トップ・モデルとして活躍した山口小夜子(1949- 2007)は、今、世界中で活躍しているアジア人ファッションモデルの先駆者でした。黒髪のおかっぱ頭と切れ長の目で「日本ブーム」を起こし、77年にはアメリカのニューズウィーク誌の「世界の6人のトップモデル」に選ばれました。

かつて、勅使河原三郎の前衛舞踊の舞台で、彼女の踊る姿を観たことがあります。思っていたよりずっと背が高く、存在感のあるカッコいい人でした。その山口の、モデル時代から女優、舞踏家としての半生を、膨大な写真、ポスター等で振り返った「山口小夜子 未来を着る人」(河出書房新社/新刊2916円)を入荷しました。

高田賢三、山本寛斎らのファッションショーで注目され、パリコレへと進出します。その独特の雰囲気が、欧米で日本ブームを巻き起こします。神秘的で、鋭い目線は、それまでのトップモデルのスタイルにはなかったものです。73年発行「毎日グラフ」の表紙などの古い写真も混ぜながら、モデルとして活躍した全盛時代を見ることができます。

この本に収録されている、イッセイ・ミヤケを着た写真(右)は、彼女の魅力を完璧に表現しています。能面のような無表情で、こちらを見つめる目の奥に冷たい炎が燃えています。

1973年、彼女は資生堂の専属モデルとなり、同社のCMに出演。86年まで続きます。資生堂は彼女の起用で、それまでの欧米一辺倒の美から、日本的な美を作り上げていきます。資生堂時代のポスターも数多く収録されていますが、写真家横須賀功光とアートディレクター中村誠とのコンビで創り上げられた香水のポスターは、大胆なトリミングで観るものを圧倒します。我々世代には、山口小夜子といえばこの頃の美しい大胆な姿が強烈に残っています。

竜安寺の襖に描かれた竜の前で撮影された「流行通信」の写真などは、芸術作品です。80年代の「流行通信」は、けっこう過激で面白い写真がいっぱい掲載されていました。その一方、彼女は舞台、映画女優としてのキャリアを積んでいました。77年、寺山修司「中国の不思議な役人」で飛躍し、舞台をダンスや舞踏の世界へと広げていきます。彼女に触発されたアーティストはさぞ多かったことでしょう。一昨年、公開された山口のドキュメンタリー映画「氷の花火」のことを以前ブログに書いていますので、よかったら読んで下さい。

時代の最先端を疾走しましたが、急性肺炎で58歳でこの世を去りました。それまでの日本女性の美しさから、クールで強くミステリアスな女性の美を創造した功績は大きいと、改めて思いました。

※紹介したばかりの「山口小夜子 未来を着る人」(河出書房新社/新刊2916円)は、売切れました。