京都駅前伊勢丹デパートにある駅美術館「安珠写真展Invisible Kyoto」(6月30日まで)に行ってきました。この写真家の女性、元々はパリコレ等で活躍する国際的なモデルだったそうです。1990年に「サーカスの少年」を出版して写真家に転向、現在に至っています。

彼女はこの写真展についてこんな風に語っています。

「日本人のスピリチュアリティの概念が根付いた平安京。ここに人生100歳時代を豊かに生きる手がかりがあるかもしれません。命を愛おしみ平和を願う想いは『令和』も変わらないのですから。 私は平安京を知れば知るほど見えない世界を物語からひもとき、写真で寄り添いたいと思うのです」

様々な平安時代の物語の一部を写真の中に取り込んで、独自の世界観を展開していきます。「青馬」という作品(写真右)。平安時代、正月七日に「青馬」を眺めれば年中の邪気から逃れられることが知られていました。中国では青が「春」の象徴だったことから、当時は淡灰色の馬を「青馬」と呼んでいました。平安中期、青馬が白い馬になりその読み方だけが残ったみたいです。壁面一杯に広がる白い馬の姿を見つめていると、心や体にまとわりつく、うっとおしいものが飛んでいきそうです。深呼吸すると馬の呼吸音が聞こえてきます。

渡月橋の松枝を捉えた作品も素敵です。細い枝に苔や虫が寄生しています。その背後に広がる嵐山の自然。自然との共存を絵にしたような作品ですが、平安時代には「自然」という概念は存在せず、人と自然は一体でした。苔、松枝、水が織りなすハーモニーが響いてきます。

私がこの作品展に行った理由は、チラシにあった蛾と女の子のコラージュ風作品(写真左上)に惹かれたこと、さらにこの会場の音楽を細野晴臣が担当していたことです。どんなサウンドを聴かせてくれるのか興味津々でしたが、さすが細野。かすかに、遠くの方から響いてくるノイズ風の音を中心に構成された無機質な音楽が、会場を包みこんでいました。細野ファンなら行かなくてはね!

 

 

 

♫トーク&ライブ決定 7月13日(土)澤口たまみ(かたり)石澤由男(ベース)

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再決定。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。     朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時会場18時30分スタート (2000円)ご予約ください

 

 


 

1983年7月24日、西武ライオンズ球場で大きなコンサートがありました。出演は、ラッツ&スター、大滝詠一、サザンオールスターズというビッグネームです。そこで二番目に出た大滝詠一のステージが、初めてCD化(1900円/中古)されました。彼の経歴や功績を、今更どうこう書くつもりはありませんが、彼と彼の仲間たちがいなければ、歌謡曲もポップスも、今日の音楽的進展はあり得なかったのは事実です。

コンサートは、意表をついた形でスタートします。山本直親指揮の新日本フィルハーモーニー・オーケストラが壇上に並び、フルオーケストラで、大滝のヒットナンバーを演奏し始め、全5曲、インストが続きます。おそらくサザンオールスターズのファンは退屈だったでしょうね。しかしインストでも、彼のラグジュアリーで叙情的なメロデイーを満喫できて、私は楽しく聴きました。「カナリア諸島にて」を飛行機の中で聞いたら、きっと旅の気分がぐっと上がる出来上がりです。

その後は、彼の代表曲の釣瓶打ちです。薬師丸ひろ子の「探偵物語」や、森進一の「夏のリビエラ」の英語バージョンなど、こんな曲も歌うんだなぁ〜という選曲で楽しませてくれます。そして、エンディングがまた大滝らしいというべきか、「夢で逢えたら」のフルオーケストラ演奏で終わるのです。普通なら、ラストナンバーで盛り上がるところ、いやはやのラインナップです。

さて、大滝と同じく日本の音楽界に多大な影響を与えている、細野晴臣もユニークなアルバムを出しました。彼が1973年に発表したソロアルバム「HOSONO HOUSE」をリメイクした「HOCHONO HOUSE」(中古CD2500円)です。73年発表のアルバムは、今でも若い世代から圧倒的な支持があって、じゃあもう一度リメイクしてみようか、となったみたいです。ただ、単なるリメイクではなく、全ての曲の歌唱、演奏、ミックス、プロデユースを細野一人でやっています。「HOSONO HOUSE」を愛聴していた人ならわかると思いますが、逆の順番で演奏していることに気づきます。全く逆の順序でスタートし、オリジナルで先頭に収録されていた曲が、ここでは最後に演奏されています。自分の音楽で盛り上がることを良しとしない、彼らしい盛り下がる音楽をお楽しみください。

なお、この二枚のアルバムのことを特集した「レコードコレクター」最新号も古書(400円)で入荷しています。お好きな方はまとめてどうぞ。

少し前の店長日誌で梨木香歩作品集「西の魔女が死んだ」の素晴らしい後書きについて言及しました。大事なことは、「大きな声を持たずとも、小さな声で語り合い、伝えてゆくことができる。」と、彼女は記しています。

同じことを音楽家、細野晴臣はその著書「分福茶釜」(平凡社/ハードカバー絶版800円)でこんな風に語っています。ある言語学者が「本当のことは小さな声でひそひそ語られる」という発言を受けて

「実は人びとにいっぱい聴かせるような音楽は好きじゃないんだ。大きな音で人に聴かせる音楽ね。大きな音で聴かせる音楽はオペラから始まったんじゃないかな。ローマ帝国のパワーだよ。でも少数民族の音楽って自分だけのためにある。旅をしながら親指ピアノを弾いたり、鼻で吹く笛は自分にしか聴こえないし。自分と自然との環境のなかで、くゆらせる音楽っていうものがある。で、大きい音ってどこから出てくるのか、と考えたら帝国主義なんだと思ったわけ。」

そして、こう結びます。「演説も、アジテーションも、とにかく大きな音は空しいんだよ。」

北欧の少数民族サーミに伝わる伝統民謡、通称「ヨイク」を歌うウッラは、今もトナカイと暮らしています。その音楽は細野の言う通り「自分と自然との環境のなかで、くゆらせる音楽」です。(CD「ルッサ・エアナン」1300円)

「うるさい音楽は音を小さくしたってうるさいし、逆に、いい音楽はフルボリュームにしたって静かなんだよ。」とも語りますが、これ、正しいと思います。店内でかける音楽には気を使っていますが、ジャンル、内容に関係なく、良い音楽は静かに染み込みます。あるロックバンドの音楽を流していた時、ロックのロも知らないお客様が、「この音楽、本に寄り添ってるね」と言ってくださいました。書物にとっていい音楽だったのだと、ちょっと嬉しかった。

細野のこの聴き語り本は、音楽のことだけではなく、例えば、老いることはよい、と語っています。

「本来は自然に年をとれば知恵がつく。ところが最近の老人はちゃんと年をとれていないから。本人も自分を老人と思わずに若者になろうとする。年をとれないのが当たり前になってきて、世の中にも年寄りの境地ってものが用意されていないから、そのノウハウが途切れちゃっているんだ。」

こんな具合に、音楽のこと、社会のこと、そして生きることを、盟友鈴木惣一郎と共に語り尽くします。

 

「70年代は本当に面白かったですから。何もかもが混沌としていて、刺激的だった。それはあの時代にしかなかったものだったと思います」

これは雑誌「SWITCH 70’VIBRATION YOKOHAMA SPECIAL ISSUE」(DVD付き1300円)でのユーミンの言葉です。

1969年、東大安田講堂に籠っていた全共闘の学生達が、機動隊との攻防の末、陥落したことでラジカルな時代は幕を閉じます。70年、大阪万博開催で明るく豊かな国ニッポンが躍り出ます。もちろん、一方では三島由紀夫の割腹自決事件や、よど号ハイジャック事件、その後の浅間山荘事件等々、悲惨な出来事が多くあります。あ、パンダ初来日もこの時代でしたね。ユーミンが言う「混沌」とした「刺激的」な時代だったと、同い年の私は同感です。

71年、イギリスから超甘酸っぱい映画「小さな恋のメロディー」がやって来て、私ら男子は涙し、72年情報誌「ぴあ」創刊。これを片手に、音楽情報や映画情報を収集していました。74年ユーミンが「MISSILIM」でデビュー。時代はオシャレ満開へとなります。資生堂等の大手化粧品会社が、大々的なプロモーションを展開したのもこの頃でした。

とはいえ70年代は、まだどこかに60年代の影を引きずりながら、新しいものを生み出そうとしていたように思います。個人的にも、大江健三郎が60年代末に発表した「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(新潮社・初版900円)を、読んだ気になったり、辻邦生の「北の岬」「背教者ユリアヌス」に夢中になったりと、古いものと、新しいものが混沌としていました。

そして、79年村上春樹が「風の歌を聴け」でセンセーショナルにデビュー。素敵な小説だなとは思いましたが、なんか違和感もありました。

もう過ぎ去ったあの頃のことを、この「SWITCH」をパラパラめくっていて、少しずつ思いだしました。

この特別号には、細野晴臣「ハリー細野&TIN PAN ALLEY IN CHINATOWN」という76年の幻のライブから3曲がDVDに収録されています。レアーな映像で、音楽ファンには必見です。

 

「64年のオリンピックで、この街の良い部分はなくなっちゃった。だから、今、オリンピックを東京で開催するのは大反対。開催すれば停滞感を払拭できると思っている人は、考え方が古いよ。そんなことよりも、街の下水にもっと気を遣うとかしたほうがいい。」

これ、細野晴臣の「HOSONO百景」(河出書房1200円)で「都会」について語った一文です。年末にBSで放映された音楽番組でも、彼は反対の発言をしていました。まったくもって、ごもっともです。この時代になんで東京でオリンピックやるの?

この細野さんの本は、彼の音楽人生を語ったものですが、音楽だけでなく世界をどう見ているのかまで書かれています。彼は東京ミッドタウンのBGM選曲の仕事をしていますが、今の東京のBGMが不愉快極まりないのを知った上で、こう発言しています。

「ほとんどの場所はなにもかもが垂れ流しなんだ。今の東京はそんな音と、鼻を突くにおいが混ざった都会で、五感を不快にさせることばかり。そんな気持ちをちょっとした音楽で快感に変えられないかなと思って、曲を選んだんだ。」これ、東京だけじゃなく、日本中どこも似た状況です。

成る程ね、「ハッピーエンド」時代から、細野さんの音楽って心和ませてくれたけれど、こういう考え方を首尾一貫してきたヒトだったのですね。

音楽家としての彼を育てたあらゆる国のサウンド、影響を与えた映画の数々、タイタニック号に乗っていた祖父のこと、そして横尾忠則との嘔吐&下痢のインドツァーの話とかどこから読んでもおもしろいですが、美女について語っている件は、この人らしいです。

「もっと自然に女の人の顔が心の表れるになるような時代が来ればいいなって。僕みたいなおじいさんになると、化粧をしていない素顔の美しさが心地良いんです(笑)」

ハッピーエンド時代に、細野が作詞作曲した「風来坊」という曲があります。「ふらり ふり ふり風来坊 風来坊 朝から 晩まで 風来坊 風来坊 風来坊」という感じが延々続く曲ですが、細野さんは風来坊みたいに、ふらりといろんな場所へ飛んでいって、居心地のいい音を見つけては、ホッ、ホッ、ホッと和んでいたんでしょうね。(この曲の入った「はっピーエンド city-ベスト」1450円も在庫しています)

Tagged with: