梨木香歩の本は、ほぼ読んでいたと思っていたのですが、「ピスタチオ」(700円/古書)は未読でした。何かわからないけれども、それに導かれてアフリカに向かった女性ライター(ペンネームは棚という)の物語です。アフリカの伝統的医術を体得した呪術医に会うのが目的の旅、と書くと何だかおどろどろしそうな話みたいですが、そんなことはありません。

「ピスタチオ」は約300ページ程の小説なのですが、前半100ページほどが、主人公が飼っている老犬マースが病気になり、手術を受ける話です。私事ですが、今年老犬を見送ったばかりで、ちょっとこれにはまいりました。(でも、死にませんので愛犬家の方はご安心ください)

「小さい頃から気象の変化には興味があった上に、空の広いケニアに滞在して、大気の状況に自分の体がダイレクトに反応することに、文字通り他人事ではない興味を覚えたのだった。」

その記憶が、再び彼女をアフリカへと向かわせます。ケニアの奥地にあるウガンダに、呪術医のことを調査した人物がいると知った彼女は、病状の落ち着いたマースを日本に残して旅立ちます。しかし、片山というその男と、ガイドまでもが原因不明の死に方をしているのです……..。

ここから舞台はアフリカに移動します。緑、水、精霊…こうしたキーワードが物語の中心になり、それらが緩やかに回転を始めます。その輪は大きくなったり小さくなったりしながら、主人公を、見えない大きな何かに導いていきます。この作家の上手いのは、ファンタジックな世界どっぷりに描くことなく、リアルに主人公の旅を見つめているところです。 思わぬ出来事に遭遇するのですが、なぜ彼女だったのか、ということに明確な回答を用意していません。霊的なるものの存在だけでは語りきっていない、しかし100%の不思議さが残る物語でした。最後に主人公が書き上げた「ピスタチー死者の眠りのために」は、物語全体を総括すると同時に、見事に梨木の世界でした。さて、タイトルになった「ピスタチオ」の意味は? 最後で、あぁ〜そうだったのかと思って、ページを閉じることになります。
棚は「ピスタチオ ピスタチオ いい一生を生きた 安心してお休み」という言葉を最後に書いて、
「書き上げて、気づけば夜が明けようとしていた。棚は、いつものように散歩に出かけようとマースに声をかけた。月は白く高く上がっていた。風は優しく、木々の梢から、棚の耳元までやってきて、何か囁いて消えた。」
余韻溢れる幕切れです。

★年内は12月30日(日)まで営業いたします。年始は1月8日(火)より通常営業いたします。

★イベントのお知らせ「宮沢賢治 愛のうた 百年の謎解き」

2019年1月18日(金)19時より、「新叛宮沢賢治 愛のうた」を出された澤口たまみさんとベーシスト石澤由男さんをお迎えしてトーク&ライブを行います。予約受付中(1500円)レティシア書房075−212−1772

 

作家というのは、こんな思考をするのかと感心した一節。

「あたまを雲の上にだし」で始まる「富士の山」の後半の歌詞「四方の山を見下ろして」に違和感を持ち、

「富士山は、別に他の山を見下ろしているわけではない、ただそこにあるだけだろう、と思えてならなかったのです。そんなふうな擬人化は、富士山の無理やりな矮小化に思え、山を、自然を冒涜しているように感じていたのでした。」

と、語るのは、当店でも人気作家の梨木香歩です。師岡カリーマ・エルサムニーという文筆家と彼女の往復書簡集「私たちの星で」(岩波書店1100円)に登場します。師岡は、日本人の父とエジプト人の母の間に生まれたイスラム系日本人です。彼女が世界で感じたイスラムのことに、梨木が対応するスタイルの書簡集です。

二人は世界情勢やら、人種差別のことを語っているのではなく、日常の些細な事、日々の暮らしの中から浮き上がってきた事などを、ぜひ聴いてくださいみたいな、嬉しそうな感覚で話し合います。もちろん、妙なナショナリズムが徘徊する、今のこの国へは厳しい視線をお持ちですが、肩は全く凝りません。

書簡を読みながら、梨木が異文化に対する態度を書いていた「春になったら苺を摘みに」にあった文章「理解はできないが受け入れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ」を思いだしました。

この書簡の中でも、「違う文化を拒絶せず黙って受け入れた経験を、たくさん持てば持つほど、ひとの『寛容』はどんどん鍛え抜かれていき、そのことがきっと、私たちを『同じ』家族にする、という観測は、あまりにもナイーブな楽観主義でしょうか」と書いています。

20通の書簡を読んで、多くの異なった文化で構成されている世界を見る目に柔軟さが増せばいいと思いました。

さて、件の「富士の山」をどうせ、擬人化するなら、こうだと変えてきました。

「あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見守りて かみなりさまは 下で鳴る 富士は日本晴れの山」

彼女、大声でこれを歌っていたみたいです。なるほど、こっちの方がスケール大きいですね。

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 


 

 

梨木香歩作品集「西の魔女が死んだ」(新潮社1200円)を読みました。

傑作「西の魔女」に登場するおばあちゃん、ヒロインのまいちゃん、そして愛犬ブラッキーが登場する「ブラッキーの話」、「冬の午後」、「かまどに小枝を」を一緒にした「西の魔女が死んだ」をめぐる作品集です。

作者あとがきは、これ程美しいあとがきはない、と思いました。

「ただシンプルに素朴に、真摯に生きる、というだけのことが、かつてこれほど難しかった時代だあっただろうか。社会は群れとして固まる傾向が強くなり、声の大きなリーダーを求め、個人として考える真摯さは揶揄され、ときに危険視されて、異質な存在を排除しようとする動きがますます高まってきた。」

まいのおばあちゃんと同世代になった作者は、こんな時代だからこそ、まいの物語を読んで、その人に寄り添う一冊であって欲しいという思いから、再度「西の魔女が死んだ」を送り出すことにしたのです。そして

「老若男女問わず、この本を必要としてくれる人びとに辿り着き、人びとに寄り添い、力の及ぶ限り支え、励ましておいで。私たちは、大きな声を持たずとも、小さな声で語り合い、伝えていくことができる。そのことを、ささやいておいで。」

と結んでいます。自分の書いたものが、読者の人生の、小さいかもしれないが、手助けになって欲しいという思いが伝わってきます。

「かまどに小枝を」は、「西の魔女」の中で、自分で生きてゆくことを学んだまいちゃんが、おばあちゃんの家を去った後の日々が描かれています。ある日、彼女は虹を見に丘に向かいます。そして小さな虹に向かって祈りを捧げます。

「この空の下で、私の娘も、その娘も、今、生きている。新しい環境の中で、新しい道を選ぶこと、さらにその道を進むということは、体力と気力がバランスをとっていなければ、なかなか簡単にいくものではない。今はまだアンバランスだとわかっていても、他にどうしようもなく、進まなければならないときがある。時の流れは容赦ない。」

でも祈ろう。それは、著者が、色んな人生を選択した人たちの、明日が良い日でありますようにという祈りなのです。

 

★勝手ながら、5/8(月)、9(火)連休いたします。

 

梨木香歩のエッセイ集「鳥と雲と薬草袋」(新潮社1050円)は、ぜひ、ハードカバーで持っていたい一冊です。49の土地の来歴を綴り重ねた随筆集で、その地名に惹かれた著者がフラリと訪れた様が描かれています。

「日ノ岡に、日向大神宮という神宮がある。ひゅうが、ではなく、ひむかい、と読む」

京都市内の三条通りを東に向い、山科方面に向かうと日ノ岡峠に出るのですが、これはこの土地を描いた「日ノ岡」の出だしです。無駄のない、しっかりした文章で描写されていき、一緒にフラリと日向大神宮に詣でた気分になります。最後は「蹴上(けあげ)」という地名の由来も明かされますが、義経がからんでいたとは面白いもんです。

安心して読ませてくれる文章というのは、気持ちがいい。そして、そんな本の中身をサポートするような装幀が施されていると、なおいいですね。装幀は出版社の装幀部が行っているのですが、カバーの色合いや、ページの余白まで愛情が籠っています。何より素敵なのは、挿画・装画を西淑さんが担当しているところです。表紙の渡り鳥に始まり、随所に描かれる小さなイラストが、そっと本の中身に寄り添って心憎い演出です。部屋に立てかけて眺めていたい本です。

もう一点。昭和39年発行の串田孫一「昨日の絵 今日の歌」(勁草書房1100円)は、函から本を出すとオレンジ色の表紙。この本は串田が、絵のこと、音楽のことなど彼が出会った芸術を、エッセイ風に書き綴ってあります。

「静かに針を下ろして、あらかじめその位置に置いた自分の椅子にすみやかに戻って、音の鳴り出す瞬間を待つほんの僅かの時間に、私はやはり彼らの気持ちは今充分にかよい合い、研ぎすまされ、呼吸もまた鼓動さえもぴったりと合ったその容子をちらっと想わないわけには行かない。」これは「室内楽」と題した章の一部です。

各章には、串田自身によるステキなスケッチが描かれています。

やはり、大事に、大事に本棚に置いておきたい一冊です。私は、この本に入っている、やや長めのエッセイ「天使の翼」ほど、音楽を美しく描いたものを読んだ事がありません。静謐で、澄み切った空気の中に、自分を置きたい時には最適です。

 

私は猫背である。女房に指摘される度にシャキッとするのだが、またすぐに元に戻ってしまう。原因は、男子中学、高校という痛ましい6年間にあると信じている。多感な時期、周りが男だらけ(の割にはケイコチャンやらユミコチャンとかいうガールフレンドが・・・)という窒息寸前の、進学校。落ちこぼれの私なんぞ、国立大学を目指す同級生に卑屈になり、自然下を向き、猫背になってしまったというわけ。

大学時代、辻邦生の文学に入れこみ、清冽で凛とした彼の文章に接して、いかん、下を向いていばかりではと思わされました。そうか、作家の文章には、シャキッとさせる効能があることを知り、そういう身体にいい文章を書く作家さんを探しました。

例えば、こんな文章です。

「あれほど巨大な身体を持ちながら、どうして彼女たちはこんなにも静かなのだろうと、私はいつでも息を飲む。老木のように思慮深く四本の脚は、戸惑わず、油断をせず、正しい場所を踏みしめ、一瞬たりとも無駄な音を発しない。もし夏の静かさというものがあるなら、この者たちの足裏こそがそれを生み出しているに違いない、と思わせてくれる」

これ、以前にご紹介した小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(新潮社900円)に登場する老いた象の描写です。

静謐で緊張感があり、削り取られた言葉が、シャキ!とさせてくれるのですね。

こういう文章は、私の読書体験から言えば、女性作家で出会うことが多いみたいです。必ず新刊は熟読する梨木香歩は「不思議な羅針盤」(新潮文庫300円)で、煮詰まった人間関係に喘ぐ時、こう言い切ります。

「もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして『自分の好きな場所』を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。

逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない」

強靭な言葉ですね。彼女たちに、背中の曲がった、このばか者が!と怒られながら、ぐぐ〜と背を延ばす毎日です……..。

 

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梨木香歩の最新作「岸辺のヤ〜ビ」(福音館1200円)は、明らかにファンタジーのスタイルの児童文学です。

だからといって、大人が読んで面白くないかと言えば、全くそんなことはありません。前作「丹生都比売 」もファンタジー小説の大人版でしたし、純文学の看板をかかげている「海うそ」にしても、主人公が島の中を彷徨い、何かに遭遇する辺り、ファンタジーの香りが漂っていました。

舞台は、イギリス(実際にイギリスとは明言されていませんが)の田舎の豊かな自然の広がる森です。その森近くの学校に勤務する女性教師が、ボートで沼地に出た時のことです。そこで彼女は、カヤネズミ程の大きささの直立二足歩行する小動物に出逢います。

「モグラでも、ネズミでもない。何よりもやはり、一番の特徴は、顔に表情があったことでしょう。」と彼女は思います。そして、目と目があった時、こう感じています

「おどろきと、ちょっとこまったような、それでいてたじろくことのない、いいかえれば、今までの人生を、お日さまの下ではたっぷり汗をかき、月明かりの下ではたっぷりさまざまなことを考えてすごしてきたような、そんな男の子の顔をしていました。」

彼は言葉を話しました。こうして物語は始まります。彼の名はヤービ。この豊かな森に一族で住んでいます。彼女は、ヤービからこの森で行きている多くの種族のことを知ります。

多彩な登場人物を登場させながら、豊かな物語を展開してゆくところは、作者の真骨頂です。読者はヤービに導かれるように緑豊かな森での彼等の生活を知っていきます。メアリー・ノートンの「床下の小人たち」(岩波書店 1100円)の描く世界に近いものがあります。

しかし、このシリーズ1作目のラストは決して、明るい未来ばかりではありません。大きい人達(つまり私たち人間のこと)の自然破壊の影響で、彼等の環境に異変が起きているのです。

「若いミツバチのなかには、巣を出て行ったままもどってこないものがあります。ぜんぶではありませんが、巣の近くまで還ってきたミツバチたちも、まるで巣の中への入り方を忘れてしまったかのように、とほうにくれてうろうろ飛んで、それから力つきて死んでしまうものもあります。ミツバチの子の数も、ずいぶんへりました」

と、いずれ住めなくなる可能性のあるこの森から、新しい住処を求めて旅立つ可能性さえあるエンディングです。

ぜひ、ヤービ達の暮らすマッドガイド・ウォーターに遊びに行ってみてはいかがでしょう。

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梨木香歩の最新刊「丹生都比売」(におつひめ)が、早くも入荷いたしました。これは、今までに主に雑誌等に発表された短篇をまとめた一冊です。

08年に発表された「月と潮騒」や、その前年の「本棚にならぶ」を読むと、奇妙なテイストのファンタジーで、おそらく「家守奇譚」の不思議な世界の源流かもしれません。未発表だった、たった数ページの「コート」は、姉の残したコートのことを描いた作品ですが、最後の数行で泣きます。

94年、児童文学雑誌「飛ぶ教室」に発表された「夏の朝」は、「西の魔女が死んだ」へと繋がる少女小説の傑作です。長編アニメ「借りぐらしのアリエッティ」にちょっと近い感覚のある少女と小人のお話です。そして、ストーリーの進行にガンダムのモビールスーツも巧みにアレンジして小道具として駆使しながら、少女の成長を見つめます。ところで、このお話の語り手が実にいいんですが、それは内緒にしておきます。

「ピチンとモビルスーツの最後の薄い膜が弾け散る音がした。いつのまにか春は夏になった。今年一番の燕が、窓の外でくるりと円を描き、いよいよ本当の夏が始まるよ、といっているみたい。

甘い、みずみずしい予感と共に、夏ちゃんは目を覚ました。」

というラストの文章で、いい小説を読んだ後に、本をパタンと閉じた時の喜びに満ちた時間を味わえます。

本のタイトルになっている「丹生都比売」は、95年に出版工房原生林から一度、出版されています。それを今回、改稿したものですが、これ、時代は今から1300年前のお話です。最初のページに登場人物達の相関図が載っていますが、もう漢字ばっかで、読むのを止めようかと思ったことを思いだします。

2013年の「鳥と雲と薬草袋」「冬虫夏草」そして今年発表の「海うそ」と充実した作品を読ませてくれる梨木香歩は、今、旬な作家の一人なのかもしれませんね。

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梨木香歩の最新作「海うそ」(2014年発行岩波書店1100円)が入いってきました。もちろん、店頭に出す前に読ませてもらいました。

傑作です。私の中で、梨木さんのベスト1は「からくりからくさ」(新潮文庫350円)でしたが、これはそれ以上でした。

舞台は南九州の小さな島。戦前に、この島の調査をした地理学者秋野がむせ返る島の自然と、海の香り、そして照りつける太陽の元で、自分の魂の奥深い所へ下降してゆく旅の話です。

修験僧の霊山があった島を調査する彼の前に、様々な表情を見せる南海の島。その奥深い森の中で、彼が体験する恐れと哀しみ。彼の心の中に解決できない何かが積もっていきますが、島での生活は終わりを迎え、去ります。

そして、戦後50年を経て、再度この島にやって来ることになった秋野が見つめる、魂のさすらいと決着。

「それは老年を生きることの恩寵のようなものだと思う。若い頃は感激や昂奮が自分を貫き駆け抜けていくようであった。今は静かな感慨となって自分の内部に折り畳まれていく。そしてそれが観察できる。若い頃も意識こそしなかったものの、激する気持ちは自分のなかに痕跡くらい残したのだろうが、今は少なくともそのことを自覚して静かに見守ることができる。」

巧みな文章と言葉で、読者をこの島に誘い込み、幻惑に満ちた旅を楽しませてくれる一級品の小説です。

「長い長い、うそ越えをしている。 越えた涯は、まだ、名づけのない場所である。」

旅はまだ続きます。

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梨木香歩の「家守綺譚」(新潮社700円)の続編、「冬虫夏草」(新潮社1100円)が入ってきました。ファンタジー小説といえば、そうなんですが、この作家にしか描き得ない独特の世界です。「家守綺譚」はこんな風に始ります。

「床の間を見ると、掛け軸の中のサギが慌てて脇へ逃げ出す様子、いつの間にか掛け軸の中の風景は雨、その向うのボートが一艘近づいてくる。漕ぎ手はまだ若い……….高堂であった。近づいてきた。」

と、亡くなったかつての友人が、掛け軸の中からひょいと出てくる。えっ、怪談? では、ないんです。京都、疎水べりの古い家に住まいする文筆家が、日々の暮らしの中で、移ろってゆく自然の風景を見つめたエッセイのような、小説のようなものです。

「疎水の両岸の桜が満開のまま、しばらく静止を保っていたが、ついに堪えきれず、散りに入った。疎水の流れはその花びらが、まるで揺れ動く太古の地表のように、大きな固まり、小さな固まり、合体したり離れたりを繰り返し、下手に流れてゆく。」

そんな桜をじっと見つめていた作家の枕元に「桜鬼」と呼ばれる女がやって来る。木の精が入れ替わり立ち代わりしたりして、作家と交流する様が、美しい日本語で綴られていきます。

で、その続編が「冬虫夏草」というわけです。これは、主人公がイワナの経営する宿屋??を探すお話です。正確には、その宿を探すまでの山や村のことを描いたお話です。小説のラストの盛り上がりを期待してはいけません。主人公はこう言います。

「天地の運行は、私など、一被造物の測り知れないものである。ただ呆然と見ているのが関の山だ。いやそれこそが正しい被造物の在り方というものであろう」

読者も、話の流れを「呆然と見ている」のが、この本の正しい読み方なのかもしれません。

 

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朝から、本降りの雨です。できることならこんな日は家にいて、ゆっくり本でも読んでいたいものです。

雨音に妙にマッチする音楽が韓国から届きました。本名チョ・ユンソクは、2001年にルシッド・フォールというソロプロジェクト名義でファースト『Lucid Fall』(=『輝く秋』)を発表しました。その後スイスのローザンヌ連邦工科大学大学院に留学して博士号を取得している期間もありつつ、2011年までに5枚のオリジナルアルバムと、映画のサントラアルバム1枚を発表しています。

今、手元にあるのは「花は何も言わない」というアルバム。シンガ&ソングライターの彼の音の基調をなしているのは、ボサノヴァです。ブラジル音楽のリズムに、韓国語が微妙にブレンドされて、どこの国の言葉??と不思議にステキです。雨の日には雨の、晴れの日には晴れの、と、うつろう空気を感じさせる音楽です。ライナーノーツを書いている渡辺了は

「光の温もりが感じられ、若木の匂いがする。かすかにそよぐ葉音や穏やかな渓流の音も聴こえてくる。」と書いています。

例えば、梨木香歩の「家守綺譚」(新潮社700円)を読んでいると、伝わってくる四季おりおりの自然の気配を五線譜にしたら、こんな音楽ではないでしょうか。(「家守綺譚」の続編「冬虫夏草」は、近日入荷します)

こんな素敵なミュージシャンがいるなんて、知りませんでした。録音も素晴らしく、ピアノの細かい音の変化や、ギターの弦の軽やかな雰囲気、さぁ〜っと消えて行くシンバルの余韻まで完璧に収録されています。少々、大きな音で聴いても問題なしです。名曲「あなたは静かに」の収録されているベストCD(写真右)も見つけたいです。

やっぱり、ワールドミュージックは一番楽しい音楽ですね。

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