中央公論新社から出ている梅崎春生「ボロ家の春秋」(中公文庫/古書700円)を読みました。私にとって梅崎は熱心に読みたくなるような小説家ではありませんでした。

1915年福岡に生まれ、敗戦の年に、初期の傑作とされている「桜島」を発表しました。梅崎を読んだのは、この本一冊だけでした。あまり心に残らなかったので、その後、もうこの作家は読むことはないだろうと勝手に思っていました。

で、この文庫を手に取ったのは、同じ九州出身の作家野呂邦暢が「私は梅崎春生の作品が好きだ」とエッセイに書いていることと、書評家の萩原魚雷の解説を読んだことによります。

萩原は「梅崎春生は初期と中期以降では作風が大きく変わっている。野球の投手が力で相手をねじ伏せる本格派からのらりくらりと打者をかわす軟投派に転じる感じとやや似ている。おそらく1950年代前半がその過度期だろう。」と解説していました。

本書には50年代期の短編が四作品収録されています。タイトルになっている「ボロ家の春秋」は55年発表で第32回直木賞を受賞しました。これ、別にユーモア小説ではないんですが笑えます。ひょんな事からボロ家をシェアすることになった二人の男の諍いをシニカルに描いていきます。

そして、面白いというか変な感覚に満ちているのいるのが、「猫と蟻と犬」です。1954年3月に起こった「第五福竜丸事件」。アメリカ軍がビキニ環礁で行った水爆実験で、近くを航行していた漁船第五福竜丸が放射能を浴びた事件は、大きく報道されました。その当時の社会状況を踏まえて、小説は「どうも近頃身体がだるい。なんとなくだるい。」という主人公のセリフで始まります。

主人公の友人が、風邪をひいたんじゃなくて「ビキニの灰ですよ。ビキニの灰が雨に含まれて、それがあんたの身体にしみこんだんですよ」と詰め寄ります。じゃあ、放射能をめぐる社会派の物語に進むかといえば、どんどんと横道に逸れていって読者は煙に巻かれて、はいおしまい、という具合なのです。

梅崎は純文学とエンタメ小説の境界を行ったり来たりしながら、独特の覚めた視線で人の世を見つめていた作家だったんです。

以前に読んだ時には印象が良くなかった作家の本を、再読したら印象が良くなる経験って読書の面白さですね。