大島尚子さんは、実家の屋根裏部屋の天窓に、月がちょうど入るのを楽しみに夜空を眺めていたと言います。

そのせいでしょうか、いつか見た空、月、木々、海、などの記憶の積み重ねが、ある日ふと顔を出して来る、そんな瞬間を小さな画面に焼き付けたような絵の数々です。

ここ数年、毎年精力的に個展やグループ展をされている大島さんの作品展が、初めてレティシア書房開催となりました。ペンで描いた硬質なフォルムに透明水彩絵具の、詩的で繊細な作品が、本屋の壁にフワリと浮かんだように並んでいます。

子どもの頃のボートに揺られていた感覚、大好きな猫のいる風景、生きてきた年月の分きっと知らず知らず重なったものを、物語にして今の自分が紡いでいく……..。小さな作品に動いている人が描かれているのも面白い。時間がピタッと止まっているのではなく、ずーっと続いてきた夢のできごとのような感じがします。

今回は、アクリルで描いたほっこり暖かなミニ額、ポストカードに加えて、団扇などもたくさん販売しています。中でも、ちいさな木のブロックの表面をカッターナイフで削った切り絵のようなオブジェ(写真左)は、何個か組み合わせたら、ストーリーが生まれるようでちょっと気にいっています。

新緑の美しい季節、それにしても随分暑くなってきましたが、ちょっとステキな絵本のような作品展にお越しいただければ、と思います。(女房)

大島尚子作品展  5月23日(火)〜6月4日(日) 月曜定休日 最終日は18時まで。

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ゴールデンウィーク明けの二日間、店を連休しました。そして、只者ではない二人の表現者の芸を楽しんできました。

月曜日、久々に大阪松竹座の「五月歌舞伎」へ。お目当ては市川猿之助の「金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)」。2時間半ぐらいのエンタメ。入場料いただいたら、その分、きっちりと楽んでかえってもらいます!という、気合い十分なお芝居です。男と女の嫉妬が、どす黒い怪物を生み出し、大活劇に至るという歌舞伎ならではの荒唐無稽な物語。能の名作「道成寺」までひっかけるスピンオフ的展開で満員の観客を引っ張ります。ワイヤーつけて3Fまで舞い上がる宙乗り(奈落からワーッと真っ直ぐに天井近くまで引き上げられる迫力!)はあるわ、ひっきりなしに三つの仮面を付け替えて踊る舞踊はあるわ、もうなんでもござれ。長唄、常磐津も怒濤の如く、迫ってきます。

凄い!と思ったのは、隣の席の女性が、役者の見得に合わせて首を振られているのです。いや〜、タテノリのライブ感覚。独自のスピード感で、劇場全体をドライブさせて、観客をノセルなんて、ロックのライブですね。先代猿之助が、この手のケレンたっぷりの舞台を復活させた時、批判も多々あったように聞いていますが、もうそんな言葉は寄せ付けません。照明や炎の演出も、おそらくスーパー歌舞伎などを経て技術力が上がり、ダイナミック。

次の日は、京都国立博物館で開催されている「海北友松(かいほうゆうしょう)」展に出かけました。開場30分前に着いたのですが、100人以上の列。海北友松は安土桃山から江戸時代初期にかけて活躍した絵師で、雲の間から飛来する竜の絵が有名らしいのですが、私は全く知りませんでした。

先ず、「放馬図屏風」という野生の馬を描いた作品に足が止まりました。野生のくせにちょっと太り過ぎだろうと言いたくなる馬の、真ん中の一頭の前足がかっこいいのです。大地を踏ん張っている感じ、その後ろ姿のポーズの良さにしばし見入りました。

そして、雲の間からこちらを睨みつける二頭の竜。展示室は、照明を落とした空間。きっと当時の人たちはこんな暗い空間で、蝋燭の灯りを頼りに眺めていたのでしょうね。画面から漂う妖気に震え、そして大自然への畏怖の念を感じ取ったことでしょう。

これらの竜は、その異形をもって、お前たちは万物の長にあらず、その一部に過ぎぬわ!何もかもコントロールできるなんて大間違いと、暗闇の向こうから喝!と、現代人の姿を一笑するするような凄味がありました。

 

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以前に紹介した「画家の詩、詩人の絵」(青幻舎2000円)の中に登場する二人の画家の本が入ってきました。

松本竣介の「線と言葉」(平凡社コロナブックス1300円)と、もう一冊は、香月泰男の妻、婦美子さんが書かれた「夫の右手」(求龍堂800円)です。

松本竣介(1912〜1948)は、都会に生きる人々とその風景を描いた作家ですが、40年代初頭に発表された 「Y市の橋」、「駅」、「並木道」といった都会の一隅を捉えた作品に魅かれます。画面全体を覆う寂寞たる雰囲気。この街に住む人達は幸せなのだろうか、それとも纏わり付いて離れない孤独に沈黙しているのだろうか、絵の中に入り込んで、どこかに温かな家庭の灯を見つけたくなる衝動にかられます。

今回入荷した「線と言葉」は、松本の生涯を俯瞰して、様々な角度から作品を楽しむことができます。同郷だったからか、或は父親と交流があったからか、彼は宮沢賢治を最も尊敬していたことも、この本で初めて知りました。また1941年、美術雑誌で戦争協力を説く座談会記事に反論し、抗議の文章「生きてゐる画家」の一部分を読むこともできました。48年、死の直前に描いた「彫刻と女」、絶筆となった「建物」について、親友で彫刻家舟越保武が書く松本への思いに胸が熱くなりました。

 


香月泰男は、「画家の詩、詩人の絵」で初めて作品を知ったのですが、「水浴」(1949年)の静謐さに心奪われました。プール際に佇む三人の少年を描いた作品ですが、プール遊びに興じる少年達の笑い声など皆無で、ひたすらプールの静かさが迫ってきます。香月は、松本の1年前の1911年の生まれです。戦争に駆り出され、熾烈なシベリヤ抑留体験をして帰国した画家は、温かな家庭、家族に、自分の愛情を注いでいきます。婦美子さんが、亡き夫との人生を振り返った「夫の右手」には、彼の「母子のシリーズ」30点が掲載されていて、香月の家族への愛が伝わってきます。

彼は、シベリヤの収容所からサン・ジュアンの木を持ち帰り、庭で育てました。そしてこう言って世を去りました。

「自分が死んだら分骨して、サン・ジュアンの木の下に埋めてくれ。そしてサン・ジュアンの木に生まれかわったら、孫たちがよじ登ってくれるだろう………。」永遠に家族と共にありたかったのでしょうね。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンウィークが終わってからお休みを頂いて、静岡県三島にある「ベルナール・ビュフェ美術館」にクートラスの作品展を観に、女房と出掛けました。

この美術館は、戦後の具象画を代表するフランスの画家ベルナール・ビュフェの作品を収蔵・展示するために、岡野喜一郎(1917-1995)によって1973年に創設され、収蔵作品数は2000点を越える世界最大のビュフェコレクションを持ってる美術館です。

ビュフェの作品を常設しており、行った時は「ビュフェと1940−50年代 不条理に対峙する絵画」というテーマで 初期の作品を鑑賞することができました。ビュフェ独特のカリカリッと引っ掻いたような特徴ある作品を、改めて目の前で観ることが出来ました。

続きの部屋では特別展として「ロベール・クートラス僕は小さな黄金の手を探す」を開催中で、実はこっちが本命でした。

現代のユトリロとも評されたクートラス(1930−85)は、流行に左右される画壇から遠く離れ、手札大の大きさのカード(カルト)に、神話的イメージや、抽象的なデザインを描く事に没頭していきます。もちろん、収入は絶たれ、極貧生活に陥ります。それでも描き続けることに情熱を傾けた彼は、ポスターの裏側、靴箱と手に入るありとあらゆる物を活用して、一夜に一枚、倦むことなくカルトを作り続けて、その数6000枚にもなりました。パリの街角に暮らす人々や、動物たちを独特のセンスで描いた小さな作品は、ユーモアを漂わせながら、悲しみや喜びを垣間見せてくれます。ズラリ並んだ作品群を行きつ戻りつ、何度も観ていると、これらの小さな断片がふっと微笑んでくれたような錯覚を覚えました。

彼の作品を収録したEcrit社の本「僕の夜」(2700円)、「僕のご先祖さま」(3780円)、「屋根裏展覧会」(1620円)そして「ある画家の仕事」(36480円)は、どれもクートラスの魅力を十分に引き出した作品集です。ひたすら描きつづけることに生涯を捧げた彼に出会うことができます。哀しいような、切ないような、そしてフッと笑ってしまうような気分を味わえば、毎日背負う荷物も、ほんの少し軽くなるかもしれません。

月曜日が定休日の店の、最大の難点は美術館の休みと重なることです。たまに連休を頂き本物に触れる時間を作りたいと改めて思いました。とはいえ、ご迷惑をおかけしたお客様、申し訳ありませんでした。