「南極料理人」「キツツキと雨」「モリのいる場所」、昨年公開された「おらおらでひとりいぐも」と、独自の映像美作品で楽しませてくれる沖田修一監督の新作「子供はわかってあげない」は、彼の最高傑作ではないかと思える傑作でした。(京都シネマにて上映中)

原作は田島列島のコミック「子供はわかってあげない」で、ズバリ、一夏の高校生の純愛物語です。この映画が面白いのは「夏」という季節の描き方。先ず、どの家にもクーラーがありません。(ひょっとしたらヒロインの家にはあったのかもしれませんが)もちろん、時代は現代ですが、あるのは扇風機と風鈴です。静かに扇風機が回り、風鈴が涼やかな音を奏でる。そして水泳部に所属するヒロイン美波の学校のプールの青さ、後半に登場する父親の住まいの向こうに広がる海の青さ。それらが一体となって涼しい風を送ってくれます。それだけでホッとします。

猛暑だ!大型台風だ!熱中症だ!と、凶暴なイメージになってしまった夏のイメージを、本来この季節が持っていた爽やかさへ戻してくれます。そんな夏に包まれて、美波の一夏の物語が始まります。再婚した母と、優しい義父と、やんちゃな弟に囲まれて幸せな生活を送っていた美波は、とあるきっかけで本当の父親を探し出し、会いに行きます。

出会った父親は、なんと新興宗教の教祖!正確に言えば、元教祖。え?なんで教祖なんてやってたの?まぁ、人生色々ワケありです。でも、映画は大げさな描写や感情的なシーンを交えずに、そこはかとないユーモアと、小津映画のような静謐さで、娘と父親のほんのひと時の逢瀬を見つめていきます。笑って、ほろっとさせて、夏が去ってゆく哀愁を演出して幕を閉じます。

父親を演じた豊川悦司が、小津映画常連の笠智衆にダブって見えるという意見もあるようですが、まあそういう部分と、老いてもどこかカッコいい部分が混ざり合って、新しい彼の魅力も楽しめます。水着姿だけは、う〜ん、ちょっとという感じでしたが。(苦笑が起こっていました)

古本屋のオヤジ役で高橋源一郎が出演していますが、サマになっていました。この本屋の棚もなかなか魅力的でした。もっと、ゆっくり見せて欲しかったな〜。

 

待賢ブックセンター「処暑の古書市」を開催中です。9/5(日)までです。勝手ながら、8/29日(日)は臨時休業させていただきます。 

 

●北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約


 

 

 

高橋源一郎の本は、考える楽しさをよく教えてくれます。今回読んだ「たのしい知識」(朝日新書/古書700円)も、こういう考え方があったのか、なるほどと納得しながら読みました。

ところがそれを文章にして紹介するとなると、これが骨の折れること。特に難しい言葉や、複雑な構成の文章を頻繁に使っているわけではないのに。一言、読んでみて!といえば良いのですが、それでは店長日誌としてはなんなので、頑張ってみます。

「えっ、これは知らなかったな、ああ、こんな考え方があったのか、びっくり、と思えるもの。そういう本。たのしい本。喜びに満ちた本。そうだ。『教科書』を書いてみよう。」

というのが、この本の趣旨です。日本国憲法について論じた「ぼくらの天皇(憲法)」、韓国について書かれた「女の隣人」、そして、コロナに苦慮する今を論じた「コロナの時代」という三つの章に分かれています。

高橋は日本国憲法について語るとき、先ず最初にしたのが、他国の憲法を読むことでした。各国の憲法についての比較検証が面白い。各国の理念を、わかりやすく解説してくれます。そして、驚くべきことを言います。

「あなたたちがなんとなくそうだと思っている憲法は、ほんとうの『憲法』じゃないし、あなたたちがなんとなくそう思っている国は、『国』じゃない」

え?なんで? それは本書をお読みください。わかります。

「何かを学ぶ、というとき、いちばん大切なのは、こういうこと、つまり、『なんとなくそう思っていることは、ほんとうはちがう』ってことに気づくことじゃないかと思う。」と続けています。

そのあと、天皇の存在へと話は向かいます。2016年に天皇自らが述べられた「おことば」について、こう書いています。

「ぼくはこう思った。天皇より真剣に、憲法を読んでいる人間はこの世にいないんじゃないだろうかなって。だって、自分の役割を書いてある文章があって、それが、この国の『原理』にあたる文書の中にあるっていうんだ。どんな気持ちなんだろう。ぼくなら、グレるかもしれない。」

こんな風に、様々なことを深く考えてさせてくれます。最後まで、頭を回転させて、なるほど、なるほどと考えながら、楽しく読み終わりました。

 

 

 

「非常時のことば」(朝日文庫/古書400円)という表紙を目にすると、あぁ、コロナ問題に合わせて書かれた本なのかな、と思いますが違います。元々、2012年に単行本として出版され、2016年に文庫化されたもの。この本で語られる「非常時」というのは、東日本大震災後の日本の状況を踏まえたものです。ところが今読んでも、全く違和感がありません。

高橋源一郎の小説は、何故か私には全然ダメなのです。しかし、エッセイや評論、そしてNHKの歴史番組でたまに登場する時の話ぶりなどは断然面白く、鋭い指摘が一杯で大好きです。

東日本大震災の起こった「あの日」以降、私たちは「言葉を一層慎重に選ぶようになった。そんな気がする。」と著者は感じています。書くこと、意見を言うこと、実行することを躊躇させるような、厄介な空気みたいなものが取り囲んでいると。

「ぼくたちは、いま、ことばがひどく不自由だ、と感じている。乱暴なことばが、他者を拒否することばが、溢れ出している、と感じている。他人を貶める、暴力を含んだことばが、至るところを歩き回っている。」

著者は一冊の本について、精緻な論評を行います。かつて、渡辺淳一「失楽園」の見事な書評を読んで以来、著者の作品評には高い信頼を持っているのですが、今回も見事です。その本は川上弘美の「神様2011」です。これは、彼女がデヴューした頃に発表した「神様」と、「あの日」以降のリミックス版「神様2011」を合体させた不思議な本です。(この本については当ブログで書いていますので、よかったら読んでください。)

何故、川上弘美はオリジナルの物語とそっくり同じのままで、「あの日」以降のバージョンを書き、一緒にしたのか。数十ページを使って、本書で最もスリリングで迫力に満ちた部分です。震災後、川上弘美があえてリミックス版を出した意味を深く掘り下げ、「ことば」を多面的に考えさせられました。

震災の後、巷に溢れた専門用語、憶測、推論、こうあって欲しいとう希望的観測など、膨大なことばが襲いかかってきました。なすすべも無く、私たちは自分の言葉を失っていきました。これって、今と一緒ですよね。薄っぺらい言葉しか口にしない首相は論外としても、専門家やマスコミの言葉にもリアリティーが見当たりません。

「ことば」は世界を認識する有効な手段です。著者は最終章「2011年の文章」で、私たちが、そんな時代にどう対処してゆくべきかを丁寧に語っています。今こそ、ちょっと立ち止まって、考えてみるには相応しい内容です。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月7日(木)、9日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。(次週からは、開店する日を増やす予定です)

 

岸本佐知子、柴田元幸、高橋源一郎、堀江敏幸等、翻訳家として、あるいは作家として第一線で活躍する12名の対談を集めた「翻訳文学ブックカフェ2」(本の雑誌社1200円)が入荷しました。

先ず、マンハッタンで酒とドラッグに溺れてゆくヤッピー青年を描いたジェイ・マキナニーの「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」を、高橋源一郎が翻訳した顛末記が面白いです。滅茶苦茶に〆切に遅れてしまった話に始まり、日本語、英語の持つ潜在的な力まで語ってくれます。英語が原理的に男性的で、自己中心的な言語であり、9・11以降のアメリカの体制は男性原理主義社会の成れの果て状態になっているのに対して、日本語をこう解説しています。

「日本語は二千年間、他者の文物を輸入しては無限定に交配しまくってきた。これこそがこの国を長生きさせてきた原理みたいなものだと僕は思います。だから元気がなくなったらどんどん輸入しちゃえばいいんですよ。そしてがんがん異種交配したらいい。」そこから新しい小説が登場してくると結んでいます。

海外文学に興味のない方でも、どんどん読んでいけるところがこの本の良さです。原作にぶつかって悪戦苦闘しながら、作者の選んだ言葉の持つ意味に合致した日本語を、手探りで見つけてゆくスリリングな姿は感動的です。

エッセイストとしても人気の岸本佐知子さんは、翻訳家志望の人には、必ず一度は就職しなさいとアドバイスするそうです。それは、「会社のような、縛りのきつい環境で発せられる言葉こそが、本当に生きた言葉だと思うんですよ。それに、その言葉には必ず表情や匂いや空気がくっついてきますよね。それはものすごく貴重なデータベースなんです。今翻訳をする上で、六年半勤めていたときの経験は、本当に貴重な財産になっています」

生きた言葉をストックするには、足かせガンジガラメの状況に身を置くということですね。この本の対談の時、彼女はジャネット・ウインターソンの「灯台守の話」(白水社1100円)翻訳中で、いかにこの本に美しい表現が散りばめられているかを力説されています。この本については、当店の海外文学ファンのお客様も、やはりその美しさを語っておられました。

「愛している。でもこの世でもっとも難しい、三つの単語。でも、他に何が言えるだろう?」

このエンディングに乾杯です。

作家の高橋源一郎を、私は信頼しています。もう、十数年前ですが、朝日新聞社発行の「小説トリッパー」という文芸雑誌で、当時ベストセラーだった渡辺淳一の「失楽園」について明晰な論評を読んで、このヒト、頭のいい人だなぁ〜と思っていました。

小説もいくつか読みましたが、こちらはどうもしっくりしません。最近では「日本文学盛衰史」を読んだのですが、漱石は鴎外に「たまごっち」をねだり、啄木は伝言ダイヤルにはまり、花袋はアダルトビデオの監督になる!?という大作家が次々と登場する荒唐無稽なお話。面白いような、面白くないような長編でした。

ところが、評論となると、これ程刺激的な作品を出す人もいないのではないかという程に面白いのです。最近の「ニッポンの小説3『あの戦争』から『この戦争』へ」(文藝春秋1100円)は、今の日本を取り巻く危ない状況を見つめながら、社会を論じ、文学を論じています。「ニッポンの小説3」というタイトルから分かるように、「ニッポンの小説」という名前で、この本が3冊目です。「1」は、2001年の9月11日の「アメリカ同時多発テロ」勃発後に書かれ、「2」は3.11の直前に書かれ、そのあとが「3」です。

「日本人の記憶に刻みつけられた『3.11』という『あの日』は、その破壊の大きさから、もういくつかの「あの日』を思いださせることになった。『8.15』である。

いくつかの忘れることのできない『日付』を思い浮かべながら、ぼくは、書かれつつある『ニッポンの小説』を読んだ」

と著者は後書きで書いています。戦争や、震災がもたらした大破壊と闘っている「あの戦争」は終わった、しかし、新しい戦争が起こりつつある。その恐怖に、文学がどう拮抗してゆくのかをスリリングに展開していきます。鋭利な刃物でスパッと切り込まれた感のある評論集です。

最終章は、「戦争を戦争と思わなくなるために いよいよ明日戦争がはじまる」という文章で終わる宮尾節子の詩「明日戦争がはじまる」のタイトルをそのまま使って、故伊丹十三の父、伊丹万作の「戦争責任の問題」という論を取り上げています。これは、是非お読みいただきたい。成る程、そうなのだと思う事、間違いありません。

まだ未読ですが、『3.11』以後、いち早く書かれた原発と震災を見つめた「恋する原発」(講談社800円)。これ、巻頭のこんな一般の方からの投書でスタートします。

「不謹慎すぎます。関係者の処罰を望みます」

あらゆる欺瞞、常識に闘いを挑む作家ならではのタイトルですね。