最後までやっと読めました、種村季弘を!「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房/絶版800円)です。

種村 季弘(1933〜2004年)は、古今東西の異端、暗黒的な文化やアートに関する広汎な知識で知られた評論家です。独文学の翻訳の他、内外の幻想小説や美術、映画、演劇、舞踏に関する多彩な評論を展開してきた、「博覧強記」として知られています。「吸血鬼幻想」、「ドイツ怪談集」とか何度かトライしたのですが、挫折。彼の膨大な知識量に付いて行けなかったのだと思います。

しかし、生前最後の自撰エッセイ集として発行されたこの本は、非常に読みやすい一冊でした。2004年、病状が悪化した彼は、編集者と共に様々な媒体に発表したものを収集し、整理してまとめました。本書は「西日の徘徊老人編」、「幻の豆腐を思う篇」、「雨の日はソファで散歩篇」、「聞き書き編」に分けられています。

「西日の徘徊老人編」では、戦後アメリカ兵が独占していた占領下の銀座を「多様な民族、多様な人々を静かに受け入れている戦前の、あるいは今の銀座のような品位がなかった。」と書いています。傑作なのはその中に収められた「名刺」というエッセイ。

書き出しは、「テレビを家の中に置かず、名刺を持たないとどういうことになるか。テレビ番組が話題になる大抵の席で口をきかなくてすむし、人に会っても名刺を渡さないからすぐに忘れてもらえる。この情報過剰時代にその人の身のまわりだけがひっそりと閑散となり、都会の真ん中に住んでいて世捨て人になれる。」都会の真ん中で世捨て人になる偏屈なおやじ、いいですね〜。

「幻の豆腐を思う篇」は、そのタイトル通り、食に関するエッセイが集まっています。「豆腐は日常食である。だから近くにいい豆腐屋があるかどうかが、豆腐好きには死活の問題になる。」と、引越しの度に、豆腐屋を探して奔走していた様が面白く描かれています。酒好きには、酒場にちょいと行きたくなる文章がいっぱい書かれています。

自分の死をすぐ傍に捉えていたのでしょうか。「そこの共同浴場である日倒れて、そのまま救急車で運ばれてお陀仏になる。あの世行きの永くて短い待合室であること」が温泉の理想と語り、山田風太郎論では「人生をぜんぶ余録、余生と見て、死ぬまでの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない。」と締めくくっています。

絶妙に味のあるエッセイって、おそらくこういうものなのでしょうね。

1933年生まれのドイツ文学者、評論家の種村季弘は、古今東西の異端文化や芸術に関する広汎な知識を駆使して、内外の幻想小説や美術、映画、演劇に関する多彩な評論を展開してきました。85年に発表された「一角獣物語」(大和書房/初版1400円)はこの幻獣の歴史を美術、文学を中心に解きほぐそうとする意欲作で、図版も多く収録されていて、熱心に読みました。

が、どうも文体の合わない作家が存在して、私の場合、田中小実昌、吉行淳之介、そして種村あたりになってしまいます。それ故おのずと、距離が出来ていました。

ところが、ある時手に取った種村のエッセイ「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房1000円/絶版)は、心の中にすっと入ってきて、今でもパラパラ捲っては読んでいます。この本を手放せなくなったのは、「西日のある夏」の最後の文章からでした。

「西日のさす時間は、いわば汚れながら浄らかな光をはらんでいる。その青いまでにすみれ色の光を浴びていると、世紀末の画家や詩人がなぜこの土地を愛したかも、そこからの連想でパリや京都のような何度となく没落を経験してきた都市がなぜ西日さす窓を好んできたかも、おのずと理解されてくる。盛りの夏は、西側の太陽の没落の相で見るなら、死と再生の季節なのである」

文中の「この場所」とは詩人リルケが滞在したブォルブスブェーデンという芸術村で、種村は75年に訪れています。静かな村に射す西日を見て、こういう風に思ったのでしょう。

これは、生前彼自身が選んだ最後のエッセイ集で、予断を許さない病状のもとで、編集されていきました。いわば彼の「白鳥の歌」的な一冊です。どこかに死の予感が漂っているのかもしれません。

亡き山田風太郎をこう書いています。

「人生をぜんぶ余録、余生と見て、死ぬまでの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない」

そんな最後を種村も、彼なりにおくったのではないでしょうか。このエッセイに溢れる軽妙で、巧みな言葉使いの端々にその事を感じるのは私だけですかね…..?