ヒュー・ロフティングの小説「ドリトル先生」シリーズを初めて読んだのは、小学生の頃だったでしょうか。岩波書店から出ている全12巻のシリーズで、翻訳を井伏鱒二がしていました。しかし全12巻、確か最初の数巻だけしか読まなかった…….。

今回、生物学者の福岡伸一が翻訳した「ドリトル先生航海記」(新潮社/古書700円)を手にしました。本作品はこのシリーズでは第二巻に該当するもので、1922年に発行されました。原作者のロフティングは、第一次世界大戦に従軍し、その時自分の子供たちに送った物語が、シリーズの原型になっています。

再読の感想は、実に面白い!ワクワクする物語展開に、大人も子供も巻き込まれてしまいます。

パトルピーという町にある靴屋の一人息子トミーが、ドリトル先生と出会うところから始まります。トミーは、先生のような博物学者になって動物と話せるようになりたいと思っています。先生と一緒に住んでいるオウムのポリネシアはトミーに向かってこんなことを言います。

「それが観察力ってものですよ。鳥や動物の些細な特徴に気づくかどうか。歩き方、首の振り方、はばたき方。鼻をクンクンさせるのも、ひげをピクピクさせるのも、尻尾をパタパタさせるのも、ちょっとずつちがいがあるのです。動物のことばを覚えたいなら、そういう些細な特徴を見逃さないようにしなくてはなりません。」

つまりポリネシアは観察力の重要性を語っているのですが、今回読んでみて成る程と思う箇所が沢山ありました。

やがて、トミーはドリトル先生と楽しい仲間たちと壮大な航海へと旅立っていきます。海の美しさをシルバーフィジットという魚がこんな風に語ります。

「大西洋の波間をぴょんぴょん跳ねて、貿易風の波しぶきを浴びてケラケラ笑って、青緑色の渦巻く波にドボンと飛び込みたいわ!夏の日暮れどきに、空が真っ赤に染まって、海のあぶくがピンクに光ったら、エビと追いかけっこするの。赤道の海の正午のなぎには、海面で寝そべって、熱帯の陽光でおなかを温めるの!」

今すぐにでも、海にいきたくなるような描写です。トミーは、命を落としかけたり、不思議な事件などに遭遇しながらも、地球の自然とそこに生きる動物たち、人々のことを学んでいきます。もちろん、飄々として全く動じないドリトル先生の導きあってのことですが。

こんなにも豊かな物語だったのかと改めて感動しました。

福岡伸一はドリトル先生をこんな風に解説しています。

「ドリトル先生は、すべてのことに公平な人でした。最初の最初から公平であり、公平でありつづけた人でした。公平さは、少年に対しても、貧しい人たちに対しても、あるいは違う文化を持った人たちに対しても常にごく自然なふるまいとして示されます。それは動物たちにも、あらゆる生命に対しても現れます。」

今、世界が最も必要としている人物じゃないですか!

 

 

生物学者の福岡伸一著「ナチュラリスト」(新潮社/古書950円)は、彼が生命の本質を知るための長い学問的旅路で知った、ナチュラリストたちの「ひたむきさと好奇心を知ってもらいたい」という思いを本にしたものです。

「ナチュラリストであることは喜びです。世界の美しさと精妙さに気づくことは、心を豊かにしてくれます。そして何かを学ぶことは自分を自由にしてくれます」

先ず彼が紹介するのはドリトル先生です。動物と自由に話せるドリトル先生の持っている「好ましさの本質」を福岡ハカセはこう分析しています。

「ドリトル先生は、すべてのことに公平な人でした。最初の最初からフェアであり、フェアでありつづけた人でした。この『公平』こそが博物学の基本かもしれません。つまり、他の生物を人間の視点から有用、無用というふうにわけへだてしません。生きとし生けるもの公平に扱うのです。」

初めて自然の美しさ、巧妙さ、大きさに触れた時の、はっとする喜びは謙虚です。しかし、成長すると共に、自分の思考を整理し、制度化していき、最初のピュアな気持ちは抑えられていきます。ドリトル先生は、大人になってもそんな気持ちを忘れずに、全てをフェアに見つめる人物なのです。

「生物学者は、新種を見つけ出すことを、『新種を発見する』とは言わない。新種を『書く』と言う。新種を見つけることは、新種を書くこと。見つけ、名づけ、みつめること。」であり、名づけるという行為を通して、言葉が世界と結びつけられ、世界はひとつひとつ記述されていきます。ところが、ドリトル先生は違うのです。名付けて、見つめるのではなく、その相手の語る言葉に耳を澄まして、彼らの言葉を吸い上げてきたのです、それがドリトル先生の物語なのです。

ドリトル先生の物語をきっかけにして、ナチュラリストとは何かというテーマへと向かい、福岡ハカセが、あ、この人ナチュラリストだ!と思った方がどんどん登場してきます。その語り口は、穏やかで、相手へのリスペクトに満ちたものです。もちろん専門的な話も出てきますが、素直に理解できます。そして、最後で福岡ハカセは驚くべき発言をします。

「そろそろ私は分子生物学者をやめるときかもしれない。そして、私がほんとうに好きだったはずの生物学者にもどるときがきたのかもしれないと感じた。いまからでも本来のナチュラリストに戻ることができるだろうか。」

なんと研究室をたたみ、学生を送り出し、全く違う学部へと移っていきました。この本、実は福岡ハカセの人生の一大転換点を捉えた読み物なのでした。面白い!

 

 

 

 

 

 

 

生物学者の福岡伸一が、たしか、カリフォルニア州サンタモニカにあった古書店のことを「週刊文春」の連載で書いていたなぁ〜というおぼろげな記憶で、その文春の連載記事をまとめた「変わらないために変わり続ける』(文藝春秋/古書950円)をパラパラめくっていると、ありました、ありました。

十数年前、彼が海岸沿いの商店街のプロムナードと呼ばれる歩行者天国をぶらぶらしていた時のことです。

「このプロムナードの端っこの方に、木の扉の、間口は狭いが奥深い、なかなかシックな感じの古本屋さんを見つけた。当事は9/11の直後。至る所に星条旗が掲げられ、アメリカ中で愛国心が盛り上がっていた。ところが店頭の一番目立つショーウィンドには反体制で知られるノーム・チョムスキーの著作 ”9−11:Was There  an Alternative”(邦訳『9・11−アメリカに報復する資格はない!』)が飾ってあった。ああ、アメリカにもこんな本屋さんがあるんだ、かっこいいと思った。」

その本屋が今もあるのか、いやあって欲しいと念じつつ、福岡はこの街を再訪します。その場所にはありませんでした。しかし、違う場所にアート系に特化した古書店を発見!どこか、一本筋が通った雰囲気を感じて、店員に訊ねると、あの古本屋だったのです。「ポスト9/11の荒波を乗り越えて、立派に進化を遂げていたのだ。」と歓びを文章にしています。

著者は、研究修行時代在籍したNYロックフェラー大学に、客員教授として滞在することになります。そして、この巨大都市の生活、アート、文化の断面を、好奇心一杯に観察したのがこの本です。

スタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」は、主人公の小説家が狂気じみた表情でひたすらタイプライターを打つシーンが有名ですが、著者は同じタイプライターをノミの市で見つけ、ホクホク顏で買って帰ったというような話も沢山あり、肩のこらない読物になっています。

ほぼすべてNYの話ですが、京都が登場するものがあります。「今出川通から猪熊通という小さな路地を少し奥に入った古い木造の町家の二階」に下宿していた学生時代。「猪熊通今出川上ル」だけで郵便物が届くことに衝撃を受けたそうですが、NYもそうらしい。そこには、”いけず”って言葉もあるんだろうか….。詳しくは第7章「タイルの街と目地の街」をお読み下さい。

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。

参加費は2000円です(要予約)