すずきまいこさんの新作絵本「いつも おまえの気配を さがしていた」(新刊/1080円)が、北海道のかりん舎より届きました。すずきさんは、北海道在住で、昨年の5月に絵本「ぼく生きたかったよ」発売記念の原画展を当店ギャラリーで開催しました。

前作「ぼく生きたかったよ」は、戦時中、国が猛獣の脱走を恐れて動物園に処分を命じた時に、京都動物園で殺された熊の親子の実話をもとにした絵本でした。戦争は動物の命も平気でむしり取ることを、独特のペンのタッチで強く印象づけた絵本でした。今回の新作は、北の大地にいきる熊たちの気配を身近に感じていたい、著者の気持ちが込められた素敵な絵本です。

「カサカサなる 笹の葉 ひんやりした 森の空気 ーこの風のなかにすわって 絵を書くこと…….  それは とおい都会にいたときに 涙が出るほど 夢見ていたこと」

その夢みていたことに身をまかせて、山の中のクマの気配に耳をそばだててながら、細密に描き込まれた植物と、そこにヒョイと出て来るユーモラスなタッチのクマの足。豊かな森に囲まれて、森に生きる命と会話しながら描くすずきさんの幸せな感じが伝わります。

「リスに はなしかけながら おまえの息づかいを かんじながら いま ここに 生きているんだ……..と 目のまえの いのちを 紙に描きおこす たのしさ」

レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」に近い感覚をちょっと覚えました。

作者は最後にこうつぶやいています。

「一とうのクマが 撃たれて 星になった それ以来 わたしの胸の だいじなところに おまえは棲みついて 森をはなれると おーい おーいと こころの中の おまえが呼ぶ」

星野道夫が、都会で生きている時、同じ時間をくまが森の中で生きている不思議さに感動すると書いていました。最終ページに描かれた絵(写真右)は、星野も、すずきさんも心の中で見たに違いない森をゆくクマの姿のようです。

 

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」と神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限りサイン入(予定)。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。

 

 

ジョアン・シュウォーツ(文)シドニー・スミス(絵)による絵本「うみべのまちで」(BL出版/古書1350円)は、「平和」とはこういうものだ、という真実を描いています。

時代は1950年ごろ。舞台はカナダ東部大西洋岸のケープ・ブレトン島。海底の炭鉱で働く父親と家を守る母親、そして語り手である少年の毎日を描いた絵本です。海を背景に、炭鉱へと向かう男たちを映画的なワイドスクリーンに収めたショットで絵本は始まります。

「ぼくの とうさんは たんこうで はたらいている。 たんこうは うみの したに ほった トンネルだ。」と少年は語ります。

質素だけれど、清潔感あふれる家。少年には「ぼくの うちからは うみが みえる。」家です。「あさ、めをさますと いとんな おとが きこえてくる。カモメの なくこえ、イヌの ほえるこえ、うみぞいを はしる くるまのおと、ドアを パタンとしめて 『おはよう』という だれかのこえ」

静かに時間が経過していきます。「カーテンを あけると、めの まえに うみが ひろがる」。今起きたばかりの少年が、パンツ姿で海辺を見つめています。さわやかな海風がこちらにも吹いてくる様です。

「そのころ、とうさんは うみの した くらい トンネルで せきたんを ほっています」

という文の繰り返しで、海底で腰を屈めて石炭採掘に従事する男たちの絵が何度も登場します。

父親が働いている時間、少年は友だちと遊びまわったり、お母さんの言いつけで町へお買い物に出たりと楽しい一日を過ごしています。その雰囲気がとても心地良いのです。

「きょうは とても いいてんきで うみが ひかっている」

その平和な風景が、心に染み込んできます。夜、仕事から帰ってきたお父さんを囲んで夕食の語らい。

「きょうは ゆっくりと うみに しずんでいく」

風景を見ながら、一家はうつらうつら。

特別なことは何も起こらないけれど、ゆっくりと満ち足りた時間が過ぎてゆく。これを平和と呼ばずに、なんと言えばいいのか…….。

すぐに暴言を吐く大統領も、問題の渦中の首相も、ぜひお読みいただき「平和」という意味をお考えくださればと願います。

1900年代初頭に活躍した、アメリカの詩人ロバート・フロストの作品は、口語的で清貧なスタイルを持っていて、今でもアメリカ人に暗唱され、愛されています。特に、ニュー・イングランド地方の自然をテーマにした作品に秀逸なものが多くあります。

“Stopping by Woods on a Soney Evening”(雪降る宵、森に佇みて)を題材にして、スーザン・ジェファーズの繊細な鉛筆画が素晴らしい「白い森のなかで」(ほるぷ出版/古書800円)を入荷しました。

「この白い森はだれの森」で始まる詩に、雪深い森の奥から馬車に乗ってやってくる老人が描かれています。静まりかえった森をみつめる老人。彼のことを知るのは森に生きる動物達のみです。

「家もないのにたちどまる わたしを子馬はふしぎがる」一面真白な世界の向こうに、ウサギ達や鹿の姿がうっすらと見えています。「森と こおった湖の あたりをつつむ この年の いちばんみじかい日のくれに」、老人は動物達の食べ物を置いて去ってきます。

「ほかにはやさしい風の音 吹きすぎる風の音ばかり 雪の花びら ちるばかり 森はしづかにくれてゆく くらく やさしく かげがふく」

静寂だけが支配するこの世界を、詩句と絵が見事に美しく表現しています。

「けれども わたしは 約束を まもらなければなりません」

村に立ち寄った老人は、ほんの一時村人と交流をかわした後、「約束をまもるために もういかなければなりません。眠りにはいるまえに」という言葉を残し、村を去っていきます。

「もういかなければなりません。眠りにはいるそのまえに」という言葉と共に、雪の降りしきる森の奥に消えていきます。この「約束」って何なのかは、読んだ者が想像するしかありません。

日本はこれから暑い季節へと向かう時に、季節外れの本かもしれませんが、心の奥深くに染み込む静謐な世界に浸っていただきたいと思いました。

スーザンは「木の枝々や、そうしたものの存在する空間について語りたかったのです。そして雪嵐の静寂や、わたしがそのなかにふみだすときに感じる”永遠性”についての感覚などの印象をかきたいと思いました」と述べています。

森のすべてはモノクロで描かれる一方、老人や子供たちの服には色彩が加えられ、冷え冷えとした森の佇まいと、体温の温もりの対比が見事です。吹雪く森の彼方に消えてゆく老人の姿を、いつまでも見送りたくなる絵本です。

 

 

イラストレーター、庄野ナホコの名前を初めて知ったのは、雑誌「ブルータス」が古本の特集をした号の表紙でした。大きなクマさんが、均一台を物色している姿です。いるよなぁ〜こんな感じの人って、と古本屋に思わせる素敵な絵。シロクマさんがリュック背負って、やはり均一台をゴソゴソしている作品には思わず吹き出しました。

それより前だったか後だったかに、多和田葉子の「雪の練習生」(新潮社/古書800円)を読みました。これ、実に変わったお話です。旧ソビエト連邦のサーカスの花形から作家に転身した「わたし」と、娘の「トスカ」、その息子の「クヌート」へと繋がるホッキョクグマ三代の物語です。「わたし」は、会議に出席したり、アシカが編集長を務める?出版社から自伝小説を出版したり、はては母国ソビエトから西ドイツへと亡命するという、奇想天外で、そして美しく切ないお話でした。この小説が文庫化された際、単行本の表紙がシロクマの写真から、庄野ナホコのイラストに変わっていました。表紙絵が、見事に作品の世界を表現しています。

彼女の創作絵本「北極サーカス」(講談社/新刊1620円)を入荷しました。これは、鯨に引かれた流氷の上でショーを見せる北極サーカス団を描いたものです。見物客は、イヌイットにクマにオオカミと、人間も動物もごちゃまぜです。サーカスでは、白いオオカミが空中ブランコを舞い、シロクマが、華麗なスケートを披露します。けれど楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

「ふしぎで ゆかいで なぜだか すこし かなしくて」

 

庄野ナホコの作品に「ルッキオとフリフリ」という野良猫を主人公にした連作があります。その一つ「おおきなスイカ」(講談社/古書1200円)の最初に、このネコたちの夢が書かれています。

「おおきな おやしきに 『しゅうしょく』して、だんろの まえに ベッドを もらい ぎんの おさらで まっかな マグロの おさしみを いただく ことでした」

我が家のネコもそんな願いをもっていたかもしれません……。

 

★連休のお知らせ 勝手ながら19日(月)20日(火)連休いたします

アンドレ・レトリア(絵)&ジョゼ・ジョルジュ・レトリア(文)によるポルトガル発の絵本「もしぼくが本だったら」(アノニマ・スタジオ・新刊1944円)は、すべての本好きに読んでいただきたい美しい絵本です。

「もしぼくが本だったら つれて帰ってくれるよう 出会った人にたのむだろう」

という文章にはベンチに置かれた一冊の本が描かれています。

「もしぼくが本だったら ぼくのことを<友だち>とよぶ人に 夜がふけるまで読まれたい。」

には、まるでキャンプ場に貼られたテントみたいな形で本が置かれています。本のテントの中で、夜更けまで本と一緒にいたくなります。

「もしぼくが本だったら だれかをしあわせにできるなら どこへでもゆこう」

という文章には、まるで凧みたいに空高くフワリと上がった本と、それを操る人物が描かれていて、本とこうしてつながっていられたらきっと幸せになる!と思えてきます。

本の主張も色々あります。

「もしぼくが本だったら ぼくをえらんだ読者を 飼いならすことなく自由にしたい」とは本の矜持ですね。

こんなのもあります。

「もしぼくが本だったら 戦争したがる心をいっぺんでうちくだく 効果的でやさしい武器になる」

読む人によって、本にはそういう力も備わっているのかもしれません。

「もしぼくが本だったら 流行や義務で 読まれるのはごめんだ」

これは、強い意志の表れ。

全編こういうスタイルで、読書の楽しみが淡い色彩で描かれています。その一ページ、一ページを、ゆっくりと開いていくと、もっと本を読みたくなってきます。本好きの方へのプレゼントとしてもぴったりです。

本が、本屋通いが好きで良かった、と思うのはこんな本にふと巡り会った時かもしれません。

★写真はこの本の日本語版デザインをされた岡本デザイン室のツイッターより引用させていただきました。

絵本作家、長谷川集平の絵本「夏のおわり」が復刊ドットコム(古書1400円)から、再発売されました。傑作「トリゴロス」の次に続く、長谷川23歳の時の作品です。

戦争中、ゼロ戦に乗って、日本に飛来するB29爆撃機を何機も撃ち落としたと、自慢げに話すつよし君の父親。ゼロ戦とB29に分かれて、戦争ごっこに夢中になる子供たち。飛行機の翼よろしく両手を広げて、ブーン、ブーンと走り回り、機関銃のようにダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッと相手を撃ち落とそうと遊びます。長谷川は、少年たちの無邪気な表情とすばしこい動きを描いていきます。それだけを見ていれば、子どもたちの夏の遊びの一場面にしか過ぎません。

しかし、遊びの終った子どもの一人が、B29になったつもりで走り回っていた少年に、こんなセリフを口にします。

「さとる きょう、ちょっとおかしいで。ひょっとして、つよしのおとうちゃんに 戦争の話 聞かされたんちがうか。あのおっさん いっつも あれやからな。あそこは 親子そろって 戦争きちがいやなあ、ほんま。 あんなやつ ほっとけ ほっとけ。へへへ。」

絵本の中で、戦争きちがいと呼ばれているつよしの父親が、お酒を飲むと陸軍の軍歌「戦友」を歌い出すとこころがあります。でも、ゼロ戦は海軍。これについて、作者長谷川の父親は旧陸軍少尉だったので、海軍の人間が陸軍の歌を歌うはずがないという指摘をしたそうです。それに対して、「この人は嘘ついているか、妄想にとらわてるんや。子どもたちはそれを見抜いて、戦争きちがい言うねん。」と、父親に答えたと、長谷川はあとがきで書いています。大体、ゼロ戦が、巨大なB29をバッタバッタと撃墜なんて出来ません。

さとるが、田んぼのあぜ道を「ダダッ ダダッ ダダッ」と、見えない敵に向かって銃撃するように走り抜けていきます。知らないうちに忍び込んでくる、美化された戦争そのものを撃破するような少年の姿。危ない輩が、巧みな嘘で耳元で囁くご時世ですが、私たちも「ダダッ ダダッ ダダッ」と追い払わなければなりません。

 

★町田尚子ファンの皆様。彼女が2007年に発表した「小さな犬」(白水社/古書・絶版1600円)の美本が入荷しました。もう、健気すぎる内容です。「ネコヅメの夜」の猫とはまた違った魅力で、泣けます!

★レティシア書房第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)

みやこしあきこの絵本「よるのかえりみち」(偕成社/古書/1050円)を読んだとき、不覚にも泣けてきました。人間の幸福を、こんなに温かく描いてみせたことに対して深く心動かされたためです。

とある商店街。そこには多くの生活があります。夕闇迫る頃、遊び疲れた兎の子どもが、お母さんに抱かれて帰る道すがら、家々には灯りがついて、電話をかけている山羊さんや、オーブンで料理中の羊さん、一人でいるものもいれば、楽しそうなパーティの真っ最中のものもいます。迎えにきたお父さん兎に抱かれてベットに入る子兎。

夜も更けて、パーティに来ていた熊さんや、鹿さんが帰るところ、歯磨きをする洗面所の山羊さん、お風呂で今日の疲れを取る馬さんや、うたた寝しているカモシカさん、灯りを消してお休みタイムに入った熊さん等々の様子が、描かれていきます。

その頃には、子兎はぐっすり寝ています。どこかで足音が聞こえてくるのは、人気のない夜の街を抜け、最終列車に乗るネズミさんです。誰もいないホームに佇むネズミさん。遠い町へ向かう列車の窓からは家々の灯りが見えてきます。静かに深けてゆく街を走る列車を俯瞰でみて、絵本は終わります。

やわらかな灯りに包まれた家のぬくもりを、あますことなく描きだしています。表紙と裏表紙の見返しには、夜のしじまに浮き上がるアパートの窓が描かれています。部屋に灯った温かな光の中に、慎ましい生活が見えます。幸福って、こういうところにあるんじゃないの?と、この街の動物達は教えてくれます。これ以上、素敵な絵本はないと、今は思っています。

因みに本書は2016年ボローニャ・ラガッツ賞フィクション部門優秀賞、2017年 ニューヨークタイムズ・ニューヨーク公共図書館絵本賞を受賞しています。

 

あけましておめでとうございます。本日よりレティシア書房通常営業いたします。本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

2018年ギャラリーは、町田尚子「ネコヅメのよる」原画展で幕開けです。

ある夜、古い家に住んでいるネコが、「ん?もしかして今夜か?」と気づくところから始まります。一体何が起こるのか?

あちこちの露地から、ネコたちがぞろぞろと出てきて、お互い「いよいよですね。」などと挨拶しながら、ある場所に集まっていきます。そこで大勢の猫たちが楽しみにしていたのは、何年かに一度夜空に上がる「月」だったのです。人は全く登場しません。ネコたちだけで成り立っている、ネコだけが知っている世界。

初めてこの絵本をみたとき、表紙のなんとも不敵な面構えに私はぞくっとしました。素敵!!!カワイイ猫は巷に溢れていますが、こういう、昔の映画に出て来る悪役のような、味のある顔にはなかなかお目にかかりません。この猫様を原画で観ることが出来たら、という願いが叶いました。本屋で原画展を巡回中の、WAVE出版さんからお話があり、町田尚子さんと親しいギャラリーnowakiさんのお口添えで、わがレティシア書房で開催されることになったのです。こいつぁ、春から縁起がいいわい!!

インパクトのある構図で様々な姿が描かれています。原画で見ると、夜の空気感や、細かいタッチ、深い微妙な色彩にみとれます。

 

町田さんは、8才のネコを引き取りました。「白木」という名前のネコがこの物語の主人公だと、絵本のあとがきに書かれています。そして、保護猫の活動にも参加されている様です。年末から販売中の町田さんの猫カレンダー「CharityCalendar2018」の売上げの一部も、動物保護活動に当てられています。

原画展開催を記念して、”ご当地サイン”入りの絵本「ネコヅメのよる」(WAVE出版1512円)、「CharityCalendar2018」(500円)、「手ぬぐい」(1300円)、「ポストカード」(2種類各162円)、「シール」(302円)など販売しています。(数量に限りがありますので、お早めに)

このブログを書いている最中に、町田さんのTwitterで知ったという図書館司書のお客様が来店されて「きっと関西でも原画展が開かれると楽しみにしていました。」と言って頂きました。本当に幸せなことです。「この絵本を子供たちに読聞かせしたら、すっごい喜ぶのですよ。」とも。ミステリー調に話して、怖い物語かと思っていると、最後に楽しいところで終るのがとってもいいのだそうです。

町田さんの猫世界にぜひ浸ってみて下さい。(女房)

 

 

 

レベッカ・ボンド作「森のおくから」(ゴブリン書房1200円)は、サブタイトルに「むかし、カナダであった ほんとうのはなし」と付いています。著者の祖父、アントニオ・ウィリー・ジローが100年ほど前に経験したことを絵本にしています。

1914年のこと。アントニオは深い森に囲まれたゴーガンダという小さな町に住んでいました。両親は、林業に従事する人、鉱石を取る人などの、長期間森で働く人々のためにホテルを経営していました。幼いアントニオは、大人たちの話を聴くのが大好きでした。そして時には、一人で森に入っては遊んでいました。彼が5才の時、山火事が起こります。火の勢いは激しく、住民もホテルの客もみんなゴーガンダ湖へと逃げ出し、鎮火するのを待っていました。すると、そこへ森の奥から、熊や鹿など多くの動物も湖へ逃げてきて、人々と一緒に山火事を見つめるという出来事が起きます。やがて、火は弱まり、動物達も人間達もやれやれという表情で、なんのトラブルも起こさずに、それぞれの住処へと戻っていきました。

 

ペンと水彩で細かく描き込まれた森や、動物たちの表情、ホテルの様子など奥行きのある絵が美しい。そして、俯瞰で捉えた湖に動物と人々が一緒にいる画面が、次のページでは、さらに近寄り、アントニオの周りにカモシカや狐が集まってきます。動物達も同じ森に住む生きるものとして、住人と静かに佇んでいるなんともステキな画面です。

さて、もう一冊絵本を紹介します。優れた児童文学者でありながら、幻想味たっぷりの怪奇小説で日本でも人気の高いウォルター・デ・ラ・メアが詩をつけて、カロリーナ・ラベイが絵を描いた「おぼろ月のおさんぽ」(岩崎書店1200円)です。

夜空のお月様が、地上に降りてきて、身体は猫になって散歩するというメルヘンです。静寂が支配する森の中を、月光で周りを照らしながら歩いてゆくお月さまの姿が可愛らしく描かれています。

デ・ラ・メアと言えば、橋本治の翻訳した「まぼろしの顔」が傑作ですが、創元推理文庫の収められた「死者の誘い」もいいです。前者は美本なら高額で取引されています。後者は絶版ですがそう高くはありません。(近日入荷します!)

 

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

 

 

「都市と野生の思考」(インターナショナル新書400円)は、京都大学総長の山極寿一と、京都市立芸術大学学長の鷲田清一との対談集です。

二人の知識人が、様々なテーマで縦横無尽に語り合います。大学の存在意義、老いと成熟を学ぶ場としての京都、これからの家族の在り方、アートの起源、自由の根源、ファッションに隠された意味、食の変化がもたらすもの、教養とは何か、AI 時代の身体性まで語り尽くします。優れた知識人の話が、読者の知的好奇心を膨らますというのは、こういう本のことですね。私は1章づつ、電車の中で読みました。

ところで、東京生まれで生粋の京都人ではない山極先生は、京都をこう語っています。

「京都ではいまだに、衣食住にかかわるしきたりがきちんと保たれている。これが根っこを共有する意義でしょう。これは表に現れないからこそ大切なものだった。そんな根っこを日本の多くの地域は失ったんですね。」

へえ、そうなの?と思わないこともないんですが……..。

山極寿一は、ご存知のように霊長類の研究者として、研究発表、執筆など様々な活動をされています。その中の一冊「ゴリラの森に暮す」(NTT出版/絶版1400円)はお薦め。アフリカのザイールで野生のゴリラを追い求めてジャングルを駆け巡った日々を中心に書かれた本ですが、文章が平易で、専門用語が少ないので誰でもスルリと読めます。第一章の「原生林の世界」だけでもお読み下さい。ジャングルで道に迷い野宿をしたその夜、すぐ側に何頭ものゴリラたちが集まっていた時のことなど、小説みたいに面白く読めます。

山極寿一が原生林を歩きはじめたのは、数十年前。日本でサルを観察するために、各地で餌付けが始まり、成果は大いにあったみたいです(京都なら嵐山のサルが有名)。しかし、その一方、これで本当に野生に生きるサルの生態が解るのだろうか、と、人間からエサをもらうために道路沿いにズラ〜ッと並んで待ち続ける彼らを見て、疑問に思い始めます。それで日本各地を巡り、最後に屋久島に行き着きました。

屋久島に棲息するサルたちの生態を追って、彼らの社会を描いたのが「サルと歩いた屋久島」(山と渓谷社1200円)です。当時、大学院生だった著者は、各地で餌付けされて、やけに人間に親しいサルたちに違和感を抱いていました。ところが、屋久島のサルたちは、まるで人間なんて存在しないかのように振る舞っていました。そんな野生のサルに引込まれてゆく姿が描かれたネイチャーエッセイです。

笑い顔が素敵な著者の研究の原点を読むような二冊のサル本です。

 

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします)