元ハーバート大学日本文学教授で、村上春樹の小説の英語翻訳者としても有名なジェイ・ルービンが、編集した「芥川龍之介短篇集」(新潮社1400円)というアンソロジー。この本には村上春樹が、「芥川龍之介ーある知的エリートの滅び」という序文を寄せています。この芥川論が、とても面白いのです。

「初期の芥川の作品の、当たるをかまわずずばずばと切りまくるような文体には、間違いなく、息をのむようなすさまじさがある。」

こんな文章に出会うと、芥川を読みたくなりますよね。私自身、へぇ〜、彼ってこんな技巧的でスマートな短篇小説が書ける人だったんだ、と気づいたのは最近です。

村上は言います。「まず何よりも流れがいい。文章が淀むことなく、するすると生き物のように流れていく。言葉の選び方が直感的に自然で、しかも美しい。」

以前ブログで紹介した「日本文学全集26巻 近代作家1」に収録されている芥川の「お冨の貞操」(河出書房新社1800円)などは、その好例だと思います。また、たった数ページで、中世の説話を現代語でリライト&リミックスして甦らせた「羅生門」を読めばわかります。

芥川の文学的センスと淀みなく進む文体は、しかしその一方で「文学者としての彼にとってのアキレス腱ともなった。その武器があまりにも鋭利で有効的であるが故に、彼の長期的な文学的視野、方向性の設定は、いささかの妨げを受けることになったのである。」と村上は指摘します。

有り余る才能だけで、新しい時代の動きをねじ伏せることが出来るとは思えません。文学史的に見れば、台頭しつつあったプロレタリア文学運動と、その真逆のような世界を描く私小説を芥川が受容できるはずがありません。

「人工的なストーリーテリングと、洗練された文章技術の中に、人間的含蓄を忍ばせること、それが芥川の生き方であり、書き方であった。そして私小説やプロレタリア文学の拠って立つ文学的方法は、そのような生き方とは根本的に対立するものであった。」

結局、芥川は、私小説的世界の方へと無理矢理自らを放り込むのですが、私は後期の芥川作品の熱心な読者ではないので、この時期の評価はできません。村上は15歳の時に読んだ「歯車」の、情景がいまだに鮮やかに残っていることを告白して、

「自らの人生をぎりぎりに危ういところまで削りに削って、もうこれ以上削れない地点まで達したことを見届けてから、それをフィクション化したという印象がある。すさまじい作業である。」と、書いています。

村上の20数ページの芥川論を精読して、収録された18点の小説を読むと、芥川が身近な存在になるかもしれません。

翻って、私の芥川龍之介体験は、碌でもないものでした。高校の現代国語の授業、真面目なだけの京大文学部卒の先生が嫌いで、クーラーのない教室で真夏に、龍之介を読まされる苦痛。しかも、教室は、男、男、男!!(つまり男子校)。こんな環境だったので、「龍之介はつまらない」という思い出だけがあって、遠ざかっていました。

しかし、短篇集「舞踏会 蜜柑」(角川文庫300円)に収録されていた「蜜柑」を読んだ時、大正時代にこんな斬新な小説を書いていたのか!!と驚きました。僅か、数ページの小説ですが、もうそのまま映画になりそうな程に映像として迫ってきます。

「ある曇った冬の日暮れである。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。」で、小説は始まります。主人公の前に「いかにも田舎者らしい娘」が坐っています。「私はこの小娘の下品な顔立ちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。」

主人公は上流階級の人間なのでしょうね、こんな娘の何もかもがうっとおしいんです。その内、列車はトンネルに差し掛かります。その時、小娘は、無理矢理窓を開けようとします。蒸気機関車の時代ですから、窓を開けたままトンネルに突入すればどうなるかは、蒸気機関車が先導する列車の乗った方なら、その悲惨な状況はご存知ですね。

しかし、小娘はおかまいなく、窓から身を乗り出して前方を凝視しています。今にも怒り出そうとしている主人公は、その時、前方の踏切の前に、三人の男の子を見つけます。

その瞬間、身を乗り出していた小娘が持っていた蜜柑を男の子達に投げつけます。

「私は思わず息をのんだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、おそらくこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾かの蜜柑を投げて、わざわざ踏切まで見送りにきた弟たちの労に報いたのである」

空を舞う蜜柑の橙色と、列車の音、声を上げる男の子たち、そして小娘とそれを見つめる主人公の姿が映画のように流れていきます。芥川の小説が技巧に走り過ぎていると言われるのは、この辺りの描写かもしれません。

小説は、最後この小娘を見上げた主人公にこんな台詞を言わせて終わります。

「私はこの時初めて、言いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可思議な、下品な、退屈な人生をわずかに忘れることができたのである」

作家、梨木香歩は中学二年生の時に、芥川にハマったと書いていました。私の場合、遅すぎたかもしれませんが、彼の短編を読んでいこうと思いました。この短篇集には、三島由紀夫が高く評価した「舞踏会」(これも素敵でした)など大正8年に描かれた作品が十数作収録されています。時代小説「鼠小僧次郎吉」なんて、音読したいような、キリリとした江戸言葉一杯です。