野性の激しさと美しさを撮り続ける写真家、石川直樹のエッセイ集「極北へ」(毎日新聞社/古書1300円)を読みました。

17歳の頃、カヌーイストの野田知佑と知り合った石川は、彼の影響でカヌーを始めます。野田の著書には、何度かアラスカの原野のことが登場しますが、石川は大学一年の時、カナダとアラスカに跨がるユーコン川へと向います。その頃、石川は、もう一人強く影響を受けた人物、星野道夫を知りました。星野はもう亡くなっていたのですが、彼の著書を読み、「今まで漠然としか描かれていなかった自分の進むべき道が、先住民文化や人類の旅路をヒントに動きはじめていく。」と語っています。

「ぼくは高校生の頃に出会った野田さんや星野さんの著作によって極北へと導かれていった。それから、十年。毎年のように極北の大地に通い続けている。その原点は、ユーコン川下りであり、このデナリ登山である。あのとき内から沸き上がってきた生きる喜びを、今でも忘れることはない。終わりのない長い旅は、このときからはじまったのだ」

石川の長い旅を、この本を読むことで知ることができます。

「アラスカにいると、人は寡黙になり、冷静になる。自分がたった一人の人間であるということを多かれ少なかれ意識するからだと思う。」そう、彼に言わせる極北の大地アラスカ。そこで、彼は魅力的な人達に出会います。星野道夫の友人ボブ・サムに偶然出会って、星野の本を手渡すという体験もします。さらに、星野が居候していた小さなエスキモーの村シシュマレフの元村長クリフォードに巡り会うという幸福が訪れます。

アラスカに続いて、2004年彼はグリーンランドへと向かいます。グリーンランドは総面積218万平方メートルの世界最大の島でありながら、人口56000人という世界最低の人口密度という特殊な環境の国です。グリーンランドの厳しい自然と、そこに生きる人びとの暮らしが克明に描き出されています。殆どの日本人にとってはグリーンランドは全く知られていない国です。だから、この石川の記録は貴重です。この地に暮す、猟師は、移動手段にスノーモービルは使わず、犬ぞりです。それは、狩りにでたフィールドで、機械が壊れたら、生きて帰れないからです。

「極地で生き抜くための知恵には、それが受け継がれてきた明確な理由がある。グリーンランドの犬ゾリは郷愁に彩られた過去の残滓ではなく、現在にいたるまで優れて同時代的な移動手段なのだ。ぼくのカメラは凍って動かなくなることが何度もあったが、犬たちは白い息を吐きながらいつまでも走り続けてくれた。」

著者と共に、この国を旅して下さい。

写真家には、文章が上手い人が多いと思います。巧みな、あるいは凝った文章、というよりむしろ平易過ぎる文章です。でも、的確にその場の状況を把握しているのは、常にファインダーを見続けているからかもしれません。

「里山という言葉を私が思いついたんは、昭和30年代の話です」

と、語るのは森林生態学の創始者、四手井綱英先生。明治44年、京都に生まれました。林野庁で働き、京大で教鞭をとり、全く新しいアプローチで森を研究し、森林のあるべき姿を提唱した先生です。この先生に、森まゆみがインタビューしたものが、「森の人 四手井綱英の九十年」(晶文社/古書1300円)です。京都の山科にあるご自宅で、その半生を聞き取っています。

「里山というのは落葉樹や常緑樹で、その葉が落ちるので、また堆肥がつくれるという効用があった。あの桃太郎のおじいさんは山へ柴刈りに行きますね。柴は火を燃やすのに便利です。紙なんてないから、ふつうはカマドも炉も最初は柴をたきつけにする」と、柔らかい口調で語ります。

若き日、山登りに夢中になり、先輩だった今西錦司が発案した「山城三十山」によく登ったそうです。一方で、従来の林学に疑問を抱き、森が自然の中でどういう生活をやっているか、どういう行動をしているかを観察する生態学を踏まえた学問へ、情熱を傾けていきます。大学卒業後、東北の営林局へ勤務、ここで、山に暮す、個性的な面々と出会います。この話も面白いのですが、割愛します。

やがて徴兵されて中国へ。戦争で彼が知ったことは、「戦争は森林を破壊する一番の元凶」。軍事用材との一言で、森の材木は無茶苦茶に切り倒され、木だけでなく石油、石炭を取りつくし、人を殺し、文化を破壊することです。戦後、再び東北の営林局に戻り、そして昭和29年、京大に帰ってきます。

大学は技術研究の場ではなく、「森林の基礎学、つまり、森林生態学をやるのが大学や」と、猛進します。新しい学問には冷たい学会。でも先生はメゲマせん。森を守るため東奔西走、やがて各地の自然保護運動へも参加していきますが、生半可な知識と感情論が先行して、森に対する間違った知識が横行しているとか。分かりやすい言葉で話されると、成る程と理解できます。森と共に生きた知識人の豊かな世界が詰め込まれた一冊です。四手井先生は2009年、98歳で天国へ旅立たれました。

京都には、いい公園が少ない。下鴨神社の糺の森、京都御所の外苑だけだ、とも言い残されていました。その糺の森について編集された「下鴨神社 糺の森」(ナカニシヤ出版/古書1950円)も置いています。こちらもどうぞ。

 

 

 

西アフリカ・セネガルで1000年もの間、人々の暮らしを見つめ、聖霊が宿る木として敬われ続けているバオバブの木を、写真に収めた本橋成一の写真絵本「バオバブのことば」(ふげん社2484円)の販売を始めました。

本橋は60年代から現在に至るまで、炭鉱や、サーカス、屠殺場などを取り上げ、そこに生きる人びとの姿を写してきました。写真家としての活動の一方で、98年には、チェルノブイリ原発事故の被災地で暮す人々の日々を追いかけた「ナージャの村」で、映画監督をしました。その後、数本の作品を監督しています。その中には「バオバブの記憶」というバオバブをテーマにした作品もあります。映画と同タイトルの写真集もあり、こちらは店に置いています。(平凡社1900円)

今回ご紹介する「バオバブのことば」はすべてBWで撮影されています。何百年もの間、アフリカの乾燥した大地に、ぐっと枝を広げて立つバオバブを見ていると、その強い生命力と深い精神性を感じてしまいます。

写真集は「トゥーパ・トゥール村で たくさんのバオバブに出会った。」という本橋の言葉で始まります。様々な枝の曲がり方、幹のくねり方は、まるで舞台で踊るダンサーの姿みたいです。やがて、バオバブの周りに集まってくる人々、家畜を捉えた作品が登場します。

「バオバブは大地の許しを得て芽を出す だから村人は決してその居場所を侵すことはない。ずっと守られてきたバオバブとの約束」

守り、守られている村人たちの姿が伝わってきます。木の下で草を食べる山羊、それを見つめながら休息する村人たちの写真は、バオバブと共に平和に暮す、この村が表現されています。特に素敵なのは、子どもたちです。ズラリと根本に並んだ子どもたちは、まるでバオバブから昔話を聴いているみたいです。

「4000年を生きたバオバブが突然枯れて、消えた『役目を終えたからさ』と村人」

消えたバオバブに代わって新しい世代のバオバブが、村を守ってゆく。そんな光景が永遠に続けばいいのですが……。

 

角幡唯介を最初に読んだのは、2010年度開高健ノンフィクション賞を受賞した「空白の五マイル」(集英社900円)です。

角幡は早稲田大学探検部OBで、2002年から翌年にかけて実施されたチベット、ヤル・ツアンボー川峡谷という誰も入ったことのない峡谷を単独で調査、探検を行い全容を解明しました。その記録を本にしたのが「空白の五マイル」でした。

こういう秘境探検もの、海洋冒険ものノンフィクションは、つい手が出てしまいます。ヤル・ツアンボー川峡谷単独行で、生と死のはざまを経験し、彼が学んだことは「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない」でした。

次に手に取ったのは、2016年に発行された「漂流」。これは、本人が漂流した話ではありません。

1994年、フィリピンのミンダナオ島沖合で、一隻の救命筏が発見されて、数名の船乗りが救助されました。彼らは37日間、漂流を続け死の一歩手前で助けられました。船長は日本人で名前を本村実といい、沖縄の漁船でした。救命筏で漂流し助けられたという記事に興味を持った著者は、本村を取材したいと思い立ち、自宅に連絡します。取材の申し込みに対して、電話口に出た妻と驚愕の会話が始まります。妻はこう切り出します

「じつは、十年ほど前から行方不明になっているんです」「えっ…….」「前と同じように漁に出て帰ってこないんです…..。」「前みたいに漂流して…….。グァムに行って、港を出て、しばらくして帰るという連絡があったんですが、それっきり連絡がこないんです…….。」

また漂流した………?

これ、船ごと次元の裂け目に巻き込まれたとか、宇宙人に襲われたという類いのSF小説ではありません。最初の漂流の後、陸に上がった本村はその8年後、再び海に出ます。何故、もう一度海に出たのか、何故、消えてしまったのかを、関係者への膨大なインタビューを基にして書かれたノンフィクションです。神隠しにあったみたいに何の痕跡もなく、海の彼方に消えて、漁師としての人生に幕を降ろしてしまいました。

「彼にふたたび海に行くことを強いた要因の奥底に土地と海の力があったのなら、断片でもいいから、その力を感じ、その臭いをかいでみたい。」

海の男の生い立ち、その後の人生の足跡を追いかけて、グァム、フィリピンにまで向かう長い道程を追体験してゆく長編。人を癒してくれる優しい自然ではなく、荒々しく人生に介入して、自然の彼方に引っぱりこみ、魅入られてゆく著者のドキュメントでもあります。

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

 

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。数名で満席ですのでお早めに(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

       

 

大空に、一羽、また一羽とハゲタカが現れてきます。そして、それが数十羽、もしかしたら100羽以上、地上に舞い降りてきます。そこには解体され、バラバラになった遺体。ハゲタカ達は一斉に肉に、骨に食らいつきます。その様子を遺族たちが眺めています。

チベット高地に住むチベット人にとって、最もポピュラーな葬儀が「鳥葬」です。チベット仏教では、魂が解放された後の肉体は、単なる抜け殻でしかありません。その亡骸を天へと送り届けるための方法として、こういった葬儀がとり行われています。日本語では、「鳥葬」と訳されていますが、中国語では、「天葬」というとか。多くの生き物の命を取り込んで、生命を全うしたのだから、せめて抜け殻同然の肉体ぐらい、他の生命のために与えようという思想が流れているみたいです。死体の処理は、鳥葬を仕切る専門の人が行い、骨も石で細かく砕いて全て鳥に食べさせるので、ハゲタカがいなくなった後には、ほとんど何も残らないのです。

そんな鳥葬の様子を捉えた吉田亮人写真展「鳥葬」を、店から歩いて行ける「gallery SUGATA 」(無料)まで観に行ってきました。

どこまでも広がる青空と、大地で繰り広げられる葬儀は、清いものがあります。風の強い高地は、天に近く、なにもかも風が運んでいってくれます。これ、当然のことながら、スモッグで汚れた大都会の郊外でやったら、説得力のない、単に残酷な儀式でしかありません。

布切れがくくり付けられた多くの竿がたっています。布には経文が書かれていて、お経も風に乗って世界中に広がっていくのだそうです。ハタハタと風になびく音が聞えてくるようです。

骨をついばむハゲタカ達を見つめる人々の静謐な顔を見ていると、人の生も、死も大いなる大地の時の流れの中では、一瞬でしかないと思いました。私たちは、地球に生きる所詮は小さな存在でしかないことを、改めて思いださせてくれる写真展です。(8月6日まで)

もし、宮沢賢治が生きていたら、きっと観に行ったような気がしました。

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

暑い日が続きますが、お立ちよりください。

 

★★お詫び。こちらの手違いで27日(木)〜31(日)のブログが更新されていませんでした。申訳ありませんでした。

 

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「日本野鳥の会」創設者、中西悟堂(1895〜1984)は、鳥の研究者であり、歌人であり、詩人であり、そして僧侶でした。寺田寅彦や、野尻抱影、岡潔らの自然科学者の優れたエッセイと同様、やはり彼も沢山書いています。

昭和32年に発行された「野鳥と生きて」(ダビッド社/重版・箱付2800円)もそんな一冊です。

「目もはるかにうちひらけた刈田の近くにも遠くにも、日を受けて黄いろく光る稲城の列が、一個小隊ずつの兵隊のように並び立つかなたに、東の空を極めて大きく孤状に塞いで 立つ滝山が」で始まる「鷲のプロフィル」は、蔵王山頂で見つけた鷲の姿を捉えた記録です。

「晴れた空間に唯一羽、光を浴びて舞いすましているその両翼の張りの立派さは、双眼鏡で検めるまでもなく、イヌワシであった。このあたりのどの山塊に棲むものであろうか?山稜のうしろへ次第に消えようとするその姿は、目に見えぬ糸でひっぱるように、私の足を頂上へと早めさした」

鳥の研究者が、一人ひた向きに、夏の蔵王山を、イヌワシの姿を求めて登ってゆきます。

あるいは、奥日光の秘境、西ノ湖で、思いがけずコチドリがいることを見つけ、「コチドリやイタチの足痕に交じって、夏だというのに、日本には冬しかいない筈のコガモの足痕が点々とあるのである。よく知っている足痕だから、まちがいはない。」とウキウキしながら鳥探しをしている男の姿が見えてきます。

とにかく、学者はよく歩く。若き日、寺で百八日間の座行、二十一日間の滝行、同じく断食を行ったのだから、どんな場所も平気。さらに、ある時期、野原の一軒家に住まいして、ソバ粉と大根と松の実を常食として、日々自然を見つめて暮すという、まるでソローの「森の生活」を実践するような生活を送っていました。

中西は、鳥の研究者であり、森の人でもありました。「敗れた国にも山河はあって、そこに咲くくさぐさや花や、鳴禽の囀りは昔のままだ。その花や鳥、せっかく残された国の宝、われわれの共有財産を、諸嬢よ、むやみにおびやかしたり、むしったりしてはならない。」と「若葉の旅」で述べています。昭和9年、「日本野鳥の会」を設立して、その時代から環境破壊への警告をしていました。

なお、平凡社STANDARD BOOKS シリーズとして「中西悟堂 フクロウと雷」(新刊 1512円)というコンパクトサイズのエッセイアンソロジーもあります。夏休み、高原や山に行かれるなら一緒に持っていくのに最適ですね。

ところで中西は60代手前で、冬でもパンツ一枚で過ごしだして、「心の修行などは、あてにならぬ 躰の修行からはじめよ」とこのスタイルで体操をし、長距離を歩いたらしい。赤塚不二夫の「おそ松くん」に登場するデカパンだったのか、彼は……..。

「ぼんやりと森に目をやった次の瞬間、視界にすっと灰色の影が踊り出ました。そしてその影は、近くに生えている一本の木の脇で立ち止まり、こちらを振り返ったのです。そこに立っていたのは、一頭の立派なオオカミでした。僕はオオカミを見たことはありません。でも、そのとき確かに、目の前に立っている巨大なイヌ科の動物を見て、なんの疑いもなく『オオカミ』だと思ったのです。オオカミは鋭い視線をこちらに投げかけるやいなや、すばやく森の茂みの奥へと走りさってしまいました。」

これは、「そして、ぼくは旅に出た」(あすなろ書房1400円)の著者、大竹英洋が大学時代のある日、見た夢です。そして、その夢に誘われるように、傑作「ブラザーウルフ」という写真集を出していた写真家、ジム・ブランデンバーグに会いたいと思い立ち、彼が住むミネソタ州北部の森、ノース・ウッズへと旅立ちます。

無茶な旅です。アポも取らず、森のどこかに住んでいる写真家に会いに、できれば弟子入りを頼みたいなどというのは。しかし、彼は憑かれたように、森の奥へと向かいます。カヤックなんて乗ったことのない青年が、悪戦苦闘しながら湖から湖を経て目的の地に着くまでが、本の前半です。

後半は奇跡的にジム・ブランデンバーグに出会った著者が、彼や彼の友人で、探検家ウィル・ステイーガートとの交流を深めてゆく様が描かれています。大自然と共に生きている偉大な男たちに、心揺さぶられる描写がとても魅力的です。

ステイーガートは探検家になるのは簡単だと”Put your boots  and start walking” と、言い放ちます。この言葉を受けて著者は、ソローの名著「森の生活」の一節「最も早い旅人は、足で歩く人である」を思いだします。鉄道や飛行機で旅するには旅費を稼がねばならない。そんな事するぐらいなら、すぐに歩き出せというのです。

著者が、自分の写真をブランデンバーグに見てもらった時、彼はこう言います。「大切なことは、なにを見ようとしているか、その心なんだよ。テクニカルなことは、撮りながら学ぶしかない。」

そして、良い写真が撮れたときの気分を問われると、「ハードワークするんだ…….。努力する。その先にふっと、その瞬間がやってくる。」「それは…….降りてくるんだよ」と言います。「降りて来る」というのは、何事かをやろうと努力し、切磋琢磨する人たち共通の経験ですね。

多くのことを学んだ著者が、写真家として自立すべく日本に戻るところで本は終わります。若さだけが持つ特権の素晴らしさ。機会があれば、ぜひ話を聞いてみたい方です。

ところで、彼が自然の姿を伝えていこうと決心したのは、星野道夫の本との出会いでした。やっぱりね。星野の本を読んでいるような錯覚になった時もありました。

(写真はブランデンバーグの作品です)

 

 

住宅のもじゃ化(緑化)を推進する設計事務所「もじゃハウスプロダクツ」が作る、「House “n”Landscape」の最新4号がリリースされました。ちなみに「もじゃハウス」というのは、緑でもじゃもじゃした家のことです。

今回、初の海外取材?ということで、フィリピンのもじゃハウス一泊体験記が、大きな特集が組まれ、気合いの入った写真がたくさん掲載されています。

マニラ市内にお住まいのダニーロさんご一家。古民家付きの土地を買い上げ、増改築を重ねた家は、つる植物が巻き付くフェンス越しからは、家の外観は判別できません。まるで、森の中にある家、いや、家の中の森?とでも表現したらいいのでしょうか。3階の屋根を突き破って伸びるスターアップルの木の写真には驚かされます。

一年を通して常夏の国なので、こんなに緑があれば、蚊がワンサカと出てくるのでは、と恐怖に捉われますが、それほど被害はないとのこと。庭との仕切りの建具にはガラスが入っておらず、風が通り抜けて、極めて涼しいらしい。写真を眺めていると、晴れの日もいいけど、雨の日もいいだろうな、という気分にさせられます。

その後、取材班は、フィリピンから台湾に移動して、緑に覆われた家を探索。台湾には、本屋や図書館に行けば、「緑建設」というジャンル(エコロジーな建築と言う意味があるらしい)の棚があるぐらい、ポピュラーな存在になっているのだとか。もじゃハウスの干潟さんは、思わずここに事務所を構えたい、とつぶやきます。レトロなビルの屋上からだらりと伸びている植物は、まるでビルを侵蝕しているみたいです。次から次へと飛び出すもじゃ建築!

「もじゃハウス豊作状態の台湾!日本だと、もじゃもじゃ過ぎて近隣住民から距離を置かれそうなほどの植物たちとその主を、多くの方が抵抗なく受け入れていらっしゃるこの国は、まさにもじゃハウスにとってのユートピアです。」とコメントが書かれています。

で、もじゃハウスプロダクツが進めようとしている「みどりと共に生きる家」ってどんなん?という疑問に答えるべく、そのモデルプランが、今号の肝です。建物の上に植物が自生する大地を作ることが基本コンセプトで、都会にある20〜40坪のの四角い土地に立つミニマムなもじゃハウスを、具体的に図面で示しています。

眺望が良くて、庭が広くなきゃ植物と共に暮らせないなんてことはない。住まいの広さではなく、視点を変える事で、日々の暮らしに緑の楽しみを見つける。そんな家がこのプロジェクトの理想型です。

一例として、10坪のもじゃハウスの図面を提示しています。「読書好きのインドアな夫婦が2人で暮すには」という設定ですが、家の正面と奥、二階のベランダに木を植えることで、将来、家が緑が囲まれるというのです。読書に疲れた時、視線を見上げた時飛び込んでくる木は、目にも心にも優しそうです。まるで音楽が気持ちよく流れる空間みたいです。イギリスのトラッド系フォークか、アメリカのルーツミュージック系ロックか、チェロ主体のクラシックか、いや、レゲエもいいな〜と、勝手に想像してしまいました。

きっと幸せな空気が満ちた空間であることはまちがいありません。

 

★レティシア書房では「もじゃハウスプロダクツ」の展覧会を開催します。

『フレンドリー建築ショーin京都と題した、もじゃハウスと小嶋雄之建築事務所による建築展です。建築業界一匹狼系の二人が、どんな提案を展示されるかは、見てのお楽しみ!です。新築を考えている方も、全然その気がない方もお気軽にお越し下さい。

会期 5月10日(水)〜21日(日)レティシア書房にて

   (5月15日(月)は定休日です) 

松岩達(文)、冨田美穂(絵)による「おかあさん牛からのおくりもの」(新刊・北海道新聞社1836円)が届きました。

当然ですが、日々口にしている牛乳、チーズ、バター等々は牛からの贈り物です。そんな牛たちを飼っている酪農家の毎日を追いかけた絵本です。牛をよく観察して描き込まれています。

この絵を担当した冨田美穂さんの個展が、来週火曜日から当店で始まります。東京生まれ、武蔵野美術大学卒業後、北海道に渡り酪農業に従事しながら、牛の木版画、絵画を制作されています。知床発のミニプレス「シリエトクノート」に掲載されていた作品に出会ったのをきっかけに、京都初の個展をしていただくことになりました。

リアルな牛の作品を制作されていて、右の作品展のような大きなものが特徴的です。こんな大きな作品、小さな本屋のギャラリーに飾れるの?と思いましたが、今回は、中サイズと小サイズの牛が並びます。

絵本では、反芻する牛とか、牛舎のお食事タイムとかに描かれている牛はリアルであり、また愛嬌たっぷりです。生まれてから、最後に屠殺場に送られるまでの牛と農場との生活が解りやすい文章で書かれています。小学校中学年以上に向けられて書かれた本ですが、大人にも読んでもらいたい内容です。

子牛は、生まれて14ヶ月程で、オッパイが大きくなり、発情期を迎えます。そうすると酪農場に人口授精師が来て、人工授精を行い、赤ちゃんを生ませます。そしてお乳が出ます。そのお乳を分けてもらっているのが私たちです。因みに酪農場にオス牛はいません。彼らは生まれた後、肉牛牧場に引越して、牛肉になるために育てられます。何度かの妊娠後、雌牛は、「おつかれさま」という言葉と共に解体牧場に運ばれていき、加工用の肉にされます。我々は、牛乳から、お肉まで牛にお世話になっているということです。

 

 

そんな牛について、冨田さんは、「初めて間近に見た牛は、とても大きくて。あたたかくて、ふわふわしていてとてもかわいいものでした」と語っています。そして、酪農家が大切に育て、獣医さん、授精師さん、工場の人達など多くの人が誇りを持って働いている姿をしってほしい。食卓に並ぶ肉や、牛乳のことを知ってほしい、とこの本ができました。

個展最終日の5月7日(日)には、知床から作家が来廊予定です。動物好き、北海道好きの方、彼女とお話してみてはいかかでしょうか。東京から北海道に住まいを移し、牛を見つめて暮らしている彼女のハートウォーミングな眼差し溢れる作品展に、ぜひお越しくださいませ。

★冨田美穂「牛の木版画展」 4月25日(火)〜5月7日(日) 月曜定休日

京都人ならだれでも知ってる「糺(ただす)の森」。1994年には、森のある下鴨神社全域が世界遺産に登録されています。毎年、夏の下鴨神社境内で行われる古本市の場所として知っておられる方も多いと思いますが、古本市の時は、暑いのと、本探しと、多くのお客様でごった返していて、この森の素晴らしさなんて味わうことはないかと思います。

森林生態学者、四手井 綱英が編集した「下鴨神社 糺の森」(ナカニシヤ出版 1950円)は、この森の魅力を余す所なく伝えた名著です。(新刊書店勤務時代には、店のロングセラーでした)

この本は、様々な人々が、様々な角度から論じています。樹木学の観点から、生物学の観点から、或は植物学の観点から。

哺乳類研究家の渡辺茂樹が「糺の森のけものと鳥」の章で、述べています。

「イヌ・ネコ以外の哺乳類は糺の森には何もいない。しかし多分それでよいのである。幸い、遠出をしさえすればそれらと出会う機会が未だに日本には残されている。一方で文明の媚薬にどっぷり浸りながら、お手軽に野生を求めるのは都会人のエゴというものである。(求められ側の身にもなってほしい)」

いや、ごもっともです。街のど真ん中にありながら、あの静かさ、風の心地よさ、木々のざわめきを楽しめばよいのです。

第三部「糺の森と私」では、さらにバラエティーに富んだ方々が登場します。俳優の藤田まことは、「必殺仕置人」をここで撮影していたことがありました。かつては、この森の西に松竹下鴨撮影所があり、私も何度か、この辺りのロケ現場を目撃しました。

或は、作家、高城修三が中上健次と夜の森を散策した話。中上は、真の闇は熊野にしかないと信じて、かの地を舞台にして小説を執筆していました。しかし、京都にも深い闇があると高城が持ちかけ、夜中の糺の森に行き、中上は絶句したとのこと。私も、夜にこの森を通過したことがありますが、暗闇の深さにぞっとした記憶があります。

何気なく通っている森の深さを知ることができる貴重な一冊です。ぜひ、本を片手に森へ入ってみて下さい。

★本日、店内イベントのため18時で閉店いたします。ご了承くださいませ。

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