アトリエを運営しながら多くの本を書いてきた、美術作家永井宏がこの世を去ったのは、2011年。59才の若さでした。ミュージシャンとしてもライブを行い、また、今でいう「一人出版社」の走りとも呼べる「WINDCHIMEBOOKS」を立ち上げて、表現活動を行ってきました。
華美に走らず、ストイックに、物静かに、日々の暮らしを見つめた彼の文章にはファンが多くて当店でも人気があります。この程、新しく立ち上がった「一人出版社」信陽堂が、「愉快のしるし」(ミニプレス新刊/2420円)を出版しました。社長の丹治史彦さんは、2003年、暮らしや旅を見つめる出版社アノニマスタジオを作り、永井宏、高山なおみ、早川ユミなどの本を出してきました。2010年ぐらいから信陽堂の準備を始めて、この本を世に送り出しました。
先日、丹治さんが来店された時に、まだ未発表の原稿がこんなにあったのですね、とお訊ねすると、永井がオープンさせた「SUNSHINE+CLOUD」というショップの通販カタログに17年間載せていた彼の文章を集めたもの、ということでした。
「インディゴは洗えば洗うほど愉快な色になる。生活と水と太陽の光と風が響き合って肌に馴染んでいく色だから。」
と服飾店のカタログらしい文章もありました。
永井は、1992年生まれ故郷の東京を離れ、神奈川県葉山の海辺のまちに転居。「サンライトギャラリー」を開設して、生活に根ざしたアートを提唱しました。過剰な消費生活に背を向けて、足元を見つめながらアートと共に暮らしてゆく生活を実践していき、その思想が、多くの著書で若い世代を中心に支持が広がっていきました。この人のことが当店のお客様に受け入れられていることは、嬉しい限りです。
本書の中で、書店にとっては”天の声”みたいな文章を見つけました、
「カフェ・ブームの次にきてるものは個人的な視線や趣味を持った書店だって知ってた?新刊も古書も含めた、ブック・ストア、好い感じの言葉だ。どんな小さな街にも、面白いブック・ストアがあるときっと楽しい。ちょっとお茶を飲めたりするのも基本的なパターンになっているから、色々な話の詰まった本を背にしたり、手に取ったりしながら世間話をそこで始める。文化っていうのはそんな些細なことから定着したり、育っていったりする。そして、それが、これからの時代って言うもんじゃないだろうか。」
永井の旧作もどんどん入荷中です。これを機に一度手に取ってみてください。蛇足ながら信陽堂社長の丹治さんは、バームクーヘンでお馴染みの近江八幡の「たねやグループ」広報誌の監修もされています。
★レティシア書房 年末年始の休み
12月28日(月)〜1月5日(火)休業いたします。よろしくお願いいたします。
本日からコトコトことばさんの「ただいま、おかえり」展が始まりました。「コトコトことば」とは、なんとも可愛らしい響きですが中井泰佑さんという男性のアーティスト名です。大学生だった2006年から、社会人になった現在まで、心に留まった言葉とイラストをカードに描きつづけています。
言葉を紡ぎ始める時って、たいていは寂しい時だったりしませんか?彼ももしかして親元から独立して、一人暮らしの中で何か思う事があったのではないかしらと、想像します。
「自転車をなくした と思ったけど、スーパーの前に忘れていただけだった。なくしたんじゃなく 忘れていただけ。 全部そうだったら いいのになぁ。」は、2006年始めて書いた言葉だそうですが、(写真上)今回の個展のDMにもなっています。その時の自転車のように失ってきたものを思い出せれば良いのだが、と作品集に書かれています。
一つ一つの作品には優しさと寂しさが漂っています。誰かに思いを届けてみたい。それは見知らぬ誰かというより、目の前の人へ、そして自分の心に落ちるように。
野菜や食べ物をテーマにした言葉は、クスッと笑えたりします。私は「プリン」と「トースト」が気に入りました。作品の中から今の自分にフィットするような言葉を見つけてください。心にほわっと灯が点って、忘れていたものを思い出すかもしれませんよ。中井さんは、昨年結婚されました。一人暮らしから二人の暮らしに変わって、作品もこれから少しずつ変化していくのでしょう。「ただいま、おかえり」のタイトルに込められた幸せを感じます。
なお、この個展に合わせて4つ目の作品集が出来上がりました。(600円)1集〜3集も合わせて販売しております。
京都は朝晩めっきり冷え込んできました。毎朝散歩している京都御所の木々も、日に日に秋色になってきました。立ち止まってゆっくり季節を楽しむ時間を持ちたいなぁ、と思いました。この個展のおかげですね。(女房)
★コトコトことば個展『ただいま、おかえり』は、11月1日(日)まで 月火定休 13:00〜19:00
東京西荻窪で雑貨店「FALL」を2005年より営んでいる三品輝起が書いた「雑貨の終わり」(新潮社/古書1400円)。雑貨に関わってきた著者の歩みを描いたエッセイです。おしゃれな雑貨に囲まれて、日々素敵な店作りをしている店主の”軽い”エッセイ集と思われるかもしれませんが、全く違います。こういう本によくあるような綺麗にディスプレイされた雑貨の写真やら、可愛いイラストなどはありません。ここには、雑貨と向き合ってきた著者の思索があり、これから自分は、そして雑貨は、どんな方向へ向かうのかを試行錯誤しています。
「さまざまな物が雑貨の名のもとに流通し、消費されていくことを『雑貨化』と呼んで、その資本が運ぶ河のうねりに耳をすました。この河はどこを流れ、なんのためにあるのか。気づけば雑貨の領野ははるか遠くまで拡大し、古い雑貨界の地図は役立たなくなってきた。」
物という物が雑貨化する渦中で、自分が何を売っているのかがわからなくなってきた著者。では、「物と雑貨の境界」とは何か。雑貨業界の外にいる私にはわかりません。が、この本にはその問いに真摯に答えていこうとする著者の姿勢が見えます。
レディメイド、マガジンハウス、吉本由美、アルネ、無印良品等々、雑貨の世界を取り巻くキーワードから、全てが雑貨化してゆく時代を、時にペシミスティックに、時にメランコリックに描いていきます。雑貨をめぐる話から、来るべき消費社会の話へと広がります。
「だれかの部屋であれ、どこかの街角であれ、目の前にあるものに端末をかざすかスマートグラス越しに視線を送りさえすれば、それがどういう物であるかを瞬時に説明し、インターネット上に漂う類似品の値段や購入方法を示すようになるだろう。物に目をやることと買い物することがかぎりなく近づき、売り買いされない物がほとんど残っていない世界。われわれはそこへ、あと数歩で辿りつくはずだ。」
そんな消費社会で、持つことが可能ならば、「ひとと物との静かなつながり」が大事なことだというエピソードで締めくくられています。
東京新井薬師に、ホントにある「しょぼい喫茶店」の店主、池田達也が書いた「しょぼい喫茶店の本」(百万年書房/新刊1512円)は、起業して成功するための本ではありません。これからの働き方、生き方を考えてみるには最適の一冊です。
「僕は働きたくなかった。ただただ働きたくなかった。理由はよくわからない。」という出だしで本は始まります。なんと甘えたことを!とお怒りのサラリーマン諸氏、まぁまぁ、その気持ちはちょっと横に置いて、著者の思いを聞いてあげて下さい。
著者はアルバイトをしても長続きせず、就活では「会社で使える人間」をなんとか演じる努力したものの、全くダメ。社会人失格の烙印を押された気分で鬱々とした日々を過ごすことになり、挙句に自殺まで考えるようになります。それなりに人生の階段を上がってきて、初めて蹴つまずいた著者は、ここで一人の男性に出会います。”日本一有名なニートphaさんです。彼の著書「持たない幸福論」で出会った「自分の価値基準で幸せを決める」という言葉に心動かされます。
「嫌な人たちと嫌なことをしてお金をもらうよりも、好きな人と好きなことをしていたい。」大正解です。でも、普通のレールに乗って、会社に勤めていたら不可能です。そんな考えは甘えだと言う方が多いでしょう。しかし著者はここから、じゃあ自分の幸福は何か、どう生きていけばいいのかを必死で考えていきます。
ある日、twitterで”えらいてんちょう”という様々な事業を展開している人物に出会います。
「金がないことが貧困なのではなくて、金がないならないなりにやる、ということができないのが貧困。金を得る方法を知っているのが知性ではなく、金がなくても笑って過ごせるのが知性。」
名言ですね。会社員として遭遇する、不条理、我慢の対価として金を得て、それなりの生活を送るのではなく、自分の価値基準で幸せになる生き方を選び、それには自営業が最適と考え、店を持とうと思い、そこから、著者の人生は動き出します。物件を探し、お金を工面し、オープンへと向かいます。このあたりの描写も、よくある開店指南書とは大違いの面白さ。面白いキャラクターの人物が登場し、さながら青春小説です。
中々、上手くいかない状況に、諦め気分の著者に”えらいてんちょう”が言った言葉が、「いや、そんな真面目に考えなくてもどうにかなるっしょ!もっと適当で大丈夫」ってそんなことで、上手くいくか!
ところが人生どうにかなるんです。この本の後半はその記録です。もうダメだと思っていた著者は、店を軌道にのせ、なんと生涯の伴侶まで見つけてしまいます。拍手、拍手です。
嫌なことはしない。好きな事だけを仲間と一緒にやってゆく。金持ちになることを考えず、果てしない消費に突き進むことなく、微笑んで毎日生きてゆく。そんな若い人たちが沢山出てくれば、この社会も、ちっとはマシになるかもしれません。
★勝手ながら、4月22(月)23日(火)連休いたします。よろしくお願いします。なお、ゴールデンウィーク中は通常通り営業いたします。(店主)
住宅のもじゃ化(緑化)を推進する設計事務所「もじゃハウスプロダクツ」が作る、「House “n”Landscape」の最新4号がリリースされました。ちなみに「もじゃハウス」というのは、緑でもじゃもじゃした家のことです。
今回、初の海外取材?ということで、フィリピンのもじゃハウス一泊体験記が、大きな特集が組まれ、気合いの入った写真がたくさん掲載されています。
マニラ市内にお住まいのダニーロさんご一家。古民家付きの土地を買い上げ、増改築を重ねた家は、つる植物が巻き付くフェンス越しからは、家の外観は判別できません。まるで、森の中にある家、いや、家の中の森?とでも表現したらいいのでしょうか。3階の屋根を突き破って伸びるスターアップルの木の写真には驚かされます。
一年を通して常夏の国なので、こんなに緑があれば、蚊がワンサカと出てくるのでは、と恐怖に捉われますが、それほど被害はないとのこと。庭との仕切りの建具にはガラスが入っておらず、風が通り抜けて、極めて涼しいらしい。写真を眺めていると、晴れの日もいいけど、雨の日もいいだろうな、という気分にさせられます。
その後、取材班は、フィリピンから台湾に移動して、緑に覆われた家を探索。台湾には、本屋や図書館に行けば、「緑建設」というジャンル(エコロジーな建築と言う意味があるらしい)の棚があるぐらい、ポピュラーな存在になっているのだとか。もじゃハウスの干潟さんは、思わずここに事務所を構えたい、とつぶやきます。レトロなビルの屋上からだらりと伸びている植物は、まるでビルを侵蝕しているみたいです。次から次へと飛び出すもじゃ建築!
「もじゃハウス豊作状態の台湾!日本だと、もじゃもじゃ過ぎて近隣住民から距離を置かれそうなほどの植物たちとその主を、多くの方が抵抗なく受け入れていらっしゃるこの国は、まさにもじゃハウスにとってのユートピアです。」とコメントが書かれています。
で、もじゃハウスプロダクツが進めようとしている「みどりと共に生きる家」ってどんなん?という疑問に答えるべく、そのモデルプランが、今号の肝です。建物の上に植物が自生する大地を作ることが基本コンセプトで、都会にある20〜40坪のの四角い土地に立つミニマムなもじゃハウスを、具体的に図面で示しています。
眺望が良くて、庭が広くなきゃ植物と共に暮らせないなんてことはない。住まいの広さではなく、視点を変える事で、日々の暮らしに緑の楽しみを見つける。そんな家がこのプロジェクトの理想型です。
一例として、10坪のもじゃハウスの図面を提示しています。「読書好きのインドアな夫婦が2人で暮すには」という設定ですが、家の正面と奥、二階のベランダに木を植えることで、将来、家が緑が囲まれるというのです。読書に疲れた時、視線を見上げた時飛び込んでくる木は、目にも心にも優しそうです。まるで音楽が気持ちよく流れる空間みたいです。イギリスのトラッド系フォークか、アメリカのルーツミュージック系ロックか、チェロ主体のクラシックか、いや、レゲエもいいな〜と、勝手に想像してしまいました。
きっと幸せな空気が満ちた空間であることはまちがいありません。
★レティシア書房では「もじゃハウスプロダクツ」の展覧会を開催します。
『フレンドリー建築ショーin京都』と題した、もじゃハウスと小嶋雄之建築事務所による建築展です。建築業界一匹狼系の二人が、どんな提案を展示されるかは、見てのお楽しみ!です。新築を考えている方も、全然その気がない方もお気軽にお越し下さい。
会期 5月10日(水)〜21日(日)レティシア書房にて
(5月15日(月)は定休日です)
マガジンハウスが出している月刊誌「Ku:nel」(クウネル)のバックナンバーが、30冊程入荷しました。2004年11月発行の10号から、2014年3月発行の66号まで、全て揃っているわけではないですが、綺麗な状態です。(各300円)
一応女性向けの暮しの本ですが、新刊書店員時代、必ず読んでいました。その濃い内容の一部を紹介します。
10号には日本の動物イラストレーションの先駆者、薮内正幸の60年の軌跡が紹介されています。15歳の時に作ったという「鷲鷹科の種類」の私家版を初めて拝見しました。描いた絵は1万点以上。多くの絵本に使われています。収集されている方もおられます。
46号では、「大切な本はありますか」という特集で、何人かの方の大切な本が紹介されています。エッセイスト宮脇彩さんは、73年アメリカで出版されたマーナ・ディヴィス著、伊丹十三翻訳の「ポテトブックス」を紹介していました。「アメリカからやってきた料理の本であります」という伊丹らしい文章で始まる料理本です。この本の序文は、あのトルーマン・カポーティだったんですね。
と、こんな具合に紹介していけばきりがありませんが、もう一つ。月刊誌のカルチャーコーナーには、必ず書籍、音楽、映画が取り上げられていますが、この雑誌のコーナーはとても充実しています。手当たり次第に本を紹介するのではなく、一人の作家が、毎回紹介され、インタビュー記事をメインに構成されていて、この部分だけ切り取ってファイリングしておくと、面白いものになりそうです。音楽もしかり。基本的にミュージシャンがセレクトするのですが、渋いラインナップとなっています。映画に至っては、毎回毎回、著名な方が担当しています。例えば、44号では、酒井駒子が「ちいさな主役は、ひとりぼっちでよるべない」というテーマで映画を選んでいます。カルチャー欄充実ですね。
「ストーリーのあるモノと暮し」が雑誌のコンセプトで、お金をかけてモノに囲まれて、というスタンスの全くない誌面作りが、新しい豊かさを作り出そうとしています。
ところで、児童文学者石井桃子の有名な「山のトムさん」の1957年発行の初版の装幀を、雑誌の中に見つけました。本好きならではの、こんな探す楽しみも満載です。
★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします)
★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知弘さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております
(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)
「torio食堂」は、京都市内の西、等持院南町で、毎月一度だけ開いているごはん屋さん。三人のお母さんたちで運営しています。
今日から2週間、レティシア書房のギャラリースペースは、そんな食堂からの出張販売所になっています。
並んでいるのは、「雑穀みそ」(あつあつのごはんに乗せて食べたい)「かりんシロップ」「梅ジャム」「みかんジャム」「長崎の釜だき塩」「アレコレたれ」(煮物などに活躍しそう)「まこも茶」「黒米」「竹の箸」「あずま袋」「ガーゼの布巾」「torio食堂おすすめレシピ集」等々。日々の生活の中で役に立ちそうな、安全安心素材のものがいっぱい。私はまだ、お邪魔した事がないのですが、きっとそのごはん屋さんは、ゆったりほっこりした場所に間違いなさそうです。
そうそう、初日の今日は焼きたての「りんごのスコーン」が届いています。7日と11日にも焼き菓子が、そして8日(日)には店先でお善哉(12時から)の屋台も予定しています。
レティシア書房が開店したのは、2012年3月6日でした。ちょうど3月8日〜11日、近くの京都文化博物館で公募展「ヒツジパレット」が開催されました。これは、全国から染め・織り・紡ぎの手仕事をする人たちの作品が集結した大規模な展覧会でした。旧くからの知り合いであった主催者の本出さんが、「本屋さんをするならこの開催に合わせて、手紡ぎの雑誌スピナッツのバックナンバー展をしたら、人がそちらへ動いてくれるかもしれない。」と励まされ、開店日時を合わせました。おかげさまで、たくさんの方々がご来店くださいました。本当に人のつながりに感謝しています。
そして、開店当時、最初のギャラリースペースを飾ってくれたのが、torio食堂の伊藤サンと富永サンだったのです。その時、富永サンは二人目のお子さんを妊娠中、伊藤サンは赤ちゃんを抱いていらっしゃいました。
今年2月5日〜8日「ヒツジパレット2015 京都」が、再び開催されます。前にも増して多くの作品が集まり大きな祭典になりそうです。それに合わせて「スピナッツ」バックナンバー展をまたレティシア書房で開催します。そこでご縁のあった、伊藤サンたちに展示をお願いしました。あれからお二人の生活が少しずつ変化して、もう一人の仲間、酒井サンと共にtorio食堂を立ち上げられたと聞いて、私たちもとても楽しみにしていました。来し方を行く末を立ち止まって考える良い機会とも喜んでいます。ぜひお立ち寄り下さいませ。(女房)
★torio食堂のだいどこしごと展 2月3日(火)〜15日(日)
同時開催 SPINNUTS(スピナッツ)バックナンバー展
ビジネス書の一つのジャンルに、働き方の本というのがあります。時間の効果的使い方やら、体調管理の仕方まで様々な本が溢れていました。そういう本にヘキエキしていた私が、なんと店内に「働くことを考える本」というコーナーを作ってしまいました。
こんな本が並んでいます。
堀部篤史著「街を変える小さな店」(1400円)、 辻信一編著「GNHもうひとつの<豊かさ>へ、10人の提案』(800円)、 早川義夫著「ぼくは本屋のおやじさん」(800円)、 久松達央著「小さくて強い農業をつくる」(1300円)、 渡辺格「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(1400円)、 森健著「勤めないという生き方」(1200円)、 矢萩多聞著「偶然の装丁家」(1300円)、 島田潤一郎著「あしたから出版社」(1450円)。
そして西村佳哲の「自分をいかして生きる」(950円)、「ひとの居場所をつくる」(1600円)、「いま、地方で生きるということ」(1200円)。「自分の仕事をつくる」(チクマ文庫450円)
等々です。
これらは、方向性は違っても、幸せに暮らすことを考える本です。ありもしない贅沢で豊かな生活のなんかさっさとゴミ箱に捨てて、社会にも、環境にも迷惑をかけずに、好きなことやってノホホンと生きていくために、どうゆう働き方がいいのかを示唆した書物です。
レティシア書房を開店して、この春で4年目に入ります。その中で、地味だけれど、自分に出来る事を理解して、仲間を増やし、楽しいことをシェアする考え方で働いている人やお店を開いている人たちに多く出会いました。もう、上だけを向いて突っ走るのではなく、穏やかに生きて行くことをチョイスする人が増えたのかもしれません。
誰もが、すぐにこんな生き方が出来るわけではありません。けれども、かくありたいという気持ちを、そんな人生の選択が間違いではないことを、教えてくれるラインナップです。出たばかりの新刊も多いので、中古でもあまり安くはありませんが、すべてお薦めの本です。
色々な生き方を選べるのは、選択肢の多い大都会だからと思っていたところ、そうでないことが分かりました。焼津から京都に来る度、いつも立ち寄ってくださるお客様から「『静岡』本のある場所』という本を頂きました。この中に掲載されている書店も、多分、好きな本に囲まれていれば幸せ、と感じられるところばかりです。
もしかしたら、全国で広がっているのかもしれませんね。善きことです。
新刊書店で勤務し始めた頃から、本や本屋さんに関する本を読んできました。その中で、最も共感して、読んだ後に、心を軽くしてくれたのが松浦弥太郎でした。2002年に中目黒にオープンした彼の「カウブックス」まで足を運びました。そして、06年。彼は「暮しの手帖」の編集長に就任します。その後の活躍は、ご存知の通りです。
その「暮しの手帖」に連載していた「編集長の手帖」、「こんにちはさようなら」と、定期購読者対象の付録「編集長日記」が再編集されて「暮しの手帖日記」(暮しの手帖社900円)という書名で一冊の本になりました。
「『暮しの手帖』が新しくなりました。これからも、暮しにまつわる新しい工夫と発案で、少しでもみなさまの暮しに役立てるようにがんばります。」という挨拶で始まる4世紀26号から、58号までが掲載されています。
「今日もていねいに」
という文章でいつも終わるのですが、どの号も、その日、その日を慈しむ気持ちに満ちていて清々しい気分になります。私が好きなのは、「随筆とエッセイの違い」という文章です。エッセイ、随筆好きの老紳士との会話がメインの話で、丸ごと引用したいぐらいです。最後はこう締めくくられています。
「随筆とは役に立つ実用の文学。いい言葉です。」
彼が編集長をやり始めた頃からの「暮しの手帖」(各300円)も取り扱っています。こちらも合わせてどご覧下さい。
「健康のために、邪気を近づけず、溜めない。明るくはつらつとした、無邪気な暮しを努力しましょう。無邪気な暮しは、あらゆることを前進させてくれるでしょう。」
これは、「暮しの手帖」という雑誌の持っているポリシーなのかもしれません。
最近、何やら安倍首相の顔が醜くなってきている気がします。ま、だいたい総理大臣になったら、途端にその権力の座の重圧と、素人には理解不能なプレッシャーで、顔の表情が「壊れていく」のかもしれません。民主党の野田さんも、ひどかったですね。小泉さんみたいに、全くそのままという無邪気さも如何なものか?と思いますが…….。
お疲れの大臣に、ぜひお読み頂きたいのが、田中優子+辻信一の「降りる思想〜江戸・ブータンに学ぶ」(大月書店1300円)です。田中さんは、江戸時代の専門家にして、「カムイ伝講義」(小学館950円)という白土三平のコミックを通して、江戸時代を論じた傑作があります。辻信一さんは、文化人類学者という肩書きの一方で、「ナマケ者倶楽部」世話人としてスローライフに関わる提言をされています。当店にもいくつか彼の本があります。
その二人がタッグを組んだ本がこれです。こう書かれています。
「本書は『下降』をテーマとしている。思えば、これまでこのテーマに感心を寄せる人はほとんどいなかった。人々がはるかに強い関心を示すのは、いつも『上昇』のほうだった。でも、考えてみれば、これは不思議なことだ。」
いかにして、降りてゆくかを、江戸時代、そしてブーダンを参考にして二人が討論していきます。3.11以降の世界を振り返ることから始まり、右肩上がりの世界の幻想から脱却して、降りる場所の創造に至るまでの果てしない、しかし、これしかもう私たちは未来に生きることができないことを論じていきます。
「ぼくたちは『さがる』のでもなく、『おちる』のでもなく、『おりる』のである。豊かさという幻想から、グローバル経済システムから、人間の本性へと、自然へと、いのちへと、愉しげに降りてゆきたい。」
なんて言葉、疲労蓄積気味の安倍さんの耳元に誰か囁いてみては如何でしょか? ま、効果ないか。