昆虫学者であり、フランス文学者でもある奥本大三郎の随想集。タイトルは「織田作之助と蛍」(教育評論社/古書1650円)です。

「ここで織田作之助をまっ先に取り上げたことには特に理由があるわけではない。私が大阪生まれで、この作家のものを折に触れて読んでいる、そしてその作品のところどころに虫が出てくるのが嬉しい気がするというだけのことである。」

ということで、「夫婦善哉」で有名な織田作之助を巻頭で取り上げています。著者は大阪の南の方、和泉出身。織田の小説で語られている大阪弁は、天王寺あたりのものなのだが、そこに和泉の方言が混じり込んでいるので、懐かしさを感じるのだとか。ここでは、「アド・バルーン」という作品を取り上げ、「口調の良さはオダサクの命であり、あえて言えば西鶴譲りなのである。」と書いています。

昆虫学の専門家だけあって、随所にそのウンチクが登場します。明治生まれの詩人、横瀬夜雨の詩集「雪あかり」に入っている「べっ甲蜂」を取り上げ、この蜂が狩り蜂の仲間であり、彼らは他の虫を捕まえて、毒針で動けなくして、巣の中に貯蔵する習性を持っていることを解説して、

「蜂はその、動けない獲物に卵を産みつける。 やがて蜂の卵から幼虫が孵り、獲物の虫の体、つまり生きた新鮮な肉を、命に別状のない部分から順に食べて行く。そして、ついには獲物がほとんどカラッポになるぎりぎりまで相手を生かしたまま食いつくすのである。」と続けています。

まるで映画「エイリアン」に登場する化物みたいですが、これがべっ甲蜂の生存戦略なのですね。しかも、この蜂、他の虫が嫌がる大型のクモを襲うのです。自然界の営みは凄いです!と、こんなふうに自然の世界に行ったり来たりするところが、この本の面白さです。

この本の中で知ったことなのですが、ファーブルの「昆虫記」を日本で初めて翻訳したのは大杉栄なのです。ご存知の通り、アナーキストとして官憲から目をつけられて、関東大震災のどさくさの中で惨殺された大杉は、大正11年に「昆虫記」第1巻を翻訳していました。彼なき後、仲間たちの手によって、翻訳が続けられました。

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。


 

熊田千佳慕さんってご存知ですか?

明治44年生まれの細密画家です。小さい時に庭で虫や花に親しみ、父親から聞いたファーブルの話にのめり込み、画家への道を歩み出します。東京芸大在籍中、「資生堂」の広告で有名なフラフィックデザイナー山名文夫に見込まれて、日本工房にデザイナーとして入社。その時の同僚、土門拳と一緒に様々なポスター製作に従事します。そして、戦後、絵本の世界へ転身。70歳で「ファーブル昆虫記」の作品がボローニャ国際絵本原画展に入選しました。

その熊田さんの作品と彼自身の言葉を収録したのが「私は虫である」(求龍堂900円)です。

「ゆとりのない芸はおもしろ味も楽しさもない。全ての芸に言えることである。小さな自然を愛し、小さなゆとりを持って小さな幸せを持つ、これ生活のゆとりである。千佳慕の小さな世界はゆとり(愛)の満ちたところ」

と語っています。

庭に腹這いになって、虫と同じ視点で観察に夢中の写真がありますが、なんとも幸せそうなお顔です。お金でもたらされた幸福ではありません。

「虫と同じ目の高さにならないと、彼等の本当の姿は見えない。だから僕は腹這いになる。そうやって気づいたんです。虫は僕であり、僕は虫であると。」

そんな彼が描く虫や動物たちは、当然どれも光り輝いています。今にも飛び出しそうな、動き出しそうな虫、爽やかな風にそよぐ花々に草。名もない彼等の小さな世界が愛しくなってきますね。

2009年、彼は98歳で、この世を去りました。きっと、天国で、やぁやぁ、よく来たねと大ファーブル先生の歓待を受けたことでしょうね。

この本を読めば、原っぱに腹這いしたくなります。

 

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