以前、池澤夏樹編集による日本文学全集が出版されました。その中で、池澤は古事記を現代語に翻訳し、話題になりました。私も面白く読みましたが、それから6年が経過し、古代を舞台にした小説を発表しました。

実在されたと言われるワカタケル、後の雄略天皇に焦点を当てた長編「ワカタケル」(日本経済出版社/古書1600円)です。

イチノヘノオシハ(市辺押歯)やら、ナダタノオホイラツメ(長田大郎女)やら、古代人独特の名前の人物が数多く登場しますが、覚えられなくても先へ進みましょう。(私はそうしました。)細かいところにこだわっていると、このダイナミックな歴史物語の面白さを堪能できなくなります。

国家の基本を作り上げたワカタケル。凄まじい暴力的世界と血塗られた権力闘争を平定し、国が整うまでを描いた叙事詩的物語なのですが、こんな描写も出てきます。

「何ごとも男が率先するのはよろしい。卑俗な世事などは男に任せてかまいませぬ。だが、本当に国生みをなしたのはイザナミであったことをお忘れなく。ものごとを底のところから作ってゆくのは、女であります。先の世を見通して道を示すのは、女であります。

戦の場ではせいぜい戦いなされ。刀を抜き、弓を引き、戈を振り立て、火を放つのは男。しかし、亡くなった者たちの後を満たす者を生むのは女。民草は一人残らず女の胎より生まれます。」

こう言い放ったのは、ワカタケルの乳母のヨサミです。そして物語後半、近隣の国への無謀な出兵を押しとどめようとしたのはワカタケルの大后のワカクサカでした。その後、女帝が国を治め、平和な国家建設へと向かいます。

さらに女王イヒトヨに至っては、「女と生まれた以上は男を床に迎えるのが当たり前と言う。さして興味なかったけれど、知らぬまま済ませるのも口惜しい気がして、試したの」とおっしゃる。さらにどう感じたかと言う問いに対しては、

「なにも。こんなものかと思い、一度で充分と思いました。それからは男を近づけなかった。だから子もいない。」

因みに彼女の治世は穏やかな日々だったそうです。

思慮深い女性たちが印象に残る物語でもありました。超おすすめです。

 

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先日、堀田善衛の本を購入されたお客様と、少し話をしていた時に新書で「堀田善衛を読む」が出てますよ、と教えてもらいました。今頃何故堀田の本が、しかも幅広い客層を相手にした新書で、出るんだろうと不思議に思い、取り寄せました。(集英社新書/古書500円)

サブタイトルに「世界を知り抜くための羅針盤」とあります。5人の作家・映画監督と、堀田との関わりを語ったインタビューで構成されています。その5人とは、池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大高保二郎、そして宮崎駿です。

堀田は、1918年、富山県高岡市生まれの小説家・評論家です。52年発表の「広場の孤独」で芥川賞を受賞しました。55年、日中戦争時代に起こった南京事件を中国人の視線で描いた「時間」を発表。翌年、アジア作家会議出席のためインドを訪問し、「インドで考えたこと」にまとめます。これ以後、諸外国をしばしば訪問して日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍しました。

池澤夏樹は、彼の積極的国際性に注目しています。堀田の家は、羽振りの良い廻船問屋でした。外国人との交流も頻繁で、国際的感覚を若い時から育てていました。池澤はこう指摘します。

「語学は才能もあるけれども、そこに向かっていこうとする開かれた積極性、国際性、それを最初から装備して出てきた。その結果が後にアジア・アフリカ作家会議での活躍や、『インドで考えたこと』になり、それからベ平連で脱走兵をかくまうというところにいく。こういう開き方を持って世を渡った作家が他にいたかというと、ちょっと思い当たらない。」

面白かったのは宮崎駿と堀田との関係です。宮崎は最も尊敬する作家として堀田の名前を挙げており、彼の文学世界に非常な影響を受けていると言っています。宮崎はある時、堀田から彼の『方丈記私記』の映画化を打診されます。

「『方丈記私記』が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。それには、実は知らなければいけないことや、ひょっとしたらこれは映画になるかとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません」

ここに登場する「方丈記私記」(筑摩書房/古書1250円)は、堀田の代表作の一つで、「要するに方丈記一巻が自分の経験となり、かつ自分の魂に刻みつけて行ったものを記そうとしているにすぎない。」と語っている通り、堀田自身の戦争体験を踏まえつつ、方丈記を読み、鴨長明の心の内側へと入ってゆく文学です。

なぜ、何度もこの古典を読み返すのかと自問した時の彼の答えはこうです。

「それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭遇してわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に貸してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがる、と感じたからであった。」

戦争体験と、海外で見聞きした多くの体験が元になって、強固な思想を文学に落とし込んで行った堀田の文学は、池澤が言うように「社会と歴史と自分の想像力から生まれてくる文学というのは役に立つ、それからやっぱり面白い」のです。

この新書をお読みになって、興味を持たれたら、堀田の著書をぜひ。

★フリー雑誌「 S&N」最新号入荷しています。数に限りがありますので、お早めにどうぞ

 

 

 

 

池澤夏樹が、沖縄のボーダーインク社から出版した「沖縄への短い帰還」(古書/1600円)は、沖縄について書いたエッセイ、書評、インタビュー、講演などをまとめた一冊です。著者は、1994年から10年間沖縄に住んでいました。都会である那覇から、田舎の知念へ引越もしています。

戦争末期、軍部は時間稼ぎに沖縄を戦場にし、20万以上の民間人が犠牲になりました。戦後はアメリカによって好き放題使われていることは、皆さんご存知のことです。日本は沖縄をいいように扱ってきました。著者は、そんな現状への鋭い意見を発表しています。しかし、この本はそういう面だけでなく、様々な顔を持つ沖縄を紹介しています。

彼が移住を決心したのは、「東京という大都会が提供してくれるさまざまな魅力が色あせて見えるようになったからだった。もうあの喧噪はいらない。」でした。「感動的においしいものはなくても、まずくないものが手に入ればいい。沖縄ならばそういう食生活になりそう。」

ここから、地元の食材の話が展開されていきます。そして、当然、泡盛の話題になっていきます。「酔うために飲んで、気持ちよく喉を通り、素直な酩酊に入れる。翌日はすっきり目が覚める、という意味では、泡盛はよい酒である。」

沖縄ぐらしのエッセイの後に、沖縄についての本の書評が集めてあります。本土の出版社から出たものもありますが、沖縄の出版社の本が多いです。その中で、宮城文著「八重山生活誌」(沖縄タイムス社)に驚きました。

「一人の女性が自分が経てきた時代の生活文化すべて書き記そうと決意した。九年あまりかけて知るところを書き、不明な点は調査を重ね、ついにA5判で六百ページの大著を完成した。検索項目だけで二千を越える綿密な生活誌である」この本が完成した時、著者はなんと数え年で81歳でした。

続く第三章は、著者が受けた沖縄に関するインタビューがまとめてあります。1995年、地元雑誌の載ったインタビュー記事を少し長いですが紹介しておきます。

「地方にもっと強い力をというのは、言ってみれば『強い国」』か『幸せな国』かの選択なんだな。『強い国』が欲しいのであれば、みんな中央のことをきくというのがいい。日本の会社が軍隊をまねて人を使うのと一緒でしょ。一糸乱れず行進する兵隊が強いんですよ。だけど『幸せな国』ってのはそうじゃない。みんなしたいことして、ばらばらで、しかもなんとなくまとまっているというふうが幸せなんですよ。やっぱり日本というのは、明治以来の西洋コンプレックスがあってどうしても『弱い国』にはなりたくないんだ。力の神話にすがっている。ぼくなんか『弱いけれど幸せな国』の方がいいんだけれど………。琉球はかつて『弱いけれど幸せな国』を実現していたから、そこへ返りたいという思いも強い。」

あるべき国の姿をこの地に求めた愛情と、ここを見捨てた日本という国への辛辣な意見が交差する一冊です。 

先日、国の押しつけ政策に必死で抗ってこられた、沖縄の翁長知事が亡くなりました。残念です。

さて、沖縄のことを語る本というのは星の数ほど出版されていますが、この地に暮す人々の、様々な表情を白黒写真で捉えた「やさしいオキナワ」(700円/出品 ヒトノホン)は、傑作の一つに入ると思います。撮ったのは垂水建吾。写真に寄り添うような文章を書いたのは、池澤夏樹です。池澤は、「なぜ、沖縄の人々の顔に惹かれるのか。彼らが正しい暮らしをしているからだと思う。」と書きます。正しい暮らし…..この時代に、なんて新鮮な響きでしょうか。どんな運命も受け入れ、或は断固拒否し、差別をせずに、おたがいに手を貸しあう社会を作ってゆく。池澤の言うように「そういう自信があるからこそ、この本に見るとおり、沖縄人の顔はなんともやさしいのだ。」

もう一冊、池澤夏樹の本でお薦めが「世界文学を読みほどく」(500円/本は人生のおやつです)です。サブタイトルに「スタンダールからピンチョンまで」とあり、いわば世界文学の歴史なんですが、読みやすい!それもそのはず、これは2003年9月に行われた京都大学文学部夏期特殊講義の講義録なのです。七日間、午前と午後に分けて、計14回の講義がされました。講義で語られたのは、19世紀と20世紀の欧米の長編小説十編です。アカデミックな文学専門家が書き下ろしたら、少なくとも私はきっと寝てしまうところですが、池澤の話し方が巧みなので、フムフムと作品世界に入っていけます。個人的な事ですが、大学の基礎ゼミでメルヴィルの「白鯨」をやったときは、少しも前に進みませんでした。しかし池澤は、ポストモダンの小説として、明確に説いていきます。初めて、この本を読んだ時、こんなゼミに出ていれば、基礎ゼミも優だったかも、などと思ったものです。

さて、もう一冊は赤坂憲雄著「岡本太郎の見た日本」(1100円/出品 半月舎)です。民俗学者の著者が、岡本太郎の民俗学的仕事として有名な縄文土器へのアプローチ、そして東北、沖縄へと一気に広がった岡本独自の日本文化再発見のプロセスを論じた一冊です。

「戦後のある日、私は、心身がひっくりかえるような発見をしたのだ。偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけ展示してある一隅に何ともいえない、不思議なモノがあった。ものずごい、こちらに迫ってくる強烈な表情だ。」と縄文土器との出会いを自伝に書いているとおり、岡本はこの土器との出会いから、猛烈な勢いで日本文化とは何かというテーマにのめり込んでいきますが、その様子が書かれています。岡本は、フランス在留時にパリ大学で民俗学を学んでいたのですから、半端ではありません。「太郎はつねにあたらしい」は、この本の最後を飾る言葉ですが、その通りの人物だったことが理解できます。

★古書市は19日(日)まで。月曜定休。なお最終日は18時で閉店します。

★夏休みのお知らせ  8月20日(月)〜24日(金)休業いたします。

池澤夏樹編集の日本文学全集の「近現代作家集2」(河出書房1800円)が入荷しました。戦争、そして敗戦の混乱期から出てきた文人達のモダンな作品が網羅されています。

斎藤美奈子が、付録の小冊子で「『近現代作家特集2』は『作品本位主義』ともいうべきこの全集の思想をとりわけ強く反映した一冊」と書いていますが、文学史的流れでまとめらていません。

山本五十六海軍大臣と芸者の、温泉での逢瀬を描いた里見弴の「いろおとこ」は、花柳小説の小品です。へぇ〜こんな小説があったんだと驚きです。小説の中で、五十六であるとは明言されていませんが、誰でも気づく展開です。

きっと、戦時中は発表できなかった武田泰淳の「汝の母を」、色川武大「空襲のあと」など、戦争を様々な角度から捉えた作品がならびますが、井上ひさしの「父と暮らせば」が一番面白かった。宮沢りえ主演の映画は観ていましたが、原作の舞台劇は初めて読みました。原爆投下後の広島で生きる娘と、亡くなった父親の亡霊の、たった二人の会話劇で、緊張感が溢れながらも、ユーモアのある会話を通じて、原爆のいい知れぬ恐ろしさを浮かび上がらせます。

戦争を描いた作品の後に続く、現代的な感覚溢れる文学作品にも面白いものが一杯です。取り外し自由な女の片腕を借りてきた男が、その腕を愛撫する姿を描く、フェチ小説の巨匠川端康成の「片腕」、たった一夜の駅の待合室を舞台に、スリリングに展開する安部公房の「誘惑者」など、どちらも才気溢れる映画監督が映像化したら、極めてユニークな作品になること間違い無しの傑作。おそろしく新しい感覚の作品です。

収録されている作家は、ほぼ名前を知っていましたが、一人だけ初めて見る作家がいました。上野英信です。池澤によれば、「上野は筑豊に暮らしたルポルタージュ文学の作家である。ノンフィクションはジャーナリズムの延長上にあるが、ルポルタージュ文学はもう一歩だけ文学に近づく」と言及しています。

収録されているのは「八木山超えの話」。作家自身が働いた筑豊の過去への思いを書いた作品です。親の許しを得られない男女が、八木山の峠道を超えて、愛を全うする昔の風習を描いています。文学なのか、ノンフィクションなのか明確な線引きが出来ないのですが、様々な理由で八木山を超えてゆく男女の物語を垣間みることができます。

「よそのこつは知らん。ばってん、とにかく、あたや、みたこつもなか、きいたこもなか。反対はあるくさ。いまんごつ。やおうはなか。ばってん、どげな反対のあろうと、屁のカッパみたい。ぼーんと八木山超えばやる。それでいっぺんに勝負はきまる。文句はなか」

登場するばっちゃんのタンカが、気持ちいいですね。

 

スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫の「ジブリの文学」(岩波書店1400円)は、著者の文学体験や、映画製作者としての人生が満喫できる一冊ですが、その中に、作家と縦横無尽にトークする企画があります。登場するのは、朝井リョウ、中村文則、又吉直樹等の話題の作家ばかりです。その一人として、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットというアニメ作家と池澤夏樹が著者と語り合う企画がありました。マイケルは、スタジオジブリ制作の長編アニメ「レッド・タートル」を監督した人物です。

著者はマイケルの絵を気に入り、絵本にならないかと思案し、ファンだった池澤に構成と文章を頼みました。その絵本が出来上がるまでを三人が楽しそうに語りあいます。映画は全く台詞のない作品で、そのままでは絵本にならないので、池澤が、登場人物達が過ごす「島」がこの男と女について語るという構成を思いつきます。マイケル監督は、映画では「沈黙の美しさ、そういったものを表現したかったんです」と発言しています。池澤は、監督のその思いを見事に絵本にしました。

「レッドタートル」(岩波書店1400円)は、切なく、美しい物語です。無人島に辿り着いた男が、島に育てられ、海の彼方からやって来た女性(ウミガメの化身)と共に暮らし、子供が生まれます。その子供は大きくなった時、文明世界を見たいと島を離れます。やがて、年老いた男は島で亡くなり、女はウミガメに戻って海にかえります。ラストの島の台詞です。

「女は伴侶を看取った後、ウミガメの姿に戻って、海に帰っていった。

残された私はまた無人島、ただため息をつくしかなかった。」

著者が惚れ込んだ絵は、宮崎駿曰く、日本のアニメの影響を全く受けていないオリジナルなもので、極めて美しいものです。海の深いブルーが目に焼き付きます。女がウミガメに戻って大海原に戻ってゆくラストショットに込められた、生きることへの切なさをたった一枚の絵と、短い文章で表現しています。優れた表現者同士のコラボレーションを見せてもらいました。

マイケルは絵本としては、傑作「岸辺のふたり」を出しています。あぁ〜、あの本かと思われた方もおられるかもしれません。

残念なことに、私はこの映画を見ていません。しかし、既にDVD化されている!これは即買い!とワンクリック。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

池澤夏樹編集の「日本文学全集」の「近現代作家集1」(河出書房新社1800円)はユニークな編集方針で作られています。

池澤は「はじめに」でこう述べています。

「工夫したのは並べる順番で、これは作者の生年の順とか、作品の発表の順ではなく、その作品が扱っている時代の順にしてみた。作者にとっての現代ないしは同時代を書いたものは発表年を基準にする。」

この「近現代作家集」は第三集まで刊行される予定で、順を追って読むことで、明治時代から3・11までの日本人の歴史を追いかけることになります。

収録されている作家は、久生十蘭、神西清、芥川龍之介、泉鏡花、永井荷風、宮本百合子、金子光晴、佐藤春夫、横光利一、高村薫、堀田善衛、岡本かの子です。その中で、神西清、宮本百合子、横光利一は読んだことがなかったので興味深く読みました。

芥川の「お冨の貞操」は、芥川の短編の巧みさを再認識させてくれるし、横光利一の「機械」は、極めて奇怪な小説で、町工場に働く三人の心理が、ねじれにねじれてゆく様に読者が巻き込まれていきます。読みにくいと言えなくもないのですが、一端巻き込まれると、眩暈に似た感じで酔わせてくれます。

宮本百合子「風に乗って来るコロボックル」は、彼女が19歳の時の作品で、死後に発見されました。北海道のアイヌの人を主人公にした物語は、ファンタジーの様な不思議さに満ちています。コロボックルは、アイヌの伝承に登場する小人のことで、その躍動感は、19歳の若さが書かせたものかもしれません。

「田園の憂鬱」で有名な佐藤春夫の「女誠扇綺譚」は、ゴシックロマン風小説で、かなり面白い作品です。舞台は台湾。廃墟と化した大きな屋敷で、そこから聞こえる女の声を巡る話です。むっ〜とする熱帯の空気と、廃墟の死の匂いがブレンドされているのですが、単なるオカルト小説ではなく、文学として成り立っています。

今回収録された作家で、唯一現役なのが、高村薫。彼女の長編「晴子情歌」の一部が抜粋されています。昭和初期の北海道の鰊の漁場が舞台です。事細かにこの現場が描かれているのですが、池澤は「現代文学には珍しく人間が働く現場を精密に書いた小説だということだ。行間から臭いと匂いが沸き立つあたり、小林多喜二の『蟹工船』などを継承するプロレタリア文学の到達点と言うことができる。」と評価しています。ネオリアリズム映画を観ているような濃い描写です。

どの作品も読み応え十分で、こういうアンソロジーから、自分好みの作家が見つかるかもしれません。

文学の世界の、限り無い奥深さを教えてくれたのは、辻邦生でした。そして、小説の可能性を池澤夏樹から学びました。特に、80年代後半から、90年代初頭にかけての池澤の小説群には目を見張りました。88年「スティルライフ」で芥川賞受賞後、89年「真夏のプリニウス」、90年「バビロンに行きて歌え」、91年「マリコ・マリキータ」、同年「タマリンドの木」、そして92年「南に島のティオ」と傑作を連発します。

どの作品がベストかと問われれば、どれも。すべて読んでくださいとしかお答えできません。ただ、その日の気分で、今日ならあれ、昨日ならこれと推薦する本はあります。

今なら、「バビロンに行きて歌え」(新潮社/絶版600円)ですね。アラブの小国のテロリストの青年が、グループ内の政治闘争のあげくに放り出されて、東京に密航してくるところから小説は始まります。誰にも見つからないように床下で眠っていた時に、近づいてきた老犬を道づれに一人、大都会東京に彷徨う生活がスタートします。この青年が関わり合う人達との交流を、短篇小説のような独立したスタイルで描いていきます。第一章「老犬」から、第三章「ブルーブレート」辺りまでは、ハードボイルドな乾いたタッチでスピーディーに展開してゆき、第四章「恋の日々」辺りから、彼と彼を取り巻く青年達のドラマへと向かっていきます。

音楽をやっている青年達の中に入ったことで、彼は変化していきます。言葉と歌の力で、自分がこの東京という都会に生きていることを実感します。

「彼はのびやかに歌った。自分に最もふさわしい武器がM−21スナイパーライフルではなく歌であることを知った。これならば、雪の中、砂漠、遠い国、営倉、ジャングル、どこへ行っても大丈夫だと思った。その翌日から、彼はもう戦闘の夢を見なくなった。」

マシンガンを撃つことしか知らなかった青年が、歌うことで暗澹たる過去から解き放たれるまでを、的確に描いた名作です。

池澤はその後も、小説、評論、エッセイと、数多くの作品を発表し続けています。近年の代表作と言えば、震災以降の東北を描いた「春を恨んだりしない」(中央公論新社850円)でしょう。この本、東北の震災の現場を粒さに見て、現場の声に耳を傾け、そして、「ぐずぐずと行きつ戻りつを繰り返しながら」、この国には「変化が起こるだろう」と予測し、

「自分が求めているものはモノではない。新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしも安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。」と言います。

確かに、そんな生き方を模索している人が増えているのは、来店されるお客様と話していても感じるところです。

秋、よく焼けた秋刀魚に大根おろしを付け合わせ、一杯なんてささやかな幸せですね。

が、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」(1923年)に出てくる秋刀魚の食卓は、寂しさ、わびしさの極みみたいです。

「あはれ 秋刀魚よ 情あれば伝へてよ ー男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける と。」

なにやら、のっけから暗〜い始まりです。

「さんま さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて さんまを食ふは男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば 愛うすき父を持ちたし女の児は 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。」

いや、もう堪忍して下さいという展開ですが、その情景が見事に脳裏に浮かんできます。詩人は、秋の日常の食卓を素材にして、人生の暗澹たる部分を刳り出してきます。詩に宿る力を見せてくれる一編です。

もうひとつ、詩の力を見せてくれたのが、石垣りんの「くらし」です。

「食わずには生きてゆけない メシを 野菜を 肉を 空気を 光を 水を 親を きょうだいを 師を 金もこころも 食わずに生きてこれなかった。 ふくれた腹をかかえ 口をぬぐえば 台所に散らばっている にんじんのしっぽ 鳥の骨 父のはらわた 四十の日暮れ 私の目にはじめてあふれる獣の涙」

とてつもなく悲しい経験をした時、恐らく、この詩はその人を支えてくれるかもしれません。

これらの詩は池澤夏樹編集日本文学全集の「近現代詩歌」(1800円)で読む事ができます。あまたある近現代の詩歌から池澤が詩を、種村弘が短歌を、小澤實が俳句を選んだ一冊で、お気に入りが見つかればその詩人の本を買うのにぴったりのアンソロジーです。

 ★ご案内                                                 明日、28日(金)店内のイベントのため6時30分に閉店させていただきます。よろしくお願いします。 

入荷する度に、ご紹介している池澤夏樹編集の日本文学全集ですが、今回は「松尾芭蕉/与謝野蕪村/小林一茶/とくとく歌仙」(河出書房新社1800円)の俳諧。

有名な「閑かさ岩にしみ入蝉の声」を初めて読んだ時、なんだこれ?と全く興味を持てませんでした。が、ボリュームあるこの一一冊に収められた三人の俳句を読んでいると、さっぱり理解できないものもあるのですが、爆発的にイメージが広がるものがあり、目前に白い雲がわぁーとみえたり、田園の向こうを雨が降り出してくるのを眺めていたり、と、面白い経験をさせてもらいました。

とりわけ、小林一茶に引込まれました。一茶の句を選んだ長谷川櫂は、芭蕉や蕪村が古典文学に精通していたのに、一茶には全くその素養がなかったことを踏まえて、こう言い切っています

「一茶は文学における野蛮人だった。では、一茶の俳句を培ったのは何か。それは江戸時代後半の社会を悪戦苦闘しながら生きた一人の人間の生活感覚である。これこそ、一茶が芭蕉や蕪村とちがうところであり、一茶の俳句を読む場合、忘れてはならない視点だろう」

「小便の身ぶるひ笑へきりぎりす」「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」

こんなユーモラスは句を作っていた一茶の後半の人生は、悲惨としか言いようのない日々でした。父親の遺産相続で揉めに揉め、数度の結婚で、五人の子供を授かったのに、片っ端から死別。晩年62歳の時、再婚したものの、即離縁、元々煩っていた中風が再発、言語障害になってしまう。

「淋しさに飯くふ也秋の風」

一茶63歳の句ですが、人生の寂寞さが色濃く出ています。

できれば、若い時に詠んだ

「ゆうぜんとして山を見る蛙哉」

みたいな悠然と構えた蛙になった気分で、山を見上げていたいものです。この時代の新たなポップな感性を持っていた俳人ですね。

65歳で死去した一茶は、残った妻に娘が生まれます。選者は「人生は悲惨だが、滑稽である」と結んでいます。

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております。(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)


 

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