中日新聞東京本社社会部に望月 衣塑子という記者がいます。彼女の取材ぶりを追いかけた映画「新聞記者ドキュメント」は、表現の自由、あるいは国民の知る権利が、知らず知らずのうちに侵害されている現状を浮き彫りにしています。

政権へとすり寄ってゆくメデイアの中で、官邸記者会見場で、一人納得がゆくまで質問を続ける彼女の姿は孤軍奮闘としか言いようがありません。森友学園、加計学園の取材チームに参加し、前川喜平文部科学省前事務次官へのインタビュー記事などを手がけ、元TBS記者からの準強姦の被害を訴えた女性ジャーナリスト伊藤詩織へのインタビュー、取材、そして、菅義偉内閣官房長官に質問を行う姿をカメラは追いかけていきます。

彼女が執拗に官房長官に向かってゆくのに、記者会見会場はどこか冷めた雰囲気です。他社の記者の熱は感じられない。たまたま、この映画の前にWOWOWドラマ「トップリーグ」を見ました。こちらも官邸に詰める新聞記者たちを描いているのですが、政治家たちと緊密な関係を作ってネタを引きたいために、やはり沈黙を守っていました。一人、想定外の質問をした記者が、とんでもない闇に巻き込まれてゆくドラマですが、実際の会見現場もそうだったのですね。

「新聞記者ドキュメント」を監督したのは森達也。98年、オウム真理教広報副部長であった荒木浩と他のオウム信者たちを描いた『A』を劇場公開、99年にはテレビ・ドキュメンタリー「放送禁止歌」を発表。最近では、ゴーストライター騒動をテーマとする映画『Fake』を作ったドキュメンタリー映画監督です。著作も多く、かなり読んできましたが信頼に足る映像作家です。

知る権利も表現の自由も踏みにじるような政府のあり方、そして奇妙な沈黙と、本来の報道の仕事のあるべき姿が消えてしまったようなメディアの現場が、この記者の行動を通して浮き彫りにされていきます。

もう一つ、私が感じたことは映像の怖さです。質問する記者、それを阻止しようとする官邸広報室、苦々しい表情でノラリクラリと答弁する官房長官。その映像が組み立てられゆくと、最後にストップモーションで捕らえられた長官の顔が、極悪非道の悪者に見えてきます。仮に、この記者を推測と主観で質問する人物として設定し、それに苦慮する長官といったイメージで映像を組み立てると、不思議なことに、長官の顔が善意の人に見えてくる可能性があります。

映像を撮る立場によって、どうとでも変化してしまう怖さ。監督の森達也は、そのことを十分承知の上で、本作を製作しています。メディアが垂れ流す映像、言説を簡単に信じるな、という思いがあるのかもしれません。

蛇足ながら、森友学園問題の中心人物、籠池夫婦ってオモロイです。いや、思想的にも教育者としてやってきたことは全く否定しますが、二人のインタビューシーンは、もう笑えてきます。関西人の典型ですね。腹立たしい政府の答弁ばかりですが、心和ませる?二人でした。

 

 

聴覚障害をもちながら、数々の曲を発表し「現代のベートーベン」とまで言われた佐村河内守。しかし、「週刊文春」で音楽家の新垣隆が彼のゴーストライターとして曲を制作していたことを告白。また、佐村河内が楽譜を書けないこと、耳は聞こえており、通常の会話でやり取りしていた等をメディアに暴露した「ゴーストライター」事件は、皆さんご存知ですね。

一方的に悪者扱いされた佐村河内は沈黙を続けました。その彼への密着取材を映像化して、メディアと個人の関係、何でも白と黒に決めつけてしまう風潮を見つめたのがドキュメンタリー映画「Fake」です。

監督は「A」、「A2」でオウム真理教に切り込んだ森達也。15年ぶりの映画作品です。とてつもなく、面白い!映画でした。

得体の知れない『自主規制』という化物に放送禁止にされてしまった曲を巡るノンフィクション「放送禁止歌」を読んで以来、世の中を白と黒に分けない、白でも黒でもない灰色の部分にこそ真実があるという彼のスタンスを信用してきました。

耳が聞えないフリをして、人に曲を作らせた悪人というレッテルをメディアに貼付けられた佐村河内の家に、森は頻繁に訪問し、カメラを回します。彼と妻と愛猫と、時折出演依頼に来るTVメディアの人々が登場します。

「森さん、僕のこと信用してる?」と訊ねる佐村河内に対して、森は「信用してなきゃ、撮れないよ」と即答します。「もう、これは心中ですよ、貴方と」と言い切りました。森は、信念を持って、彼に肉迫していきます。その結果、えっ〜、えっ〜という驚愕のエンディングを観ることになります。

しかし、もし、森が新垣の立場に立って映画を撮っていたら、全く違うスタンスの作品を作っていたかもしれません。そして、文春の立場なら、さらに又別の作品になるかもしれません。真実はそう簡単に見えて来ないのですね。芥川龍之介「薮の中」を思いだします。

エンドロールの後、エピロ−グ的な映像が登場します。そして、最後に森が一つの質問を投げかけます。その時の佐村河内の表情。それをどう捉えるのか。

森達也の本は「A2」、「A3」、「A撮影日誌」、「ドキュメンタリーは嘘をつく」、「東京番外地」と揃えていますので、映画のお帰りにでもお立ちより下さい。

 

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アドルフ・アイヒマンをご存知だろうか?

1932年ナチス親衛隊入隊。35年ユダヤ人担当課に配属。ホロコーストにおけるユダヤ人列車移送の最高責任者を務めた。終戦後アルゼンチンに逃亡するも、60年逮捕されて、翌年エルサレムで裁判にかけられ有罪。62年、絞首刑に処された第一級の戦犯です。

その裁判がTVで、全世界に放映されて、ホロコーストの実体が知られるきっかけになりました。映画「アイヒマンショー」は、その番組を製作したイスラエルのTV局と、番組進行の陣頭指揮を取ったアメリカ人ディレクターの姿を描いたドラマです。(京都シネマにて上映中)

実際の裁判シーンの映像、被告席で表情ひとつ変えないアイヒマンの姿を巧みにインサートしながら、子煩悩の父親である男が、世にも恐ろしい残虐な行為を繰り返していったかを見つめていきます。

ディレクターを任されたレオ・フルヴィッツは、ドキュメンタリー監督として有名でしたが、当時ハリウッドに吹き荒れた赤狩り(マッカーシズム)に引っかかり、干されていました。彼は、裁判全体を俯瞰で捉えるという方法を取らず、徹底的にアイヒマンの顔のアップにこだわります。ホロコースト生き残りの証言や、悲惨な映像が次々と登場するにも関わらず、少しも表情を変えないアイヒマン。何故だ、焦燥するレオ。実物のアイヒマンと、ドラマとして演じるレオの姿がカットバックされて、サスペンスを作り上げてゆく手法はなかなかです。

観客は、こんな残虐で非人間的な行動を実行しながら、彼は何も感じないのかというレオの思いに同化していきます。一部、責任を認めたものの、最後まで無表情を押し通したアイヒマン。人間の持つ、深い闇が浮き彫りにされます。

因みに、この裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントは、亡命先のアメリカで雑誌に裁判傍聴記を掲載し、物議を醸しました。日本では「イエルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告」というタイトルで「みすず書房」から出版されています。また、近年「ハンナ・アーレント」というタイトルで映画化もされています

一方で、著書「ドキュメンタリーは嘘をつく」(草思社800円)で、ドキュメンタリー映像の危うさに言及した森達也は、この映画をこう捉えています。

平凡な男はなぜモンスターになったのか。世紀の裁判の舞台裏は圧倒的にスリリングだ。でも同時に、イスラエルはこの裁判を国策として利用したことも忘れてはいけない。」

映像には、常に二面性が存在します。正義の味方みたいな、したり顔のTVキャスターの言説なんぞは眉唾ものであることも忘れない事ですね。

 

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