池澤夏樹が、沖縄のボーダーインク社から出版した「沖縄への短い帰還」(古書/1600円)は、沖縄について書いたエッセイ、書評、インタビュー、講演などをまとめた一冊です。著者は、1994年から10年間沖縄に住んでいました。都会である那覇から、田舎の知念へ引越もしています。

戦争末期、軍部は時間稼ぎに沖縄を戦場にし、20万以上の民間人が犠牲になりました。戦後はアメリカによって好き放題使われていることは、皆さんご存知のことです。日本は沖縄をいいように扱ってきました。著者は、そんな現状への鋭い意見を発表しています。しかし、この本はそういう面だけでなく、様々な顔を持つ沖縄を紹介しています。

彼が移住を決心したのは、「東京という大都会が提供してくれるさまざまな魅力が色あせて見えるようになったからだった。もうあの喧噪はいらない。」でした。「感動的においしいものはなくても、まずくないものが手に入ればいい。沖縄ならばそういう食生活になりそう。」

ここから、地元の食材の話が展開されていきます。そして、当然、泡盛の話題になっていきます。「酔うために飲んで、気持ちよく喉を通り、素直な酩酊に入れる。翌日はすっきり目が覚める、という意味では、泡盛はよい酒である。」

沖縄ぐらしのエッセイの後に、沖縄についての本の書評が集めてあります。本土の出版社から出たものもありますが、沖縄の出版社の本が多いです。その中で、宮城文著「八重山生活誌」(沖縄タイムス社)に驚きました。

「一人の女性が自分が経てきた時代の生活文化すべて書き記そうと決意した。九年あまりかけて知るところを書き、不明な点は調査を重ね、ついにA5判で六百ページの大著を完成した。検索項目だけで二千を越える綿密な生活誌である」この本が完成した時、著者はなんと数え年で81歳でした。

続く第三章は、著者が受けた沖縄に関するインタビューがまとめてあります。1995年、地元雑誌の載ったインタビュー記事を少し長いですが紹介しておきます。

「地方にもっと強い力をというのは、言ってみれば『強い国」』か『幸せな国』かの選択なんだな。『強い国』が欲しいのであれば、みんな中央のことをきくというのがいい。日本の会社が軍隊をまねて人を使うのと一緒でしょ。一糸乱れず行進する兵隊が強いんですよ。だけど『幸せな国』ってのはそうじゃない。みんなしたいことして、ばらばらで、しかもなんとなくまとまっているというふうが幸せなんですよ。やっぱり日本というのは、明治以来の西洋コンプレックスがあってどうしても『弱い国』にはなりたくないんだ。力の神話にすがっている。ぼくなんか『弱いけれど幸せな国』の方がいいんだけれど………。琉球はかつて『弱いけれど幸せな国』を実現していたから、そこへ返りたいという思いも強い。」

あるべき国の姿をこの地に求めた愛情と、ここを見捨てた日本という国への辛辣な意見が交差する一冊です。 

先日、国の押しつけ政策に必死で抗ってこられた、沖縄の翁長知事が亡くなりました。残念です。

さて、沖縄のことを語る本というのは星の数ほど出版されていますが、この地に暮す人々の、様々な表情を白黒写真で捉えた「やさしいオキナワ」(700円/出品 ヒトノホン)は、傑作の一つに入ると思います。撮ったのは垂水建吾。写真に寄り添うような文章を書いたのは、池澤夏樹です。池澤は、「なぜ、沖縄の人々の顔に惹かれるのか。彼らが正しい暮らしをしているからだと思う。」と書きます。正しい暮らし…..この時代に、なんて新鮮な響きでしょうか。どんな運命も受け入れ、或は断固拒否し、差別をせずに、おたがいに手を貸しあう社会を作ってゆく。池澤の言うように「そういう自信があるからこそ、この本に見るとおり、沖縄人の顔はなんともやさしいのだ。」

もう一冊、池澤夏樹の本でお薦めが「世界文学を読みほどく」(500円/本は人生のおやつです)です。サブタイトルに「スタンダールからピンチョンまで」とあり、いわば世界文学の歴史なんですが、読みやすい!それもそのはず、これは2003年9月に行われた京都大学文学部夏期特殊講義の講義録なのです。七日間、午前と午後に分けて、計14回の講義がされました。講義で語られたのは、19世紀と20世紀の欧米の長編小説十編です。アカデミックな文学専門家が書き下ろしたら、少なくとも私はきっと寝てしまうところですが、池澤の話し方が巧みなので、フムフムと作品世界に入っていけます。個人的な事ですが、大学の基礎ゼミでメルヴィルの「白鯨」をやったときは、少しも前に進みませんでした。しかし池澤は、ポストモダンの小説として、明確に説いていきます。初めて、この本を読んだ時、こんなゼミに出ていれば、基礎ゼミも優だったかも、などと思ったものです。

さて、もう一冊は赤坂憲雄著「岡本太郎の見た日本」(1100円/出品 半月舎)です。民俗学者の著者が、岡本太郎の民俗学的仕事として有名な縄文土器へのアプローチ、そして東北、沖縄へと一気に広がった岡本独自の日本文化再発見のプロセスを論じた一冊です。

「戦後のある日、私は、心身がひっくりかえるような発見をしたのだ。偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけ展示してある一隅に何ともいえない、不思議なモノがあった。ものずごい、こちらに迫ってくる強烈な表情だ。」と縄文土器との出会いを自伝に書いているとおり、岡本はこの土器との出会いから、猛烈な勢いで日本文化とは何かというテーマにのめり込んでいきますが、その様子が書かれています。岡本は、フランス在留時にパリ大学で民俗学を学んでいたのですから、半端ではありません。「太郎はつねにあたらしい」は、この本の最後を飾る言葉ですが、その通りの人物だったことが理解できます。

★古書市は19日(日)まで。月曜定休。なお最終日は18時で閉店します。

★夏休みのお知らせ  8月20日(月)〜24日(金)休業いたします。

池澤夏樹編集の日本文学全集の「近現代作家集2」(河出書房1800円)が入荷しました。戦争、そして敗戦の混乱期から出てきた文人達のモダンな作品が網羅されています。

斎藤美奈子が、付録の小冊子で「『近現代作家特集2』は『作品本位主義』ともいうべきこの全集の思想をとりわけ強く反映した一冊」と書いていますが、文学史的流れでまとめらていません。

山本五十六海軍大臣と芸者の、温泉での逢瀬を描いた里見弴の「いろおとこ」は、花柳小説の小品です。へぇ〜こんな小説があったんだと驚きです。小説の中で、五十六であるとは明言されていませんが、誰でも気づく展開です。

きっと、戦時中は発表できなかった武田泰淳の「汝の母を」、色川武大「空襲のあと」など、戦争を様々な角度から捉えた作品がならびますが、井上ひさしの「父と暮らせば」が一番面白かった。宮沢りえ主演の映画は観ていましたが、原作の舞台劇は初めて読みました。原爆投下後の広島で生きる娘と、亡くなった父親の亡霊の、たった二人の会話劇で、緊張感が溢れながらも、ユーモアのある会話を通じて、原爆のいい知れぬ恐ろしさを浮かび上がらせます。

戦争を描いた作品の後に続く、現代的な感覚溢れる文学作品にも面白いものが一杯です。取り外し自由な女の片腕を借りてきた男が、その腕を愛撫する姿を描く、フェチ小説の巨匠川端康成の「片腕」、たった一夜の駅の待合室を舞台に、スリリングに展開する安部公房の「誘惑者」など、どちらも才気溢れる映画監督が映像化したら、極めてユニークな作品になること間違い無しの傑作。おそろしく新しい感覚の作品です。

収録されている作家は、ほぼ名前を知っていましたが、一人だけ初めて見る作家がいました。上野英信です。池澤によれば、「上野は筑豊に暮らしたルポルタージュ文学の作家である。ノンフィクションはジャーナリズムの延長上にあるが、ルポルタージュ文学はもう一歩だけ文学に近づく」と言及しています。

収録されているのは「八木山超えの話」。作家自身が働いた筑豊の過去への思いを書いた作品です。親の許しを得られない男女が、八木山の峠道を超えて、愛を全うする昔の風習を描いています。文学なのか、ノンフィクションなのか明確な線引きが出来ないのですが、様々な理由で八木山を超えてゆく男女の物語を垣間みることができます。

「よそのこつは知らん。ばってん、とにかく、あたや、みたこつもなか、きいたこもなか。反対はあるくさ。いまんごつ。やおうはなか。ばってん、どげな反対のあろうと、屁のカッパみたい。ぼーんと八木山超えばやる。それでいっぺんに勝負はきまる。文句はなか」

登場するばっちゃんのタンカが、気持ちいいですね。

 

スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫の「ジブリの文学」(岩波書店1400円)は、著者の文学体験や、映画製作者としての人生が満喫できる一冊ですが、その中に、作家と縦横無尽にトークする企画があります。登場するのは、朝井リョウ、中村文則、又吉直樹等の話題の作家ばかりです。その一人として、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットというアニメ作家と池澤夏樹が著者と語り合う企画がありました。マイケルは、スタジオジブリ制作の長編アニメ「レッド・タートル」を監督した人物です。

著者はマイケルの絵を気に入り、絵本にならないかと思案し、ファンだった池澤に構成と文章を頼みました。その絵本が出来上がるまでを三人が楽しそうに語りあいます。映画は全く台詞のない作品で、そのままでは絵本にならないので、池澤が、登場人物達が過ごす「島」がこの男と女について語るという構成を思いつきます。マイケル監督は、映画では「沈黙の美しさ、そういったものを表現したかったんです」と発言しています。池澤は、監督のその思いを見事に絵本にしました。

「レッドタートル」(岩波書店1400円)は、切なく、美しい物語です。無人島に辿り着いた男が、島に育てられ、海の彼方からやって来た女性(ウミガメの化身)と共に暮らし、子供が生まれます。その子供は大きくなった時、文明世界を見たいと島を離れます。やがて、年老いた男は島で亡くなり、女はウミガメに戻って海にかえります。ラストの島の台詞です。

「女は伴侶を看取った後、ウミガメの姿に戻って、海に帰っていった。

残された私はまた無人島、ただため息をつくしかなかった。」

著者が惚れ込んだ絵は、宮崎駿曰く、日本のアニメの影響を全く受けていないオリジナルなもので、極めて美しいものです。海の深いブルーが目に焼き付きます。女がウミガメに戻って大海原に戻ってゆくラストショットに込められた、生きることへの切なさをたった一枚の絵と、短い文章で表現しています。優れた表現者同士のコラボレーションを見せてもらいました。

マイケルは絵本としては、傑作「岸辺のふたり」を出しています。あぁ〜、あの本かと思われた方もおられるかもしれません。

残念なことに、私はこの映画を見ていません。しかし、既にDVD化されている!これは即買い!とワンクリック。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

池澤夏樹編集の「日本文学全集」の「近現代作家集1」(河出書房新社1800円)はユニークな編集方針で作られています。

池澤は「はじめに」でこう述べています。

「工夫したのは並べる順番で、これは作者の生年の順とか、作品の発表の順ではなく、その作品が扱っている時代の順にしてみた。作者にとっての現代ないしは同時代を書いたものは発表年を基準にする。」

この「近現代作家集」は第三集まで刊行される予定で、順を追って読むことで、明治時代から3・11までの日本人の歴史を追いかけることになります。

収録されている作家は、久生十蘭、神西清、芥川龍之介、泉鏡花、永井荷風、宮本百合子、金子光晴、佐藤春夫、横光利一、高村薫、堀田善衛、岡本かの子です。その中で、神西清、宮本百合子、横光利一は読んだことがなかったので興味深く読みました。

芥川の「お冨の貞操」は、芥川の短編の巧みさを再認識させてくれるし、横光利一の「機械」は、極めて奇怪な小説で、町工場に働く三人の心理が、ねじれにねじれてゆく様に読者が巻き込まれていきます。読みにくいと言えなくもないのですが、一端巻き込まれると、眩暈に似た感じで酔わせてくれます。

宮本百合子「風に乗って来るコロボックル」は、彼女が19歳の時の作品で、死後に発見されました。北海道のアイヌの人を主人公にした物語は、ファンタジーの様な不思議さに満ちています。コロボックルは、アイヌの伝承に登場する小人のことで、その躍動感は、19歳の若さが書かせたものかもしれません。

「田園の憂鬱」で有名な佐藤春夫の「女誠扇綺譚」は、ゴシックロマン風小説で、かなり面白い作品です。舞台は台湾。廃墟と化した大きな屋敷で、そこから聞こえる女の声を巡る話です。むっ〜とする熱帯の空気と、廃墟の死の匂いがブレンドされているのですが、単なるオカルト小説ではなく、文学として成り立っています。

今回収録された作家で、唯一現役なのが、高村薫。彼女の長編「晴子情歌」の一部が抜粋されています。昭和初期の北海道の鰊の漁場が舞台です。事細かにこの現場が描かれているのですが、池澤は「現代文学には珍しく人間が働く現場を精密に書いた小説だということだ。行間から臭いと匂いが沸き立つあたり、小林多喜二の『蟹工船』などを継承するプロレタリア文学の到達点と言うことができる。」と評価しています。ネオリアリズム映画を観ているような濃い描写です。

どの作品も読み応え十分で、こういうアンソロジーから、自分好みの作家が見つかるかもしれません。

文学の世界の、限り無い奥深さを教えてくれたのは、辻邦生でした。そして、小説の可能性を池澤夏樹から学びました。特に、80年代後半から、90年代初頭にかけての池澤の小説群には目を見張りました。88年「スティルライフ」で芥川賞受賞後、89年「真夏のプリニウス」、90年「バビロンに行きて歌え」、91年「マリコ・マリキータ」、同年「タマリンドの木」、そして92年「南に島のティオ」と傑作を連発します。

どの作品がベストかと問われれば、どれも。すべて読んでくださいとしかお答えできません。ただ、その日の気分で、今日ならあれ、昨日ならこれと推薦する本はあります。

今なら、「バビロンに行きて歌え」(新潮社/絶版600円)ですね。アラブの小国のテロリストの青年が、グループ内の政治闘争のあげくに放り出されて、東京に密航してくるところから小説は始まります。誰にも見つからないように床下で眠っていた時に、近づいてきた老犬を道づれに一人、大都会東京に彷徨う生活がスタートします。この青年が関わり合う人達との交流を、短篇小説のような独立したスタイルで描いていきます。第一章「老犬」から、第三章「ブルーブレート」辺りまでは、ハードボイルドな乾いたタッチでスピーディーに展開してゆき、第四章「恋の日々」辺りから、彼と彼を取り巻く青年達のドラマへと向かっていきます。

音楽をやっている青年達の中に入ったことで、彼は変化していきます。言葉と歌の力で、自分がこの東京という都会に生きていることを実感します。

「彼はのびやかに歌った。自分に最もふさわしい武器がM−21スナイパーライフルではなく歌であることを知った。これならば、雪の中、砂漠、遠い国、営倉、ジャングル、どこへ行っても大丈夫だと思った。その翌日から、彼はもう戦闘の夢を見なくなった。」

マシンガンを撃つことしか知らなかった青年が、歌うことで暗澹たる過去から解き放たれるまでを、的確に描いた名作です。

池澤はその後も、小説、評論、エッセイと、数多くの作品を発表し続けています。近年の代表作と言えば、震災以降の東北を描いた「春を恨んだりしない」(中央公論新社850円)でしょう。この本、東北の震災の現場を粒さに見て、現場の声に耳を傾け、そして、「ぐずぐずと行きつ戻りつを繰り返しながら」、この国には「変化が起こるだろう」と予測し、

「自分が求めているものはモノではない。新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしも安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。」と言います。

確かに、そんな生き方を模索している人が増えているのは、来店されるお客様と話していても感じるところです。

秋、よく焼けた秋刀魚に大根おろしを付け合わせ、一杯なんてささやかな幸せですね。

が、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」(1923年)に出てくる秋刀魚の食卓は、寂しさ、わびしさの極みみたいです。

「あはれ 秋刀魚よ 情あれば伝へてよ ー男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける と。」

なにやら、のっけから暗〜い始まりです。

「さんま さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて さんまを食ふは男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば 愛うすき父を持ちたし女の児は 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。」

いや、もう堪忍して下さいという展開ですが、その情景が見事に脳裏に浮かんできます。詩人は、秋の日常の食卓を素材にして、人生の暗澹たる部分を刳り出してきます。詩に宿る力を見せてくれる一編です。

もうひとつ、詩の力を見せてくれたのが、石垣りんの「くらし」です。

「食わずには生きてゆけない メシを 野菜を 肉を 空気を 光を 水を 親を きょうだいを 師を 金もこころも 食わずに生きてこれなかった。 ふくれた腹をかかえ 口をぬぐえば 台所に散らばっている にんじんのしっぽ 鳥の骨 父のはらわた 四十の日暮れ 私の目にはじめてあふれる獣の涙」

とてつもなく悲しい経験をした時、恐らく、この詩はその人を支えてくれるかもしれません。

これらの詩は池澤夏樹編集日本文学全集の「近現代詩歌」(1800円)で読む事ができます。あまたある近現代の詩歌から池澤が詩を、種村弘が短歌を、小澤實が俳句を選んだ一冊で、お気に入りが見つかればその詩人の本を買うのにぴったりのアンソロジーです。

 ★ご案内                                                 明日、28日(金)店内のイベントのため6時30分に閉店させていただきます。よろしくお願いします。 

入荷する度に、ご紹介している池澤夏樹編集の日本文学全集ですが、今回は「松尾芭蕉/与謝野蕪村/小林一茶/とくとく歌仙」(河出書房新社1800円)の俳諧。

有名な「閑かさ岩にしみ入蝉の声」を初めて読んだ時、なんだこれ?と全く興味を持てませんでした。が、ボリュームあるこの一一冊に収められた三人の俳句を読んでいると、さっぱり理解できないものもあるのですが、爆発的にイメージが広がるものがあり、目前に白い雲がわぁーとみえたり、田園の向こうを雨が降り出してくるのを眺めていたり、と、面白い経験をさせてもらいました。

とりわけ、小林一茶に引込まれました。一茶の句を選んだ長谷川櫂は、芭蕉や蕪村が古典文学に精通していたのに、一茶には全くその素養がなかったことを踏まえて、こう言い切っています

「一茶は文学における野蛮人だった。では、一茶の俳句を培ったのは何か。それは江戸時代後半の社会を悪戦苦闘しながら生きた一人の人間の生活感覚である。これこそ、一茶が芭蕉や蕪村とちがうところであり、一茶の俳句を読む場合、忘れてはならない視点だろう」

「小便の身ぶるひ笑へきりぎりす」「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」

こんなユーモラスは句を作っていた一茶の後半の人生は、悲惨としか言いようのない日々でした。父親の遺産相続で揉めに揉め、数度の結婚で、五人の子供を授かったのに、片っ端から死別。晩年62歳の時、再婚したものの、即離縁、元々煩っていた中風が再発、言語障害になってしまう。

「淋しさに飯くふ也秋の風」

一茶63歳の句ですが、人生の寂寞さが色濃く出ています。

できれば、若い時に詠んだ

「ゆうぜんとして山を見る蛙哉」

みたいな悠然と構えた蛙になった気分で、山を見上げていたいものです。この時代の新たなポップな感性を持っていた俳人ですね。

65歳で死去した一茶は、残った妻に娘が生まれます。選者は「人生は悲惨だが、滑稽である」と結んでいます。

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております。(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)


 

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池澤夏樹編集の日本文学全集の一冊で「宮沢賢治 中島敦」(河出書房新社1800円)を一冊にした本の紹介です。何故この二人?という疑問に編者はこう答えています。

「中島敦は宮沢賢治の十三年後に生まれ、その死の九年後に亡くなった。賢治は享年三十七歳、敦は享年三十三歳。若くして他界したことだけだなく、二人には共に遠くを見ていたという共通点があるように思う。自分というものの扱いに苦労したところも似ている。」

「共に遠くを見ていた」、「自分というものの扱いに苦労」した作家……..。

宮沢はまさにそんな作家だと思います。自分という存在に苦しみ、銀河の果てまで飛んでいってしまった。

死ぬ直前には、「そしてわたしはまもなく死ぬのだろう わたくしというのはいったい何だ 何べん考えなほし読みあさり さうともきかうも教えられても 結局まだはっきりしていない わたくしといふのは」

という「そしてわたしはまもなく死ぬだろう」(未完)の詩を残しています。「これで二時間 咽喉からの血はとまらない おもてはもう人もあるかず 樹などしづかに息してめぐむ春の夜」という詩を書きながら、己がいるべき遥か彼方に地へと向かっていたのでしょう。

中島は1941年、ミクロネシアに渡り、数ヶ月滞在しています。その時、彼が見た南洋の自然、風物、そこに暮らす人々を描いたのが、この全集に収録されている「環礁ーミクロネシア巡島記妙ー」です。

「寂しい島だ」という文章で始まるこの旅行記は、「薄く空一面を覆うた雲の下で、空気は水分に飽和して重く淀んでいる。暑い。全く、どう逃れようもなく暑い。」とその気候に辟易しながらも、歩き回る。デング熱が治りきらない状態で、眩暈と、息苦しさでガタガタになってくる。しかし、それでも作家は幻覚に近い美の中で陶酔してゆく。今なら飛行機でヒョイと飛んでいけるのだが、中島が渡航した時代は、当然船の旅。時間をかけて地に果てに行き着いたという感覚ではなかったでしょうか。自分を持て余していた男の放浪記として、私は読みました。

因みに店には昭和11年発行の「南島譚」(今日の問題社/初版2500円)もあります。全集収録の「悟淨出世」「梧淨歎異」も入っていて、古色蒼然とした一冊ですが、手に取ってみてください。

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折口信夫「口訳万葉集」、小池昌代「百人一首」、丸谷才一「新々百人一首」の三編がまとめられて「日本文学全集」(池澤夏樹編集/河出書房新社1800円)の一冊として刊行されました。

中学校だったか、高校学校だったか、京都大学で万葉集を選考したという担任の、国語の授業を受けましたが、もう死ぬほど退屈でした。「百人一首」には、好きな人をひたすら思いやるような恋愛の歌「相聞歌」も多数ありますが、なんせむさ苦しい男子学生。和歌よりもエロ雑誌、本物の女子学生の髪の匂いに、つよく惹かれるのは当たり前でした。

ところが、今回通読してみて、その面白さ、格好良さにしびれました。最もスタイリッシュだったのは、「百人一首」を選んだ藤原定家のこの一句。

「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ」

静寂が支配する冬の日暮れ。寡黙な武将が、ふと雪をはらった瞬間に見てしまう、己の明日・・まるで映画みたいな光景が浮かんできます。

折口の「口訳万葉集」は、この国文学者の大家が、若き日、「万葉集」四千五百首ほどを口語に訳し、それを友人三人と書き取ったものです。その間、一切の参考書を使わずに、原本だけを詠みきったという労作です。本書ではその一部が抜粋されています。

また、丸谷の「新々百人一首」は、彼なりの「百人一首」を編纂しようと決心し、50代半ばから20年かかって完成させました。こちらは、その中から20首程が選ばれていますが、ここまで読み見込むかと感心してしまいました。持てる知識フル動員の文章は、かなり手てごわく、百人一首初心者にはハードルが高すぎたみたいです。

その点、詩人の小池昌代訳の「百人一首」は、翻訳、解説とも簡潔で読みやすく、入門としては最適でした。

「よもすがら物思ふころは明けやらぬ閨のひまさへつれなかりけり」  俊恵法師

閨(ねま)は「寝室」のことで、こう解説しています

「男を待ち、朝を待ち、どこもかしこも『待つ人生』。恋は『待つ』ことで成熟するとはいえ、じりじりと進む夜の遅さに『待つ』という行為にもうこれ以上耐えられないという女の心が映っている」

こちらも、夜の闇の深さを見事に切り取った映像的表現ですね。「57577」という限り無く制約された世界で、これだけの美を創り出した、日本的感性って、どこから来たのかちょっと調べてみたくなりました。

因みに、池澤夏樹のベスト1はこちらでした

「春の夜の夢の浮橋とだえして峯にわかるる横雲のそら」 定家