フリーの森林ジャーナリスト、田中淳夫の著書「森は怪しいワンダーランド』(新泉社/古書1200円)は、著者が世界各地の森林で体験した不思議な出来事やとんでもないトラブルに巻き込まれた体験、そして、今、普通に流布している森林に関する常識の本当の姿が書き綴られています。

ソロモン諸島にあるシンボ島でのこと。深夜聞こえてくる祭りのような音に、ひょいとテントから顔出すと、誰もいない。「何もなかった。生ぬるい風は吹いているが、光も音も聞こえない。黒々とした森が広がっているだけだ。祭りどころか、人っ子一人歩いていない。太った月だけが深夜の村に陰翳をつけていた。」

精霊だった……?そんな体験からお話は始まります。森林で生きる民族と暮らす中で、そこに息づく伝説や神話を聴いたり、自らその渦中に入ったりして、こう考えます。

「彼らのような自然の中で暮らす民族は、伝説と現実の経験談の区別が判然としないことを、私はニューギニアだけでなく各地で経験している。だが近代教育が行われる過程で、そうした世界は科学的に否定されてゆくのだ」

また、ボルネオの奥地では、自分自身どう判断していいのかわからない現場に立ち尽くします。テレビをつけると「美川憲一と研ナオコの歌謡ショーが始まったのである。ボルネオ奥地で『かもめはかもめ〜』と聴く、この違和感。しかし、思わず聞きほれてしまう私がそこにいたのだった」

第2章「遭難から見えてくる森の正体」は、まさに映画「インディージョーンズ」の世界です。テントの上の木の葉を食べる多くの虫が、糞をして、それが「テントをたたいて雨の音に聞こえるなんて」虫嫌いの人なら卒倒しかねません。それでも著者は、秘宝を求めてジャングル奥地に踏み込むジョーンズ教授よろしく、森の奥地へと入っていきます。

笑ったのは、勝手知ったる生駒山でのこと。「斜面を登る途中で滑り落ちた。沢に足を突っ込んだ。一瞬、悲鳴が口を突いた足元は濡れて泥だらけになった。遭難…….という文字が脳裏に浮かんだ。」その時、携帯のメールに着信が入ります。「娘からだった『帰りにキャベツ買ってきて』」さらに「玉ねぎと牛乳も買ってきて」と…….。なんとか無事下山し、娘さんの買い物も部終了したとか。やれやれでしたね。

第3章では、常識として受け入れている森の現象の本質を見抜いていきます、例えば森林セラピー。「森林浴」「森林療法」「森林セラピー」という言葉の裏に潜む、トンデモ科学とごまかし。その姿を読者に示して、「森林散策が心地よいことは、誰もが感じる経験則だ。しかし、トンデモ科学の装いを施して、トンチンカンな期待だけが膨らまされているのが森林セラピーではないか。」と結論づけています。

森という大きな存在を、様々な角度から教えてくれる格好の一冊です。アウトドア派必読!

 

あかしのぶこさんは京都生まれ京都育ち。二十年以上前に北海道に渡り、現在は知床の斜里町在住で、福音館書店「こどものとも」「ちいさなかがくのとも」などの絵本を描いていらっしゃいます。レティシア書房では2回目の個展になりました。

新作「ふぶきがやんだら」を見せていただいた時、これは北海道の厳しい寒さを知っている人だからこそ出来上がった絵本だと思いました。吹雪の間、人も動物も動き回らずに風雪をしのぎます。あかしさんは絵本の折り込みで、「この吹雪をどうにかやり過ごそうとしている森の動物たちも、私も、吹雪の前では同じ一匹の生き物なのだ」と書かれています。京都に住む私には想像しても追いつかないような自然の厳しさを、あかしさんの絵から感じます。そして嵐が止むと、みんなほっとして大喜びで出てくるのですが、その幸せが、また絵本から溢れます。

「じーっとじっと」という絵本は、お母さんウサギが出かけている間、じっと待っているウサギのきょうだいのお話。その草むらの生き生きとした植物や動物や子供達の表情などが、優しく暖かなタッチで描かれています。

原画は他に「もりのみんなのやまぶどう」「ねむたいねむたいももんがたち」が並んでいます。どれもあかしさんの身近な世界が、素朴で、可愛く力強い絵で表現されています。絵本もいくつか販売していますので手にとってみてください。他にポストカード(100円)エコバッグ(550円)などもあります。初日は知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンとシュトーレンが届きました。

あかしさんは、絵本の原画展としては北海道の図書館などで行われていたようですが、京都で彼女の原画を見る機会はあまりないと思いますので、ぜひこの機会にご覧いただきたいと思います。レティシア書房の今年最後のギャラリー企画展になります。(女房)

あかしのぶこ「えほんのえ展」は、12月11日(水)〜28日(土)12:00〜20:00月曜定休日

レティシア書房は、28日が今年最後の営業日です。

Tagged with:
 

10月26日の土曜日、カメラマンでネイチャーガイド、釧路湿原のペンション「ヒッコリーウインド」のオーナー安藤誠さんのネイチャートークを開催しました。レティシア書房では毎年秋の恒例のイベントになりましたが、徐々に参加者が増えて、店内ではゆっくりしていただくことができずに、昨年と同じく南隣のM商店様の店先をお借りしました。この時期にしては暖かく、開けっぱなしでまるで野外の上映会のようで、和やかな雰囲気でした。

例年なら安藤さんのワンマンショーなのですが、今回は、ヒッコリーのスタッフでガイドの山田佳奈さんと、映像スタッフの小川浩司さんが参加され、今回のツアーへの思いなどを話されました。そして安藤さんが、自身の最新の写真や映像を中心にして北海道の自然について講演しました。その中に、一匹のキタキツネが登場します。精悍な面構えで、撮影者にふと向けた視線に感動しました。北の大地の厳しい自然にたくましく静かに生きる姿が捉えられていました。また、スローモーションで映し出された雪の中の丹頂鶴のダンスシーンは、息を飲むような美しさでした。

彼の撮影した動物たちの表情、特にその視線は「あなたたちは何ができるのか」と訴えているように感じることがあります。動物たちは愛嬌があり、可愛らしさ、美しさに満ち溢れています。しかし、彼らの住む環境は破壊され、住処を追われ、クマなどは害獣として駆除されてしまうのが現状です。そんな世界であなたたちはどう生きるのか?と問いかけられているように思うのです。

野生動物のことを考えることは、環境問題だけでなく、社会のあり方、一人一人の生き方などを、今一度考えることになってきます。当店でも、本をお渡しする際のビニール袋の使用を少しでも減らすために、お客様には、袋が必要かどうかお聞きしています。また個人的には、ペットボトルの飲料をなるべく買わないように心がけています。たったそれぐらいですが、彼らの視線にほんの少しは答えられているかと、気休めですが思っています。

安藤さんは、面と向かって自然保護や環境問題のことを口に出しませんが、撮影した写真の背後にはそんな思いもあるのではないかと思います。夢は、ネイチャーガイドのことをきちんと(そして格好良く)紹介できるドキュメンタリー映画の製作とか。今回の映像から、その夢の実現は近いと思いました。ぜひ見せてください!

フランス映画「北の果ての小さい村で」(京都シネマにて上映中)は、物語のようでもありドキュメンタリーのようでもあり、不思議な、でも豊かな気分にしてくれる映画でした。舞台はグリーンランド。と聞いて、グリーンランドの場所が頭に浮かぶ人は少ないかもしれません。北極海に面した北の国で、1721年から1953年までデンマークの植民地でした。現在は、デンマークの一地方と同格の地位となり、学校教育や医療など様々な面で近代化が推し進められ、1979年内政自治権を獲得。デンマークからの独立をめざし自立性を高めている地域です。

この地域の中でも北に位置するチニツキラークという人口80人気足らずの村に、母国のデンマークで家業を継ぐことから逃げて新しいことをしたいと思っている、新任教師アンダースが赴任してきます。意気込んで赴任したものの、グリーンランド語を喋る子供達と意思疎通ができず、よそ者として村人たちから疎んじられます。ヨーロッパの文化を持ち込もうとして、土着の文化とぶつかり、そこからアンダースが彼らを受け入れ、共に生きる様子を描いてゆくのですが、大きな特徴があります。

それは、ほぼ出演者が、ホンモノ。役者ではありません。アンダースはじめ、イヌイットたちも現地の人たちです。狩りの仕方を孫に教える老人も、漁師になることを夢見る少年も、ホンモノです。リアルとノンフィクションを組み合わせて映画を作るのは至難の技術です。ドラマ部分とドキュメント部分に温度差が出ると、映画のリズムも狂ってきます。監督のサミュエル・コラルデの長期に渡る撮影が生きています。

この映画は、青年教師が淡々とイヌイットの狩猟文化へと心を寄せて、受け入れる様を描いていきます。起承転結のはっきりしたドラマではないので、ぐぐっーと感動することはありません。しかし、アザラシを解体するシーン、美味しいそうに食べる人たちの様子、青年が犬ぞりをなんとか乗りこなそうとするシーン、そして、狩人たちが子連れのシロクマに遭遇するシーン、ラストに青年がイヌイットの子供をカヤックに乗せて海原に漕ぎした時、嬉しそうに「鯨だ」というシーンなど、作り物ではないが故に深く心に残ります。

電気は送られているが、水道はなく、買物ができる町までも遠く、医療設備もままならないチニツキラーク。「豊かな自然」なんていうような言葉では簡単には括れません。けれども、人も、犬も、クマも、アザラシも、地球と共に生き、そして大地へ戻ってゆくことを実感する場所であることは間違いありません。

星野道夫をリスペクトする貴方なら、観ておいて損はしません。

北海道の原野に、ぽつんと建っている丸太小屋に住み、畑を耕し自給自足の暮らしを続ける弁造爺さん。弁造さんに14年間もの長い間付き合って来た写真家、奥山淳志の「庭とエスキース」(みすず書房/古書2500円)は、何よりも文章が心に染み込む本です。難しい言葉を使うことなく簡潔な表現で、弁造爺さんの日々の生活を描き、移ろいゆく北海道の自然の姿を的確に捉えていきながら、生きることの意味を思索してゆきます。

こんな文章に出会うと、自分の文章の未熟さを痛感します。著者は、小説家でも評論家でもなく、写真家ですが、ここまで描けるのかと何度も何度も思いながら、約300ページの本作を読みきりました。

「日本の木々の紅葉はどこか沈んだ色彩を持っている。一見鮮やかに見える赤や黄色の底には黒が混ざり、それがこの列島の自然特有の落ち着いた秋の表情を作り出しているとしたら、メープルは歌うように鮮やかで明るい秋の表情を作り出す。葉がまとった赤と黄色の底は一切の濁りもなく透明だった。そうした葉が無数となって、空に伸びる幹と枝を覆い包み、秋が深まると風に乗って舞った。そして、宙から舞った色彩は幹の周りを埋め尽くした。それはいつまでも見惚れるほどの秋の終わりの光景だった。」

写真家ならではの観察眼に裏付けられた文章。どう転んでも私には書けません。

「自分のものではない誰かの人生を満たしている日々の時間に触れてみたい」と思っていた著者の前に弁造さんが現れます。大正九年生まれの弁造さんは、明治からこの地で生きて来た開拓民の最後の世代。土地を開墾し、畑を耕し、丸太小屋を建てて、一人で暮らしていました。彼が丹念に手入れをして大きくした森の姿をカメラに収めています。1998年4月に弁造さんに出会い、2012年の春彼が逝ってしまうまで、彼の丸太小屋に愛犬さくらと共に訪ね、寝食を共にして来ました。

弁造さんは、若い時画家を目指したことがありましたが、様々な事情からその道を諦めました。それでも絵を描くことへの情熱を持ち続け、小屋の中でキャンバスを立てて絵に没頭することもありました。

「僕は弁造さんの自給自足へのアイデアと工夫を知れば知るほど興味を深めた。しかし、その自給自足の庭は弁造さんの一部でしかなかった。弁造さんの『生きること』の中には、自給自足も、諦めた絵描きへの夢も、再燃する絵描きへの切望も、混ざり合いながら全てが詰まっていた。」

開拓民の末裔の男の丸ごとの人生を通して、著者は彼が亡くなった後も、自身の「生きる」ことの意味を探り続けています。これは、一人のカメラマンが原野に生きる一人の男と対峙し、彼の生と死を見つめることで、自身の人生に彼の人生の知恵と思索を取り込んでいった、いわば哲学書なのです。いい本に出会えたと思っています。

★連休のご案内  8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。

昨日(10月27日土曜日)は、北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーの日。毎年この時期に釧路から、いつものように大きなバンに一杯荷物を積んでご来店…..と、思っていたら、午後4時頃、爆音を響かせた派手なバイクが店の前に止まるではありませんか。バイクで北海道を発って、各地で講演しているという噂は聞いていましたが、オイオイ、ホンマに来た!バイクにはてんで興味がない私には、性能とかスゴさなど全くわかりませんが、さあこの写真をご覧下さい。

午後7時ちょうど。トークショーの安藤節は、いつもにもまして快調に始まりました。

「アラスカには二種類の人間しかいないと言われています。一つはチーチャコ、もう一つはサワドゥ。前者の意味は、アラスカ生活1、2年でギブアップして逃げる、いわば根性なし。後者は、アラスカ在住10年以上の、ホンモノ」。毎年オーロラツアーを率いて訪れるアラスカの話から、30年ぶりに買ったバイクのこと、そして北海道、アラスカの自然の話へと移っていきました。

可愛らしいキタキツネや、円満夫婦のエゾフクロウ、そして、昨年のトークに登場した知床の兄妹クマが独立し、妹クマがお母さんになった写真などが映し出され、大自然に生きる彼らの豊かな表情に、参加者から、歓声やら溜め息が上がりました。どの動物達も素敵でしたが、アラスカで撮影されたエリマキ雷鳥の求愛の姿が、特に印象に残りました。

欲望に取りつかれた奴、権力の溺れた奴など腐敗した輩がインチキ政治を行っている今の時代の危うさを憂い、しかし、私たちはそんな輩に騙されないようにするために、インチキもヤラセもない自然をしっかり見つめることが大事なことだと力説されました。

後半は、ミャンマーに行った時に撮影した写真をもとに、この国の人々の姿や、市場の風景、漁師さんの日常などの話へ。生活水準は日本の100年前かもしれないが、スマホのおかげで最新情報は獲得しています。生活も日常もすべてネット社会に組み込まれてしまった我が国とは違い、自然は保たれ、昔ながらのゆっくりとしたペースの生活で、最新情報にアクセスして、新しい知識を吸収しているミャンマーが、これからどんな人間を輩出してゆくのか興味あるところです。

そして、アメリカスミソニアン博物館主宰のネイチャーズベストフォトグラファー動画部門グランプリを受賞した、安藤さんの動画を鑑賞して、今年の会は終了。ぜひ冬の北海道へ行きたい!!と、参加者全員が思った事でしょう。(特に私)ごく内輪で遅い晩ごはんを食べ、クマ男は爆音を響かせ次の地へと向かいました。

 

Tagged with:
 

野性の激しさと美しさを撮り続ける写真家、石川直樹のエッセイ集「極北へ」(毎日新聞社/古書1300円)を読みました。

17歳の頃、カヌーイストの野田知佑と知り合った石川は、彼の影響でカヌーを始めます。野田の著書には、何度かアラスカの原野のことが登場しますが、石川は大学一年の時、カナダとアラスカに跨がるユーコン川へと向います。その頃、石川は、もう一人強く影響を受けた人物、星野道夫を知りました。星野はもう亡くなっていたのですが、彼の著書を読み、「今まで漠然としか描かれていなかった自分の進むべき道が、先住民文化や人類の旅路をヒントに動きはじめていく。」と語っています。

「ぼくは高校生の頃に出会った野田さんや星野さんの著作によって極北へと導かれていった。それから、十年。毎年のように極北の大地に通い続けている。その原点は、ユーコン川下りであり、このデナリ登山である。あのとき内から沸き上がってきた生きる喜びを、今でも忘れることはない。終わりのない長い旅は、このときからはじまったのだ」

石川の長い旅を、この本を読むことで知ることができます。

「アラスカにいると、人は寡黙になり、冷静になる。自分がたった一人の人間であるということを多かれ少なかれ意識するからだと思う。」そう、彼に言わせる極北の大地アラスカ。そこで、彼は魅力的な人達に出会います。星野道夫の友人ボブ・サムに偶然出会って、星野の本を手渡すという体験もします。さらに、星野が居候していた小さなエスキモーの村シシュマレフの元村長クリフォードに巡り会うという幸福が訪れます。

アラスカに続いて、2004年彼はグリーンランドへと向かいます。グリーンランドは総面積218万平方メートルの世界最大の島でありながら、人口56000人という世界最低の人口密度という特殊な環境の国です。グリーンランドの厳しい自然と、そこに生きる人びとの暮らしが克明に描き出されています。殆どの日本人にとってはグリーンランドは全く知られていない国です。だから、この石川の記録は貴重です。この地に暮す、猟師は、移動手段にスノーモービルは使わず、犬ぞりです。それは、狩りにでたフィールドで、機械が壊れたら、生きて帰れないからです。

「極地で生き抜くための知恵には、それが受け継がれてきた明確な理由がある。グリーンランドの犬ゾリは郷愁に彩られた過去の残滓ではなく、現在にいたるまで優れて同時代的な移動手段なのだ。ぼくのカメラは凍って動かなくなることが何度もあったが、犬たちは白い息を吐きながらいつまでも走り続けてくれた。」

著者と共に、この国を旅して下さい。

写真家には、文章が上手い人が多いと思います。巧みな、あるいは凝った文章、というよりむしろ平易過ぎる文章です。でも、的確にその場の状況を把握しているのは、常にファインダーを見続けているからかもしれません。

「里山という言葉を私が思いついたんは、昭和30年代の話です」

と、語るのは森林生態学の創始者、四手井綱英先生。明治44年、京都に生まれました。林野庁で働き、京大で教鞭をとり、全く新しいアプローチで森を研究し、森林のあるべき姿を提唱した先生です。この先生に、森まゆみがインタビューしたものが、「森の人 四手井綱英の九十年」(晶文社/古書1300円)です。京都の山科にあるご自宅で、その半生を聞き取っています。

「里山というのは落葉樹や常緑樹で、その葉が落ちるので、また堆肥がつくれるという効用があった。あの桃太郎のおじいさんは山へ柴刈りに行きますね。柴は火を燃やすのに便利です。紙なんてないから、ふつうはカマドも炉も最初は柴をたきつけにする」と、柔らかい口調で語ります。

若き日、山登りに夢中になり、先輩だった今西錦司が発案した「山城三十山」によく登ったそうです。一方で、従来の林学に疑問を抱き、森が自然の中でどういう生活をやっているか、どういう行動をしているかを観察する生態学を踏まえた学問へ、情熱を傾けていきます。大学卒業後、東北の営林局へ勤務、ここで、山に暮す、個性的な面々と出会います。この話も面白いのですが、割愛します。

やがて徴兵されて中国へ。戦争で彼が知ったことは、「戦争は森林を破壊する一番の元凶」。軍事用材との一言で、森の材木は無茶苦茶に切り倒され、木だけでなく石油、石炭を取りつくし、人を殺し、文化を破壊することです。戦後、再び東北の営林局に戻り、そして昭和29年、京大に帰ってきます。

大学は技術研究の場ではなく、「森林の基礎学、つまり、森林生態学をやるのが大学や」と、猛進します。新しい学問には冷たい学会。でも先生はメゲマせん。森を守るため東奔西走、やがて各地の自然保護運動へも参加していきますが、生半可な知識と感情論が先行して、森に対する間違った知識が横行しているとか。分かりやすい言葉で話されると、成る程と理解できます。森と共に生きた知識人の豊かな世界が詰め込まれた一冊です。四手井先生は2009年、98歳で天国へ旅立たれました。

京都には、いい公園が少ない。下鴨神社の糺の森、京都御所の外苑だけだ、とも言い残されていました。その糺の森について編集された「下鴨神社 糺の森」(ナカニシヤ出版/古書1950円)も置いています。こちらもどうぞ。

 

 

 

西アフリカ・セネガルで1000年もの間、人々の暮らしを見つめ、聖霊が宿る木として敬われ続けているバオバブの木を、写真に収めた本橋成一の写真絵本「バオバブのことば」(ふげん社2484円)の販売を始めました。

本橋は60年代から現在に至るまで、炭鉱や、サーカス、屠殺場などを取り上げ、そこに生きる人びとの姿を写してきました。写真家としての活動の一方で、98年には、チェルノブイリ原発事故の被災地で暮す人々の日々を追いかけた「ナージャの村」で、映画監督をしました。その後、数本の作品を監督しています。その中には「バオバブの記憶」というバオバブをテーマにした作品もあります。映画と同タイトルの写真集もあり、こちらは店に置いています。(平凡社1900円)

今回ご紹介する「バオバブのことば」はすべてBWで撮影されています。何百年もの間、アフリカの乾燥した大地に、ぐっと枝を広げて立つバオバブを見ていると、その強い生命力と深い精神性を感じてしまいます。

写真集は「トゥーパ・トゥール村で たくさんのバオバブに出会った。」という本橋の言葉で始まります。様々な枝の曲がり方、幹のくねり方は、まるで舞台で踊るダンサーの姿みたいです。やがて、バオバブの周りに集まってくる人々、家畜を捉えた作品が登場します。

「バオバブは大地の許しを得て芽を出す だから村人は決してその居場所を侵すことはない。ずっと守られてきたバオバブとの約束」

守り、守られている村人たちの姿が伝わってきます。木の下で草を食べる山羊、それを見つめながら休息する村人たちの写真は、バオバブと共に平和に暮す、この村が表現されています。特に素敵なのは、子どもたちです。ズラリと根本に並んだ子どもたちは、まるでバオバブから昔話を聴いているみたいです。

「4000年を生きたバオバブが突然枯れて、消えた『役目を終えたからさ』と村人」

消えたバオバブに代わって新しい世代のバオバブが、村を守ってゆく。そんな光景が永遠に続けばいいのですが……。

 

角幡唯介を最初に読んだのは、2010年度開高健ノンフィクション賞を受賞した「空白の五マイル」(集英社900円)です。

角幡は早稲田大学探検部OBで、2002年から翌年にかけて実施されたチベット、ヤル・ツアンボー川峡谷という誰も入ったことのない峡谷を単独で調査、探検を行い全容を解明しました。その記録を本にしたのが「空白の五マイル」でした。

こういう秘境探検もの、海洋冒険ものノンフィクションは、つい手が出てしまいます。ヤル・ツアンボー川峡谷単独行で、生と死のはざまを経験し、彼が学んだことは「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない」でした。

次に手に取ったのは、2016年に発行された「漂流」。これは、本人が漂流した話ではありません。

1994年、フィリピンのミンダナオ島沖合で、一隻の救命筏が発見されて、数名の船乗りが救助されました。彼らは37日間、漂流を続け死の一歩手前で助けられました。船長は日本人で名前を本村実といい、沖縄の漁船でした。救命筏で漂流し助けられたという記事に興味を持った著者は、本村を取材したいと思い立ち、自宅に連絡します。取材の申し込みに対して、電話口に出た妻と驚愕の会話が始まります。妻はこう切り出します

「じつは、十年ほど前から行方不明になっているんです」「えっ…….」「前と同じように漁に出て帰ってこないんです…..。」「前みたいに漂流して…….。グァムに行って、港を出て、しばらくして帰るという連絡があったんですが、それっきり連絡がこないんです…….。」

また漂流した………?

これ、船ごと次元の裂け目に巻き込まれたとか、宇宙人に襲われたという類いのSF小説ではありません。最初の漂流の後、陸に上がった本村はその8年後、再び海に出ます。何故、もう一度海に出たのか、何故、消えてしまったのかを、関係者への膨大なインタビューを基にして書かれたノンフィクションです。神隠しにあったみたいに何の痕跡もなく、海の彼方に消えて、漁師としての人生に幕を降ろしてしまいました。

「彼にふたたび海に行くことを強いた要因の奥底に土地と海の力があったのなら、断片でもいいから、その力を感じ、その臭いをかいでみたい。」

海の男の生い立ち、その後の人生の足跡を追いかけて、グァム、フィリピンにまで向かう長い道程を追体験してゆく長編。人を癒してくれる優しい自然ではなく、荒々しく人生に介入して、自然の彼方に引っぱりこみ、魅入られてゆく著者のドキュメントでもあります。

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

 

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。数名で満席ですのでお早めに(要・予約 レティシア書房までお願いします)