新刊書店員だった頃の話です。

2003年、「あらすじで読む日本の名著」なる本が出ました。これが、大ヒット。他社からも出るわ出るわ、文芸書の平台が埋まってしまうこともありました。あらすじだけ知ってたらええんか!と出版者の人に怒鳴り散らしていました。

岡崎武志の「読書の腕前」(光文社知恵の森文庫500円)を読んでいたら、岡崎さんも同じことを考えておられたみたいです。この手の本が、中高年に受けていることを知って、書かれていました。

「本を読む楽しさをすっ飛ばして、形骸としての結果だけを得ようとする。人生の辛酸をなめ、頭に白いものが混じろうという年齢の人たちが、いまさら『風たちぬ』のあらすじだけを知ってどうしようというのか。そこに感じるのは、とにかくいますぐ答えの得られるものを求めようとする拙速主義だ。」

こういう本を先を争って出す、売る。出版業界も終わりかな、と当時思ったものです。岡崎さんの300ページ足らずの読書指南のこの文庫は、様々なことを教えてくれます。とりわけ、ベストセラーは何年も経ってから読むと、面白さ倍増と書かれている部分は、成る程と思わせます。

その例として、70年代に出された、歌手弘田三枝子の「ミコのカロリーBOOK」を上げています。これ、今日にまで至るタレントのダイエット本の元祖で、150万部の売上げの大ベストセラーでした。ところが、痩せてきれいなった弘田は人気低迷し忘れられていき、出版元の社長夫人が国政選挙に出たたために、溜め込んだ印税をすべて叩いてしまった等々の事実が、今だからこそ判ってくるのです。本読みのスペシャリストが語る、体験的読書論としてお薦めの一冊です。また、本を読もう、買おう、という気持ちになること間違いなしですね。

「BOOK5」最新号は、その岡崎さんも参加している「年末恒例アンケート、今年の収穫」(トマソン社648円)です。個性的な面子による今年読んだ本で印象に残った作品の大特集で、京都からは、「ホホホ座」の山下店長、「古書善行堂」の山本さん、「誠光堂」の堀部さん等、京都の書店界をリードしている方々の今年の本の収穫を読むことができます。

この中で、畠中理恵子さんが、荒川洋治の「文学の空気のあるところ」(中央公論新社1300円)を「文学への愛を感じる」とコメントされていますが、そんな言葉がピッタリの一冊です。同じ著者の「黙読の山」(みすず書房1300円)もお薦めです。

蛇足ながら、私のベストは松家仁之の三冊「火山のふもとで」「沈むフランシス」「優雅どうか、わからない」、黒川創「京都」。独立系出版社なら、黒田三郎「小さなユリと」(夏葉社)、原民喜「幼年画」、そしてミシマ社発行の雑誌「ちゃぶ台」でした。

こういう話題が出ると、今年もあとわずか・・・。

 

 

2012年、編集者出身の松家仁之が、処女作「火山のふもとで」(新潮社1500円)を発表しました。ある建築事務所を舞台に展開する、380ページ程の長編です。

主人公の「ぼく」が、村井建築事務所に就職するところから話は始まります。この事務所は、夏には軽井沢の別荘に事務所を移して仕事をするのが毎年の習わし。所長は、有名な建築家フランク・ロイドに師事して、どちらかと言えば質実剛健な建物を作る昔気質の人物です。さて、事務所が「国立現代図書館」設計コンペに参加するので、「ぼく」も含めたスタッフが夏の山荘で忙しい日々を送ることになり、その日々を細かく描いていきます。

「S字型の書棚は図面上では斬新に見えますけど、実際には円周より落ち着くんじゃないかと思いますね。S字の真ん中が切れているから人の動きにも自由度があるし、視線もむこうに抜けていく。」

というような、スタッフ間の図面を巡る駆け引きなども、事細かに描かれていきます。(だから、最初は読むのに苦労しました)また、ライトを含めて、建築史の話も方々に登場してきて、建築について素人の私には、ちょっと勉強にもなりました。

そんな専門的なやり取りだけでなく、事務所を取り囲む軽井沢の自然が、きめ細かく描写されています。こんなふうに、大きな物語のうねりもなくどんどん進行していくのですが、なぜだか退屈しないのです。まるで、この事務所で一緒に働きながら、「ぼく」の視線で世界を見渡しているかのようです。細部の細部まで手を抜かない作家の力量が生きている小説です。

物語は最後の方で、大きく動きます。そこは伏せておきますが、一時、同じ事務所に集まった者たちの、その後の人生が簡潔に描かれていきます。そして「ぼく」の人生も。

1982年浅間山が噴火しましたが、物語はこの時期にシンクロしています。だからタイトルに「火山」が使われています。

松家仁之は、この本以外に、「沈むフランシス」、「優雅なのかどうか、わからない」の長編を書いていますが、どちらも小説の醍醐味にあふれていました。次作も期待しています。

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文芸書の大手、新潮社が1998年、新しい作家を紹介する海外文学シリーズ「新潮クレストブックス」を創刊しました。さらに2002年、季刊総合誌『考える人』を創刊します。どちらも本好きにはたまらないシリーズですが、その二つを立ち上げて、同社の「芸術新潮」編集長を兼務していたのが、松家仁之。

2012年、彼は、長編小説「火山のふもとで」で第64回読売文学賞を受賞します。次いで刊行した小説が「沈むフランシス」(新潮社800円)です。今年これまで読んだ小説ではベストかな、と思う「美しい」小説でした。だから、小説って止められない!!

舞台は北海道の小さな村。主人公は、東京から戻ってきた女性で、郵便配達車に乗って、村に手紙を届けるのが仕事です。その村はずれの小屋に「フランシス」と共に暮らす独りの男との恋愛小説です。

表紙は、可愛い犬の写真。あ、これがフランシス?沈むってことは死ぬ?と犬好き読者(私?)は早合点するかもしれませんが、全く関係ありません。フランシスって、この男が管理している水力発電機の名前なのです。

彼の趣味は音楽で、優れたオーディオ装置に囲まれて音楽を聴いていますが、最も好きなのは、彼自身が録音した、様々な「音」です。この音を、初めて聴いたヒロインは、こう感じます。

「目をつぶって聴いていると、それぞれのリアルな光景が、匂いや湿度、気温や風や振動までともなって、目の前に立上がってくる。それが、たったいま動いている」

この作家は、見事に「静寂」を描写できる人です。風が舞い、雪が深々と降る北国の自然は、すべての音を消してしまいます。静寂のみが支配する空間、その無の空間を作家は、透明な美しさをもった情景として描いていきます。なんか、北欧の、清らかな映画を観ている気分です。

物語は劇的な展開を避けて進行しますが、ラストは圧倒的です。大自然の猛威に耐えたヒロインは、ラストでこう確信します。

「星には音がある。桂子はそう思った。聞こえない音がひとつひとつの星からこちらに向かって降ってくる。その音は、光だった。光源すらない、はかない光の音。この光があるうちは、なにも絶望するこはないのだ」

小説が持つ豊かな世界を再確認させてくれる一冊でした。

先日紹介した雑誌「つるとはな」にも松家仁之の短篇が掲載されています。こちらもやはり静かな短篇でした。

こういう小説を探し出し、並べていきたいものです。