久々に春樹の本を読みました。「猫を捨てる」(文藝春秋/古書900円)には「父親について語るとき」というサブタイトルが付いています。その通り、この本は自分の父親について語ったものです。話は昭和30年代、村上家が兵庫県夙川に住んでいた頃、家に居ついた猫を捨てにいきます。

「ともあれ父と僕はある夏の午後、海岸にその雄猫を捨てに行った。父が自転車を漕ぎ、僕が後ろに乗って猫を入れた箱を持っていた。」

当時、著者一家が住んでいた家は大きな一軒家で、猫の一匹や二匹どうとでもなる生活環境でした。なぜ、捨てに行ったのか、皆目分からないと著者は振り返ります。海岸で猫を捨てるや否や、一目散で逃げ帰って玄関の戸を開けた途端、

「さっき捨ててきたはずの猫が『にゃあ』と言って、尻尾を立てて愛想よく僕らを出迎えた」

自転車に乗って全速力で帰ってきたのに何故、猫がいる?「そのときの父の呆然とした顔をまだよく覚えている。」この部分を読むと、なんかファンタジー小説風の展開なのですが、ここから村上の父親の歴史へ進んでいきます。ノンフィクションとエッセイが微妙にブレンドされたような文章へと変化していきます。

「父は京都市左京区栗田口にある『安養寺』というお寺の次男として、大正6年12月1日に生を受けた」

一度は養子同然の形で親元から離され、体を壊し連れ戻された経験のある父に、親に捨てられたという傷が残っていたかもしれない。だからこそ、捨てられた猫が家にいたのを見てホッとしたのかもしれません。

「人には、おそらくは誰にも多かれ少なかれ、忘れることのできない、そしてその実態を言葉ではうまく人に伝えることのできない重い体験があり、それを十全に語りきることのできないまま生きて、そして死んでいくものなのだろう」

その後父は召集され、歩兵第20連隊に入隊します。ここで村上は、この連隊が南京陥落ときの一番乗りだったことを知り、「ひょっとしたら父親がこの部隊の一員として、南京攻略に参加したのではないか」という疑問を持ち、調べていきます。

戦争をくぐり抜けた父は、息子に勉学の場を与えます。しかし、学校の授業の窮屈さを嫌悪した息子は、父の期待を裏切り、二人の関係が冷え冷えとしたものへと変わっていきます。

「僕は今でも、この今になっても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを ーあるいはその残滓のようなものをー 抱き続けている。」と告白しています。

父親は、平成20年、京都の病院で90歳の生涯を閉じました。一冊まるごと(100ページ弱の本ですが)何故、父のことを村上が語り続けたのかは、最後の方に集約されています。村上文学らしい終わり方でした。

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