星野道夫の一枚の写真から、一冊の絵本が生まれました。「あるヘラジカの物語」(原案/星野道夫 絵と文/鈴木まもる 発行:あすなろ書房1650円)です。

あるヘラジカの群れに、見知らぬオスが侵入してきます。当然、リーダーであるオスは追い出そうと戦いを挑みます。激しい争いで二頭は傷つき、とうとうお互いのツノが絡まったまま動けなくなってしまいました。そのまま動けないヘラジカに、オオカミの一団がやって来て襲い掛かります。さらにはヒグマも匂いを嗅ぎつけてやって来ます。熊やオオカミといった生態系のトップにいる動物たちが去ると、今度はキツネやコヨーテがやって来て、ヘラジカに食らいつきます。さらに鳥たちが肉をつつき、骨だけになったヘラジカ。マイナス50度の冬のアラスカで、カンジキウサギが、その骨を噛みます。ウサギにとっては、真冬の大事な栄養源です。

やがて春が訪れます。巨大な二頭のヘラジカの頭の骨のみが残っています。そこにアメリカタヒバリがやって来て、骨の影に巣を作り卵を産みました。

アラスカに暮らす星野が、河原で、二頭の大きなヘラジカの角が絡み合ったままの頭蓋骨を発見します。それを撮影した作品に出会った鈴木まもるが、絵本を作ろうと思い立ち、出来上がったのがこの絵本です。生態系の中で、脈々と続く生と死の連鎖を描かれています。

「偶然ある日、星野道夫君と出会いました。年が同じということもあるし、アラスカと日本の山ではスケールが違いますが、ふたりとも自然の中で暮らし、動物が好きだということもあり。すぐ仲良くなりました。」

とあとがきに書かれています。鈴木は伊豆の山の中で暮らしながら、鳥の巣の研究、収集、巣の展覧会を続けています。

二人の出会いはとても素敵なものだったみたいです。ヘラジカに食らいつくヒグマの様子を描いた絵など、星野が生きていたら、きっと喜んだことでしょう。絵本の最後のページは「アメリカタヒバリのすのなかでは、4わのひながげんきにそだっている。」という素敵なシーンで終わっています。

アラスカの風を感じる絵本です。

 

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昨日紹介した養蜂家のドキュメンタリー「ハニーランド」に引き続いて、蜂に関する本をご紹介。

芥川仁の写真集「羽音に聴く」(共和国/新刊2640円)です。藤原辰史が「芥川仁の写真はどれも、言葉になる寸前の空気の溜めと震えが映っている」と帯に書いています。ミツバチの羽音が聞こえるような写真を見ていると、藤原がいうことがわかる世界が広がっていきます。

「蜜蜂の言葉は『羽音』だ。小さな命の声に耳を澄ませてみよう」芥川仁の言葉です。

健気に働く蜂たちの姿。そして、その蜂たちを大事に育てる養蜂家の人たちの姿。ここまで養蜂家の仕事ぶりを収めた写真集って、多分なかったのではないでしょうか。

「蜜蜂は、自然界の変化に影響を受けやすい小さい命だ。花のない冬季を人間の世話なくして生き抜くことはできない。自然界の天敵スズメバチの来襲から守るもの養蜂家だ。」

という文章と共に、日本各地の養蜂家が登場します。「働き蜂が一生働いて、一万回飛んで、スプーン一杯の蜂蜜って言わすもんね。ちゃんとした蜜蜂の一生を終わらせてやりたいという思いはあっとですたい」とは、熊本の養蜂家、中村邦博さんの言葉です。

北海道歌志内市で養蜂をしている川端優子さんは、日本では珍しい女性養蜂家です。寒い北国でも越冬できる蜂を育てています。

「雪溶けの季節になったら、天気の良い日に(蜜蜂を)飛ばしてあげるんです。雪よけのワラやコンパネを取り除いて巣箱の蓋を開けると、元気で生きてて、みんな並んでこっちを見てて、なんとも言えないんですよ。あの顔、いやーっ、生きててくれたって」

彼女の笑顔と、そのときの蜜蜂の顔(もちろん向き合ったことはないですが)を思い浮かべました。養蜂家を通して、自然と共に生きる人たちの暮らしを捉えた素晴らしい写真集だと思います。

 

 

新刊書店員時代の最後の年だったと思います。入荷してきた絵本を何気なく手に取り読み出して、最後のページで、思わず泣いてしまいました。その現場を児童書担当の女性スタッフに見られてしまいました。「店長って絵本で泣くような人じゃないのに、何か家庭であったみたい」「会社でいじめられたのかも」とか、休憩室で噂になったらしいです。

その絵本が、越智典子(文)・沢田としき(絵)による「ピリカ、おかあさんへの旅」(福音館書店/古書1100円)。越智典子は、東京大学理学部生物学科を卒業後、絵本作家になりました。沢田としきは、1996年「アフリカの音」で日本絵本賞を受賞した絵本作家です。

主人公のピリカは、シャケです。大きくなって外海にいます。ある日「だれかのよぶ声がして、ピリカは目をさまし、空を見上げました」でも誰もいません。しかし、ピリカはお母さんの声を聞いた気がしました。

「ほかのさけたちも。空を見上げるようになりました。『誰かがぼくらをよんでいるよ』むれは、呼び声にこたえて泳ぎだしました」

シャケたちは、故郷の川を目指して泳ぎ始めたのです。広大な海を泳ぎきり、懐かしい匂いのする川へと戻ってきました。

「なつかしい匂いのする水は、あとからあとから流れてきます。それは、しょっぱくない、真水でした。ピリカは急に体が重たくなって、くるしくて、パシッと自らはねました。」

「お母さんが近くにいる!」河口付近で跳ね上がるピリカの姿。やがて、ピリカは自分の体に多くのタマゴを宿していることを知ります。産卵までの時間が瑞々しいタッチの絵で描かれていきます。産卵を終えたピリカは、静かに自分の生を終えました。体を横たえたピリカの横には、おかあさん、そのおかあさん、さらにその前のおかあさんもいるのです。『「おかえり……おかえり…….ピリカは光につつまれました」』

最後のページにはこう書かれています

「やがてピリカの体は、もう一つの旅に出るでしょう。キタキツネにたべられて、キタキツネになったなら、春には子ギツネをうむかもしれません。

オジロワシにつつかれて、オジロワシになったら、空を飛ぶかもしれません。

それでもいつかは、土になり、木になり、森になり、ゆたかな川の水になるでしょう。」

一匹のシャケの一生を描きながら、命の循環をわかりやすく描いた素敵な絵本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、映画館が頑張って安全対策をとっていることがわかり、こちらも久々の京都シネマ。理想の農場をつくるために奮闘する夫婦のドキュメント「ビッグ・リトル・ファーム」を観てきました。

野生動物のカメラマン、映画製作者として活躍していたジョン・チェスター(本作の監督)と、妻で料理家のモリーは、殺処分寸前で保護した愛犬のトッドと都会で暮らしていました。が、トッドの鳴き声が原因でアパートを追い出されてしまいます。愛犬のため、そして、本当に体にいい食べ物を育てるため、郊外へと移り住むことを決心します。

しかし、購入した200エーカー(東京ドーム約17個分らしい)の土地は荒れ果てた農地でした。

彼らは、有機農法を基本とした自然と共生する農場作りのため、ノウハウを持っている人をインターネットで探し出し、アラン・ヨークを雇い入れ、彼を師匠と仰ぎ、土地の改良を開始します。映画は、彼らの農場作りの第一歩から撮影されています。植物も生えていなかった土地が、豚、牛、羊、鶏など多くの家畜たちとともに少しずつ良くなっていき、やがて野生の生き物たちも集まってきます。ここでは、植物も、農産物も、家畜も野生動物も、全てが手を取り合いながら、一つの生態系を形成してゆくことを目的とされています。見るも無残だった土地が、美しい風景へと変貌していきます。

しかし、自然はそう簡単な相手ではありません。害虫の発生、家畜を狙うコヨーテ等々、農場の存続を脅かす問題が次々に襲ってきます。ある日、ジョンは農場内に侵入したコヨーテを撃ち殺します。死んだコヨーテの表情を真正面から捉えたとき、ジョンはコヨーテは無用の存在だったのか、と自らに問いかけます。

そうではなかったのです。そのことを、後半映画は語っていきます。コヨーテも生態系の中で、生きる目的が存在したのです。野ネズミに散々、農作物や果物を食い荒らされて頭を抱えたこともありましたが、やがて農場にはフクロウや猛禽類が住み着くようになり、野ネズミを捕食してくれるのです。しかも、その野ネズミにさえ生きる目的を自然は用意していたのです。全ては、つながって回ってゆく、その大きな自然の流れを、美しい映像が見せてくれる90分です。

オリジナルタイトルは”The Biggest LittleFarm” ”The Biggest”は、最も大きな生態系を回している地球であり、”Little”は、その大きな生態系のほんの一部を再生した農場という意味だと、私は思いました。

フリーの森林ジャーナリスト、田中淳夫の著書「森は怪しいワンダーランド』(新泉社/古書1200円)は、著者が世界各地の森林で体験した不思議な出来事やとんでもないトラブルに巻き込まれた体験、そして、今、普通に流布している森林に関する常識の本当の姿が書き綴られています。

ソロモン諸島にあるシンボ島でのこと。深夜聞こえてくる祭りのような音に、ひょいとテントから顔出すと、誰もいない。「何もなかった。生ぬるい風は吹いているが、光も音も聞こえない。黒々とした森が広がっているだけだ。祭りどころか、人っ子一人歩いていない。太った月だけが深夜の村に陰翳をつけていた。」

精霊だった……?そんな体験からお話は始まります。森林で生きる民族と暮らす中で、そこに息づく伝説や神話を聴いたり、自らその渦中に入ったりして、こう考えます。

「彼らのような自然の中で暮らす民族は、伝説と現実の経験談の区別が判然としないことを、私はニューギニアだけでなく各地で経験している。だが近代教育が行われる過程で、そうした世界は科学的に否定されてゆくのだ」

また、ボルネオの奥地では、自分自身どう判断していいのかわからない現場に立ち尽くします。テレビをつけると「美川憲一と研ナオコの歌謡ショーが始まったのである。ボルネオ奥地で『かもめはかもめ〜』と聴く、この違和感。しかし、思わず聞きほれてしまう私がそこにいたのだった」

第2章「遭難から見えてくる森の正体」は、まさに映画「インディージョーンズ」の世界です。テントの上の木の葉を食べる多くの虫が、糞をして、それが「テントをたたいて雨の音に聞こえるなんて」虫嫌いの人なら卒倒しかねません。それでも著者は、秘宝を求めてジャングル奥地に踏み込むジョーンズ教授よろしく、森の奥地へと入っていきます。

笑ったのは、勝手知ったる生駒山でのこと。「斜面を登る途中で滑り落ちた。沢に足を突っ込んだ。一瞬、悲鳴が口を突いた足元は濡れて泥だらけになった。遭難…….という文字が脳裏に浮かんだ。」その時、携帯のメールに着信が入ります。「娘からだった『帰りにキャベツ買ってきて』」さらに「玉ねぎと牛乳も買ってきて」と…….。なんとか無事下山し、娘さんの買い物も部終了したとか。やれやれでしたね。

第3章では、常識として受け入れている森の現象の本質を見抜いていきます、例えば森林セラピー。「森林浴」「森林療法」「森林セラピー」という言葉の裏に潜む、トンデモ科学とごまかし。その姿を読者に示して、「森林散策が心地よいことは、誰もが感じる経験則だ。しかし、トンデモ科学の装いを施して、トンチンカンな期待だけが膨らまされているのが森林セラピーではないか。」と結論づけています。

森という大きな存在を、様々な角度から教えてくれる格好の一冊です。アウトドア派必読!

 

あかしのぶこさんは京都生まれ京都育ち。二十年以上前に北海道に渡り、現在は知床の斜里町在住で、福音館書店「こどものとも」「ちいさなかがくのとも」などの絵本を描いていらっしゃいます。レティシア書房では2回目の個展になりました。

新作「ふぶきがやんだら」を見せていただいた時、これは北海道の厳しい寒さを知っている人だからこそ出来上がった絵本だと思いました。吹雪の間、人も動物も動き回らずに風雪をしのぎます。あかしさんは絵本の折り込みで、「この吹雪をどうにかやり過ごそうとしている森の動物たちも、私も、吹雪の前では同じ一匹の生き物なのだ」と書かれています。京都に住む私には想像しても追いつかないような自然の厳しさを、あかしさんの絵から感じます。そして嵐が止むと、みんなほっとして大喜びで出てくるのですが、その幸せが、また絵本から溢れます。

「じーっとじっと」という絵本は、お母さんウサギが出かけている間、じっと待っているウサギのきょうだいのお話。その草むらの生き生きとした植物や動物や子供達の表情などが、優しく暖かなタッチで描かれています。

原画は他に「もりのみんなのやまぶどう」「ねむたいねむたいももんがたち」が並んでいます。どれもあかしさんの身近な世界が、素朴で、可愛く力強い絵で表現されています。絵本もいくつか販売していますので手にとってみてください。他にポストカード(100円)エコバッグ(550円)などもあります。初日は知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンとシュトーレンが届きました。

あかしさんは、絵本の原画展としては北海道の図書館などで行われていたようですが、京都で彼女の原画を見る機会はあまりないと思いますので、ぜひこの機会にご覧いただきたいと思います。レティシア書房の今年最後のギャラリー企画展になります。(女房)

あかしのぶこ「えほんのえ展」は、12月11日(水)〜28日(土)12:00〜20:00月曜定休日

レティシア書房は、28日が今年最後の営業日です。

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10月26日の土曜日、カメラマンでネイチャーガイド、釧路湿原のペンション「ヒッコリーウインド」のオーナー安藤誠さんのネイチャートークを開催しました。レティシア書房では毎年秋の恒例のイベントになりましたが、徐々に参加者が増えて、店内ではゆっくりしていただくことができずに、昨年と同じく南隣のM商店様の店先をお借りしました。この時期にしては暖かく、開けっぱなしでまるで野外の上映会のようで、和やかな雰囲気でした。

例年なら安藤さんのワンマンショーなのですが、今回は、ヒッコリーのスタッフでガイドの山田佳奈さんと、映像スタッフの小川浩司さんが参加され、今回のツアーへの思いなどを話されました。そして安藤さんが、自身の最新の写真や映像を中心にして北海道の自然について講演しました。その中に、一匹のキタキツネが登場します。精悍な面構えで、撮影者にふと向けた視線に感動しました。北の大地の厳しい自然にたくましく静かに生きる姿が捉えられていました。また、スローモーションで映し出された雪の中の丹頂鶴のダンスシーンは、息を飲むような美しさでした。

彼の撮影した動物たちの表情、特にその視線は「あなたたちは何ができるのか」と訴えているように感じることがあります。動物たちは愛嬌があり、可愛らしさ、美しさに満ち溢れています。しかし、彼らの住む環境は破壊され、住処を追われ、クマなどは害獣として駆除されてしまうのが現状です。そんな世界であなたたちはどう生きるのか?と問いかけられているように思うのです。

野生動物のことを考えることは、環境問題だけでなく、社会のあり方、一人一人の生き方などを、今一度考えることになってきます。当店でも、本をお渡しする際のビニール袋の使用を少しでも減らすために、お客様には、袋が必要かどうかお聞きしています。また個人的には、ペットボトルの飲料をなるべく買わないように心がけています。たったそれぐらいですが、彼らの視線にほんの少しは答えられているかと、気休めですが思っています。

安藤さんは、面と向かって自然保護や環境問題のことを口に出しませんが、撮影した写真の背後にはそんな思いもあるのではないかと思います。夢は、ネイチャーガイドのことをきちんと(そして格好良く)紹介できるドキュメンタリー映画の製作とか。今回の映像から、その夢の実現は近いと思いました。ぜひ見せてください!

フランス映画「北の果ての小さい村で」(京都シネマにて上映中)は、物語のようでもありドキュメンタリーのようでもあり、不思議な、でも豊かな気分にしてくれる映画でした。舞台はグリーンランド。と聞いて、グリーンランドの場所が頭に浮かぶ人は少ないかもしれません。北極海に面した北の国で、1721年から1953年までデンマークの植民地でした。現在は、デンマークの一地方と同格の地位となり、学校教育や医療など様々な面で近代化が推し進められ、1979年内政自治権を獲得。デンマークからの独立をめざし自立性を高めている地域です。

この地域の中でも北に位置するチニツキラークという人口80人気足らずの村に、母国のデンマークで家業を継ぐことから逃げて新しいことをしたいと思っている、新任教師アンダースが赴任してきます。意気込んで赴任したものの、グリーンランド語を喋る子供達と意思疎通ができず、よそ者として村人たちから疎んじられます。ヨーロッパの文化を持ち込もうとして、土着の文化とぶつかり、そこからアンダースが彼らを受け入れ、共に生きる様子を描いてゆくのですが、大きな特徴があります。

それは、ほぼ出演者が、ホンモノ。役者ではありません。アンダースはじめ、イヌイットたちも現地の人たちです。狩りの仕方を孫に教える老人も、漁師になることを夢見る少年も、ホンモノです。リアルとノンフィクションを組み合わせて映画を作るのは至難の技術です。ドラマ部分とドキュメント部分に温度差が出ると、映画のリズムも狂ってきます。監督のサミュエル・コラルデの長期に渡る撮影が生きています。

この映画は、青年教師が淡々とイヌイットの狩猟文化へと心を寄せて、受け入れる様を描いていきます。起承転結のはっきりしたドラマではないので、ぐぐっーと感動することはありません。しかし、アザラシを解体するシーン、美味しいそうに食べる人たちの様子、青年が犬ぞりをなんとか乗りこなそうとするシーン、そして、狩人たちが子連れのシロクマに遭遇するシーン、ラストに青年がイヌイットの子供をカヤックに乗せて海原に漕ぎした時、嬉しそうに「鯨だ」というシーンなど、作り物ではないが故に深く心に残ります。

電気は送られているが、水道はなく、買物ができる町までも遠く、医療設備もままならないチニツキラーク。「豊かな自然」なんていうような言葉では簡単には括れません。けれども、人も、犬も、クマも、アザラシも、地球と共に生き、そして大地へ戻ってゆくことを実感する場所であることは間違いありません。

星野道夫をリスペクトする貴方なら、観ておいて損はしません。

北海道の原野に、ぽつんと建っている丸太小屋に住み、畑を耕し自給自足の暮らしを続ける弁造爺さん。弁造さんに14年間もの長い間付き合って来た写真家、奥山淳志の「庭とエスキース」(みすず書房/古書2500円)は、何よりも文章が心に染み込む本です。難しい言葉を使うことなく簡潔な表現で、弁造爺さんの日々の生活を描き、移ろいゆく北海道の自然の姿を的確に捉えていきながら、生きることの意味を思索してゆきます。

こんな文章に出会うと、自分の文章の未熟さを痛感します。著者は、小説家でも評論家でもなく、写真家ですが、ここまで描けるのかと何度も何度も思いながら、約300ページの本作を読みきりました。

「日本の木々の紅葉はどこか沈んだ色彩を持っている。一見鮮やかに見える赤や黄色の底には黒が混ざり、それがこの列島の自然特有の落ち着いた秋の表情を作り出しているとしたら、メープルは歌うように鮮やかで明るい秋の表情を作り出す。葉がまとった赤と黄色の底は一切の濁りもなく透明だった。そうした葉が無数となって、空に伸びる幹と枝を覆い包み、秋が深まると風に乗って舞った。そして、宙から舞った色彩は幹の周りを埋め尽くした。それはいつまでも見惚れるほどの秋の終わりの光景だった。」

写真家ならではの観察眼に裏付けられた文章。どう転んでも私には書けません。

「自分のものではない誰かの人生を満たしている日々の時間に触れてみたい」と思っていた著者の前に弁造さんが現れます。大正九年生まれの弁造さんは、明治からこの地で生きて来た開拓民の最後の世代。土地を開墾し、畑を耕し、丸太小屋を建てて、一人で暮らしていました。彼が丹念に手入れをして大きくした森の姿をカメラに収めています。1998年4月に弁造さんに出会い、2012年の春彼が逝ってしまうまで、彼の丸太小屋に愛犬さくらと共に訪ね、寝食を共にして来ました。

弁造さんは、若い時画家を目指したことがありましたが、様々な事情からその道を諦めました。それでも絵を描くことへの情熱を持ち続け、小屋の中でキャンバスを立てて絵に没頭することもありました。

「僕は弁造さんの自給自足へのアイデアと工夫を知れば知るほど興味を深めた。しかし、その自給自足の庭は弁造さんの一部でしかなかった。弁造さんの『生きること』の中には、自給自足も、諦めた絵描きへの夢も、再燃する絵描きへの切望も、混ざり合いながら全てが詰まっていた。」

開拓民の末裔の男の丸ごとの人生を通して、著者は彼が亡くなった後も、自身の「生きる」ことの意味を探り続けています。これは、一人のカメラマンが原野に生きる一人の男と対峙し、彼の生と死を見つめることで、自身の人生に彼の人生の知恵と思索を取り込んでいった、いわば哲学書なのです。いい本に出会えたと思っています。

★連休のご案内  8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。

昨日(10月27日土曜日)は、北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーの日。毎年この時期に釧路から、いつものように大きなバンに一杯荷物を積んでご来店…..と、思っていたら、午後4時頃、爆音を響かせた派手なバイクが店の前に止まるではありませんか。バイクで北海道を発って、各地で講演しているという噂は聞いていましたが、オイオイ、ホンマに来た!バイクにはてんで興味がない私には、性能とかスゴさなど全くわかりませんが、さあこの写真をご覧下さい。

午後7時ちょうど。トークショーの安藤節は、いつもにもまして快調に始まりました。

「アラスカには二種類の人間しかいないと言われています。一つはチーチャコ、もう一つはサワドゥ。前者の意味は、アラスカ生活1、2年でギブアップして逃げる、いわば根性なし。後者は、アラスカ在住10年以上の、ホンモノ」。毎年オーロラツアーを率いて訪れるアラスカの話から、30年ぶりに買ったバイクのこと、そして北海道、アラスカの自然の話へと移っていきました。

可愛らしいキタキツネや、円満夫婦のエゾフクロウ、そして、昨年のトークに登場した知床の兄妹クマが独立し、妹クマがお母さんになった写真などが映し出され、大自然に生きる彼らの豊かな表情に、参加者から、歓声やら溜め息が上がりました。どの動物達も素敵でしたが、アラスカで撮影されたエリマキ雷鳥の求愛の姿が、特に印象に残りました。

欲望に取りつかれた奴、権力の溺れた奴など腐敗した輩がインチキ政治を行っている今の時代の危うさを憂い、しかし、私たちはそんな輩に騙されないようにするために、インチキもヤラセもない自然をしっかり見つめることが大事なことだと力説されました。

後半は、ミャンマーに行った時に撮影した写真をもとに、この国の人々の姿や、市場の風景、漁師さんの日常などの話へ。生活水準は日本の100年前かもしれないが、スマホのおかげで最新情報は獲得しています。生活も日常もすべてネット社会に組み込まれてしまった我が国とは違い、自然は保たれ、昔ながらのゆっくりとしたペースの生活で、最新情報にアクセスして、新しい知識を吸収しているミャンマーが、これからどんな人間を輩出してゆくのか興味あるところです。

そして、アメリカスミソニアン博物館主宰のネイチャーズベストフォトグラファー動画部門グランプリを受賞した、安藤さんの動画を鑑賞して、今年の会は終了。ぜひ冬の北海道へ行きたい!!と、参加者全員が思った事でしょう。(特に私)ごく内輪で遅い晩ごはんを食べ、クマ男は爆音を響かせ次の地へと向かいました。

 

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