基本的に、闘病ものや、老いや死をテーマにした本は読まない。目を背けてはならないことなのですが、読まない。気が進まないまま読んでも、きっとなにも得ることなどないと思うから。

ではなぜ訪問看護師を中心にして、緩和ケアに従事する人々を追いかけた「エンド・オブ・ライフ」(古書/集英社1100円)を読んだのかというと、 一つは、著者がノンフィクション作家として信頼している佐々涼子だったからです。

彼女の「エンジェルフライト国際霊柩送還士」は、昨年紹介しました。国際霊柩送還士は、海外で死んだ日本人、あるいは日本で死んだ外国人を、遺族の元に送り届ける人のことです。その仕事を専門にしている唯一の会社「エアハース・インターナショナル」を取材して、まさに死と隣り合わせの職場を追いかけました。今回も「死」が大きなテーマになってくる作品。

もう一つは、上賀茂神社近くにある渡辺西賀茂診療所が本作の中心になっていたことです。地元の診療所がどんな訪問医療をしているのかに興味を持ちました。ここに勤務する訪問看護師森山文則(48歳)が、体の異変に気付き診察を受けた2018年8月から始まります

診療所を運営する渡辺康介院長は、「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなく、一緒に舞台に上がりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」と語ります。診療所の40名ほどのスタッフは、訪問看護を選択した患者の元を訪れ、なにをするのがベストかを試行錯誤しながら、患者の最後の日までお付き合いをしていきます。

森山もそんな一人でした。多くの患者を看取った森山が突然、癌に冒され、自らの死をどう受け入れていったのかを、著者は何度も京都を訪れて取材を重ねていきます。と同時に、診療所で受け入れている患者たちの終末の現場に立ち会います。穏やかな死を迎える人、自死した人、など様々な最期でした。

一方。著者は自分の母親を自宅で介護しています。そのほぼ全てを引き受けているのは父親です、それも完璧に。イライラしたり、暴力的になることもなく、まるで自分の仕事だと言わんばかりにマイペースで続けています。そんなことがなぜ出来るのだろうか?そのことが彼女を訪問介護の現場に向かわせたのかもしれません。母親が亡くなるまでのことも、冷静に描いていきます。

「まるでつっかけを履いて庭に出るようにして、母は境界を超えてあの世へ渡った。医師、看護師、理学療法士、マッサージ師などのチームで母の看護にあたっていたが、医療の手を借りずに、静かに今生を終えたのだ。想像していた『死』とはまったく違っていた。私たちは穏やかに母の死を受け入れている。生と死の境界線は曖昧で、母の気配はいつまでもなくならない。」

そして、森山とのお別れの日がやってきます。「死が遠ざけられて、子どもたちが死を学ぶ機会を逃している。亡くなる人が教えてくれる豊かなものがいっぱいあるのに、すごく残念なことだと思うのです」と森山が生前語っていました。そうなのだ、「死にゆく人は、ただ世話をされるだけ、助けてもらうだけの、無力な存在ではない。彼らが教えてくくれることはたくさんあるのだ。」これからも、著者は生と死を見つめる現場にきっと飛び込んで行くのだろうと思いました。そしてまたきっと私も読み続けます。

 

 

☆レティシア書房より

 誠に勝手ながら、9/11(日)〜15日(木)休業いたします

 

 

動物写真家の宮崎学を初めて知ったのは、野生動物の死体が、虫や小動物、そして多くの動物たちによって食べられて、骨だけになってゆく姿を撮影した写真でした。ご本人は「動物写真家」と呼ばれることを嫌い「自然界の報道写真家」と自称されているそうです。

動物を主体に撮影する他の写真家と大きく異なるのは、自分で開発した赤外線センサーとカメラを組み合わせた撮影機で動物を撮影するところです。

小原真史が宮崎との対談を元にして文章を構成した「森の探偵」(亜紀書房/古書1600円)は、いわば宮崎版森の自然界調査報告書です。方々に仕掛けられたカメラが捉えた写真を分析して、変容する自然の世界を私たちに教えてくれます。

「今は全国各地で20台くらい稼動しているから、それだけ優秀な助手がいるようなものかもしれないね。」

24時間、365日、カメラに反応するものがあればシャッターが切られるというスタイルは、当初は批判もされたと本書で語っています。

多くの作品が収録されていますが、驚くべきことは動物たちは、私たちが思っている以上に賢いという事実です。例えば、高速道路にかかっている高架橋の下に鹿が集まってくるところがあります。これ、道路上にまかれる凍結防止剤の主成分になっている塩化ナトリウムや塩化カルシウムという人口の塩を食べにきているのです。山中では貴重な塩分を、摂取できるのです。(その写真もあります)そして、人間が動物たちに与えることになってしまった塩が自然環境を変えていく可能性についても書かれています。

前述した、動物の死体が他の動物によって食べられてゆく写真も何点か掲載されています。見事としか言いようのない流れで、死体は骨だけになり、土へと帰っていきます。

「その季節に最も活動が盛んになる生物が登場しては、死体を餌として処理していきます。さっきも言ったように、肉食動物たちに持ち去られて骨髄までしゃぶり尽くされてほうぼうに分散された骨は、最終的に行動範囲の狭いノネズミや小動物たちのカルシウム源になり、徐々に土に還っていく。」

続けて宮崎は日本人の死生観をこう解釈します。

「死が次の生の出発点にもなっているから、自然の中の死というのは、物質的に終息することなく、別の生へと連綿と引き継がれていくことになる。そのことが小高い山や森に登って祖霊となり、やがて神となるという日本人の死生観にも反映されているのではないでしょうか。」

生きて、死に、そして土に還り、何もなくなる。その当たり前の事実を動物たちの生と死を通して理解する一冊です。

「肉親が火葬された際の灰を見たときに強烈な虚しさと哀しさに襲われたのですが、もしかしたらそれは、人間が一挙に物質的な終息を迎えてしまうことへの憤りだったのかもしれません。僕も死ぬときにはやはり自然に戻りたい。できればいきなり『さようなら』という火葬ではなくゆっくりと土に還る土葬とか山の中での野垂れ死にがいいなぁ。」

宮崎が半世紀をかけて撮り続けてきた作品を見ながら、彼の言葉に耳を傾けているとむべなるかなと思ってしまいます。

余談ですが、日本で「エコロジー」という言葉を最初に使ったのが誰だったかご存知でしたか?南方熊楠だったことを本書で初めて知りました。

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