熊本にある橙書店店主、田尻久子さんの新刊「みぎわに立って」(里山社/新刊2052円)は、優しさに満ちた一冊です。書店を営みながら、日々の景色の移ろい、自然が見せる様々な表情、ご近所さんや、お客さんとの何気ない会話など、西日本新聞に連載されたコラムをまとめたものです。

ジャズのスタンダードナンバーに「ジェントルレイン」という曲があります。歌詞の内容はさておき、田尻さんの文章は、「ジェントルレイン」「優しい雨」というイメージなのです。憂鬱な雨が優しく見える瞬間、彼女はそれを見つけます。

「雨の本屋は気持ちがいい。本が雑音を吸収して雨音だけが響き、いつもより言葉と親しくなれた気がする。今日は、終日雨だった。みな気持ち良さそうに本をさわっていた。」

少し憂鬱な気分の日とか、なんとなく下を向いてしまう時に、この本を開けることをおすめします。幸せって、ちょっとした事で簡単になれる、豊かな時間を過ごすことができるんだ、という真理がここにはあります。地震を経験して、店を新しくして、町の人たちとゆっくりと生きて行く著者の姿が見えるようです。

この書店、店に糠床があります。「ある日、糠を混ぜていたらお客さんが入ってきた。糠床って魔法の箱見たいよねえ、入れたら何でもおいしくなって。カウンターの中を覗いて、心の底から感心するようにおっしゃる。理屈を説明するよりも、魔法ということにしておいたほうが、なんだか美しい気がした。」

お客さんと店主が、店の中で糠床を覗いている光景って、不思議だけど楽しそうです。或いは、店内に蜂が入ってきて、殺虫剤などという無粋なものを使わずに、なんとか店の外へ出そうと努力していると、常連さんが、すっと帽子で外へと誘導されたのを見て、「ほんのつかの間のことで、手際のよさにうっとりとしてしまった。」などと書いてあると、いいなぁ〜、この店と思ってしまいます。

お日様と心地よい風が通り抜け、青空に浮かぶお月様が微笑む店なんて言ってしまうと、なんかメルヘンチックですが、この店に立ち寄った人たちが、ちょっと幸せな気分を持って帰る場所なのです。人を幸せにする場所が、本屋の原点なのかもしれません。

橙書店は、熊本地震の後、それまでの長屋からビルの二階に移転しました。「外観の面影はまったくない。でも、見知らぬ場所にはしたくなかった。大切なものはすべて持っていくつもりで作った。モノも、言葉も、気持ちも。常連さんは、何年も前からここにあるみたいと言ってくださる。 どうやら、変わらず馴染みの場所であるようだ。」

店主とお客様が一緒に作っていくそんな店を、私もめざしたいと思っています。

この本を出した里山社は、女性一人で頑張っている出版社です。いい本を出してくれました。今後も応援します!

 

 

熊本にある小さな書店、橙書店。店主の田尻久子さんは、文芸誌「アルテリ」(第5号1080円)を編集されています。この雑誌については、ブログで紹介しました。

つい最近、田尻さんのほぼ書き下ろしのエッセイ集「猫はしっぽでしゃべる」(ナナロク社/新刊1512円)が出ました。一度はお邪魔したい書店の店主の本なので、早速読みました。

田尻さんのお客様への、そして本への深い愛情に満ちあふれた文章を読んでしまうと、私のブログなんて、実にお粗末なものだということを痛感しました。

「涙腺は、ゆるくなるのではない。よく、年を取って涙もろくなったと老化現象のように言われるが、泣く筋力がついたのだと思いたい。本を読み映画を観る。誰かに会う。言葉を交わす。たとえひどい出来事を経験したとしても、人は必ず何かを得ている。経験は想像力を与えてくれ、泣くツボを日に日に増やしていくのだろう」

読み始めてすぐに、こんな文章にぶつかってしまいました。彼女が日々、真摯に生きてきた中から生まれてきたものです。

ポール・オースターの「冬の日誌」について、「本を読んでいても、行間で心が浮遊している。マンハッタンを彷徨いつつ、過去の自分の部屋に行く。これを旅と言ってもおかしくはないだろう。本と身ひとつ、他には何もいらない。私たちには、想像力という乗り物がある。身体移動しないで、旅をする。」と書かれています。単なる本の解説、紹介だけでなく読書の深い楽しみが伝わって来ます。

そして、書物への深い愛に溢れた作品を出版し続ける夏葉社の「さよならのあとで」(1404円)を、たった一つの詩が悲しみにくれる人の心を支えてくれる本だと書かれていました。彼女の店に、この本を二冊買いにきたお客様を見て、夏葉社の島田代表にこう伝えています。

「一冊は贈り物で。この人と、この人の大切な誰かに、かなしみが訪れたのだろうか。そんなことを考えながら、お包みした。そのとき、この本は突然に必要になるから、切らしてはいけない、と思った。」

「この本は突然に必要になるから、切らしてはいけない」これは、私も日々思っていることです。人生の様々な場面で、本が、映画が、あるいは音楽が、その人を支える時がある。だからこそ、その人のために本を揃えておく。本屋の心構えを再確認しました。

本の最後で、アンソニー・ドーアの傑作「すべて見えない光」(新潮社/古書2400円)が取り上げられています。ナチドイツの将校になった少年と、パリに住む盲目の少女の、一瞬の邂逅を描いた長編です。この中で、少女マリーがパリから避難する時に、大事な点字の本を置いていかざるを得ない状況になります。読んでいる最中の「海底二万里」を置き去りにするシーンを田尻さんはこう書いています。

「本はいつも、目の見えないマリーの世界を解放し、抱きしめ、勇気づけてきた。持っていけないことが、私も悲しかった。」

読書をすることが、血となり肉となった人にしか書けない文章ですね。

私ごときが、もうこれ以上グタグタ言うのはやめます。読書を愛する人なら、ぜひぜひ読んで下さい。

 

この書店の店主に会いに行きたい、という新刊書店があります。東京「Title」、博多「ブックスキューブリック」、岡山「スロウな本屋」、そして熊本「橙書店」。

「橙書店」店主の田尻久子さんは、お店の傍ら、文芸誌「アルテリ」を発行されています。最新5号では、「ことば」というタイトルで書かれています。

識字実践活動を続けながら、学校教育から排除され、切り捨てられ、文字の読み書きをできなくさせられた人たちとの出会いと交流を描いた、大沢敏郎「生きなおす、ことば 書くことのちから」をテキストにして、文字がわからないとはどういうことかを自分に問いただします。

「まわりの人に、読めない書けないと知られてしまうことへの不安。どんなに心細いだろう。生命にかかわることもあるだろう。表面に見える不自由しか想像できないということが、いかに人を傷つけるかということに思い至る。」

さらに、「読み書きどころか、ことばそのものを奪われた人たちがいる。」と、胎児性水俣病患者を思います。一言も発することなく、この世を去った人達。彼らは「ことばだけではない。生活そのものが奪われた。」と。彼らだけではなく、美しく、豊かな世界を持っていたアイヌ民族も、土足で踏み込んで来た日本政府によって、その言葉を奪われていったのです。私たちが日頃、何気なく使っている「ことば」について考えさせられます。

このエッセイの最後が素敵だと思いました。「生きなおす、ことば 書くことのちから」の本のことを、田尻さんに教えてくれたお客さんが、橙書店のカウンターで話していた時に差別的な物言いをしてしまった、と反省のメールを送ってこられました。田尻さんも気づかないくらい些細なことでした。メールには

「橙書店だから、気が付いたのかも、と書いてあった。本の目がありますので、そう書き添えてあった。そうか、わたしは毎日、生きていることばに囲まれている、彼女の文章を読んで、思わず襟を正した。」

「本の目」とは、なんと良い言葉でしょうか。静かに書架に収まっている本たちは、その主人たる人間がどれほど真剣にことばに向き直っているのかを、見ているのかもしれません。私も大いに襟を正さねばならないと思いました。

「アルテリ」は3号、4号のバックナンバーも少しあります。また。今月下旬にはナナロク社より、田尻さんの「猫はしっぽでしゃべる」という単行本も出ます。もちろん、当店でも取り扱います。

5月15日(火)から「ほんまわか作品展 紅型染めと小さな絵本」が、始まります。