「どの話にも闇と光の濃密な匂いが感じられる。正確には闇の深さに触れることで生の光が生まれているのだ。大きな海の中の小島。闇のなかの一点の光。そのなかで生きていることはめちゃくちゃな偶然で奇蹟。」

これ、何の絵本の解説かお分かりでしょうか?実は酒井駒子の「金曜日の砂糖ちゃん」です。

穂村弘の「ぼくの宝物絵本」(白水社/古書1300円)は、国内外の名作絵本70冊をオールカラーで紹介してあります。最初のページを開けると、先ず武井武雄を特集した「別冊太陽」の鮮やかな絵が登場します。文庫でも出版されていますが、これは、大きな版のハードカバーで見ないと絶対に損です。

 

こんな本も選んでいるのかと驚いたのが、太田蛍一の「働く僕ら」です。太田蛍一を知っている方は少ないと思います。彼はミュージシャンで、戸川純、上野耕路と組んだ前衛的音楽ユニット「ゲルニカ」で活動。その後1990年に発表したのが、この絵本です。絵本と言っても子ども向けではありません。昔のロシアとドイツ、そしてアジアのどこかの国の雰囲気をミックスさせたような近未来の国が舞台で、テーマは労働です。アバンギャルドに、そして妖しく展開し、得体の知れない魔力が存在しているみたいです。私は、音楽雑誌で彼が一風変わった絵本を書いているインタビューを読んだ記憶がありますが、こんな世界だったとは……..。版元リブロポートがもう無いために、かなり高値が付いていました。

こちらも高値が付いていて驚いたのは、矢川澄子作・宇野亜喜良絵の「おみまい」です。穂村は、ジョン・テニエルが描いたワンダーランドのアリスを、「じっと顔をみると少女というよりも大人の女性みたいだし、角度によってはなんんだかおばあさんのように思えることもある。私はその無表情さにときめきを覚える。」と書いていて、日本では宇野亜喜良の少女たちが、そういう少女に近いと言います。その代表ともいえるのが「おみまい」に登場するマリちゃんです。太い眉、大きな目、への字の口の無表情な女の子です。物語の中で、睨んだり、肩をすくめたりして、一度も笑いません。確かに、このマリちゃんは愛想はないのですが、カッコイイのです。

穂村はこんな少女に出会うと、「未熟な子どもたちが泣いたり笑ったりしながら経験を積んで成長するなんて、とても信じられなくなる。大人たちが安心するためにそういうことをしたいだけなのでは。」と述べています。

穂村らしい解説の楽しい大人向けの絵本紹介本です。お薦めです。

 

 

14匹の野ネズミの家族を主人公にした絵本「14ひき」シリーズで人気の、いわむらかずおのエッセイ「14ひきのアトリエから」(童心社/古書200円)の中で、栃木県芳賀郡益子町の雑木林の中にあるアトリエの写真が、目に止まりました。

彼は、こんな素敵な空間で絵本を執筆していたのか、と羨ましくなってきます。アトリエの大きな二つの窓からは、林が見渡せます。満月の頃には、東側の窓から月の出が見えるそうです。母屋までは50メートル。毎日、雑木林を歩きながら、「14ひき」シリーズの構想を練っていたのでしょうね。

林の中に落ちて死んでいたカケスを見つけて、じっくりと観察して描いたスケッチが載っています。この絵につられて、彼の自然暮らしのエッセイを読んでしまいました。畑を作り、鶏を飼い、森でキノコを採取する日々が、シンプルな文章で描かれています。家族は奥様と五人の子供たち。自家製の野菜でお鍋を囲む家族写真もありました。「1971年4月。5人の子どものうち3人は東京に出ていった。」と、地方に住むということはこんなに早く子供たちと離れなければならないことなんだ、と寂しさも書かれています。

 

 

いわむらさんも絵本で、私が大好きなのは「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」(偕成社/古書900円)です。山間を走るローカル線最終列車に乗った主人公は、にぎやかだった人達がいつの間にか消えて、ネズミの話し声に気づきます。やがて、イノシシ、チャボ、クジャク、クマ、キツネ、サルなどが次々と乗って来ます。列車の中は、ワイワイがやがや。これは幻か現実かと思っているうちに、動物達はとある駅で一斉に降りてゆきます。

「お客さん」と車掌に声をかけられて、我に帰る主人公。今、降りた動物達のことを車掌に聞いても、夢だろうと笑われて、廃線が決まったローカル線とはいえ、動物たちなんか乗せませんと言われてしまいます。そして、「とかいの人からみると、こんな山おくの、ローカルせんなんか、やくにたたねえ、はんぱもんと、おもわれるでしょうな。でも、わしらにとっちゃ、じいさまのころから、だいじにしてきた、心のささえなんですわ」

 

終点に着いた主人公が、列車を降りる時、車掌がドアを開けてくれます。にっこりわらって、会釈し合う二人の姿で絵本は終ります。素敵な映画のラストシーンみたいな余韻の残る絵本です。

ほんまわか作品展が本日より始まりました。

ほんまさんが、沖縄の伝統工芸「琉球紅型」で絵本を作り始めたのは、京都から沖縄に移り住んだ2015年からのこと。琉球紅型は、型紙を彫って、糊を置き、糊を置いたところ以外に、直接色を注します。糊の部分が白く仕上がるというわけです。さらに、使用する色に制限があり、必ずボカシをいれなければならないのだそうです。紅型の作品をみるとそこはかとなく「沖縄」を感じるのは、そういった決まりがあるからですね。

琉球紅型は、戦争で道具などが消失したのですが、戦後作家達の努力で復興されたのだそうです。民芸運動の芹澤銈介にも多大な影響を与えたとされています。伝統を重んじる琉球紅型を教えるところでは、デザインも伝統的なものしか認められないところもあるとのですが、ほんまさんは、基本を忠実に習いながら、独自の世界を創りあげています。もともと絵本作家さんとして、絵本を何冊もだしておられたので、優れたデザイン力と絵を作る力がしっかり蓄えられた上に、紅型染めの技術がさらに積み上げられています。

今回は、動物の可愛いキャラクターが、伸びやかに生き生きと楽しそうに遊んでいる新作「みんなのおうち」(税込み1800円)の原画が並びました。爽やかな白地の布の上に、型染め独特のきっぱりとした輪郭と鮮やかな色合い。この季節にぴったりの素敵な展覧会になりました。

京都の大学院で研究者を目指しながら、絵本を作りはじめたころ、10年間フィールドワークで訪れた沖縄を舞台にした「あだんのぼうけん」(1080円)は、生き物の様子が正確にしかも楽しく描かれていて、この作家の仕事の根っこの深さを知る事ができます。コツコツ好きで作ってこられた「ポケット絵本」(各300円)も10冊になり、箱入り10冊セット(3000円)などというものも出来上がりました。ここにも作家の遊び心がにじんでいます。

ポストカード(162円)、バッグ(1852円)、コースター(3枚セット1620円)など、可愛いグッズも揃いました。一緒に住んでいる、10匹以上の猫たちをモデルに描いた「ねこだらけハンカチ」(1296円・写真左)も、猫愛にあふれています。(女房)

ほんまわか作品展「紅型染めと小さな絵本」は5月27日(日)まで。12時〜20時(月曜日定休)

 

 

 

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すずきまいこさんの新作絵本「いつも おまえの気配を さがしていた」(新刊/1080円)が、北海道のかりん舎より届きました。すずきさんは、北海道在住で、昨年の5月に絵本「ぼく生きたかったよ」発売記念の原画展を当店ギャラリーで開催しました。

前作「ぼく生きたかったよ」は、戦時中、国が猛獣の脱走を恐れて動物園に処分を命じた時に、京都動物園で殺された熊の親子の実話をもとにした絵本でした。戦争は動物の命も平気でむしり取ることを、独特のペンのタッチで強く印象づけた絵本でした。今回の新作は、北の大地にいきる熊たちの気配を身近に感じていたい、著者の気持ちが込められた素敵な絵本です。

「カサカサなる 笹の葉 ひんやりした 森の空気 ーこの風のなかにすわって 絵を書くこと…….  それは とおい都会にいたときに 涙が出るほど 夢見ていたこと」

その夢みていたことに身をまかせて、山の中のクマの気配に耳をそばだててながら、細密に描き込まれた植物と、そこにヒョイと出て来るユーモラスなタッチのクマの足。豊かな森に囲まれて、森に生きる命と会話しながら描くすずきさんの幸せな感じが伝わります。

「リスに はなしかけながら おまえの息づかいを かんじながら いま ここに 生きているんだ……..と 目のまえの いのちを 紙に描きおこす たのしさ」

レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」に近い感覚をちょっと覚えました。

作者は最後にこうつぶやいています。

「一とうのクマが 撃たれて 星になった それ以来 わたしの胸の だいじなところに おまえは棲みついて 森をはなれると おーい おーいと こころの中の おまえが呼ぶ」

星野道夫が、都会で生きている時、同じ時間をくまが森の中で生きている不思議さに感動すると書いていました。最終ページに描かれた絵(写真右)は、星野も、すずきさんも心の中で見たに違いない森をゆくクマの姿のようです。

 

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」と神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限りサイン入(予定)。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。

 

 

ジョアン・シュウォーツ(文)シドニー・スミス(絵)による絵本「うみべのまちで」(BL出版/古書1350円)は、「平和」とはこういうものだ、という真実を描いています。

時代は1950年ごろ。舞台はカナダ東部大西洋岸のケープ・ブレトン島。海底の炭鉱で働く父親と家を守る母親、そして語り手である少年の毎日を描いた絵本です。海を背景に、炭鉱へと向かう男たちを映画的なワイドスクリーンに収めたショットで絵本は始まります。

「ぼくの とうさんは たんこうで はたらいている。 たんこうは うみの したに ほった トンネルだ。」と少年は語ります。

質素だけれど、清潔感あふれる家。少年には「ぼくの うちからは うみが みえる。」家です。「あさ、めをさますと いとんな おとが きこえてくる。カモメの なくこえ、イヌの ほえるこえ、うみぞいを はしる くるまのおと、ドアを パタンとしめて 『おはよう』という だれかのこえ」

静かに時間が経過していきます。「カーテンを あけると、めの まえに うみが ひろがる」。今起きたばかりの少年が、パンツ姿で海辺を見つめています。さわやかな海風がこちらにも吹いてくる様です。

「そのころ、とうさんは うみの した くらい トンネルで せきたんを ほっています」

という文の繰り返しで、海底で腰を屈めて石炭採掘に従事する男たちの絵が何度も登場します。

父親が働いている時間、少年は友だちと遊びまわったり、お母さんの言いつけで町へお買い物に出たりと楽しい一日を過ごしています。その雰囲気がとても心地良いのです。

「きょうは とても いいてんきで うみが ひかっている」

その平和な風景が、心に染み込んできます。夜、仕事から帰ってきたお父さんを囲んで夕食の語らい。

「きょうは ゆっくりと うみに しずんでいく」

風景を見ながら、一家はうつらうつら。

特別なことは何も起こらないけれど、ゆっくりと満ち足りた時間が過ぎてゆく。これを平和と呼ばずに、なんと言えばいいのか…….。

すぐに暴言を吐く大統領も、問題の渦中の首相も、ぜひお読みいただき「平和」という意味をお考えくださればと願います。

1900年代初頭に活躍した、アメリカの詩人ロバート・フロストの作品は、口語的で清貧なスタイルを持っていて、今でもアメリカ人に暗唱され、愛されています。特に、ニュー・イングランド地方の自然をテーマにした作品に秀逸なものが多くあります。

“Stopping by Woods on a Soney Evening”(雪降る宵、森に佇みて)を題材にして、スーザン・ジェファーズの繊細な鉛筆画が素晴らしい「白い森のなかで」(ほるぷ出版/古書800円)を入荷しました。

「この白い森はだれの森」で始まる詩に、雪深い森の奥から馬車に乗ってやってくる老人が描かれています。静まりかえった森をみつめる老人。彼のことを知るのは森に生きる動物達のみです。

「家もないのにたちどまる わたしを子馬はふしぎがる」一面真白な世界の向こうに、ウサギ達や鹿の姿がうっすらと見えています。「森と こおった湖の あたりをつつむ この年の いちばんみじかい日のくれに」、老人は動物達の食べ物を置いて去ってきます。

「ほかにはやさしい風の音 吹きすぎる風の音ばかり 雪の花びら ちるばかり 森はしづかにくれてゆく くらく やさしく かげがふく」

静寂だけが支配するこの世界を、詩句と絵が見事に美しく表現しています。

「けれども わたしは 約束を まもらなければなりません」

村に立ち寄った老人は、ほんの一時村人と交流をかわした後、「約束をまもるために もういかなければなりません。眠りにはいるまえに」という言葉を残し、村を去っていきます。

「もういかなければなりません。眠りにはいるそのまえに」という言葉と共に、雪の降りしきる森の奥に消えていきます。この「約束」って何なのかは、読んだ者が想像するしかありません。

日本はこれから暑い季節へと向かう時に、季節外れの本かもしれませんが、心の奥深くに染み込む静謐な世界に浸っていただきたいと思いました。

スーザンは「木の枝々や、そうしたものの存在する空間について語りたかったのです。そして雪嵐の静寂や、わたしがそのなかにふみだすときに感じる”永遠性”についての感覚などの印象をかきたいと思いました」と述べています。

森のすべてはモノクロで描かれる一方、老人や子供たちの服には色彩が加えられ、冷え冷えとした森の佇まいと、体温の温もりの対比が見事です。吹雪く森の彼方に消えてゆく老人の姿を、いつまでも見送りたくなる絵本です。

 

 

イラストレーター、庄野ナホコの名前を初めて知ったのは、雑誌「ブルータス」が古本の特集をした号の表紙でした。大きなクマさんが、均一台を物色している姿です。いるよなぁ〜こんな感じの人って、と古本屋に思わせる素敵な絵。シロクマさんがリュック背負って、やはり均一台をゴソゴソしている作品には思わず吹き出しました。

それより前だったか後だったかに、多和田葉子の「雪の練習生」(新潮社/古書800円)を読みました。これ、実に変わったお話です。旧ソビエト連邦のサーカスの花形から作家に転身した「わたし」と、娘の「トスカ」、その息子の「クヌート」へと繋がるホッキョクグマ三代の物語です。「わたし」は、会議に出席したり、アシカが編集長を務める?出版社から自伝小説を出版したり、はては母国ソビエトから西ドイツへと亡命するという、奇想天外で、そして美しく切ないお話でした。この小説が文庫化された際、単行本の表紙がシロクマの写真から、庄野ナホコのイラストに変わっていました。表紙絵が、見事に作品の世界を表現しています。

彼女の創作絵本「北極サーカス」(講談社/新刊1620円)を入荷しました。これは、鯨に引かれた流氷の上でショーを見せる北極サーカス団を描いたものです。見物客は、イヌイットにクマにオオカミと、人間も動物もごちゃまぜです。サーカスでは、白いオオカミが空中ブランコを舞い、シロクマが、華麗なスケートを披露します。けれど楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

「ふしぎで ゆかいで なぜだか すこし かなしくて」

 

庄野ナホコの作品に「ルッキオとフリフリ」という野良猫を主人公にした連作があります。その一つ「おおきなスイカ」(講談社/古書1200円)の最初に、このネコたちの夢が書かれています。

「おおきな おやしきに 『しゅうしょく』して、だんろの まえに ベッドを もらい ぎんの おさらで まっかな マグロの おさしみを いただく ことでした」

我が家のネコもそんな願いをもっていたかもしれません……。

 

★連休のお知らせ 勝手ながら19日(月)20日(火)連休いたします

アンドレ・レトリア(絵)&ジョゼ・ジョルジュ・レトリア(文)によるポルトガル発の絵本「もしぼくが本だったら」(アノニマ・スタジオ・新刊1944円)は、すべての本好きに読んでいただきたい美しい絵本です。

「もしぼくが本だったら つれて帰ってくれるよう 出会った人にたのむだろう」

という文章にはベンチに置かれた一冊の本が描かれています。

「もしぼくが本だったら ぼくのことを<友だち>とよぶ人に 夜がふけるまで読まれたい。」

には、まるでキャンプ場に貼られたテントみたいな形で本が置かれています。本のテントの中で、夜更けまで本と一緒にいたくなります。

「もしぼくが本だったら だれかをしあわせにできるなら どこへでもゆこう」

という文章には、まるで凧みたいに空高くフワリと上がった本と、それを操る人物が描かれていて、本とこうしてつながっていられたらきっと幸せになる!と思えてきます。

本の主張も色々あります。

「もしぼくが本だったら ぼくをえらんだ読者を 飼いならすことなく自由にしたい」とは本の矜持ですね。

こんなのもあります。

「もしぼくが本だったら 戦争したがる心をいっぺんでうちくだく 効果的でやさしい武器になる」

読む人によって、本にはそういう力も備わっているのかもしれません。

「もしぼくが本だったら 流行や義務で 読まれるのはごめんだ」

これは、強い意志の表れ。

全編こういうスタイルで、読書の楽しみが淡い色彩で描かれています。その一ページ、一ページを、ゆっくりと開いていくと、もっと本を読みたくなってきます。本好きの方へのプレゼントとしてもぴったりです。

本が、本屋通いが好きで良かった、と思うのはこんな本にふと巡り会った時かもしれません。

★写真はこの本の日本語版デザインをされた岡本デザイン室のツイッターより引用させていただきました。

絵本作家、長谷川集平の絵本「夏のおわり」が復刊ドットコム(古書1400円)から、再発売されました。傑作「トリゴロス」の次に続く、長谷川23歳の時の作品です。

戦争中、ゼロ戦に乗って、日本に飛来するB29爆撃機を何機も撃ち落としたと、自慢げに話すつよし君の父親。ゼロ戦とB29に分かれて、戦争ごっこに夢中になる子供たち。飛行機の翼よろしく両手を広げて、ブーン、ブーンと走り回り、機関銃のようにダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッと相手を撃ち落とそうと遊びます。長谷川は、少年たちの無邪気な表情とすばしこい動きを描いていきます。それだけを見ていれば、子どもたちの夏の遊びの一場面にしか過ぎません。

しかし、遊びの終った子どもの一人が、B29になったつもりで走り回っていた少年に、こんなセリフを口にします。

「さとる きょう、ちょっとおかしいで。ひょっとして、つよしのおとうちゃんに 戦争の話 聞かされたんちがうか。あのおっさん いっつも あれやからな。あそこは 親子そろって 戦争きちがいやなあ、ほんま。 あんなやつ ほっとけ ほっとけ。へへへ。」

絵本の中で、戦争きちがいと呼ばれているつよしの父親が、お酒を飲むと陸軍の軍歌「戦友」を歌い出すとこころがあります。でも、ゼロ戦は海軍。これについて、作者長谷川の父親は旧陸軍少尉だったので、海軍の人間が陸軍の歌を歌うはずがないという指摘をしたそうです。それに対して、「この人は嘘ついているか、妄想にとらわてるんや。子どもたちはそれを見抜いて、戦争きちがい言うねん。」と、父親に答えたと、長谷川はあとがきで書いています。大体、ゼロ戦が、巨大なB29をバッタバッタと撃墜なんて出来ません。

さとるが、田んぼのあぜ道を「ダダッ ダダッ ダダッ」と、見えない敵に向かって銃撃するように走り抜けていきます。知らないうちに忍び込んでくる、美化された戦争そのものを撃破するような少年の姿。危ない輩が、巧みな嘘で耳元で囁くご時世ですが、私たちも「ダダッ ダダッ ダダッ」と追い払わなければなりません。

 

★町田尚子ファンの皆様。彼女が2007年に発表した「小さな犬」(白水社/古書・絶版1600円)の美本が入荷しました。もう、健気すぎる内容です。「ネコヅメの夜」の猫とはまた違った魅力で、泣けます!

★レティシア書房第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)

みやこしあきこの絵本「よるのかえりみち」(偕成社/古書/1050円)を読んだとき、不覚にも泣けてきました。人間の幸福を、こんなに温かく描いてみせたことに対して深く心動かされたためです。

とある商店街。そこには多くの生活があります。夕闇迫る頃、遊び疲れた兎の子どもが、お母さんに抱かれて帰る道すがら、家々には灯りがついて、電話をかけている山羊さんや、オーブンで料理中の羊さん、一人でいるものもいれば、楽しそうなパーティの真っ最中のものもいます。迎えにきたお父さん兎に抱かれてベットに入る子兎。

夜も更けて、パーティに来ていた熊さんや、鹿さんが帰るところ、歯磨きをする洗面所の山羊さん、お風呂で今日の疲れを取る馬さんや、うたた寝しているカモシカさん、灯りを消してお休みタイムに入った熊さん等々の様子が、描かれていきます。

その頃には、子兎はぐっすり寝ています。どこかで足音が聞こえてくるのは、人気のない夜の街を抜け、最終列車に乗るネズミさんです。誰もいないホームに佇むネズミさん。遠い町へ向かう列車の窓からは家々の灯りが見えてきます。静かに深けてゆく街を走る列車を俯瞰でみて、絵本は終わります。

やわらかな灯りに包まれた家のぬくもりを、あますことなく描きだしています。表紙と裏表紙の見返しには、夜のしじまに浮き上がるアパートの窓が描かれています。部屋に灯った温かな光の中に、慎ましい生活が見えます。幸福って、こういうところにあるんじゃないの?と、この街の動物達は教えてくれます。これ以上、素敵な絵本はないと、今は思っています。

因みに本書は2016年ボローニャ・ラガッツ賞フィクション部門優秀賞、2017年 ニューヨークタイムズ・ニューヨーク公共図書館絵本賞を受賞しています。