武田百合子著「富士日記」(文庫で全3巻)を通して読んだことがありません。何度か入荷した際に、パラパラと読んだぐらいです。正直言って、どこが面白いのかよくわかりませんでした。

「十月二十八日(金)終日小雨、曇、夕方になって晴 朝 もやしの味噌汁、ほうとうの残りを油で揚げてみる。かりんとうのようになった。ひじき煮、ごはん。/昼 おじや(卵入り)、ソーセージ。/三時 トースト、トマトスープ/夜 かに卵入りチャーハン、わかめスープ」

そんな記述が延々と続くのです。

しかし、何度もパラパラとめくっているうちに、戦後の小市民の平和な暮らしを執拗に描いてきた小津安二郎映画を観ている気分になってきました。もともと発表する予定のなかった記録ですが、ここには静かに、平和な日々を送っている人たちの姿が溢れているのです。

「富士日記」を出版している版元の中央公論新社が編集した「富士日記を読む』(中央公論新社文庫/古書600円)を読みました。小川洋子、平松洋子、村松友視らの書き下ろしエッセイと、本の解説を担当した作家たちの言葉。そして、様々な媒体に発表された書評や、百合子自身による「その後の『富士日記』」という「あの頃 単行本未収録エッセイ集」に収録された日記、さらに夫であった武田泰淳による「富士山荘をめぐる二篇」まで入ったボリューム満点の文庫です。

小川洋子の「普通、装飾をはぎ取り、物事の本質を見通そうとする時、抽象的なものに集約されがちだ。例えば、友情や人生や無常といった、誤魔化しのきく便利な言葉に。けれど百合子さんはそんな言葉に頼ったりしない。友情よりも、紫色の牛肉の方がずっと魅力的だと、『富士日記』を読めば誰にでもすぐ分かる。」という文章は、ズバリ「富士日記」の魅力を伝えています。

また、平松洋子は「『富士日記』では、歳月とともに食べ物の表情が少しずつ変わってゆく。陰影が深まり、輪郭がくっきりと濃くなってゆく。」と書いています。

昭和39年から51年まで、2年間のブランクを挟みながら描いてきた「富士日記」には、身近な人、愛犬、そして夫の死という具合に、多くの死が記録されています。「無数の食べ物の背後で、うっすら、ちらちらと蠢いているのが別離の予兆や死の影だと気づくとき、あっけからんとした一行『朝ごはん、 大根味噌汁、たらこ、のり、卵』の持ち重りがずん、とくる」と指摘した平松の視線は間違っていないと思います。

写真家ホンマタカシは「だって人生って、死という誰にも平等に訪れる決定的な終わりがあるわけですけど、人はどんなに悲しんでも、結局すぐお腹が減ってゴハンも食べるわけだし、寝て起きて、死んだ人に関係なく仕事したり恋愛するわけですよね。僕はそっちのほうにリアリティを感じちゃうですよね。『富士日記』はまさしくそういうことが書いてあるんですよね。」とその魅力を語っています。

こんなにも多くの作家や、アーティストに愛されている日記。機会を見つけて通読してみたくなりました。