても面白いかもしれません。

 

 

★臨時休業のお知らせ 

 勝手ながら3月15日(火)休ませていただきます。

               レティシア書房

 

 

 

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日本画家、有元利夫(1946〜1985)の素描と日記を一緒にした「もうひとつの空」(新潮社2300円)が入ってきました。彼は、女神を思わせる人物像をモチーフとした作品で有名な画家です。日記は、創作に苦悩し、不安に苛まれ、模索してゆく姿が書かれていて、1976年から急逝する前年の84年までが収録されています。そして、伸びやかで親しみのある素描が、数多く収められています。

「犬がいる。来た時はガリガリだったが、今は少しふとった。一日中ねている。食べる権利とねる権利を主張している。」という文章で始まる横に、その愛犬の素描を何点か見ることができます。単純に愛くるしいという言葉では括れない、生き物の持つ切なさまで描かれていました。

静かで、重厚な油彩画とはまた違う魅力にあふれた、今にも動き出しそうな躍動感のあるヌードデッサンには、生きる力に満ちています。そして、79年1月2日に書かれた初心を表す日記にこう書かれています。

「大晦日に買ったウォータ−マンの美しい万年筆で書いている。ガムシャラにやってみる一年ではあると思う。1980年迄が、僕のガムシャラ年だと思う。ガムシャラながらも両目をしっかり開けて、見るべきものを見うしなうことなく、すすもう」という文書の横に描かれている手のデッサンは、有元の初心を失わないという表れでしょうか。

また、バロック音楽ファンの彼は、「朝はバロック」なんて文章を書いて、そのキザさかげんに驚き、こう書いています。

「これを文字にした時のこのキザさ、ハナもちならなさはどうでしょう。アラン・ドロンか、草刈正雄ならいざ知らず、ここには顔写真がないからいいものの、私の顔を知っている人なら、少なくとも吹き出すにちがいありません。」

つまらん事書いてしもたぁ〜と弁解する辺りが可愛いです。素朴だけれども、詩的な叙情性に溢れ、美しい音楽が何処からか聞こえてきそうな作品を作り続けてきた有元ですが、85年2月「羽が生えてきた」という言葉を残し、38歳でこの世を去りました。

彼は、妻で陶芸家の容子さんの寝顔の、こんな素敵な素描も残しています。

★臨時休業のお知らせ 3月15日(火)休業いたします

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