「結」は難しい、といっても「結ぶ」ことではありません。小鼓の打ち方のことです。

二年程、小鼓のお稽古して、それなりに課題曲をこなしてきました。平家物語でお馴染み「屋島」なんて、打っていると気持ちが高揚してきました。しかし、今やっている「花筺」は前に進みません。最初にお稽古した時は、打ち方はばらばら、呼吸は乱れて、発声も遅れるし、もうお弟子さんの前で恥をかきました。

世阿弥作の「花筺」はこんなお話です

越前国味真野におられた男大迹皇子(応神天皇の五世の孫)は、皇位を継承されることとなったのを機に、召し使っていた照日の前にお暇を出された。その際、照日の前に御文と御花筐(花摘みに用いる籠)を賜ったので、照日の前はそれを抱いて故郷に帰った。

その後のある日、継體天皇となられた皇子が行幸されるのを知った照日の前は、お慕いした余りに心が乱れて侍女とともに都へ向かった。その途中で行幸に行き逢い、御文と御花筐を持ってその前に進む。

照日の前は、それが君の御花筐であることを告げ、恋慕の情を述べる。帝は花筐によって女が照日の前であることを知り、一緒に伴って還幸される。

で、今お稽古しているのは、その最期の部分。ここに出てくる打ち方に「結」があります。ポン、ポン、ポポ〜ンという小鼓独特の、打ち手も聞き手も気持ちいい打ち方の変型です。ポン〜、ポン〜ポン、と書いてしまえば簡単ですが、「〜」が難しい。この三回打つ直前に、握り方を微妙に変化させて、二回打ちます。この変化の後にこれです。しかも、勝手に打てばいいものではありません。謡の言葉の定められた位置に、きちんと納まり、しかも打ち手の「よっ〜っ」、「ほぉ〜」の発声もバランスよく出さなければなりません。ここを、クリヤーすると、さらに次は、息をためて、『よ〜おっ」『ほ〜っ」の長い発声が待ち構えています。

それでも、前のめりにならず、ゆっくりと、謡の言葉の後に寄り添う感じで音が出ると、打ち手は気持ちいいものです。シンプルな構造の楽器だけに微妙な音の変化の出し方に苦労しますが、そこが面白いのかもわかりません。秋には師匠の打たれる名作「安宅」(歌舞伎の「勧進帳」です)の公演もあります。ますます、能の面白さにハマる秋になりそうです。

ところで、演劇評論家の渡辺保さんが「勧進帳」という」新書を書かれています。サブタイトルに「日本人論の原像」とあるように、このドラマに登場する三人の男たちは、ある種、男の理想像であることを、ドラマの展開に沿って解説されいます。歌舞伎に興味なくても、面白い一冊です。(300円)

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京都南座の「坂東玉三郎公演」に出かけました。

玉三郎の舞踊を二つ。平日なのに大入り満席という盛況ぶり。おや、横を通り過ぎた着物美人、どこかで見た顔と思えば、名取裕子さんじゃないですか!

「阿古屋」という演目。話の筋には言及しませんが、この演目の凄いところは、主演の遊女が、琴、三味線、胡弓の三つの楽器を演奏するということです。まぁ、ジャズで言えばマイルスがペットと、ピアノと、サックスを一曲の中で演奏するようなものです。さて、舞台右側に並んだ三人のお三味線と、玉三郎が琴で共演を始めます。琴の一音が鳴るや、その音に寄り添うような音を三味線が鳴らします。公演前にある程度チューニングされているとは思いますが、なんせライブ。微妙な空気の重みや、観客の緊張感と期待が入り交じって、音が揺らぎます。その微妙な差異を埋めるべく、両者ハイレベルな技術力で、ベストの演奏をすべくチューニングしていきます。もう、その音のやり取りのサスペンスはたまりませんなぁ〜。そして火花散る(もちろん歌舞伎なんで、その様式美にそってですが)インタープレイです。いやはや、極上のジャズ、ロックのコンサートですよ、これは。(写真はレア玉三郎写真集です3000円)

ところで、私はCDで歌舞伎の名作「勧進帳」を持っています。誰でも知っている弁慶&義経の安宅の関所突破のサスペンス劇です。で、この音楽が、最高のオーケストラ演奏です。清元連中の、謡、三味線、囃子方のサウンドが一つになっていく辺りは、何度聞いても酔わされますね。特にラスト「延年の舞」の盛り上がり方は尋常じゃありません。佐渡裕指揮のベルリンフィルをバックにジミーペイジが「天国への階段」をギンギンに弾鳴らすという興奮です(もう滅茶苦茶なたとえですので、無視してください)

歌舞伎、能楽、浄瑠璃等の邦楽が好きになれたのは、いやというほどロックや、ジャズを聴いていたからかもしれません。

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 四天王子に続いて、岡崎「みやこめっせ」でも古書市です。開催二日目、雨の中出かけました。

四天王子と違って、格安均一コーナーがありません。だから、獲物を狙う狼みたいな視線で棚を見ていきます。しかし、集中力の欠如のため、すぐに飽きてきます。そんな時、以前は会場から離れて休憩していましたが、最近は物色中の他の方の買い物かごを眺めます。お〜こんな本集めてるとか、へ〜、よく見つけるなぁ〜とか感じているうちに、がんばろうと気合いが戻ってきます。

 で、見つけました。あんまり、見向きもされない本を。サントリー社長佐治敬三の「新洋酒天国」(文藝春秋)、岩男淳一郎「絶版文庫発掘ノート」(青弓社)、澤野久雄「卓上流浪ーだらか居る食事どきー」(平凡社)とか、面白い本に加え、「これは真面目な写真集である」というキャプションの付いた南伸坊の大爆笑写真集「笑う写真集」(太田出版)、写真家ホンマタカシの「たのしい写真 よい子のための写真教室」(平凡社)という大人向け写真の歴史を楽しめるという写真関係の本も見つけました。

 しかし、なんと言っても収穫は、渡辺保の「能ナビ」(マガジンハウス2010年発行定価3200円)です。お能ファンの私にとって、すごく刺激になった一冊です。図書館で借り、その後新刊書店で買おうか散々迷った本でした。お能の名作25作品の粗筋をたどりながら、演劇としての能の面白さを解明してゆきます。観世会館に行く時、その途中にある府立図書館に立ち寄り、その日の演目のお勉強してから出かけましたが、よく貸し出し中でした。もう、これで、観劇の時に不自由しなくても済む!

 でも、これお店の商品なんですよね。オープンしてから、しばらくはお能関係の本全く売れませんでしたが、ここ数日で数冊動いていました。う〜ン
そのお客様に持っていかれそうな予感がします。

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エリック・ドルフィーで、私は歌舞伎、そして能に目覚めた? はぁ〜ですよね

ドルフィーは、30代でヨーロッパツァーで亡くなったジャズマンだ。馬のいななきに似ていると言われたバリトンサックス、恐ろしく鋭いアルトサックス、そして尺八の音色に似たフルートと多彩なスタイルを持っていた。若い頃から聴いていましたが、ものすごく好きなミュージシャンではなかった。ジャズ喫茶の薄暗い空間で、フルパワーで聴くのに適した音楽だった。

ところが、歌舞伎そして能楽を観るようになってから、ドルフィーはフェイバリットミュージシャンになった。ジャズと古典芸能。全く無関係なジャンルなのだが、考えてみると似ている点がある。ジャズの曲は、おおむねが昔のミュージカルの曲で、単純で美しいメロディを持っている。多くのミュージシャンが、メロディを大切にしながら、より自由な曲へと飛翔させんと悪戦苦闘してきた。原曲から、いかに自由になるか。もちろんドルフィーも、人一倍その事に拘った。テーマの演奏から、ソロになった時、音をすべて解放して、高みへと一気に上がろうとする。しかし、いっぽう原曲のシンプルな美しさが引き戻そうとする。引き戻す力と引き上がろうとする力がぶつかり、せめぎあう。その一つ一つの音に込められた緊張感を聞き込むことが、彼の音楽を聴く魅力だ。

いっぽう、歌舞伎、能楽。もう、こちらはすべて完璧なまでに出来上がった所作通りに演じ、演奏することが絶対の世界だ。逸脱は許されない。では、所作通りやれば、それで感動につながるか、と言えばそういうものでもない。型に押し込めようとする力と、型から自由になり、新しい表現を目指す力が、やはりせめぎあう。ドルフィーは決められた音符の進行を破壊し、新たな表現を模索し続けた。古典芸能の演者は、型を徹底的に己の身体に記憶させることで、型から離れ、やはり新たな表現を求めた。

能「道成寺」を観た時、あの緊張感に縛られた二時間、舞台でドルフィーが狂おしい程に演奏している姿が消えることはなかった。

 

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