竹倉史人「土偶を読む」(晶文社/古書1550円)は、とにかく、とことん面白い本です。

みなさんご存知の、宇宙人みたいな縄文時代の遮光器土偶。これを著者は、本書の最後でこう結論づけます。

「遮光器土偶は サトイモの精霊像であり、その紡錘形に膨らんだ四肢はサトイモをかたどっていた」

サトイモ? 驚きの結論ですが、もちろん当てずっぽうで書いているわけはありません。縄文時代に数多く作られた土偶。その正体をめぐっては「妊娠女性説」「地母神説」など多くの説が出ていますが、確証はありません。著者は、土偶の形態を具体的に分析するイコノロジー研究の手法に、植物学、環境文化史などのデータを加味して、新しい土偶論を展開していきます。

340ページ余りの大作ですが、研究書風の難しさは全くなく、推理小説を読むようなスリリングな展開に時間を忘れました。

そしてこの本の良いのは、始まって4ページで、ズバリ著者の考えをこう言うところです。

「土偶は縄文人の姿を象っているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。植物の姿をかたどっているのである。」

これを、様々な形態の土偶を観察しながら、実証してゆくのです。あいつが犯人だ。その証拠はこれとこれ、みたいな方法です。ちなみに著者は、遮光器土偶のレプリカを購入し、「数日間は、私は嬉しくてベッドで一緒に眠ったほどです。」(25Pにその土偶の写真あり)

著者はなぜ、土偶と植物を結びつけたのか? 「植物栽培」にまつわる神話と儀礼に注目します。「ヨーロッパであればムギ、アジアであればイネ、南米であればトウモロコシやイモが主食として栽培されてきたが、こうした植物を植え、育成し、収穫して食用に供する人々は、それぞれの農事暦に沿って当該の植物霊を祭祀する儀礼を古代より行ってきたのである。」

縄文時代、広範囲な食用植物の資源利用が存在していたにも関わらず、植物利用に伴う儀礼が行われていた痕跡が縄文遺跡から全く発見されていません。ここから、著者のコペルニクス的展開がスタートします。いや、痕跡がないのではない。私たちが気づいていないだけなのだ。

「縄文遺跡からはすでに大量の植物霊祭祀の痕跡が発見されており、それは土偶に他ならない」

と言う著者のシナリオに沿って、本書はスリリングに進んでいきます。各種土偶の写真や、実証データなどの配置も巧みに、読者を飽きさせない工夫が随所にあります。現代人が縄文人の気持ちを、超音速並みのスピードで知ることができる画期的な本でした。

「これまで男性たちによって独占的に形成されきた『職業としての学問』では土偶の謎は解けなかった」と、現在の学界を皮肉る最終章の「土偶の解読を終えて」も面白いですよ。