京都の一人出版社「灯光舎」が寺田寅彦、中谷宇吉郎の「どんぐり」に続いて「本のともしび」シリーズ第二弾として発売したのが、田畑修一郎「石ころ路」(1870円)です。

田畑修一郎ってどういう人ですか? 私も注文する時に尋ねたのですが、あんまりというか、ほとんど知られていない作家です。1903年島根県に生まれ、早稲田大学文学部に入学するも、中退します。1933年「鳥羽家の子供」を発表し、芥川賞の候補になりその後の活躍が期待されましたが、43年盛岡市で取材中に体調を壊し、心臓麻痺で亡くなります。享年41歳でした。

私小説系の作家になるのであんまり好きになれないジャンルの人だなぁ〜と思いつつ読み始めましたが、最初に収録されている「木椅子の上で」の出だしが良いのです。

「私は今日もその場所へやって来た。夏になってから、暑い日盛りを私はここで半日か時にはまる一日過ごすのが日課のようになっていた。

そこは公園のはずれにある廣い雑木林で、その中を舗装道路が走っているのだが、たったそれだけのことで路のこちら側へは一日中殆ど誰もやって来ないのであった。所々に赤松だの杉だのがずば抜けて高く立っている、その下方はいたる所地面から溢れ出たような灌木や雑草の茂みで、その上には絶えず葉洩れ陽が斑らにきらきらしていた。私が勝手に自分の場所にきめたのは大きな杉の木の根元で、そこには地面に足を打ちこんだ造りつけの長い木椅子があった。私は時には子供を連れて、時には一人で、公園のプールで泳いだ後をこの木椅子に寝ころんで、午睡をしたりぽかんと枝の間から透いて見える夏至の輝きを眺めたりするのである。」

情景が映画を見ているように立ち上がってくる、こんな文章で始まります。この公園のベンチで寝ころぶことが仕事?となっている私のお話です。つげ義春の漫画の主人公のように無為な人物です。物語らしいことは、何も起きません。しかし、人生の虚しさ、孤独が文章の奥から漂って来て、そのあたりが昔のフランス映画っぽい感じです。

本書には三作品収録されています。最後の作品「あの路この路」は、人生の幸せ度0、悲惨度100の作品です。そんな小説、何が面白いの?と思われるかもしれません。

「葬式を出すと、お牧はがっくりとなった。借銭続きでもはや店も仕舞うと、身體の調子が悪いので、一時しのぎの裏町の、これもお牧に劣らず無一物の子供だけはうようよしている家の一間を借りたが、そこに入るなり寝ついてしまった。誰も介抱するものはいなかった。」

希望なんてどこにもない世界ですが、読んでいるとなぜか”心地よくなってくる”のです。それは作家の力、文章の力に依るのではないでしょうか。悲惨であればあるほど、その世界に絡め止められてしまう。文学の魅力かもしれません。