今年87歳の小林信彦は、最も敬愛する作家の一人です。教養、大衆芸能への知識、文学的技量に加えて、ユーモアと笑いのセンスを兼ね備えた作家です。この人の映画論、コラムに駄文はなく、作品の評価も的確で信頼していました。週刊文春で連載されていた「本音を申せば」は、楽しみでした。80歳を超えた作家が、広瀬すずや、橋本愛を語るのですからね。ただ残念ながら、体調を理由に休載中です。

小林が2003年に出した「名人」(文藝春秋)が、朝日新聞社から文庫で再発(古書300円)されました。しかも1981年「ブルータス」に収録された古今亭志ん朝との対談も再録されています。「名人」というタイトルからわかるように、これは江戸落語を代表する古今亭志ん生と、その息子志ん朝について書かれたものです。米朝一門に代表される上方落語は見たことがありますが、江戸のは実際に見たことがありません。だから、この本はとても興味深く読みました。

落語に興味のない人は、後半かなりページを割いて書かれた「落語・言葉・漱石」をどうぞ。「夏目漱石と落語」と題された章では、漱石の「我輩は猫である」と落語の世界を様々な角度からアプローチしていきます。

「江戸芸能を源流とするもっとも洗練された笑いが、じかに西洋に触れてきたもっとも知的な作家の筆によって蘇ったのは、明治文学史上の大きな皮肉である。」

「文学の中に<厳粛な真実・人生>のみを求めた(同時代の)自然主義作家の作品の大半が読まれなくなった今日、『猫』は依然として読み継がれている。それも、<教科書にのっているから読まれる>古典のたぐいではなく、ぼく自身が体験したように、もっとスリリングで白熱した読書の時を過ごすことができる。このような作品を古典の枠内に閉じこめておくのは読書界にとって大きなマイナスである」

というのが小林の「我輩は猫である」評価の核心です。

最後に収録されている対談で、志ん朝が「芸」の定義をこんな風に語っています。

「芸というのは、やはり聞いている人に魔術をかけるというか、何もないのに本当に飲んだように見せたりという、まやかしに近いものでしょう。まやかしに近いものというのは、精一杯やっちゃうと、相手はまやかされないんですよ」

至極名言です。余裕のないところに良い芸はない。それは小説も一緒だと小林も賛成しています。

レティシア書房連休のお知らせ

誠に勝手ながら、6月3日(月)4日(火)連休いたします 

 

 

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桂米朝師匠死去のニュースが、連日報道されています。私を落語の世界へ連れていってくれたのは、この方でした。品のいい話し方で、大阪の若旦那の酒の失敗話やら、ちょっと色っぽい祗園の話やら、古典落語の豊かな世界へと誘ってもらえました。

高座では、ついに観ることができなかった傑作「地獄八景」。退屈のあまり、皆で地獄参りでもしようやないかと思い立った若旦那に、芸奴に太鼓持ちの連中の陽気な地獄巡り。長時間のネタだったので、もうお年を召されてからは演目からは外れていました。代わりに、弟子の桂枝雀師匠の破天荒で、ノンストップで突っ切る高座では大笑いさせてもらいました。

米朝師匠には、沢山の著作があります。店にも二冊ありました。ラジオ番組「米朝よもやま噺」を再構成した「藝、これ一生」(朝日新聞社800円)。ラジオでの話をそのまま活字にしているので、あの優しい口調が楽しめます。

「芸能界でよく使う『上方』という言葉ですが、倅の五代目桂米團治は京都生まれの嫁に『京都では上方とは言わへんよ』と指摘されたそうです。対談した京都在住の狂言師、茂山千之丞さん、あきら君親子もこの話にうなずいていました。そう言うたら、井上流は『上方舞』やのうて『京舞』と言うてますな。」

こんな感じで、師匠と親しい間柄だった芸人さんのこと、ネタの事等が語られています。

もう一冊、「一芸一談」(ちくま文庫600円)は、お笑いの世界だけに留まらず、歌舞伎、文楽、浪曲、講釈等の古典芸能界の大御所たち、クラシック音楽界からはバイオリニスト、辻久子との対談まで収録した、いわば名人の芸談義の記録です。でも、小難しい芸論じゃなく、藤山寛美との対談などは爆笑ものです。

「始末の極意/世帯念仏」、「持参金/軽業」を収録したCD(各1300円)、「帯久/足上り」を収めたDVD(1900円)もあります。聴きながら、観ながら楽しんで下さい。

今頃、師匠は、先に旅立った枝雀師匠と再会されていることでしょう。「ご無沙汰でんな。まぁ、こっちお入り」なんて落語そのままの会話を交わされているかもしれません。

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久しぶりに、落語を聴きにいきました。七夕恒例の米朝一門会です。

もちろん高齢の米朝師匠は、今回は出演されていませんが、以前に何度か拝見しました。その破天荒な芸で楽しませてくれた、桂枝雀師匠の高座も今となってはいい思い出です。

米朝師匠の長男の小米朝が、米團治襲名披露も、同じ南座で聴きましたが、生意気を承知で言わせていただくと、当時はもう一生懸命やっていますというプレッシャーが伝わる様な緊張感がありました。今回は、流石に米團治師匠の名前が板について、はんなりとした十八番の和事の咄を見せて頂きました。「稽古屋」という演目で日舞のお師匠さんを演じられるのですが、肩から手先まで色っぽい仕草がホント楽しかったです。

昔からちょっと滑舌が悪く、それがかえって売りだった桂ざこば師匠も、すっかりいい風にお年をめされました。相変わらず、ガサガサとお話になるのですが、それがなんていうか昇華されていて、お人柄が出て、この噺家さんにしかできない話芸を存分に楽しませてもらいました。やっぱ、ずっと続けるって大事ですね。

中入り後、登場の桂塩鯛師匠は、今が旬ですね。笑わすタイミング、間の取り方、一気にオチまで持って行く力量。咄は六代目桂文枝の創作ネタ「鯛」。いけすの囚われの鯛同士の会話という一風変わった咄でした。

トリは桂南光師匠で「火焔太鼓」。江戸時代からある咄を五代目古今亭志ん生がヒットさせた江戸前のネタを上方落語で。終演時間を20分以上過ぎていましたが、堪能しました。

どうしても、こちらにいると上方落語が中心になりますが、たまには江戸前ものを聴いてみたくなります。池内紀「東京落語地誌」(角川書店500円)は、そんな江戸を舞台にした咄の舞台となった場所の魅力を教えてくれる格好の入門書です。

 

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BSで放送していた桂三枝の六代目桂文枝襲名のドキュメントを観ました。

六代目は、ご承知の通り新作落語の得意な噺家です。初めて観た「ゴルフ夜明け前」とか、麻雀をネタにした新作物には驚かされました。後者では、麻雀に興じる四人を演じるのに、あたかもテーブルに四人が座っている如く、高座を移動していくのです。この人が、古典落語、それも上方物やったら面白いのにと思っていましたが、この人の前には天才、桂枝雀がいたのです。古典落語を、全て持論の「緊張と調和」の流れに乗せて、抱腹絶倒の渦に巻きこんでゆく。この人の前では、古典もので、その上を行くのは不可能に近く、新作に活路を見いだすしかなかったのかもしれません。

枝雀の落語のテンションの上げ方は、もう異常という程です。演目は忘れましたが、本題に入る前の枕の部分で、一気に加速して、観客を笑いの渦に巻き込みすぎて、数十分間を費やし、本題に入らず、すなわち落ちもない状態で高座を降りるという前代未聞の噺家でした。師匠の桂米朝の得意とした出し物、「地獄八景亡者戯」(DVD2500円)でも、師匠の大らかな地獄巡りとは異なり、パンチのある話し方で、これでもか、これでもかと力ずくで笑わせます。

師匠の米朝は、何度も高座で観ました。どの噺も面白おかしく楽しませてもらいましたが、私はこの人の指先が好きです。指先で見事にその人物を表現します。舞子の時は舞子らしく、長屋の貧乏暮らしのおかみさんの時はそれらしく、二代目の若旦那の時は、なんやら頼りないぼんぼんを、指先で表現しているのを観るのが楽しみでした。もう、かなりのご高齢なので高座で拝見することは不可能かもしれません。

はんなりした上方落語の一方で、きりっとした江戸前落語も楽しみたいものですが、CDを聞いたり、本を読んでみるぐらいで終わっています。できれば、実際の高座も観たいものです。江戸前落語の本としては、小林信彦の「名人 志ん生、そして志ん朝」(朝日新聞社700円)、雑誌Switchの94年1月の志ん朝特集号(2000円)あたりがお薦めです。

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