なんか、東映の任侠映画にでも登場しそうな雰囲気ですが、全く違います。

白山連峰の大日岳に源を有する長良川は、南北に160数キロ流れる大河です。天然の鮎、鱒が遡ってくる自然資源豊かな川辺に、吉田萬吉は明治の終わりに生まれ、漁師としてこの川と向き合ってきた男の人生を追いかけたのが、天野礼子著「萬サと長良川」(筑摩書房/絶版1800円)です。

天野礼子は、京友禅職人の1人娘として生まれ、京都に育ち、開高健に師事し文筆活動を開始、アウトドアエッセイ、釣紀行等を発表。同じ京都生まれの俳優、近藤正臣と河川の乱開発防止運動に取り組んでいる作家です。

天野は長良川に通い詰め、年老いても、漁に出てゆく萬サに出会います。竿一本でアマゴとアユを釣る漁師、萬サを育んだこの川の魅力にのめり込み、彼の伝記を書き始めます。しかし、彼の漁師としての人生を描くだけでは終わらない悲しい事が起こります。それは長良川河口堰建設です。河口堰建設話が持ち上がるまで、長良川は本州で、唯一ダムを持たなかった川でした。

天野は「日本で唯一鵜飼の正しい伝統を継承する川、老人が川にきてニコニコしている川、アマゴやアユが百二十キロもの上流の街中で泳ぐ川、サツキマスが唯一天然産卵をくりかえせる川、そして何よりも吉田萬吉を竿一本で暮らさせた川が、この川である。」

だからこそ、「長良川の正しい姿を守れなければ、三万本も川があるというこの川の国ニッポンは、まもなく滅びることだろう」と、文学の師匠である開高健のバックアップを得て反対運動を始めます。

この本が出版されたのが1990年。全国的に盛り上がった反対運動にも関わらず、役人どもが、その五年後に河口堰を完成させてしまいます。 長良川の大いなる豊かさに生きた一人の漁師を追いかけながら、その豊かさが踏みにじられてゆく愚かさを浮き彫りにしていきます。

本が出版される前年、「長良川の一日」(山と渓谷社700円)というフォトエッセイ集に、開高健も「小説家は怒っているのである」という河口堰反対の刺激的な文章を寄せています。もちろん、天野礼子も書いています。「私たちがこの”最後の川”について考える刻を持つことは、自分たちの命を生かしてくれる自然を考える、一つのキッカケ、そして最後のチャンス」と書いています。

さて、萬サは、80歳を過ぎた時、肺の病気で病院に担ぎ込まれますが、奇跡的に復活します。その姿を見て、仲間の漁師達は囁きます。

「やはり、あんたはこの川の神様やな。あん人の船があそこに浮かんどるんが、長良川の風景やで」

魅力的なシルエットが目に浮かぶ台詞で、本は幕を閉じます。

 

 

 

 

作家、開高健のノンフィクション全5巻が、文藝春秋から発行されています。その第4巻「孔雀の舌」は、全500ページ強に渡って、開高が生涯書き続けた、酒と食に関してのエッセイが網羅されています。通読したわけではありませんが、時々、ページを開けて、最強の健啖家の文章を楽しんでいます。(この本は頭から通読するのではなく、好きな時に、好きな場所を読んでは、積読するのが正しい読書法かもしれません)

吹き出したのは、作家が幼少の時より持っていたカニのイメージです。志賀直哉の小説「暗夜小路」に、女性を形容して、遠い北の海で取れたカニを思わせる箇所があり、そのイメージが頭から離れなくなります。彼がこの本を読んだ時は戦時中で、女性として一番近いところで、生きることに精一杯の母親に向かって「かあちゃん、遠い北の海でとれたカニを思わせるようなところがある女て、どんな女やねン」などと聞けたものではありません。それから、彼がその意味を知るまでのカニをめぐる文章が続くのですが、野性的な開高文学を楽しむことができます。

本の帯に「味覚へのあくなき探求を卓れた文明批評に高めた」と賞賛されていますが、その通りの一冊です。「食の極は人肉嗜食である。」なんて言葉が登場すると、ゲッ!この先生、人肉も口にしたんか??と思ってしまいますが、ご安心を。(ハードカバー550ページで、なんと400円!)

この濃い!ボリューム満点の本とは対照な薄さですが、新入荷のミニプレス「1/f」(エフブンノイチ734円)の1号が「おやつの記憶」という特集を組んでいます。日本のエーゲ海と呼ばれる岡山県瀬戸内市牛窓に住む、筆者の祖母の作る草餅が紹介されています。あぁ〜懐かしい味が漂ってきそうな出来上がりです。

「物語の中のおやつ」という企画で、シャーロット・ブロンテの小説「ヴィレット」に登場する「シード・ケーキ」なるものを取り上げています。英国の伝統的スイーツで、シャーロットの代表作「ジェイン・エア」にも登場するケーキだそうです。スイーツの話から、英国女流文学へと入っていくのが面白いところです。