私は、熱心な江國の読者というわけではありません。読んだものといえば、「日のあたる白い壁」(白泉社/古書800円)、「絵本を抱えて部屋のすみへ」(白泉社/古書800円)だけです。しかも、前者は美術案内、後者は絵本紹介で、文学者の本筋に当たる作品ではありませんでした。彼女の散文を集めた「物語のなかとそと」(朝日新聞社/古書950円)が、江國文学の最初の体験です。

とても面白かった。単純な表現ですが、そう思いました。彼女が使っている消しゴムが、ある日、生き物のようにゾロゾロと動き出して、家を出てゆく様子を描いた「書くこと」。

「消しゴムたちは、玄関のドアの前にかたまって立っていました。試合前の運動選手みたいに、その場飛び跳ねたり屈伸したりしているものもあります。

私はふいに、喪失感に襲われました。行ってしまうのだ。私がこのドアをあけたら、彼らは行ってしまう。そして二度と戻ってはこない。」

ファンタジーのような小品ながら、切ない感情が湧き上がってきました。自分の愛用していたものが消えてゆく、そんな誰もが持ったことのある寂しい気分を捉えています。

本書では、彼女が日頃思っていたことやかつて感じたこと、大好きな読書について語ったことなど、多くのその時々の思いが描かれています。そして、一人の文学者について心に沁みこむ文章を載せています。

それは瀬戸内寂聴。20歳で初めて出会った時に、こう言われます。「物を書くにはストリップする度胸が必要なのよ」。その言葉にぞくりとしながらも深く考えずに時は流れます。94歳になった瀬戸内が「小説だけは家を飛び出して以来一日も忘れず、ひたすら片思いの切なさを背負いつづけて、それでもその背にしがみついて生きてきた。」という文章を目にして、「打ちのめされた。なんて遠い道のりだろう」と、自分の仕事の果てしなさを告白しています。

江國のエッセイを読んでいると、街の情景描写がリアルで美しいと感じます。少し長いですが、「近所の花ー夏」を紹介します。

「まだあかるい、まだあかるいと思っているうちに、すこしずつ空気がひんやりと薄青くなり、その青さは肌まで染めてしまいそうで、にわかに心細くなる。夕食の仕度をする匂いや、お風呂をわかすあたたかげな湯気の匂いが、どこからか風にのって漂ってくる。そして、そのくらいの時間から、植物が静かに生気を放ち始める。子供の目の高さに咲く、濃いピンクのおしろい花の茂みや、垣根ごしに見えるほど背の高いタチアオイ、夕闇にぽっかり出現し、この世のものではないかのような、つめたい黄色の花びらをふるわせる月見草。どれもあちこちに咲く、ありふれた、近所の花だった。」

彼女のファンになりそうです。

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2003年、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保持、テロ組織を支援しているという理由で、軍事介入に踏み切りました。当時、大手マスメディアも、政府発表を鵜呑みにして軍事介入を後押ししました。

2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカはイスラム憎しの感情に凝り固まっていました。時の大統領ブッシュや側近たちは、イラク悪人論の前提で情報を操作し、国民世論を誘導しようとしていました。 NYタイムスやWポストも、まんまとその罠にはまってしまったのです。

しかし、政府の主張する大量破壊兵器保持の情報は嘘だと見抜き、この軍事介入の不当さを訴えた新聞社が一社だけありました。ナイト・リッダーというアメリカ各地の地方誌を傘下に持つ小さな新聞社です。この新聞社の記者が、米政府の嘘と情報操作を迫ってゆく姿を描いたのが「記者たち衝撃と畏怖の真実」(京都シネマにて上映中)です。

監督はロブ・ライナー。「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」等、多くの佳作を発表してきました。そのせいか、わかりやすい社会派エンタメ映画に仕上がっています。

手堅くまとめた娯楽映画とはいえ、説得力があるのは、エンディングに登場する数字です。この戦争での犠牲者の数、使った費用など、莫大な数字が出た最後に「発見された大量破壊兵器0」という数字に、国民を欺き、国費を無駄使いし、多くの若者を死に追いやった政府への監督の苛立ちがはっきりと表れていました。

ナイト・リッダー社は、大手メディアが政府広報の垂れ流し機関に成り下がっても、自分たちだけは「イラクに派遣される兵士の母親の味方でいたい」という立場を貫き通しました。

トランプ大統領が、自分を批判するニュースや新聞社をフェイクだと言い立てる現状では、こんな愚かな戦争を再び起こしかねないかもしれません。そういう意味では、優れた「反トランプ映画」なのです。そして、胡散臭い奴らが跋扈して、妙な世論を作ろうとしている我が国の危険をも示唆しています。

作家の江國香織は、こんなコメントを書いていました。

「疑う知性が必要なのは、記者たちに限ったことではない、という警鐘のような映画。ロブ・ライナーはほんとうに誠実な才人だと思う。」

 

人気作家の江國香織が、古書店のブログで紹介されることは皆無ですが、本の紹介エッセイが好きです。彼女に興味を持ったのは、「絵本を抱えて部屋のすみへ」(白泉社/ハードカバー/絶版450円)でした。ガブリエル・バンサン、M・センダック等の海外の絵本作家を紹介しているのですが、その中で田中弘子(文)、田中靖夫(絵)の「ファミリー・レポート」が取り上げられています。これ、かつてよく出入りしていたジャズ喫茶の窓辺に立てかけてあった絵本です。犬小屋を持たない犬とニューヨーカーたちの十数編の物語です。NYという都会のイキな空間を捉えた絵本でした。

もう一点、最近入荷したのが「活発な暗闇」(いそっぷ社1050円)です。これは、彼女が選んだ詩を集めてあるのですが、カーヴァー、ブローディガン、サバ、ロルカ等の海外の詩人がかなり収録されています。

「ホテルの窓から外を見ると ニューヨークは雪だ、夥しい数の巨大な雪片、まるで 無数の透明な洗濯機がこの都会の 汚れた大気を撹拌して、洗濯しているようだ。」

ブローディガンの詩ですが、マイルス・ディビスのクールなジャズサウンドが、聴こえてきそうなぐらいかっこいいなぁ〜と、個人的には好きな詩です。

江國自身このアンソロジーを「かなり無秩序な、無論ひどく偏った、でもどう見ても力強いアンソロジーです。」と書いています。「力強いアンソロジー」という表現は、的を得た言い方です。林芙美子、室生犀星、金子光晴、中原中也の間に、「クマのプーさん」のA.Aミルン、幻想的歴史小説「シルトの岸辺」で日本でも人気の高いジュリアン・グラックが顔を出す、というアナーキーな編集は作品が持っている強靭な精神を伝えてきます。

さらに彼女はイギリスの詩人、アルフレッド・テニスンの「来るんじゃない 私が死んだならば」を自ら翻訳して収録しています。この詩は「来るんじゃない 私が死んだならば お前のおろかな涙など 私の墓にこぼしてくれるな」という直球ど真ん中の力強いものです。

中でも私が一番好きなのは、八木重吉の、たった二行の詩「雪」です。

「雪がふっている さびしいから 何か食べよう」

なんか、ほっとしません?

この新装改訂版の表紙絵は酒井駒子です。駒子ファンも見逃せません。