「里山という言葉を私が思いついたんは、昭和30年代の話です」

と、語るのは森林生態学の創始者、四手井綱英先生。明治44年、京都に生まれました。林野庁で働き、京大で教鞭をとり、全く新しいアプローチで森を研究し、森林のあるべき姿を提唱した先生です。この先生に、森まゆみがインタビューしたものが、「森の人 四手井綱英の九十年」(晶文社/古書1300円)です。京都の山科にあるご自宅で、その半生を聞き取っています。

「里山というのは落葉樹や常緑樹で、その葉が落ちるので、また堆肥がつくれるという効用があった。あの桃太郎のおじいさんは山へ柴刈りに行きますね。柴は火を燃やすのに便利です。紙なんてないから、ふつうはカマドも炉も最初は柴をたきつけにする」と、柔らかい口調で語ります。

若き日、山登りに夢中になり、先輩だった今西錦司が発案した「山城三十山」によく登ったそうです。一方で、従来の林学に疑問を抱き、森が自然の中でどういう生活をやっているか、どういう行動をしているかを観察する生態学を踏まえた学問へ、情熱を傾けていきます。大学卒業後、東北の営林局へ勤務、ここで、山に暮す、個性的な面々と出会います。この話も面白いのですが、割愛します。

やがて徴兵されて中国へ。戦争で彼が知ったことは、「戦争は森林を破壊する一番の元凶」。軍事用材との一言で、森の材木は無茶苦茶に切り倒され、木だけでなく石油、石炭を取りつくし、人を殺し、文化を破壊することです。戦後、再び東北の営林局に戻り、そして昭和29年、京大に帰ってきます。

大学は技術研究の場ではなく、「森林の基礎学、つまり、森林生態学をやるのが大学や」と、猛進します。新しい学問には冷たい学会。でも先生はメゲマせん。森を守るため東奔西走、やがて各地の自然保護運動へも参加していきますが、生半可な知識と感情論が先行して、森に対する間違った知識が横行しているとか。分かりやすい言葉で話されると、成る程と理解できます。森と共に生きた知識人の豊かな世界が詰め込まれた一冊です。四手井先生は2009年、98歳で天国へ旅立たれました。

京都には、いい公園が少ない。下鴨神社の糺の森、京都御所の外苑だけだ、とも言い残されていました。その糺の森について編集された「下鴨神社 糺の森」(ナカニシヤ出版/古書1950円)も置いています。こちらもどうぞ。