1977年生まれの小林エリコは、短大卒業後エロ漫画雑誌の編集の仕事に就きますが、その余りに凄まじい職場環境のストレスで、自殺未遂を図りました。退職後、精神障害者手帳を取得し、生活保護を受けます。しかし、そこに待っていたのは地獄のような生活でした。何もしないでお金を得ることの後ろめたさ、役所の横暴、ケースワーカーとの軋轢、貧困、親との関係等々、死ぬことしか考えなかった彼女が、再生するまでをリポートしたのが「この地獄を生きるのだ」(イーストプレス/古書1100円)です。

お断りしておきますが、これは感動的闘病物語ではありません。普通に働き、暮らすことを切に望んだ女性が、その困難さに打ち拉がれる様をリアルに描いていく記録です。生活保護申請の役所での応対は、「まるで子どもに向かって話すかのように大きな声で制度について、説明」され、その態度が「私のプライドをズタズタに引き裂いた。福祉サービスを受けるってことがこんなに屈辱的なことだったのか。」

若くして生活保護を受けることへの忸怩たる気分から脱出するために、保護をどうやって止めて、自立してゆくかを調べるものの、保護費が振り込まれる日付は、書類に明記されているが、その保護を切る方法は書かれていません。生活保護受給者は、福祉事務所の管轄下にあり、指定された病院に行かねばなりません。精神疾患のある彼女も、指定されたクリニックに通院し始めます、しかし、このクリニックは製薬会社と癒着し、大量の薬を投与して患者をその薬の広告塔として使っていました。

「私は一生、このクリニックで生活保護を受け続けたまま、クリニックと仲の良い製薬会社の薬を褒め称え、『こんなに元気な患者なんです。』と嘘をついて生きていかねばならないのだ。」

彼女は再び自殺未遂を起こします。向精神薬を80粒も飲んで…….。

そんな彼女にも転機が訪れます。精神保護福祉の向上を理念とするNPO団体との出会いです。出版もしている団体で、元編集者の経歴を買われて、先ずはボランティアとして働き始めます。そして、ここから生活保護を打ち切るまでの長い日々が始まります。もちろん彼女は、あの時生活保護を受けなければ、今こうして生きているかどうか定かではなかったことも知っています。

「生活保護が羨ましいのなら、役所に行って受給したいと言えばいい。生活保護をバッシングする人は、窓口に足を運び、生活保護受給者たちの顔を自分の目で見てほしい。生活保護を受けるとういうことがどれだけ大変で辛いことがわかるはずだ。」

自分が弱者になった時に「生活保護や福祉サービスを受けることを責めるような世の中は、想像力の貧しい社会なのだ」と書いています。全くその通りです。とにかく、この国は「想像力の貧しい社会」になってますから….

後半は、生活保護廃止を獲得し、自分の人生を取り戻すまでの記録です。そして、市役所から来た手紙。

「『生活保護廃止決定』 たしかにそう書いてある。私は震えた。大声で自慢してやりたかった。通知書を書類ケースに入れておいたが、何度も引っ張り出してしまう。こんな嬉しい通知をもらったのは短大の合格発表以来の気がする。」

自力で脱出した悦びに満ちあふれた文章です。

なお、この本は「文学フリマ」で配布された「生活保護を受けている精神障害者が働くまで」を大幅に加筆修正したものです。

★ただ今開催中の「福井さとこ絵本原画展」に伴い、2月3日(日)18時から、福井さんによるスロバキアのお話会を行います。参加ご希望の方はレティシア書房までお申し込み下さい。(075−212−1772)

★レティシア書房 恒例「女子の古本市」は2/6(水)~2/17(日)です。出店者は女子ですが、もちろんどなたでもご来店くださいませ!今回も27店程にご参加いただきます。お楽しみに!

「女子の古本市」準備のため、4日(月)5日(火)はお休みいたします。

 

のっけから、こんな具合で始まる。

「ハエがいる。ハエと棲んでいる。天井が高く、吹き抜けのようになっている。去年、三年目に、起きてから寝るまで、下で横になっていないのに気がついた。”セイホ”ー生命保険ではなく、生活保護もそう称ばれている。そこから支給される部屋代の枠内で、当町に移住した。妻の代理人の土建屋に恫喝され、離別して一戸建て団地の家に立ち退いた。」

岡田睦の作品を集めた「明日なき身」(講談社文芸文庫1000円)に収録されている「ムスカリ」の冒頭です。昭和7年生まれの岡田睦は、雑誌「三田文学」に小説を発表、「夏休みの配当」で芥川候補になるも、全く注目されず、私生活では離婚を繰り返し、あげくに生活保護を受ける状態にまで至った私小説作家です。

この作品集には5作品が収録されていますが、いや、もう読むほどに、貧困のあまりの描写にぐったりさせられてしまいます。真骨頂?は「ぼくの日常」でトイレの下水溝が詰まる寸前で、それを直すために、下水溝に手を入れる件です。

「糞小便とトイレットペーパーが溶でけ合って、掴みにくくなっている。右手で掬うように掻き出すのだが、躰までが凍てつくような冷たさだった。ここは石堀と家屋のあいだにある細長い所で、掻き出した異物をあたりかまわず放るように捨てた。」

お食事前の方、ご免なさい。延々こんな日常、薬物依存、飢餓、不眠、身体の不調が語られていきます。一行一行の文章がこちらの身体を蝕んでゆく気分にさせてくれます。だったら、読まなければいいのに、と思いそうですが、本から離れられないところが不思議です。この最底辺の生活描写が、逆に倒錯的に生きる情熱を浮かび上がらせる力を持っているから、面白いのかもしれません。

さらに、悲惨を描く小説が続きます。「火」では、大晦日に「老化したアパートの部屋をあたためていた電気ストーブが点かなくなった」極貧の男が主人公です。精神的に不安定で、不眠に苦しむ彼は、鼻をかんだティッシュに火を点けて、暖をとろうとする。しかし、一気に火は部屋に燃え広がり、唯一あったどんぶりに水をいれて、投げつけるも大きな火災になってゆく。

そんな話ばかりなのですが、途中で放り出させない強さと個性をもっています。基本的に私小説作家は極貧のうちに死を迎えることで、その作家生活の終局を作り上げます。しかし、岡田は、2010年発表の「灯」(この作品種にも収録)以後、消息不明になっています。今も、どこかの取り壊し寸前の廃屋の片隅で、震える手で原稿用紙に向かっているのかもしれません。まだ、暗い情念は生き続けているやもしれません。

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