佐藤究の「Ank a mirroring ape」(講談社文庫/古書500円)には、ただただ脱帽致しました。

どんなお話かといえば、2026年京都市内各地で暴動が起き、人種国籍を超えて目の前の他人を誰彼構わず襲い始めます。あぁ〜、よくある架空のウィルスか、テロリストの仕業の類の活劇モノやね、と軽く流したアナタ!痛い目に合いますよ。

違うんです、これが。ウイルスでもなく、汚染物質でもなく、テロでもない。原因は一匹のチンパンジーなのです。はは〜ん、それじゃそいつが黴菌を撒き散らすヤツか…….それも違います。

チンパンジーが発する警戒音が、惨劇の原因なのです。嵐山渡月橋を疾走し、銀閣寺を走り抜け、京都御所に立て籠もるAnkと名付けられたチンパンジー。彼が通り抜けた場所にいた人々は、突然、暴徒と化し、お互いに殺し合いを始めるのです。毎朝、我が家の犬の散歩でお世話になっている御所は、もう血だらけの悲惨な場へと変貌します。

警察小説で人気作家の今野敏が、解説でこう書いています。「『Ank』は、私にとって衝撃だった。どれくらい衝撃だったかというと、読後、小説家を辞めてしまおうかと思ったぐらいだった。」

彼はこの文章の後に、それは冗談ではなく、もう自分の出る幕はないとまで書き記しています。トップクラスの作家にそこまで言わせるぐらい、この小説はスケールも内容も深い作品です。決して、荒唐無稽なだけの小説ではありません。

「自己鏡像認識こそが、われわれの意識を変化させる。鏡を見る自分をさらに見るーこのことによって、これは自分だ、これは自分ではない、という神経のフィードバックが起こる。これが脳を活性化させ、より内省的な意識を生み、抽象的なイメージを描くことを可能にする。イメージは共感を生み、ある対象を別の対象に置き換える比喩を生み、ついには言語を生み出すに至る。」

この認識ができるのは、チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オラウータン、そして人類だけ。本作のベースにあるのは「自己鏡像認識」です。DNAの塩基配列やら、自己認識やら、類人猿の話がポンポン飛び出してくると、私なんぞ???でしたが、物語の面白さに押されて読み切りました。

主人公は亀岡に巨大な霊長類研究所を設置して、その研究を仕切る鈴木望。彼が見た真実の、恐ろしく、しかも深遠な姿。

「十月二十六日の夜が明けると、京都府警右京署の混乱はさらにひどくなった。鳴り続ける電話。増え続ける死傷者。」後半、小説は一気に加速度をあげて、混乱する京都市内の姿を描いていきます。なんせ、私にとってはリアルに知っている通りやら場所が登場するので、恐怖感も一入です。

でも、Ankと鈴木が、濁流と化した鴨川に四条大橋から飛び込むシーンでは、もう泣けて、泣けて……….。

なんでこの物語の場所を京都に設定したのか、その答えは「中京区。西桐院通りと油小路通に挟まれた場所に猩々町という町がある」という鈴木の言葉にあります。「猩々」とは、古い言葉で、オラウンターンを意味する言葉だったのです。さらにいえばチンパンジーを「黒猩々」と、かつての日本人は呼んでいたそうです。

吉川英治文学新人賞、大藪春彦賞、ダブル受賞だけのことはあります。