大学生の頃だったと思います。一本の不思議な映画を観ました。「泳ぐ人」(1969年)という作品です。バート・ランカスター演じる主人公は、アッパーミドル階級らしい人物です。

ある夏の日、彼は友人宅のプールで泳いだ時に、このあたりの自宅にプールを所有している友人たちの家に次々寄って、一泳ぎしながら、自宅に帰ろうと思いつきます。あちこちでそれなりの歓待を受けたり、柔らかい太陽の元で行われているカクテル・パーティで一杯御馳走になったりと、アッパークラスの余裕の休日を過ごして、自宅に戻ってきます。映画の中では、終始主人公は、スイムパンツ一丁の姿。家に戻れば、綺麗な奥様と、美しい娘たちが出迎えるのだろう、と想像したりしますが、実はそうではありません。プールを渡り歩くうちに、なんとなく不穏な空気は漂ってきてはいたのですが、家には鍵がかかっており、妻も娘もいません。静まりかえった家の中、彼のノックの音だけが響きます。そこヘ雨。素肌に降りそそぐ雨。泣き崩れる男、そこで、映画は終わります。なんと、暗い、でも強烈な印象を残す映画でした。

柴田元幸編集による雑誌「MONKEY」(古書/800円)が、短篇小説の名手、ジョン・チーヴァーの作品を村上春樹訳で読ませる特集号を出しました。その中に、今ご紹介した「泳ぐ人」が入っていました。映画はほぼ、原作に忠実でした。原作のラストはこうです。

「家には鍵がかかっていた。馬鹿な料理人なりメイドなりが、間違えて鍵をかけてしまったのだろうと彼は思った。でも、やがて、もうしばらくメイドも料理人も雇っていなかったことを思い出した。彼は叫び、ドアをどんどん叩き、肩を打ちつけてドアを開けようとした。それから窓の中を覗き込み、家のなかがからっぽであることを知った。」

村上春樹によると、ジョン・チーヴァーは、「中産階級、郊外、東海岸、特にニューヨークの北のほうのコミュニティーのあり方をずっと書いている。」のです。この号には、数編、チーヴァーの短編が掲載されていますが、確かに描き出される世界は、その通りです。

とある夫婦が購入した大きなラジオから、日々不思議な声が聞えてくる「巨大なラジオ」にも、「泳ぐ人」にも、リアルに描かれた日常生活のその先に、リアリズムを逸脱して、深くて暗い闇がこちらを伺っているところが、チーヴァーの魅力かもしれません。

「泳ぐ人」はDVD化されています。原作を読んでから、是非一度ご鑑賞を。ぞっとするような孤独感が、押し寄せてきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

毎回、斬新な切り口で海外文学を、その訳者が紹介するフリーペーパー「BOOKMARK」最新号が入荷しました。今回の特集は「音楽と本」です。音楽が深く関わる作品が17点セレクトされています。音楽は、クラシック、ジャズ、ロック、ポップス等様々ですが、その個性的なチョイスに読書心がそそられます。

巻頭を飾るのは村上春樹。自分が翻訳に携わったジェフ・ダイヤーの「バット・ビューティフル」について書いています。この本は、ジャズの巨人たちの歴史をドキュメントしながら、そこに著者が作り出した物語を絡めてゆくという斬新な短篇集です。この手法を春樹は大いに参考になったと書き、「行間から音楽が溢れてくるような本です」と締めくくっています。

カズオ・イシグロの唯一の短篇集「夜想曲集」も取り上げられています。紹介した土屋雅雄が「副題の『音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』とあるように音楽と夕暮がテーマだが、味わいはなかなかシュールである」と述べています。個人的に唯一読んだイシグロ作品ですが、どこへ連れてゆかれるのかわからない雰囲気が面白い作品集です。

スティーブン・キングがロック好きとは知りませんでした。「いかしたバンドのいる街で」という作品が取り上げられています。豪華絢爛たるメンバーが総出演するロックフェスが永遠に続く街「ロックンロールヘブン」を、ホラー作家らしい手法で描いています。

私も読んで、これはお薦めしたいと思ったのが、T・E・カーハートの「パリ左岸のピアノ工房」です。人気のない裏通りにあるピアノ修理屋。なんか、入りにくそうな雰囲気なのですが、思いきってそこに飛び込んだ主人公の前に登場するのは、ピアノを生き物のように扱う職人と、この楽器に深い愛情を持つ人達です。メインストーリーと平行して、ピアノにまつわる歴史なども語られていき、理解が深まる一冊です。

大概のジャンルの音楽は聴くのですが、苦手なのがブルーグラスです。アメリカの伝的音楽なのですが、退屈、単調、一曲でもう結構、という感じです。S・M・ハリス「ブラックリバー」は、ブルーグラスで使われる、フィドルという楽器を小道具にした本です。刑務官として刑務所で働きながら、バンドを組んで収穫祭のステージに立つ、フィドル奏者の物語。「過酷な人生に真摯に向き合う男の物語には、凛として美しく、どこか物悲しいフィドルの音色が似合う」とは、この本を紹介した高山祥子さんの言葉。こう書かれてると読んでみたくなりますね。

という具合に、どの本も面白そうですが、フリーペーペーパーなので早いもの勝ち。今回はなんせ村上春樹が原稿書いてますから…….。

元ハーバート大学日本文学教授で、村上春樹の小説の英語翻訳者としても有名なジェイ・ルービンが、編集した「芥川龍之介短篇集」(新潮社1400円)というアンソロジー。この本には村上春樹が、「芥川龍之介ーある知的エリートの滅び」という序文を寄せています。この芥川論が、とても面白いのです。

「初期の芥川の作品の、当たるをかまわずずばずばと切りまくるような文体には、間違いなく、息をのむようなすさまじさがある。」

こんな文章に出会うと、芥川を読みたくなりますよね。私自身、へぇ〜、彼ってこんな技巧的でスマートな短篇小説が書ける人だったんだ、と気づいたのは最近です。

村上は言います。「まず何よりも流れがいい。文章が淀むことなく、するすると生き物のように流れていく。言葉の選び方が直感的に自然で、しかも美しい。」

以前ブログで紹介した「日本文学全集26巻 近代作家1」に収録されている芥川の「お冨の貞操」(河出書房新社1800円)などは、その好例だと思います。また、たった数ページで、中世の説話を現代語でリライト&リミックスして甦らせた「羅生門」を読めばわかります。

芥川の文学的センスと淀みなく進む文体は、しかしその一方で「文学者としての彼にとってのアキレス腱ともなった。その武器があまりにも鋭利で有効的であるが故に、彼の長期的な文学的視野、方向性の設定は、いささかの妨げを受けることになったのである。」と村上は指摘します。

有り余る才能だけで、新しい時代の動きをねじ伏せることが出来るとは思えません。文学史的に見れば、台頭しつつあったプロレタリア文学運動と、その真逆のような世界を描く私小説を芥川が受容できるはずがありません。

「人工的なストーリーテリングと、洗練された文章技術の中に、人間的含蓄を忍ばせること、それが芥川の生き方であり、書き方であった。そして私小説やプロレタリア文学の拠って立つ文学的方法は、そのような生き方とは根本的に対立するものであった。」

結局、芥川は、私小説的世界の方へと無理矢理自らを放り込むのですが、私は後期の芥川作品の熱心な読者ではないので、この時期の評価はできません。村上は15歳の時に読んだ「歯車」の、情景がいまだに鮮やかに残っていることを告白して、

「自らの人生をぎりぎりに危ういところまで削りに削って、もうこれ以上削れない地点まで達したことを見届けてから、それをフィクション化したという印象がある。すさまじい作業である。」と、書いています。

村上の20数ページの芥川論を精読して、収録された18点の小説を読むと、芥川が身近な存在になるかもしれません。

一度も文庫化されず、全集にも収録されていない村上春樹「映画をめぐる冒険」(講談社/昭和60年/初版3000円)が入荷しました。

これ、評論家の川本三郎と二人でヴィデオ(当時はまだDVDはありません)で鑑賞可能な映画264本をセレクトし、簡単な感想を付けた映画ガイドです。1926年のサイレント映画「メトロポリス」から、1984年の「グレイストーク/ターザンの伝説」まで、二人の映画センスが出ている作品が並んでいます。

村上春樹はご存知のように、神戸出身。高校時代を振り返り、「当時の神戸には<ビッグ映劇><大洋劇場><元映>といった、なかなか感じの良い二番館が揃っていて、学校の帰りによくそんな映画館に寄っては安い料金で二本立を観て時間をつぶしたものである」と回想しています。私も大学が神戸だったので「元映」「ビッグ映劇」には通った経験があります。

ページを捲ってみて、ここで取り上げられている映画を、私も殆ど観ていることに驚きました。なんだかわからないけど面白いB級映画「最前線物語」まで村上春樹は観ているんですね。

大学に入っても、彼は映画を見続けます。作家の資質に、どれだけ映画が影響を与えたかはわかりませんが、一時のアメリカ映画が彼の内面に入り込んでいるような気がします。(最近の春樹小説は全く読んでいないので断定はできませんが)

しかし、儀式としての映画館通いは、仕事をし、結婚すると終息に向かっていくみたいです。

「遅かれ早かれ我々はー世間の大部分の人間はということだがーあの懐かしくあたたかく、そして暫定的な暗闇に別れを告げ、別の種類の暗闇へと歩を進めなくてはならないのだ。」

多分そうなのでしょうが、暗闇の快楽が忘れられずに、私も含めて未だに片足入れたまんまの人達が沢山いるのも、また事実です。ここに彼がピックアップした映画は、暗闇と共にすごした青春のカケラだったのでしょうね。

彼はスポーツ雑誌「ナンバー」に連載していたものをまとめた「THE SCRAP懐かしの1980年代」(文藝春秋800円)でも、何度か映画の事を書いています。「ロッキー3」が実に面白いという話から始まって、筋もなにもミエミエというのがお好みらしく、「そのミエミエの部分を再確認するために『スターウォーズ』も『スーパーマン2』も三回ずつ見たぐらいである」などと書いています。ひょっとしたら、今でもそんな映画を上映している場所に足を突っ込んでいるのかもしれませんね。

 

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。


本日、「レティシア書房 夏の古本市」初日です。

今回、最初に紹介するは、世界的記号論学者で、「薔薇の名前」でお馴染みのウンベルト・エーコが手掛けた絵本「三人の宇宙飛行士」(ブリタニカ/絶版3500円)。

へぇ〜、エーコが絵本出していたなんて知りませんでした。三人の宇宙飛行士が宇宙で、火星人に出会うという物語で文章をエーコが書いて、イタリアの画家、エウジェニオ・カルミが絵を描きました。火星人の造形が面白い一冊です。

国書刊行会が、出していたボルヘス編集による「バベルの図書館」シリーズから何点か出ています。ポー「盗まれた手紙」、ウェルズ「白壁の緑の扉」、カフカ「禿鷹」、スティーブンソン「声たちの島」等で、各1000円。縦長の判型に魅了されると、ちょっと本棚に飾っておこうかなという気にさせるシリーズです。

写真集では、「FULL MOON」(新潮社)。これは安い!800円!!アメリカのアポロ宇宙計画で、飛行士たちが名機ハッセルブラッドで、数多くの宇宙の写真を撮影しました。その膨大な未公開写真から129点を絵選んで、一冊の本になり、最初は豪華版で出版され、その後新装版で3000円程度で発売されたものがこれですが、800円はお買い得です。

当店の古本市で最高価格の本が出ました。1980年9月に発売された「文学界」という雑誌で、なんと20000円!村上春樹の中編小説「街とその不確かな壁」が掲載されているのですが、これがその後、単行本や全集に一切収録されず、ここでしか読む事ができないために、高価になっています。ご希望の方はカウンターまでどうぞ。

村上春樹では、彼が翻訳した絵本「ポテト・スープが大好きな猫」(講談社500円)も出ています。おじいさんと猫の日常を描いたアメリカらしい絵本で、村上は偶然、アメリカの本屋で出会って、気に入り翻訳をしたとの事です。おじいさんのベッドの上で眠る猫が素敵なラストシーンです。

 

★レティシア書房 夏の一箱古本市

8月9日(火)〜8月20日(土) (最終日は18時まで。15日(月)は定休日。)

★夏休みのお知らせ 8月21(日)〜25(木)

 

 

翻訳文学、特に英語圏の文学が、その翻訳者の名前で読まれ出したのは、村上春樹の一連の仕事からであることは間違いありません。そして、柴田元幸、岸本佐知子といった翻訳家が、優れた作品を次々と送り出していて、新しい時代に入ってきました。

次の世代のホープとして注目されているのが、藤井光です。1980年大阪生まれで、現在同志社大学英文学科准教授。彼の、刺激的なアメリカ文学案内書とでも言うべき「ターミナルから荒れ地へ」(中央公論新社1300円)を読みました。

サブタイトルに「『アメリカ』なき時代のアメリカ文学」と書かれているのですが、21世紀にデビューした作家たちが、無国籍な感性を身につけていることを指摘し、そこからスリリングなアメリカ文学、そしてアメリカ人の精神性の奥へと読者を導いていきます。紹介されている本は、どれも幻想的で、寓話性の高いものばかりです。例えば、マヌエル・ゴンザレスの「操縦士、副操縦士、作家」は、ハイジャックされた飛行機が舞台なのですが、何故か燃料はなくならず、食料も調達されていて、飛行機は20年間ひたすら飛び続け、機内で生まれた子どもさえいるという、頭クラクラの設定です。これが、何を意味する小説なのかを、同じ様な特異な設定の中で生きる人びとを描く作品を俎上に上げ、21世紀のアメリカ文学がいかに変化していくのか論じられています。

店には、藤井光の翻訳したものも、数点あります。

『不死身の男』と『トラの嫁』と呼ばれた少女の話が交錯するテア・オブレヒト「タイガーズ・ワイフ」(新潮社900円)、毎年繰り返される、死者続出のピクニックを描く短篇等を収録したセス・フリード「大いなる不満』(新潮社1450円)、不毛の大地でひたすらイラつく世界を描く、ウェルズ・タワー「奪い尽くされ、焼き尽くされ」(新潮社1200円)、そして内戦下ベイルートで暴力と犯罪に覆い尽くされた日々を生き抜く少年を描く「デニーロ・ゲーム」(白水社1900円)など。

どれも幻想的世界から奇想の世界をバックグラウンドとした小説ですが、新しいアメリカ文学を知る読書案内として「ターミナルから荒れ地へ」をまずお薦めします。

藤井は、新しいアメリカの作家達にとって重要な先駆者の一人が、村上春樹だということを指摘しています。

「村上文学に登場する土地が、四国であれ、東京であれ、どこか幻想の土地となっていることに学ぶようにして、アメリカの新しい作家たちは自分の世界を作り出そうとしている」

ハルキ的世界は、ここまで浸透しているのですね。

 

 

村上春樹は、もう読みたい作家ではなくなりました。(音楽評は相変わらず面白いけど。)デビューして暫くは新刊が出る毎に買っていたものですが。

でも、愛読しているのが、実はあります。それは「もし僕らのことばがウィスキーで

あったなら」(新潮文庫400円)です。初めてこの本の前書きを読んだ時は、そうそう!と思いました。

「ほんのわずかな幸福の瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはー少なくとも僕はということだけれどーいつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし、僕らのことばがウィスキーであったなら、と」

就寝前の1杯のウィスキーを、数十年、一日も欠かさずに楽しみにしている私には、よくわかります。

春樹は、美味しいウィスキーを求めてスコットランド、アイルランドへと旅立ちます。先ずは、シングルモルトの聖地「アイラ島」です。アイルランド島のすぐ側の小さな島アイラ島産のシングル・モルト・ウィスキーを初めて飲んだ時の、私の感想は、「うぁ、磯くさい!」でした。どこが、美味しいねん?と思ったものです。春樹もこう書いています。

「『磯くさい』というのは、けっして根拠のない表現ではない。この島は風が強い。宿命か何かのように風が吹いている。だから、海藻の匂いをたっぷりと含んだ強い潮風が、島の上にあるほとんどすべてのものに、そのきつい刻印を押していく。『海藻香』と人々はそれを呼ぶ。」

この香りがやがて馴染んでくると。芳醇になってくるのが人間の感覚の不思議なところですね。荒涼たる大地、北風、激しい波飛沫、曇天の隙間から顔を出す太陽。その中から生まれてきたお酒かもしれません。

「子どもが生まれると、人々はウィスキーで祝杯をあげる。人が死ぬと、人々は黙してウィスキーを空ける。それがアイラ島である。」

こんな彼の文章に出会うと、今宵はアイラの酒で、という気分になります。

 

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