来週8月8日(水)からスタートする「レティシア書房夏の古本市」に出品される本のご紹介Vol.3です。

先ず、これは買い!安い!!という豪華五冊セットの本です。晶文社が出している「植草甚一倶楽部」全5巻がなんと1800円!!です(出品 徒然舎)。「芸術誌」「収集誌」「読書誌」「散歩誌」「映画誌」のジャンルに分けられていて、それぞれに植草の文章が収録されています。単品では当店にもありましたが、全巻セットで販売、しかもハードカバーで1800円(1冊当たり360円)。

「読書術」の中に「中間小説の面白さはスピードから生まれてくる」というエッセイがあります。「中間小説の面白さは、それを読んでいくスピードから生まれてくるのだ。あんまりゆっくり読んでいると、すぐにつまらなくなるものだし、それで、面白かったら、それは傑作のなかにはいってくる。」という指摘に、成る程な〜、と納得した記憶があります。「芸術誌」では、お決まりの西洋芸術の紹介ではなく、フリージャズ、ロックに始まり、新しいムーブメントに敏感だった植草らしいエッセイが並んでいます。

当店でも人気の翻訳家柴田元幸が、東京大学出版界から出した「アメリカン・ナルシス」(1000円/出品 徒然舎)は、柴田が大学教師になってから書いた論文を集めたアメリカ文学論です。第一部は19世紀アメリカ文学を論じたもので、メルヴィルの「白鯨」からスタートです。第二章ではアメリカ論を中心にまとめ、第三部では、彼の翻訳でお馴染みのポール・オースター、スティーブン・ミルハウザー等が登場してきます。端正なアメリカ文学論で、柴田ファンにはマストアイテムだと思います。なお、この本は第27回サントリー学芸賞受賞を受けています。

もう一点。私の大好きな香月泰男の図録「香月泰男小品展』(1000円/出品 徒然舎)は、1994年3月に画廊で開催された時の図録です。戦中戦後のシベリア抑留時代の極めて緊張度の高い「シベリアシリーズ」とは異なり、日常のありふれた空間を切り取った作品は静かで、子どもと触れ合う母親を描いた作品群には、平和の貴重な時間が描かれています。

 

 

 

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。なお、準備のため6日(月)7日(火)は連休いたします。

 

 

大学生の頃だったと思います。一本の不思議な映画を観ました。「泳ぐ人」(1969年)という作品です。バート・ランカスター演じる主人公は、アッパーミドル階級らしい人物です。

ある夏の日、彼は友人宅のプールで泳いだ時に、このあたりの自宅にプールを所有している友人たちの家に次々寄って、一泳ぎしながら、自宅に帰ろうと思いつきます。あちこちでそれなりの歓待を受けたり、柔らかい太陽の元で行われているカクテル・パーティで一杯御馳走になったりと、アッパークラスの余裕の休日を過ごして、自宅に戻ってきます。映画の中では、終始主人公は、スイムパンツ一丁の姿。家に戻れば、綺麗な奥様と、美しい娘たちが出迎えるのだろう、と想像したりしますが、実はそうではありません。プールを渡り歩くうちに、なんとなく不穏な空気は漂ってきてはいたのですが、家には鍵がかかっており、妻も娘もいません。静まりかえった家の中、彼のノックの音だけが響きます。そこヘ雨。素肌に降りそそぐ雨。泣き崩れる男、そこで、映画は終わります。なんと、暗い、でも強烈な印象を残す映画でした。

柴田元幸編集による雑誌「MONKEY」(古書/800円)が、短篇小説の名手、ジョン・チーヴァーの作品を村上春樹訳で読ませる特集号を出しました。その中に、今ご紹介した「泳ぐ人」が入っていました。映画はほぼ、原作に忠実でした。原作のラストはこうです。

「家には鍵がかかっていた。馬鹿な料理人なりメイドなりが、間違えて鍵をかけてしまったのだろうと彼は思った。でも、やがて、もうしばらくメイドも料理人も雇っていなかったことを思い出した。彼は叫び、ドアをどんどん叩き、肩を打ちつけてドアを開けようとした。それから窓の中を覗き込み、家のなかがからっぽであることを知った。」

村上春樹によると、ジョン・チーヴァーは、「中産階級、郊外、東海岸、特にニューヨークの北のほうのコミュニティーのあり方をずっと書いている。」のです。この号には、数編、チーヴァーの短編が掲載されていますが、確かに描き出される世界は、その通りです。

とある夫婦が購入した大きなラジオから、日々不思議な声が聞えてくる「巨大なラジオ」にも、「泳ぐ人」にも、リアルに描かれた日常生活のその先に、リアリズムを逸脱して、深くて暗い闇がこちらを伺っているところが、チーヴァーの魅力かもしれません。

「泳ぐ人」はDVD化されています。原作を読んでから、是非一度ご鑑賞を。ぞっとするような孤独感が、押し寄せてきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

伊丹市立美術館で開催中の写真家ソール・ライター「ニューヨークが生んだ伝説写真家ソール・ライター展」に行ってきました。

1950年代、NYのファッションカメラマンとして活躍していたライターは、80年代にはコマーシャル写真の世界から退きます。そして、自分が住んでいたNYイーストビレッジを被写体として、数多くの写真を撮影してきました。彼の撮り続けた当時のNYは、ほとんど発表されていなかったのです。いまも、ライターのアトリエには未発表のフィルムがたくさん残っているらしい。彼の回顧展が初めて日本で開催されることになったので、これは行かねば!と思ったのです。

「私たちが見るものすべてが写真になる」

とは、ライターの言葉ですが、この街に生きる様々な人達の何気ない一瞬が切り取られています。雪の街を歩く女性の赤い傘を上から撮った白と赤の対比が美しい作品「足跡」や、曇ったガラス窓の向こうに立ち尽くす男性のシルエットを捉えた「雪」など、寒い街に生きる、人達の息づかいが聞こえてきそうです。

赤と黄色でお馴染みのNYのタクシーに乗車している男性客の手を捉えた「タクシー」は、ワイシャツの白がタクシーの明るい色彩の中でくっきりと浮き上がっていて、シャープでおしゃれ。

白黒写真では、ボルサリーノを被り、白いワイシャツをにタイをしめた男たちが雑踏を行き交う姿を捉えた作品など、ハリウッド黄金時代の映画のワンカットを見ているみたいにクールです。

路上を掃除する老人を背後から捉えた「掃除夫」、地下鉄の階段でうなだれる男をとらえた作品、靴磨き屋の靴をアップで捉えた「靴磨きの靴」等々、この街と人々を愛した作品がたくさんありました。そして、ライターには一連の見事なヌード写真があります。光と影のバランスを絶妙にコントロールした私的な作品群は、これこそ写真芸術と呼びたくなるものです。ヌードではありませんが、一人はベッドの上に寝転がり、一人は光の入ってくる方向に向いて坐っている作品の、光線と影の微妙なコントラストに惚れ惚れしました。

一方で、彼は素晴らしい画家でもありました。写真同様、ビビッドな色の絵画作品も多く展示されていて、感激しました。

「ソール・ライターのすべて」(青幻舎/新刊2700円)に柴田元幸が「うしろからあなたの耳をくすぐる写真」と題した評論を寄稿しています。ライターと同時代、NYの街並みを歩いて詩を発表した詩人の一節が、ライターの写真と通じるものがあると取り上げて、「シンプルな言葉使い、都市に向ける静かな目、背後に愛情が感じられるからかいのトーン、淡いユーモア。言葉使いはともかく、ほかはいづれもライターの写真にも等しく当てはまる要素である。」

言葉通りのステキな写真展でした。オススメです。(5月20日まで開催)

なお、ライターが過ごしたアトリエの大きな写真がかざってありました。綺麗な写真だな〜と思ったら、撮影は、当店でも個展をしていただいたことがあるかくたみほさんだったので、ちょっと嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日当りのいい部屋に寝転がって、陽の光を背中に浴びているときである。『幸福とは、日当りのことである』というのが僕の唯一の個人的哲学なのである。前世は亀だったのだ」

と仰っているのは柴田元幸先生です。現代文学の翻訳家として、村上春樹、岸本佐知子と三本の指に入る人気翻訳家です。P・オースターの日本語版などは、彼なくしては読めなかったでしょうね。上記の文章は、彼のエッセイを集めた「死んでいるかしら」(日経文芸文庫400円)に収録されています。きたむらひとしのノホホン系イラスト一杯のこの本は、笑えます。

「文庫本とラーメン」というエッセイには、そうだよね!と拍手。

読書感想文に触れて、「本もやはり、もっともらしい言葉(感想)にする前に、まずは『味わう』べきものだと思う」と前置きして、

「うまいラーメンは腹を豊かにするが、知的な本は頭を豊かにし、情熱的な本は心を豊かにし、好色な本は下半身を豊かにする。(しないか)」

そして、ラーメンを食べる気楽さで、感想文のことなんか無視して本を読むのがいいとおっしゃる。大体、読書感想文があるなら、ラーメン感想文があってもいい!と、話は暴走します。小学生にインスタントラーメンを調理をさせ、味わい感想を書かせる。

「『出前一丁を食べてみて、私が一番感動したのは、麺のコシの強さです。食べはじめから食べ終わりまで一貫して失われないその強さを、私も見習って、これからは強く生きていきたいと思います。」

これをナンセンスと言うなら、読書感想文も似たようなものかもしれないと。

もうひとつ、ご紹介します。「エレベーター・ミュージック」。デパ−トのエレベーターや、館内でかかる人畜無害なBGMのことです。「恋は水色」とか「エーゲ海の真珠」とか。この手の音楽って、一端、気になりだすと煩い音です。かつては、高級な音楽が、サラリと流れているのが上等みたいな時代もありましたが、もはや、何もなっていない場所の方が、グレードが高いと思います。

「『エレベーターミュージック』という言い方には、気分を高揚させる(elevate)させるニュアンスも(皮肉として)こめられているが、ビヤホールでベンチャーズの『北国の青い空』なんか聞いたら、たいていの人間は高揚するどころか、人生それ自体に疑問を感じてしまう。」

音楽の必要ない空間には流さないことです。

文学の中の食の数々、人の心を揺さぶる一皿を網羅した「つまみぐい文学食堂」(角川文庫/絶版450円)も入荷しています。

「お前の訳文が曲がっているのは、生き方が曲がってるからだ。」

こんなこと言われたら、落ち込みますよね。言われたのは、翻訳家の都甲幸治。これ、「都甲幸治対談集 読んで、訳して、語り合う」(立東舎1300円)の中の「翻訳家ができるまで」というテーマの対談の一部です。

対談相手は、今人気の岸本佐知子で、彼女も翻訳学校時代で、もう徹底的にしごかれて、学校の帰り道、「駅に向かいながらひっくひっく泣きました。」と告白しています。

因みに、冒頭の言葉を言い放ったのは、彼を教える立場にいた、柴田元幸。

岸本以外に、いしいしんじ、堀江敏幸、内田樹、柴田元幸、藤井光等とのユニークな対談を集めてあります。海外文学が専門の方々が多いのですが、村上春樹の「1Q84」をテーマにした都甲幸治×内田樹×沼野充義の対談は、そんなに村上フリークではない私でも、引きずりこまれました。

「僕は村上さんにはたぶん男性をどう『武装解除』するかということがひとつのテーマとしてあるような気がするんですよ。」と切り出した内田は、

「今の世界は、男性中心主義が解体されて、フェミニンな共産主義みたいなもののほうへ、ゆっくりと向かってるような気がするんですね。そのなかで『村上春樹的父親』はあらゆる家父長制が解体されたあとに最後に残りそうな、もっともしぶとい父性だと思うんです。それをどうやって武装解除するかということが村上さん自身のパーソナルなテーマ」と、結論づけています。

さて、爆笑ものの対談は、京都在住の小説家いしいしんじとの対談です。この中で、日本では海外文学を読んでると、おしゃれ!と言われがちですが、いしいさんは海外文学は「ぐちゃぐちゃで臭くて、下品で、ひどい話ばっかりですね。でも、ぐちゃぐちゃであるほど面白いんで。」と言っています。「ぐちゃぐちゃであるほど面白い」のは日本文学も一緒ですね。

 

 

 

 

 

「白鯨」と言えば、ハーマン・メルビィルの退屈極まる、しかし、最後まで読んだら荒波の大西洋を乗り越えた気分になる長編小説です。

今手元に、マット・キッシュによる「白鯨」、正確な書名は「モービー・ディック・イン・ピクチャーズ」(スィッチライブラリー1800円)があります。全560ページというボリュームたっぷりの一冊です。

大体、マット・キッシュて誰だ?

彼は、図書館の職員で、イラストレーターでもあります。その青年が、とてつもなく大胆なトライアルをしたのが「白鯨」です。全552ページの原作から、各ページ毎に数行抜き出し、それに全部イラストを付けて全く新しい「白鯨」に仕上げてしまいました。原作を元に、リミックス、カットアウト、コラージュを繰り返したのが、この「白鯨」で、だから「モービー・ディック・イン・ピクチャーズ」というタイトルになっています。文学とアートのぶつかり合いが生み出した新しい形態の書物です。

そして、原作に登場する狂気じみたエイハブ船長のことや、語り手のスターバックのことなど知らなくても、十分楽しめるところが凄い!一冊です。シュールで幻想的な大航海へ連れていってくれます。

翻訳をした柴田元幸によると、キッシュは、コンラッドの「闇の奥」(あのコッポラの映画「地獄の黙示録」の原作)にイラストを付けたリミックスバージョンを出したとか。こちらも興味津々ですね。

「白い鯨との出会いは、グレゴリー・ペックがエイハブ船長を演じる1956年の映画『白鯨』だった。子どものころ、1970年代なかば、土曜の午後をよく祖母の家で過ごして、この映画を切れぎれに観た事を覚えている。僕はすっかり魅入られた。」と、キッシュは、あとがきで述べています。

私もそうでした。淀川長治さんの「こわいですよ〜!」という名調子で始まる「日曜洋画劇場」で観て、虜になりました。銅版画風の画調が神秘的で、今でも映像の断片が頭に残っています。

 

 

 

昨日は翻訳家、岸本佐知子の世界を書いたので、今回は、もう一人の人気の翻訳家、柴田元幸について。

以前、当ブログで彼のエッセイについては取り上げたので、今回は、彼が最も多く翻訳したアメリカ文学者、ポール・オースターの作品です。

オースターに初めて接したのは小説ではなく、映画でした。彼の原作「オーギ・レンのクリスマスストーリー」をベースにした「スモーク」。ブルックリンの煙草屋を舞台に展開する、ウソのような、ホントのようなスパイスの効いた、ハートウォーミングないい映画で、それで、オースターの名前を覚えました。

「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。」これは、優れた青春小説の幕開きを予感させる「ムーン・パレス」(新潮文庫500円)の出だしです。

65年の秋、主人公の「僕」は伯父の1000冊の本と共に。NYにやってきます。西加奈子が「この作品の中のニューヨークが一番好きだ」と絶賛していますが、私はNYものベスト映画「グリニッジ・ビレッジの青春」に匹敵すると思います。柴田は、この小説も魅力をこう書いています。

「とにかく次々に起こる、あるときは滑稽で、あるときは感傷的で、またあるときは滑稽かつ感傷的な出来事の連鎖に身を任せていればいいと思う。」身を任せれば・・・私たちは「僕」と一緒にこの時代のNYの街角をブラブラしては、奇妙な人物達に出会えます。

この本の後、私は暫くオースターから遠ざかっていましたが、2006年に刊行された「ティンブクトゥ」(新潮文庫350円)を読み、泣きました。ミスター・ボーンズという名前の犬の視点で、放浪の詩人で、老い先短い飼い主ウィリーとの生きた時間、思い出、そして新しい出会いを描いた物語です。オースターってこんな優しい文章を紡げる人だったんですね。と言っても、ベタベタの犬物語ではなく、抑制の効いた物語が展開していきます。

雑誌「Coyote柴田元幸特集号」(1800円絶版です!)で、柴田は翻訳したオースターの諸作に関しての詳解を書いていますが、「ティンブクトゥ」については何も書かれていませんでした。ただ、小説の訳者あとがきで「もしあなたが犬好きだったら、この本を好きになる確率は、犬好きでない人に較べればほんの少し高いかもしれない。が、犬が主人公であることは、すでに述べたように、この小説の一要素にすぎない。犬好きでもない方にも、ぜひ手に取っていただけますように。」とありました。

小説のラストシーンで、ミスター・ボーンズの言葉は、犬好きには涙ものです。

「あわよくば、日暮れ前にウィリーのもとに行けるだろう。」(あ、ダメ、また泣けてきた……)

 

昨日に続いて、柴田元幸の本を。

英米文学を「食」というキーワードで解説した、「つまみぐい文学食堂」(角川書店・絶版800円)。そこで取り上げる、作品数は140、登場する食材&メニューは246品目という内容で、例えば、ハーマン・メルビルの「白鯨」について書かれています。

この大長編、捕鯨の歴史やら、メルビルの壮大な哲学風宇宙論やらが、ストーリーの間に挿入されて、大学時代読んだものの、面倒でした。柴田は、この小説に登場する揚げパンの事を紹介しているのですが、全く覚えていませんでした。煮えた鯨蝋の中に乾パンを浸して、揚げパンにするのですが、彼は

「ふつふつと煮えた鯨蝋の鍋を囲んで、ほどよく揚がった揚げパンが出来るのを待っている水夫たちの輪に、できればこっそり交ざりたい」

というのです。こんな風に、食を通して、今まで知らなかった世界へ扉を開けてくれます。

同じく、海外文学への興味を持たせてくれるのが、「代表質問 16のインタビュー」(朝日文庫500円)です。こちらは、海外の文学者と、村上春樹、岸本佐和子、内田樹ら日本の作家へのインタビューをまとめたものです。村上については「キャッチャー・イン・ザ・ライを語る」、「1989年の村上春樹」という二つが収録されています。でも、一番面白いのはジョン・アーヴィングとの架空インタビュー「アーブィングはこう語った……..と思う、たぶん」です。過去数十年のアーヴィングの発言を基に、出来る限り客観的に作り上げられてあります。アーブィングファンなら、是非お読み下さい。

翻訳家としての仕事だけでなかく、小説家としての柴田の短篇集「バレンタイン」(新書館)も入荷しました。14点の短篇小説が収録されています。この中に、「書店で」という一篇が収録されています。たった数ページのお話ですが、ひんやりした感覚がいつまでも消えない作品です。

もう1冊、東大文学部多分野交流演習で行われた、多種多様な講義集を、柴田が編集した「文学の都市ー世界の文学・文化の現在10講」(東京大学出版会1400円)。柴田が、この人の話を聴きたい!と思った方々が、文学だけでなく、音楽にまで面白い論を展開しています。真面目に拝聴してみてはいかがでしょうか。

 

●お詫び  昨日紹介した「猿を探しに」は売切れました。

 

 

 

海外文学翻訳家として、村上春樹と人気を二分する柴田元幸のエッセイや、短編小説集、作家へのインタビューをまとめた本が、数冊入荷しました。

きたむらさとしのおとぼけ風のイラストの表紙が可愛いエッセイ集が三冊。いずれも新書館から出版された「猿を探しに」(800円)、「舶来文学柴田商店」(800円)、「死んでいるかしら」(800円)です。こちらは、肩の凝らないエッセイをまとめたもので、どこから読んでもOK。

かつて妻を殺しかけたことを綴った「考えもしなかった」(「死んでいるかしら」に収録)は、思わず吹出してしまうお話です。又、冬の夕暮れどきの哀しさを、自身の小学校時代の経験をもとに書いた「夕暮れどきはさみしそう」(「猿を探しに」に収録)などは、あぁ〜わかるなぁ、とうなずきます。

個人的には、彼の音楽エッセイが大好きで、イエール大学在学中に、日本から持ってきた戸川純のテープを繰り返し聴いていた話がいいです。1980年代にインディーズからデビューして、瞬く間に人気シンガーになった戸川をこう表現しています

「ヒステリアから官能、官能から無垢、無垢から狂気、狂気から可憐、可憐から自虐、自虐からブリッ子、ブリッ子から錯乱…….と千変万化する戸川純はほかの誰にも似ていない」

見事な戸川評です。

「舶来文学柴田商店」は、内外の書評を集めた一冊です。巻末には、この本で紹介された本の一覧が掲載されているので、書評を読まれて原作にアタックするのに便利です。短いエッセばかりですが、どれも上手い。例えば、自分の訳す小説には、何故か食欲をそそる描写が出て来ないという事例として、ポール・オースター、スティーブン・ミルハウザー、スティーブ・エリクソンの三人を取り上げて、

「スティーブン・ミルハウザーは自動人形や魔術などの人工物を小説化する、という『偽物の偽物』の人なので、本物の食べ物はめったに書かない。」と書いています。

ミルハウザーは、柴田翻訳による海外短篇集「紙の空から」(晶文社700円)に収録されている夏休みの少年のファンタジーを描いた「空飛ぶ絨毯」(これ、凄く翻訳が良くて、夏にキラキラした雰囲気が見事に描写されています)しか読んだことがないので、そうなのか、と思いました。

また、人生の瑣末な事に本気で対峙するニコルソン・ベイカーを取り上げ、都築響一の「東京ステイル」を経由して、赤塚不二夫の「おそ松くん」へとなだれ込む「人生の大問題と取り組まない文学について」は、知識をフル稼働させて、読者をあっと言わせて圧巻です。

彼は多くの長編を翻訳していますが、「紙の空から」に収録されている13人の作家の短篇集は、好きです。情景描写がどれも素晴らしく、その小説のバックグラウンドの場所へ容易くトリップさせてくれます。

明日もさらに続きます。

 

 

 

定期的に刊行されている雑誌で、個人的に気になるものがあります。

「Coyote/コヨーテ」(スイッチパブリッシング)、「MONKEY」(スイッチパブリッシング)、「考える人」(新潮社)、「Kotoba」(集英社)等々です。どの雑誌も200ページ以上のボリューム満点で、びっしりと活字で埋まっています。読破はなかなかです。

「考える人 2015年冬号」(600円)の特集は「山極寿一さんと考える家族ってなんだ?」というテーマで、山極先生のロングインタビューが掲載されています。ゴリラ研究の第一人者で、現京大総長が、人にはどうして家族が必要だったのかを語ります。この中に150人という数字が登場しますが、これが面白い。ぜひ、お読み下さい。

翻訳家の柴田元幸責任編集が売りの「MONKEY」は、海外小説好きにはたまらん一冊ですが、海外の小説に縁遠い方でも、特集次第では結構楽しめます。

例えば2014年夏秋号は「こわい絵本」(600円)という特集です。いくつかの作品が載っていますが、ブライアン・エヴンソンの「本と女の子」は、「こわい」というよりは、「悲しい」お話です。柴田さんと穂村弘の「怖い絵本はよい絵本」という対談で、二人が「こわい絵本」をどんどん紹介していて、この特集を参考に集めてみるのも、楽しいかもしれません。

2015年夏秋号の「音楽の聞こえる話」(600円)は、音楽にまつわる小説がメインですが、音楽そのものを描いたものではありません。この特集では、海外の作家だけでなく、柴崎友香、小川洋子、松田青子らの作品も登場します。どれも、短篇ならではの魅力に溢れた作品ばかりです。松田の「天使と電子」の奇妙なタッチも、読む者をきっちりと作家の世界に引っ張ってゆく小川の「少年少女」も、ともに素敵な小品ですが、柴崎の「バックグラウンドミュージック」に引き込まれました。

ラストで、ヒロインの弟が、昨日と今日の自分の違いについて、むかし中学時代の先生から、聞いたことを語ります。

「昨日より確実に一日死ぬ日が近づいたってことや。棺桶に入る日が一日近くなったんや。」

弟の話を聴きながら、遠くをみつめる姉。この小品、もっとストーリーを膨らまして映画にしても面白かもしれません。

 

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